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2007年 5月20日(日)

FUNKY 2nd.ツーリング


2007シーズン本番を感じさせるツーリングになりました。




   
Report by Ryuta   

▼ コース
秋田⇒上新城⇒国道7号⇒八郎潟⇒能代⇒八森⇒深浦⇒鯵ヶ沢(生干しイカ)車力⇒十三湖⇒

小泊⇒竜泊ライン⇒竜飛崎⇒
三厩⇒大平⇒やまなみライン⇒大平⇒蓬田村(昼食)⇒青森⇒八甲田⇒

田代平⇒
蔦温泉(入浴)⇒焼山奥入瀬バイパス⇒子ノ口⇒休屋⇒発荷峠⇒十和田樹海ライン⇒

小坂⇒毛馬内⇒比内⇒米内沢⇒阿仁前田⇒上小阿仁⇒五城目⇒広域農道⇒上新城

モト ワークス ヒラタ   走行距離579km


昨日からの雨が上がり切っていない状態で。路面は完全なウエット、雨具を着て出発となった。



八森のいつものパーキングで休憩。



西の空は雲に覆われ、北の空も厚い雲に覆われている。
























鯵ヶ沢 由利書店 到着。
上空は大分明るくなってきた。



オネエサンはイカを焼く。


左の人はここを訪れるのは6年ぶり?


今夜の酒の肴を物色中!


一年ぶりのイカを頂ます。左の人は初体験。
▼今年も合羽を着て秋田を出発!
金曜から降り始めた雨は日曜の朝になっててもシトシトと降っていた。寒気を伴った低気圧は通り過ぎたのだが、まだ上空には寒気が残っていて出発の時間になっても止む気配は無い。 この2nd.ツーリングの最初の予定は先週の13日だったのだが、その日は雨が必至の状況に1週間遅らせて今日に順延していたのに・・・。

それでもこれから向かう青森県の津軽半島の天気予報は、午前中から晴れるとの予報で北に向かうに従がい晴れる事に期待する事にする。毎年この時期のツーリングは寒気が入りやすく雨に合いやすのだが、今年も昨年に引き続き合羽を着ての秋田出発となった。

秋田市を出て一旦国道7号に出た後、八郎潟町から大潟村の外周道路に入る頃になると路面が一部乾いて来て雨も上がってくる。大潟村の外周道路には田植えの苗を運ぶ軽トラが走っていて少し気を使ったが、以前道路脇に多く駐車していたブラックバス釣りの車がいなくなってたいへん走り易かった。


▼蜆採りや白魚の思い出

以前はこの時期大勢の釣り人が立っていた八郎湖の岸辺に、今日は人っ子一人居なかった。ブラックバスのキャッチ&りリースのリリースがが禁止された事により、八郎湖はバス釣りの愛好家達から見放されたようである。

八郎湖からブラックバスを駆除する為にリリースが禁止されたのだが、皮肉にもブラックバスを釣る人がいなくなって、ブラックバスが残る形になってしまったのは何とも皮肉な話である。釣り人が自分達の楽しみの為に放流したブラックバスは、釣り人が居なくなっても八郎湖に居座る事になった訳で、何か割り切れない思いがする今日この頃である。

八郎潟が干拓される前、八郎潟は琵琶湖に次ぐ日本で二番目に大きな湖で水がきれいで豊かな湖だった。私が幼稚園の時だから昭和20年代後半(1959年頃)遠足で秋田駅から船川線(現在の男鹿線)に乗って船越まで行き、そこから木の船に乗って蜆採りに行った記憶がある。

その時は浅瀬で船から下りて蜆を採ったのだが、私には八郎潟のきれいな水が印象に残っている。現在の八郎湖の濁った水を見るにつけ、人間の愚かさを感じざるをえない。あの頃の八郎潟がそのまま今残っていたとしたら、豊かな恵みを持つ秋田県の大きな財産になっていた事は明白で、自然を後世に残していく事の大切さを痛感する。

目先の米増産と言う名の基に貴重な汽水湖を干拓した人間は、今米余りで米を作れず干拓地を持て余している。私が幼い頃はよく八郎潟で採れた白魚が食卓に上がったものだが、八郎潟で白魚が採れなくなったのはいつ頃からだったのだろうか。それは遠い昔の様な気がする。


▼今年も鯵ヶ沢の由利商店へ

能代で国道7号と別れ国道101号に入り、最初の休憩ポイント八森のパーキングに着く頃には雨は殆ど上がり、空には雲の切れ間も見えて来る。それでも途中の温度計は10℃台を示していたからまだ寒く、私はまだ合羽を脱ぐ勇気は無かった。

西に広がる日本海の上空は雲に覆われており、これから向か北の空も黒い雲で覆わていてここ暫く雨から逃れられない感じで、皆さんも合羽を着たまま八森を出発するようだ。私は雨の為に合羽を脱がないと言うよりは寒さ対策で合羽を着て出発したのだが、グローブはレイングローブから通常のグローブに交換する。レイングローブはスロットル操作をする時どうしても中でずれる為ダイレクト感が無く手が疲れてしまうのだ。

海岸線を走るこの国道101号は、水森かおりが歌う演歌 五能線 で有名になったJR五能線(青森県五所川原と東能代を結ぶ)と平行して走っているのだが、今回めでたく?踏み切りで止められる事になった。私はこれまで何十回とこの道を走ってきたが、走っている列車を見る事は有っても踏み切りで止められた事は一度も無かった様に思う。

この出来事に私は思わず隣に止まったM氏と顔を見てしまったのだが、彼もまたこの珍しい出来事に気付いた様で、私は彼と二人で頷いてしまった。後ろの皆さんは前の二人が何故頷いているのか不思議に思ったかもしれないが、それ程に五能線(1時間に1本位しか走っていない。)で踏み切りで止められる事は貴重な体験なのである。


生干しイカ(小) 2杯 で500円 (¥250×2)
イカの大きさで値段が違うが、(少)でも充分食べ応えがあります。

一年ぶりのイカに舌鼓

我々は鯵ヶ沢のバイパス手前の信号を右折、旧道に入って生干しイカを売る店が立ち並ぶ場所に向かう。

旧道に入ると直ぐにその店が見えて来て、私はもう20年近く毎年立ち寄っている由利商店のイカを干す屋根が掛かった場所の前にバイクを止める。

今日はイカが干されておらず、我々はイカの変わりに脱いだ合羽を干して店に行くと、中にはオネイサンがいて私は一年ぶりの挨拶を交わし早速イカを注文する。

昨年は5人で4杯注文したら食べ過ぎて具合の悪くなった御仁がいたので、今年は6人で4杯のオーダーを入れる。長年の経験から3人に2杯が適量と思われるが、割り切れない時に悲劇が起きるわけで今年は割り切れて本当に良かった。

イカが焼けるまでの間、各人今晩の酒の肴や家族へのお土産等を物色したりして時間を過ごす。FUNKYにとって由利商店はもう自分の家にいる様なリラックスした空間になっている様である。

そしてオネエサンの手で焼かれたイカが運ばれて来る。イカを摘んで唐辛子を振ったマヨネーズを付けて口に運ぶ。 これが旨いんだ。 家で焼いてもこの味は絶対に出ないもので、この味はオネエサンが焼かないと出ない味なのだ。

今回初めて食べる人、6年ぶりに食べる人、一年ぶりに食べる人各人の思いは色々だが、この味をまた来年も味わいたいと思う私であった。

私はお土産にイカとホッケの干物を購入する。このホッケの干物、昨年も買って帰って美味しく頂いたので今年も買おうとしたのだが、時期が昨年より少し遅かったのと取れた量が少なかったそうで1パックしか残っていなかった。出来れば3パック程買って帰りたかったのだが、無いのでは致し方無く1パックで我慢する事にした。

本来ならこの場にいる筈だったFUNKYメンバーが、急な仕事で今日参加出来なくなっていた。彼は以前ここのイカを食べた事があったのだが、それはもう10年も前の事で、今回ここで生干しイカを食べる事をたいへん楽しみにしていたのだった。

あまりにも可哀相な運命の彼の為に、私は彼に生干しイカをクール宅急便(正確には佐川急便の飛脚クール便)で送る事にした。送り状に送り先を書き込んでオネエサンに渡し、生干しイカの送付をお願いする。

これで明日彼は生干しイカを食べる事が出来る事になったのだが、しかしその味はオネエサンの焼いたイカではないわけで、来年は是非此処に来てオネエサンの味を味わってもらいたいと考えている。

空腹をイカで少し満たした我々は、鯵ヶ沢を発って車力のガソリンスタンドを目指す。これからは雨が降らないと決めた我々は、合羽をバッグに押し込んで走りだそうとしたその時、雨粒がポツポツと落ちてきた。今さら雨具を取り出すわけにもいかずそのまま走り出したのだが、雨は直ぐに止んでそれ以降落ちてくる事は無かった。


農道を使って車力に向かっていた我々の前に、<白バイ?> と見られる白いバイクが走って来るのが見えた。白いバイクはVFRの様な形をしており、ライダーも白いヘルメットを被っていて私は一瞬スロットルを戻してしまった。

しかし、大したスピードも出てはいなかったので私はそのまま白いバイクとすれ違ったのだが、私はそのバイクが白バイではないと言う確信が持てなかった為一気にスピードを上げた。
「何故スピードを上げたかって?」 それはご想像にお任せいたします。

我々はそのまま走って車力のJASSにバイクを止めた。
バイクから降りた皆さんの口から出た第一声は、
「紛らわしいバイクだったよなぁ・・・。」

私はその時に「白バイではなかった。」事を確認したのが、本当に人騒がせな白いバイクであった。


車力のJA スタンドで給油。今年も洗車をする事に・・・。
ここまで来たら空には青空が広がっていた。






































北海道を見ながらご休憩。


目の前には北海道の山々が見えていた。雪を頂いているのは、1000m級の千軒岳の山並である。
今年も行きたい北海道の写真をパチリ!。


この後FUNKYのファンがマイクロバスで御到着。
▼給油して竜泊ラインへ
秋田からここまで約200km走って私のGSX−Rには11.56リットルのガソリンが入った。特にスペシャルステージも無かった為、燃費は約17km/L強とGSX−Rにしては高燃費であった。

皆さんは12〜14リットルのガソリンが入ったようで、中では私が一番燃費が良かったようだ。ここまで来たら空には青空が広がり、日差しが眩しいくらいの天気になって来た。こうなってくと雨中走行で泥が付いたバイクの汚れが気になってくる。そこでバイクを洗車する事にした。

しかし洗車機にはまだ洗車ノズルが取り付けられておらず、使用出来ない状態だった。そこは昨年も洗車機を使用しているFUNKYの事、メンバーの給油に忙しいGSスタッフに断りガレージから洗車ノズルを持ち出した私とA氏は、洗車機にノズルを取り付け洗車を始める。ちょうどワンコインで6台の洗車が終わり、皆さんがタオルでバイクに付いた水を拭き取ると、バイクは太陽の光を反射して気持ち良さそうだ。

洗車後、事務所のソファーで暫しの休憩を取る。そこでこれから向かう竜飛埼の事で確認を取ったのだが、全員竜飛埼には立った事があるとの事だったので、今回は時間を節約する為竜飛埼には行かず手前から三厩に向かう事を申し合わせる。

休憩後、車力のJASSを出て我々は田んぼの中を走るバイパスに出る。この時期、いつもは田植え作業の車が出入りしているのだが、今回はいつもより1週間遅い事もあってか路上はクリアーな状態だった。

そんな状況下、私はGSX−Rのスロットルを1回、2回、3回とストッパーに当てて加速して行く。大きなRを描くカーブを抜け直線に向かうと、GSX−Rは直線の終わりを目指し楽しそうに走っていく。

十三湖の湖畔を走った後国道339号に出た我々は、小泊を目指して左折する。小泊の手前で日本海に面した磯に出ると、日本海は今朝見た暗い顔とは違った青空を写す明るい表情の日本海が広がっていた。

小泊から峠を越えて 道に駅 こどまり に出るまで道は、ブラインドのトリッキーな道が続くのだがが、私はこんな道を探りながら走るのが結構好きかも・・・。スピードは遅いのだが、先を読みながらのバイクの切り返しが楽しいのだ。国道397号の岩手県側の道(県境から石淵ダムまで)もそうだが、やる事が沢山有ってそれが思い通りに処理出来た時、私はそれを楽しいと感じるのである。

道の駅 こどまり を過ぎて竜泊ラインがスタートするのだが、最初は海岸線に沿って曲がりくねった道を走る。数台の乗用車やマイクロバスを追い越して我々は竜泊ラインの中核部に入って行く。

小さなパーキングスペースを過ぎゲートを潜ると道は海岸から離れ川沿いに内陸部に入って行く。少し下った先の小さな橋を渡ると、そこからが竜泊ラインの特異な道の始まりである。

道は崖を一気に上る為ヘアーピンカーブの連続となるのだが、そのヘアーピンカーブがそこいらのペアーピンとはチョッと違っているのだ。通常ヘアーピンカーブのRの部分は比較的平らに造られるのだが、ここのペアーピンカーブはスペースが無い為カーブ部分の勾配がきつく、それは立ち上がりの時道の向こうに空が見えるほどなのである。

崖を上りきると道はランダムなRを持つワインディングロードに変わり、これがまた楽しい。しかし、その楽しいワインディングも長くは続かず直ぐに終焉を向かえる。我々は眺瞰台のパーキングにバイクを入れ休憩を取る事にする。

今日の眺瞰台からは北海道が間近に見えていて、雪を頂いた千軒岳(1000m級)の山並が美しかった。あそこまでならバイクで一っ走りの距離なのだが、津軽海峡が何とも恨めしい。


▼マダムキラー

休憩している我々の前に先ほど追い越したマイクロバスが入って来て、パーキングの奥に停まった。中からオバサマ軍団が大勢降りてきて、我々が休憩している横に在るトイレの中に吸い込まれて行く。彼女らは、我々が追い越しを掛けたのをキット見ていたわけで、私はトイレから出て来た彼女らと目を合わせない様にしていた。

するとオバサン数人が我々のところに近づいて来るではないか。
 「ヤベッ・・・。」
さっきの追越の件で何か言われるに違いないと思った私は覚悟を決めた。
そしてオバサン達の口から出た言葉は
 「カッコ イガッタヨォー!」
私 「えェ エー! そうなの!?」 「俺達って カッコ イガッタ んだぁ・・・」

オバサマ達のお話によると我々がマイクロバスを追い越した時、バスの中で見ていたオバサマ達から期せずして拍手が巻き起こり、大盛り上がりだったと言うのだ。一台追い越す度に拍手喝采で、おオバサマ達は我々の走りに見蕩れてしまっていたと言うのである。

このオバサマ達の反応は意外だった。私はバイクと全く接点の無いオバサマ達にFUNKYは嫌われるものと考えていたのだが、それが拍手を持って迎えられていたとは驚きである。

FUNKYの走りは、 「オバサマ達が惚れるほどに美しかった・・・のか?」

もしそうだったとしたら、それは喜んでもよい事なのかもしれない。

オバサマ達のエールに気を良くしたFUNKYは、眺瞰台を出て竜飛埼方面に下って行く。ここの下りは危険が危ない道の為、慎重に下って風力発電の風車の有る所まで来る。我々はここから右に折れ三厩に向かうのだが、後ろ二台が離れていた為止まって待つ事にする。

しかし我々の後ろから車が来ていて左側に止まると邪魔になりそうな為、私は右に曲がった所で待つ事にした。私は最後尾のメンバーが我々が曲がった所にいる事を後から来る二人に合図しているものと思っていたら、後から来た二台は曲がらずに真直ぐに行ってしまった。

しかし幸いにも行き過ぎる時に間違いに気付いた二台は直ぐに戻って来て、我々は一緒になって三厩に向かう事が出来たのである。この三厩に向かう道は、青函トンネルを造る時に工事車両を通す為に造られた道で、現在は国道280号の裏道として利用されている。

道幅は狭いが交通量が少なく結構楽しめるこの道を、我々は今回今までにない短い時間で走り切った。私もここで大いに楽しむ事が出来たのだが、その要因としてGSX−Rのバランスの良さが上げられる。タイヤ、ブレーキそしてハイスロ等のバランスが絶妙で、GSX−Rは私に何のストレスも感じさせずに楽しませてくれたのだ。

<Thank you! GSX−R>


陸奥湾で捕れたと思われる大きな蛸。


ここで大きいのは蛸だけではなく、レンゲも大きい。


青く輝く陸奥湾を見ながら食休み。
気持ちいい・・・。


発売元 しまむら の5本指靴下。滑り止めパターンが新しいニュータイプ。ニューモデルが出た事を知らなかった私。早速購入しなくては・・・。
▼やまなみライン
三厩から今別まで走りそこから内陸に入って大平に向かう。ここは結構パンダさんが出没する場所で前方とミラーを睨めっこしながら普通に走ったが、今日はお出ましにならなかった。

融雪用の地下水が流れた痕が赤く残る小国峠を越え、我々は大平に出る。踏み切りを渡り信号を右折するともうそこからやまなみラインSSはスタートするのだが、そこは少し我慢して私は人家から離れてからスロットルを開け始める。

ハイスピードSSのやまなみラインは、北海道的な走りが楽しめる貴重なSSなのだが、如何せん距離が短い。・・・と言うよりは、時間が短いと言った方が正確だろう。距離はそこそこ有るのだが、アベレージスピードが高い為直ぐに終わってしまうのだ。

その短い貴重な時間を往復で楽しんだ我々は、蟹田で しろうお を食する為蟹田川(季節営業の食堂)に向かった。途中いつもの県道から裏道に入ってみたのだが、路面が悪く道も狭い所が有って使えない道だった。


▼しろうお が ラーメンに?

この道から蟹田川に向かうには途中から左折し踏み切りを渡って行くのだが、小学校で運動会が行われていたのを見ていたら左折箇所を行き過ぎてしまった。Uターンして戻るのも面倒なのでその先で左折箇所を探す事にする。

しかし、それらしき左折箇所を見つけられないまま国道280号に出てしまった。それでも国道280号を少し戻れば蟹田川は直ぐなので問題は無かったのだが、新たな問題が浮上する。蟹田川に架かる橋の袂を左折して蟹田川(食堂)に向かうと何か様子がおかしい。

この時期の蟹田川には、しろうおを捕るヤナが設けられているのだが今日の蟹田川には何も無かった。見えて来た蟹田川(食堂)の前にも車の姿は無く、閑散としているではないか。私の事前の調べでは、蟹田川の蟹としろうお祭りは21日まで行われるとなっていたのだが、しろうお漁が終わってしまい祭りも予定より早く終了してしまった様である。

今回初めて しろうお を食べるのを楽しみにしていたメンバーもいたので大変残念ではあったが、やってないものは致し方ない。また来年と言う事で我々は蟹田川の前でUターンし、すごすごと引き返したのであった。

本来のツーリング予定日だった一週間前なら問題はなかったのだろうが、しろうお様は我々の都合に合わせで遡上時期をずらしてはくれなかったようである。そんな事もあると私はスッパリ諦め、以前にも蟹田川(食堂)で昼食を取れなかった時に立ち寄った玉松海水浴場の食堂に向かったのであった。

我々は道の駅風の玉松海水浴場前のパーキングにバイクを停め、食堂に向かうと食堂前のお店で海産物を売っていた。そのお店の前に置かれた大きなバケツに中に蛸が入っているのを発見する。陸奥湾で捕れたと思われるその大きな蛸は私が今まで見た事の無い大きさで、これを刺身にしたら何人前取れるのか想像も出来ない位の大きかった。

その横で酒の肴になりそうな物を沢山並べ、オッちゃんが呼び込みをしていた。
 「帰って一杯やる時のツマミを買っていかないかい?」
と声を掛けられたのだが、鯵ヶ沢でその手の物は購入済みだったので申し訳ないが前をスルーさせて頂いた。

ここの食堂のメニューは、手打風とか中華そば風とかの種類はあるが、基本的にラーメンしかなく皆さんそれぞれのラーメンを注文する。お味も価格も、可も無く不可も無くのラーメンで、我々はそれぞれの胃袋を満たす。

ラーメンで熱った体をクールダウンする為、私はソフトクリームを買いにカウンターに行くと発券機で券を買って下さいと言われてしまう。最近のこの手の場所には御当地ソフトがお約束なのだが、ここには普通のバニラとチョコとミックスの3種類のソフトしかなかった。私はスタンダードのバニラを注文する。

形の良い普通のバニラソフトを持って私は浜辺に出る。青空と陸奥湾の向こうにはクッキリと下北半島が見えていて、何とも気持ち良い。海岸の左手ではジェットスキーを楽しんでいる連中がいて、エンジンの音と水しぶきを上げて走っていた。まだ5月だと言うのに水は冷たくないのだろうか!? ジェットスキーは、夏のレジャーと言う訳でもないのかもしれない。

皆さん思い思いに休憩を取っていたが、A氏がブーツの中に履いていたゴアテックスのインナーソックスを脱いでいた。その時彼が履いていた5本指ソックスに、私の目が止まった。その5本指ソックスのスベル止めパターが、私の知っているパターンと違っていたのだ。

どこで購入したか聞いてみると しまむら で買ったと言うではないか。最近 しまむら に行っていなかった私だったが、私の知らぬ間にニューモデルが発売されていた様である。ちょうどライディング用ソックスが大分やつれてきていたので、これは帰ったら早速 しまむら に行ってニューモデルを購入しなくてはなるまい。

休憩後、我々は八甲田を目指して走り出す。


蔦温泉に到着。


何か違和感?



ブーツを抜いて・・・。いざ温泉へ。
おっと、その前に入浴料500円をお支払い。



温泉から上がって気分爽快・・・。


















焼山のGSで最後の給油。
おばさん一人で大奮闘!
▼青森市内で道に迷う?
国道280号から国道7号に出て一旦弘前方面に走って7号のバイパスに入った我々は、東北道沿いを走る。ここから我々は八甲田田代平に向かうのだが、私はバイパスから田代平に行く道が一本の道で行けない事は知っていた。

前回(2年前、谷内温泉で死ぬ目に遭った時だ。)ここ地図にマークが付いている場所)を通った時、私は案内板に従って幸畑の交差点手前で左折した後直ぐに右折し幸畑の交差点を直進て田代平に向かっていた。

今回その案内板を見てはいたが、曲がる交差点を良く理解出来ていない状態で左折するべき信号交差点に入ってしまった。間違いに気付いた時には時すでに遅く、交差点を行過ぎてしまっていたのである。

本来ならばUターンして信号の交差点に戻るべきなのだろうが、Uターンを出来るだけしたくないと考える私は、本来の道はすぐ隣を走っているのだから何とかなるのではないかと楽観的に考えそのまま直進してしまった。

何とかなるのなら案内板を出す必要はないわけで、道は少し先の本来の道にぶつかった所で消滅していた。しかし、ここでもUターンをしたくなかった私は、本来の道の歩道に出る小道?を見つけ、それに乗り入れてしまったのである。

・・・と言う事は、結果的に6台のバイクが歩道に一列に並ぶ事になったわけで、この場面を其の筋の人に現認されたら御咎めが有っても致し方ない状況に我々は立ち至ったわけであります。

焦った私はこの状況から一刻も早く抜け出そうと本来の道に出ようとしたのですが、交通量が多い中左折ならまだしも向かい側の車線に右折しなければならない状況では、二進も三進も行かなくなってしまったのであります。

すると交差点の信号が変わり横方向の信号が青になった。幸いな事に横方向を走る車の数が少なかった為、我々は横断歩道の箇所から車道に出て右折する事に成功したのでありました。 パチパチパチ! 

案内板に従って普通に走っていればこんなドラマも生まれなかったのでしょうが、私の判断の甘さから皆様には余計な事にお付き合いさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした。この場をかりて謝罪させていただきます。


▼新緑のトンネル

めでたく八甲田に向かって走り始めた我々は、小峠、大峠を越えて田代平を目指したたのだが、車の行列に阻まれ走りを楽しむ事は出来なかった。今年の八甲田はいつもより訪れたのが一週間遅いという事もあってが、残雪の量が昨年と比べると大分少なかった。

それでも雪中行軍遭難者銅像へ行くパーキング付近まで来ると残雪の壁が残っていて、コーナーに雪解け水が流れていたりして気を使う走行が続く。田代平もまだ雪に覆われていて湿原に春の兆しはまだ無かったが、後ろにそびえる雛岳(1.240m)の斜面は春の日差しを浴びてキラキラと美しく輝いていた。あの斜面をスキーで滑ったら気持ちいいだろうなぁ・・・。

予定では田代平の先の国道394号に交わった所で、七戸町側に左折してワインディングを楽しむつもりでいたのだが、私の中で早く温泉に入ってゆっくりしたいと言う気持ちが強くなってしまい、いつも通り右折して谷地温泉方面に向かう事にする。

ここから谷地温泉に上って行く道は、適度なワインディングが続き楽しめる道が続く。私は先頭をM氏に変わってもらい、後ろに下がってここを初めて走るC氏の前を走る事にする。

上り始めて直ぐ、カメラを構える男性を発見する。おそらく彼は新緑のブナ林を撮る為にカメラを構えていたものと思われるが、突然現れた我々を見て彼は我々に向かってシャッターを切った模様である。

もしかしたら <新緑のブナの森を疾走するバイク> 等とお題が付いて、インターネット上に我々の写真が出回る事になるかもしれない。それはそれで私は一向に構わないのだが、出来ればその写真が一枚欲しいと言うのが本音である。それは我々の普段の走りを撮影した写真が存在しないと思われるからで、それは本当に貴重な一枚となるからである。

カメラマンから少し走ると今度はバイクが2台止まっていて、ライダーが我々に熱い視線を送って来る。私が通ったのは前のグループが走り去った少し後で、彼らは我々が近づいて来るのを待ち構えていた様にジーッと私とC氏の走りに注目していた。

注目してもらえたのは良かったのだが、その時の私の走りはC氏の先導でミラーを見ながらの走りだったから、前のグループの走りを見た後できっと期待外れに終わったのではなかろうか。

それでもC氏の走りは前回の1st.ツーリングと比較したら格段に安定した走りになっており、スピードも確実に上がっていた。ただ、ライディングフォームが窮屈そうでバイクとライダーの動きに硬さがある様に見えた。彼は次のアドバイスが必要な段階に来たようで、私はそれを次の休憩地蔦温泉の温泉に浸かりながら行う事にしたのである。

谷地温泉入口で前のグループは我々を待っていてくれて、そこからまた私が先頭で国道103号を焼山方向に下って行く。この道は1.5車線ほどの狭い道で、両側に広がる新緑のブナの森が我々の近くまで迫ってきており、それはあたかも新緑のトンネルの中を走っている様であった。

こうして新緑の中を走りながら、二年前に降り積もった雹で一面白くなったこの道を下って行った時の事を思い出す時、それは夢の中の出来事であった様に思われてくる。私はこの道で2年前には地獄、今年は天国を味わったのでありました。


▼蔦温泉でリフレッシュ

緑のトンネルを抜けて我々は蔦温泉の駐車場にバイクを停める。パーキングには多くの車が止まっており、蔦温泉は相変わらずの人気のようである。蔦温泉は私の大好きな温泉の一つで、時々ツーリングで立ち寄らせてもらっているのだが、歴史ある建物のたたずまいと落ち着いた浴場の雰囲気が何とも心地良いのだ。

我々は早速タオルを持って温泉に向かう。温泉の建物と我々の着るレザースーツとの対比が後ろから見ていると何ともミスマッチなのだが、そんなところがFUNKYなんだと納得しまう私であった。

我々が近づいて来るのを見た旅館のスタッフが、玄関脇の雨戸を開けて我々が靴を抜き易い様に準備をしているのが見えた。このへんの心配りが蔦温泉が人気のある要因の一つだと思う。FUNKYでは唯一の喫煙者になってしまったM氏は、玄関先に置かれた吸殻入れの壺に感心していた。

▼FUNKY恒例の温泉スクール

我々はブーツを脱ぎ、帳場で入浴料500円を支払い、久安の湯に向かう。蔦温泉には久安の湯と泉響の湯があるのだが、私は浴槽の底の板の隙間から温泉が湧き出る久安の湯が好きでいつも久安の湯に入っている。

久安の湯の浴槽には湯口の様に見えるところから温度調整用の沢水が流れ込んでいるのだが、それを知らない人は温泉と思って手を差し出すと冷たい水で驚く事になる。そして 「温泉はどこから?」 という疑問を持つのだが、それは板の隙間から上がってくる気泡を見付ける事で納得するのである。

私は久安の湯では入る場所を決めていて、今回もその場所でゆっくり温泉を楽しんだ。そしてC氏を呼んで、ライディングスタイルに対する新たな課題を提案する。彼が私の提案をどう受け止め、どう自分の走りを変えていくか楽しみである。


暫しの休憩。
各人、温泉でリラックスした時間を過ごした後、外に出て体をクールダウンしこれからの走りに備える。私も1缶140円と高級な清涼飲料を飲んで休んでいたら、団体さんが集合写真を撮ろうとしていたのでカメラマンを買って出る事にした。

シャッターを押そうとしたら、全員が揃うまで少し待って下さいと言われてしまう。それからチリポリチリポリ人が集まって来て結構待たされる事になる。時間はあったので私は集まるまでゆっくり待ったのだが、幹事さんと思われる女性が盛んに恐縮していた。お年寄り相手の幹事さんは本当に大変そうで同情してしまった。

そんなやり取りを楽しみながら休憩を終えた我々は、蔦温泉を発って焼山のGSに向かった。


▼予備タンク?

焼山に在るいつものシェルスタンドで今日最後の給油を行う。200kmと少し走って私のGSX−Rには12リットルとチョッとのガソリンが入った。今回は回転を上げて走る機会が多かったせいか燃費が少し下がってしまったGSX−Rだったが、FZR400RR−SPは予備に入って走行していたようだ。

C氏はFZRがガス欠でバイクが急に減速した為驚いてしまっようだが、ツーリング中は走行距離と自分のバイクの燃費を考慮しガソリンタンクの中にどれ位のガソリンが入っているか常に頭に入れておく事が必要で、今回のような場合走り出す前にガソリンスタンドまでの距離とガソリンの残量を考え、予め予備に切り替えてから走り出すべきなのである。

ガソリンはONであろうと予備であろうとタンクの中に有る分しか出てこないわけで、走れる距離はどちらも同じだからONで走り出し途中で予備に切り換える意味は無いのである。コーナーの立ち上がりでスロットルを開けた瞬間急減速し、後ろに着いていたバイクに追突されるような事も考えられるわけで、ガス欠による危険性を考えたら走行中の予備への切り替え操作は百害有って一利無しなのである。

だから最近のバイクの多くがガソリンが少なくなった事をコーションランプで知らせるものになっているのは、理に適っている事になる。C氏と同じB氏のFZR400RR−SPは、予備への切り替えスイッチを廃止し予備に入るとランプが点灯する様に私が改造してある。

もっともそれは彼のFZRにはSUGOのレース用イグナイターを取り付けている為、燃料の予備回路が入っておらずその対策として私が考え出したものだった。最終的に通常使われる事が少ないオイルレベルランプをガソリンのコーションランプとして使用する事にしたのだが、これで予備に切り替える操作は無くなり、ガソリンが予備の量になったのをランプの点灯で知る事が出来るようになったのである。

今日最後の給油を終えた我々は、次のSS奥入瀬バイパスに向かって走り出す。


十和田樹海ライン入口のパーキングでこれからの走りに備える。


各人これからの走りをイメージ中!?
▼奥入瀬バイパス
昨年は大雪で開通していなかった奥入瀬パイパスは、今年は何の問題も無く走る事が出来て、走っている車も殆ど無く道路幅いっぱいを使って我々は深いバンク角を楽しんだのである。先頭からM氏、S氏、A氏、私、U氏、C氏の順番で十和田湖の外輪山に駆け上る。

相変わらず車線内の矢印は邪魔だが、登坂車線の有るこの道はラインの自由度が大きいから、各人思い思いのラインを取って走りを楽しんでいるのが見ていてよく分かった。

そんな至福の時間は瞬く間に過ぎてしまい外輪山の縁に立った我々は、右手に日の光を反射して輝いている十和田湖を見下ろしながら子の口に下って行く。この下りの道は狭く(1〜1.5車線)て曲がりくねっているからスピードの出し過ぎには充分注意してもらいたい。特に覆道の中は暗くて曲がっているので注意が必要である。

子の口から国道103号を宇樽部から休屋へと走るのだが、昨年の11月末に新しく宇樽部と休屋を結ぶ宇樽部トンネルが完成して、瞰湖台の在った狭い峠道を通らずに休屋に行ける様になった。

この道を通るのが初めてという事で私は道の様子を探りながら走ったのだが、大きなRのコーナーで構成されるアプローチと直線的なトンネルで形作らたこのバイパスは、我々をアッとういう間に休屋に導いてくれた。以前までの峠越えの時間を考えると、所要時間は1/3から1/4に短縮されたのではなかろうか。

十和田湖の景勝地 瞰湖台 からの眺めは旧道を使って行けば今まで通りに見られる様だが、冬季間は閉鎖になるらしい。

我々は休屋から和井内へと湖畔を走り、発荷峠に上って十和田樹海ライン入口のパーキングにバイクを停める。昨年はパーキング横に除雪された雪が沢山残っていたが、今年はほんの少しだけだった。時期が一週間遅かったとは言え、今年は雪が少なかった(昨年が多すぎた)ようである。

ここで十和田樹海ラインSSの走りに向けて休憩を取る。A氏が盛んにハンドルが切れ込んで思うような走りが出来ないとタイヤを気にして見ている。A氏は今回リヤタイヤを メッツラー M3 から ミシュラン パイロットパワー 2CT に交換していたのだが、フロントタイヤは昨年交換した ミシュラン パワーレース のままだった。

確かにリヤタイヤが変わったのだからハンドリングが変わってもおかしくはないのだが、パワーレースと2CTの組み合わせは私が以前に試して確認済みで、変な切れ込み等は無かった様に思う。

フロントタイヤを見ると大分両サイドが磨耗して溝が少なくなっていて、それが原因でハンドルの切れ込みにつながっている事も考えられるのが、A氏は今回が今年初めてのFUNKYツーリングで、ライダーの感覚がまだ昨年の状態に戻っていない事も乗れていない原因の一つと考えられる。

つまり、1st.ツーリングに出て昨年の走りを取り戻しつつあるメンバーと一緒に走った場合、どうしてもスピード感覚の差が出てしまい自分が遅い様な感覚に陥ってしまい思う様にライディング出来ないと感じてしまうのだ。人間、何か具合が悪い事が起きると物の性にする事が多いのだが、結構原因は人間にある場合が多いものだ。

そして今日最長のSS、十和田樹海ラインに我々は走り出す。



今日は明るいうちに帰れそうです。


後は秋田まで一気走り。



▼最短の十和田樹海ライン!?
私、M氏、S氏、A氏、U氏、C氏の順で走り出した樹海ライン、私は行ける所まで行って後ろからのプレッシャーを感じたら後ろに下がるつもりでいた。十和田樹海ラインンの下りは、ブレーキングが決まるか決まらないかで走りが決まるのだが、今日の私とGSX−Rの組み合わせは、ブレーキングが安定していて危なげなく走れていた。

樹海ライン前半部のシェルターの在る所まで先頭で走ってしまった私は、シュルターを抜けた所で車数台に追い着く。しかし、ここはまだ黄線区間で、私は黄線が白線に変わるのを車の後ろで待つ事にする。その間に後ろのメンバーも追い着いてきて、メンバー揃って白線を待った。

黄線が白線に変わった所で樹海ライン後半が始まる。後半部分の最初には樹海の中を走る長い直線が有って、ここは結構スピードが乗る。問題はこのスピードが乗った状態からのフルブレーキで、これが上手くいかないとここは楽しく走れない。

長い直線区間を抜け、道は下りのワインディングに入って行くのだが、私はそこでミラーを覗く余裕が出来て後ろを確認してみる。すると私の後ろにはピタリとM氏はが着いていて、少し離れてS氏の姿が見えていた。

その後ろまでは確認する事はできなかったが、皆さん樹海ラインを大いに楽しんでいたようである。私の中で今日が最短時間の十和田樹海ラインであったかもしれない。

七滝の前で遅れて来るC氏(FZR)を待ったのだが、彼は不安になる程の時間が経つ前にやって来て私を安心させてくれた。再び六台で走り始めた我々は、小坂町に下る新しく出来た道に差し掛かる。

この道は以前から行われていた工事が完成したもので、大きなシングルRのカーブの組み合わせて構成される仁賀保高原の上りを大きくした様な道だった。その気になれば高速で深いバンク角を体験出来るかもしれない。


▼やっぱり マダムキラー!?

小坂に出た我々は国道282号に出て左折、毛馬内に向かう。毛馬内から国道103号を比内方面に右折した我々は、大滝温泉付近のバイパスに差し掛かった。ここには道路の両側に小さなパーキングが設置されているのだが、その両側のパーキングにババヘラのパラソルがそれぞれ立っていた。

「あっ ババヘラが両側にいる。」 とそれを見ていた我々に対し

突然 ババヘラのオネイサン?が大きく両手を振り出したではないか。

ババヘラのオネエサン達には多くの思い出を持つFUNKYだが、今まで大きく両手を振られた体験は一度もなく、少なからず私は驚いてしまった。・・・と同時に何か嬉しかったのである。

世の中の片隅でひっそりと鳴りを潜めて走っているFUNKYに手を振ってくれるのは田舎の子供達と相場は決まっていたのだが、ババヘラのオネエサンから手を振られると言うのは新しい展開であった。竜泊ラインのマイクロバスのオバサマ達と言い、FUNKYは田舎の子供達だけではなく、塾女にもファン層を広げた様である。

比内から国道285号に入り米内沢に向かうと、米内沢の手前国道105号と国道285号の共用部分で以前から行われいたバイパス工事が完成していて、道は真っ直ぐ国道105号に出るようになっていた。

我々は国道105号に出る前に左折し、国道105号と川を挟んで並行に走る道に入る。この道は交通量も少なく、何よりも其の筋の車が少ないところが良い。


▼最後のSSでアクシデント?

国道105号に戻った我々は、阿仁前田から上小阿仁に抜けるSSに出る。このSSは距離は短いが見通しが利く高速コーナーが続き北海動的な走りを楽しめるSSで、私はここでも先頭を走ろうとスロットルを捻った。

ところが走り始めて直ぐ、私のお尻の部分で異常が起きてしまったのである。私のお尻の後ろには、工具等が入ったバックがタイラップで縛り付けられていたのだが、どうもそのタイラップが外れたようでバックが左右に遊んで暴れ出したのである。

外れたのは左右で止めている左側のタイラップだけでバックが脱落する事はなそうなのだが、バックが気になってスロットルを開けられない状態になってしまった。このままでは後続の皆様に御迷惑となるので、私は後ろに下がりC氏の先導役に回る事にした。

私を追い越して行った皆様方は奇麗な隊形を保って次々にコーナーを抜けて行く。それはあたかもブルーインパルスのアクロバット飛行を見ているかのようで、等間隔のバイクが次々にコーナーをクリアーしていく様は 

 <イクスタシー!> 何とも美しかった。

私は、お尻のバックを気にしながら、そして後のC氏のFZRに突っつかれながら上小阿仁を目指したのだが、次第に前のグループは視界から消えて行った。それにしても後ろのFZR、八甲田の山中で見た時と比べ大分スピードが上がったようで、お尻が気になる私をゆっくり走らせてはくれなかった。

「温泉でのアドバイスが効いたのかな・・・?」

前のグループは上小阿仁の道の駅に入って行ったのだが、私は先にあるローソンで休憩する事を選択し皆さんを連れて道の駅を出てローソンのパーキングに入りバイクを止めた。


▼チョッと早過ぎないかい!?


上小阿仁のローソンで小腹を満たす。
小腹空いた私はサンドイッチを購入、皆さんもそれぞれ食料を調達してした。M氏は禁断の食べ物、<粒アングッティ>を購入して美味しそうに食べている。疲れた時は甘い物を体が欲しがるんだよなぁ・・・。

休憩しながら各自のタイヤを見ていたら、U氏の隼のタイヤが終わり掛けているのを発見する。このタイヤまだ2500km程度しか走っていなかったが、後輪も前輪も溝が殆ど無くなっていた。

前回は同じタイヤで4000km以上走ったのに・・・
「チョッと早過ぎないかい!?」

何が原因でこうも早く減ってしまったのか分からないが、ここ最近の走りが一因である事だけは確かであろう。今回から使用したハイスロも一因と考えられ、U氏としてはハイスロを気に入ってだけに思わぬところにハイスロの弊害が出てしまったようである。

今回私と同じタイヤを前後履いたM氏は、たいそうこのセットが気に入ったようである。ミシュラン POWER RACE C のフロントタイヤは特に気に入ったようで、R45指定タイヤにして45歳以下には履かせないようにすると言い出す程であった。

確かにここ最近のFUNKYの走りの変化は、タイヤの選択にも影響を与えているようになってきており、<グリップするけど減らないタイヤ> と言う永遠のテーマに頭を悩ます日々が続きそうである。


一人いませんが、全員集合。



今日はお疲れさんでした。
▼無事帰還
我々は上小阿仁から国道285号を五城目まで走り、広域農道を使って秋田市に無事帰って来た。今日の走行距離は579Kmと大体予定通りだったが、大きなトラブルも無く予定より少し早く帰ってくる事が出来た。

今回のツーリングは蟹田川で しろうお を食べ損ねた件はあったが、天候にも恵まれ予定のSSを楽しむ事が出来たし、大きなトラブルも無かったから皆さん満足したツーリングになったのではなかろうか。

メンバーの中には秋田に帰って来た途端緊張の糸がプツンと音を立てて切れ、疲れがドッとでてしまった御仁がいた。私は久しぶりのFUNKYフルツーリングにそれなりに疲れてはいたが、いつもよりは疲れが少ないように感じていた。

それは今回のツーリングが私に取ってストレスの少ないツーリングだった証で、人間楽しく感じていれば疲れも感じないで済むと言う事なのではないだろうか。それと私の場合ツーリング前のコンディション作りが上手くいったのも、疲れが少なかった要因と考えられる。

1日600km近くを13時間前後で走る為には当日の体調が良くなければ、疲れるし、楽しくないし、何よりも注意力が散漫になって危険である。従ってツーリング前の体のコンディション作りが大切になってくるのである。

私の場合コンディション作りは金曜日から始める事にしていて、金曜の夜からは出来るだけ睡眠時間を多く取り、変な物を食べたりしないようにして体調を整えるようにしている。年寄りは若者と違って無理は利かないから、地道なコンディション作りが必要なのである。


次回のツーリングは太平洋を見に三陸海岸に行く予定となっているが、次のツーリングが待ち切れない心境である。



 2007 FUNKY
     2nd.Touring



      終


          Report by Ryuta

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