9月22日(水) 5日目  幌加温泉⇒帯広⇒狩勝峠⇒トマム⇒日高⇒鵡川⇒苫小牧東港⇒フェリー泊⇒秋田港
              5日目コース                ●外は雨 どうする
今日は6時前には目覚めカーテンを開け外を見る。やっぱ雨か・・・・。

私はいつものごとく寝起きの温泉に、タオルを持って向かう。今日の予定を温泉に入りながら考える事にする。

温泉に行くと先客が一人いた。この時間親父さんが浴場を掃除しがてら温泉に入っている場合が多いのだが、今日は年齢が私と同じか少し上?のお客さんが入っていた。

「おはようございます。」と挨拶を交わし温泉に入る。私は早朝のこの時間に入る幌加温泉が大好き。今日は雨で日は差していないが、温泉から揺ら揺らと立ち上る湯気を窓から差し込む朝日が照らし出すその光景は、長閑と言うか安らぐと言うか何ともゆったりとした時間の流れを感じさせてくれる。

忘れていた。今日の予定を考えるんだった。しかし、そんな考え事しながらを温泉に入っちゃ駄目。温泉に入っている時は、頭を空っぽにしてボケッとしているのが一番。今日の予定は、上がってから考える事にします。

今朝もお世話になります。


玄関先に並ぶ2台のバイク。
来年はもっと多い台数が並ぶのを見たいものだ。



親父さんに見守られて出発の準備をする。


親父さんとk氏との初ツーショット。
いや、他にも人が写っている?



朝温泉で一緒になった人に
3ショット写真のシャッターをお願いした。

この写真にも・・・。
後のガラスに写ってるあの人影は?
これってFUNKY初の心霊写真?

カソールの矢印で写真を探って見て下さい。

今日の予定を決定?
部屋に帰って天気情報を見てみると旭川はまだ雨が降っていないみたいで、三国峠から層雲峡、上川を通って昼に旭川ラーメンを食べようかとk氏と話し合ったが、結局旭川も昼前には雨が降ってくるようで断念する。

例の周回コースはドライ路面とは思われず、今日は何処に行っても雨から逃れられない定めの様である。

此処で雨が降った場合のオプションを私は多く持っていない。我々が北海道に来る目的はバイクを楽しむためであり観光ではないのだが、しかし雨が降ってしまってはバイクを楽しむ事は難しい。こんな時こそ観光すべきなのだが、私は北海道の道には詳しくとも観光スポットには大変疎い。

FUNKYでは幌加温泉に泊まった翌日が雨の場合、帯広の六花亭に寄ってお土産を買うのがお約束の様になっていた。私は、今日も雨だし「六花亭に行ってマルセイ・バターサンドでも買うか。」と言う気持になっていて、k氏が話していた帯広の美味しい豚丼にも興味が有った。今日は食に拘った日程にするのも良いかもね。

時間になって親父さんが朝食を運んで来る。昨晩同様k氏が配膳係り、私はその写真を撮る係りとなった。ここの朝食は毎年変わらないメニューで、焼のり、生卵、焼鮭、ガッコ、キノコの味噌汁、梅干、おひたし等である。

いつもは食パン1枚の私も、今朝はお代わりをしてしまった。生卵に醤油を入れてご飯に掛け海苔に巻いて食べてまず一膳、焼鮭とその他のおかずで一膳食べてしまった。今年もまた北海道に来て太って帰る事になりそうである。

食後、私はまだ今日の日程を決めかねていた。外は大分明るくなって来て雨は殆んど降っていない情況だが、帯広に行くにしても直接行ってしまうと店がまだ開いていない可能性がある。

私は決断する。幌加温泉を出てまず三国峠まで行き、そこで状況を見てその後の予定を決定する事にした。日本人が得意とする、要するに結論の先送りです。着替えて荷物をまとめバイクの所に行く。


FUNKY初心霊写真?を撮影
2台のバイクにチェーンオイルを吹き付けた後、私はTZRにエンジンオイルを補充する。これで北海道に持って来た2リットルのBP Vistra Synthetic 2T-R の殆んどがタンクの中の入った。オイルの燃費は800km/L程度であろうか。

バイクに荷物を積み出発準備を終えて親父さんといつもの様に写真を撮る。今朝温泉にいた人も我々を見ていて、親父さんと我々2人の写真を撮ってくれると言うのでお願いする事にする。此処でFUNKYメンバー全員(と言っても今回は2人)と親父さんの写真を撮るのは初めてで、記念すべき一枚となった。

温泉の人は、私と同様幌加温泉の常連さんである様で親父さんと親しく話をしていた。50過ぎの白髪頭ライダーと30代のライダーコンビは、彼の目には珍しい物に見えた様で出発までジーッと我々に視線を送っていた。

その時撮った写真を見ていて、後ろのガラスに人の顔の様な物が写っているのを発見する。それは我々の方をジーッと見つめている様に見え、これはFUNKY史上初の心霊写真かと思った私であったが・・・・・。

それは温泉の人の連れのおばさん達で、彼女らもまた我々に注目していたのであった。(写真の中を矢印で探して見て下さい。)


●幌加温泉を発って三国峠へ
皆さんの見送りを受けてk氏と私は玄関先の濡れたスロープをゆっくりと下り幌加温泉を出発する。国道273号に出て左折三国峠に向かう。路面は完全なウエット、雨はシトシトと降っている。

一昨日とは違ってゆっくりとしたペースで三国峠を目指すが、雲が低く垂れ込めていてドライ路面など望むべきも無い状況である。三股山荘の前を通過、時間が早くてまだ開店していないようである。

三国峠手前の一昨日松見大橋の写真を撮った場所で、作業員のおじさんに停止を命じられる。聞いてみると道路法面の山の上で木を伐採しているそうで万が一危険が有ってはいけないと通行規制をしているそうだ。彼は無線で上と連絡を取っているが、直ぐには終わりそうにもない様子である。

雲に霞む松見大橋





温かい缶コーヒーを握り締めて





ここはカレーが美味しいそうな。
今度食べてみよう。
三国峠は雲の中
ただ待っていてもしょうがないので、バイクを置いて雲の煙る松見大橋の写真を撮りに行く。雲に見え隠れする松見大橋は、晴れた時とまた違った幻想的な姿を見せていた。

我々のナンバーを見た交通整理をしていたおじさんは、秋田から来たんだと気さくに話し掛けて来る。写真を撮っている間に作業は終了した様で車は通されていた。山のズーッと上の方での作業であった為何が危険で止められたのかよく理解できない通行止であった。我々もそこを通過し三国峠のパーキングにバイクを停める。

雲の中にある標高1,139mの駐車場まで登って来てしまった我々は、雨宿りの為三国峠休憩所の中にある食堂でコーヒーでも飲もうと中に入る。私はここの食堂に入った事はなかったが、ここのカレーライスは美味しいそうでk氏はよく利用しているようだ。

売店の奧にある食堂のメニューを見ると飲み物メニューが無かった為聞いてみると、飲み物は出してないとの答えだった。朝食を食べたばかりの私にカレーを食べる気力は無く、缶コーヒーを買って軒先で雨をしのぎながらの休憩となった。

標高1000mの軒先は冷たい雫が頬を濡らし、缶コーヒーの暖かさが手に伝わりそして体に染入る。こんな一本の缶コーヒーの温もりが、旅の思い出として心に刻まれていくんだな、これが。


士幌線 幌加駅
私はここまで来て諦めがついた。今日はドライ路面を探す事を諦め、グルメ&観光に徹する事を決断する。まずは手始めに幌加温泉近くに在ると言う旧国鉄士幌線(帯広〜十勝三股間78.3km)の幌加駅を観光する事にして三国峠を発った。

士幌線は、帯広から三股山荘がある十勝三股までを繋いでいた鉄道で、沿線の農産物輸送と十勝三俣からの木材輸送を主な目的で造られた。十勝三股には大きな製材工場造られ、十勝三股は全国屈指の木材生産地となったそうである。幌加温泉もその製材工場の保養施設として建てられたらしく、幌加温泉の親父さんの話によると三股山荘の女主人とその製材工場とは繋がりがあるそうである。

士幌線終点の十勝三股と糠平の間に有ったのが幌加駅で、私は以前に国道の道路ステーション近くに残っている事を何かで知った。我々は幌加温泉入口を過ぎ雨が降りしきる中、左側に見えて来た道路ステーション前にバイクを止める。

この建物の中には国道273号線沿線の説明展示や三国峠の様子を写したテレビモニター等が設置されていたたが、昔の士幌線の写真やアーチ橋の写真等も展示されていていた。トイレも有るしチョッと休憩する時には使える場所である。

外に出て目的の幌加駅跡を探してみる。しかし建物の裏側に線路跡と見られる場所は発見出来たものの、駅らしき跡は見つけられなかった。雨の中あちこち歩き回るのも何なので、幌加駅の探索は諦め我々は帯広に向かった。

後で調べたところ、幌加駅跡は道路ステーションを出て直ぐ左側に有った砂利道を入った奧に有ったらしいのいだが、その時の私に泥道を走る気持は全く無かったから、結果的には発見出来なくて良かったのかもしれない。

幌加駅にはまた今度天気の良い日に立ち寄って見たいと考えている。








六花亭内から駐車場を見る。
ここでは無料のコーヒーが用意されていて
各自自由に飲む事が出来る。




花に囲まれるTZRは何かはにかんでいる様に見える。



豚丼の元祖ばんちょう。
その美味しさを味わうのは、
幌加温泉に泊まった次の日が
雨の時までお預けかな?
●北海道ルール
雨の降る中我々は国道273号を南下、糠平、上士幌と走って国道241号に入り更に南下、音更に入る。帯広市街に行く場合、音更のバイパスに入ってしまうと帯広の市街から離れた国道38号に出てしまうので旧道に入る。

この帯広に向かう対向2車線の道を我々は車の後に着いて走っていた。すると我々の右側をいきなり車が追い抜いて行った。対向車も走っている片側1車線の道で、車に着いて走っている我々の右側を追い抜くとは何と無謀なドライバーだと私はムッときてしまった。

しかし、周りの状況をよく観察してみると片側1車線の中を車が横二列になって走っているではないか。私は、これは北海道ならではのローカルルールなんだと理解する。

北海道の対向2車線道路の片側1車線は本州の2車線分の幅があり、車2台が横に並んで走る事が可能で混雑している都市部では、1車線を2車線として使うのが地元の人達の間で暗黙のルールとなっているようである。

そのローカルルールを知らなかった私は、秋田から東京に出て行った御上りさんと同じ状態にあったわけである。今後は道路状況をよく観察しその流を読む様に気を付けたいと思います。


久しぶりの六花亭
帯広市街に入る頃には雨は殆んど上がっていた。帯広駅少し手前にある六花亭の駐車場にバイクを止める。この駐車場、大通りに面した正面入口の反対側に有って、裏の一方通行の道から入る為地元の人以外知らない人が多いようだ。

この六花亭本店はいつ来ても混雑していて、店内に入ると相変わらずの人でごったがえしていた。お土産用のマルセイ・バターサンドを送る手配をし、無料のコーヒーを飲んで暫しの休憩となった。考えてみれば、六花亭の商品はインターネットでも電話でも注文出来るので、わざわざ此処に来なくてもお土産は買えるのだが、これは此処に来て買ったお土産という私の気持の問題なのである。

私はいつも此処でケーキ(1個平均の価格が150円位で大変美味しいケーキ食べられ、甘い物好きには天国の様な場所である。)を買って無料コーヒーを飲むのだが、今回はお土産を買うのに手間取ってしまった為ケーキを食べるのは遠慮した。二階にはゆっくり休める喫茶店が有るらしいのだが、私は一度も行った事がないな・・・。



●帯広の豚丼
k氏とこれからどうするかを話し合っているうちに、最近全国的に有名になっている食べ物、帯広の豚丼の話になった。k氏は帯広の豚丼情報に詳しいらしく、ここの直ぐ近くの駅前に美味しいお店が有る事を教えてくれた。豚丼は帯広のどのお店で食べても美味しいわけではないらしく、その店が休みだった為近くの店で食べ豚丼の味はそれ程ではなかったらしい。

私が豚丼を初めて食べたのは、15年位前に養老牛温泉の旅館で温泉に入った後に食べた昼食であった。その時は丼飯の上にのった甘辛く醤油で味付けされた豚肉を何の感動も無く食べた記憶がある。それともう一回、昨年の秋田から苫小牧東港に向かう新日本海フェリーの中で食べたな。味は・・・・聞かないで下さい。

私が豚丼発祥の地が帯広で全国から人々を引き付けるほど魅力を持った食べ物である事を知ったのは最近の事であった。昼飯には少し早いが時間は11時を回っており、私はこの機会に美味しい豚丼を無性に食べたくなってしまった。

六花亭を出た我々は、k氏の道案内で豚丼発祥の店元祖豚丼ばんちょうに向かった。帯広駅前を左折、ばんちょう横の小路にバイクを止めた我々は元祖豚丼
ばんちょうに向かう。しかしそこで我々が目にした物は、閉まった灰色のシャッターと本日休業と書かれた白い札。

その白い札には、定休日毎週月曜日、第一、第三は月・火曜日と書かれていた。確か今日は第三水曜日だよな、何で休業なんだよ。我々は納得がいかないままバイクを止めた場所に戻り、近くにいた地元の人に聞いてみた。彼は開店時間は11時だと教えてくれたが、何故閉まっているかは分からないと言う。

結局月曜日が祭日だった為、一日ずれて火曜と水曜日が休みになったのだろうと勝手に納得し、私は元祖豚丼
ばんちょうから立ち去ったのである。

雨が降らなければ帯広に立ち寄る事が無いFUNKYでは、帯広に来てまた元祖豚丼
ばんちょうの前に立てるのはいつになる事やら・・・・・。 豚丼を食べられなかった悔しい思いを胸に帯広を発った私は、国道38号に出て狩勝峠に向かった。そして昼飯に何を食べるか真剣に悩んでいる私がそこに有った。

新得のそばの里[新得そばの館」


石臼も近代的。


二段せいろ 


更科系の白いそばは、太さも揃っていて美味しい。

●宇佐美で給油
国道38号を走ってたら左に宇佐美の看板が上がった出光のGSが見えて来た。日頃から宇佐美のスタンド(秋田では三国商事)を利用している私は、その看板を見てパブロフの犬の様にウインカーを左に揚げしまった。

宇佐美=安い の等式はここ帯広でも成立するようで、ガソリンの値段はそれなりに安かった。ここで給油しておけば、もう秋田までガソリンの心配は無いだろう。

給油後また国道38号を西に走り始めた我々は、雨が上がり乾き始めた路面の上を車の流に乗って走る。この調子で路面が乾いていけば、狩勝峠はドライで走れるかもしれないと、期待してしまった私であった。


昼食は新得そば
それよりもまずは昼食だ。狩勝峠の手前に何回か立ち寄った事の有る蕎麦処が有る事を思い出した。それは立ち寄ってはみたものの、いつも混雑している為長い待ち時間が勿体なくてFUNKYでは1回も食べた事の無い蕎麦処であった。

今日は weekday で人が少ないと考えられるし、何よりも今日の我々には待つ時間が豊富に有る。今日は新得で蕎麦を食べる絶好の機会で有る事は確かだ。まずは、新得の蕎麦処を目指して走る事にする。

日勝峠との分岐が有る清水町辺りまで来るとまた路面が濡れて来る。更に進むとまた路面は完全なウエットに変わって、新得の蕎麦処の前にバイクを止めた時には、雨がしっかり降っており周りの林の木々には雲が掛かっていた。

周りの雲の様子からして、我々は知らぬ間に標高が高い所まで来てしまった様である。帯広から新得までの国道38号には、登りらしい登りは無かった様に見えたが、緩い上り坂が続いていた様で標高が50m位から216m位まで170m近く上昇しているのが2万5千分の1の地図を調べて分かった。因みにこの先に有る狩勝峠の標高は650m前後で、ここより430mも上に在る。

バイクを降り建物の前に行ってみて、この建物の名がそばの里「新得そばの館」と言う事を初めて知る。入口前で雨具を脱ぎ外に雨具を置いて中に入ると、正面のガラス張りになった部屋の中に石臼が2台並べられ、その中でそばを打つようになっていた。

右手にはレストラン玄穣が有ってそこで蕎麦を食べられるようであったが、今日もまた満席で席待ちの名前を書くボードが置かれていた。しかし、順番は4〜5番目でそんなに待つ事無く席に案内される。

我々二人はメニューから二段せいろ1000円?(名前、価格共にに自信はない。)を注文し、テーブルに置かれていたここの蕎麦案内に目を通す。

ここの蕎麦は玄穣そばと呼ばれ、品質日本一に輝いたと言う新得産玄そばの上皮をむき、厳選した白い部分だけを長時間掛けて丹念に石臼で挽いて仕上げた「更科系」そば粉を使用、そば粉90%、つなぎ粉10%の割合で打った一休(いっきゅう)そばと呼ばれる物らしい。

またそばの打ち方も伝統ある真正流儀を習得した職人が打った100%手打のそばだそうで、特に均一に切る包丁切り技法に優れているらしい。以上が玄穣そばのインフォメーションの抜粋であります。

これだけの能書きを見てしまった私は、玄穣そばに期待が高まる。しかし、その玄穣そばがなかなか出て来なかった。今日の我々に待つ時間は沢山有るとはいえ、オーダーの後に長く待たされるのは感じか良くない。席数が多いこのお店では、順番が回ってくるのまで時間が掛かったしまうようである。

随分待って出てきたそばは、更科系の白いそばでコシも香りも有り幌加内のそばとはチョッと違う旨さが有り2枚のざるは直ぐに平らげられたてしまった。こうして新得の玄穣そばは、FUNKY蕎麦リストに載せられる事になったのであるが、いつも待ち時間が長いのがFUNKYに取っては問題ではある。


今年は全面禁煙となった道の駅占冠。
k氏は外で煙を吹く。


ここでもまだ雨は降っている。



温泉から上がって寝まるk氏。

鵡川ではシシャモを食べないと。


私の夕食、鮭親子丼。
イクラと鮭の刺身が旨かった。


k氏の食べたフライの盛り合わせ。

●雨の狩勝峠
蕎麦を食べ終え外に出てみると雨はまだシトシト降っており、私は再び雨具を着て走り出す。ここから狩勝峠までは目と鼻の先で、我々は今日初めてのスペシャルステージ狩勝峠のスタートラインに直ぐに到着する。

狩勝峠のスペシャルステージは、峠の登り口のパーキング(標高240m)から狩勝峠(標高650m)まで一気に410m上る。いつものFUNKYであれば高速コーナーが続くこの峠を、頂上まで5分も掛からないで上がってしまうのだが、今日の路面状況ではそんな事が出来る筈も無くゆっくりと登って行く。

標高が上がるに連れ霧で視界が悪くなり、車の後ろに着いて走る。と言うかそれが一番安心な走り方であった。峠を下り落合からトマムに左折しても雨は相変わらず降っている。トマムを過ぎると楽しい今日二つ目のスペシャルステージが始まるのだが、ここもまた移動するだけのリエゾン区間となってしまった。


リエゾンで苫小牧東港まで
占冠の道の駅に入り休憩する。中に入ると昨年と違っている所が有った。昨年有った喫煙場所は無くなっており、全館禁煙となっていた。喫煙者は公共の場所からどんどん締め出され、居場所が少なくなっている現状を身をもって痛感したのがk氏で、外の軒先で寒さに耐えながら煙を吐いていた。

これから先、苫小牧東港のフェリーターミナルまでは完全なリエゾン区間で、雨が降ろうが槍が降ろうがどうでもよいのだが、出来れば雨具は着たくない。しかし外は雨、ヤッパリ雨具を着て走り出す。

占冠から日高に出て平取を目指す。国道273号幌毛志の穂別に向かう分岐の所で、パトカーが道路脇に隠れて目を光らせていた。この場所は昔まだ日高と夕張を結ぶ国道274号が完成する前、日高から幌毛志、穂別、夕張を通って札幌に至る日高と札幌を結ぶ最短ルートの分岐点で、多くの車がここを右折して穂別に向かっていた。

交通量の多いこの場所は警察にとっても取り締まりの重要地点であった様で頻繁に取締りが行われていた。あれから十年以上経ちここを右折する車は少なくなったが、まだ同じ場所で取締りが行われていた。警察というところは、月日が経っても取り締ま方は変わらないものなんだと感心してしまった。

過去の経験が役立って無事パトカーの横を通過した我々は、平取から旭岡に抜け鵡川の温泉施設<四季の館>を目指した。雨は弱くなってきたが路面は完全なウエットで、遅い車に追い越しを掛けた時リヤタイヤが滑った。リヤタイヤも北海道を1900km近く走ってきて、溝が浅くなってしまったようである。


鵡川 四季の館
四季の館にPM4:00過ぎ到着する。ここからフェリー乗り場までは15分位で、フェリー出港のPM7:50まではまだ大分時間がある。ここで時間までゆっくり休憩する事になった。

昨年は車のパーキングにバイクを止めていたが、今回は雨が降っている事もあり屋根の掛かっている自転車&二輪置き場にバイクを止める。雨具を脱ぎ脱いだ雨具をバイクに掛け、風で飛ばないように止めてバイクを離れる。

まずは温泉に行って体を洗い、そして温泉で温まる。温泉にゆったりと入っていると、今回の北海道の出来事が色々と思い出されてくる。今年の北海道は2班に分かれた変則的なものになったが、皆さんに北海道を楽しんでもらえただろうか。

今年の北海道は雨に始まり雨で終わったが、晴れた青空も見られたし、沈む夕日、昇る朝日も見る事が出来た。そして何より北海道の大地を大いに楽しむ事が出来た事が良かった。また来年と思ってしまう私であった。

温泉から出た所にある座敷の畳の上で少しマッタリとして時を過ごす。ここからは食事の出前を電話でオーダーする事が出来る。私は鮭親子丼、k氏はフライの盛り合わせ定食?をオーダーすると、40分以上掛かると言われる。時間はあるので問題は無いだろう。

私は夕食が運ばれて来る間にソフトクリーム等を売っているカウンターにシシャモを注文しに行く。ソフトと一緒に焼いたシシャモを売っているところが、シシャモの町鵡川らしいところだ。

ついでにお土産に冷凍のシシャモを売店で買う。雌の子持ちシシャモだけのパックと雄・雌半々のパックが有って、当然子持ちシシャモだけのパックの方が値段が五割ほど高い。私は雄のシシャモが好きなので雄・雌パックを購入する。

シシャモは断熱材の袋に冷却剤と共に入れられ渡されたのだが、「何時間位持ちますか。」とレジのおねいさんに訊ねると、「六時間は大丈夫ですよ。」とのご返事。秋田まで15時間は掛かるんですけど・・・・。 「ま いっか。」

30分も掛からないで食事が運ばれて来る。私の注文した鮭親子丼は、イクラと鮭の刺身が乗った丼で見た目も綺麗で大変旨かった。k氏も私の丼を見て旨そうですねと言って食べたそうにしていた。

彼はフライの盛り合わせを注文していたが、彼に味の事を聞くのを忘れてしまった。彼は特に何も言っていなかったので、特に感動する物ではなかったと思われる。

食事を終え時間になって外に出てみると、日が暮れてすっかり暗くなっていた。雨は上がっていたが、路面はまだ濡れておりまた雨具を着て走り出す。

このお約束のショットで北海道は終わる。












今日までの事を思い出しながら飲むビール
このビールが美味いんだ。
7時前にはフェリーターミナルに到着、バイクの列の後ろにバイクを止める。昨年は大半のバイクが乗り込んだ後に到着したので止まっているバイクはいなかったが、今日は結構バイクの数が多い。

7時10分に乗船開始とアナウンスしていたが、トラックの積み込みが遅れている様で乗船出来たのは7時半を回っていた。今年このフェリーに乗るのが3回目のk氏は、遅れるのは毎回の事とゆったりと乗船を待っている。

新潟行きのバイクから乗船が始まり、秋田行きの我々はその後に乗船する。客室の席取はk氏に任せ私はゆっくり荷物を降ろし後から客室に行くと、k氏によってしっかりとスペースが確保されていた。フェリーに乗り慣れた人と一緒だと大変楽チンである。

早速、着替えて売店に行きビールを買い例のラウンジに行く。当然進行方向右側の灰皿の置かれた方に行ったのだが、k氏は座るテーブルの選択にも拘りを見せた。彼によると天井に付いているエアコンの噴出し口の下は、寒すぎて居心地が悪いそうでその下を避けて席を取った。ウ・・・ン 勉強になります。

このフェリーに乗ってしまえばよほどの事がない限り明日の朝は崎の港に着くわけで、まずは一安心である。我々はビールを開けて乾杯したのだが、この後k氏はある事実を知らされる事になるのである。

私のように秋田を出たら1回も家に連絡を入れなくて何にも言われないほったらかし亭主と違って、家族思いのk氏は無事フェリーに乗った事を家に報告するべく携帯電話を開いた。そこで彼は家からの着信履歴が何回も有る事を知る。

家で何か有ったのかと心配したk氏は急いで家に電話を掛けてのだが、電話に出た奥様は興奮した口調で「今何処にいるの?」とk氏に問いただす。「フェリーの中だけど。」とk氏は答えるが、奥様は納得がいかないご様子。

実は新日本海フェリーから家に電話があり、k氏が乗船時間になっても現れないので何か連絡が入ってないか問い合わせがあった様で、奥様はk氏の携帯を何回も呼んでいたらしいのだ。

k氏の乗船券は私が秋田を発つ時に買った券で、私の券と同様k氏の券も苫小牧東港で乗船手続きは必要の無い券の筈で、何故k氏の家だけに電話が入ったのか我々には理解出来なかった。実際、ご本人はしっかり乗船してビールで乾杯しちゃってるわけで、k氏は奥様に心配しなくても良い事を伝えた後、船内のフロントに乗船済みである事を言いに行く。

奥様はk氏が事故にでも遭ったのではないかとさぞかし心配した事だろう。全く人騒がせな新日本海フェリーの電話であった。

k氏との談笑はアルコールを追加しながら10時過ぎまで続いたが、迫りくる睡魔には勝てず客室に戻って寝る事にする。客室は既に灯りが落とされていて、音を立てない様に毛布を被り眠りに着いた。

当然耳栓を捩じ込んで・・・・。

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