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002. 5.12  
FUNKY  2nd. Touring

Report by Ryuta    
コース ガイド

秋田⇒
飯田川国道7号八郎潟町大潟村外周道路 

八竜町能代市国道101号八森深浦⇒ 

鯵ヶ沢
生干しイカ車力村十三湖小泊竜飛

 
三厩今別大平⇒やまなみライン<往復> 

蟹田
 昼食 蟹田川
青森市八甲田

 酸ヶ湯温泉
 <入浴>焼山奥入瀬バイパ ス

 子の口
休屋発荷峠十和田樹海ライン小坂 

毛馬内比内国道285号米内沢

上小阿仁
五城目下新城

モト ワークス ヒラタ
 全走行距離 606km

鯵ヶ沢の生干しイカ 1枚250円〜
 今年2回目のツーリングは、津軽半島を回って八甲田・十和田を走って来る走行距離600kmの予定である。今回の参加者は1回目と同じ各年代を代表する4名となった。他のメンバーは仕事で今回も不参加となってしまった。
 参加車両は     K氏  R6
             P氏  R1
            M氏 750SP

 そして私は前回と年式が同じ1985年モデルのFZ250。前回のFZ750とは年式は同じだが排気量が1/3、最高出力45PSとあっては皆様の足手まといになるのは必至である。ガソリンタンクも12リットルと航続距離も短く給油タイミングが合うかも心配である。最悪の事態を考えて給油ポンプを持参する事にする。


 夜中から降っていた雨は小降りにはなったがまだ降っている。天気予報では降水確率50%以上で曇りとなっているが、とりあえずカッパを着てAM6:00過ぎ秋田を発つ。

 八郎潟町から大潟村に入り外周道路を走るが、いつも道路の両側に溢れているバス釣の車が今日は殆ど見えず走りやすい。久しぶりのノンカウル(FZ250のスクリーンはメーターバイザーと呼ばれていた。)のバイクで高速になると風圧さに悩まされる。気温が低く空気が重いせいもあってヘルメットに掛かる圧力が半端でない。風圧と戦いながらFZ250の最高速チャレンジを試みるがメーターの一番大きな数字にはどうしても届かずじまいであった。FUNKYにR1が導入されるまではこのスピードが最大級のスピードレンジであったが、現在のFUNKYではこの程度のスピードでは一瞬の通過点でしかないのである。カウリングのありがたみを久しぶりに痛感したFZ250の最高速チャレンジであった。

 大潟村を出る頃には雲の間から青空が見え始め、日も当たる様になって路面もドライとなり少し暖かくなってきた。 能代を過ぎ国道101号に入り八森町の展望台のあるパーキングにバイクを止める。ここでカッパを脱ぐ。このパーキングはFUNKYではお約束の休憩場所で、過去に様々な出来事が繰り広げられた思い出多き場所である。

 トイレ&コーヒータイムを取って出発する。今日のR101は車が多くなく走りやすいが、車の後に付いてゆっくりとしたペ-スで走り始める。

 ここでFZ250フェイザーのインプレッションを書いてみる。今から17年も前のバイクではあるが、現在のバイクの基礎を作ったバイクなんだと言うことを感じた。



● 基本的にフレームがパワーに勝っており高速でもフレームが縒れることが無く安定している。当時150km/hも出れば車体が揺れ出すバイクが多くあったが、FZ250は180km/h近く出るが車体は高速で安定している。

● 18・19インチが当り前の時代に、前後16インチのホィールを採用して軽快なハンドリングを創りだしている。軽すぎて安定感が不足していたため次のFZR250ではホイールが17インチに拡大され、それが現在のスタンダードホィールサイズになった。

● エンジンの上にキャブとエアークリーナーBOXを配置しダウンドラフトキャブレターを採用したレイアウトは、現在のスーパースポーツモデルのスタンダードになっている。

●FZR400で初めてラジアルタイヤが採用されタイヤのワイド化が始る少し前のFZ250は、タイヤが細いためハンドリングは軽いがバンク時の安定感が不足している。当時、FZ250のハンドリングを絶賛したケニー・ロバーツのようなライディングテクニックを持った人間であれば問題は無いと思うが、我々のような凡人には神経を使い過ぎて疲れる。現在のワイドタイヤの軽快で尚且つ安定したハンドリングの素晴らしさを、今回FZ250に乗ってみて再認識してしまった。

●FZ250[1HX]のリヤブレーキはドラムブレーキ(ディスクブレーキが装着されたYSP仕様[1KG]がその後発売された。)が付いているが、ディスクブレーキと比較するとコントロール性に劣りONかOFFかのデジタル的なブレーキとなっている。

●FZ250のエンジンはクランクマスが小さくピックアップの良い軽快なものだが、アクセルを戻した時の回転の落ちが速くギヤダウン時の回転の同調が難しく気を使う。FZR250になってクランクシャフトに付いているジェネレーターのマグネットの径を大きくすることによりクランクマスを増し改善されることになる。

●超高回転型のエンジンであるためか7,000回転付近にトルクの谷があってこの回転を避けてギヤをセレクトする必要があった。YAMAHAはこのトルクの谷を解消するため排気デバイスのEXUPを開発しFZR250の1988年モデルに装着したのである。



 AM9:00過ぎ、生干しイカを食べるため鯵ヶ沢のいつもの由利商店に到着する。今日は娘さん独りでイカを焼いていた。店内に入ってビックリ!! 新しく大きな冷蔵庫が入っていたり商品の展示用什器もテレビも新しくなっていて、イカの形をした看板まで下げられている。

 早速イカを3枚焼いてもらうと、今年はイカが大きな皿に盛られて出てきた。昨年までは屋台で焼きそばを頼んだ時に焼きそばが入ってくる透明プラスチック容器に入れられてきていたのに、今年の由利商店さんバージョンアップしてました。















 「塩をふってありますからマヨネーズに醤油はかけないで食べてくださいね。」と注意を受け、早速テーブルに置かれたイカの皿に四本の手が伸びる。P氏はイカには唐辛子が付き物と家から一味唐辛子を持参していたが、由利商店には一味唐辛子が置いてあってウエストバッグの中の一味唐辛子は取り出される事はなかった。イカはいつもの様に硬くも無く、柔らか過ぎず絶妙の焼加減で焼かれており、塩加減もベストマッチ。  美味しぃ・・・・・・い!! のだ。 m氏、ゲソの付け根のここが美味いなどと話しながら手には常にイカが握られている。大皿に盛られたイカは瞬く間に皿から消えてゆき、最後のイカはP氏の「これ貰っていいですか。」と言う言葉で全員に承諾させP氏の手に握られる事になったのである。


この男狙った獲物は逃がさない

絶対に逃がさない。


 各人お土産を買い、娘さんにまた来年来ますと約束して満足して店を出る。



 ここでFZ250の燃料タンクの中が気になりキャップを開けて中を確認する。まだ予備までには少しありそうでであるが、今まで180km以上走っており燃費が20km/L走ったとしてもそろそろ予備タンに入ると思われる。

 FUNKYはいつも車力村にあるJAのJOMOGSでガソリンを給油するのだがそこまではまだ20km位ある。FZ250のGタンクは全容量12Lの内2Lが予備となっているので予備を使えばGSまでは行ける計算である。


 鯵ヶ沢の町を抜けて国道101号と分かれ農道に入る。この農道は以前立ち寄った事のある土偶で有名な亀ヶ岡遺跡の横を通って車力村から十三湖まで続いている。道幅は広くはないが信号も無く長い直線が所々にあって北海道的な道である。

 農道に入って間もなく荷台に鉄の丸パイプを積んだトラックに追い付いた。3インチサイズと思われるパイプは荷台からオーバーハングして積載されており、その先には白い布が括り付けられている。追い越しを掛けるため中央に寄って前方の様子を覗うと対向車は無く先は直線である。追い越しの条件は整っている。しかし何かが気になってほんの一瞬トラックの後に付く。すると間も無く、トラックは右にウイカーをあげると直ぐに右側にある小道に向かって右折を始める。追い付いて直ぐに追い越しをかけていれば昨年の北海道の二の舞いになっていたところであった。北海道の痛い教訓が今回役に立ったのかどうかは分からないが、ここは何事も無く通過することができた。

 昨年の北海道と同じ2番手のポジションにいたm氏は、私の様子を少し離れた所で観察していた模様で私が直ぐに追い越しを行ったとしても、自分だけは助かる体制をとっていたようで北海道の教訓をシッカリ生かしていた。

  田舎道のトラックの追い越しは慎重に行わなければいけない。連中は後方などまず見ていないしウインカーをあげて直ぐに進路を変える。ウインカーをあげない場合も多いのだ。何て言ったって此処は彼らの庭なのだからやりたい放題なのだ。皆さんも田舎道のトラックには充分注意しましょう。

  そんな事があってから少し走ると今度は白い乗用車に追いつく。 見通しの良い直線路で追い越し体制に入ろうとした瞬間、右にウインカーが出る。ウインカーが出てからしばらくして車は右側の道無き道に吸い込まれて行った。この場合は横道など無いと考えていたところにウインカーだったが、このドライバーは後ろにバイクがいる事を認識して早めにウインカーを上げて右に曲がることを我々に伝えたものと考えられる。いずれにしても田舎道の難しさを痛感させた2つの出来事であった。


 車力村の近づくと、所々道路のアスファルトが剥がされて砂利道のパッチワークの様になっていて非常に走りずらい。

 ガソリンを給油するため農道を離れて車力村のGSに向かおうとウインカーを右に上げて一時停止して発進と思ったらここで来た。急いでコックをリザーブに回して停まることなく走り出すことが出来た。

 普段は途中でリザーブに入る可能性がある時は予めリザーブにして走り出すのだが、今回はFZ250がリザーブまで何キロ走るかを確認するためONで走っていたのだ。

 普段何故リザーブにして走るかというと、複数で走っている時ガス欠で急にスローダウンすると後ろのバイクにパニックを与え兼ねないからである。ONであれリザーブあれガス欠する時はする。


 FZ250がリザーブまでに200km以上走れることを確認してGSを目指すが、この道もパッチワークされており段差も半端じゃなくてジャンプしそうになる。道路工事もやるなら全面ヤレ。中途半端に斑にヤルナとヘルメットの中で叫びたくなる。

 今日のJAGSでは、昨年いた若いGSマンではなく年配のGSマンが我々を出迎えてくれた。レギュラー満タンをオーダーしてヘルメットを脱ぐ。


 今回のツーリングから長年被っていたNORICK レプリカからDAIJIROレプリカに替えた。昨年の北海道でのアクシデントでダメージを受けていたため交換したかったのだが、毎年春にニューモデル出るのがお約束のヘルメット業界を信じて春まで待っていたのである。

  今回DAIJIROモデルにしたのはでもDAIJIROレプリカNORICK 2レプリカより一万円安いからではなく単に今着ている黄色のジャケットとのコーデネートを考えた結果であったのだが、実物を見ての第一印象は派手ー!!後ろの血走ったマナグドッキリ


 れで後ろの連中にニラミを利かせられると考えたが、走っている時は単なる模様にしか見えないとのことでガックリ!!

 今回のSHOEIの帽体は前の帽体より前後に長くなった様で額が痛くならないのが良い。前のヘルメットでは長時間被っていると頭が痛くなるためインナーの発泡スチロールをつぶして被っていたのだが今回は必要なさそうである。帽体がAraiの形に近づいた様である。

 派手なヘルメットを脱ぐとそこから現われるのは白髪頭のオッサン。最近その時の周りからの視線を感じるのだが、皆さんどう見ているのか聞いてみたい気もするし知らない方が幸せかとも思ってしまう。


 ここのGSでは毎回事務所のソファーをお借りしてチョット長めの休憩を取らせてもらう。途中から応対に出てきたいつものオバサン(多分?)にm氏が中学校のソフトボール部の話をし始める。m氏は車力村と言えば、車力村の中学校ソフトボールチームが地元に遠征に来た時のことが脳に強くインプットされているようで、以前にもしたこの話をオバサンに話始めたのである。

 オバサンは前にもこの話は経験済みの話であったと思うが、すっかりお忘れのようで質問に答えている。話の内容は前回とチョット違う方向に進んで新たな展開をみせていたが、その様子を横で聞いていてある言葉が脳裏に浮かんだ。
                        <年齢を重ねると同じ話をするようになる。>

 給油と休憩を終え、北のはずれ竜飛岬を目指してGSを出発する。GSから出てバイパスに入ると田植え作業が始った田んぼが道の両側に広がっていて、道路脇には作業の人や機械がいて気を使う。代かきが終わって水の張られた田んぼがキラキラと輝き、ずっと向こうまで広がっている。人や機械が道路脇からいなくなって自然に右手がワイドオープンになるとFZ250のメーターの針は文字盤の最高数値に到達したのであった。

 十三湖を過ぎて小泊に向かうと道は海岸線を走るようになる。この道は以前狭い所が多く2車線でない所が多かったが改修が進んで殆ど2車線化さていた。

 小泊からワインディングの峠を越えてまた海岸線に出ると道路の法面の工事が行われていて片側交互通行となっていた。そこには信号が設置されていて信号は赤だった。先頭を走っていたm氏は信号を見つけられないまま進行、幸い対向車は無く反対側の出口まで問題なく通過した所でm氏は青の信号を見つけてしまう。信号があった事を知ってしまったm氏であったが、今となったらどうでもいいことでここで一段とペースアップをして北のはずれに向かう。m氏を先頭にK氏・P氏の順で綺麗に連なってコーナーを次々にクリヤーして行く。皆さん調子が上がって来たようでジリジリと離されて、はるか遠くに行ってしまった。

 竜泊ラインもいよいよメインステージの眺瞰台への登りに掛かる。ここの登りのヘアーピンカーブは1速が必要になる程急激に登る。キツイヘアーピンが終わるとトリッキーな中速コーナーが続き忙しい。二番手を走行していたK氏のR6のエンジンに突然異変が襲い、中・低速でエンジンがバラツキ始め加速が鈍る。すかさず3番手カメラ車のP氏がK氏をパス先頭のm氏を追う。R1の圧倒的な加速力でm氏をロックオンしてコーナーを駆け抜けていく。眺瞰台に着いた先頭は駐車場にバイクを入れ後続を待ち一緒になって今度は竜飛崎に向かって下り始める。

 この下りがまた曲者で、下り直線の先にガードレールが見えその奥に津軽海峡みたいな状況が多々有り気持ちが大変よろしくない。道も狭く曲がりくねっているので車がいたら追い越しは難しい。観光バス2台に追い付いてしまい後ろに付いて走っているとバスが左にウインカーを上げて先に出してくれる。続いて前にいたバスも我々を前に出してくれた。全員頭を下げて前に出る。最近東北でも車がバイクをウインカーを上げて前に出してくれる事が多くなってきた。以前から北海道ではよく前に出してくれる事はあったが、東北では殆んど出くわす事は無かった。東北のドライバーも幾らかバイクを認識し始めたのかもしれない。

 我々が道を走る時一番気を付けている事は、車のドライバーに出来るだけ迷惑をかけない事である。ドライバーに嫌な印象を与えない走りと言った方が良いかもしれない。そのため出来るだけ車に付いて走る時間を短くし、追い越しは一気に行い出来るだけ車から離れてからスピードを落す様にしている。ドライバーはバイクが後ろに付くのを嫌がるが、バイクの後ろに付いて走るのはもっと嫌なものだ。

 今回のメンバーは全員竜飛崎経験者であったため竜飛崎には行かず、風力発電の風車の有る所から右折して三厩に向かう。この道は青函トンネルを造った時海岸線の国道は狭く大量のダンプトラックを裁き切れないため、山側に新しく作った工事専用道路を工事終了後一般道として使用しているものである。景色は良くないが信号も無く一気に三厩駅まで行けるのでFUNKYの常道となっている。

 山際に沿って造られたこの道はFZ250のために造られら様な道で狭く曲がりくねっていて、FZの軽いハンドリングが走りを楽しませてくれた。


 国道に出て今別のバイパスに入ると前方にパンダが一匹走っているのが見える。これはこれは久しぶりのパンダさん、ジリジリとパンダに近き後ろに付くとパンダさんわざとらしく道路右側の空きスペースに停止し我々をやり過ごす。我々の8つのマナグはミラーに集中し、我々と少し間隔を開けて発進するパンダを確認する。法定速度+10km/h以下で走行して国道から大平に向かう県道に右折する。


 パンダの右折を確認して法定速度+10km/h以下走行を続けるが、こんな走行を大平まで続ける元気も無く津軽今別駅に隣接した道の駅で休憩を取ることにする。バイクをパーキングに止めてパンダが行く過ぎるのを確認する。

 ここでR6のエンジン不調を聞かされるが、高回転は普通に回るとの事でこのままでいく事にする。R6はダイレクト・イグニッションコイルに持病を持っていて、このイグニッションコイルは回転数によって点火をサボる癖がある。昨年そのサボり癖が分からずセッティングに苦労した事が思い出される。コイルは部品番号は変わっていないが対策部品に変わっている模様である。

 パンダがどこまで行ったか知らないが道の駅を出発して大平までゆっくり走り、これから始るスペシャルステージやまなみラインに備える。

 やまなみラインは大平から十三湖方面に抜ける峠道の事であるが、途中にトンネルなどがあったりするが超高速コーナーで構成される北海道的な道である。東北でこれほどの高速コーナーが続く道を私は知らない。

 露払いのFZ250がどいてそれは始った。m氏を先頭にK氏・P氏がそれに続う。P氏はこの時やってみたい事があった。最後尾から追い上げて全車を追い抜き先頭に立つ。そしてその一部始終をビデオカメラに収める事である。それを是非一回やってみたかった。

 まず、早々にエンジンが本調子でないK氏を一つ目のトンネルを抜けた所で追い越したP氏は、m氏の後に付くためR1にフルスロットル与えタコメーターの針を11,000r.p.m.までキッチリ回して速シフトアップ、一瞬の間をおいてまた11,000r.p.mでシフトアップする。すると映像は傾いた地球と191のデジタル数字を映し出す。左コーナーのアウトから並びかけるP氏、m氏の姿は映像から一瞬消えるがコ-ナーの出口でまた写し出される。次の右コーナーをm氏の後ろで立ち上がったP氏のR1は、タコメーターの針をまたも11,000r.p.m.までキッチリ回してシフトアップ、その後m氏の姿はついに映像から消えてしまったのである。2つ目のトンネルまでP氏は逃げを打ちそしてトンネルを出た所で目的を達したP氏のR1はスローダウンm氏の後ろに下がる。そして映像はまたm氏の後ろ姿を写し出すのであった。先頭に立ったm氏は私と打ち合わせた自販機前で私を待ち、再びやまなみラインに戻って高速コーナーを楽しんだ後、昼食のため蟹田町ある蟹田川に向かう。(ここの文章には一部、筆者の想像による文章が含まれている事をご了承ください。)

 蟹田川は地元の婦人会がこの時期(しろうお漁)限定で営業している食堂でしろうお料理を出している。蟹田川に到着してみると車と人でごった返していて、バイクを停める場所も無い位の混みようだ。

 バイクを車の間に捩じ込んで急いで入口の順番待ちの列につく。店内は満席状態で昼からビールを飲んでいる人もいて騒がしい。順番は前から5番目位でそんなには時間はかからないと思われ、私1人で列に並ぶ事にして他の3人は一服のため蟹田川の堤防に行く。

 考えてみたら今日のメンバーの中でタバコを吸わないのは私だけであった。誰とは言わないが、ツーリングで一日中バイクに跨っているのにも関わらず2箱も吸う人間がいるなんて信じられない。そういう私も以前はショート・ホープをそこそこ吸ってはいたが、いつ止めたか忘れるくらい前に止めた。


 20分ほど待ってテーブルにつく事が出来た。今回は以前食べて美味しかったトゲグリ蟹を食べに来たのだが、今しか食べられないと言うしろうおを食べない手は無い。そこでメニューを見るとしろうお料理の定番は、白魚定食1,500円とそれにしろうおの踊食い山菜が付いたフルコース2,200円であるようだ

 忙しく動き回る注文取りのおねいさんに白魚定食とフルコースの違いや他のメニューの内容を聞くと、おねいさんの顔には定食以外は注文しないでくださいと書かれており、m氏&P氏は白魚定食、K氏と私は思い切ってフルコースを奮発する事にする事になってしまった。FUNKYのいつもの昼食とは大きくかけ離れた豪勢なランチとなってしまったのである。




 最初に運ばれて来たのがフルコースのしろうおの踊食いであった。単品で注文すると確か600円であったと思う。このおどりが絶品であった。

 しろうおはくねくねと元気よく器の中で動き回っていて食べるのが可哀想になる程可愛いい顔をしている。ウズラの卵とワサビを入れるとワサビが利いたのか動きがいっそう激しくなって跳ね回っている。ワサビの進入でパニック状態のしろうお カワイーィ顔してる。


 しろうおはハゼ科の魚だそうで魚体には黒い斑点が有り、1ヵ所赤い所が有るのが特徴であるようだ。


 人間の残忍さの一面を指し示す究極の食べ方おどり。生きたまま口の中に入れられたしろうおは観念したのか思いのほか動きは鈍く暴れることなく噛まれることになる。

 先ほどおどりは絶品と書いたが、何が絶品かと言うとこの歯ごたえが絶品なのである。私の貧弱な文章力ではその感じを上手く表現できないが、あえて文章にしてみると次の様になる。


 私がしろうおを噛むとあごの骨が今まで体験したことの無いコリコリとした歯ごたえの感じを信号にして脳に送って来る。舌の味覚センサーは卵とワサビと醤油の味は感じているがしろうおの味は感じてはいない。その様な全ての情報を総合的に処理した私の脳は、しろうお噛む度美味しい・美味しいと感じてしまうのである。しろうおおどりは摩訶不思議な食べ物であった。



 おどりの後に運ばれてきたしろうお天婦羅玉子とじ玉子の味しか感じなかった。冷静に考えて見ると透明なこの小さな魚に味が有るとは考えにくく、この食材の最高の食べ方は歯ごたえを味わえるおどりであるという結論に至ったのである。

 おどりの付かない白魚定食を注文した2人は、支払った金額に見合う対価を得たとは思えないが、おどりを食べた2人は支払った金額以上の満足を得て昼食を終えたのである。

 FUNKY一番の大食漢K氏がここでもご飯の追加を頼んだのは言うまでも無い。度、蟹田川の寄る時は、単品のおどりトゲグリ蟹を注文する事に決めた。

















 外ではしろうお祭が行われていてしろうおすくい(しゃもじで5回すくえて100円)や帆立貝一個50円など大変お買い得になっていた。帆立を食いそびれたのが心残りであった。

 お腹も膨れて次は温泉である。蟹田を発って青森市八甲田の酸ヶ湯温泉に向かう。陸奥湾沿いの道はいつもより空いていて走り易く順調に青森市内に入る。

 R7から青森バイパスに入り八甲田を目指すが、八甲田への登りの道は相変わらず車が多く道も狭いため追い越しもままならない。標高が上がるに連れて気温が下がって寒くなり早く温泉に入って温まりターイ気持ちで右手に力が入るが前にはバスがいて排気ガスを我々に浴びせまくる。ディーゼルエンジンの黒煙は何とかしなければいけないでしょう。このままで良い筈が無い。

 やっとの事で酸ヶ湯に到着し温泉に急ぐ。入口の自販機で入浴券500円を購入して中に入る。ここでは玄関で靴を脱いで自分の履物は袋に入れて持ち歩くシステムになっていて、それ用の酸ヶ湯温泉の名前が入った専用袋が用意されている。酸ヶ湯温泉入湯記念に1枚貰って来てしまいました。

 靴を脱いで券をカウンターに持って行こうとしたP氏、さっきまで手に持っていたはずの入浴券が無いことに気付く。辺りを探し回るが見つからず焦りはじめたその時、お助けマンK氏が登場P氏のブーツの中に落ちていた入浴券を探し出す。何かと手が掛かるP氏ではある。

 やっと見つけた券を持ってカウンターにいくと入浴券は奥の浴場の入口で出すように言われそそくさと浴場に向かう。


 浴場の前には係りのおじさんが立っていて入浴券の回収や貴重品ローカーの案内などいろいろ教えてくれる。

 左側が男性、右側が女性用の入口となっているが、ここは混浴で中は一緒のお風呂になっている。

 入口横にある小さなロッカ-は無料で使用出来るが、脱衣所の中にある大きなロッカーは有料(100円?)となっている。

 早速皮を脱いで浴場の中に入る。千人風呂と呼ばれるこの浴場は女性専用の湯船と混浴の湯船2つ、打たせ湯からなっていて、立札で女性と男性のテレトリーを分けている。


 以前ここに入ったのは恐山日帰りツーリングの帰りでドシャ降りの雨の中辿り着いたのは、もう10年以上前のことである。

 前回千人風呂に入った時は広く大きな印象を持ったが、今回入って見るとそんなに広い感じはしなかったのは何故だろう。ここの温泉は名前にもあるように酸性度が高く目や傷に入ると痛い。この感じは蔵王温泉に似ていて体に傷が有る時は要注意である。酸性度は玉川温泉程ではないと思うが硫黄臭が結構きつく体に付いた臭いは2・3日は抜けなかった。。

 混浴の湯船には、ここから先男性進入禁止と書かれていているだけで女性が男性側に進入禁止とは書いてなかった。また水着による入浴は禁止と書いてあったが、テレビの温泉番組の様にタオルを体に巻いた女性がいたのはどうした事だ。タオルを巻くのは許されるのか、そこを知りたい。自分が何でそうムキニなるのか良く分からないが、タオルを巻いている女性はお年を召された方ばかりで巻く意味を持たないと思うのだがどうなんでしょう。今回のツーリングに参加しなったF氏が教えてくれた情報によると酸ヶ湯温泉の千人風呂には若い女性が入っている事が多いとの事であったが、運悪く本日はその様な方は皆無であった。


 お風呂から上がって水分と煙を補給する。私は定番のアイスクリームを探すが見つけられず今回はあきらめスポーツドリンクを飲む。

   体も温まりリラックスムード                                                        酸ヶ湯温泉の外にはまだ雪が残る。寒いわけだ。










 PM4:00酸ヶ湯温泉を出て峠を越えて焼山のGSに向かう。車力でガソリンを入れてから190kmちかく走っており焼山に行く間にリザーブに入るのは必至とコックをリザーブにして出発する。

 八甲田で一番高い笠松峠(標高1,040m)は霧に包まれ辺りはまだ雪に覆われていた。気温は5℃以下と思われ寒さで指先が痺れてくる。この峠を過ぎるとヘアーピンカーブが続く長い下りが続く。下りの濡れた路面と寒さで体が固まってコーナーリングがぎこちない。


 m氏はトンネルの濡れた路面でいきなりリヤタイヤが空転し、それ以降はおかなビックリ走行になったとか。

 K氏は固まってしまった上体が災いしてか下りの右ヘアーピンコーナーで外にはらみコースアウト寸前まで行って戻ってくる。後ろで見ていたP氏、思わず口から出た言葉は「おーい!こっち こっち!」スピードは20km/h程度のコーナーであったが本人は結構ビビッテしまったようだ。

 ここの下りを一番楽に走れたのはFZ250であったようで、軽いハンドリングとパワーの無さが幸いしたようだ。FZ250にも何か良い事が無ければやってられん。

 焼山のシェルGSに到着したFZ250は、ガソリンを9.8L飲み込んで燃費は20km/h以上をキープ。結局、リザーブを使用しないで200km以上走れる事が今回も証明され他車と同じ200km毎の給油間隔でいける事が確認された。これで秋田まで無給油で帰る事が出来るだろう。

 給油だけして休憩は取らずに出発、奥入瀬に入る。途中から奥入瀬バイパスに右折し十和田湖の外輪山に向けて登り始める。このバイパスは途中から登り側が2車線となっており車に影響されずに走る事が出来るのだが、今日は中速コーナーの続くこのバイパスにほとんど車は無くm氏を先頭にK氏、P氏、私と続くTeam FUNKY はスピードを上げる。右に左に車線を替えて深いバンクを繰り返して行くが、私はコーナー途中にある橋の継ぎ目が気になって思わずバイクを立ててしまった。あっという間に着いたバイパスの終点付近は、霧に包まれていて視界が悪い。

 十和田湖の外周道路に出て左折し、子の口に向かって外輪山を下る。霧とシールドの曇りのため前が見えないのと1.5車線の狭く濡れた道にスロー走行を強いられ神経が非常に疲れる。右手下方には寒々とした墨絵の様な十和田湖が時々木々の間から姿を見せる。湖面近くまで下ると視界も回復してペースを上げるが、今日の十和田湖は連休直後であるためか子の口、休屋付近にも人影は疎らでこんなに寂しい十和田湖をバイクで走るのは初めてあった。それにしても今日の十和田は寒い、気温は7〜8℃程度しかないのではなかろうか。


 休憩とトイレタイムのため、最近素通りする事が多かった発荷峠のパーキングにバイクを停め早速自販機に走る。寒い時の缶コーヒーはお約束のアイテムで250gのロング缶がお勧めである。一本130円とチョット高級な缶コーヒーを自販機から取り出し、まず両手で缶をシッカリと握り締める。冷え切った指先に缶コーヒーの温かさが染み込み指の血流が活発になっていくのが本当に手に取るように分かる。こんな時人は生き返る---!と思わず言ってしまうのである。

 最初は熱くて握っているのも大変だった缶コーヒーも冷たい指先に熱量を奪われ温かさを感じられなってしまう。ここで初めてプルトップに指を掛ける。手にはもう熱さを感じられなくなった缶コーヒーも体に入るとまだ充分な温かさを持っており、今度は体の中から暖めるのである。

 しかし何故缶コーヒーなのか? 350cc入りのお茶の方がより熱量を持っておりより温まるのだが、寒い時体は糖分を欲しがるもの。お茶にはその糖分が無いし、それと寒い時は汗をかかないので350ccの水分はそのままタンクに溜まりタンクのオーバーフローを誘発し、結果としてトイレが近くなる。190g缶では熱量が足りず直ぐに温かさが失われる。以上が寒い時に250gの缶コーヒーを買う事を推奨する理由である。

 発荷峠の展望台が改装されたのは知っていたが、あまりの立派さに驚いてしまった。1階の湖面側は総ガラス張りになっていて部屋の様になっている。雪の季節をも考えた設計と思われこれは良いことだ。

       ガラス越しの十和田湖                 屋上の展望台も立派である。













 1955年、今から47年前の発荷峠からの眺め、今と変わらない。今から47年先に変わらぬ景色が眺められるがどうか? 私は見られそうも無いが。












 この2人が何を話しているかは想像も出来ないが、お互い腹の探り合いをしていることだけは間違いない。

 休憩後、本日の最終スペシャルステージ十和田樹海ラインに向かう。走り始めると寒さのせいかシールドが曇って前が良く見えずスピードを上げられない。しばらく走ると曇りが取れてきたので後ろに下がる。m氏を先頭に一気にペースアップするが今度はガスが出てきて視界が悪くなってきた。しかし先頭のm氏のペースは落ちず霧の中に消えていく。この状況に対応できずにK氏は自ら後ろに下がるとP氏はm氏を追い上げようとペースを上げたが前が良く見えない状況ではR1とて容易に追いつけない。幸いm氏が車にひっかりペースダウンしたため追いつくことが出来たが、その後もm氏をロックオンするのは容易なことではなかった。

 十和田樹海ラインは登りより下りが好きと言うm氏は、日も傾いた今ごろになって調子が出て来た模様で霧の中をガンガン行く。そろそろお疲れモードに入っていたP氏は、カメラ車の任務を真っ当しようと必死にm氏を追う。

 樹海ラインの中ほどにはシェルターがあって(昨年そのシェルターの前でガス欠したのは私です。)そのシェルターは緩やかにカーブしている。問題なのはその路面のグルービングされた縦の溝。四輪であれば何の問題も無いと思われるが、二輪では溝の抵抗がフロントタイヤに微妙に影響を与え方向が定まらず気持ちが悪い。直線ならまだしもガーブでのグルービングは事故が起きる可能性もあると思うので絶対に止めてもらいたい。シェルター付近まで下ってくると霧もはれて先頭は更にペースアップした模様である。


 この樹海の下りでは結構長い下りの直線があってスピードがのる。そこからフルブレーキングでスピードを落とし、と同時にギヤダウンしコーナーに進入、アクセルを合わせクリップを過ぎて徐々にアクセルを開けて立ち上がり、先が見えたら一気にアクセルを開けて加速していく。その一連の作業が上手くいった時、ライダーは大きな満足感を獲得する。反対にそれに失敗すれば、大きな恐怖感を味わうことになるのである。

 最後尾を待つため七滝の前にバイクを停めていた3人の右側を、1台のバイクがジェット機のような高周波音を残して走り去っていく。そのドプラー効果の効いたバイク音は、止まって高速で走り去るバイクの音を聞く機会が少ないFUNKY Memberにとって、それは衝撃的ば出来事であったはずである。

 m氏は直ぐにそのバイクを撃墜すべくスクランブル発進をかけ3車一丸となってそれを追う。前を走るバイクは小排気量車と思われ、3車の圧倒的な加速力を駆使して瞬く間に追いついたのだが、そのバイクは道を譲るどころか無謀にもFUNKYから逃げようとしている様に見える。しかも狭いワインディングロードに逃げ込んだバイクは逃げに逃げ、道を譲ることなく小坂町の踏切まで走りきってしまったのである。

 m氏が踏み切りで横に並んだそのライダーは、DAIJIROレプリカのヘルメットを被ってバイクはFZ250に乗っていた。
              それって俺のこと!! みたいな〜 落ちにしてみましたが、これっていけてるぅ〜?

 冗談はこれくらいにして、小坂町から毛馬内に出て信号で止まると前に温度表示板があって10℃を表示していた。山から降りてきて温かいと感じていたのに10℃とは驚いた。10℃を温かく感じるほど山の上は寒かったと言うことだろう。

 十和田インターを過ぎると男の子2人を乗せた車に追いつく。子供たちは我々を見て手を振ってくる。私も手を振って応えるが問題はこの車を運転しているお母さん。スピード狂とも思えるその走りは前にいる車という車を次々に追い越していく。対向車が見えていないかのような走りは、我々でさえその車を追い越すのをためらう程危ない走りであった。子供を乗せてのあの走りはいけません。お母さん慎みましょう。結局お母さんは我々に追い越されること無く横道に消えていった。

 比内町から国道285号に入り米内沢を通過、日もとっぷり暮れた上小阿仁の道の駅にPM6:40に到着し休憩をとる。お腹がよく空くP氏は、そばを食べようと売店へと走る。私もトイレに行った後小腹が空いたので売店に行ってみる。P氏によればそばは既に終了しており、この際晩飯を兼ねてカレーライスをオーダーしたと言う。ラストオーダーがPM6:50であるとの事で、私も急いで以前から食べてみたかったナンを使ったナン・ドッグなる物をオーダーする。閉店間際の慌しい中しばらく待たされて出て来たナン・ドッグはパンの変わりにナンにソーセージを挟んだ食べ物でこれが結構美味かった。

 まだ夕食中のP氏を売店に残してバイクの所に戻ると、m氏とK氏が我々のバイクの横に停まったマイクバスに乗ったおじさん達の話をしてくれる。県南方面に行った帰りで鷹巣まで行くと言うこのおじさんたちは、先ほどトイレで一緒になった人達のようで完全に出来上がった連中であった。その中にはK氏のバイト先のオーナーが含まれていて、そのオーナーが中心になって我々のバイクをツマミにバイク談義に花を咲かせたようだ。おじさんたちは、R1の太いリヤタイヤに驚嘆し1000ccという排気量にいたく感動した模様でR1に跨らせてくれと申し出た模様である。オーナーがその場にいないことを良いことにおじさんたちは、R1を椅子代わり使ったとか使わなかったとか私は知らない。

 おじさんたちを乗せたマイクロバスも出て行き、我々も秋田を目指して上小阿仁を出発する。五城目のバイパスから広域農道に入り黒川に向かう。この時間になっても車が結構走っていてペースが上がらないが、鳥目のはずの私であったが今日はライトの光が良く見えいつもより最高速が上がっているようだ。m氏はヘルメットが変わってシールドも変わったせいだとお考えのようだがハッキリした事は分からない。


 上新城付近で雨が少し落ちてきて心配したが直ぐに上がってmoto works HIRATAにPM8:00に到着する。 本日の全走行距離は606km。久しぶりの600キロツーリングであった。今日のカメラ車担当P氏のたっての希望でビデオ鑑賞をして今日を振り返る。

 ここでm氏、今回も密かに隠し持っていたあの禁断の食べ物<粒あんグッティー>を取り出し食べ始める。
m氏のカロリーメート/粒あんグッティ登場時間が少し遅いのでは?

 m氏はスロースターターとしてFUNKYでは知られているが、今日は日が暮れる頃になって調子が出てきたと言う。    遅すぎます!mさん!

 m氏とは1986年から一緒に走っているが、最初の頃はAM9:00頃から調子が上がってきていた。それが正午になり今日はPM5:00とは。遅すぎます! mさん!


 今日は600km走って遅くなったため9時過ぎに解散となった。私自身はそれほどの疲れたつもりは無かったが、家に帰ってmoto GPを見るつもりでテレビ前にいたのだが気がついたらテレビはmoto GPの表彰式をやっていてDAIJIROが表彰台に上がっていた。レースのリザルトだけは知ることが出来たが、シッカリ寝てしまっていた様でさっさと寝直すことした。やっぱり600kmの距離は侮れない。


       The End

  次回のツーリングは岩手県北部の予定である。

青森 蟹田川の < しろうお漁 >

蟹田川 しろうお漁

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