FUNKYの定番コース北三陸の北山崎を訪れ、

岩手の新しい道にチャレンジした後、八幡平の藤七温泉で

八幡平の大パノラマを見ながら露天風呂を満喫して来ました。

< コース >

秋田
⇒協和⇒角館⇒仙岩峠⇒雫石⇒網張⇒滝沢⇒早坂高原⇒岩泉⇒田野畑⇒北山崎⇒

普代⇒安家⇒鈴峠⇒泥這⇒葛巻⇒沼宮内 
道の駅 石神の丘 (昼食)⇒松尾村⇒松川

八幡平樹海ライン⇒
藤七温泉 (入浴)⇒玉川⇒玉川ダム⇒田沢⇒角館⇒荒川⇒協和 船岡⇒

岩見三内⇒太平⇒
モト ワークス ヒラタ  走行距離 613km



外れたチェンジロッドを修理。
 仙岩峠でアクシデント

秋田を出て国道13号、国道46号と走り、岩手県との境にある峠の茶屋で初めての休憩を取る。バイクを降りた初参加のN氏の口から「FUNKYの走り方に感心した。」との感想が述べられた。

N氏はメリハリを付けたスピードコントロールに感心した様だ。出す時は出す。落とす所はしっかりスピードを落とす。それがFUNKY走りなのだ。この走り方は、FUNKYの長い歴史の中で培われたものであり、N氏はその走り方を認めてくれた様で、私としても嬉しい限りだ。

休憩後、仙岩トンネルを抜けて岩手県に入ると、岩手県側は青空が広がって日が差していた。国見温泉への入口を過ぎハミ禁が解除された所で少しペースを上げてみる。

それなりのスピードでコーナーを楽しみ雫石の道の駅を過ぎた先でミラーを覗いて見ると、後続がペースを落とし遅れているのが見えた。私は道路左側に丁度あったパーキングにTZRを停め、後続を待った。

少しして3台がやって来た。隼のチェンジロッドを留めているボルトが抜け落ち、チェンジが出来なくなって遅れたようだ。隼のギヤは2速か3速に入ったままになっていたが、そのまま走って来たという。

チェンジロッドのピロボールを留めているボルトが脱落したのだが、本来ダブルナットで弛み留めをするところを間違った取り付け方をしていた為、弛んだようだ。

しかし、ボルトとナットがピロボールに付いていたのが幸いし、その組方を変える事により修理は完了した。そして再び走り始めた我々は、網張に向かった。


持っていれば何かと便利

修理で汚れた手を洗う為、バックから台所洗剤が入った容器を取り出し手を洗っていたら、この洗剤にN氏が感心を示した。この洗剤、手を洗ったりシールドの曇り止め等に使えるので、私は小さな容器(点眼用容器)に入れて持っている。

手の汚れは洗剤で取れたのだが、洗剤を洗い流す水を探して辺りをウロウロしている私を見たM氏は、Y氏がペットボトルにお茶を持っている事を私に教えてくれた。私の手はカテキン入りお茶で洗い流され綺麗になった。お茶はただの水より汚れの落ちが良いような気する。


 網張から小岩井へ 高速走行を楽しむ

国道46号から雫石スキー場方向に左折、玄武温泉を過ぎて右折し網張方面に登り始める。結構スピードがのるこの道をM氏を先頭にして、私は後の様子を見ながら追い駆ける。後の2台は初めての道に戸惑っているのかスピードが上がらないようだ。

岩手高原スキー場に突き当たって右折、ここから一気に小岩井方向に駆け下る。TZRでは幾ら出ても200位だから、前のM氏は直ぐに私の視界から消えて行く。本来ならTZRなどあっという間に置いて行くパフォーマンスを持つブラックバードと隼だが、律儀に私の後ろに着いて走っている。

大きな右コーナーを抜けて左折、滝沢に向かう。岩手山を左手に見ながら牧場の中を走る。緑の丘の中を走る道は、何とも気持の良いものだ。

国道282号に一瞬出てから岩手県立大学入口前を通過、滝沢駅前を通って早坂高原に向かう。



3台連なって早坂高原のパーキングに到着。(M氏提供写真)


新緑の中で休憩を取る。


ここではまだツツジが咲いていた。



















岩泉町のいつもの JA GS で1回目の給油。


御休憩中の面々。
Nさん、どうかした?

 外山ダムから岩洞湖、早坂高原へ

早坂に向かう国道455号に出た所で6〜7台のバイクの後ろに着いてしまった。ネイキッドからアメリカン、ドカもいたようにお見受けした。私はこれにどう対応したらよいか思案していたら、彼らは信号を右折して我々の前から消えて行ってしまった。

アレだけの台数を外山ダムへの登りで追い越すのはキツイと考えていたのでホットした気持もあった反面、後ろに着いて走って見たかった気持も有り複雑な心境であった。

外山ダムへの登りは狭くキツイコーナーが続くのだが、今日は結構車が多くペースが上がらない。初参加のメンバーもいたので外山ダムまで車の後ろに着いて走る。

岩洞湖に出た所でM氏を前に出し、後の2台を引き連れて私はその後を追う。そこそこのペースでコーナーを楽しみながら走る。後の2台も走りを楽しんでいるようだ。

早坂峠手前のシェルターで車に追い着いてしまいペースダウンしてそのまま峠のパーキングに入る。するとM氏がカメラを構えて我々を待ち受けていた。走っている写真がほとんどないこのレポートに、貴重な写真をご提供頂き誠に有難うございました。

早坂峠着 9;55。 秋田からここまで約3時間で来た勘定になる。これはFUNKYの平均ペースである。バイクから降りて我々がいつも腰を降ろす自販機前のベンチを見ると、ベンチの周りで大勢の男女が立ち話をしているのが見える。ベンチに座る訳でもなくただベンチの周りでウロチョロしている。

ベンチは空いていたが周りに人が立っている中で休む勇気は私には無い。FUNKY指定席を奪われた我々は、早坂高原の看板の前に腰を下ろす。休んでいる我々に老人が話し掛けて来た。岩泉町に住むというその老人は、これから玉川温泉に行くのだという。この老人、私の革のウエアーに興味がある様で質問をしてくる。前回のツーリングでも古遠部温泉の脱衣所で革パンツの質問を受けたが、一般の人達から見ると革のライダーウエアーは未知の物体の様である。

一頻り話した後、その老人は車に戻ってガラスの瓶に入った自家製と思われる梅干を持って来た。梅干を私にくれるというのだ。白髪頭の私が若い連中に混じって走っているのに哀れみを持たれたのか、はたまた応援の意味であったかは不明だが、気持だけは有難く頂き梅干は丁重にお断りした。

人に施しを受けるという事はどういう意味を持つのだろうか。色々な事が考えられ私としては複雑な心境ではある。

我々が休憩している間に2台のネイキッドバイクがパーキングから出て行くのが見えた。この2台のネイキッドが後に我々の前に立ちはだかる事になろうとは、その時考えもしなかった。N氏とY氏にこれから向かう早坂峠の下りは、急な下りになる事を告げて走り出す。



 我慢の早坂峠下り

パーキングを出てシェルターを過ぎるとペアーピンカーブが連続する下りが始る。直ぐにジムニーに追い着いてしまいその後ろに着いて走ることになった。これを追い越すのは出来ない事はないが、4台ともなると一回では到底無理で時間が掛かりそうだし、この道ではリスクも多い。

ここはジッと我慢の子でジムニーの後を走る。ツーリングは耐久レースのようなもので、最低限ゴールラインを切る事が大事で一時の無理でレースを終えてしまう事は避けなければならない。

峠を下り三田貝川沿いの道になりジムニーをパスし中速ワインディングを楽しむ我々の前に、先ほどのネイキッドバイク2台が現れた。

車1台の後に着いて走る2台のネイキッドは、前がXJR1300、後がCB750?と思われ、前のXJRは初心者のCBの先生役のようである。先生役のXJRは、50k程度のスピードにも拘わらず右コーナーではしっかり左側に寄ってアウト・イン・アウトを実践している。

しかし生徒役と思われるCBは、XJRの動きには無関係にズッーと左側を走っていて、アウト・イン・アウトような面倒な事はしていなかった。それは先生の思いが生徒に伝わっていない?現代の教育現場を見るようであった。

ここでこの2台のバイクをどう料理するのかが問題となった。バイク2台を追い越すのは容易だが、その前の車を含めた3台を一気に追い越すには直線が短い。一旦バイクの前に入ってそれから車を追い越せばよいのだが、車と先頭のバイクの間にバイクが4台入るスペースは無い。

先生の前に不良が無理矢理入り込んでは先生に叱られそうで、ここは先生のアウト・イン・アウトの走り方を勉強させて頂く事にして、2台のバイクの後をジリジリしながら着いて行く。

自分達がユックリと走るのは構わない。しかし後から追い着かれたのなら前に出してやるだけの心の余裕を持って欲しいものだ。小川に出て国道340号に入り追い越しに掛かろうかと思ったら、2台のネイキッドは葛巻方向に曲がって行ってしまった。

220km近く走っていつものJAスタンドに入り給油する。私のTZRは12.5L、ブラックバードは14L、YZFは13L程度のカソリンが入ったが、隼は17Lのガソリンが入ってしまった。

この隼前回のツーリングでもそうだったが、大した大飯喰いのようで財布には厳しいバイクのようだ。ピークパワーはPOWER CHECK GPでチャンプのバイクだから申し分ないのだが、SPタダオのコンバットマフラーとインジェクションMAPとの相性が悪い為、中低速での燃費が良くないようだ。

これを解消するにはパワーコマンダー等のアイテムで、中低速域のMAPを操作し適正な燃料を供給する必要があると思われる。そうする事により燃費は勿論中低速のパワーフィーリングも改善される事だろう。

暫しの休憩の後、太平洋に面した北山崎に向かって出発する。

お約束の場所でのスナップ。


雄大な三陸海岸の景色に見入るY氏。








北山崎の駐車場
 太平洋まで4時間

岩泉を過ぎ山に入って田野畑村を目指す。狭い山道(舗装)だが所々2車線の所もあってその部分でチョッと頑張ってみました。曲りくねってブレーキに厳しいこの道はTZRには好都合であったが、重いビックバイクにはさぞかし辛い道であっただろう。

国道45号に出て田野畑村役場近くの信号を左折、海岸を目指す。九十九折の道を下りいつもの様に三陸鉄道北リアス線のガードを潜って行こうとしたら、地元のオバさんとおじさんが大きく手を振って我々を制止する。

先頭の私はそのまま進んでしまったが、後続の3台はオバさんの前で止まった。ガードを潜る前に通行止の看板を見たような気がしたが、走っていた為よく見ていなかった。オバさんが止めるという事は、先ほどの通行止がこの先であると理解して私は引き返した。

我々が目指す道は高架のバイパスとなっていて、我々の頭上を通っていた。キョロキョロしながらバイパスに上がる道を探していたら、川の向こうにそれらしき道を発見、橋を渡ってバイパスに出る事ができた。

するとそこは三陸鉄道の田野畑駅の真ん前であった。先ほど引き返した道の出口を見てみると、そこでは道幅を広げる工事が行われていて、その為に通行止となっていたようである。そこを過ぎると直ぐ、我々の目に太平洋が飛び込んできた。

我々は4時間半で秋田と岩手を横断した事になる。ここからは以前有料道路だったワインディングを走る。アップダウンの有るこのワインディングは、我々に深いバンク角を要求してきた。



 総重量380kg

私のミラーに写るN氏のブラックバードは、深いリーンアングルで私に迫って来る。上背も有り体重も三桁を越えるN氏のブラックバードは総重量で380kgを越えるはずで、常にタンデム状態の走行を強いられているはずなのだが。

それにも拘わらずあの速さ、安定感は何だ。伊達に7万キロのオドメーターを付けてはいないブラックバードなのだ。恐るべし380kg。しかし380kgのしわ寄せはブラックバードのリヤタイヤにきていて、そのタイヤの減り方は私が今まで見た事のないムシレルような減り方をしていた。



 久しぶりの北山崎

今日は北山崎が初めての2人がいるので、北山崎の展望台に寄る事にする。昨年は参加メンバー全員が何度も展望台に行って事があった為、寄らずに通過していた。

駐車場にバイクを止め展望台までは少し歩く。その途中にはお土産屋さんや食堂があり、私はそのお店のウインドウに 「一味違います。 たのはたソフトクリーム」 という文字を見付けてしまった。

「一味違う」 と言われてしまったら、ソフトおたく?の私としては食べない訳には行かないでしょう。食べるのは帰りにして、まずは展望台に行く。

展望台に着いてみると今日の太平洋は波が無く穏やかで、鏡のような海が水平線まで続いている。初めて観る北三陸海岸北山崎の絶景にN氏もY氏も驚きそして感動していた。

幾度となく此処を訪れている私だが、訪れる度に天候や光の関係でその景色の印象は微妙に違ってくる。今日の北山崎は、私が今まで見た中でも高得点を獲得する景色であった。

お約束の写真を撮って早速先ほどのソフトクリームのお店に向かう。道の途中に子供達が大勢いたので 「何処から来たの?」 とたずねると近所の子供達だった。近くに親達も居たようなので町内会の遠足みたなものだったのかもしれない。

この時期観光客の主流は、近くからの人達のようである。以前、FUNKYは8月にここを訪れていたのだが、8月は観光客の車が多くて思うように走れない為、最近は6月に訪れるようにしている。



 たのはたソフトクーリーム

そしてソフトを売っているお店に入ると、年頃なら30代後半位のM氏が好きそうな?お嬢さんが出て来て、たのはたソフト 250円?を作ってくれた。

その少し歪な出来栄えから、毎日そんなに多くは売れていない事が推察される? そしてそのお味は?

普通の何処でも売っているソフトと一味違うところは
1、色が少しオレンジぽい。(何の色なのかの説明は無い。)
2、ジェラードのように少しザラザラした食感。
3、味が一味違っていた。

たのはたソフトの感想を聞かれたら、私はこう答えるだろう。

●普通のソフトとは一味違うが、不味くは無いが特に旨くもなく普通。
●何が一味違うかと聞かれても、私はそれを表現する言葉を知らない。
●少しザラザラした食感は、昨年網走のアニマの里で食べたソフトを思い出したが、味が全く違う。
●しかし、価格が250円なら文句は出ないはず。250円投資する価値は有る。















































安家川の上流、最も奥に在る大坂本集落で舗装は切れた。


私の判断を待つ面々。
 普代から安家川沿いに安家へ

東屋で一服(Y氏とM氏)した後、北山崎を発ち普代に向かう。普代で国道45号に戻り久慈方面に向かう。北三陸リアス線 堀内(ホリナイと読む)駅を過ぎ北三陸リアス線が安家川を跨ぐ高い鉄橋の下を潜って左折、安家川沿いに安家に向かう。

安家川を左に見ながら上流に向かって走る1.5車線のこの道は、道路の上に両脇から木々の枝が覆い被さり緑のトンネル状態になっていて、マイナスイオンが心地良い。

この道は小さく蛇行した安家川に沿って走っている為直線部分がが殆んど無く、バイクが直立するのはS字を切り返す時位と言えば大げさだが、それに近い状態の道が20km以上続く。

最初は楽しんで走っていたこの川沿い道も段々苦痛に思えてきた頃、両側に迫っていた崖が大きく開け、やっと安家に到着した。 長かった。

安家の集落の上には、以前来た時は無かったバイパスらしき道路が通っていて、その下を潜って岩泉と久慈を結ぶ道に出る。安家は郵便局も有る大きな集落である。

安家もそうだが、岩手県では細い道を走った山奥で突然大きく土地が開け集落が現る事が時々ある。

それはまるで千と千尋の神隠しの様に、森の中を走りトンネルを抜けると突然大きな町が現れるのに似ている。宮崎駿が岩手県出身ではないとは思うが、秋田では見る事が少ない何とも不思議な風景である。

この安家には安家洞という日本最長最古の迷宮型鍾乳洞があり、以前ヘルメットを被って入った事があった。安家洞は近くにある龍泉洞と違って 既に埋没期に入っている古い鍾乳洞で、内部の岩がくすんだ色をしていたのが印象的だった。



 安家から袖山高原へ そして悪魔に手招きされて 鈴峠へ

今日の予定では、ここを直進この道の先にある葛巻の袖山高原に行く事にしていた。予定のこの道は、14年前今日とは逆に袖山高原から安家に向かって走った事があった。

当時この道は、袖山高原を下り始めると直ぐに砂利道になり、そしてそれが延々と続いた。途中放牧中の牛の中を走ったりした、散々な思い出が残る道である。

それから十数年が経ち、袖山高原からの舗装が進み安家川に下りる近くまで舗装されている事は、一昨年のツーリングで確認済みであった。その時は途中で引き返したが、舗装の状況からして安家まで舗装工事は完了していると考えていた。

しかし、その後この道を安家側から車で通ったFUNKYメンバーからの情報では、砂利道はまだ残っていると言う事だった。私の頭の中ではその情報から1年以上経っており、砂利道は幾らか減少しているだろうとの読みもあって、今回このコースを予定に入れたのである。

今日は14年前と違ってリッターバイクが多く砂利道は出来るだけ避けなければならない事情もあり、もしも砂利道が長そうだったら引き返して全線舗装されている奥岩泉隧道を通り国道340号に出るつもりでいた。

安家から更に安家川を遡り袖山高原を目指す。安家から十数キロ走って両側の山々が迫ってきたが、まだポツポツと集落が現れ私を驚かす。こんな山奥でどのようにして生計を立てて暮らしているのか、私には分からない世界だ。

そして大坂本集落外れの人家の前で舗装は途切れた。道は舗装の先から森の中へと吸い込まれる様に続いている。舗装の先は砕石が敷き詰められた道で、バイクではハンドルが取られて走り難そうだ。

Uターンしてバイクを止め、進むべきか引き返すべきかを考えた。この先砂利道は3〜4km位は有りそうだ。この位の距離なら10分も掛からないで走れそうなのだが、路面に砕石が多く走り難そうなのが私の進む気力奪っていく。

私は決断する。ここは引き返して他のルートを使う事にする。 と言っても皆さんはもう来た方向にバイクを向けスタートを待っている状態で、皆さん最初から先に進む気は無かったようである。

来た道を戻りながら私はこれから先のルートを考えていた。私は大平から奥岩泉隧道を通って国道340号の出るルートの手前に、葛巻に抜けるルートがもう一つ存在する事を知っていたが、しかしその道を一度も通った事が無かった。

その道はイーハトーブトライアルにも使われたルートで、OFFロードが含まれているだろう事は予想できた。しかしOFFロードになったら先ほどの様に引き返せば良いとのお気楽な気持で、私は葛巻と表示の出た道路案内板に従って右折してしまった。

その道は狭いが立派に舗装されており、道路脇には県道202葛巻○○kmと書かれた真新しい立派な道路標示板が立っていた。私はこんなに新しい道路標示板が出ているのなら道路も整備されているのではないかと、希望的観測を持ちはじめていた。

少し走ると白い乗用車が止まっていて、そこから道は左に大きく回り込んで坂を登っていっていた。路面は簡易舗装に変わったが砂利道では無かった。今考えて見ると、その白い乗用車はこの先の道路状況を地図で確かめていたに違いない。

私がここで少し躊躇したのは確かだが、簡易舗装なら走るのには問題無いし先ほどの真新しい道路標示板の事も有り、このまま簡易舗装が続くものと考え私は先に進んでしまった。しかしこの判断が我々の身の上に大きな災いをもたらす事になろうとは、その時の私は思ってもいなかった。


 県道202 鈴峠へ

しかし最初のコーナーを曲がったら、道は普通の砂利道に変わってしまった。だが先ほどの大坂本の時と違って同じOFFロードでも轍の部分は平坦で砂利も浮いてなくて走りやすい砂利道であった。その為私はそのまま進んでしまったのだ。

今考えてみたら道が簡易舗装に変わった時、砕石の砂利道だったらそこで引き返していただろうし、簡易舗装が砂利道に変わった時も砕石だったら、私はそこで引き返す判断をしたと思う。

しかし結果的に我々は、徐々に県道202の奥深くに引き摺り込まれて行ってしまったわけで、気が付いた時にはもう抜き差しならぬ所にまで来てしまっていた。

先頭を走る私は軽いTZRだし、二番手のM氏は百戦錬磨のライダーだからこの程度の砂利道で動じる事はないだろう。三番手のN氏はブラックバードではあるが、OFFロードでは体重が有る分バイクは安定するものでスピードさえ抑えれば問題は無いと考えられる。

問題なのは隼のY氏であった。彼は今まで長いOFFロードを隼で走った経験は無く、持て余すほどのパワーと重い車重に翻弄されてOFFロードと格闘しているはずだ。

道は段々九十九折の道になり標高を上げていく。最後尾Y氏のライトが見えなくなったので、道が少し平らになった所でY氏を待つ事にする。M氏によると九十九折の下の道をY氏が走っているのが見えたそうで、安心して彼を待つ。

少し待って彼はやって来た。Y氏はリヤタイヤのスライドに気を使いながら半クラッチを使用して走行していたようで、クラッチレバーから手を離せず苦労していたようだ。彼は否応無しにOFFロード走りを勉強してしまったようだ。


鈴峠を越えて葛巻町へ

我々は安家の山中深く入り込んでしまい、周りの景色はしっかり林道のものとなっていた。いつ終わるとも知れない林道走行は延々と続いたが、道の傾斜が無くなり葛巻町の表示板が見えて峠に着いた事を知る。

その時その峠の名を私は知らなかったのだが、このレポートを書く為インターネットで調べたところ、峠の名が鈴峠と言う事を知る。そのサイトは林道のサイトで、我々はカウル付きスーパースポーツで林道ツーリングをしてしまったようである。

峠を越えると道は下りになり、私は慎重にスピードを抑えて下り始める。OFFは登りより下りが難しい為スピードを落としたのだが、N氏はその重さの為かM氏に追突しそうになったとか。

峠を下り始めて1km程で舗装路が現れ、本日のFUNKY OFFロードスクールは無事終了した。15km以上はOFFを走ったと思っていたら、先ほどのサイトによるとOFF部分の距離は9.1kmとなっていた。

セローだった楽しくアッという間に走ってしまう9.1kmなのだが、ONバイクで走るOFFロードは何とも長く感じてしまったようだ。考えてみれば鈴峠を書いたサイトが有ったわけだから、出発前にそのサイトを見ておけば、9.1kmのOFFロードに向かう事はなかったのだが・・・・。

私の調査不足で皆さんに余計な苦労をさせてしまったようで本当に申し訳なかった。この場を借りてお詫びを申し上げる。

峠を下り泥這(ドロバイと読むらしい)に出て左折、馬渕川沿いの道を走り荒沢口で国道340号に出た。ここは国道340号を岩泉方面から葛巻方面に走ると国境峠の先にある橋の所である。

本来ならば、ここに 「FUNKY OFFロードを走る。」 と注釈を付けた写真を掲載すべきなのだが、その時の私の頭の中には、HP写真を撮るという余裕は全く無かった。ご了承願いたい。


昨年来た時の教訓を生かして停められたバイク達。


道の駅 石神の丘 で食べた手打十割そば600円。




この春みどりソフトを食べたい衝動にかられた私であったが・・・
 葛巻 森のそば屋

国道340号に出た我々は、今日の昼食場所葛巻の森のそば屋に向かう。舗装路に戻ったY氏によると、隼の車体が何か軽く扱えるようになった気がした言う。Y氏、OFF走行で微妙なアクセルワークや車体のバランスの取り方を会得してしまったかもしれない。

ミラーに写る隼の姿は、OFF走行前と後では明らかに走りが違ったように私の目には映った。私はこの後、八幡平樹海ラインで変身した隼の姿を見せ付けられる事になるのである。

北山崎を出てから休憩も取らずやっとの思いで森のそば屋に着いたのが12時半過ぎ、店の前には車が溢れ混んでいそうな感じであった。車が混雑している時はいつも停める隣の人家の前にバイクを停め、店に行っておばさんに待ち時間を聞いてみた。

おばさんの返事は40分待ち。ここで40分のロスは痛い。林道を走ったりしてやっとの思いで辿り着いた森のそば屋であり、是非初めてのN氏とY氏には此処のそばを食べて欲しかったのだが、今回は誠に申し訳ないが森のそば屋をパスさせて頂く事にする。

バイクの所に戻って待ち時間が40分有り今回は此処をパスする事を皆に告げる。予定ではここから平庭高原を越え九戸村に回る事にしていたが、林道を走ってしまった私に九戸を回るモチベーションは無くなっていた。

私は八幡平に直行して、温泉に入りたい気分になっていた。皆さんの同意を得て沼宮内に向かう事を決定する。そんな立ち話をしていたら、バイクを停めていた人家のいつものおじさんが、中に入って休んでいけと盛んに勧めてくれる。我々が森のそば屋の時間待ちをしていると思い勧めてくれたようだ。このおじさん、いつも気軽に話し掛けてくれる親切なおじさんなのである。

葛巻で昼食を取る事も考えたが、昨年も食堂の場所を見付けられなかった事もあり、ここは確実に昨年立ち寄った沼宮内の道の駅に向かう事にする。


 ビックバイクは追い越しが・・・

葛巻〜沼宮内間の国道281号は、交通量が多く車を追い越す機会が多い。先頭の私が追い越しを掛け、後のバイクは追い越しが無理かなとミラーを覗いて見ると、しっかり3台共来ている事が数回あった。後のバイクがリッターバイクだと追い越し時間が短いく、追い越しが楽に完了する事に感心してしまった。リッターバイク恐るべしである。

沼宮内手前の大坊峠で走りを楽しみ、国道4号に出て 道の駅石神の丘 にバイクを停める。今回は昨年来た時の教訓を生かしてパーキングの奥にバイクを停める。昨年はレストランの在る場所から離れた手前にバイクを停めたので何かと不便な思いをしたのだ。


 手打十割そば

昨年はレストランで食事をしたが、今日は森のそば屋でそばを食べられなかった事もあり、昨年から気になっていた手打十割そばなる物を食べる事にした。

M氏は温かいそば、Y氏と私は手打十割そばの食券を購入してカウンターに出す。私がカウンターの中のおばさんに大盛はないのかとたずねると、あっさりと 「 無い 」 と否定された。私はいつも大盛を頼むのだが、無いのではしょうがない。私は大盛を諦めた。

そばが出て来るのを待っている私の横から ヌーッ! と手が出てきて、カウンターの上に十割そばの食券2枚を置いた人物がいた。私がその人物の顔を覗き込むと、彼はニコッと笑った。

その人物とは? 皆さんのご想像通り・・・N氏であった。 大盛が無いなら、普通盛り2つ。 N氏としては当然な結論であったのだろうが、私の思考プログラムには無い結論であった。 やられた!

外に置いてあったテーブルで十割そばを頂く。N氏は2段重ねのそばを私が普通盛りを食べるスピードで食べ終えてしまった。彼にとってざる2枚は、私の1枚相当という事だろう。それを普通に納得させられるだけの説得力を、彼は持っている。

この蕎麦粉を100%使用した手打十割そばのお味は、コシ(硬い)が有って手打そばとしては普通の味であったが、何か一つ食べ手に訴えてくるものが無かった。

それと一つ残念だったのは、そばの太さがバラバラであった事である。麺の太さがバラバラなのが手打の証しと思っている人がいるかもしれないが、手打でありながら麺の太さが均一なのがプロの仕事であり、お客さんからお金を貰える最低条件だと私は思う。


 春みどりソフトクリーム

カウンターの下に春みどり(キャベツの品種)ソフトクリームの名を見付けたが、この春みどりソフトを注文するほど私は冒険家ではない。昨年訪れた時メンバーの一人がこれを食て言った言葉が、「まんまキャベツの味。」であったのだ。

キャベツ&ソフトクリーム。この組み合わせが私の中でどうしても相容れないものとしか考えられないのである。しかしこれはあくまでも私の私見でありますので、皆様には大いに春みどりソフトを御堪能して頂きたいと思います。

食後風通しの良い場所に移って暫しの談笑。話題は当然、林道走行話である。Y氏は隼で今回みたいな長い林道を走ったのは初めて、貴重な体験をしたようだ。あれだけ走れば、今後チョットやソットのOFFロードでは驚かないだろう。


休憩後、道の駅を発って松尾八幡平インター
近くのGSに向かう。

松尾八幡平IC近くのGSで今日最後(2回目)の給油を行う。































標高1400mの温泉から見る八幡平の山々や岩手山は、天気が良かったのもあって最高の気分を我々に味あわせてくれた。



ここで休憩するのも久しぶり。十年ぶり以上?
 今日2回目の給油

今回も200キロと少し走って給油する。TZR12.4L入り、ブラックバードは14L、YZFは12Lと一番燃費か良い。隼は今回も17L入って大食漢ぶりを発揮する。

ここで少し休憩を取り、これから向かう八幡平樹海ラインの走りに備える。樹海ラインを初めて走るN氏とY氏に、樹海ラインを走る上で注意しなければならないところをレクチャーする。

樹海ラインはトリッキーなコーナーが多く、ブラインドコーナーや上り坂の頂上付近はスピードを抑えて進入する事や、路肩に車を停めてウロウロしている人が多いので、車が止まっていたらスピードを落とし間隔を大きく取る事などを指示する。


 晴れた八幡平樹海ライン

この数年八幡平樹海ラインではドライ路面に無縁なFUNKYであったが、今日は青空が広がっており久しぶりにドライ路面のを楽しめそうである。まずはGSを発って松川温泉を目指す。今日は黒煙を吐き出すディーゼル車も無くスムーズに松川に到着。いよいよ樹海ラインの始まりである。

 先頭はM氏、その後を私、N氏、Y氏の順で終点近くの藤七温泉を目指す。TZRは9000回転以上をキープしてM氏を追うが、登り坂ではパワーの差が出てM氏は徐々に遠のいて行く。

後の2台のパワーはTZRの2.7倍から3.3倍もあり、コーナーで離しても直線では直ぐに後ろに着かれてしまう。かといってブラインドコーナーは探りながら走らなければならず、後の2台を千切る事など不可能な事を悟ってしまった。


 対向車とニヤミス

道路右側に広い駐車場が有る所で左側に車が止まっていた。私はその車を避ける為右車線に進路変更する。すると向こうから対向車が迫って来たではないか。スピ-ドも結構のっていた事も有り、私は右側の駐車場に入って対向車をやり過ごそうとした。

そうしたら何と対向車も駐車場に入って来て、私はまたまた対向車と相対してしまったのである。右に避けるか左に避けるか一瞬迷ったが、道路上に対向車が無い事が確認し、私は左に進路を変え道路に無事戻るった。

私はそれで済んだのだが、私の後でも同じ事が行われていたわけで、後ろに行くほど対向車に対応する時間か少なくなっていき、私から2台後のY氏の場合、フルブレーキを掛けるほど結構ヤバイ状況であったらしい。

しかしY氏はこの時乗れていたようで、冷静にその場を切り抜けた模様である。Y氏はその後N氏の前に出て、私の後ろに張り付いたまま離れようとはしなかった。ミラーに写ったその走りは、今朝とは全く別物でスムーズで安定した速さを持ったものに変身していた。これもOFFロード走行の効果か?

八幡平樹海ラインを楽しんだ我々は、藤七温泉の前にバイクを止める。M氏が言うには、M氏がバイクを止めヘルメットを脱いだところに我々が到着したと言うから、私からM氏は見えなかったがそんなに離れて走っていたわけではなかったようだ。


 久しぶりの展望露天風呂

藤七温泉の手前から藤七温泉の展望露天風呂が見えるのだが、露天風呂に入っている人影が男性の様に私には見えた。あの露天風呂は女性用だったの筈なのだが、男性用に変わったのか売店のおばさんに聞いてみた。

おばさんによると男性用も有ると言うではないか。おばさんは奥の西側に在る混浴露天風呂を我々に勧めてくれたが、私は500円の入浴料を払って迷わず展望の良い東側の露天風呂に向かった。

東側の露天風呂が女性用になって久しいが、一つしかなかった露天風呂を増設し男性も入れるようにしたようだ。塀に囲まれた女性用も横に見えたので、八幡平の山々を展望しながら男女共に露天風呂を楽しめる様になったのは大変良い事だ。しかし塀に囲まれた女性用露天風呂からは、景色が見えないのではないかと心配してしまった。

私が岩手山が見える露天風呂に入るのは十数年ぶりでひじょうに懐かしいく景色を観てい。初めてのN・Y両氏も白濁した硫黄泉に浸かりながら観る、八幡平の雄大な景色に盛んに感動していた。

至福の時間を過ごした我々は、玄関の休憩場所で汗が収まるのを待つ。この場所で休憩するのも久しぶりだった。相変わらず秘湯の会の提灯がぶら下がっていたが、内装は新しくなっていた気がする。

私は湯上がりのお約束アイスクリ-ムを求めて売店に行ったが、アイスは置いていなかった。以前来た時は食べた記憶があるので、季節が早過ぎたのかもしれない。
 八幡平を下り玉川ダムへ

藤七温泉を発ち、見返り峠下の秋田県と岩手県の境にある駐車場の所に出て秋田県に入る。ここが綺麗に晴れて見通しが利くのは何と久しぶりの事か。今日は中央の白線を頼りにノロノロ走ることもなく、数年前に縦走した山々を見ながらゆっくりと走る。

秋田県側のアスピーデラインは、下りはハミだし禁止で追い越しが出来ない。直ぐに車に追い着いてしまいそのまま車に着いて走る。何台かの車はウインカーを出して我々を前に出してくれたが、結局国道341号に出るまで車の後ろだった。

国道341号を左折して田沢湖方面に向かう。私は結構この道が好物で自然とペースが上がる。しかしこの時期玉川温泉手前の大場谷地付近には、タケノコ取りの車が沢山駐車している為、大場谷地に近づいてペースを落とした。

しかし今日はどうした事か車が1台も停まっていなかった。時期が違ったのか、それとも時間が遅かったため皆さんお帰りになった後だったのか定かではないが、少し拍子抜けしてしまった。

それでも走っている車はいるわけで、車に邪魔されてペースは上がらない。玉川温泉入口は相変わらず車と人で賑わっていた。難病に侵され最後の希望を持って玉川温泉を訪れる人々は尽きないようである。

新鳩の湯の前を過ぎ、宝仙湖沿いの高速ステージには入るとM氏に先頭を任せ私もその後を追う。後の2人も遅れまいと私を追い駆けて来きている。


 宝仙湖〜田沢湖の走り

M氏の後を私もそれなりのペースで走っていたので、後との間隔がどれくらい開いたかを確認する為ミラーを覗く。すると2台のライトが直ぐ後ろに写っているではないか。ピタリと言うわけではなかったが、この時2台を振り切る事など不可能な事を知る。

この道は路面がうねっている所が多く、マシンホールドをしっかりしないと怖い思いをしてしまう。また腰を浮かして下からの突き上げを逃がすテクニックを使わないと、サスが底突きしてしまう事もある。このテクニックは、一回北海道に行けば修得出来るテクニックなのだが、ブラックバードのサスはシッカリ底突きしていたようだ。

玉川ダム近くになって羽後交通のバスに追い着いてしまった。M氏には玉川ダムサイトのパーキングで止まるように指示していたが、ここで休憩してしまうと後にこのバスを追い越さなければならなくなるのが私は嫌だった。

この先にバスを追い越す場所は多くなく、唯一確実に追い越せる場所はトンネルを抜けた後の長い橋の上である。私はそこでバスを追い越す事を決断、M氏に休まず先に進む指示を出し先頭に立つ。M氏は少し戸惑った顔を見せたが、私の後に下がる。

トンネルを抜け長い橋の直線でバスを追い越すと、やはり後からM氏がやって来て全開で走っている私の横をスルスルと前に出て行く。直線スピードの差は如何ともし難い。この先はまだ道路改修が出来ておらず急に細くなる為、フルブレーキが必要である。後ろの事もあるので手前から余裕を持って減速し、狭い道に入って行く。

道路左側では、ここの改修工事が始ったようである。ここの改修が終われば玉川ダム・鎧畑ダム間の狭い道は、全線2車線の道路に生まれ変わる事になる。改修工事が始ってから、もう20年以上経つのではないだろうか。長い!

結構いいペースで田沢湖に出て、そこから角館の無人ドライブインまで一気に走る。

宝仙湖沿いの高速ステージでは、私のミラーの中で存在をアピールし続けた2人。彼らの表情が爽やかに明るいのは何故?
 各自のタイヤチェック

いつもの角館のドライブインで休憩を取る。私は先ほど食べ損ねたアイスを食べ、皆さん水分補給をする。

ここで皆さんのタイヤチェックを行う。今回、私と、M氏、N氏の3人はタイヤを使い切った状態で今日のツーリングに参加していた。言ってみればタイヤに止めを刺す為にこのツーリングを走ったと言っても過言ではない。

朝の時点で溝無し状態で走り始めた三車のタイヤ、使用後の状況をご覧頂こう。




均等に溝が浅くなってカットスリックの様になったレンスポルト。これはM氏だけに成せる業?






M氏のレンスポルトはこれまた綺麗にタイヤを減らしていた。薄っすらと溝の形跡が残る状態になっていて、正に芸術品と言える減らし方である。









センター部が減ってしまった私のレンスポルト。今回空気圧を0.1k低くした為コムのカスが多く付着した。グリップは良いが、磨耗が早過ぎて通常はこの空気圧は使えない。
私のレンスポルは北海道を2000キロ走っていた為、真中が減って中央部の溝が無い状態でスタートしていた。今回空気圧を0.1キロ低く設定した為タイヤが溶ける状況であったが、レンスポルトの凄いところはこの減った状態でもなお充分なグリップ力を有してところにある。恐るべし、RENNSPORTである。





総重量380kgの車体を走らせ、むしれてしまったBS BT−010。これが4000km走行後の成れの果て。こんな磨耗の仕方は初めて見た。
N氏のブリジストン BT−010 のリヤタイヤも中央の溝が無い状態でスタート。今日の走りで無残な姿になってしまった。380kgの総重量を加減速させる為、タイヤは人並以上の仕事を強いらる。そのむしれたような姿は、私が今まで見た事が無い磨耗の仕方であった。

ここまで使えば010も本望でしょう。ご愁傷さまです。 チィーン!




前回の時よりバンク角が深くなり、タイヤの端までしっかり使っているY氏のパイロットパワー。Y氏の上達度合いを示すバロメーター?






最近交換したばかりのY氏の ミシュラン パイロットパワー。前回のツーリングでは端が1cm程度残っていたが、今日は端まで使ってしまった。この差が前回と今日との走りの違いを証明する。








話題は今日の走りの事?


613km走って尚且つ笑顔を見せる三人。


仕事を終えたK氏も顔を出す。各人のタイヤを見て驚嘆の声を上げる。


林道走行の痕跡が残る砂埃が付着した隼のホィール。走行直後は灰色パック状態であったのだが、大分キレイになった。
 一気に秋田まで

 国道46号協和町荒川から裏道に入り、協和町船岡に出る。この広域農道の未開通部分は、もう舗装が終わっており近日中に開通しそうな感じである。協和町からうトンネルを抜け河辺町鵜養に出て岩見三内に向かう。

ここでの走りは最近に無い急ぎ働きであった。しかし後続のまとまりも良く後をあまり気にしないで走ってしまった。それが出来たのは後の2台がFUNKYの走りを理解してきた証拠だと思う。岩見三内から太平を回り店に帰って来たのは、午後6時45分であった。

所要時間 約13時間、全走行距離 613kmの 3rd.ツーリング は無事終了した。



 話は尽きない

今日もまた色々有った一日だった。皆で今日の思い出話に話が弾む。初参加のN氏は、FUNKYの走りにしきりに感心していたし、参加2回目のY氏は前回と走りが大きく変わり走りに安定感が出て来た。

前回久々にお休みしたM氏は、久しぶりの急ぎ働きでバイクの楽しさを再認識したようである。

話込んでいる我々のところに、仕事で今日参加できなかったK氏が仕事を終えて顔を出した。M氏やN氏の減ったタイヤを目敏く見付けて驚きの声を上げる。 「この人達、人でねぇー。」 

二人のタイヤを見て驚きの声を上げた人物が他にもいた。東京のタイヤ屋さんがピレリの
人間を同行して顔を出したのだが、車から出て来たピレリの人間がN氏とM氏のバイクを見付けてしまった。

私が 「ヤバイよ。ヤバイよ。」 と言ったかどうかはよく覚えていないが、彼はバイクのところに直行しタイヤをマジマジと見て、ニヤニヤしながら中に入って来た。

彼の顔は、驚いたと言うよりは呆れたと言う感じの顔だった。あそこまでタイヤを使われては、タイヤさん
儲かりませんもんね。

現在FUNKYのなかで唯一のピレリユーザー(DIABLO)のK氏は、ピレリの人に感想を聞かれていた。K氏のDIABLOへの評価はと言うと、プラス マイナス ゼロ つまり悪くは無い と言うところだった。

FUNKYでは一時ピレリが多く使われて時期もあったが、現在ピレリは少数派となっている。

日も落ちて辺りが暗くなった午後8時、解散となった。今日もまた存分に楽しませてもらった、2004 FUNKY 3rd.ツーリングであった。

次回は岩手県南部の予定である。
 

K氏の愛車GTR





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