第4日目 9月16日(月)  芽登温泉⇒石北峠⇒三国峠⇒然別湖⇒狩勝峠⇒富良野⇒桂沢ダム⇒鵡川苫小牧東港

 老人は鶏のように夜明けと共に目覚めてしまい薄っすらと明るくなった窓をそっと開け、まず空を見る。空は雲一つ無く青く澄み切っていて、今日こそは雨の心配は無さそうである。気温も思ったより低くなく爽やかな朝である。

 昇ってきた朝日が山をてっぺんから照らし始め、山々はあたかも紅葉したように赤く輝きはじめ、それが次第に麓へと移ってゆく。

 朝早く温泉に入るのが温泉宿に泊まった時のお約束になってしまった私は、タオルとカメラを持って温泉に行く。





 ここの温泉の泉質は硫黄泉、ほんの少し白っぽい透明なお湯で入った感じは肌に柔らかい感じの温泉である。

 男湯の内湯は大きくはないがお湯の温度が違う湯船が2つ有って、熱いのが好きな人にも長湯の好きな人にも対応している。

 内湯から扉を開けて混浴の露天風呂に行くことができ、同じく隣にある女湯からも来れるようになっている。この他女性専用の露天風呂も有るようだ。

 露天風呂には男性が1人入っていて静かに露天風呂を楽しいんでいる。男性に断って露天風呂の写真を撮る。



 露天風呂は沢の脇に在って、沢の音を聞きながらゆっくりと景色を眺めるられる。時にはエゾ鹿や北キツネがやって来ることもあると言う大自然に囲まれた露天風呂なのである。















 源泉は露天風呂の奥の方に在るようで太いパイプが敷かれていたが、そのパイプが建物の横にある何やら複雑にパイプが絡み合った装置につながっている。その装置は源泉の温度(60℃前後)を沢の水を利用して下げる熱交換器のようであった。芽登温泉は、水で薄めていない源泉100%のお湯が売りのようである。

 またここでは温泉を利用してテラピア(エジプト・ナイル川原産の魚)を養殖しているそうで、そう言えば昨日の夕食に白身の鯛のような刺身が出ていたが、もしかしてあれがテラピアであったのかもしれない。







 階段を登った所にある質素ではあるが清潔な感じの洗面所。山奥にある温泉宿の雰囲気を良くかもし出している。

 部屋に帰るとM氏も起きていて朝食の時間になって食堂に行く。

 食堂のテーブルの上には朝食のセットが沢山並べられていて席は決まっていないようなので座敷に上がってテーブルに就く。


 朝食は和食の定番の物が並んでいる。しかし、それぞれがしっかりと味付けされていて大変美味しくご飯をお代わりしてしまった。

 北海道に来ると食べるものが美味しく体重を増やして帰ってしまうのがいつものことだが、この宿の食事は特に美味しかった。きっと腕の確かな板前さんが厨房を預かっているのだろう。

 M氏もこの朝食は軽々と完食、いつも朝食はコーヒーだけの時が多いM氏もご飯をお代わりしまったと言えばその美味しさが想像出来るでしょう。






 いつも思うことなのだが、M氏は畳で食事の時はいつも正座だ。私も子供の頃は正座で食事していたように記憶しているが、いつからかあぐらになっていてそれがいつからだったかは記憶に無い。

 私は食事の間中正座に耐えられる足を今持っていないが、正座で食事するM氏を見ているとM氏家の躾の良ささが想像されると共に、それを今でも実践できる
M氏の足を尊敬してしまう。



 座敷の窓からは我々のバイクが見えているが、我々が到着した時は無かったバイクが周りに停まっていて我々以外にもライダーが宿泊しているのが分った。

 食事を終え玄関にあるソファーでチョット一服はM氏であるが、私も食休み。昨夜私が眠りに就いた後、M氏はここの来て一服つけながら置いてあった資料で芽登温泉のお勉強をしていたようだ。

 芽登温泉を紹介する昔の新聞やパンフレットには、芽登温泉は源泉の温度を下げるのに特殊な装置(露天風呂の横で見つけた物)を使っていることや、温泉でテラピアを養殖していることが紹介されていたようだ。

 部屋に戻って出発の支度をし、フロントで精算を終えてから外に出てバイクのチェーンにオイルを吹き付け荷物を積んでいるとオッチャンが窓から顔を出して話し掛けて来る。私達が毎年北海道に来ていること、いつもは幌加温泉に泊まっていることを話すと、何とこのオッチャン幌加温泉の親父さんのことやラブ(セントバーナード犬)のことを知っていた。

 何でも昔、幌加温泉にしばらくお世話になったことがあったそうで親父さんのことを良く知っていたのだ。芽登温泉と幌加温泉はそんなに離れていないが世間は狭いものだと感じてしまった。

 機会があればまた寄せてもらいますとオッチャンに言って芽登温泉を出発、砂利道を走り出す。




 オッチャンが昨日言ってた通り砂利道は埃が立つほどではないが乾き始めていて、昨日と違って走り易く思ったより早く道道88号に出でしまった。

 今日の予定としては、ここから狩勝峠を通って富良野、十勝岳温泉と回ることにしていたが、予定を変更して一昨日雨でおもっきり楽しめなかった道道88号や三国峠を走ることにして、ここから道道88号を置戸方向に左折する。今日の道道88号は一昨日通った時と違って路面はドライ、車もほとんど走っていないベストコンディションで我々を迎えてくれた。

 タイヤに付いた土をローリングして落としてから一気にペースを上げる。M氏が前に出ると400では幾ら頑張っても直線で徐々に離され、M氏はコーナーの先に消えてゆく。



 単独走行で後を追うが、多分M氏のことだから一昨日休憩した峠のパーキングで待っているだろうと読んでそれまで北海道の景色と道を楽しむことにする。

 しかし峠のパーキングに到着してみるとM氏の姿は無く、私の読みは外れてしまったようだ。ここにいないとなると最初の約束通り鹿の子ダム入口で待っているのだろうと考え先を急ぐ。

 と、突然後ろから現れた1台のバイクに追い越される。それは滅多にお目にかかれないピンクのバイクで、私の後ろにはいないはずのバイクであった。そのバイクを追い越した記憶が無い私は、何故? 後ろから現れたのか疑問に思いながらも、ピンクのバイクの後を追う。




 後で聞いた話だとピンクライダーは峠のパーキングにいたのだと言う。但し、道路から見え難い所に隠れて。私は今年厄払いを済ませた男がこんな子供じみたカクレンボ行動を取るとは思ってもみなかったが、しかしそんな悪戯好きなところがM氏がM氏たるところであり、神経タカレと言われながらも皆から慕われる理由なのだろう。

 二つ目の峠の下りでペースを落としたM氏に追いついたところで私が前に出て、鹿ノ子温泉の在る常元から国道39号に抜ける道に左折する。この道は長くはないが山を一つ越えて39号に出る峠道で、中速コーナーが続く楽しい道である。

 ここでM氏がピンクバイク(オーナーはマゼンダカラーだと主張する。)のエンジン回転数をレッドゾーン近くまで引き上げると、アクラボヴィッチのサイレンサーからは一段と高音のエキゾ-ストノートが奏でられ、M氏はその音とスピードを堪能し恍惚のひと時を過ごして39号線に出たようである。


 国道39号を石北峠方向に向かうとさすがに主要国道、車の数が多くなる。石北峠の登りは登坂車線が大方完成して走り易くなっていた。















 石北峠で休憩を取ることにする。ここにはラーメンや蕎麦・うどんなどを食べさせるお店が並んでいて、お腹が空いていれば一杯食べたいところなのだが美味しい朝食を食べて幾らも経っていないため、今回は缶でモーニングコーヒーを頂くことにする。

 ここにもヒグマさん達が我々を迎えてくれたのだが、芽登温泉と違って大きなヒグマさんであったためか、M氏ここでのご挨拶は遠慮したようだ。

 我々と少し離れた所に山形ナンバーの250スクーターが2台停まっていて、私と同年輩ぐらいと思われるライダー達は、北海道は初めての様子で楽しそうに話している。この先この二人は、我々が立ち回る先々にストーカーのように現われることになるのである。

 石北峠から国道39号を大雪ダムまで走り国道273号に左折して三国峠に向かう。一昨日は紅葉まつりの警官に驚かされたが、本日は警官のいる場所は折込済みでそこまではゆっくりと走る。その後はいつものペースで三国峠を目指す。






 今回2度目の三国峠は一昨日と違って青空の下にあり相変わらず人で賑わっていた。休憩していると例の山形ナンバーがやって来る。我々はM氏と撮影の打ち合わせをして早々に三国峠を後にする。

 今回も大きな高速コーナーでムービーの撮影をすることにしたのだが、今日は路上に車が多く車に邪魔されてコーナーを幾つかやり過ごし、最後の右コーナーで撮影を行った。M氏前回の撮影で懲りたのか今日は対向車線を使って追い越して行ったが、ちょうど対向車が来ていて絵的には面白い絵になったと思う。


 い越して行く時のジェット機のような音をお聞かせできないのが残念だ。




 撮影の後一旦止まって美しい白樺並木の撮影を試みたが思うような写真は撮ることはできなかった。










 後は一気に糠平のGSまで走って今回2回目の給油を行う。いつもの同じ手順で給油作業は行われたが、さすがに一昨日の今日ピットマンも我々を覚えていて話が弾む。事務所で缶コーヒーを飲みながら長めの休憩を取る。

 ここのGSは2人のピットマンの人柄も有ってか何故か落ち着く。車が入る度にピットマンは出て行くが雑談しながら時を過ごす。この何気ないひとときが旅の良い思い出となったりするのである。


 理想的なライン取りでヘアーピンカ-ブを走るM氏&YZF750SP
  糠平を発って然別湖に向かう。この道はFUNKY北海道の定食メニューで、鮭が故郷の川に帰る時川の河口で真水に順応するように、ここを走らないで本州に帰ると本州の道に順応できない?とも言われる本州的な峠道である。

 M氏は特にこの道が大好物で、毎回ここをTOPで走ることにこだわりを持っているのではないかと思われ、その走りは他車の追従を許さない。しかしその疾風のような走りが然別湖のパーキングで彼に災いを招くことになろうとは考えてもみなかった。

 峠道はムービー撮影を繰り返しながら走り、道が平坦な樹海の中を走る道に変わるとM氏のペースが一段とアップする。私もM氏に付いて行こうと食い下がるが、間に車が入ってしまい追うのを諦めるざるをえなかった。

  いつもは然別湖畔沿いの道が狭くなった所で一緒になって然別湖畔温泉まで行くのだが、今回は間隔が開き過ぎたのと勝手知ったる道であったためM氏は1人で湖畔温泉に向かった。


 M氏が然別湖畔温泉に到着してみると、いつもバイクを止める所が車で混雑していてバイクを止めるスペースを見つけるのに苦労するが、何とかスペースを確保し出る時のことを考えバイクを後ろから歩道に寄せて止めた。しかしそこは歩道側から少し下り勾配が付いていた。


                                                           転倒事件直後の冴えない顔のM氏と私

 サイドスタンドを出しバイクから離れたかけたその時、バイクがゆっくりと左に傾き始めた。それを見たM氏、慌ててバイクに駆け寄りバイクを支えようとするが、ガソリンを入れたばかりのYZF750SP(装備重量208kg)は結構重かった。何とか横倒しになるのを膝で食い止めたM氏ではあったが、バイクが膝に当たった時アッパーカウルの端が腕に当たって弾け飛び、フュ―エルタンクに膝カップがめり込んでしまった。

  この時M氏の心情は如何なものであったろうか。転倒は免れたがタンクは凹み、アッパーカウル&注文すると3ヶ月以上は掛かるMRAのバブルチタンコートスクリーンが欠けてしまったのだ。そのままゆっくりと倒した方がタンクは凹むことは無かったとも考えられ、きっと複雑な心境であったであろう。

 タンクを凹ましたM氏の膝は、RSタイチ製膝カップの優秀なプロテクション効果により何の損傷もうけなかったのは不幸中の幸と言うべきなのだろうか。


 しかしM氏が私と一緒にここに到着していればまた違った状況になっていたとも考えられ、そして昨年と違ってここまでトラブルも無く無事に来られていただけにM氏としては悔やんでも悔やみきれないバイク転倒事件であったと思われる。これでまた今年もすっきりしない気持でM氏は本州に帰ることになってしまった。

 そこにまた山形ナンバーの2人が登場する。どうも我々はこの2人にストーカーされているようである。

M氏のスピードがどれ程のものか、お分かりになるだろうか。
ちなみに、私は150以上は出ていてと思うが。



 凹んだタンクをタンクバックのマグネットで隠しそのバックの中に欠けたスクリーンとカウルの破片をいとおしいそうに仕舞い込んだM氏&私は、然別湖を発って次のスペシャルステージ狩勝峠に向かった。

 超高速コーナーが続く狩勝峠は、ここほどの高速峠は日本には無いと思わせる峠でここもFUNKY定食の一品である。しかしこの定食を食べる前に気を付け無ければならないことがある。それは今回も我々を待ち受けていた。

 狩勝峠登り口のパーキングで行われているネズミ捕りは日常的に行われているようで、かなりの確率で遭遇している。狩勝峠に向かう直線が曲がったらスピードは控え目にしたい。我々は車の後ろに付いて走っていたので 「あ、今日もやってるんだ。」 と思っただけであったが、さすがに通り過ぎて直ぐにエンジンの回転を上げるのは遠慮され暫く静かに走る。


 今年の狩勝は昨年より車が少なく走り易く瞬く間に狩勝峠に到着してしまう。ここで峠を少し下った所にある深く大きな右コーナーを楽しむため車をやり過ごし前との間隔を開けてからコーナーに飛び込んで行く。長時間のバンキングを楽しみ、そしてその模様をムービーに撮った。きっと迫力ある絵が撮れているはずである。

 右コーナーを抜けた先にある長い下りの直線で私の乗るRF400Rは、今回の北海道での最高速を記録することになる。とは言っても200も行かなかったのだが。


 最初の予定では富良野の麓郷に寄ってから十勝岳温泉に行く予定にしていたのだが、予定に無かった石北峠から三国峠に回ってしまったため、時間が無くなってしまい予定を変更して富良野だけに行くことにする。

 富良野に向かって国道38号を車の列に付いて走っていると、前の車が次々に何の標示も出ていない右の道に消えてゆき、前にいた車のほとんどがいなくなった。

 後で地図で確認すると思っていた通りその道は麓郷に行く道であった。10日ぐらい前に<北の国から 遺 言>が放送され、その余韻がまだ残っている今人々が麓郷に向かう気持は理解できる。

 私も黒板五郎が作ったゴミの町を見てみたかったのだが、人を見に麓郷に行ってもしょうがないので、今回は麓郷を諦め富良野に在る北時計に昼食を食べに行くことにして、山部から北の峰に行く道に入る。

 北時計に着いた時は、1時を大きく回っていて遅い昼食になってしまった。ここを訪れるのは3年前の1999年以来2度目で、3年前に来た時は感じの良いスタッフと雰囲気の良い店内、そして美味しいスパゲティが印象的であった。

 店内は連休中とあって混みあってはいたが、テラスの席がちょうど空いてそこに座ることができた。近くにいたスタッフに声を掛けようとするが忙しく動き回っていてなかなか捕まらない。前回来た時と何か雰囲気が違うと感じて店内を観察すると、その原因が分かった。働いているスタッフが違っていた。前回は良く教育された女性スタッフが我々を案内し、対応も早く感じが良かった。しかし今回のスタッフは、どう見ても高校生のアルバイトとしか見えないスタッフであった。





 ようやくスタッフを捕まえて、M氏はグリーンカレー、私は前回スパゲティーを食べたので今回はハヤシライスを注文する。

 食事が運ばれて来るまで間、先ほど撮ったデジカメムービーを見てみる。しかしどうしたことか最後に撮った狩勝峠の下り右コーナーのムービーが出て来ない。確かに撮ったと思ったのだが写っていなかった。シャッターが切れていなかったのだろうか。不思議である。












 M氏が注文したグリーンカレーは豚肉と野菜は入ったタイ風のカレーでM氏には大変好評であった。私のハヤシライスは普通の味で、特筆する物は無かった。そこで私とM氏がお勧めする北時計の食事メニューは、スパゲッティーとグリーンカレーとしておこう。




 我々より少し後に席に付いたお客さんが食事を注文すると、若い男のスタッフが言った言葉は 「出来ません。」 <出来ません> とはどういうことなのか私には良く理解できなかったが、多分用意していた数量が全部出てしまったと言うことなのだろう。もしそうだとすれば「大変申し訳ございませんが、本日のお食事は終了いたしました。」ぐらいのことは言ってほしかった。このスタッフの対応でそのお客さんは席を立って帰っていってしまったが、多分それは食事が出来ないため帰ったとは思うが、私はそれだけではなかったと感じた。






 その後も席に付いても注文を取りに来るでもなく長く待たされた数組の客が、待ちきれずに席を立って店を出て行っていった。せっかく北の国からの中で、純とシュウがデートした北時計で楽しい食事をしようとわざわざ遠くからやって来たであろう観光客の思いを、無残にも壊してしまった店の対応は、非常に残念なものであったと言わざるをえない。

 しかし多分高校生と思われるのアルバイトスタッフにその責任を負わせるのは酷であろう。満席状態であのスタッフの数ではどう考えても無理があった。観光客の思いを壊さないための方策を経営者には考えてもらいたいものだ。そうしないと北時計の評判を落としてしまうことになるだろう。3年前の素晴らしいスタッフの対応を知っている我々だけに、今回の北時計の対応は非常に残念なものであった。結局、客商売は人と言うことなのだろう。



 
甘い物には目が無いM氏と私は、デザートにレアチーズケーキをセレクトし注文しようとするがまたスタッフが捕まらない。私が店内に行ってスタッフを捕まえ強引に注文を伝える。

 食事を終えデザートのレアチーズケーキを待つM氏の頭の中は、きっと凹んでしまったフュ―エルタンクのことに違いなかった。そんな表情のM氏であった。

                        このレアチーズケーキが絶品








 今回の北時計で最大の発見は、運ばれてきたレアチーズケーキであった。私はこの味を表現する適当な言葉を知らないため美味しさを文字にはできないが、私が今まで食べた数多くのレアチーズケーキの中で最高の味であった。北時計を訪れた時には、是非手作りレアチーズケーキを食べてOCHAすることをお勧めする。




 色々あった北時計の昼食であったが、最後のレアチーズケーキで気分を良くして北時計を出る。駐車場のバイクに戻って写真を撮ろうとしたらカメラが撮影を拒否する。調べた結果メモリーが満杯になったのが原因であった。


 さっきまで写真撮影ができていたので分らなかったが、狩勝峠でムービー撮影ができなかったのはメモリー不足が原因であったようだ。写真を撮れるだけのメモリーは残っていたが、ムービー撮影を行うメモリーは残っていなかったということだろう。


 このメモリーはM氏の物で、私の128MBのメモリーは昨日までに使い切っていたため私と同じカメラを持っていたM氏から拝借した物であった。容量が64MBと私の半分であったのとムービーを多用した今日の撮影で早々に使い切ってしまったようだ。そこで写りの悪い写真やムービーを消して容量を作り出し、これから先の撮影に備える。

 今回の北海道も、ここを発って後は苫小牧東港のフェリー乗り場まで走るだけになってしまった。富良野から国道38号を少し芦別方向に走って島ノ下から国道452号に出る道に入る。この道は富良野から札幌への最短ルートとなっていて車が多く、車の後ろについて走っていると札幌ナンバーのバイクが対向車に関係なく車をドンドン追い越して行く。対向車が来ると左の車の間に潜り込みまた対向車線に出て行く。あのライダーはバイクだからあのような走りをしても許されると考えているのだろうか。突然目の前にバイクが飛び込んできたドライバーの気持を考えたことが有るのだろうか。走っている車への直前の割り込みは、パニックを引き起こすことも考えられ避けなければならない。そんなに急いでも時間は幾らも短縮できるものではないことを知ってほしい。

 初日に走った国道452号に出て左折、ここから夕張まで初日とは反対方向に走る。桂沢ダムから夕張に向かう道は初日と同じように車も少なく一気にペースアップする。峠のトンネルを抜け下っていくと前からホンダのファイヤーブレード(多分最新型、M氏によればGSX−R1000だったと言うが)が1台結構いいスピードですれ違う。何故かあのようなバイクとは、すれ違うことはあるが追い越されたり追い付くことが少ないく一緒に走ったみたいという希望はかなえられたことはなかなか無い。

 私の前方に2台のバイクが現われた。前を走っている外車と思われる大型の赤いバイクが、後ろのバイクを先導しているように見える。そのペースが遅かったので二台をパスして前に出ると、前の赤いバイクがペースを上げて追いかけて来るではないか。 「ラッキー!」 少しペースを落とし後ろを引き付けてからタコメーターの針をレッドまで引っ張る。コーナーを3つぐらいクリアーしてミラーを覗くとミラーの中で赤いバイクは点になっていた。 「何だそれだけ!」 「ちぇ つまんないの!」 それは糠喜びに終わってしまったようである。53馬力規制の400ccバイクに遅れをとっているようでは、外車のビックバイクが泣いてますよ。 赤いバイクのライダーさん! 失礼、余計なお世話でした。


 大夕張ダムの手前でペースを落としたM氏に追いつき、私が前に出る。夕張の例のコンビニの前を通過、紅葉山のGSに飛び込む。休憩は取らず給油だけして出発、国道274号に出て左折いつものお土産屋のパーキングにバイクを止める。

 ここの駐車場に停まっている車の数は毎年確実に減少してはいるがまだ営業はしていた。ここでお土産を買い休憩を取る。

 昨年は紅葉山から国道274号を西に走って国道234号追分に出て早来まで行き、そこから厚真に行って温泉に入ったが、今年はここから国道274号を東に走って穂別町に行きそこから鵡川に出て鵡川の温泉で北海道の埃を落すことにする。

 買ったお土産をバックに詰め込み、お土産屋を後にする。穂別から鵡川までの道は走っている車も少なく良いペースで走れる事が分り、秋田行きのフェリーが出る苫小牧東港へ行くルートとして使えそうである。

 鵡川の国道235号に出ると道は大渋滞していたが、ここから鵡川温泉<四季の湯>までは近かったので車に付いて走り5時前に温泉に到着する。


 四季の湯は、プールや図書館、ホールなどが入った大きな建物<四季の館>の中にあった。入口を入った所にあるフロントのオネエさんに500円の入浴券を渡して温泉に行く。ここは温泉入口で靴を脱いで奥の温泉に行くのだが、上がり口の横にスリッパが刺さったラックが有ったので、私はそのスリッパを履いて奧に歩いていく。

 すると前から来たおじさんが我々の足元を見て何やら怒っている。そのおじさんが言うには、ここではスリッパを履いててはいけないと言う。では何で入口にスリッパが置いてあったのか入口に戻って分った。ラックのスリッパは温泉から他の施設に出て行く時に履くスリッパであった。ラック横の札には確かにそのようなことが書かれてはいたが、私は良く見ていなかった。普通入口にスリッパが有ったら履くしょ。

 入口でスリッパを脱いで温泉に行く。ここの温泉の泉質はナトリウム-塩化物強塩泉(強食塩泉)で体がよく暖まるのが特徴だと言う。食塩泉は風呂から上がった時、成分が皮膚に付着して幕を作り体の熱を逃がさないようにすると浴槽横の壁に書いてあった。山形の肘折温泉も食塩泉で体が暖まると言っていたので、体が暖まるのが食塩泉の特徴なのだろう。


 温泉から上がってここで夕食を取ることにする。この施設にはレストランが有ってそこに行くには先ほどのスリッパをはいて行くことになるのだが、温泉を出た所に有る休憩所のテーブルの上にメニューを発見する。そのメニューにはレストランに電話で出前を頼めるシステムの存在が書かれていた。我々は早速電話でオーダーを入れる。

 M氏は、隣のゲームセンターに有った占いの機械に100円を投入、今日の運勢を機械に占ってもらった。機械からは占いが書かれ感熱紙が出てきて、M氏占いに見入ってしまう。書かれていた内容を私は良く知らないが、愛車のガソリンタンクを自らの膝でで凹ましてしまったM氏、今日の運勢を知りたいと思う気持は私にも良く理解できる。感熱紙には天中殺と書かれていたような? それは無いか。

 鵡川は柳葉魚(ししゃも)の産地として有名で、メニューにもししゃもの唐揚げが有ったのでそれを注文する。

 一般にししゃもとしてスーパーなどで売られている物は、アイスランドやカムチャッカ沿岸で獲れるカペリン(ししゃも代用品)と言う名の魚で日本ではカラフトシシャモと呼ばれているらしい。


 元祖ししゃもは10月から11月に獲れるものらしく売店でも冷凍物しか売っていなかった。レストランのメニューにも焼いたししゃもは無かった。

 運ばれてきた元祖ししゃもの姿は、スーパーのししゃもとは大きさも形も違っていて、卵だけが目立つ姿のカペリンと違って元祖じしゃもは魚らしい形をしていた。味の違いはカペリンの唐揚げを食べてことが無いのではっきりとしたことは言えないが、卵だけのカペリンと違ってしっかり身の味がする食べ応えの有る魚であった。

 鵡川に来たら、後学のために本物のししゃもを食べてみるのも良いのではないでしょうか。

 夕食も終えて、6時半過ぎに鵡川の四季の湯を発って浜厚真に在る苫小牧東港のフェリーターミナルに向かう。



 10分位走ってフェリー乗り場に到着し、まず乗船手続きをする。時間が早かったので二階の売店でお土産を買ったりして時間を潰し、乗船時間近くになってバイクの所に戻り乗船を待つ。ここからフェリーに乗るのは3回目であるが、今回が一番バイクの数が多いようである。


 時間になって最初に新潟行きのバイクから乗船を開始、続いて秋田行きのトップで私がスロープを上がって行く。秋田行きのバイクは入口横のスペースに止めるのだが、係員が隣のバイクにギリギリに付けて止めろとうるさい。そこまで寄せなくても良いだろうと思うほど寄せないと納得しない。三回程切り替えしてようやくお許しが出る。荷物を全部下ろし、必要な物だけもって客室に行く。









 秋田行きの2等客室はロビーの前後に2ヶ所あるが、我々はいつも浴室がある方の客室に場所を取る。その方が風呂も洗面所も近くて便利なのである。部屋のいつもの場所を確保してM氏の来るのを待つ。

 しかしなかなかM氏は現われず、もしかしてと思い反対側の秋田行きの客室に行ってみると、居た。M氏と共に客室に戻り着替えてから飲み物を買ってきて無事(あくまでも体が・・・)に今回の北海道を終えたことにコーラ&ビールで乾杯する。





 客室は禁煙のためタバコを吸いにロビーに行くM氏ついてわたしのもロビーに行く。2人で今回の北海道を振り返り話し込む。出発1週間前から始まった今回の北海道は、いつもより1日短い日程ではあったが私として充分北海道を楽しむことが出来た。M氏もタンクの凹み事件を除けは充分北海道を堪能したように思う。

 話は尽きないが客席に戻って寝ることにする。このフェリーの2等客室には毛布が人数分付いている。今日は空いてその毛布が余っていたのでそれをかき集めて下に敷いて敷布団代わりにする。

 新日本海フェリーは横になった時の振動が東日本フェリーよりも大きく伝わってくる。毛布を下に敷くことによりその振動を和らげる効果があるのである。






 M氏も私から少し遅れてフェリー安眠グッツ(耳栓・アイマスク)を駆使して眠りに就いたようである。





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