2002.10.6
2002 FUNKY 6th.Touring

                                Report by Ryuta    

秋田岩見三内国道13号出羽グリーンロード⇒

南外
国道105号角間川横手国道107号湯田

錦秋湖
横川目愛宕国道397号石淵ダム

東成瀬国道342号
須川国道398号花山鬼首

国道108号院内
湯ノ沢温泉(入浴)横堀

西音馬内出羽グリーンロード南外グリーンロード

国道13号岩見三内宝川
モト ワークス ヒラタ
                   全走行距離487km




 それは電話のコールで始まった。私は夢を見ていた。その夢は今まで一回も見たことの無いM氏が登場する夢だった。夢の内容はよく覚えていないがM氏は確かに居た。

 どこか遠くで電話の音が聞える。音は段々近づいてきて大きくなってくる。電話は私の枕元で鳴っていた。ハッとして起き上がり、私は何故か電話機の留守電のボタンを押していた。「只今留守にしております。御用のある方は・・・」のアナウンスが流れ、そして電話は鳴り止んだ。私が何故留守電のボタンを押したのか今でも謎である。

 ふと電話機の横に置いてある時計を見る、針は午前6時20分を示している。ナヌ・・・! 今日はツーリングの日で集合時間は6時ではなかったのか。もう20分も過ぎているのでは

 自分がおかれている状況を、今理解する。飛び起きて家を出たのが6時半前、軽トラのアクセルを目一杯踏み込んで店に向った。

 FUNKYのツーリングに参加するようになって23年、年平均7回ツーリングに参加したとして150回以上ツーリングに行ってきた。今まで集合時間に遅れた事は数回は有ったと思うが、起床したのが集合時間を過ぎていたというのは始めてである。店に着いて見ると、今日の参加メンバーM氏、S氏、P氏がこっち向いて苦笑いをしているのが見える。私は運転席で両手を合わせて頭を下げながら車を停め、平身低頭謝罪して店を開け出発の準備をする。

 6時前に集合した3人であったが、肝心の私がいなかったため少々不安になったそうだがその内来るだろうと待っていたらしい。6時20分になっても現れないためM氏が私の自宅に電話を掛けたが留守電で誰も出ない。6時30分今度はP氏が電話を掛けたがまたまた留守電で有ったという。

 M氏が電話を掛けた時、私がM氏の夢を見ていたのは単なる偶然であったと思うが、何か得体の知れない力が作用していたかもしれない。P氏が電話を掛けて時、私は既に家を出た後で電話に出るべき人間は家に居なかったわけで、また留守電のメッセージが流れてしまったのであろう。

 聡明なる3人は電話を掛けても留守電である事は、私はすでに家を出ていると思っていると勝手に判断して店に向かっていたのだが、私がM氏かP氏の携帯電話の番号を知らなかったのが事をややこしくしてしまったのである。ていうかー、私が携帯を持っていない事が問題なのかのしれない?

 3人の視線を感じながら急いで支度をして店を出発したのは、予定より約1時間近く遅れた6時56分であったのである。


今日の2番手は最初S氏にお願いして出羽グリーンロードに向かう。宝川から岩見三内を通り国道13号に出てグリーンロードに入り02 R1のS氏を先頭にYZF750SPのM氏、カメラ車の 99R1 P氏がペースを上げる。久々の先頭にS氏はペースが掴めない様であったが、私の視界から消えていく。

 グリーンロードを抜け国道105号に出て大曲方面に向かう。大曲インターの横を通過し次の信号を右折大森方面に向かい、高速の下を潜って直ぐの信号を左折して角間川に出て高速の手前の細い道を左折し次の一時停止を右折して横手に向かう。横手の箱石で国道13号に出て右折し湯沢方向に走り国道107号に入る。そして山内の道の駅で最初の休憩をとることにする。

 ここでP氏がヘルメットのシールドに貼ってあったフィルムを剥がし始める。このフィルムは、前回のツーリングの時夕日が眩しかった経験からシールド上部に張った車用のミラータイプの物であったが、普通走行時に視界が狭くなり走りづらい事が判明し剥がす事にしたのである。しかし、このフィルムに着いていた糊が取れずに苦労する。最初クリーナーでトライするが思わしくなく、次にタンクからガソリンを取ってようやく取り除く事が出来た。

 ヘルメットのシールドはライダーに取って最重要アイテムの一つで、ライダーはライディングに必要なほとんど情報をこのシールドを通して得ているわけで、傷の付いたシールドは直射日光や夜間走行での対向車のライトでハレーションを起して前が見ずらいし、濃いスモークシールドはトンネルや夜間走行では何も見えない恐怖をあじわう。

 特にこれからの時期、日没が早くなるので濃いスモークシールドは使用しない方が良いだろう。日没前に帰る予定でも、予定通りに行かないのがツーリンなのである。

 しっかりトイレタイムをとった我々は、県境を越えて岩手県に入る。湯田町を通過し、錦秋湖沿いの道を走って湯田ダム脇を通りJR和賀仙人(わかせんにん)駅近くに来た時、道路左から車が出てきて我々の前を走っていたトラックの前に入る。ゆっくり走るその怪しい車に、トラックの運ちゃんカチンときてきまったのか追い越しを掛けようと右にウインカーをー上げ右に寄った瞬間、怪しい車も右にウインカーを上げていきなり道路右側の駐車場に入っていく。もう少しタイミングが違っていたら衝突しかねないところであった。怪しいと思ったら少し様子を見る、これがツーリング時の鉄則である。

 この場所の和賀仙人という場所は古くから鉱山として栄え、赤鉄鉱や黄鉄鉱など多くの種類の鉱物が産出するそうで、今でもこの山の中には似つかわしくない大きな工場が建っている。それにしても仙人と言う地名がどうして付いたか知りたいものだ。昔、ここに仙人が住んでいたのであろうか。


    石淵ダムのいつもの休憩場所。
 国道107号横川目の信号で、北上西IC方向に右折するため止まっていたら前から2台のバイクが来て信号に止まった。そして信号が青になると2台のバイクは左折して我々の前の出た。高速に乗るのかと思っていたら、我々と同じく夏油方向に右折するではないか。
 後ろを走る北海道ナンバーを付けたCBR400RRはゆっくりとしたペースで走っており北海道のバイクが走る道では無いのにと思っていたら、前を走る赤いCBR600には岩手ナンバーは付いていて、どうも地元のライダーが北海道のライダーを案内している様であった。

ゆっくりと走る2台のバイクを追い越してからM氏を先頭にして後ろを前に出すと直ぐに前の3台は見えなくなる。すると後ろから赤いCBR600が追いかけて来る気配がするではないか。これは面白い展開になったとCBRを引き付けてからペースを上げてみる。しかしコーナーを3〜4つクリヤーしてミラーを覗くとCBRの姿はなくバトルを楽しむ間も無く終了してしまった。高性能のバイクを乗っているのだから、もっと頑張ろうよCBRさん。CBR600がRF400Rに遅れを取ってはバイクが可哀想です。

北上カントリークラブの横を通りワインディングを楽しんだ後、夏油温泉に行く道路にぶつかり、国道397号の愛宕に向かおうとしたら通行止め、それではと違う道に行ったらそこも通行止であった。通行止の看板の横には回り道の案内板が出ていたが、その案内板が見づらく勘違いをしてしまう。


夏油方向に迂回路が有ると考えてしまった私は、瀬美温泉まで走って止まった。冷静に考えれば山の中のこの方向に迂回路が有るはずもなく、ここから引き返して一旦北上方向に走り途中から金ヶ崎方向に右折して迂回路に入る。

 そして何とか予定のコースに戻って愛宕を目指す。戻った所は通行止めになっていた所から2km位離れた所で、その間にある古く狭い橋が通れなくなったものと考えられるが、そのために下流の橋を渡って戻って来るのに10km以上も遠回りしてしまったのである。



 国道397号愛宕にあるGSの前で3人は待っていた。ここまで150km位走っていてここで給油するだろうとの読みであったが、私の予定では秋田県側の東成瀬岩井川のGSで入れる予定にしていたため止まらずに石淵ダムに向かう。 石淵ダム手前右手の山肌を削って胆沢ダムの取り付け道路が大分出来てきたのが見える。あの道路が出来れば、今通っている狭い曲がりくねった道を通らずハイスピードでつぶ沼まで行ってしまいそうである。楽しみではあるが、何時のことやら分らない。




石淵ダムサイトのいつもの所で止まり、ここで長めの休憩を取る事にする。ここはトイレも自販機もあり休憩場所として使える。雨が降ったら屋根つきの休憩所もあるのでお勧めである。

 ここでこれから先のコースの走り方を相談する。石淵ダムから県境までは登りの2車線ではあるが狭く曲がりくねった道が続き、県境のトンネルを抜けると比較的スピードが出るペアーピンカーブと直線で構成された下りになる。

 トンネルまではM氏が先頭で行き、秋田県側の下りが苦手と言うM氏に替わってトンネルからS氏が先頭で行くことになった。まず最初は私が先頭で走り出す。



 石淵ダムからつぶ沼に至るコーナーの所々に水が流出していて路面を濡れさせていたが、P氏にとってこれが問題となった。P氏のリヤホィールにはまだ幾らも走行していない ミシュラン パイロット レース H2 が装着されいたが、このH2にはほんの申し訳程度の溝しか掘られておらず、どう見ても濡れた路面を得意とはしないと思われた。

 P氏は水でリヤタイヤが滑ったというわけではないが、濡れた路面を見ると条件反射的にアクセルが戻ってしまい開けられない状態が続き、濡れたコーナーごとに前との距離が開いて行った。ハイスロットル、ハイパワー、ハイグリップ・ワイドタイヤ車の思わぬ弱点をさらけ出してしまった格好だが、400ccの当方にとってその位の弱点はでは何の足しにのもならないがRF400RがR1を引き離した瞬間であった。

 トンネルまでの半分を走って所で、先頭からM氏、S氏、P氏、私の順になりペースアップ。ここの道はブラインドコーナーが多くまた車が止まっている事も多いため、先頭はコーナーの先を確認しながら速く走るという特殊技能が必要となる。この特殊技能は簡単には修得できるものではなく、あらゆる経験と修練が必要となるのである。



 トンネルの手前でS氏が先頭に変わってトンネルに突入する、トンネルと言えばS氏、FUNKYの中では自分の名前が付いたトンネルまで持つS氏は速い。結構なスピードでトンネルを飛び出したS氏は、そのスピードを維持したままその先にキツイヘアーピンカーブが待つ下り坂を下って行く。

 S氏は今年になってまだ2,000km程度しかR1に乗っていないため、新しいR1に慣れていない所があって苦労していたようだ。特に下りの高速からのブレーキング感覚が掴めず、思ったより減速しないR1に戸惑っていたようである。

 東成瀬・岩井川にあるJA−GSに給油のため立ち寄る。200km位走行して各車10〜11L前後の給油で全車高燃費であった。全開走行が殆んど無かった結果の高燃費であったと思われる。


 ここのJA−GSは時々利用させてもらっていたが、今日のスタッフは1人で、しかもうら若き女性であった。全員30歳以上の本日のFUNKYメンバー、誰でもと言う訳では無いが若い女性にはめっきり弱い。全員笑顔で給油を追え事務所で休憩を取る。

 口紅が綺麗に塗られた唇と上唇の黒子がSEXYとはM氏のご意見ではあったが、もう一人この女性に魅せられた御仁がいた様で、この後思わぬ事件に発展していくのである。


 何故かゆっくりと休憩を取った我々今度は栗駒須川を目指す。須川の登りが始まるまでの道は、川沿いに水田が広がり所々に集落が点在する秋田の代表的な田舎道と言える道である。

 この道沿いにダムを造ると言う話が進んでいるようだが、そうなればここの景色も変わっていく事になると思うと、どうなんでしょう。脱ダム宣言とか話題になってますが、私には分りません。ダムが出来ると新しい道が出来るので、それには大変興味が有りますが。

 二つ目のシェルターを通過していよいよ須川のスペシャルステージが始まりペースを上げようとミラーで後ろを確認すると最後尾P氏のR1の姿が見えない。


 バイクを止めて後ろを確認するがやはりP氏の姿は見えない。普通に流したスピードで走っていたので事故ることは無いと思ったが、私が探しに行くことにして今来た道を戻る。


 来ないバイクを探して引き返す時の気持と言うのは何とも言えない嫌なもので、悪い方に色々想像してしまって事故っていないか道路の両側に気を配って走る。道路脇に人が集まっていようものならドキッとしまうのである。

 この様な状況は今まで幾度もあった。ある時は田植えを終えたばかりの田んぼの中から手を振るライダーがいたり、道路下で用をたしてるライダーがいたりしたが、動いているライダーを見ると先ずはひと安心するのである。バイクは機械で有って部品を交換すれば元通りになるが、人間は完全に元には戻らないからである。動いていれば生きている証なのである。

 今回の場合はこうだ。先ほど給油したGSの手前1km付近でP氏のR1とすれ違う。P氏はそのまま何事も無かった様に走り去ってゆくではないか。私はあわててUターンしてその後を追う。しかしそのスピードは速くなかなか追いつかない。そうこうしている内にM氏とS氏がやって来た。M氏とS氏もUターンして共にP氏を追うが追いつかない。そしてP氏は道路右側にあった広いスペースに止まっていた。

 P氏の第一声は「やっちまった」であった。何を「やっちまった。」か問いただすと傷だらけのビデオデッキをリヤバックの中から取り出してアンテナが折れてしまったと申し訳無さそうに言い、だけどチャンと動いているからと強調する。傷だらけのビデオデッキは気になるが、そうじゃなくて何故いなくなったかが聞きたいのだ。

 氏の話によると、いなくなった訳はややこしかった。P氏は一つ目のシェルター付近でガシャと言う音を後方から聞き慌ててバイクを止めた。そこでP氏の見た物は、アンテナが折れた傷だらけのビデオデッキであった。デッキが落ちたと言う事はデッキの上に入れておいたはずの財布の入ったウエストバッグが心配になる。
 心配した通りリヤバックの中にはウエストバッグの姿は無く、急いでデッキを元に戻しビデオが動くか確認したかどうかは知らないが、P氏は我々に何も言わずに財布を探しに来た道を戻って行ったのである。走れど走れど財布は見つからずとうとうあの子のいるGSまで戻ってしまったP氏は、あの子が持つウエストバックとご対面となったのであった。

 今回の事件は、あの子の魅力に気も漫ろになってしまったP氏がウエストバッグをGSに忘れ、そしてリヤバッグのファスナーをも閉めるのも忘れてしまった結果起きた事件であったのである。(注、この文章の中には筆者の推量による文章が含まれることをご了承ください。)

 P氏に一言、言いたい。ビデオデッキが傷だらけになったのは許すとしよう。しかし、許し難い事が一つ有る。何も言わずに一人で戻るな。来ないライダーを探しながら戻る気持は、精神衛生上本当に良くない。今回の事で慰謝料を請求したいくらいの気持である。今後、何か有ったら先頭に報告してから行動を取るようにしてもらいたい。以 上

 そして須川スペシャルステージの幕は切って落された。このスペシャルステージは、FUNKY中では定食のようなもので年に2回は走っており全員コースを熟知しているため、得意・不得意のコーナーが各自あって付いたり離れたりして須川を目指す。

 このコースで気を付けなければいけないのは、須川の少し手前にある栗駒仙人水なる清水がある所。場所は登坂車線が始まって直ぐ左側に在りいつも車が沢山止まっていて人が列を作っているから分ると思うが、人がウロチョロしているので充分な注意が必要である。登坂車線になったら先ずスピードを落すことをお勧めする。

 須川のT字路を右折して小安方面に向かう。この道ははみ出し禁止区間になっているため車の後ろに着いて走るが、車の流は良く順調に下って行く。途中、左の法面が崩れていて片側交互通行の場所が在ったが信号も直ぐ青に変わって何事も無く通過する。

 まさかこの片側交互通行が一週間後の我々に思わぬ運命をもたらし、ある人物の死に立ち会ってしまう事になろうとは思ってもいなかったのである。



 ここで今回のツーリングとは関係ないの話ではありますが、あまりにも衝撃的な出来事があった一週間後の話を書いておきたいと思います。

 今回のツーリングの一週間後、我々はFUNKYのツーリングではなく他のメンバーと共に須川栗駒山荘の展望露天風呂で紅葉を満喫した後、小安峡に向かって走っていた。折しも紅葉見物の車で道路は両車線とも大渋滞していて、我々もその中に呑み込まれてしまっていた。

 ほとんど動かない渋滞にウンザリしていた時、一人の年配のご夫人が悲痛な表情で我々に駆け寄って来た。数台先の宮城ナンバーのワンBOXに乗るそのご婦人が言うには、同乗している一人(高齢の男性)が急に具合が悪くなり危篤状態になっているので救急車を呼んで来てほしいと懇願された。

 山の中で携帯電話も通じず道路は両車線とも渋滞で動かず途方に暮れていた時、後ろに止まっていた我々を見つけ助けを求めて来たのである。我々のバイクを見つけたそのご婦人は、バイクなら渋滞の中でも動けると考え頼みにきたのであった。バイクと見込んでの依頼にライダーとして断れるはずも無く私が小安まで下って連絡を取る事にし、後の事はM氏に任せ私は渋滞の車の中を走りだす。

 私の前には宇都宮ナンバーのグループが渋滞を縫って走っていて、私もその後に付いて走っていたが大型バスの後ろでそのグループの走りが止まった。バスの両側には少しの空きしかなく走りを止めたのである。私に止まる事は許されずバスと左と側溝の間は通り抜け可能と判断し、バイクを中央線から左端に移して狭い空間に突入する。

 私は二輪免許取得時(私が16歳で軽免許を取った時に、自動二輪免許が付いてきた。)に一本橋の試験は受けてはいなかったが、指導員講習で一本橋の経験が有りその経験が役に立ったかどうかは分らないが(これが試験だったら通過時間が早すぎて不合格であったと思われる。)何とかそこを通過する事が出来て、また渋滞の車の中を突き進む。

 そしてやっと渋滞の先頭に到着する。その場所は例の片側交互通行の場所であった。あまりの渋滞で信号は現場にいた人によって手動で操作されていたが、両方向ともあまりの車の多さに裁ききれずいた。何とか渋滞の先頭に出て信号が青になると同時にダシュしてそこを抜けると、その先の道は順調に流れていた。やっと小安温泉に着いて消防に連絡は取れたが他からも連絡が入っていて救急車は既に出動しているとの事であったが、小安温泉を救急車が通過して行ったのは私が連絡を入れてから15分以上経った後であった。

 結局、我々がご婦人から依頼を受けてから救急車が現場に到着するまで1時間以上の時間が経過してしまっていて、具合が悪くなった御本人は運ばれた先の病院で死亡が確認されたそうです。

一方、現場に残ったメンバーの一人が私と反対方向の須川温泉方面に連絡を取るべく向かい携帯が通じる所まで走って救急車を呼んだ。たまたま医者の卵がメンバーの中にいたのもあって数名が救急車が来るまでその場に残り、偶然近くにいた救急救命士の方と共に心臓マッサージなどを行ったようであった。

 阪神大震災でもバイクが活躍した話は聞いてはいたが、このような状況の中でバイクに乗るライダーとして出来うる限りの協力ができた事は、結果は非常に残念な結果にはなってしまったが良かったと思っている。


 それにしてもあのほんの20m前後の片側交互通行区間がなかったら助かっていたかも知れないと思うと、人の運命とは分らないものだとつくづく考えさせられてしまった出来事であった。



 話は戻って国道398号に右折した我々は、宮城県花山村に向かう。ここで先頭になったM氏は北海道で会得したライディングを披露すべくガンガン行くが、車が多くなかなかペースが上がらない。

 我々は宮城県に入って珍しい物に出会ってしまった。秋田県ではもう滅多に見られない絶滅危惧種にも指定されている峠小僧達である。50ccから250cc2サイクルに乗る彼らは、腕を切ったトレーナーを着て角の生えたヘルメットを被り写真の撮影会を行っていた。その数、10人以上はいたと思われる彼らに、レーシングスーツを着た我々もまた注目されていた。我々もまた絶滅危惧種に指定されているレーシングスーツを着たツーリングライダーである事を忘れていた。

 駐車場近くのこの場所は昔からよくこの手のライダーが出没していたのは知ってはいたが、最近トントご無沙汰だったので宮城でも絶滅したのかと思っていたが、しなり強く生息していた事を確認してこの業界の1人として少し安心する?

 峠小僧を見たからでもないと思うが、彼らのいたその駐車場を過ぎてM氏のペースが一段とアップする。後ろから皆の走りを撮ろうとデジカメを金具にと取り付けたところまでは良かったが、あまりの速さにそれどころではなくなってしまって、撮影を諦め彼らの後を真剣になって追う。

 狭く曲がりくねった下りの道は、それはそれで一生懸命走ると楽しくなって来る。下りはブレーキさえ信頼できれば、ハイパワー車にそんなに遅れはとらないから好きな道ではある。

 温湯温泉の前で3台は私を待っていて、私はそこで先頭に立ち花山に在る道の駅に向かう。P氏は温湯で休憩すると思っていたようで、グローブをとって休む体制に入っていたため慌てて支度をして追いかけることになる。花山の道の駅で休憩すると言ってあったはずだが、言った事は忘れないように。

 花山に向かって車の後に付いて走っていると、後ろからグレーの隼が我々も含めて車数台を一気に追い越して行き驚いた。楽しめるような状況の道でもなく、こんな所で追い越しても幾らも時間短縮にもならないと思うが、我々を邪魔だと言わんばかりの追い越し方に少し頭にきてしまったが、追いかける気も無く車の後ろに付いてそのまま走る。

 そして道の駅花山に到着してみると車とバイクと人で道の駅は混雑していた。ここで昼食のつもりだったので、レストランに様子を見に行くと大変混雑しており食事が出てくるまで時間が掛かりそうなのと、特別美味しそうなメニューも無さそうだったのでここでの食事をやめて、以前行ったことのある秋田県雄勝郡秋の宮に在る手打ちそば屋さんで食事をする事にする。私はそのそば屋さんに虎毛山に登った帰りに立ち寄っていて稲庭うどんのような蕎麦が印象的なおそば屋さんであると3人に話した。

 我々のバイクの周りにバイクを止めていたライダー達に何故か我々もバイクも注目されていた。頭が薄いライダーが先頭を走るレーシングスーツを着たロードスポーツモデル・グループは珍しい存在であるとは思うが、そんなに奇異な物を見る目で見なくても良いと思うのだが。

 周囲の注目を浴びながら道の駅花山を出た我々は、国見峠を通って鬼首トンネル手前に出る道に向かう。国見峠は道が狭く車1台がやっとの道幅しかない峠道であるが、峠の登り口に通行止の看板が立っていてそのまた隣に大型車通行止の看板が立っていた。以前この道で道路が半分以上崩落していて通行止になっていたことがあったがその時もバイクは何とか通行できたし、通行止の柵もなかったので進むことにする。途中で数台の車と交差したので問題なく通行できるものと少し安心する。予想通り道にはバイクの走行に障害となるものは無く無事国見峠を通過する。

 国見峠を過ぎると道は快適な2車線のワイディングロードに変身し、私が後ろに下がりペースが上がる。中速のコーナーを楽しみながら後を追うと、国道398号への分岐の所で3台は止まっていた。そこでまた私が先頭になって鬼首トンネルを目指す。

 私も、このRF400Rに2,000km近く乗り走り方が大分分ってきた。バンクし難いハンドリングは速めにアクションを起して一気にバイクをバンクさせ、頭の位置を低く保ちハンドルからできるだけ力を抜くようにして走ると結構バイクが曲がって行くことを理解した。

 いままでRF400Rで学習したライディング方法をここで実践すべく少し頑張ってみました。道は緩い下りで長い直線も無く中速コーナーが続きパワーが無く重いRF400Rにはうってつけの道で燃えてしまいました。燃えたと言ってもたかが知れてはいるがそれは楽しい時間でした。

 国道108号に出て右折、鬼首トンネルに向かう。トンネルの手前で道路工事が行われていて片側交互通行になっていたためか、止まった時前にいた車を追い越すと我々の前に車はいなくなった。鬼首トンネルを出た我々は北海道帰りのM氏を先頭に高速コーナーを楽しむ。深いバンク角で次々にコーナーをクリヤーして行く後ろ姿は、見いるととても美しい・・・・・。

 珍しく車に邪魔されずに鬼首道路を楽しんだM氏とS氏は、以前稲庭うどんを食べたレストランのパーキングにバイクを止めた。どうもM氏は、私が稲庭うどんの様な蕎麦と言ったのを稲庭うどんを食べた所と勘違いしたようでそこに止まってしまったようである。食事場所がここでは無いこと知っていたP氏と共に2人にここではないことを知らせ再び走り始める。



 秋の宮温泉郷を通過して、泥湯方面に向かう道の近くに在る手打そば「眞そば家茂吉」の駐車場にバイクを止める。この店は湯沢駅前にもお店があるようである。

 昔の民家を使ったこのお店は独特の雰囲気を持っていて、玄関を入って靴を脱ぎ座敷に上がる。
店内は昔の民家をそのまま利用しており、お店というよりはよその家に来た感じである。

 私とM氏・P氏はもりそばの大盛りを頼み、S氏はもりトロロそばを注文する。それにP氏は天然まいたけのてんぷら 500円を注文する。


 暫くして出てきたそばは、色が白くやや薄く切られているが稲庭うどんの様な腰があるそばで、そばにはうるさい(そばには限らないが)M氏には大変美味しいと好評であった。 一方P氏によると、そばつゆが少しショッパイとのことで、そこは好みの分かれる所であろう。私もP氏に同感でもう少し薄味の方が年寄りの高血圧対策にはよいと思う。


 私が一番印象的だったのは、P氏からご相伴に預かった天然まいたけのてんぷらである。いつも食べている雪国まいたけとは違って豊な香りがあって食感も違っていた。私も昔は天然まいたけ(世の中にまだ雪国まいたけが無かった頃)を食べていたが最近はほとんど食べる機会が無く、天然まいたけの味や香りをすっかり忘れていた。昔の味を思い出させてくれたP氏に感謝である。













 もりとろろそばが出てくるのが遅く待ちくたびれた様子のS氏であったが、小食のS氏はそばを残してしまった。いつものスイーパーK氏がいないため、今日は私がスイーパー役をかって出たのだが結構食べるのに苦労する。それほどにここの大盛りそばの量が多という証であろう。

 満腹になって外に出てバイクの所に行くと、来た時には気が付かなかったが我々のバイクのそばには栗の木があって栗の実が沢山なっていた。上から栗の実が落ちてきては大変とヘルメットを直ぐに被った訳ではないが、チョット気になった頭上の脅威ではあった。


 食事の後は温泉に入るのはFUNKYのお約束? 早速三度目の正直の温泉湯ノ沢温泉に向かう

 湯ノ沢温泉をFUNKYが訪れるのは今回が3回目で、1回目は4月の末で営業が始まる数日前で入れず、2回目は11月始めで営業が終わった数日後ではいれなかった。今回は万全の体制で今日10月6日に訪れたのである。

 国道108号から国道13号にでて新庄方面に左折して一気に加速して車の後に付くと車が左に寄って我々を前に出してくれる。それでまた一気に加速してまた車の後に付いて走る。そして湯ノ沢温泉の営業中の看板を確認して左折して温泉に向かう。

 しかしこの時、我々の後ろにパンダカーが張り付いていた事を私は知らなかった。後ろの3台はパンダがいることを知っていたそうだが、先頭の私は全然知らなかった。私はその時後ろの事は全く眼中に無くもう少しでお世話になるところであった。教えてくれれば良いのに、お世話になるのはいつも先頭なんだから。

 湯ノ沢温泉への入口は院内の国道13号と国道108号が交わる所から少し秋田側に寄った所に在り上の看板が目印となる。ここから舗装はされているが大分痛んだ道を少し走ると湯ノ沢温泉は橋を挟んで建っている。

湯ノ沢温泉前は狭く車で満杯状態でバイクの置き場に苦慮したが、1台出る車が有って何とが4台共駐車できた。橋の上に4台並べれば問題は無かったが、木製の橋に信頼性が持てず2台にとどめた。



 湯ノ沢と言うだけあって、建物の前からはお湯が滝になって流れていた。








 ここの温泉の特徴は、PH9を越えるアルカリ性にあるとのことで、飲んでも体に良いと頭の光った常連客と思われるハーモニカを吹く老人が、盛んに私に温泉を飲む事を勧める。今日も全ての温泉を飲む男F氏がいないため、私が飲んでみたが体に良さそうな?味ではあった。

 自分は何と何の病気をこの温泉を飲んで直したと盛んに力説し、温泉を持って帰れるようポリエチレン製の容器を私に差し出したがバイクで来ているため持って帰ることが出来ないと丁重にお断りした。温泉は上右の写真緑のホースの付いた蛇口からいつでも飲めるようになっていて、お客の多くは大量のペットボトルを持参して温泉を持ち帰っていた。

 入浴料300円を払って浴室に行くと、このの浴室はこじんまりとしていて10人も入れば目一杯状態であるが、木で造られた浴室と湯船は感じが良い。温泉の泉温は源泉が39.0℃でお風呂もそのままの39℃で使用されているとの事で温い温泉であった。しかしこの39℃の温い温度が何ともいえない温度で、この温泉の最大の特徴であった。

 温度が温いため体なかなか温まらずお湯から上がる気にならず結局長湯になってしまう。しかし長く温泉に入っていることにより体の心まで温まって血行が行くなり湯冷めはし難いのである。基本的には熱い温泉が好きな私であるが、今回温い温泉を体験し温い温泉の効用や良さを知る事が出来て良い体験をさせてもらった。

 この温泉は5月に開業して10月で営業を終了する。その訳は温泉の泉温に有るのではないだろうか。気温が下がると泉温も下がり入浴に適さない泉温になってしまうのではないかと思う。そのため寒い時期の営業はしないと推量するがどうなんでしょう。

 温泉から上がっても汗がなかなか引かず、飲料を飲んで水分補給をしてしばし休憩する。湯ノ沢温泉を堪能しゆっくりと休憩を取った我々は一気に秋田を目指して出発する。

 国道13号に出て湯沢方向に右折道の駅雄勝の前を通過して13号から離れ西馬音内に向かう。


 西馬音内のJA−GSで今日2回目の給油をする。今回も若き女性のスタッフに当たってしまった私とP氏ではあったが、前回の岩井川の様な盛り上がりはなかった。原因は年齢差があり過ぎたところかもしれない。

 この女性スタッフは、お金をお腹の所に下げたバッグの中に入れていてお釣を取り出していたが、私が子供の頃乗ったバスの車掌さんを思い出した。腹のところの大きなガマグチバッグの中から切符やお金を出して乗客に笑顔をふりまきながら乗車切符を切っていた姿ををふと思い出してしまった。あの頃の車掌さんは女性の花形職業であったのかも知れない。


  帰って来たら何故か態度が大きくなったM氏。










 ここから秋田までは走り慣れた出羽グリーンロードの一気走りとなって、秋田に着いたのはPM5:30を回ったところであった。湯ノ沢温泉から給油の時間を入れても1時間半であった。今日の出発は1時間遅れのAM7:00であったが、秋田帰還は予定より30分も早く帰って来てしまった。

 全走行距離487kmのツーリングで、あれだけゆっくりしても所要時間は10時間30分と言うハイスピードなツーリングとなったが、今回のメンバー構成がその要因となったと思われる。

 今日は、487kmの割りには疲労が少なく、ある一部を除くとストレスも少ない大変楽し走れたツーリングであった。今後もこの様なツーリング目指していきたいと考えているので、皆さん宜しくお願いいたします。



                             Owari


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天然舞茸の天婦羅 500円

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