2005年 4月29日(日) 1st..ツーリング


  2005年初めてのツーリングは、天候にも恵まれ
     秋田の春を感じながら走る楽しいツーリングとなりました。

                                
Report by Ryuta   


< コース >


秋田
⇒出羽グリーンロード⇒南外⇒羽広⇒坂部⇒保呂羽山⇒

大森⇒三ツ森山(雪の為引き返す)⇒国道107号⇒

七曲峠⇒西馬音内⇒十文字⇒増田⇒
三平そば (昼食)

増田⇒横堀⇒国道108号 松の木トンネル⇒笹子(給油)⇒

猿倉温泉 入浴⇒矢島 花立⇒南由利原高原⇒仁賀保高原⇒

仁賀保⇒仁賀保高原⇒西目⇒本荘⇒大内⇒大正寺⇒小種

⇒出羽グリーンロード⇒国道13号⇒岩見三内⇒宝川⇒

横山金足線⇒
モト ワークス ヒラタ  走行距離 400km

新しい顔が並んだ店の前



FUNKYの中では古株となってしまったR6
と新顔の2ショット 南外 佐藤商店前にて




FUNKYでは新顔ではないが、M氏の
愛機としては初登場の’02YZF−R1



こちらの2台は、排気量1・2番コンビ
◆2005シーズン開幕
2005年初めてのFUNKYツーリングは、みどりの日の4月29日(金)に開催された。その前日の28日、私は朝から忙しく陸運事務所と店の間を3回も往復していた。1st.ツーリングには間に合わないと思っていたGSX-R1000の登録が、ツーリング前々日になって陸運の審査が通って前日の28日に登録が可能になったのである。

こうなれば意地でも登録し1st.ツーリングをGSX−Rのニューマシンで参加したくなるのはライダーとして当然の気持であろう。しかし、連休前の月末とあって28日の陸運事務所は非常に混んでいた。

1台ならまだしも2台のGSX−Rを登録しなければならない状況に、私は朝早くから陸運に行って午前中になんとか新規登録の車検を2台通したのだが、登録が混んでいて車検証がなかなか出てこなかった。

結局、車検証がアウトプットされたのはPM3:30を回っていた。それでもめでたくGSX−Rには真新しいナンバープレートが取り付けられ、私は’05 GSX−R1000に乗って1st.ツーリングに参加出来る事になったのである。 と言ってもODOメーターが0kmの為、慣らし運転での参加なのだが・・・。


1st.ツーリングの29日は集合時間がAM8:30といつもより遅く余裕が有った為、私はAM7:45には店に居た。バイクを出し着替えをして出発準備をしていた8時過ぎ、聞き慣れたアクラボビッチの音が近づいて来て店の前にバイクをが停まった。

R6のK氏であった。どちらかと言うと集合時間ギリギリに来る事が多いK氏だが、K氏今日は気合が入っているようである。K氏と雑談していると突然トイレのドアが閉まる音が聞えた。バイクの来た音は聞いていなかったので、突然の音に私とK氏は少なからず驚いてしまった。

少ししてトイレから出て来たのはM氏であった。M氏はR6の横にバイクを止めてトイレに行ったらしいのだが、我々はバイクの音を聞いていなかった。私はM氏のバイクが今回からYZF750SPから’02 YZF−R1に換わった事を忘れていた。ノーマルサイレンサーの’02 R1は、ジェントルな排気音で我々にR1が来た事を気付かせなかったのである。

そう言えば2005年FUNKYの参加バイクの顔ぶれが大きく変わった。私はTZRからGSX−Rに、M氏はYZF750SPから’02 R1に、A氏は’04 ZX−10Rに、N氏は今日はブラックバードだが次回から私と同じ’05 GSX−R1000(ブルー/ホワイト)に換わる予定である。

集合時間のAM8:30には全員集合して出発となった。今日の参加台数は、’05GSX−R1000、’02R1、’04ZX−10R、’97ブラックバード、’00隼、’99R6のバイク6台と車が1台?の合計7台である。今回S氏がランエボ[ MRでの参加となったが、S氏が四輪でFUNKYに参加するのは、2001年ラストツーリングのレガシィB4以来である。

今日のコースはグリーンロードを使って東由利の道の駅に行き、七曲峠から西馬音内、十文字を通って増田の三平のそばで昼食、松ノ木トンネルを通って笹子で給油、猿倉温泉で温泉を楽しんで由利原、仁賀保高原を走って帰って来る予定である

◆GSX−Rは慣らし運転

GSX−Rの慣らしは最初5千回転から始め普通に走るのに何の不自由も感じないで走れるのだが、さすがに国道13号からのグリーンロドでは後ろに下がって私は最後尾から着いて行く。

皆さん、今シーズン初めてのFUNKYツーリングとあって慎重に感覚を確かめながら走っている様に私には見える。幾つかのコーナーをクリアーしてみて初めて乗るこのGSX−Rのハンドリングが、私が今まで乗ったどのリッターバイクより軽快で楽にコーナーを走れる事が分かってきた。


皆さんの走りを遠目に見ながらグリーンロードを走り、南外のいつもの佐藤商店前にバイクを止める。天気は良いし約半年ぶりのツーリンに皆さん話が弾んでいる。

YZF750SPのヘッドライトレンズに開いた
弾丸が貫通した様な穴








東由利 道の駅 パーキング


立ち話中
◆ランエボ[ 速し
休憩の後グリーンロードから別れ岩倉温泉前を通過、峠を越えて羽広から坂部に出て保呂羽山に向かう。保呂羽山の登りはそこそこ楽しい道なのだが、路面は荒れているし気を付けなければならないコーナーも多い。

ここを一番元気よく走ったのはランエボ[であった。私は慣らしで最後尾を走っていたのだが、この様な曲りくねった道ではハンドルを切れば即座に鼻先が内側に向くランエボ[が明らかに有利で、私の前を走るランエボ[はその前のR6にピタリと着いてプレッシャーを掛けている。

そしてコーナーの立ち上がりにおいてもブーストを1.5キロ以上掛けたエンジンは、4個のワイドタイヤを一気に加速させR6の背後にピタリと着いている。どの位ピタリと着いて走っていたかと言うと、レンボエ[のフロントバンパーの塗装がバイクのリヤタイヤから弾き出された小石で剥がれ、フロントガラスが傷だらけになってしまうほどピタリと着いていたのである。

走っている時は分からなかったが、前を走るバイクからランエボ[に向かって小石の銃弾が激しく浴びせられていたようである。バイクでもFUNKYで走っているとヘッドライトのレンズに多くの傷が付くのだが、四輪の場合は前面投影面積が広い為多くの銃弾をランサーは受けてしまったのだろう。

後輪から弾き出される小石の威力は相当なもので、以前北海道のサロベツを高速走行した時、YZF750SPのガラス製ヘッドライトレンズを打ち抜いた事があった。この時の穴は、ほんの数ミリの穴だったのだが、その数ミリの小石の持つ運動エレルギーは相当のものだったに違いない。

この穴を目のありにすると、ヘルメットのシールドの大切さを痛感してしまう。


◆三ツ森山はまだ冬

保呂羽山から大森に出てグリーンロードに戻り、三ツ森山に向かう。10日位前三ツ森山に行ったM氏の情報では、入り口から直ぐの所で道路は雪で覆われ通行出来なくなっていたとの話だったが、駄目元で 三ツ森山の道に左折してみる。

すると路上に雪は無く普通に走れる状態であった。そこでM氏を先頭に我々は三ツ森山を登り始める。しかし、次第に木の枝や雪が所々道路を覆っている所が出て来る。M氏はその状況を見て、止まって最後尾の私の来るのを待っていた。

頂上までまだ半分も来ていない状況からして、この先雪で通行不能になる可能性は高かったが、私は行ける所まで行く決定をする。路面に注意を払いながら暫く進んだのだが、標高が上がるに連れ道路脇の雪の量が増え、道全体を10m位に亘って雪が覆っていている場所に出てしまった

しかし、その雪の厚さは10cm程度で雪には2本の車の轍が付いていた。そしてその轍の部分だけアスファルトが黒く出ていた。その先の道路状況を見てみると雪で覆われた所は無く、私は轍を通って先に進む事にした。

皆さんはこんな状況下で私が先に進むとは思わなかっただろうが、私は過去に新雪の上に付いた轍を伝って峠を越えた事もあるのだ。

皆さん、こんな所で運転免許試験で行う一本橋走行が役立つとは思ってもみなかったのではなかろうか。全員脱輪せずにそこ通過する事が出来たのだが、私は残っていた雪に後輪が乗ってヌルヌルと滑り始めた時少し緊張してしまった。

そこを通過したのも束の間、3〜40センチの雪が道路全面を覆っている場所に出てしまった。そこには轍は無く、車もここで引き返したようである。 <万事休す。> 我々もここでUターンして来た道を引き返す事にする。我々がまた1本橋を渡ってゆっくりと下って行くと、下から車が1台登って来た。行き止まりを教えようとも思ったが、まぁ、行く所まで行けば分かると思いそのまま擦れ違った。

グリーンロードに戻り、国道107号に出て東由利の道の駅に向かう。道の駅 東由利 でトイレタイムと休憩を取る。

七曲峠の桜はまだツボミだった
昨年は散りかけていたのだが



N氏のブラックバードでの参加は今回が最後?


峠の周りにはまだ雪が残っていた
◆七曲峠はまだ早春
休憩後、羽後町の七曲峠に向かう。毎年4月末(昨年は5月1日)の1st.ツーリングに訪れている七曲峠には、桜の古木が有って私はその桜を観賞するのを毎年楽しみにしている。今年その桜がどんな姿を見せてくれるか楽しみに七曲峠に向かっていた。

七曲峠に向かう道すがら早春の田園風景を楽しみながら走っていると、昨年は殆ど見られなかった残雪が所々に残っているのが目に付く。七曲峠のシェルターを抜け肘曲コーナー脇にバイクを停めると、ここにもまだ雪が残っていた。

そして今年の桜は、残念ながらまだ咲いておらずツボミの状態であった。秋田市で開花したのが23日頃だったからここで咲いてなくても不思議ではないが、今年の桜は例年より1週間近く開花が遅れているようである。

それでも我々は爽やかな春の日差しの下、峠からの風景を楽しみながらバイクの話に花を咲かしたのである。

休憩の後、次の目的地増田町の三平そばに向かう。七曲峠を下って行くとコーナーには残雪からの雪解け水が流れていたり、杉の木から落ちた茶色の葉が路面を覆ってりしていてアクセルを開けるのにたいへん気を使った。


◆ナルシスト達の群れ

西馬音内、十文字、増田の街中を通り三平そばに向かう。増田の街中で皆さんガラス戸に写る自分のバイクを探す姿が見られた。私もそうだが新しいバイクに乗る自分の姿は、誰しも見てみたいものなのである。


◆GSX−R1000のハンドリング

国道342号から上畑に向かう道は、適度なワインディングで流して走るのに丁度よいコーナーが続き、走っていて楽しい。こんなスチエーションでは、GSX−Rの軽いハンドリングが際立つ。昨年まで乗っていたTZR250Rと殆ど同じ感覚でコーナーに入って行けると言ったら大げさに聞こえるかもしれないが、そんなにスピードが高くない走りでは本当にそう感じるのである。

このリッターバイク。今までのリッターバイクとは一味も二味も違うものを持っているようである。私は走行距離が進み、回転数が上がるに連れその感を強くしていく事になる。

三平そばの建物の中では
地元で取れた農産物も売られている


積雪が多いこの地域では山には
まだ雪が沢山残っている



今年のN氏はチョット違う
大盛り一枚を注文しただけ



K氏は相変わらずで大盛り一枚+普通盛り一枚
◆今年の三平そば

三平そばは増田町の奥に在る上畑温泉の少し手前に在って、昔から地元で作られていたそばに釣りキチ三平の作者である矢口高雄がここの出身である事から三平そばと名付けたのである。

この三平そばは、この数年FUNKY1st.ツーリング定番の昼食処となっていて、その理由にはそばが美味いと言う事もあるが、そこで働くオバサンに会いに行くと言う側面も有った。愛想の良い楽しいキャラクターを持つオバサンは、そば打ちのもう一人のオバサンと共にFUNKYとは顔見知りで、私としても一年ぶりの挨拶を交わすのが楽しみとなっていた。

建物の中に入って行くと内装のレイアウトが少し変わっているをM氏が指摘してしていたが、大きく違っていたのはいつものオバサンがではなく、別の私の知らないオバサンが注文を取っている事だった。

私は以前いたオバサンの名前を知らなかったので、新しいオバサンに以前いたオバサンの事を聞く事をしなかったが、少し寂しい感じがしてしまった。

私はいつもの通りざる大盛りを注文したのだが、出てきたそばは以前とは違う物だった。そのそばは、太さは不揃いで以前のそばよりコシも香りも少ないそばだった。そのそばを見て私は、人が変わったなと思った。

注文取りのオバサンだけでなくそば打ちのオバサンも変わってしまったようである。私は以前にもこれと似たような体験をした事があった。FUNKYでは福島の喜多方にラーメンを食べに行った事が2回あって、1回目に行った時に美味しかった店に数年後また行ってみたら以前とは味が違って普通のラーメンになっていた事があった。

工業製品と違って手作りの物は、品質の均一な物を常に供給するのは難しい事はよく分かるのだが、今回の場合たまたまいつものオバサンがお休みだったのかもしれないが、チョット残念な気がした。

それでも、ここを初めて訪れた面々は 「美味しい。」 と言ってそばを平らげていたから、充分美味しいそばなのである。私の場合以前のそばを知っている為、少し物足りなさを感じてしまった今年の三平そばであった。



      ここのガッコは旨いのだが、
     今年もまた幻のガッコは出なかった。


鳥海荘裏のパーキング
◆松ノ木トンネルのバトル
増田から稲川町に出て稲庭うどんの七代佐藤養助本店の前を通過して右折、国道13号に向かう。佐藤養助本店は相変わらず混雑していて、駐車場は満杯状態で車を止めるのに苦労している様であった。ここを訪れるのは、ウイークデイか昼時を外した方が良さそうである。

13号の小野小町塚前の信号に出て 道の駅 雄勝 の前を通過、国道108号の松ノ木トンネルに向かう。湯ノ沢温泉入口に有る看板に冬季休業中の札がまだ掛かっていた。例年5月1日の開業するのだが、雪の多かった今年は開業出来るのだろうか? 他人事だが、心配してしまった。

国道13号から国道108号に入って院内鉱山跡入口を過ぎるとスペシャルステージの始まりである。私は最初だけ飛び出し直ぐに最後尾に下がると、M氏を先頭に皆さんそれを追う。M氏はドッグレースの機械のウサギの様に皆さんには絶対追い越せない存在なのだが、犬達は一生懸命兎を追いかけていく。


県内屈指のこの高速ステージも、高速故に直ぐに松ノ木トンネルに入って行く。トンネルの中には車がいて我々はその後ろに着き出口を待ち、トンネルを出ると同時に車の前に出てステージ
後半に備える。

トンネルを出て少し行くと道路右側に何とかと言う水の出ている場所があるのだが、そこが丁度超高速の右コーナーになっていて私の楽しみなコーナーになっている。しかし、いつも水を汲む人や車がウロチョロしている為、注意が必要な場所になっている。慎重に探りながらコーナーに入って行くと今日は人や車が少なく走行に支障は無さそうであった。


◆ガス欠寸前?

その後幾つかの中速コーナーを楽しんだ後、笹子のJAスタンドに飛び込む。既に秋田から230km以上走行しており、以前のTZRだったらとっく予備タンに入って給油ポンプのお世話になっていたかもしれない距離であった。

しかし私のGSX−Rは、予備にも入っておらずガス欠の事など私の頭の中には全く無かったのだが、ガス欠を心配していたライダーが約2人いた事を給油後の談笑で知る事になる。

ZX−10RのA氏は、稲川町付近を走っていた頃から予備のランプが点灯していたようで、ガス欠を心配して走っていたと言う。実際、ZX−10Rの16Lタンクには16L弱入ってしまったそうでガス欠寸前の状態であったらしい。

そしてブラックバードのN氏もガソリンの残量を心配して走っていたらしい。ガソリン残量を心配しながら走っていた2人であったが、松ノ木トンネル・スペシャルステージの走り方は正反対のものだった。

A氏は段差でZXのフロントが暴れる位アクセルを開けて走っていたが、N氏は後ろに下がって省燃費走行をしていた。そして給油の結果はA氏は先ほど述べた通りで、N氏はタンク容量が大きい事もあってガソリンの量は大分余裕が有った模様である。

2人の対応の違いは、性格の違いから来るものかもしれない?


◆猿倉温泉を楽しむ

給油と休憩を取った後、鳥海町の 猿倉温泉 鳥海荘 に向かう。国道108号から分かれ猿倉に登っていくと、流石に豪雪地帯である道路の周りにまだ多くの雪が残っていて空気もひんやりとしている。

鳥海荘の脇を抜けて裏側に回り温泉入り口の前にバイクを停める。ここの温泉は入浴料350円、温泉は透明な少しぬるっとしたお肌に良さそうなお湯である。この温泉の売りは鳥海山が真正面に見える露天風呂で、真っ白に輝く鳥海山を見ながら入る露天風呂は大変気持ちが良かった。

温泉から上がってまずはアイスクリームで体のほてりを押さえ、次に瓶入り白牛乳で水分を補給する。ここの瓶牛乳の蓋は紙製のただの丸パッチで、販売機の横には蓋を取る時に使うピンが先に付いた道具がぶら下がっていた。

普通はこの道具を使って蓋を取るのだが、昔これだが無かった時爪先で端から少しづつホジホジして蓋を取ったのを思い出す。最近は道具を使わないで蓋が取れる様に細工されている物が多く、この道具を使うのは暫くぶりだった。まだこの形蓋が残っていたとは、ある意味驚きであった。

それがどんな道具だったか皆さん知っている人は知ってると思いますが、その写真を撮るのを忘れてしまいました。すみません。

後には日本海が光っていた


後には白く輝く鳥海山




◆由利原&仁賀保高原を走る
我々はまだ温泉の温もりが残った体で走り出す。まず猿倉から矢島の花立に向かう。紅葉の時期には車が多く止まっているこの道も、今日は車が少なく快適に走れる。

昨年の最終ツーリング同様、M氏の後姿を見ながらの走行となったが、今日はYZF750SPではなくR1に乗ってM氏は前を走っている。ここを走るM氏の後姿は、何に乗っても活き活きとして楽しそうである。

慣らしも大分進んで回転も上がってきたGSX−Rだが、M氏の後ろにピタリと着くパフォーマンスはまだ無く、私は遠くからM氏の走りを眺めるだけだった。

矢島スキー場入口で全員まとまり花立、南由利原高原を通過し仁賀保高原の登りに差し掛かる。ここもM氏を先頭に駆け上がり、そのまま仁賀保方面に下る。我々は、下り切る手前に在るパーキングにバイクを停める。

このパーキングからは、眼下に日本海と仁賀保の町並みを、そして南には鳥海山が眺められる。景色を楽しみながら休憩を取る事にする。

話は今回初めてFUNKYに加わったZX−10RやGSX−R1000、そしてM氏のR1が話題の中心となった。新しいこれらのバイク達が、今年のFUNKYを変えていく事になるのだろうか。

休憩後また仁賀保高原に引き返す。ここからの登りでは、中速の深いコーナーリングを楽しむ事ができ、深くバンクした状態が長く続く。これが何とも楽しい。

しかし、道の途中がまだ工事中でそれが中断してしまうのが何とも惜しいのだが、今年中には完成しそうな感じで一日も早い完成を望たい。是非今年の最終ツーリングは、全線完成したこの道を走りたいものである。


◆M氏の独壇場

仁賀保高原からの下りでもM氏が後続をブッチ、K氏も置いていかれる。四角井戸溜池からコロニー入口までの区間でもM氏の快走は続く。この区間は横道など危険な個所が多々有る道なのだが、M氏は危険個所を探りながら走っても尚且つ速い。

しかし、M氏がここで最速なわけではなく、彼はここをホームとするライダーに何度も抜かれた経験を持つと言う。ブラインドコーナーでもあたかも先が見えているかの様にコーナー進入して行く彼らに、ブラインドコーナーでは必ず探りなから進入するFUNKYの走りでは彼らに置いていかれて当然なのだが、M氏の気持の中に悔しいとかそれを追いかけようとかの気持は、全く起きないようである。

FUNKYとは求めるものが違う彼らの土俵にFUNKYが上る事は無いのだが、彼らにはくれぐれも命を大切にして走ってもらいたいと思う。自爆なら自己責任で済むが、相手が有る事故の場合他人の人生まで狂わせてしまう事になるのだから・・・。

コロニー入口から黒森川貯水池方面に上って途中から左折、国道7号の本荘水沢に出る。子吉川を渡って国道7号を北上しホテルの所から山を越えて国道105号に出る。後は
いつものコースで大正寺に出て小種に渡りグリーンロードに入る。

グリーンロードもM氏の通い慣れた道。先頭をM氏に任せ私は後ろから皆さんに混じって走る。GSX−R1000も8千回転まで上げて走るようになって、皆さんから遅れない走りが出来る様になって来た。

県立公園に向かう交差点を過ぎ、M氏を先頭に皆さん一段とペースアップする。後から見ていると皆さん速い遅いではなく、各自の判断で道路状況を見て走っているのが分り安心して着いて行く。

国道13号に出て直ぐに大張野方面に右折する。この先のワインディングで少し頑張ってみた私だったが、コーナーを2〜3個行った左コーナーでブレーキのタイミングを間違い大きく膨らんでM氏に先頭を譲る。

低い回転数では良く効くと思っていたGSX−Rのブレーキも、回転数が上がってスピードが乗って来るとTZRの様には効かない様である。しかしこの時まだGSX−Rのブレーキの当たりは完全ではなかった様で、後日200km位走った後には違う効き味を見せていた。

次回から参加するであろう
GSX−R K5 (ブルー) と共に

◆今年のFUNKYは変革の年に・・・?
PM6:10 無事秋田に帰って来た。走行距離はピッタリ400kmであった。今回は2005年シーズン初めてのツーリングとあって、皆さん体が慣れていなかったり新しいバイクになれていない状態であったが、毎シーズン最初のツーリングはこんなもんなんです。

しかし、今回新しいく導入されたハードウエアーがFUNKYへもたらす影響は少なくないように感じた。GSX−Rはまだ8千回転までしか上げていない状況の中でも、TZRとの加速力の差は歴然としていた。

先頭がTZRに乗っているのとGSX−Rに乗っているとでは、追い越し一つ見ても全体の動きが変わってくるのは当然であろう。追い越しが速くなるという事が危険度が増すと言う事ではないが、各自新たなスピードレンジに対応する判断力を身に付ける事が必要になるだろう。

速いと言う事はそれだけ状況を判断する時間が少なくなるという事だから、先頭を走る者はいかに危険な状況を避け取り除いていくかをより一層自覚する必要がある。

1時間以上バイク談義に花を咲かせた後、N氏のニューマシン’05 GSX-R1000 と共に写真を撮って解散となった。

次回は竜飛まで行く予定です。


2005 FUNKY 1st.TOURING




Report By Ryuta


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