2004年10月3日(日) FUNKY 6th.ツーリング

   紅葉が始まった十和田・八甲田路を走り抜け
       蔦温泉のお湯で休息を取り秋を堪能した
                      ツーリングとなりました。








 < コース >


 秋田
⇒国道285号⇒上小阿仁⇒比内⇒毛馬内⇒

 小坂⇒十和田樹海ライン⇒発荷峠⇒滝ノ沢峠⇒

 黒石温泉郷⇒城ヶ倉渓谷⇒雪中行軍遭難者銅像

 ⇒田代平⇒谷地温泉⇒
蔦温泉 入浴⇒焼山⇒

 奥入瀬バイパス⇒子の口⇒宇樽部⇒田代平⇒

 国道104号⇒中滝⇒国道103号⇒発荷峠⇒

 十和田樹海ライン⇒小坂⇒坂梨峠⇒碇ヶ関⇒

 十二所⇒比内⇒米内沢⇒上小阿仁⇒広域農道⇒

 上新城
 ⇒モト ワークス ヒラタ
             
 走行距離 501km





雨具を着ての出発となった。


上小阿仁の道の駅にて。


●朝から雨です。 いきなり故障?
昨晩からの雨がまだ降っている。大した雨ではないのだが、止む気配は無い。5時半前には店に着いて準備をしていると、今日参加のメンバーが到着し始める。U氏は到着するや否やエンジンの不調を訴えて来る。

U氏によると此処に来る途中、信号で止まったらエンジンがアイドリングしなくなったと言う。急にエンジンがアイドリングしなくなる原因は何か?私には「もしかして」と思い当たる事が一つ有った。彼の隼には北海道に行く前に借り物のパワーコマンダー(燃料噴射をコントロールするサブコン)を取り付けていて、そのパワーコマンダーが問題を起したのでないのかと。

私はECUの前に入れていたパワーコマンダーを外しエンジンを掛けてみる。すると隼は正常にアイドリングを始めた。原因はパワーコマンダーに有ったのは明白なのだが、それまで問題無く動作していたものが何故急に誤作動を起したのかが分からない。販売元に送り返して調べてもらったが、本体には問題が無かったようだ。


パワーコマンダーとは

取り付けていたパワーコマンダーは一世代前のタイプで、各センサーからの信号をECUの前で加工してECUに送くるタイプ(今のパワーコマンダーは、ECUから出た信号を各センサーからのデータを基に加工した信号をインジェクターに送る。)で今朝の気温、大気圧等にプログラムが対応しきれていなかったのが原因とも考えられる。

原因はともかく、U氏の隼は借り物パワーコマンダー装着で燃費が一割以上向上していて、セッティング(ヨシムラのエキゾースト用にセッティングした物らしい。)がU氏の隼(SPタダオ コンバット)用でなかったにも関わらず装着の効果は有ったようだ。

今のパワーコマンダーは、改良がされてセッティングがし易くなっており信頼性も向上している。インジェクションバイクのエキゾーストや吸気系を変更した時、低速が無くなったり燃費が悪化する場合が多い。パワーコマンダーは燃料噴射時間をセッティングする事により、それらを改善したりパワーアップを図ったりする事が出来るデバイスなのである。

しかし、パワーコマンダーはただ取り付けただけでは何も変わらない箱で、バイクに合ったデータを入れなければ意味が無い。先日パワーコマンダーを買って取り付けたが上手く性能が出ないと電話でアドバイスを求めてきた人がいた。現車を見ないで電話でのアドバイスは出来ないと丁重にお断りして、現車を持ち込んでもらってのセッティングは出来ますが有料になりますと言ったら電話は切れた。

パワーコマンダーは、キャブレターのメインジェットやジェットニードルが詰った箱と考えてもらえば分かり易いと思うが、数あるジェットの中からどのメインジェットやジェットニードルを取り付けたら良いか判断出来なければ、ソフトの無いパソコンと同じで何の役にも立たないただの箱である。


今日は雨具を脱げるのか?
今日の参加メンバーは私を含めて5名、久しぶりにK氏が参加した。R6に乗るK氏は昨年の最終ツーリング以来の参加で、今年から参加のU氏やN氏とは初顔合わせとなった。しかし皆さん初対面とはいえ、このレポートで皆さんの人となりは折込済みで普通に会話は始まっていた。

秋田から広域農道を通って五城目の国道285号に出て、上小阿仁の道の駅で休憩を取る。霧雨が降っている為道の駅の中で休もうと思ったら、時間が早くて閉まっていた。道の駅は24時間開いているものと思っていたが、そうでは無い事を知る。 仕方がないので屋根の掛かった所で立ちながらの休憩となった。道の駅は24時間営業でお願いしたいものだ。

休憩後小坂を目指して走り出すが、結局路面はウエットのままで楽しい事は何にも無いまま小坂に到着する。


雨具を着たFUNKYメンバー。


ゴアソックス履き直し。1回目
●十和田樹海ラインはウエット路面
小坂町外れに在るGSでガソリンを給油する。このGSはFUNKYではよく利用しているGSで、スタッフの中ではFUNKYが認知されはじめているようである。ここまで150kmも走っていなかったが、この先の予定コースにGSが暫く無い為、ここ小坂で給油する事にしたのである。

K氏はブーツの中に履くゴアテックスのインナーソックスがよれたようで、履き直している。ゴアのインナーソックスは、雨の時ブーツの外に履くブーツカバーと違って引っ掛かる事が無くFUNKYの中では使用しているメンバーは多い。しかし、FUNKYでのブーツの雨対策は、ゴアフィルム入りブーツが主流である。

休憩後、十和田j樹海ラインに向かう。雨は殆んど降っていないが十和田樹海ラインは中途半端なウエット路面でペースは上がらない。M氏に先頭を任せ私は最後尾から着いて行く。M氏は先頭で逃げて行き、それをN氏・U氏が追いお久しぶりのK氏はその後に着いて走っている。いつものK氏なら前の2台追い越してM氏を追うのだろうが、今日は無理をしないで走りを確認しながら走っている感じだ。

私は雨の十和田樹海ラインは嫌いではないのだが、出来れば下り方向に走りたい。下りだったら先頭で走る気持はあるのだが・・・?

発荷峠手前の丁字路で、再び私は先頭になって発荷峠を下って行く。途中、180がガードレールのポールに激突して前部がくの字に凹んでいるのが見えた。こんな狭い発荷峠で頑張らなくても、もっと楽しく走れる所が沢山有ると思うのだが・・・・。

和井内の信号を左折して滝ノ沢峠に向かう。


滝ノ沢峠に在る休憩所は暫く訪れていなかった
間に綺麗に建て直されていた。


初めて立った滝ノ沢展望台。ここからの眺望は
他の展望台からの景色と比べると、
チョット見劣りするかな?


十和田湖、奥入瀬渓流が天然記念物
とは知らなかった。

●滝ノ沢峠
十和田湖の外輪山の上に在る滝ノ沢峠は、黒石、弘前方面と子ノ口方面との分岐になっていて、十和田湖を見下ろす展望台も有る。ここで休憩を取るのは久しぶりで、休憩所と言うか売店と言うかお店が以前からここに有るのだが、建物が新しく綺麗になっていたのに驚いた。

今まで何回となく休憩した事のある滝ノ沢峠であったが、私は今までここの滝ノ沢展望台からの十和田湖を見た事は無く今回独り展望台に立ってみると、雨も上がり湖面は見えており正面に御倉半島が見えていた。しかし、この展望台は湖面から遠いのと右側の木々が邪魔になって展望がよろしくないようだ。

発荷峠や
瞰湖台からの眺望と比較すると滝ノ沢展望台の眺望は多少迫力に欠ける様である。皆さんの所に戻るとN氏がヘルメットのシールドが曇ると困っていた。彼は結構な汗かきで曇り止めをシールドに塗ってきた様だが効かないらしい。

そこで私はバッグの中から曇り止めの特効薬を取り出し、「騙されたと思ってこれを塗ってみて下さい。」と言って彼のヘルメットから外したシールド内面にそれを数滴落とした。N氏はその効果に半信半疑であった様だが、彼はその後その特効薬の効果に驚嘆する事になる。

その特効薬の正体は私が手を洗ったりする為にいつも携帯している台所洗剤で、この洗剤がシールドの曇りには絶大な効果を発揮するのだ。効果が長続きしないのが欠点(洗剤が流されるまで効果が有り、3〜4時間以上は持つ。)だが、どんな汗かきでもシールドが曇る事は無い。

滝ノ沢峠を発った我々は弘前方面に向かう。温川温泉の前を通過する頃から雨が少し強くなって来て気が滅入る。黒石温泉郷の在る国道102号と国道394号の分岐に出て、国道394号に右折し城ヶ倉を目指す。

雨が殆んど上がってきて車が少なければそこそこ走れる道なのだが、今日は紅葉狩りのためか車が多く無理は出来ない。城ヶ倉渓谷の上に架かる橋の上には、紅葉見物の人々が大勢出ていて、道路上をウロチョロしていて気を使った。

城ヶ倉温泉前のT字路を左折して国道103号を青森方面に向かう。八甲田ロープウエーの前を通過、萱野茶屋手前から雪中行軍遭難記念碑に向かう。この辺から路面も乾いてきてペースを上げたいのだがバスが邪魔になってそうもいかずマッタリと走り八甲田雪中行軍遭難記念碑前のパーキングにバイクを止める。


この250mの登りが結構辛かった。
M氏は息が上がってしまった様で、
遅れて到着する。



K氏、ここでもゴアソックスを履き直す。2回目。
坂を登るにはゴアソックスは合わないようである。



下りは早かった。



路面は殆んどドライとなったが、雨具を着て走り出す。

 結構大きな(身長3m?)後藤伍長殿と記念写真。

●後藤伍長とご対面
FUNKYがこの地を通ったのは2回や3回ではなかったと思うが、今までここに止まった事は一度も無かった。皆さん八甲田雪中行軍遭難記念碑を見た事が無いと言うので、250m先に有ると言う後藤伍長銅像を見に行く事にする。

250m先と言うから直ぐに着くと思ったのが大間違いであった。確かに距離は250mで正しかったが、そこには標高差の事が書かれて無かった。

後藤伍長殿は少なくても50mは標高が高い所に立っていらっしゃって、結構な上り坂に我々は息が上がってしまった。最も苦労していたのがM氏で、昔私と一緒に山に登っていたとは思われない程の疲れようであった。日頃から何か運動しないとね。タバコばっかり吸ってちゃ駄目。


伍長殿は結構人気者で、写真取りの順番を待って我々も伍長殿との写真を撮る。身長が3m近く有りそうな後藤伍長はジーッと遠くを見つめて立っている。何故後藤伍長の像がこの場所に建っているのかが知りたくなって、調べてみた。


「天は我々を見放した・・・。」

八甲田雪中行軍遭難の事は映画 八甲田山の「天は我々を見放した・・・。」という台詞と共に知っていたつもりだったが、後藤伍長の事は私の記憶には残っていなかった。

明治35年1月23日(1902年、日露戦争の2年前。一年の中で一番寒い時期)、青森と弘前の連隊が雪中行軍の訓練の為1泊2日の予定で八甲田に入った。しかし折しも日本列島を覆った記録的な寒波が彼らを襲ったのである。

弘前の第三十一連隊は何とか目的地に辿り着く事が出来たが、青森の第五連隊は猛吹雪の八甲田山中で道に迷い遭難してしまう。1月24日吹雪の中で一夜を過ごした青森隊は道を求めて行軍を始めるが、隊員は次々に倒れていき25日には210名いた隊員は30名ほどになっていたという。

遭難を知って青森から捜索隊が八甲田に入ったが、吹雪の中では隊を発見する事は困難を極めた。そんな中、本隊の位置を捜索隊に知らせる道標となるべく道の分岐点に立ち尽くしていたのが後藤伍長であったのだ。

そして正にその後藤伍長が立っていた道の分岐点がこの像が建っているこの場所なのである。このこんもりとしたピークが分岐点の目印となっていたわけで、我々が息を切らせて登って行った坂道は、伍長にとっては命を掛けたピークであったのだ。

捜索隊が伍長を発見した時、彼は吹雪の中に立ったまま本隊がいる方向を見据えて事切れいたと言う。その姿を今に伝えるのがここに立つ後藤伍長銅像なのである。

後藤伍長が捜索隊に発見された事によりその後本隊も発見されたのだが、生きて救出されたのはわずか17名であった。しかしその内の5名は救出後に死亡しその後1名の将校が自決したため、結局生き残ったのは11名だけであったという。

210名中199名が死亡した大惨事の慰霊碑として、後藤伍長は今八甲田の地に立っているわけで、その前で撮る記念写真に笑顔が似合わない事を今改めて知る。

銅像からの帰りはブラブラ歩いていたらパーキングに着いてしまった。雨は上がったし路面もドライになって、これから先の谷地温泉までのスペシャルステージが楽しみである。雨具は脱がなかったが、私はグローブを勝負グローブに換えて走り出す。


U氏の隼にまたもやトラブル

ペースを上げたいのだが、ここでも車が多く思うように走れない。田代平まで来た時、最後尾を走っていたK氏が私に何かアピールしてくる。何事かと思いバイクを止めて聴いてみるとU氏のリヤウインカーが垂れ下がっていると教えてくれた。

バイクを近くのパーキングに入れて隼を見てみると、右後ウインカーを留めているナットが弛んで外れていた。幸いな事にウインカーの配線がナットの中を通っていた為、部品は無くなっておらずナットをウインカーステーに締め込み修理は終了した。

U氏の隼には社外のフェンダーレスキットが装着されていて、ウインカー取り付けナットの当り面が平に仕上げられていないのが弛みの原因と考えられる。社外パーツにはよくある事で、皆さんには装着後の増し締めをお勧めする。


蔦温泉に向かうFUNKYメンバー。


入浴料400円を帳場で払う。


支障が有りましたので、ぼかしてみました。


カレーのご飯大盛の2人。
この対決を8月に見たかった。



これは私が食べた松花堂弁当ひなざくら
1,000円。上品なお味で美味しい。



カレーライス800円は美味しいと好評でした。


この丸ポストは現役のようです。

蔦温泉、歴史を感じさせる玄関前。

蔦温泉へ
修理を終え走り出すと直ぐに国道394号に出て、右折し谷地温泉方面に向かう。このアオモリトドマツの森の中を走る道は、FUNKYではスペシャルステージに認定されている楽しい道で私は後ろに下がって皆さんに先に行ってもらう。終盤、車に追い着いてしまってペースが落ちてしまったが、皆さんには楽しんでもらったようである。

国道102号に出て焼山に下りて行く。私はこの狭い曲りくねった道が大好きだ。深い森の中を走るこの道は、季節によってその姿を変え我々を迎えてくれる。5月の2nd.ツーリングの頃は残雪の雪解け水が道路を濡らし、10月の6th.ツーリングの頃は紅葉を楽しむ事が出来るのだ。


大正・昭和・平成

今日は久しぶりに蔦温泉に立ち寄る事にした。この歴史を感じさせる蔦温泉には、大正7年に立てられた本館と昭和35年に建てられた別館、そして昭和64年に建てられた鉄筋コンクリート3階建ての西館が有って、そのそれぞれが上手く融合して蔦温泉を構成している。

本館の玄関にブーツを脱ぎ帳場で入浴料400円を支払い久安の湯に行く。蔦温温泉にはもう一つ泉郷の湯があるが、私は久安の湯の雰囲気が大好きである。久安の湯は時間帯で男性が入れる時間と女性が入れる時間帯が分かれていて、女性は午前0時から午前8までの間しか入る事が出来ない。女性が真夜中から朝までしか入れないのは少し可哀相な気がするが、私は今のままで結構ですけど。

久安の湯の温泉は浴槽の下から源泉が湧き出ていて、板の間から気泡がプクプクと揚がってきている。浴槽には注ぎ口が有ってここから温泉が出ているように見えるが、それは温度調整用の沢の水で皆さん温泉と思って触りその冷たさに驚く。飲んでは美味しい水である。


温泉から上がってスッキリしてレストランへ。

ここの温泉は単純泉の無色透明のお湯だが、ゆっくりと時間を掛けて入ったり上がったりしているとこの温泉の良さがジワジワと分かってくる。いつもより長い時間を掛けて温泉を堪能し久安の湯を出る。清涼飲料を飲んで一服した後、西館にあるレストランに昼食を食べに向かう。

玄関正面の階段を登って行った奧に別館がある。山の上にある別館は、吉田拓郎が歌った「旅の宿」のモデルになった処だそうな。作詞家の岡本おさみが、この別館に泊まった時に旅の宿を作詩したらしい。趣のある建物の雰囲気があの  浴衣の君は、すすきの簪 熱燗とっくりのくび つまんでもう一杯 いかがなんて妙に色っぽいね♪ の歌詞を生み出したのだろう。

玄関を過ぎ両側に客間の襖が続く少し傾げた廊下を歩いていると、大正の時代に入り込んでしまった気になってしまう。八間位?有る長さの板の廊下を過ぎコンクリート床の西館に入ると、いきなり現代に引き戻されてしまった。大正と昭和と平成が同居する旅籠、それが蔦温泉なのである。

レストランに行くと窓際のテーブルは4人用で奧側が6人用テーブルだったので、我々5人は奧側のテーブルに席を取る。すると注文取りの仲居さんがやって来た。この仲居さん結構面白いキャラクターのおばさんで、革ツナギを着た軍団に臆せずギャグを飛ばしてくる。

話はカレーの大盛の話になって約2名カレーに大盛が有るかおばさんに聞いたのだが、メニューに大盛の設定は無いとの返答だった。しかしご飯のお代わりは出来ると言うので、カレーのご飯だけ大盛にしてくれると言う。

皆さんカレーを注文したが、私は奮発して松花堂弁当のひなざくら1,000円をオーダーする。奮発と言っても皆さんより200円だけ高いだけなのだが、運ばれて来たひなざくらを見て、皆さんその豪華さに驚いていた。

テーブルに大盛ご飯カレーが2つ、普通のカレーが2つ、山菜ピラフが1つ、松花堂弁当1つが運ばれて来て食事が始まった。数が合わないって?小さい事は気にしないで下さい。サラダが付いたカレーは皆さんに好評で美味しそうに食べていた。ひなざくらも上品なお味で美味しかった。ここのレストランは、味、価格共にお勧めである。

食事を終えて御会計となったのだが、レジが我々が入って来た本館側ではなくレストラン入口の有る反対側の端に有って、皆さん一番奥まで行って勘定を払う事になった。私はレストランの端から端まで往復するのが面倒だったので、1,000円札1枚を皆さんに渡して皆さんが払いを終わって帰って来るのを待った。

帰って来た皆さんに聞いたら、仲居のおばさんが言っていた様にカレーの大盛ご飯は無料サービスにして頂いたようである。

本館の玄関に戻ってブーツを履き外に出る。玄関を出た所に昔懐かしい丸いポストが立っているのに気付く。このタイプの郵便ポストを見なくなって久しいが、今の角張った四角い箱のポストと比べると愛嬌があるデザインが懐かしく思う。

私は機械等に対して懐古趣味は無いが、こういう物のデザインは前のデザインを踏襲しつつ機能性を向上させながら進化していくべきだと考えている。日本のデザイナーの悪い所は、今まであったデザインを全否定して全く新しい形の物を作ってしまうところだ。

確かに機能から生れた美しい形という物はある。しかし私は機能だけではなく人間が意図的に作った形が加わって、心に残るデザインは完成されるものだと思う。将来今の四角いポストを見て懐かしいと感じる人が何人いるだろうか。私は人の心の中に長く残る形がきっと良いデザインなんだろうと思う。

バイクの所に戻り、今度は雨具を着る事なく走り出す。先ず焼山まで行き奥入瀬川沿いの道に入る。焼山の橋の所に人がいて我々の方を見ている。そう言えば道路掲示板に奥入瀬の交通規制が出ていたのを思い出した。今日は奥入瀬川沿いの道が紅葉見物の為車の通行が規制されており、十和田湖に向かう車は奥入瀬バイパスを通るようになっていたのだ。


完全ドライの奥入瀬バイパス

元々我々は奥入瀬バイパスを走る予定にしていたので交通規制は関係無かったのだが、車がバイパスに回ってきて混雑していないか心配ではあった。我々の前を走っていた車も次々に奥入瀬バイパスに曲がって行き、私はこれはマズイと思った。

登坂車線が始まる所までに出来るだけ前の車を料理しておかないといけないと、私は短い直線でも少しづつ前に出て行く。もう少しで登坂車線が始まろうとしている所まで来て、我々の前には2台のスカイラインGTが残っていた。

相手はスカイラインGT(GTRでは無かったと思う。)でこの2台を追い越すのは苦労すると思われた。すると後ろにいた羽根の生えた白いスカイラインが前のガンメタのスカイラインを追い越し前に出た。2台のスカイラインは連んでいるのかと思ったらそうではなかったようだ。

我々も間髪をいれずガンメタスカイラインを追い越して、白いスカイラインを追った。登坂車線が始まって私がスカイラインとのバトルを覚悟した時、白いスカイラインは登坂車線に入って我々に道を譲ったではないか。

ファン ファン ファン・・・って感じで拍子抜けしてしまった私であったが、ここは今日初めての完全ドライ・スペシャルステージで直ぐに気を取り直し白スカイラインの前に出てペースを上げる。


猿も木から落ちる?

その後私はM氏を前に出しその直ぐ後を追った。M氏、勝手知ったるこの道を逃げる逃げる。しかし私も必死に彼の尻に食らい付く。私は登坂車線と走行車線を使いながら大きなS字コーナーをクリーヤーして行ったが、M氏は走行車線に拘って走っているように見え1車線だけを使って走っている。

ここの走行車線中央には進行方向に矢印が書かれていて車線内でラインを変える時に大変邪魔になる。M氏、この矢印に気を取られたのか左コーナーで痛恨のミスを犯してしまった。

私は左の登坂車線を走っていて、彼は右の走行車線を走っていた。深くバンクしながら左コーナーを回っていたM氏は、矢印に乗ってしまったのか大きく外にはらんで対向車線目前まで行ってしまった。

しかしそれ以上の事にはならずM氏は戻って来てまたペースを上げたのだが、私がM氏のはらんだのを見たのは思い出せないほど昔の事だったと思う。M氏には、貴重な物を見せて頂き誠に有難うございました。

我々の後でもN氏、U氏がこの初めて走る奥入瀬バイパスを大いに楽しんでいたようである。十和田湖の外輪山の上に出た我々は、子ノ口に下りて宇樽部に向かう。


今日2回目の給油となった小坂のGS。
雨具を脱いで入って行ったので
最初我々とは分からなかったお嬢さん。











































道の駅 かづの で雨具を着る事に。


此処でで休憩するのも久しぶりである。


●北海道帰りの走り
宇樽部の信号を左折して国道454号に入り十和田湖の外輪山をまた登って行く。ここは狭いが曲りくねった峠道でそれなりに楽しいのだが、今日は路面は濡れているし枯葉は落ちているし車に捕まるはで、それなりに走るしかなかった。

峠を越えるとそこは秋田県。車をパスしてペースを上げる。国号454号と別れ国道104号に出る道に右折して私は最後尾に下がる。ここ田代平は牧草地が広がる景色の良い所なのだが、久しぶりに来たら風力発電の風車が2基立っていた。確かにここはいつ来ても風が強く風いていた事を思い出す。今日の風はそれほどではないですが。

景色を見ている間に前の連中が見えなくなっていた。置いていかれてはならじとペースを上げたが、結局国道104号に出る所まで追い付く事はなかった。皆さん速過ぎ。先頭を走っていたM氏によると、2番手N氏の追い上げがキツク最後までN氏を振り切る事は出来なかったと言う。北海道帰りのN氏、大分腕を上げたようである。

予定では田子町道前から浄法寺、八幡平と周る事にしていたが、この天候では八幡平は雲の中なのは明らかで八幡平は諦める事にする。今朝の濡れた十和田樹海ラインが心残りとなっていた私は、また十和田樹海ラインを走る事に決める。

国道104号を大館方面に走リ出した我々であったが、車がなければそれなりに楽しめるこの道もトラックや車が多くだたの移動区間となってしまった。中滝で国道103号に出て右折、発荷峠に向かう。前を行く車を1台追い越したのだが、4番手以降のU氏とK氏が追い越しが出来ず離れてしまった。ペースを落として来るのを待ったが結局樹海ラインの分岐まで彼らは車の後ろだった。車も譲ってくれても良いのにね。


今日2回目の十和田樹海ライン

いよいよ今日2回目の十和田樹海ラインを下る。路面はドライで午前中とは違って遠慮はいらない。M氏を先頭にN氏、U氏と続くが、その2人をK氏が抜いて行く。K氏調子が出てきた様である。K氏、M氏を追いかけ後ろに着く。M氏はこの樹海ラインの下りが好きで長い下り直線の先に有るカーブに、フルブレーキで突っ込んで行くのが快感だと言う。

私もそれは嫌いではないのだが、TZRと違って750SPの場合200以上からのフルブレーキとなり結構シビレルものが有り、ブレーキに絶対の信頼を持っていなければ出来る事ではない。K氏もM氏に着いて結構頑張っていたようだが、私はその姿を最後まで見る事は出来なかった。ここは最高速が違いすぎて雨でも降らなければTZRでは勝負にならないのだ。

七滝で再び私が先頭になり今朝給油した小坂のGSを目指す。GSに入って行くと今朝応対してくれたお嬢さんが出て来たので、私は「レギュラー・満タン・現金」と言ってヘルメットを脱ぐ。そこで彼女は我々が今朝立ち寄った連中である事を認識する。彼女は我々の着ている物が今朝と違っていたので分からなかったらしい。

確かに今朝と違って我々は雨具を着ていなかった。しかし、バイクを見れば分かりそうなものだと私は思ったが、一般の人はバイクではなく服装を見ているのだとよく分かった。バイクに興味が無い人間にとってバイクの種類など分かる筈も無く、バイクは全部まとめてバイクなのである。


坂梨峠へ

ここから先の予定を考えていた私は、皆さんに意見を聞いてみた。K氏はここから青森県境に在る坂梨峠に行きたいらしい。私はここから大湯、花輪、金山黒沢トンネルを抜けて大葛、太平湖と周ろうかと考えていたが、時間も早いので坂梨峠も有りかなと思い坂梨峠に向かう事にする。


セキュリティレベル 最高

小坂を出て坂梨峠に向かった我々は、遠くで検問らしきものが行われているのを発見する。スピードは大して出ていなかったが少しスピードを落として近づいて行くと、トラックが止められていてどうも積載オーバーの検問らしかった。

この国道282号は長距離トラックが多く走っているので、トラックの取締りをしているのだろうと思い、私はそのまま検問の横を通過する。ミラーを覗いて見ると三番手以降のN氏が大分離れているのが見えた。こんな状況を私は今年の北海道で経験していた。

その時は対向車のパッシンクを見てスピードを落としたものだったが、今回は検問を見て反射的にN氏はセーブモードに突入した模様で、正しく北海道の再現であった。そこまで落とさなくてもと思った私だが、N氏のセキュリティレベルは最高レベルに設定されている模様である。


坂梨峠の走り

東北道と国道282号が並行して走るようになると峠の登りが始まり、私はペースを上げる。ここの峠道は狭く曲りくねっているのでTZRでも何とか頑張れば先頭をキープ出来るのだが、小排気量の弱みでギヤチェンジが忙しい。

左から右に切り替えすコーナーでギヤを一速落とすかどうかで一瞬迷ってしまった私は、結局ギヤダウンする事を選択しチェンジペタルを踏み込んだ。丁度その時リヤタイヤは濡れた路面に載っていて一瞬リヤタイヤが滑ってしまった。

この事でリズムを崩してしまった私は先頭を引っ張るモチベーションが一気にトーンダウン。先頭をM氏に任せて最後尾に下がる。北海道で真中が減ってしまったリヤタイヤはもうまともなグリップ力を持ち合わせていないようである。

峠を越え青森県に入った私は、U氏とその後を抜きたそうに走るK氏の後に着いて峠を下って行く。坂梨峠の走りでは相変わらずの忙しさで休む暇が無い。途中車に邪魔されてペースが落ちてしまったが、遠部ダムで待っていた先頭に追い付きまた私が先頭に立つ。

ここから碇ヶ関に出て国道7号で大館に出るか、はたまたUターンして坂梨峠を引き返すか私は迷ったが、国道7号を走っても楽しくないので引き返す事を決める。私がパーキングに入ってUターンした時、メンバーの心中は複雑だったようだ。「ようやく越えた坂梨峠にまた戻るって?」、「もう一回坂梨峠を走れるとは、わくわく。」各人思いは違った様だが、私は坂梨峠にバイクを向けて走り出していた。

帰りの坂梨峠は車が少なく走りやすかった。先頭のM氏にK氏が食らい付き、その後をN氏が追う展開で峠を越えて秋田県に戻った。私はU氏の後に着いて走っていたが、その時の私に先頭を追う気力は微塵も残っていなかった。全員無事坂梨峠を通過して小坂に向かう。

先ほど検問をやっていた場所を通過したが、もう誰もいなかった。警察ももっと時間を掛けて取締りをしてもらいたいと思う。小坂の例のGS前の信号で止められGSの方を見てみると、スタッフが「まだいたの?」みたいな視線を我々に送って来る。一日に三度も同じ所を通れば、不思議なグループに思われても致し方あるまい。

我々は小坂から大湯に出て鹿角市花輪に向かった。花輪に入った辺りから雨が落ちてきて空も暗くなってきた為 道の駅 かづのにバイク入れ雨具を着る事にする。ついでにトイレ休憩とし、これからのコースを検討する。


●十数年ぶりの道

私は最初は大葛から太平湖経由上小阿仁行を考えていたが、雨も降ってきたし時間も遅くなって来たので無理は出来ない。ウエット路面の太平湖回りは走りたくない。

そこで思い出した道がある。ここから尾去沢マインランドの脇を通って十二所経由で大滝温泉に行く道である。この道を前に走ったのはもう十年以上前の事だが、ここから比内に行くには最短の道の筈だ。以前は狭いが舗装されていたのでビックバイクでも問題は無い筈だ。

休憩後雨具を着た我々は尾去沢マインランドに向かった。私は尾去沢の街中を抜けマインランドをパスして十二所に直接向かう道に入った。今考えてみたら尾去沢の鉱山跡を見た事の無いメンバーがいたのだから、マインランドを回って十二所に向かえば良かったと思ったが、後の祭りである。

十二所までの道は一部ちゃんとした2車線道路になっていたが、以前と同じ狭い道が大半であった。山を越え十二所に出ると西の空が明るくなって来て雨の心配は無くなってきたようだ。昔よく通った旧国道103号の道を大滝温泉から比内と走って国道285号に入る。


M氏、K氏のR6に興味津津。



西の空がようやく雲が切れてきた。
●R6に乗りたい症候群
米内沢の手前、北欧の杜公園に曲がる角に在るローソンで休憩にする。私は小腹が空いてサンドイッチを買って食べる。西の空は夕日で赤く染まっていて雨の心配は完全に無くなったようだが、寒くなってきたので私は雨具の下だけを脱いだ。

M氏が乗っているYZF750SPは製造されてから今年で11年目で、メーターの積算計も4万キロを超えている。しかし十年以上前のバイクとはいえ彼とYZF750SPのパッケージは、長年の熟成によりFUNKYの中で現在でもトップクラスのパフォーマンスを維持している。

しかしYZF750SPに乗って5年のM氏は、YZF750SPの限界を感じているのも確かで彼は次期戦闘機の選考に入っていた。600ccのマシンにも興味があったM氏は、K氏のR6が如何なる物なのかを知りたいと考えていた。

そして、K氏に「乗ってみますか。
」と言わせるのにそんなに時間は掛からなかった。R6に跨ってサイドスタンドが出せるを確認したM氏は、R6に乗って秋田まで走る事になったのである。

一方K氏は、YZF750SPの横に立ちメインスイッチ捻ってセルボタンを押した。その瞬間750SPは前に飛び出しサイドスタンドが外れて倒れそうになる。立ちゴケはK氏の機敏な対応で免れたが危なかった。

750SPが動き出したのはギヤが一速に入っていた為だが、しかしそれは現代のバイクでは起こりえない事だった。今のバイクはサイドスタンドが出ていてギヤが入っている場合セルモーターが回らない様に安全装置が取り付られているからだ。

しかしM氏の750SPのイグナイターはSUGOキットに交換されていて、安全装置はキャンセルされていたのである。

またM氏は北海道然別湖のパーキングでサイドスタンドが外れてバイクを倒した経験から、バイクを止めた時ギヤを一速に入れる様にしていたのも仇となってしまったのである。




R6のオーナーの様な顔をして
写真に納まるM氏とメンバー。


またの参加をお待ちしております。
●R6は反則

話題は2005のニューモデル。?

M氏とK氏がバイクを交換して秋田まで一気に走る。国道285号は車が多く大した走りは出来なかったが、車の追い越しやコーナーでは出来るだけスピード上げてみる。2番手のM氏はR6の走りを確認するように着いてくる。

そんなこんなで秋田に着いてM氏が発した言葉は、「R6は反則だ。」であった。この反則と言う意味は、全ての操作はが反則な位軽かったという事だと思うが、私も以前乗せてもらった時の感想は同じであった事を思い出す。そんなR6に乗ってしまったM氏は、悩みの種がまた一つ増えてしまった事だろう。

すっかり暗くなったPM6:15、我々は秋田に到着する。今日のツーリングは天候の影響を受け予定を変更して走ったが、ドライ路面を結構走れたし温泉も良かったし結構楽しめたツーリングであった。

これで残すは11月の最終ツーリングだけとなってしまった。今シーズンの終了も近い。







             終

                      Report by Ryuta


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