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2007年9月16日(日) 第3日目

旦那の コペン
Ultimate Edition U Memorial




一福 朝食 鮭大き過ぎ
▼やはり雨具を着て花咲港を出発
朝起きて窓の外を見ると、雨は殆ど上がってはいたが路面は濡れており、今日もまた雨具が必要な状況であった。こうなると今日の予定の立て方が難しくなる。今日の我々の予定では、ここ根室から厚床、標津を通り知床峠を回った後、根北峠を走って開陽台に出て裏摩周を走り川湯で苫小牧から来るA氏と落ち合う事にしていたのだが、路面がウエットとなると話が違ってくる。

雨の知床峠は走っても面白くもないし、多分霧の中だから景色も楽しめず行く意味が無く、その場合は根北峠も同様であろう。しかし、A氏が川湯に到着するのは多分昼過ぎになると思われ、知床を回らないで川湯に直行すればゆっくり行っても11時には着いてしまう事になる。

根室の路面は濡れていても知床は乾いている可能性も有るから先ずは標津まで行く事にしたのだが、テレビの天気予報で気になる情報を流していた。釧路、根室地方は午前中には雨が上がるが、北見、網走地方の雨が上がるのは夕方になってからとなっていたのである。

その情報は見ない事にして、我々は朝食をしっかり頂き出発の支度をする。女将さんの所に宿代を払いに行くと、一泊二食付 1名6500円×2で13,000円 それに缶ビールが1本で合計13,400円だと言う。

私は一万円札二枚で支払ったのだが、女将さんはお釣りが無いとあちこちの引き出しの中を探している。千円札は何とか七枚出てきたのだが、小銭が見付からなかった。私も硬貨の持ち合わせが無く女将さんは困ってしまったのであります。

そこで女将さんが出した結論は、端数はオマケすると言う事だった。昨日は焼酎や缶ビールを差し入れしてくれた上に、我々がオーダーした缶ビールまで女将さんはただにしてしまったのであります。

宮城県出身だと言う女将さん、気っ風の良いのはいいのだが、こんな事で大丈夫なのかと私は 民宿 一福 の行く末を心配してしまったのだが、女将さんは「いいから いいから」と、あっけらかんと笑っていた。私は恐縮しながら部屋に戻り相棒にその話をして、宿代6500円だけを受け取る。


▼急がば回れ

我々が宿を出る時コペンのご夫婦も出て来てお別れの挨拶を交わす。どんより曇った空の下、小雨降る花咲港を我々は厚床を目指し昨日来た方向にスタートする。しかし、私は走り出して直ぐある事を思い出し100m程走ったところでUターン、反対方向に走り出す。

私は落石を回って厚床に行くのを考えていて、走り出してから昨日来た方向とは逆の方が行き易い事に気付きUターンしたのだが、今考えればUターンしなくても何とかなったような気がする。

このへんの判断は旅先でよく迷う所で、私はこの道を行けば近そうに思われる時でも、確信が無い場合は遠回りになっても分かっている道を行く事が多い。時間に相当余裕が有る場合は別だが、旅先では 「急がば回れ」 を私は基本にしている。

道に迷って時間を使いそれを取り戻そうと無理をして事故を起こす事も有り得るし、想定外の場所に出てしまう事も考えられるから、旅では出来るだけ不確定要素を排除する事が大切なのだが、意外性の無い旅もまた面白く無いから、そのへんの兼ね合いが難しい。

落石から別当賀に向かうにはJR落石駅の前を過ぎた所で右折し踏み切りを渡らなければならないのだが、私はその踏み切りを見落とし直進してしまった。そこから数百メーター走った所にあった落石岬への表示を見て、私はその間違いに気付いた。

それは私の記憶中に「落石岬は行き止まり。」というが有ったからなのだが、この標識が無ければ落石岬まで行ってしまっていただろう。しかし、それも私からすれば良かったのかもしれない。

落石岬はテレビドラマ「北の国から」の中で、蛍が男と暮らしている家を黒板五郎が雪の中訪ねて行く舞台となった所で、「北の国から」ファン?の端くれとしては一度立ち寄って見ても良かったのではないかと、今は少し後悔しています。

間違いに気付いてしまった私はUターンして来た道を引き返し、踏み切りを渡って別当賀に出る。別当賀から深い森の中をうねるように走る道に入ると、私は雨が上がったウエット路面を大いに楽しんだ。ところが私の後ろを走る相棒は楽しむどころではなかったようで、ウエット路面と格闘していた模様で私のミラーの中から消えていた。

国道44号に出た我々は、車の流れに乗って厚床に出る。厚床で国道243号に右折した我々は、交通量も減った事もあってペースを上げる。ここまで来ると路面もハーフウエットに変わり大分走り易くなってきたが、空は相変わらず鉛色で天候の回復するペースは遅いようだ。


▼タンデム走行

尾岱沼手前の白鳥台でタンデムのバイクを見掛けたのだが、先程からそのバイクが我々の後に着いて走っている。、我々が車の後ろで時間を潰している間に追い着いたようなのだが、BMW(OFF系)?のようにお見受けしたが、結構なスピードで追い着いて来ていたようだ。

スピードの事に関し私は他人様の事をとやかく言える立場には無いが、タンデムで走る時、ブレーキ距離は伸びるしハンドリングも重くなるから、スピードは控え目で走るようにしたい。

私はバイクのリヤシートはエマージェンシー用と考えていて、後ろの人間の命に責任が持てるほど私はバイクの運転が上手くない事から、出来れば後ろに人を乗せて走りたくないと思っている。

バイクとは少し違うが(バイクを鉄の馬とも呼ぶ人もいるが)西部劇で馬に乗るのは殆どの場合一人で、タンデムで乗るのは馬を失ったライダーを拾って走る時(非常時)と相場は決まっている。馬に二人が乗る事は明らかに過負荷で常時二人乗る事は馬にとってキツイ事なのである。

それと同じ事がバイクにも言える訳で、バイクは通常ライダー一人が乗る事を前提(サスペンション等)に作られており、タンデムで走る事は普通の状態ではない事を認識すべきだと思う。もっとも最初からタンデム走行を想定して作られているバイクも存在する(BMW、YAMAHA/FJR、Kawasaki/GTR等)が、それは二頭引きの馬車のような物で単騎のような敏捷性を望むべきもない。

バイクの楽しさは馬のような敏捷性に有ると私は思うのですが・・・。皆さんはどう思います? 二人で走りたい時、私は  コペン をお勧め致します?

また、タンデムシートに幼い子供を乗せて走っている親がいるが、あれは是非止めてもらいたいと思う。親の背中に幼い子供がしがみ付いている姿は、傍から見ると微笑ましく見えるのだが、それは長続きしない事を知って欲しい。

乗っている子供は決して楽しくて乗っている訳ではなく、親が乗れと言うから乗っている場合が多く、その証拠に走り出して暫くすると子供は緊張感から疲れ果て寝てしまう事が多いのだ。

それは大変危険な事で、私も子供が小さい頃後ろに乗せて走った事があったが、子供が後ろで コックリ コックリ し始めた時、バイクを止める間に落ちてしまわないか私は結構焦ってしまった。

その時は子供をジャケットで体に縛り付け脱落防止を図ったものだった。バイクにこそチャイルドシートが必要なのかも知れないが、転倒した時バイクに体が固定されているのも怖いな・・・。

結論としては 「幼い子供はバイクに乗せちゃ駄目。」 と言う事でしょう。

バイクは乗せられる物ではなく、私は乗る物だと思います。




































開陽台 近くの有名な直線






川湯の公衆浴場




三台揃いました。


















川湯駅舎内のレストランで昼食と思ったのですが・・・。




























































































































網走の洗車場で洗車して泥を落とす。



アニマの里に無事到着。
▼雨の 根北峠・清里峠
我々は標津の国道244号と国道272号が交わる交差点の角に在るGSに入り、給油と休憩を取る事にした。時間は10時を回ったところで、A氏がどこまで来ているかメールを確認する。

メールによると足寄の手前まで来ているとあるから、道の駅 足寄湖 まで来ていると思われる。あそこから川湯までだと三時間は掛かるだろうから、私は川湯で1時から1時半の間に待ち合わせる事にした。

問題はこれからの我々の行動なのだが、1時に川湯と言う事でこれからの三時間をどう過ごすかを考える。予定では知床に行く事になっていたが、この様子では知床峠は霧の中にあると考えられ、行っても無駄と判断し知床はパス。

次は根北峠だが、根北峠はここから30分も掛からない所に在って今は雨も降っていない事から行ってみる価値はありそうだが、ドライで走るのは無理そうではある。GSを発った我々は、国道244号を斜里方面に向かう。

国道244号が海岸線から離れ内陸に向かうと長い直線に出る。この直線は高低差の無い真っ直ぐな道が続くのが特徴で、途中に車が走っていなければ10km先のヘッドライトの明かりを見る事が出来る直線なのである。

今日は車が走っていて長い直線を実感する事は出来なかったが、我々は直線が終わるまでに前の車を処理、開陽台入口を過ぎた所で一気にペースをあげる。路面はハーフウエット、一部路面に黒い所が残っているがそれなりに走れる路面状況である。

金山の滝の向かいに在るパーキングにバイクをした入れた私は、これから先をどうするかを考える。この先の根北峠がこのままの路面状況であるとすれば走る価値が有ると判断した私は、峠を下った所に在る越川温泉に入って時間調整する事にして根北峠に走り出す。

私が標津から斜里方向に根北峠を走るのは久しぶり(10年位前に一度だけあった)で、道路の傾斜の具合がいつもと逆でとても新鮮だった。いつもは平らだと思って走っていた道が結構な登り坂であったり、コーナーも右と左が逆になる事で新たな発見があったりしたのだが、それもこれもいつもよりアベレージスピードが低かった為に見えた事なのかもしれない。

高速ステージを抜け峠が近づくと雲の中に入ってしまったのか、見通しが悪くなると共に霧雨が降ってきた。路面は完全なウエット、この状況では峠を越えた斜里側の天候が良いとは考えられず、私は峠で引き返す事を決断する。

久しぶりに越川温泉に入る事を楽しみにしていた私だったが、こうなったら待ち合わせ場所の川湯温泉で温まる事に頭を切り替える。今来た道を引き返した我々は、国道244号から開陽台に行く道に右折する。

いつもは開陽台で休憩を取るのだが、相棒も何回か開陽台に立ち寄った事があった事から、今回は開陽台手前の直線で写真を撮っるだけにして清里峠に向かう事にする。ハーフウエットで走り出した清里峠も、峠に近づくに従い霧雨が降ってきて路面は完全なウエットになってしまう。

これは根北峠と全く同じ状態で、峠を越えた斜里側は雨が降っている事が想像され、朝の天気予報は完璧に当たってしまっているようである。清里峠のシェルターを抜けた所から裏摩周に向かう予定にしていたのだが、この状態では行っても何も見えない事は明らかで、我々は裏摩周には寄らず川湯に抜ける為、緑を目指す。

清里峠を下り、緑に近づくにつれ雨が本格的になってきた。雨具を着ていなかった我々は止まって雨具を着ようかとも思ったのだが、峠を越えて川湯に出れば雨が降っていない事は予想され、ここは我慢の子で対向車の水しぶきを浴びながら先を急ぐ。

国道391号に出て野上峠を越えると雨は小降りになり、我々は12時半過ぎ川湯温泉公衆浴場に到着する。


▼無事に合流


温泉から上がってA氏を待つ。




A氏到着しました。


私と相棒は早速雨中走行で冷えた体を温める為、窓口のおばさんに200円を支払い温泉に飛び込んだのであります。

しかし、本当はその前にするべき事が有ったのですが、温泉を目の前にした我々はそんな事はすっかり忘れておりました。

今日の川湯温泉の温度は少し熱目で、隣の温いお湯と換わる換わるに入って我々は雨中走行の疲れを取ったのであります。

温泉から出たところでA氏との待ち合わせの事を思い出した我々は、早速A氏にメールを入れたのだが、A氏は12時40分頃には川湯に到着していたようで近くのGSで我々からの連絡を待っていたらしい。

A氏がGSに到着する数分前、我々はそのGSの前を通過していた訳で、我々が温泉に到着した時点でメールを入れていれば、直ぐにA氏と合流出来ていた事になる。

私が予想した足寄から3時間と言うのは雨中走行での予想だったのだが、苫小牧からこの近くまで殆どの道はドライ路面だったそうで、我々と違ってA氏は結構楽しんでここまで走って来たらしく、私の予想より早く川湯に到着したようなのである。

何はともあれ、我々は無事A氏と合流出来た訳なのだが、A氏のZX−10Rは幾つかのトラブルを抱えていた。その一つがリヤフェンダーで、固定している三本のボルトの内二本がが脱落して辛うじて一本のボルトで留まっているだけだと言う。早急に対策をしなければならないが、それは昼食を取ってからにしようと思う。

その他にもZX−10Rには問題があったのだが、それはそれで我々と一緒に走る事で救われる部分も有ると思われ、無事合流する事が出来た事に私は安堵したのであります。


▼昼食を取って初めての道へ


後ろは硫黄山。


普通の昼食。

A氏が温泉から上がった後、我々は遅い昼食を食べに、昨年も立ち寄ったJR川湯駅舎内に在る レストラン オチャードグラス に向かった。

今日の オチャードグラス は昨年もそうだったが男女の若いカップルで満杯になっていて、席が空くまで30〜40分は掛かると案内の女性は我々に冷めた目で言うのだが、順番を待っているのは我々だけしかいないようだった。彼女は皆さん席に着いたばかりでこれからオーダーを取るところなので時間が掛かるとは言っていたが、本当にそれだけなのかは疑問?

彼女の態度は、我々みたいな場違いなライダーには出来れば座って欲しくないと言うのが見え見えで、素っ気ないその彼女態度に私は少しカチンと来たのだが、こんな所で時間を取っても何なので私は近くの以前は入った事の有るレストランに行く事にした。

昨年私はここ オチャードグラス でハンバーグを食べたのだが、その味は特筆するほどの味ではなく、普通の味(値段からしたら少し高目)だった事もあって今回私は待つ事をしなかったのだが、このレストランは若者カップルが雰囲気を楽しみながら食事をする場となっているようである。

見た目や雰囲気だけではなく、料理の中身でも勝負して頂きたいと私は思うのですが、どうなんでしょう?

我々は国道に出た所に在るレストランで遅い昼食を取る事にする。私は蕎麦をオーダーした後、A氏のZX−10Rのリヤフェンダーの修理に取り掛かる。持っていたボルトの中から使えそうな6mmボルトを選んでフェンダーを固定、これでフェンダーが脱落する事は無いだろう。

カレーやうどんや蕎麦を食べて胃袋を満たした後、私はこれからの予定を考える。予定ではこの後新しい道を探った後、美幌から津別に出て陸別〜置戸間のSSを走る事にしていたのだが、こう雨ばっかりだとモチベーションが下がって私に陸別まで行く気力は残っていなかった。

それでも路面が全て乾いているという保証があれば向かったかもしれないのだが、行って見たらウエット路面では立ち直れない状況に陥ってしまう事は明らかで、ここは宿に早目に着いて明日の準備をする方が得策との結論に達したのであります。

外に出て見ると路面はまだ濡れていたが雨は殆ど上がっていて、私は雨具を着るべきかどうかで悩んでいた。これから向かう藻琴峠は雲の中に有る事は予想されたが、峠を下れば新しくSSになりそうな初めての道を走る事になり、出来ればパタパタする雨具は来たくなかった。

結局、私は着ないで出発する事を選択したのだが、それを見た他の二人も雨具を着ないで出発する事になった。しかし、それが後で悔やまれる事になるとは・・・。


▼スペシャルステージに指定

藻琴峠に上るにつれガスが出てきて視界が悪くなり、雨も降り始める。そこまでは私も折込済みだったのだが、その雨が予想を超える降り方で私は雨具を着ないで来た事を少し後悔してしまった。それでも今更止まって雨具を着るわけにもいかずそのまま走り続ける。

峠を越え下って行く我々だったが、ガスの中からなかなか抜け出せないでいた。、美幌に抜ける道に出る手前でようやくガスが取れ、我々は美幌峠の表示看板を見て初めての道に左折する。

この道はインターネットで見付けた道で、走ったライダーはワインディングが続く楽しい道だと絶賛していたのだが、果して如何なる道なのか楽しみである。期待を持って走り始めた道だったが、路面がウエットでペースが上がらず楽しむ事は出来なかった。

それでも途中から路面が乾いてきて、後半は少し楽しむ事が出来た。ニセコのワイス温泉〜岩内間に似たレイアウトのこの道は、良い具合のワインディングが続き、晴れていれば充分楽しめる道で有る事が分かり、今後FUNKYの定番SSになりえる道であった。

本当はこの近くにもう一つ走って見たい道が有ったのだが、それは雨の為次の機会となってしまった。北海道にはまだま我々の知らない道が有るようで、新しい道を探すのも北海道ツーリングの楽しみの一つではある。


▼青空の効用

美幌と美幌峠を結ぶ道の途中に出た我々は、右折して美幌に向かう。美幌市街を抜ける頃には路面も乾き青空も見えてきた。それは今回私が北海道に上陸して初めて見る青空だった。二日間青空を見る事の無かった私は、青空がこんなにモチベーションを揚げるものだとは知らなかった。

久しぶりの陽の光を浴びながら気分良く国道39号を網走に向かって走っていると、女満別空港までの自動車専用道の看板が現れ無料開放中と書かれていた。無料とあれば使わない手はないと早速自動車専用道に入った我々だったが、空港にはアッと言う間に着いてしまい下道を行っても時間的には変わらない感じである。


▼旅の思い出

下道に戻って網走に向かって走って行くと左側にメルヘンの丘が見えて来る。まだ陽が高く丘に並ぶ木々の存在は薄かったが、これが夕方になって夕日の中に木々のシルエットが浮かぶようになると、それは美しい夕焼け風景の主役となるのである。

私はここでの夕日を一度だけ見た事があって、それはもう八年も前の事になるのだが、その時は横目でその美しい景色を見ながらも止まる事なく今回同様アニマの里に急いだのであった。本当に印象に残る景色に出会った時、バイクを止めてその景色を写真に収めねばといつも思うのだが、私の場合そのまま走り去ってしまう事が多い。

その結果、私の記憶のアルバムには沢山の美しい景色が載っているがのだが、写真として残っている物は少ない。美しい景色の写真が欲しければインターネットでも絵葉書でも私の素人写真より綺麗な物が沢山存在している訳で、私は思い出の中にしっかりその景色を焼き付かせるだけにしている場合が多い。

その為レポートに載せる写真が無くて困る事もあるのだが、レポートを書く為に走っている訳ではないので、其の辺はご勘弁下さい。


▼明日の走りに備える

午後四時前、我々は網走に到着する。網走の空は青空に白い雲が浮かんで陽射しが目にまぶしいく、我々が待ち望んでいた空がそこにあった。しかし、今日の走りの予定は終了しており、何とも勿体無い青空ではある。

そこで我々は、明日の走りに備えバイクのメインテナンスを行う事にした。まずは国道39・238・244号が交わる交差点を左折し国道238号に入り、数百m走った先の左側に在るENEOSセルフスタンドに入る。

このセルフスタンドはお金を先に入れてお釣りをレシートで精算するタイプで、私は2000円を入れて給油をしたのだが、満タンにして出てきたレシートを見ると代金は1996円だった。惜しかった。もう29cc給油していたらお釣り精算しなくてもよかったのだが、私はレシートを持って精算機に行き、軽い音で出てきた四枚のアルミ硬貨を受け取る。

この二日間の雨中走行で泥だらけになったバイクを洗車しようとGSのスタッフに洗車機が有るか聞いてみたら、車用の大型自動洗車機は有るがノズル式の洗車機は無いとあっさりと言われる。この手のセルフスタンドは、バイクは想定外のお客のようで対応は淡白である。

そこで引き下がる私ではなく、この近くに在る洗車場をそのスタッフから聞き出す。その洗車場は以前給油した事の有ったコスモGSの近くで、給油を終えた我々は洗車場に向かう。洗車場はコスモGSが在る信号を右に入った所に在って、私は以前その前を何回か通った事が有った筈なのだが全く記憶が無かった。

洗車場は雨上がりであった事もあり結構混雑していたが、ちょうど一か所洗車機が空いて我々は待たずに洗車する事が出来た。バイクが洗車されて綺麗な姿になるのは気持ち良いもので、夕日に照らされ輝いているバイクを見ていると明日の走りへのモチベーションも上がってくる。

我々が明日の準備に万全を期すのには訳が有った。それは明日走る予定にしているコースはFUNKY史上初めてと思われる過酷なコース設定で、設定した私さえ走り切れるかどうかも分からないコースだった。

SSだらけの明日のコースは、通常は二日で走るSSを一日で走ってしまう設定となっており、私は全走行距離を知るのが怖くて距離計算もしていなかったが、多分600kmを越える過酷なものになる筈だ。

それもあって私は早目に宿に入いりコンディションを整える事にしたのだが、我々は駅前のローソンでアルコールを調達した後、午後五時前 今宵の宿 民宿 アニマの里 に到着する。

我々は通常出発の前に吹くドライブチェーンへのオイルを明日の事を考え今日吹いた後、玄関に行くと旦那が出て来ていつもの部屋に案内してくれる。旦那は相変わらずのようだ。



食事の前に合流を祝って?乾杯。



アニマの里 定番の夕食。
▼アニマの夜は更けていく

食休み中。
第二ラウンドに備えて体調を整える!?



ところがこんな事に・・・・。

マウスポインターを画面に置くと
16年前にタイムスリップ!
夕食までに少し時間が有り、風呂に入った後我々三人は談話室で無事合流を祝って乾杯する。そこでは八戸ターミナルでのA氏の葛藤や私とU氏の二日間にわたる雨中走行の事等が語られのだが、何はともあれこうして三人がここ アニマの里 で乾杯する事が出来て本当に良かった。

いつもの夕食を美味しく頂いた後、我々は再び談話室に戻ったのだが、私はソファーに座ったところで不覚にも記憶を無くしてしまった。その時間がどれ程のものだったのかは分らないが、私は緊張感から開放され眠ってしまったようである。

私が夕食後に寝てしまった姿を写真に撮られたのは久しぶりで、それは1991年のPart 8 の事だったから、もう16年も前の事になる。

それは前日の夜秋田を発って青森から函館に渡り、早朝に函館を発って日本海沿いに稚内まで走った時で、15時間で720km走った時だった。当時の私はまだ40歳代前半で若かったが、さすがに疲れ果てて寝てしまったのだが、今回は連日の雨中走行で疲れが溜まっていたものと思われる。

どれ程の時間寝ていたかは分らないが、ハッと目が覚めた私は自分が今寝ていた事に気付き驚いた。それを横で見ていたU氏、そんな私の姿を見て笑っておりました。

仕事を終えた旦那と自転車を持って列車で北海道を周っていると言う関西の男性(30歳代後半?)が加わって、第二ラウンドが始まった。

旦那は今年網走刑務所が所有している土地を借りて初めてトウモロコシとジャガイモを作った(旦那はNPOに参加している)そうなのだが、予想以上に出来過ぎて人手が無くて収穫出来ていないでいるとか、幼稚園の子供にジャガイモを収穫させたら喜んでいた話とかジャガイモに虫が付いて売り物にならない話しとかで夜は更けていく。

そんな中、最初に部屋に戻って行ったのはA氏だった。昨晩のフェリー内が混んでいて寝られなかった事もあり、酔いの回りが早かったようだ。

その後、珍しくU氏が部屋に戻って行った。お酒の強さは別格の彼も、私同様雨中走行で神経を擦り減らしたようで、今日は早目に床に着いたようである。


▼女の一人旅

皆さんは明日の事もあって早目に部屋に戻ったようなのだが、私は一寝?した事もあってか眠くなてく、旦那と二人で話していた。

そこに関西から来たという小柄な可愛い女の子(20歳代)が、旦那に明日の行き先の相談でやって来る。彼女は一人旅をしているようなのだが、明日能取湖を周りたいのだがどうしたら良いか相談していた。旦那はレンタカーを借りれば楽だが自転車で周った方が安いし、時間もそんなに掛からないからと自転車を勧めている。

その後、彼女は釧路湿原の塘路まで行く予定とかで列車の時間や料金に付いても相談していたが、旦那も手馴れた感じで応対していた。

複数で旅する女性が多い中、彼女がどういう心境で旅に出たのかは聞かなかったが、一人旅を楽しんでいるのはよく分かった。

女性の一人旅、そこには何か神秘的なものを感じる私でありました・・・?

旦那と彼女のお話は続いておりましたが、時間は11時を回っており私は部屋に戻って寝る事にする。明日の展開は読めないが、しっかり寝ておかないと体が持たないかもしれないなぁ・・・。

第4日目
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