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     2005年 7月16〜19日
                プチ 北海道 ツーリング


 北海道の美味しい食べ物、ニセコの道、そして温泉と
           道南を満喫したツーリングとなりました。

                    
Report by Ryuta   



1日目 (16日土曜日) 
秋田
⇒比内⇒十和田南インター⇒東北自動車道⇒青森⇒青森フェリー乗り場

2日目 (17日日曜日)
東日本フェリー AM1:10発 函館行き ⇒ 函館着 AM5:00 ⇒大沼公園⇒八雲⇒今金⇒瀬棚⇒
寿都⇒岩内

⇒神恵内⇒神威岬⇒積丹⇒余市ニッカウイスキー休憩 
海鮮工房 かきざき(昼食)⇒国道5号⇒国道276号⇒岩内

⇒ニセコ⇒五色温泉旅館 宿泊


3日目 (18日月曜日)

五色温泉⇒岩内⇒ニセコ⇒岩内⇒ニセコ⇒倶知安⇒喜茂別⇒美笛トンネル⇒支笏湖⇒伊藤温泉⇒千歳⇒早来

⇒厚真⇒浜厚真⇒苫小牧東港発 PM7:50 新日本海フェリー ⇒ 秋田港

4日目 (19日火曜日)
秋田港着 AM7:45 
⇒モト ワークス ヒラタ   全走行距離 866km







カメラマンは今日見送り組のM氏




上小阿仁の道の駅
ナトリウム灯に照らされるバイク達













東北自動車道 津軽サービスエリアで休憩


タバコ休憩?











































フェリーに乗っている時間が4時間弱と
寝るにも何とも中途半端な時間である。

 ●今回の北海道は九月のいつもの北海道ツーリングと違い道南を2日間で周るプチ北海道で、ニセコのワインディングや積丹半島を走り北海道の食や温泉を堪能する予定である。


▼7月16日(土) 夜道を走って青森フェリーターミナルに向かう
今回のPuti北海道の参加者は、隼に乗るU氏、ZX−10RのA氏、6年ぶりにFUNKYに参加するT氏、そして私の合計4名である。

集合時間は午後の8時、8時5分前になってもA氏が現れない。7時半には来ますからと先日言っていたA氏が来ない。A氏の携帯に電話を入れてみると呼んではいるが出なかった。出ないという事は向かっていると判断し、少し待って見る事にする。

8時少し前元気のよい排気音を立ててA氏が到着する。我々の見送りに来ていたM氏に集合写真を撮ってもらった後、8時過ぎ青森に向け出発する。先頭はTZR250Rに乗る私、二番手は隼のU氏、三番手はいつも私が乗っているGSX−R1000のT氏、最後尾をZX−10RのA氏にお願いする。

夜という事でそれなりのペースで走っていたのだが、少しペースを上げるとT氏が遅れがちになりペースを落とし待つ事になった。そんな事を繰り返しながら、上小阿仁の道の駅に到着する。

T氏に聞いてみると遅れる原因の一つは、前がよく見えない為で怖くてスピードを上げられないと言う。彼のヘルメットも彼同様6年ぶりに使われていて、使用するに当たってシールドの外側は掃除してきたのだが、内側は掃除してこなかった。(アライのシールドを外す時サイドのカバーをあおる為、プラスチックが古くなっているので壊れるのを嫌った。)

彼のシールドはライトスモークにミラーコーティングした物で夜は見づらいのは確かだが、そんなに見えない筈は無いとシールドを外し内側を掃除してみる。やはりシールド内側には6年間の埃が付着していた様で、掃除したら大分視界は回復して私の目では普通に走れる状態になった。

T氏は前の状態のままでは青森に無事着けるかどうか不安になったいた様だが、これで不安材料(他にも有ったらしい。)は幾分解消されて、それ以降大きく遅れる事は無くなった。


▼夜の高速走行

上小阿仁の道の駅を出て国道285号を北上、比内に出て東北道の十和田インターに向かう。

インター入口で各人チケットを取り、中に入って所で全員のチケットを私が回収して走り出す。これは高速を出る時一人づつ精算していると手間取るので、私がまとめて精算する為である。

夜の高速を走るのは久しぶりで、車の流れより少し速い程度のペースで走る。夜でも昼でも同じだが、私は高速道を法定スピードを大きく越えて走る事は殆んど無い。

私は走りを楽しむ為に高速道に乗る事は無く、高速道を利用するのは時間を短縮したい時で、信号も無く神経を使わないで走れ時間が読めるところが高速道の良いところである。

もし、高速で走りを楽しもうとしたらそのスピード域は相当高くなり危険度が増すし、高速隊が手薬煉引いて待っている所に自ら飛び込むのも能が無い。それを気にして走っても楽しくは無いし、我々が求めているものはスピードではなく、安全(あらゆる意味で)に楽しく走る事なのだ。

津軽サービスエリアで休憩を取った後、青森インターで東北道を降り国道7号に出る。国道7号に出る所の信号に捕まり信号が変わるのを待っていたが、一向に変わる気配が無かった。。

もしかしてと思い周りを見渡して見ると、道路脇にバイク用の押しボタンを発見する。道路側のライダーにボタンを押す事を支持し暫くすると信号が青に変わった。この信号機は感応式であった様で、我々に感知器は反応しなかったようだ。

発進の時、正面の信号機の下に感応式信号の看板がぶら下がっているのを発見する。バイクを感知する装置を技術立国の日本が作れない事は無いと思うが、日本の交通社会ではバイクは少数派で、わざわざバイクの為にコストを掛けて装置を開発する気は無いのだろう。皆さんも信号が変わらない時は周りを見渡してボタンを探しましょう。

国道7号に出た所のGSでガソリンを補給、私のTZRは19km/L以上の高燃費であったが、皆さんもここまでアクセルを全開にする事は無かったので燃費は良かったようだ。特に今回の参加車中いつも燃費が悪い隼は、私と同程度の燃費であったようで特に燃費が良かったようだ。


▼久しぶりの青森フェリー乗り場

青森フェリー乗り場にPM11:40分頃到着する。事務所横のバイク置き場には既にバイクが10台位停まっていて、その中には秋田ナンバーも見られた。5〜6台位の秋田ナンバーの車種がまた変わっていて、KR250等KAWASAKIの結構古いバイクが並んでいた。

我々がその横にバイクを止めた時、彼らは我々に一瞥をくれて建物の中に消えていったのだが、そのバイクを見た私は、「こんな古いバイクで北海道を走った大丈夫か?」と心配してしまったが、それは余計な心配であった事が後に分かる事になる。

バイクを置いて受付カウンターに乗船手続きに行ったのだが、久しぶりの事で自分のバイクのナンバーを覚えて来るのを忘れてしまい、またバイクの所に戻る事になってしまった。以前はキーホルダーにナンバーを書いていたのだが、最近は新日本海フェリーに乗る事が多く、事前に乗船券を購入しているため乗船票にナンバーを書く事を忘れていた。


▼旅には思わぬ出会いがある

遅れて乗船手続きを終えた私は、2階の待合室に行き皆の姿を探したが見つけらず奧に有るラーメンショップに行ってみた。するとそこにいたのは、FUNKYメンバーではなく駐車場にいた秋田ナンバーのKAWASAKI軍団の連中だった。

「ウォー!久しぶりー!」
お互い顔を見合わせ大きな声が上がった。

何とそれは十数年ぶりの再会であった。その連中は昔一緒にツーリングに行った事もある連中で、そこには懐かしい顔が並んでいた。10代だったその頃の記憶と比べると彼らも其れなりに年齢を重ねすっかり大人(オジサン?ゴメン!)になっていたが、当時の面影がそれぞれに有って懐かし顔だった。

特に横倒しになって滑って行くフェザー(ヤマハの250cc)の上に、サーフボードに乗る様に立った経験を持つF氏は懐かしかった。彼は昔と変わらない体形で顔も昔のままだった。・・・と言う事は、10代の時が老け顔?

彼らはこの連休を利用して函館に泊まりに行くとかで、缶ビールを開けて盛り上がっていた。彼らの場合青森までがツーリングで、古いKAWASAKI車で北海道に渡っても何も問題は無かったのである。

話は尽きなかったが他のメンバーを探していた私は、「またフェリーの中で・・・。」と言ってラーメン屋から出る。私は外のベランダに出るドアを見つけて外に出てみると、皆さんはそこにいた。館内は禁煙であった様で、彼らはタバコが吸えるベランダに陣取っていたのだ。ここで乗船時間になるまで時間をつぶす。


▼中途半端な乗船時間

7月17日(日)AM0:40過ぎ、KAWASAKI軍団に続いて乗船する。最近は大きなフェリーの2階フロアー(秋田〜苫小牧東、八戸〜苫小牧)に乗る事が多く、久しぶりに一階フロアーにバイクを止め階段を登る。青函のこの時間帯のフェリーは、昔から使われている古く小さい物で、船内の作りや雰囲気が何とも懐かしい感じだ。

KAWASAKI軍団と同じブロックに荷物を置いて場所確保、結局このブロックは秋田弁のグループが占拠する事になった。フェリーが青森を出港するのがAM1:10、函館に着くのがAM5:00で乗船時間は4時間弱、寝るには何とも中途半端な時間である。


起きて天気予報をチェック
今日雨は無さそうなのだが。









函館山を見るのも久しぶり。



バイクの下船は車の後。



大沼公園で休憩したのだが、
駒ケ岳は雲に隠れて見えなかった。


八雲のローソンで朝食休憩





















瀬棚 三本杉岩のパーキング
海水浴場の駐車場になっていた。




海岸の砂浜にはテントが並んでいた。
この時期、日本海沿岸には札幌方面から
キャンパーが大挙押しかけるらしい。


▼今日は雨の心配は無い?
私は出来るだけ寝る時間を取ろうと耳栓を捩じ込んで直ぐに横になったのだが、寝た様な目を閉じていただけの様な曖昧な意識の中で4時半に目を明ける。多くの皆さんはとっくに起床されていて、私も急いで顔を洗い着替えて下船の準備をする。

テレビの電波は北海道のテレビ局に変わっていて、北海道の天気情報を流している。それによると今日の道南地方に雨マークは出ていなかったが、曇りのマークが目立つ。この時期、雨も嫌だが暑いのも嫌いだから曇ってくれた方が気温が上がらず好都合ではある。

天候がどうであろうと路面がドライでありさえすれば文句は無いのだが、こればっかりは行ってみなければ分からない。

下船時間になり船室から出ると遠くにぼんやりと函館山が見えている。考えてみたら函館山を見るのも久しぶりだった。秋田と苫小牧東港を結ぶフェリーが出来てからは、函館に上陸する事も無くなり函館山を見る事も無かったからだ。


▼函館山の思い出

その昔、午前4時前のまだ暗い函館港に上陸した我々は、その足で函館山に夜景を見に行った事があった。当時、函館山山頂への道は二輪車の通行が規制されていて二輪車で山頂には上がれない事になっていた様だったが、その時の私は二輪車進入禁止の標識を見落とし?山頂の駐車場まで行ってしまった。

少し明るくなり掛けた函館の夜景を観賞した後、無事函館山を下りてそのまま北に向かい道北の中川温泉まで走った事を思い出す。現在函館山の二輪車規制がどうなっているのか私は知らないが、皆さんは標識をよく確認して行動する様にして下さい。

バイクの所に行き固定用のタイダウンベルトを外し下船の準備をする。バイクは車が降りた後になるので暫く待たされた後、我々は湿った感じの函館港に上陸し国道227号を使って大沼公園に向かった。


▼駒ケ岳は見えず

休憩を兼ねて特徴的な山容を持つ駒ヶ岳を見に大沼公園に行ったのだが、残念な事に駒ヶ岳は雲が掛かっていて見えなかった。久しぶりに訪れた大沼公園広場は、綺麗にタイルが敷き詰められて様変わりしていたが、基本的に記念撮影用の台も有ったし変わっていなかった。しかし、沼の透明度は確実に落ちている様に見えたのは少し残念だった。

大沼公園を出て国道5号に戻ると、交通量は相変わらず多くペースは上がらない。この函館〜長万部間の国道5号線は、交通量が多いのに加え警察の方々の勤労意欲も旺盛な所で、車の後ろに着いて走るに限る。

国道5号が内浦湾沿いに出ると日が出てきて青空も見えてくる。八雲のバイパスから熊石方面に向かう国道277号に左折した所でローソンを見つけ、朝食を兼ねて休憩を取る事にする。


▼貧乏人のヒガミ?

我々がバイクを停めた直ぐ後、1台のハーレーのトライク(三輪車)が長く大きく傾いたフロントホークを突き出してパーキングに入って来る。続いて函館ナンバーのハレー軍団がパーキングに入って来た。

今ではハーレーの集団など珍しくもないが、さすがにトライクは珍しく見てしまった。私だったらトライクを買う金があれば高級外車(四輪)を買うと思うが、これは貧乏人が考える事でトライクを買う人は高級外車も持っているんでしょうね。 キット!

これから先、山に入りコンビニも無いと思われるので、ここで朝食を取る事にする。朝食と言っても私の場合はサンドイッチ、皆さんもおにぎり等軽い物を胃袋に入れただけだったが、これ以降再び固形物を食べたのが7時間も後の事になろうとは、その時の我々は考えていなかった。


▼峠を越えると・・・・

コンビにを出た我々は、山を越えて今金を目指す。これからが北海道の本番の道で、私は徐々にペースを上げて行く。道幅はそう広くはないが交通量は少なくそれ成りに楽しめる道で、私の後には少しスペースが出来ていた。

北檜山方面への分岐で私は後続を待ったのだが、GSX−Rに乗るT氏がなかなか来なかった。昨晩と違って視界は良い筈だしどうしたのだろうと思っていたら、T氏は初めて乗るリッタースーパースポーツのパワーに感覚が追い付かず、加速するにもブレーキを掛けるのにも苦労していたらしい。

揃ったところで再び走り出した我々が峠を越え今金町に入ると雲行きが怪しくなってきた。雲は低く靄が掛かってシールドに水滴が着く様になり、路面も次第にウエットの変わってくる。こうなるとペースは落ちて走っていても楽しくはない。フェリーの中で見た天気情報では雨のマークは無かったのにどうしたことか。

どうも日本海側と内浦湾側では、間の山を境に天気が違っている様である。これは前回のFUNKYツーリングの時と同じく奥羽山脈
を境に宮城県と山形県の天気が大きく違っていたのと同じ現象のようだ。標高が下がって今金の街に近づくと路面は乾いてきたが、空はどんよりしたままだった。


▼ガソリンが心配

青森でガソリンを給油してからまだ150kmも走っていなかったが、私はガソリンスタンドを探していた。この先の瀬棚を過ぎると寿都までGSは無く、日曜日の今日は休業のGSが多いと考えられ、私は早めの給油を考えていたのだ。

今金の街に入るとENEOSの看板が見え電灯が点いているのが見えた。我々はそのGSに入り北海道最初の給油を行う。大してアクセルを開けていないので皆さん高燃費の様で10リットルも入らずGSの方には申し訳なかったが、これで安心して岩内に向かえる事になった。

何でそこまでガソリンの事を心配するかと言うと、以前早朝に日本海岸沿いを走っていて寿都でガソリンが無くなりGSの前まで行ったのだが、GSがまだ明いておらず困った事があったのだ。

給油を終え北檜山に向かうと、彼方此方のGSが開いているではないか。国道230号と国道229号の交わる所に在る思い出のJOMOのGSも開いていた。この時期GSが朝早くから開けていた理由は、もう少し先まで走って分かる事になる。


▼思い出の地 瀬棚

瀬棚の街に入り私は21年前FUNKYが初めて北海道を訪れた時泊まった民宿おがわを探していた。そしてそれが以前と同じ場所に同じ姿で建っているのを発見した時、私は何となくホッとしていた。

21年前の1st.北海道で日が沈みかけた瀬棚に到着した我々は、お店のオバサンの紹介で泊まったのが民宿おがわであった。FUNKYが北海道で初めて泊まった記念すべき宿が民宿おがわなのである。

我々は瀬棚の三本杉海水浴場のパーキングにバイクを停め休憩する。このパーキングには以前にも止まった事があったが、海水浴場の看板は無かったと記憶している。海岸の砂浜にはテントがズラリと並んでいて、すっかりキャンプ場になっていた。

夏には札幌方面から海水浴客が押し寄せるとは聞いていたが、結構な数のキャンパーが泊まっている様である。しかし、今日の天気は海水浴には少し寒そうな感じで海に入っている人はいなかったが、子供達は波打ち際で波と戯れていた。

私も子供が小さい時には家族で海水浴場でキャンプした事があったが、その時とはテントやキャンピング道具が全く違っていて時代の違いを痛感してしまった。昔は普通だった三角屋根のテントは見られずみんな大きなドーム型のテントだし、パラソル付きのテーブルにバーベキューセットは皆さん持っていらっしゃる。

皆さん判で押したように同じ道具でキャンプをしており、さすがに日本人?と変なところに感心してしまった。


寿都のセイコマートにて休憩。


雷電トンネル付近のトンネルで工事。断崖絶壁が続く日本海岸沿いの道にはトンネルが沢山有るのだが、険しさゆえに崩れる事が多く工事が多くの場所で行われていた。


岩内のJOMOGSで今日2回目の給油。
▼21年前走った海岸線の道は・・・
瀬棚を出て寿都に向かう。この道は私が初めて北海道の道に感動した思い出深い道で、21年前私はRZ125Sに乗ってアクセル全開でここを走った。それはまさに太陽が日本海に沈もうとしている時で、夕日が断崖絶壁の景色を照らし出し見る物全てをオレンジ色に染めていて感動ものの71km、39分の走りであった。。

今回私はその時の感動をまた味わおうと期待していたのだが、道路状況が以前とは少し違っていて前の様に全開で走るというわけにはいかなかった。道路自体はそんなに変わってはいなかったが、沿線の人家の数が多くなったようでスピードを落とす回数が多くなってしまったのだ。

交通量が多かったのは海水浴シーズンの日曜日だった事もあるだろうが、21年の時の流れが交通量を多くしてしまったのだろう。


▼北海道ではSeicomart

そんな事も有って以前走った時のような感動も無く寿都に着いた私はSeicomartを見つけバイクをそのパーキングに入れる。私の中では北海道のコンビニといえばSeicomartなのだが、道南ではローソンやセブンイレブンが多くSeicomartは少数派であるようだ。

ここまで来ると空には青空が出てきて気温も上がってくる。人間は贅沢なもので、曇っている時は晴れてほしいと思うし、晴れて気温が上がってくると曇った涼しい時が恋しくなる。

寿都から岩内までの道も断崖絶壁の海岸線が続くが、以前は無かった雷電トンネルが出来ていて殆んどをトンネルの中を走って通過してしまった。トンネルは冬の積雪期や強風の時安全に楽に通行できるので有用なのだろうが、旅人の立場から言わせてもらえば景色も楽しめず味気ない。

岩内の街に入りGSを探す。これから向かう積丹半島にはGSが少なく日曜日と言う事もあって早目の給油となったのだが、それは余計な心配であった。先ほどの瀬棚もそうだったが、この時期積丹半島は札幌からの海水浴客で人も車も溢れており、GSは一年で最も忙しい時期であったようで、どこのGSも営業していたようである。

そんな事になっているとは知らない私は、岩内のJOMOでガソリンを7.56L給油する。今回も早目の給油であった為、給油量は少なくスタンドの方には本当に申し訳なく恐縮してしまった。


▼積丹半島西側は寒ッ!

岩内では日が差して30℃以上はありそうな感じで暑かったのだが、泊、神恵内と走って行くと段々と暗くなり気温が下がってきた。風も出てきて海沿いを走っていると波の飛沫がシールドに付着しシールドの視界が悪くなってしまった。

以前、休んだ事がある西ノ川原トンネル手前に在る建物(道の駅だったと思うけど?)で休憩しようと駐車場に入って行くと、何とそこは閉鎖されていた。交通量が少なく閉鎖されたのも致し方ないとは思ったが、立派な建物が何とも勿体ない。

我々はそのまま駐車場を出て西ノ川原トンネルに入りカムイ岬に向かった。このトンネルの名前になっている西の川原は、このトンネルがバイパスしている奇岩の海岸で霊場にもなっているとか?

トンネルで通過してしまっては何も分かりません。勿体ない!
















風は右側から強く吹いており、バイクはこの方向に以外置く事は許されない。方向を間違えばバイクが転倒してしまう位、神威岬では強風が吹き荒れていた。


神威岬のパーキングで一服!
強風を避ける為、U氏は看板の陰に身を置く。




余市 ニッカウイスキー工場のパーキング。


無料の休憩所には、無料でウイスキー、アップルシロップ、ブランディー等が試飲できる。しかしここで無料の飲み物の中で一番美味しいのは冷たい水である。


売店に売っていたブランディーアイス。無料のブランディーを飲みながらこのアイスを食べると、アイスの中に同じブランディーが入っているのがよく分かる。今まで食べた事が無い味で美味かった。1個300円、お勧めの逸品である。
▼強風の神威岬
国道229号から別れ神威岬への道を登って行くと次第に風が強くなってくる。駐車場の奥に空きスペースを見つけバイクを停めようとしたのだが、サイドスタンドと反対側から風が強く吹いていた為バイクが倒れそうになる。

このままだと転倒の危険性があった為、我々はバイクの方向を180度転回してバイクを置く。A氏は我々が置いた場所の向かいのにスペースを見つけそこに10Rを置こうとしたのだが、その場所は風が巻いていて風向きが一定せず停めたバイクは不安定な状態になっていた。


▼風の悪戯

それはまずいとA氏は我々の置いた場所に10Rを移動しようと後ろ向きに押していたその時、更なる強風が10Rを襲いフロントカウルの中に置いていたA氏のグローブを吹き飛ばしてしまった。

普通だったらそれはグローブを拾えば済む事だったのだが、グローブが地面に落ちた瞬間中からA氏のメガネが飛び出してしまった。A氏はメガネを保護する為グローブの中にメガネを入れる事を日頃から心掛けていて、それが裏目に出てしまった格好だ。

それでも地面に落ちたメガネを拾えばレンズに傷が付く程度で済む事だったのだが、あろう事か飛び出したメガネが10Rを押していたA氏のブーツの下に滑り込んで行ったのである。

これはその一部始終を見ていたU氏のから聞いた話なのだが、それはCGで作らなければ有り得ないタイミングであったらしい。

その結果、A氏の縁無しのメガネはA氏のブーツの下で2つに分割されその屍を地面に横たへる事になったのだが、その時のA氏は風と戦いに集中しておりブーツの下で起きていた事など知る由も無かった。

これを 「隔靴掻痒」 と言う。  違うか?

10Rを移動し終え一息付いていたA氏に、U氏は心ならずも2つに分断されたA氏のメガネを差し出す。

「何でそうなるの?」  古ーッ!

きっとA氏の心境はそうだったと私は想像する。A氏が暫しその場に立ち竦むと思った私の予想は見事に裏切られ、A氏の反応は以外にあっさりしていた。

破壊されたメガネが昔作った古い物だった為なのか、A氏の顔に落胆の表情はあまり見受けられず、プラスチックレンズだから瞬間接着剤で着くだろうと楽観的なA氏のコメント。さすがにA氏、余裕です。

予定では神威岬を観光に行く事にしていたが、風が強くそんな気も失せてしまった我々は、一服した後何の為に来たの分からなかった神威岬を後にする。


▼積丹半島は真夏の装い

神威岬から積丹岬に向かう海岸線には海水浴客と車が溢れいて、とても北海道とは思えない賑わいで湘南海岸にでも来ているようだった。空も青空と白い雲が眩しい真夏の空に変わっていて、気温も30℃はありそうで革のウエアーを着てゆっくり走っている場合では無くなってきた。

とは言えここを進むしか我々に選択肢は無く、ジッと我慢の子で余市を目指す。この時期、我々の様な輩が積丹半島に足を踏み入れてはいけない事を知る。今後気を付けます。


▼ニッカ余市工場で涼む

余市の街には入りニッカの工場に向かうと、工場の手前に道の駅スペースアップル・よいちなる物が出来ていた。何でスペースなのかと思ったら、宇宙飛行士の毛利さんが余市出身だと言う事で宇宙に関した道の駅になったようだ。鷹巣の道の駅に綴子大太鼓が置かれているのと同じ事?

ニッカウヰスキーの工場見学を休憩を兼ねて考えていたが、この暑さの中を歩き回るの嫌だし、この際涼しい場所で休憩する事を私は考えていた。昼食は余市駅前の海鮮工房かきざきで食べる事は決めていたので、まず海鮮工房の場所を確認に行く事にする。

余市駅前から右折して国道5号に出ると右側に海鮮工房が見えて来る。昼時とあって店の前には長蛇の列が出来ていて、中に入るには暫く待つ必要がありそうだ。駐車場も有ったが、車が溢れていてバイクを停めるのも大変そうであった。

我々はそのまま海鮮工房の前を通り過ぎ、ニッカ工場の裏口にあるゲストハウスに向かう。パーキングにバイクを停めゲストハウスの中に入ると冷房が効いていて思わず「極楽極楽」と言いそうになる。

ここの二
階にある試飲ホールでは、工場オリジナルウイスキーのほかワインやブランディー(アルコールなしのソフトドリンクもご用意されている。本当はここの水が一番美味しいのだ。)の試飲を無料で楽しむ事が出来るので、休憩場所としては最高の場所である。まして冷房も効いていて、暑い時期これ以上の休憩場所は有り得ないだろう。

早速二階に上がり各種ドリンクを味見してみる。このフロアーは今では珍しく全面禁煙ではなく隅の方に喫煙場所が作られていて、私を除く3名はそこに行って時々煙を吸っていた。


▼ブランディーアイス

私は同じフロアーにある売店でブランディーアイスなる物を発見し購入してみる。これがまた思わぬヒット商品で、試飲コーナーから貰ってきたブランディー嘗めながら食べると同じブランディーが入っているのがよく分かる独特の味の美味しいアイスだった。ブランディーとアイスクリーム、この組み合わせは有りで、皆さんこのアイスクリームはお勧めです。

海鮮工房の行列を見てしまった私は、昼時を避けなるべく遅めに海鮮工房に行く事に決めて午後2時過ぎまで休憩した後、海鮮工房に向かった。


JR余市駅の直ぐ傍、国道5号に面している柿崎商店二階の海鮮工房。行列が出来ているので国道を走っていれば直ぐに分かる。



20〜30分位は待つが、待つ価値有り。





ウニ丼白とイクラ丼




これが高級ウニ、エゾバフンウニのウニ丼赤。
色の違いがお分かりだろうか。



シャケ汁の量も半端じゃない。
ジャガイモも入ってこれだけでお腹いっぱいに。




うに丼を食らう。食らう。食らう。
味も量も値段も文句無し。




ホッケの干物218円。 旨い!



駐車場は屋根の掛かった所とその手前のスペースだけで、店の前には車が溢れている。バイクは駐車場の隙間に置ける場合が多いので、意外と苦労しないで置けると思う。
▼海鮮工房はいつでも行列
先ほど見た海鮮工房の駐車場は狭くバイクを停められるかどうか分からなかったが、まずは行ってみる事にする。すると車はいっぱいであったが、バイクを置ける隙間は有りそうだった。

私は車の間を抜けて奧のスペースにバイクを滑り込ませ、後続の皆さんを誘導し何とか全員駐車する事が出来た。バイクの場合、駐車場がいっぱいでもバイク置けるスペースは有りそうである。

バイクを置いて海鮮工房の入口に行ってみると、先ほど通った時と同じ位の行列が出来ていて、どうもこのお店時間に関係無く混んでいる様である。私は基本的に待つのが嫌いで並ぶのは苦手なのだが、朝からろくな物を胃袋に入れていない我々はここまで来て帰るわけにもいかず行列の最後尾に並んだ。

並んでいる場所が日影にはなっていたが、革を着ている我々に取って外で並んでいるのは暑くて結構辛かった。交代で並んでいる人もいるようで、列の前方に進んで行くと後から人がやって来たりして、我々が店内に入ったのは並んでから30分が経過していた。


▼海鮮工房システム

海鮮工房では入口横のレジで自分の食べる料理の食券(レシートには番号が書いてある。)を買ってから、空いている席に座って料理が運ばれて来るのを待つ方式を取っている。運ばれて来る料理の順番は、レシートの番号順ではなく料理に寄って多少順番が前後するようだ。

我々はここでウニ丼やイクラ丼を食べる事を楽しみにやって来たのだが、店内に入りその値段を見て驚いてしまった。 イクラ丼 714円。安い!  ウニ丼は時価となっていて別の札に価格が表示されていた。 そこには ウニ丼赤 2060円 と書かれていた。


▼脅威のウニ丼

「ウニ丼が2060円か。以前観光地で食べた時は2500円だと思ったから安いな。」 と私はその時思った。すると店員さんがやって来て、ウニ丼赤の横に下がっていたウニ丼白の札の下に有る値段の札を引っくり返した。

ウニ丼白 1110円 とそこには書かれていた。 ウニ丼が1110円? 安い! 安すぎる! 私は驚くと共に、疑問を持った。

ウニ丼の白と赤の違いは何なのか? 何故値段が違うのか? その答えはレジ横の立て札に書かれていた。

それによると赤ウニとはエゾバフンウニの事を指し、色が赤みを帯びている事から赤ウニと呼ばれているらしい。

そして白ウニとはムラサキウニの事を言うらしいく、色は黄色で本土では普通この白ウニの事をウニと読んでいるようだ。

この説明からすると私が以前食べたウニ丼は色から言って明らかに白ウニであったのだが、2,500円もした。それがここ海鮮工房では1,110円で食べられるとは、入口に長蛇の列が出来るのも当たり前の値段である。

そこで私は悩んでしまった。まだ食べて事のない赤ウニは食べてみたいし、赤ウニと白ウニとの味の違いも確かめてみたい。そして、イクラ丼も食べてみたい。しかしそれは今回参加していないN氏でなければ成し得ない事で、凡人の私には不可能な事であった。

そこで私が出した結論は、ウニ丼赤とウニ丼白とイクラ丼をT氏と半分づつ食べる事であった。その時の私は、どうせ丼の量は少ないだろうから丼1杯半は楽に食べられると考えていたのだが、その読みが間違っている事をその後知る事になる。

A氏とU氏もウニ丼白とイクラ丼(大盛り)1.029円を半分づつ、それに シャケ汁399円 を両人共に頼んでいた。A氏はそれプラス カニサラダ399円 も注文する。朝からろくに食べていなかったその時の皆さんは、それら全てを完食出来ると考えていたようだった。


▼そしてそのお味は

席に着き暫く待った後、318番が呼ばれまずウニ丼白とイクラ丼が運ばれて来る。お新香と味噌汁が付いて運ばれて来た丼は、結構なボリュームで1杯でお腹がいっぱいになりそうである。

続いてウニ丼赤が運ばれて来る。確かに色が少し赤っぽく見た目は白とは違っていたが、問題は味である。私は最初に赤ウニを食べてみた。その味は普通にウニの味で美味かったのだが、白ウニを食べてみないと味の違いは分からない。

次に白ウニを食べてみる。白ウニを食べてみて赤ウニとの味の違いが分かった。確かに赤ウニの方が味に深みがあるように感じられたが、その味の差が1000円分あるかと聞かれたら、私は無いと答えるだろう。

ウニ丼白で充分美味しいウニ丼を堪能出来るので、後学のためにウニ丼赤を食べるのは良いと思うが、皆さんには普通はウニ丼白をご注文する事をお勧めする。ウニ丼赤を一つ頼んで皆で味見すればそれで充分であると私は思う。これは貧乏人が考える事で皆さんは赤ウニをどうぞお食べ下さい。

そして各人が注文した丼を食べ始めた我々であったが、次第にその食べるスピードは落ちていく事になる。私とT氏は何とか3つの丼を完食する事に成功したが、U氏とA氏はイクラ丼を大盛りにしたのが裏目にでて、シャケ汁に入っていた大きなジャガイモを残していた。

シャケ汁を少し飲ませてもらったが、シャケの出汁がよく出ていてこれがまた旨かった。とにかく一つ一つの量も味も充分満足出来るレベルで、この店が繁盛するのは当然であるとの結論に達した。

A氏は、時間とレシートの番号から1日のお客の数、客単価等を推定し1日の売り上げ金額を推定していた。その結果1日の売上金額を300万と推定した。当たらずも遠からずか?


▼追加オーダーの方法

お腹が膨れたA氏は、腸に刺激を受けてしまったのだろうかトイレに立って行った。私は我々の隣のテーブルで母娘が食べているホッケの定食が気になっていて、どうしてもホッケの干物が食べたくなってしまった。

しかし、レジでホッケの食券を買うにはまた並ぶ必要が有るのか分からず、店員のお嬢さんに聞いてみた。親切なお嬢さんは「私が買って来ます。」と言って私からお金を預かり
食券を買ってきてくれた。そして我々は無事旨いホッケ218円を賞味する事が出来たのである。


▼個室の中の死闘

本来ならばホッケを食べる場にA氏が居る筈だったのだが、A氏がトイレから戻った時ホッケは既に我々によって食べ尽くされていた。 A氏遅い! 何故に彼は遅れてしまったのか。そこには筆舌に尽くし難いドラマが有ったようである。

トイレに立ったA氏は、迫り来る便意を感じながら急いでトイレに駆け込み直ぐに用をたそうとした。・・・がしかし、そこでは問題が発生していた。
それは、
問題1.和式のトイレであった事。
問題2.トイレが身動きするのも大変なくらい狭かった事。
問題3.彼が革のレーシングスーツを着ていた事。
問題4.彼は汗をかいていた事。
問題5.レーシングスーツの下はパンツだけであった事。

聡明なる皆様は、A氏に何が起こったかお分かりだと思うが、レーシングシーツを着て和式トイレは使用不可能なのであります。

和式トイレだと知ったA氏は急いでレーシングスーツを脱ごうとしたのだが、汗をかいた足にレーシングスーツのインナーがまとわりついて足がスーツから抜けなかった。更にトイレの中は足を上げるのにも差し支えるほど狭く動きが取れなかったのである。

便意は遠慮なく襲ってくるし、足は抜けないし、外は気になるし、彼はパニック状態に陥ってしまったらしいのだが、いい大人がここでお○○しする訳にもいがず必死でレーシングスーツを脱ぐ捨てたと言う。

レーシング
スーツとの格闘は5分以上に及んだようで、彼が便意から開放され幸せな気分で席に戻ってきた時、ホッケは既に骨と皮だけになってしまっていたと言う訳である。

A氏は今年からレーシングスーツを着はじめ、初めての夏を迎えていた。FUNKYでレーシングスーツを来ているメンバーは他にもいるが、全員長袖のインナーやツナギのインナーを着ている。

それは今回の様な事を起こさない為だが、A氏はインナーを着る意味を話では聞いていた筈だが今まで身をもって体験していなかった為、インナーの重要性を理解していなかったようである。

A氏が北海道から帰って直ぐ、インナースーツを購入したのは言うまでもない。


五色温泉駐車場。
以前建物が立っていた場所だと思うが
前との位置関係が分からない。



昔の混浴露天風呂の写真が壁に飾られていた。


この写真は以前に私が訪れた時のに撮影した露天風呂の写真。


前の五色温泉旅館の正面玄関。解体中であったので、もうは無くなっていると思われる。


日帰りのツーリングでありえない写真。
ビールの自販機前に立つU氏。



部屋に戻ってビールで乾杯。
旨い!!



夕食の料理。テーブル狭しと並べられた料理であったが、遅い昼食(午後3時頃)であった為まだ我々の胃袋の中は満たされており、食欲は湧いてこなかった。


テーブルに着いても苦笑いするだけで
なかなか箸をつけようとしないメンバー。


その時、我々の前にお助けマンが登場する。夕食はまだだと言うZ氏は、誰も蓋を開けようとしなかった鍋を平らげてくれた。 ありがとう!


食事を終え、函館に向かったZ氏。
またお会いましょう。
▼今日の宿 五色温泉旅館へ
北海道の食を十二分に堪能しお腹を大きく膨らませた我々は、午後4時過ぎ余市を発って今晩の宿が在るニセコ五色温泉に向かった。途中、仁木町のホクレンGSで給油するとGSの人が夏の北海道のお約束、黄色い三角旗を私に渡そうとする。

以前は貰った旗をバイクに取り付け走った事もあったが、結局帰る頃にはボロボロになって捨てる事が多く、最近私は貰うのを辞退していて丁重にお断り申し上げた。しかし、その三角旗を収集している御仁がいる事を後で知り、貰っておけばよかったと後悔する私であった。 残念!

私の予定では国道5号の小沢(コザワ)から岩内に抜ける道を走る事にしていたのでまずは小沢まで走る。地図にも大きく載っている道なので当然岩内とかの道路行き先表示の青看板が出ていると思っていたら、小沢に到着してみると何も出ていなかった。

それらしき道は発見したのだが初めての道だったので自信が無く、時間も時間だしもし間違って時間をロスしてしまうと宿に着くのが暗くなってしまうのが怖かった。ここは安全策を取って国富まで戻って岩内に向かう事にする。

岩内に向かう道からは左側にニセコの山々が見える筈なのだが、靄が掛かっていて山頂部が見えていない。これから向かう岩内側からニセコに向かう道は、本日の最大の御馳走でここがウエット路面だったり霧が掛かっていたらもう台無し。何の為にニセコの山の上に宿を取ったか分からなくなってしまう。

岩内の街に入る手前からニセコに抜ける道道66号線に向かうと見覚えの有るクレイルチーズの前に出た。後は五色温泉に向かって一気に駆け上るだけである。


▼ニセコパノラマライン

クレイルチーズの前を過ぎると左側から合流する道に小沢と書かれた青看板が見えて来る。やはりさっきの道で間違いは無かったようである。今後の参考のために覚えておく事にする。

これからがニセコパノラマラインご自慢のワインディングの始まりである。路面も乾いており私は一気にペースを上げる。この道は大きく回りこむ深いコーナーが続くのと、そのコーナーのアールが一定で安心してバイクをバンクさせられるのが特徴で、深いバンク角を大いに楽しめる。

そしてバンクしている時間が長い為、コーナーリング中のフォームや力の入り具合をチェックする時間が持て、練習にはもってこいの道でもあるのだ。今日は走っている車も少なく、ハミだし禁止区間になっても前に車が少なくストレスを感じる事無く楽しく走る事が出来た。

神仙沼のパーキングまで一気に走って後続を待つ。T氏は始めてのリッターバイクに慣れず大きく遅れてやって来たが、U氏は初めて走るパノラマラインに興奮気味であった。A氏は以前ここを走った事は有ったが、スーパースポーツでの走りは初めてで大いにパノラマラインを楽しんだ様である。

FUNKYとしてはクレイルチーズまで戻ってまたパノラマラインを楽しむべきなのだろうが、時間も遅いし楽しみは明日に取っておく事にして我々は五色温泉に向かった。神仙沼から五色温泉までの道も変化に富んだ楽しい道で、私はそこでも大いに楽しんでしまったのである。


▼久しぶりの五色温泉旅館は

五色温泉に到着してみると、五色温泉旅館は私の知っている五色温泉旅館ではなかった。新しく建て替えられた事は知っていたが、どこが入口で駐車場なのかも分からず、旅館の周りをウロチョロしてしまった。

建物の後ろに車が止まっている場所を見つけ、そこにバイクを停める。この場所は以前湯治客用の古い建物が有った所と思われるが、綺麗に取り壊されていてその面影はどこにも無かた。敷地の奧に別館らしき新しい建物が有ったが、私の記憶では以前に内湯が有った場所のように思える。確認しなかったが、多分温泉が有ると思われる。

バイクから荷物を降ろし玄関と思われる場所に向かう。TZRの荷物は修理道具や雨具が入っているだけだったので、レインカバーを被せTZRに載せたままにしておく事にする。しかしその事が後で面倒な事になってしまうとは・・・。

以前、FUNKYが湯治のオバさん連中に二階から声を掛けられた場所に新しい玄関が造られていた。新しい建物はから松材で造られた山小屋風の建物で、中に入って行くと日帰りの入浴客等で結構賑わっていた。フロントで予約を確認した後、我々は二階の部屋に案内される。

案内された部屋はトイレも付いた綺麗な部屋で、我々は荷物を解き着替えて早速温泉に行く。ここにはから松の湯ニセコアンヌプリが見えると言う展望風呂があったが、我々はから松の湯に入る事にする。

から松の湯は私の好きな木で造られたお風呂で、から松材を使った落ちついた造りの温泉だった。熱めの内湯に入った後、露天風呂に行ってみるとこの露天風呂は以前の混浴露天風呂をイメージして造られているのが分かった。

湯船に浮かぶ板、立掛けられた五色温泉と書かれて大板等、それは以前の露天風呂に見られた物だったからだ。しかし、そこから見える景色が違うためか、露天風呂の雰囲気は以前のものとは全く違っていた。

どちらの露天風呂が好きかと問われたら、私は開放的な以前の露天風呂が好きと答えるだろう。しかし露天風呂にも時代の流れと言うものがあって、造られた時代によってその造りが違って来てしまうのは致し方ない事だと思う。

以前の様に周りに塀の無い造りであったり、混浴であったり、人間本来の素の姿で入る混浴露天風呂には捨て難いものがあると思う。しかし社会が複雑になるにつれ色々な配慮が露天風呂になされるようになってきていて、それも時代の流れとして受け入れなければならない時なのかもしれない。


▼温泉から上がってビール!

通常のFUNKYツーリングでは、温泉から上がってビールを 「クッイーッと」 といきたい気持を抑えビールの自販機前を通り過ぎるのだが、今回我々は温泉から出でてビールの自販機前に直行、皆さん500ml缶のスーパードライのボタンを押した。

その缶ビールを手に部屋に戻った我々は、早速缶のプルタブを起こして乾杯の準備をする。プルタブを起すと標高が高いせいかビールの泡が勢いよく噴出した。泡が落ち着いたところで 「乾杯!」 となった。 「旨い!!」  「ヤッパ 温泉から上がったらビールだよな!」

夕食は6時からとなっていたが、我々の胃袋はまだ満たされており今すぐ食事の気分ではなく、我々は部屋で今日の話で盛り上がっていた。結局我々は、7時なって重い腰を上げ食堂に向かったのである。


▼お助けマン現る

重い足取りで食堂に着いた我々の前には、テーブルいっぱいに料理が並べられていた。通常で有ればこれから楽しいお食事タイムとなるのだろうが、今回は事情がチョッと違っていた。

皆さん大きな海老の焼き物やカニの足を見ても手が動かず、出来れば海の物より肉系の料理を期待していたのだが、テーブルの上には肉系の料理は皆無であった。 

係りの人が来て「お飲み物は?」と聞かれ、ビールの乾杯は終わっていたので御銚子を2本熱燗で頼む。「ご飯をお持ちしましょうか。」と聞かれひと呼吸有ってから「お願いします。」と応える。

私は海老やカニを摘んで熱燗をナメル。この手の御銚子は上底がお約束で2人で飲めばお猪口に数杯しかないのだが、今日の私には丁度よかった。一応ご飯を貰って食べ始めたのだが、テーブル中央に置かれていた大きなな鍋には誰も手を着けようとしなかった。

せっかく用意してくれた料理に手も着けないで終わってしまっては宿に人に失礼だと恨めしく土鍋を見ていたその時、横から「どうも・・・。」という声がした。

そこには見覚えのある顔が立っていた。Z氏であった。彼は現在函館に住んでいて、出来れば今回のツーリングを一緒に走りたいと考えていた人物で、丁度今日友人の結婚式が札幌であって参加出来なかったのだ。

彼は結婚式を終えた後、車で函館に帰る途中わざわざ我々に会いに立ち寄ってくれたのだった。彼は倶知安からこの宿まで直ぐだと考えていたようだったが、暗い山道を延々と走って少し不安になってしまったらしく、ここの明かりを発見した時ホッとしたらしい。

五色温泉には宿が2軒有って我々がどっちの宿に泊まっているか知らなかった彼は、駐車場を周って我々のバイクを探したそうだ。この宿の駐車場で我々のバイクを見つけ、宿が分かったのだと言う。 出来る!

挨拶を交わした後、私は早速彼に夕食を食べたか聞いてみる。彼の「飯はまだ。」と言う返事に私は喜んだ? 「どうぞこの食事を食べて下さい。」 この料理で彼を持て成し、そして宿の人に顔が立つ。 これは 「一石二鳥 ダッ!」

彼とは食事をしながらいろんな話をして一時を過ごしたが、ここから函館までは3時間以上かかるし、明日は仕事だと言うからお引き止めする訳にもいかず食事終了とともにお別れとなった。その時の食堂には、我々以外お客は誰もいなくなっていたのだった。


▼明日の天気は・・・

玄関でZ氏を見送った後、我々は部屋に戻った。明日の天気が気になって予報をチェックしてみるがどうやら雨が降りそうな気配である。明日の天気は明日になって見なければ分からない。

今から気を揉んでもしょうがないので私は独りで温泉に行く事にする。今度は展望風呂に入ってみたのだが、外は真っ暗で何の展望も無かった。しかし、内湯のお風呂は石のタイル張りで綺麗で感じの良いものだったし、露天風呂もゆったりしていてこれでニセコアンヌプリの山が見えれは文句はなかったのだが。

温泉から上がって部屋に戻り、皆で布団を敷き横になりながらテレビを観ていたところまでは覚えていたが、いつの間にか私はご就寝となっていた。私が目が覚め時、テレビも電灯も消されており、外は少し明るくなっていた。

後から聞いた話だとテレビを消したのはU氏であったらしいが、電灯は消さなかったらしい。電灯は夜中に起きたA氏が消した記憶が有るそうで、皆さん五月雨式に意識を失っていったようだ。昨晩はフェリーの中でろくに寝ていなかったのだから致し方無いところか。


展望風呂の内部。外の露天風呂からは、ニセコアンヌプリの山が見える筈だったが、今日はガスが掛かって何も見えなかった。


から松の湯。
展望風呂と違って木で出来た風呂は趣が有る。



から松の湯 露天風呂


旧館の建物は辛うじて玄関部分が残っていたが、
解体工事中であったので近々消滅するだろう。


朝食は北海道定番メニュー?
焼き海苔、生卵、焼鮭、納豆、ガッコ等が並ぶ。


外は雨、今日の予定を検討するが・・・。


雨具を着て宿を出た我々であったが・・・。


雨が上がってきた?

▼起きて見たら
7月18日(月曜日)2回目の朝が明けた。私はいつもの北海道のように5時半過ぎに目が覚めた。北海道では何故か私は5時半過ぎに必ず目が覚めるのだ。カーテンを開けて外を見てみると雨は降っていなかったがガスが出ていて見通しが良くなかった。

私は温泉に泊まった時、朝起きたら温泉に入る事にしているのでタオルとカメラを持って部屋を出たのだが、それを見て悩んでいた御仁が約2名いたらしい。結局彼らは寝る事を選択したのだが、それは若いと言う証明だと思う。基本的に若者は朝早く起きられないものだし、年寄りは黙っていても目が覚めるものなのである。

展望風呂に行ってみたら露天風呂のお湯を抜いて旅館の人が掃除をしていたので展望露天風呂を諦めて、から松の湯に行く。温泉の写真を撮りながら温泉に浸かるが、靄が掛かって周りが見えないのが残念だった。


▼昔の面影は風前の灯火

温泉から上がってから外に出てみると以前玄関だった建物が残っていた。昨日は気付かなかったが、様子が少し変で窓ガラスは無いし内部も雑然としていた。これは出発の時分かったのが、現在この古い建物は解体中のようで我々がバイクを停めた脇に置いてあった重機は、その為の物であったようだ。

もう直ぐ昔の五色温泉旅館の建物は、全てこの世から消滅してしまうようである。私としては今回この最後の機会に立ち会えた事は幸運だったと思う。昔の露天風呂や建物の事を思い出しながら建物の周りを散策してみる。

我々の部屋の外に小屋が有ってそこから温泉らしき物が流出ているのを見つける。先ほどの建物の位置からして、この場所は昔混浴露天風呂が有った場所のように思える。何と言う変わり様であろうか。周りの地形が全く変わってしまっていてこの場所に混浴露天風呂が有ったとは想像すら出来ないが、位置的には間違いなさそうである。

日本人は古い物を壊して新しい物を造る時、古い物の歴史を引き継がず全く新しい物を造る傾向が有る。五色温泉旅館さんの場合、古い物を残そうとする姿勢が見られ好感が持てるのだが、私としては今ひとつ拘って欲しかった様に思う。まぁ 部外者は何とでも言えるけどね。


▼雨が・・・・
7時過ぎ外で嫌な音がし始めた。雨である。雨は強くなったり弱くなったりを繰り返すも止む気配は無い。天気情報でも今日の予定コースに雨マークが出ている。

困った。私がこの地域を訪れたのは七年ぶりで、この地域に関する情報を多く持っていない為、雨の時のオプションを用意していなかったのだ。いずれにしても濡れた道路を走っても楽しくはない事だけは確かで、一日中雨だった場合他に楽しみを見つけなければならないのだが、そんな場所を私は知らなかった。 困った!

時間になって朝食を食べに食堂に行ったのだが、外の雨は強くなるばかりで食事をしていても今日の予定の事が気になって外ばかり見てしまった。部屋に戻って地図を広げ予定を検討したものの良いアイデアは浮かんでこなかった。

8時半過ぎ雷が鳴って雨が一層強くなったが、私は「もしかしたら、いけるかも?」と思い考え始めていた。雷がなるという事は前線が通ったと言う事で、前線が通り過ぎれば晴れる事が多いのが北海道なのだ。

私は今まで北海道を走ってきた経験から雨が降り雷が鳴ってから1時間位で雨が上がる事を何回か経験していて、今回も時間が経てば晴れてくる可能性が大きいのではと考えたのである。

この宿のチェックアウトは午前10時、出発時間ををギリギリまで延ばし10時とする事に決め準備をする。外はまだ雨が降っており、我々は雨具を着て出発しなければならなかったが、私の雨具は外に停めてあるTZRのバッグの中に有り、私は宿から傘を借り雨具を取りにTZRの所まで行かなければならなかった。 面倒!


▼北の空が・・・
10時過ぎ、我々は雨具を着て五色温泉旅館前にバイクを並べ写真を撮っていた。雨は殆んど上がっていたが路面は完全なウェットの状態で、この時の私は倶知安まで下ってその後の予定を決めようと考えていて、写真を撮った後倶知安に向かって走り始める。

五色温泉旅館の直ぐ上に展望台の駐車場が有って、そこまで走った時道路の向こうに遠くの空が見えた。私はその空の色を見て駐車場にバイクを入れ止めた。それは遠くに見えた北の空が一部青空も見える明るい色をしていたからだ。

北の空が明るいという事は、前線の通過は北から南に移動していくから次第にこの場所も晴れて来る筈で、この季節晴れさえすれば路面が乾くのは速いから今日最も走りたかったパノラマラインが乾く可能性は大きと考えられた。

今日の最終予定は苫小牧東港に午後6時までに着ければ良いのだから、ここを遅くても午後1時に出れれば間に合う筈だし、今は午前十時を少し回ったところだからクレイルチーズまで行って路面の乾くのを待っても時間的には問題無いと思われた。

私はクレイルチーズまで下る事を皆さんに告げ、我々はUターンしてパノラマラインに向けて走り出す。私は道道66号に出た所でバイクを止め、私のTZRとT氏のGSX−Rを交換する事にした。T氏はGSX-Rに慣れておらずウエット路面のパノラマラインを下る事は苦労すると思われ、それにT氏はTZRに乗った経験が有りGSX−Rより楽しく走れると考えたからだ。


▼ウォーミングアップ

GSX−Rに乗り換え走り始めた私だったが、アレッて感じで違和感があった。ハンドルの切れ込みが強く、ハンドリングがダルな感じなのだ。 「どうしちゃんだGSX−R!」 と思いながら徐々にペースを上げていくと、その違和感は徐々に解消していった。

違和感の原因はタイヤの空気圧にあったようだ。GSX−RにはRACETECというレーシングラジアルを履いていて、それに合った空気圧に設定してあったのだが、路面がウェットでタイヤが冷やされたのとペースが遅かった為タイヤ温度が上がらず(結果タイヤの空気圧が低くい状態。)タイヤがつぶれた状態で走っていたのが原因であったようだ。

この手のタイヤを履く場合、走り始めはウォーミングアップ走行を充分にしてタイヤを暖めてからペースを上げる事が必要のようだ。その必要性は分かっていたつもりだったが、実際にウォーミングアップ走行の大切さを痛感させられた体験だった。


岩内のクレイルチーズ前のパーキング。
ここまで来たら路面は乾いていた。



ここにも有った特製ソフト。



ソフトアイスとは少しザラザラした舌触りのソフトの事を言うのか? チーズの味がほのかにして、今まで食べて事の無い美味しいソフトであった。私のソフトランキング上位に食い込んだ。



全員でクレイル特製ソフトアイスを賞味する。
お勧めの逸品である。皆様も是非ご賞味を。
▼パノラマラインはハーフウェット
神仙沼を過ぎ本格的な下りになると路面は所々乾いてきて、前方に見える日本海の空にも青空が見えている。路面状況を確認しながら慎重に下った我々は、クレイルチーズの横に在るパーキングにバイクを停める。

パノラマラインの路面状況からして30分もしたら路面は殆んど乾くと見て、ここで長めの休憩を取る事にする。クレイルチーズを訪れるのも久しぶりで、パーキング横の建物が出来てからは初めてであったと思う。


▼クレイルチーズの疑問

レンガ造りの洋館風建物に行ってみると入口の横に気になる看板が掛かっていた。クレイル特製ソフトアイス バニラ 300円 と書いてある。ソフト好きの私としては、これを食べないわけには行かなかった。外に面した窓口に行って300円を支払い食べてみる。

クレイル特製ソフトアイスはチョッとザラッとした舌触りで網走のアニマの里で食べたソフトに似ており、味はチーズの味が絶妙にブレンドされた品の有るもので大変美味しゅう御座いました。

私のソフトランキングではアニマの里で食べたソフトがNO,1なのだが、このクレイル特製ソフトアイスはベスト3に入る実力を持っていると思う。このソフトアイスという名称は少しザラッとした舌触りの物を言うとすれは、ソフトアイスと言うジャンルが存在するのかもしれない。

私がここにに立ち寄った時はいつもクレイル特製のカマンベールチーズを買っているので、私は建物の中の入ってみる。そこには先ほどソフトを作ってくれたお姉さんがいて私にチーズの説明をしてくれた。

その私と同年代と思われるお姉さんはここのオーナー夫人と思われ、ここのチーズと同様上品な感じの女性だった。十数年前からここを訪れている事など色々話したが、この機会に以前から思っていた疑問をぶつけてみる事にした。

その疑問とは、ここより奧に建っている最も古い白い建物二階に有る扉の疑問であった。下の写真は1991年にFUNKYがここを訪れた時に撮った物だが、二階の壁に何故ドアが取り付いているのか当時話題になっていた。

FUNKYの中では、ヨーロッパ(オランダ?)では上階に物を揚げる時滑車で釣って揚げると聞いた事があるのでその時に使うドアではないかとか、単なるデザインではないかとか当時色々な意見が出ていた。

その時からの疑問が十数年ぶりに解決される時がきたのだ。私は期待を膨らませて彼女の答えを待っていた。



彼女が語った衝撃の答は・・・

「建てる時は外にラセン階段等の階段を付ける予定にしていましたが、結局付けないままになってしまったの。」 と言うのが真相であるようだ。

ごく当り前の彼女の返答に私は拍子抜けしてしまったが、長年の疑問が解消された瞬間だった。 納得!

私は「2階が喫茶店になっているんですね。」と言うと
「どうぞ上で休んでいって下さい。景色がいいですよ。」と勧めてくれる。

喫茶店で無料で休ませともらっては申し訳なく、そのお申し出は辞退させていただいたが、次回またここを訪れる機会があったら是非利用させてもらいたいと考えている。



▼パノラマライン 一往復半の一気走り
クレイルチーズの玄関先で11時まで休憩し、パーキングに戻る。空には青空が広がって日差しも出てきていて、パノラマラインはもうドライ路面になっている筈だ。雨具を脱いで身軽になった我々は、神仙沼のパーキング目指し走り始める。

昨日のTZRと違い登り直線でのGSX-Rの加速は尋常ではなく、アクセルを全開にする事はためらわれた。TZRとは違った緊張感を味わいつつコーナに進入そして立ち上がっていく。パノラマラインの路面は、先ほどの雨でゴミや砂等が綺麗に流されタイヤのグリップ感は最高で 「滑る気がしない。」 と言ったら言い過ぎかも知れないが、コーナーリングスピードは確実に上がっていく。

先ほど下って来る時工事が行われていて片側通行になっていた所に近づいて、私はスピードを落として探りながら走っていたのだが、工事は既に終わっていたようで何処でも工事は行われていなかった。

神仙沼パーキングに着いて後続を待つと、T氏が遅れる事なくやって来た。TZRで走った方がGSX−Rで走るより格段にペースが上がった様で、本人もTZRの軽さとアクセルを開けて待つ余裕から走っていて楽しかったようである。


▼下りでハプニング発生

このままここを立ち去っては勿体ないと、我々はUターンして再びクレイルチーズに向かって下って行く。A氏は今までU氏の後ろで走っていたのだが、U氏はA氏の気持を察しA氏の後ろの下がったのだが、それが思わぬ結果を生む事になる。

二番手になったA氏は、先頭の私を急追するためアクセルを大きく開け急加速を繰り返していた。彼のタンデムシートにはシートバックが取り付けられており、それはフックでタンデムシートとベルトの間で固定されていた。

しかし、急加速でバックが後ろにずれフックがベルトから外れてしまい、シートバックが大きく右側に傾いてしまったのである。その時のA氏は自分のお尻の後ろで何かが起きていた事は感じていたらしい。

しかし、その時彼はバイクを止めて後ろを確認するわけにはいかなかった。彼の心は前を走る私を追いかける事に集中しており、ここでアクセルを戻す事など考えられなかったのである。

しかし、傾いたバックがマフラーに当たりバックが熱で解けて大きく白煙が立ち上るに至り、彼はスローダウンせざるを得なくなってしまったのである。その一部始終を後ろから見ていたU氏は、A氏の安全を確認し白煙を上げる10Rを横目で見ながら私の後を追ったのであった。

後ろでそんなドラマチックな事が起こっていた事など全く知らなかった私は、気持ちよくクレイルチーズ横のパーキングにGSX-Rを止め、後続が来るのを待っていた。少し間が有って、U氏が来て次はA氏かと思ったらT氏が来た?どうしたA氏。

U氏が私の後ろで起きていたその辺の事情を説明してくれて私は安心してA氏を待った。暫くしてやって来たA氏のシートバックには大きな穴が開いていて、マフラー熱の凄さを物語っていた。そのままでは穴から中の物が飛び出しそうだったので、持っていたベルトで応急処置をし、バックの取り付けをやり直してフックが外れない様に対策する。

そして我々は最後のパノラマラインに向かった。3往復目となるこの時の走りは、コースレイアウトやコース状況が少しづつ頭に入って来ていて走りに少し余裕が出てきていた。私としては一番楽しめた回であったし、一番速い走りが出来ていた回だったと思う。

皆さんも私同様パノラマラインを大いに楽しめたようで、神仙沼のパーキングに止まった時ヘルメットの中の皆さんの顔には笑みがこぼれていた。神仙沼からまた五色温泉に戻り倶知安に下る事にする。

再び訪れた五色温泉は朝と違って空には青空が広がっており、目の前にはイワオヌプリの頂がハッキリと見えていた。ここでバイクを止めてイワオヌプリをバックに写真を撮ろうと考えていたら、撮影ポイントを通り過ぎてしまった。戻るのも何なので撮影を諦めたのだが、もしそこで写真を撮っていたらきっとこのレポートのトップを飾る写真が撮れていたと思う。それほどにニセコ山々は美しかった。



JR倶知安駅近くに在る創業明治3○年のお蕎麦屋さん「みまた」普通に美味しい蕎麦が食べられます。さすがにここでは、ソフトクリームには手を出さなかった私。






奥に見えるのがJR倶知安駅。
▼倶知安の歴史ある蕎麦
倶知安へ向かって我々はニセコの山を下り始める。最初は狭い1.5車線の曲りくねった道が続く。昨晩、Z氏が暗闇の中この道を登って来たかと思うと、彼が不安に思った気持が良く分かった。

倶知安の街に入り昼食場所を探す。昨日の昼食は重かったので、今日は軽く蕎麦でもと考え食事処を探すが見つからなかった。国道5号に出て倶知安駅の青看板を見つけ左折する。駅に行けば食堂は必ず1軒は有る筈と読んでの事だが、見つけられないまま駅まで行ってしまった。駅でUターンして戻って来ると左側にお蕎麦屋さんを発見する。

店の前にバイクを停め中に入ると、このお店創業は明治三十○年だそうで歴史あるお蕎麦屋さんだった。私はもりそばの大盛を注文、運ばれて来たお蕎麦は更科系のお蕎麦で歴史を感じさせる味わい深い蕎麦だった。

店の外にはソフトクリームの形をした看板が立っていて少し心が動いたが、蕎麦ソフトと書かれていなかったので、さすがの私もここでは遠慮させていただいた。外に止めてあったバイクのリヤタイヤを見てみると、どのバイクもパノラマラインの走りを想像させる当たり方をしていた。


▼タイヤの端まで


隼のリヤはメッツラーのレンスポルトを履いていて本土では端まで使う事は無かったのだが、今回端まで綺麗に使われていた。パノラマラインのグリップ感の良さ、深い大きなカーブが安心してバイクをバンクさせた証拠であろう。

隼のリヤタイヤ。
ニセコのワインディングで端まで綺麗に
使われたMETZELER RANNSPORT



私のGSX−RのRACETECも端まで当たっていて深いバンク角であった事を感じさせる。

GSX−RのリヤMETZELER RACSTEC。
こちらも端まで当たってはいるが
軽い分バンク角は隼より浅いようだ。






ZX-10RのリヤはBT-014を履いていたが、これもまた綺麗に当たっていた。このタイヤは普通のスポーツ・ツーリング系のタイヤで、タイヤ表面の感じが他の2車とは違って少し滑らかな感じだ。

ZX−10Rの BS BT−014。
こちらも端まで綺麗に使われているが、
タイヤの性格上表面がすべすべしている。





いずれにしても各車存分にニセコを満喫したようである。


この看板を見てしまっては、私としては食べないわけにはいかないでしょ。


私はラ・フランスをチョイスしたのだが、味は単なる洋梨風味で、同じ洋梨系の道の駅碇ヶ関のマルメロソフトの足元にもおよばない味だった。

▼最後の楽しみは温泉!!
最初の予定では、キロロリゾートから小樽を周り朝里峠から定山渓・中山峠と走る事にしていたが、パノラマラインで時間を使ってしまったのでコースを変更し支笏湖伊藤温泉に直行する事にした。今日は何処に行っても車が多そうで、走りを楽しめないだろうと言うのが予定を変更したもう一つの理由であった。

昼食を終た我々は、12時半過ぎ倶知安を発ちまずは喜茂別を目指す。T氏のTZRは山を下っていた途中で予備に入っていてガソリンを給油する必要があったのだが、私はホクレンの黄色いスタンドを探していた。

倶知安では黄色いGSを発見出来ず喜茂別に向かう道すがら探す事にする。国道276号を南下するが、ここではスピードを出す気も起きず車の後に着いてゆったりと走る。


▼三角旗ゲットならず

京極の町に入って道路右側に黄色い看板を発見、そこに入ろうとウインカーを右に揚げたが、店は改装中で敷地の隅に給油スタンドが追いやられていた。嫌な予感がしたが我々は三角旗ゲットの為そのGSに入って行った。

給油を終え店員に旗の事を聞いてみると旗はまだ来ていないと言う。 「来ていない!?」 そんな筈は無いだろう。ここから40km位しか離れていない仁木では有ったのに 「無い!」 ってか。

しかし、無い物は無いし、無理を言っても出てくる筈もなく我々は肩を落として黄色いスタンドを出る。今回が道内最後の給油であったので、三角旗のゲットは9月の北海道ツーリングに持ち越される事になったのである。

ゆっくり走っていると後ろに黒い車が1台張り付いて離れない。これもまた気持が良いものでは無く、前が空いたのを期に一気にペースを上げてちぎってしまった。皆さんには、眠気覚ましになったのではなかろうか。

喜茂別から大滝村には入ったところで、<道の駅 フォーレスト276大滝> を見つけトイレ休憩をとる事にする。


▼今回 三つ目のアイス

バイクを止めて売店の方へ歩いて行ったら、私を挑発するような看板が立っていた。その看板はフォーレスト特製ソフトクリームをアピールする物で、下に書かれていた 「このソフトクリームはアルルの高品質ソフトベースを使用しています。」 と言う一文が私を動かした。

アルルの高品質ソフトベースとは如何なる物なのか、私はそれに興味を引かれたのである。ソフトクリームの味は、ベースのバニラクリームの味が全てでベースが美味しくなければ何を入れても美味しくない。

ラ・フランスソフトの様に特別に入れた物をアピールする看板は多く存在するが、ソフトベースの良さをアピールしている看板を私は今まで見た事が無かった。自信を持ってアピールするアルルのソフトベースの味を私が確かめないわけにはいかなかった。

ラ・フランスソフトを買ってみました。そしてそのお味は・・・・。

今回の北海道で私が食べたアイスは三個目。ニッカ工場の売店で買ったブランディーアイスは特徴ある味で美味かったし、二個目のクレイルチーズの特製ソフトアイスは秀逸の味だった。そして三個目のラ・フランスソフトは、「普通」 だった。

アルルのソフトベースはごく普通のお味で何処ででも食べられる味だった。不味くはないが特別美味しいと言うレベルではなく、ラ・フランスの風味は確かにあったがただそれだけで、ソフトベースと融合して特別な味にはなっていなかった。看板を見て期待してしまった私が馬鹿でした。






支笏湖畔に在る伊藤温泉。正面に見えるのは
風不死岳(フップシダケ)1109m




駐車スペースを探していたランクルに、バイクを寄せてスペースを空けるFUNKY。秋田人の好感度アップを狙う?



奥の塀の向こうに天然露天風呂がある。




これだけ景色のよい脱衣所は初めてである。




入水する事は決めた。しかし決断が・・・!




ついに支笏湖に入ってしまったFUNKYな二人。




やはり支笏湖の水は冷たかったようで、
上がって直ぐに温泉に直行する。



奥に見える御仁がFUNKY入水事件の仕掛人。

















この景色とFUNKY。
出発前に写真を撮る。
▼絶好のロケーション 伊藤温泉
道の駅を出て美笛峠の上りに差し掛かると珍しく前が空いていてコーナーを楽しむ事が出来た。しかし滝笛トンネル手前で車に捕まってしまってしまい、それからズーッと車の後ろだった。

支笏湖湖畔近くまで来て地図に載っていた支笏湖北側を通る道を探したが、美笛キャンプ場から先が通行止になっているようで諦めた。左側に時々支笏湖を見ながら走って行くと道の両側に広がる原生林の森が所々木が倒れているのが見えた。

私はその木の倒れ方に見覚えが有った。それは秋田県上小阿仁村萩形ダム近くの森林が台風の強風で倒木した時と同じ倒れ方をしていたからだ。昨年北海道は台風の強風で甚大な損害を受けたと記憶している。あれは昨年の台風で倒されたに違いない。

苔の洞門前を通り過ぎ少し行くと右側の路肩にワンボックスカーが落ちている所に出くわす。緩くカーブした道なので落ちた原因は多分居眠り運転ではないかと思うが、それを見ていた私が前の車に追突しそうになってしまった。こんな所でオカマを掘っては洒落にならなかった。桑原桑原!

国道276号から国道453号に入り支笏湖温泉前を通過、また支笏湖畔に出る。湖の向う岸には台形の山が見えていて一種独特の景色を見せている。これから向かう伊藤温泉に私は行った事がなく、道をよく知らなかった。A氏は伊藤温泉に行っ事が有り近くに行ったら彼に道案内を頼もうと私は考えていた。

私はポロピナイ野営場の奥から伊藤温泉に行くのかと考えて野営場の入り口で止まった。間違っていればA氏が来て教えてくれると思っていたが彼は来なかった。私はこのまま進んで良いものと判断し先に進んだのだが、キャンプ場の奥で舗装が途切れ私は止まった。

その先に道らしきものは有ったが、温泉に行く道には見えなかったからだ。その時後ろからA氏がやって来て間違っている事を教えてくれる。 「それなら何故さっき?」 と言う疑問がを持った私だが、A氏の後ろに着いて走り出す。

伊藤温泉への正しい道は国道をもう少し走って丸駒温泉方向に左折するものだった。丸駒温泉手前から伊藤温泉に左折し、狭い急坂の先に伊藤温泉は在った。伊藤温泉は支笏湖湖畔に建っており、正面に風不死岳が見える絶景が広がっていた。


▼FUNKY 好感度アップ大作戦

我々は駐車場に空きを見つけバイクを止め、A氏は早速入浴料を払いにフロントに行く。我々も行こうとしたその時ランクルがやって来た。その時の駐車場は満杯状態でランクルを停める余地は無かった。

我々4台のバイクは車2台分のスペースに横一列に並んでおり、バイクを前後に2台づつ並べれば車1台分のスペースが空く事に気づいた私は、バイクを移動してスペースを提供する事にした。

ランクルのドライバーは大変恐縮して我々に頭を下げていたが、それ以上の事は何も無かった? 彼らは我々の秋田ナンバーを見ていた筈で、秋田人の好感度アップには寄与したものと自負している。


▼仕掛人

チョッと良い人になった我々は、気分良くフロントに行き入浴料を払い貴重品をローカーに預けて露天風呂に行く。我々がバイクを移動していた時、A氏は露天風呂に下見をしに行っていて、A氏はそこで支笏路に飛び込み泳いでいる人を目の当たりにする。「支笏湖で泳いでいる人がいる。」その時、A氏の中にある考えが芽生え始めていたようだった。

我々4人が男性用露天風呂の塀の中に入って行くと、中には5〜6名の人がいた。塀の中には縁台が置いてあり我々はそこで服を脱ぐ事にする。正面には風不死岳が見えていて、これ程雄大なスチエーションの脱衣所は見た事がない。

露天風呂からの雄大な景色は色々見てきた私だが、脱衣所がこれだけ雄大なのは初めてである。湖面では、先ほどのポロピナイ野営場から出たマリンジェットやモーターボートが走りまわっていて、支笏湖はすっかり夏の様相を呈していた。(しかし湖水は冷たい事を後に知る。)

服を脱ぎ温泉に入ったところで写真を撮ろうとしていた私に、「私が撮りましょう。」 としゃしゃり出て来た御仁がいた。最初は遠慮していた私だったが、熱心に言うので一枚お願いする事にする。この御仁、A氏によると先ほど支笏湖で泳いでいた人のようであった。


▼FUNKY史上に残る快挙?

温泉に入りながら支笏湖の景色見ていたA氏であったが、その時彼の心の中で沸々と湧き上がるものが有った。それは 「泳いでみたい。支笏湖を泳いでみたい。」 と言う欲求であった。しかし、一人で泳ぐには勇気がいったA氏は、誰かを引き込まなければと考えU氏に白羽の矢を立てる。

もし私に声が掛かったとしても、私は泳げないからお断りするしかなくA氏の選択は間違いでは無かったのだが、果たしてU氏がA氏の誘いに乗るかを私は注目していた。

U氏も一人で入るのは躊躇し、結局U氏が入るならA氏も入るという事で話はまとまったのだが、いざ入るとなると支笏湖の湖面を見つめながら二人は暫し佇む事になる。仕掛人はその二人に支笏湖遊泳の楽しさを説き続け、入水を促していた。

何分かの静寂の後、まずU氏が湖面に片足を差し入れそして体を前方に投げ出し泳ぎ始める。それを見たA氏、タオルを置いてU氏に続いて泳ぎ出した。彼らは岸から10mも行かない所で支笏湖での遊泳を楽しみ、そして戻って来た。

遊泳時間はほんの数分であったと思われるが、湖の水温がそれ以上の遊泳を許さなかったようで、湖から上がった二人は温泉に直行し体を温めていた。

この宇宙遊泳にも似た貴重体験をした二人は、お互いにその貴重な時間を共有できた事で友情は一層深まったようであった。

その様子を見ていた私の感想は、 「私には出来ません。」 泳げないのだから当然なのだが、たとえ泳げたとしても多分泳がなかったと思う。そんな勇気(だって支笏湖は田沢湖に次いで日本で二番目に深い湖なんだよ。)は私には無いから、泳いだ彼らの勇気には感服するばかりである。 偉い!!

支笏湖遊泳後のA氏の感想は、「サウナから出で入る水風呂のようだった。」
やはり支笏湖の水は、夏とはいえ冷たかったようである。


▼仕掛け人の素性

私は温泉から上がり縁台で涼んでいたのだが、仕掛人と目が合って思わず話し掛けてしまった。この手の御仁は話し始めると終わらない事が多く、話し掛けて後直ぐ私は後悔したのだが遅かった。

彼とは沢山の事を話したが、ここでは要約してご紹介しよう。彼は名古屋から夫人(多分?)同伴で北海道を車で周っていて年齢は60歳以上70歳未満と思われる。伊藤温泉は北海道に上陸して直ぐに訪れ大変気に入った為再び訪れたらしい。

東北までは車でしょっちゅう来ているらしいが、北海道は数十年ぶりであるらしく北海道は変わった(変わって当然)と盛んに言っていた。話は孫の話におよび何かにつけ呼ばれては支払いをさせられると楽しそうに話していた。


▼FUNKYメンバーは息子?

仕掛人さんがU氏を指して「息子さん?」と聞いてくる。私と話した人達は、殆んど場合私が若い人に連れられて来ていると考えるようで、仕掛人も私が息子のツーリングに着いて来ていると考えたようだった。

息子ではないと答えた私だが、息子と思われても不思議ではない年齢差ではある。実際U氏は私の息子と同じ年の生れだし、私の感覚としてもU氏は息子の様なものである事も確かだ。

私はFUNKYメンバー全員をある意味自分の子供と言う感覚で接しているところはあるかもしれない。メンバーの成長を見守りながら共に喜び共に楽しんでいるところは親の立場にも似ているし、メンバーに対しアドバイスをしたり時には苦言を呈する事もあるのは親のような気持でメンバーに接している為かもしれない。

しかし、それは私の思いであり、親の思いと子供の思いが違うのは世の常でメンバーが私をどう思っているかは別の話である。親としての立場から言わせてもらえば、出来の良い子供もいれば、出来の悪い子供もいる。しかし親というものは、出来が良くても悪くても自分の子供は可愛いものなんです。

子供は成長しいずれ親から離れていくもの。私はその日が来るまで一生懸命子供達?と共に成長していきたいと考えている。しかし、FUNKYで私が親のように教えられる事は、長年の経験から習得した危険の回避の仕方や自分の身を守る方法ぐらいのものなのだが。


話をツーリングレポートに戻すと、エンドレスかと思われた仕掛人さんとの会話も、新たに入って来た人達に彼の興味が移り私は彼から開放され終了する。フェリーの時間に余裕が有った我々は、結構長い時間を露天風呂で過ごした後フロントロビーに移った。

温泉上がりに私は清涼飲料水を飲んだのだが、U氏はアイスボックスの中に変わった容器に入ったご当地アイスらしき物を発見しそれを購入する。U氏が手にしているその容器を見て私は「どこで作ってる?」と聞いた。答えは札幌だった。私、「ふーん」

そのアイス、貰った木製のスプーンを拒絶するくらい硬く食べるのに苦労しているU氏に私は味を聞いてみた。 私、「美味しい?」  U氏、「うぅーん」  このアイス外れであったようだ。世の中いつも当たりとは限らない。外れた時払った授業料を無駄にしないよう今後に生かす事が大切なのである。

A氏によればここを午後5時に出れば問題無くフェリー乗り場に着けると言うので、余裕を持って午後4時半に出発する事にする。出発前、支笏湖と風不死岳をバックに写真を撮ったのだが、その写真が今回の北海道でのベストショットとなった。


▼フェリーのりばへ

途中、お土産を買うため支笏湖温泉に寄ったのだが駐車場とお土産さんが離れていて暫く歩く必要がありパスして先に進む事にする。支笏湖温泉駐車場が有料となっているのには驚いた。 さすがに大観光地? 違いますな。

予定では苫小牧に出て自動車専用道路で苫小牧東港に向かう事にしていた。支笏湖温泉から苫小牧に向かうには一回右折しなければいけなかったのだが、私は前を走っていた車に気を取られ右折せずに千歳方向に直進してしまった。

50m位走って私は間違いに気が付いたのだが、千歳からも苫小牧東港に行けるのでこのまま千歳を目指す事にする。この道は苫小牧東港から秋田行きのフェリーが出来るまで、フェリー乗り場が在る室蘭に行く為に結構使っていた道で走っていて懐かしかった。


▼森の中の美しい道

千歳のコンビニで休憩の後、新千歳空港の横を通って早来に出る。早来から厚真に向かう途中、道は競馬馬の生産で有名な社台スタリオンステーションの中を走っていた。道の両側には良く手入れされた緑の深い森が広がっており、その森の中に木の柵で囲まれた草原が点在する美しい景色が広がっていた。

道は森の中を蛇行しながら走っていて、私はその美しい景色の中をゆったりとしたスピードで走り抜けて行った。その時の私は、また一つ北海道の美しい道を発見できた喜びを噛みしめながら走っていたのである。 美しい!


フェリー乗り場にはバイクが溢れていた。




9月の時は日が落ちて暗いのだが、
7月の今回はまだ明るい。



今回は船内のレストランで夕食&乾杯。
▼フェリー乗り場は大賑わい
午後6時過ぎ苫小牧東港に到着。既にバイクの乗船口にはバイクが溢れており今日はバイクがいつに無く多いようだ。我々はバイクを列に並べターミナルビルの2階に土産を買いに行く。

私がこのフェリーに乗るのはいつも9月で、ここに到着する時は日はが沈んでいる事が多かったが、今日はまだ日が高かった為か、北海道を離れるという寂しさみたいなものはわいてこなかった。

土産を買ってバイクの所に戻ると既に乗船が始まっており急いで支度をして乗船する。荷物を降ろし船室に上がって場所を確保、夕食を食べにレストランに行くとまだ開いていなかった。レストランの開店は午後7時で、それには数分早かったのだ。結局我々がトップでレストランに入場、各自食事を選んでレジへ行き生ビールをオーダーする。

テーブルに着いて先ずは乾杯となった。無事このフェリーに乗れ事で、明日は崎の港に着く。後はゆっくり寛ぐだけである。食事の後場所をテレビの有るロビーに移してアルコールを入れながら話し込む。そしてそれは11時過ぎまで続いたのである。


▼今回の北海道

私の場合前半はTZR、後半はGSX−Rに乗ったわけだが、久しぶりに乗ったTZRはその軽量な車体からくる軽快なハンドリングやブレーキの効きの良さを再確認させてくれた。TZRはバイクの楽しさを教えてくれる本当に良いバイクだと思うが、出来ればもう少しパワーが欲しい。

一方のGSX-Rだが、リッターバイクの中では最軽量と言われるGSX-RもTZRと比較すればどうしても重く鈍重な感覚を抱いてしまう。しかし、その暴力的な加速感はリッターバイクでなければ味あえないもので、それはバイクの楽しさの一つでもある。TZRの車体にGSX−Rのパワー。それが私の理想のバイクなのかもしれないが、有り得ない!

今回GSX−Rでニセコパノラマラインを二往復走れた事で、私はGSX-Rのアクセルを以前より少し大きく開けられるようになったように思う。人間慣れれば今まで出来なかった事も少しづつ出来るようになると言う事か。

そして皆さんはどうだったのか?

U氏は今回初めてRENNSPORTの端まで使ったと喜んでいたし、A氏は今回装着してきたステアリングダンパーの効果で、直線で安心してアクセルを開けられるようになったと喜んでいた。

T氏は初めて乗ったGSX-Rに慣れず苦労していたが、TZRに乗り換えてからは6年間のブランクを感じさせない走りを披露、北海道を大いに楽しんでいたように思う。


無事秋田に帰還する。全走行距離は866km。
雨で予定を変更を変更した為、距離は短目に
なってしまったが、充分楽しめた北海道であった。




9月の北海道もご一緒に・・・。
▼無事帰還
予定通りフェリーは土崎の港に到着し、我々は8時半過ぎ店に帰って来た。私にとって今回の北海道は久しぶりに道南だったが、新しい発見もあって楽しいツーリングとなった。

今回の北海道で思い出として残ったのは、食の部分で言えば何と言っても余市の海鮮工房かきざきであろう。味の良さと価格の安さは秀逸で、確かに行列に並ばなければならないという辛い部分はあるが、コストパフォーマンスの高さは抜群であった。また余市を訪れる事があったら、私はまた是非立ち寄って北海道の味を堪能したいと考えている。

そしてソフトアイスだが、余市のニッカウヰスキー工場で売っていたブランディーアイスと岩内クレイルチーズ特製のソフトアイスは、私のソフトアイスランキングの上位に食い込む独自の味わいが素晴らしかった。これは皆様に自信を持ってお勧め出来る逸品である。

FUNKYのツーリングには温泉が付き物だが、今回訪れた支笏湖の伊藤温泉は支笏湖を水風呂として利用出来るところが素晴らしかった。利用は夏場に限られると思うが泳ぎが達者な方にはお勧めな温泉である。温泉から見える雄大な景色もこの温泉の特徴でこの景色を眺めるだけでも行ってみる価値があると私は思う。

そして走りの部分だが、今回走りの場としてニセコパノラマラインの素晴らしさを痛感した。今回の7月という時期も有ると思うが、交通量も少なく大変走り易かったのと、コーナーのRの作りが一定で安心してアクセルを開ける事が出来た。今まで何回も走った事があるパノラマラインであったが、今回何回か往復する事によりその楽しさがよりはっきりと分かったのである。

ニセコパノラマラインで合宿と言うのも面白いかもしれない。しかし6月のタケノコ採りの季節や秋の紅葉の季節は車が多く避けなければならないだろう。


9月にはまた北海道を訪れる予定のFUNKYだが、北海道はまた我々に新たな興奮を与えてくれる筈だ。 キット!









Report By Ryuta