2004年11月7日(日) 7Th.ツーリング

 11月とは思われないほどの暖かい天候に恵まれ
  今年最後の走りを充分に楽しんだツーリングとなりました。

                      
Report by Ryuta   




< コース >


秋田
⇒出羽グリーンロード⇒南外⇒大森⇒三ツ森山⇒

東由利 道の駅⇒七曲峠⇒西馬音内⇒十文字⇒東成瀬⇒

須川⇒真湯⇒栗駒⇒細川⇒花山⇒国見峠⇒鬼首⇒秋の宮⇒

道の駅 雄勝 昼食湯ノ沢温泉 入浴⇒松の木トンネル⇒

笹子⇒百宅⇒法体の滝⇒奥山放牧場⇒猿倉⇒
花立⇒

南由利原⇒仁賀保高原⇒仁賀保⇒仁賀保高原⇒西目⇒

本荘⇒大内⇒大正寺⇒雄和⇒横山金足線⇒

モト ワークス ヒラタ  走行距離 501km



今朝は晴れているが寒いので雨具を着たメンバーも。


昨年も撮った構図の写真。
昨年とは少し色合いが違っているようだ。



路面温度とタイヤ温度の関係に付いて
話は盛り上がる。

●晴れました
11月3日に予定していた7th.ツーリングは天候が悪く今日7日に順延したのだが、FUNKYでは11月8日以降のツーリングは行った事が無く、天候に関わらず今日決行する事に決めていた。

昨日寒冷前線が通り過ぎ昨晩の予報では曇りの予報が出ていたのだが、朝起きて見ると雲間から空が見えていて雨の心配は無さそうである。今日の集合時間は7時半と遅くいつもより遅い6時に起きたのだが、外の景色はもう冬を感じさせるようにまだ薄暗かった。

7時過ぎに店に到着し支度をしていると次々に皆さんが到着して、少し早かったが7時20分過ぎ秋田を出発する。今回の参加メンバーは、今日の参加で今年のFUNKY年間チャンピオンが決定したU氏と3位のN氏、昨年まで6年間チャンピオンの座を堅持してきたM氏(今年度は4位)、久しぶりに参加したA氏、そして私の合計5名である。

11月3日の予定では栗駒須川を越えて河原毛に行く予定にしていたが、11月4日から栗駒周辺の道路が冬季閉鎖に入るとの情報が出ていたので東成瀬から水沢方面に抜けるコースを私は考えていた。

ところがM氏から冬季閉鎖が8日に伸びたとラジオで言っていたと聞き、今日は天候も良いので予定を須川に登るコースに変更する。最終的に今年の栗駒道路は11月15日に閉鎖されたようで、今年の冬の到来は例年より大分遅れているようである。


●さすがに寒い
まずは南外の佐藤商店を目指す。出羽グリーンロードをそれなりに走って佐藤商店前にバイクを止めると、店の前に立っている温度標示板は8℃を示している。晴れてはいるが寒い。寒いといっても1ヶ月半前に北海道で経験してきた8℃よりは日が照っている分、暖かい気がするが。

今日のグリーンロードは路面温度が低く皆さんタイヤに手を当ててタイヤの温度を確認している。今日のタイヤ銘柄シェアーはBS1台、メッツラー4台であったが、BSよりメッツラーの方が概ね暖かかったようである。私は路面温度が低い事を予想して予めレンスポルトの空気圧を低めにしてきたのだが、いまいちリヤタイヤの温度が上がっていないようなのでリヤタイヤの空気を少し抜く。

今回、私は前回のツーリングで丸坊主になったリヤタイヤを新品に交換してきたのだが、N氏とA氏は今回の予定距離が450km程度であり、また最終ツーリングであった為か二人共スリップサインが繋がりそうなリヤタイヤでツーリングに参加していた。普通のツーリングだったら450km位は問題無くもつと思うのだが、FUNKYの場合はどうなのか結果が楽しみである。

佐藤商店向かいの家の紅葉は今年も盛りを迎えていたが、やはり台風の影響なのか昨年と比べると色彩に冴えが無いように見える。この辺は昨日の雨で濡れた路面がまだ乾いていない所が見受けられた。


佐藤商店を出て道の駅 東由利に向かう。途中の長い直線でフルスロットルを当ててみるが、この上り坂ではTOPで吹け切る事はなかった。M氏も遠慮気味に私の前に出て行ったが、先に車がいて思うような走りは出来なかったようだ。


●三ツ森山の注意個所
三ツ森山のスペシャルステージに到着し、私は後ろに下がりM氏を先頭にA氏、U氏、N氏私の順で登って行く。M氏を追ってA氏が頑張っているが徐々に間が開いていく。このスペシャルステージの後半、山を下りた沢沿いの道にいつも水が流れている個所が有り、この流がよく滑る。

A氏は前回走った時この滑る場所で怖い思いをした筈だが、今回もその場所で滑ってしまったようだ。同じ場所を同じ様に走っていてはいけません。スペシャルステージは1年に何回も走る機会が有るので、注意個所は頭に入れておかないとね。

道の駅 東由利で休憩。天気良いです。


晩秋の七曲峠に立つのは初めてかも。


この木々が我々に感動をくれた。


このバイクと写真に納まるのは今回が最後?
●東由利から七曲峠へ
三ツ森山のスペシャルステージを走り終え東由利の道の駅で休憩する。道の駅のパーキングには先客がいて400ccのゼファーとXJRが停まっていた。二人のライダーは長々と何か話し合っていたが、そのうち1台をパーキングに置いてタンデムでパーキングを出て行った。1台を押して移動していたので故障していたのかもしれない。故障が分かっていれば、見てやる事も出来たのだが致し方あるまい。

今日の予定では西馬音内の七曲峠は予定に入っていなかったが、私とM氏を除いた3名が七曲峠に行って事が無いと言うので七曲峠に立ち寄る事にする。今日は天気も良いしきっと素晴らしい景色が見られる筈だ。

七曲峠に向かって国道107号から田代、梨ノ木峠方面に向かう。途中、先ほどパーキングにいたタンデムの2人がバイクを降りて道路脇に立っていた。地元の人間なのだと思うが何を意図して動いているのか読めない2人であった。ここの道は所々に集落がある長閑な田園風景の中を走っており、ゆったりとしたペースで走っていると何とも心地良い。これこそが日本の晩秋の風景なのだろう。


晩秋の七曲峠を堪能
梨ノ木峠を越え田代に出て直ぐに右折、七曲峠に向かう。FUNKYが七曲峠を訪れるのは春の桜の季節が多く、今回の様に晩秋に訪れるのは初めてであったかもしれない。峠に植えられた桜の木が春ここを訪れる理由なのだが、今回七曲峠は春とはまた違った顔を見せてくれた。

前にも書いたと思うが七曲峠は私が大好きな峠の一つで、眼下に広がる横手盆地と遠くに望む焼石岳連峰のコントラストが見る者に感動を与える。今日の横手盆地は稲刈りが終わった田んぼが薄っすらと緑色になっていて、春に見る水が張られて光る大地とは違った姿をみせていた。焼石連峰にはまだ雪が積もっていないのか白くなっていなかった。やはり冬の到来は例年より遅いようである。

皆で横手盆地の景色を眺めていた時、一陣の風が吹き抜け目の前の木々の葉が空中に舞い上がった。「カサ カサ カサ・・・・」という音と共に舞い上がった木の葉に日の光が当りキラキラと輝やきながら舞い落ちていく。この一瞬の出来事が我々に驚きと感動を与え期せずして「ウォーッ」と言う声を上げさせた。何とも秋を感じさせた風のいたずらであった。


横手盆地を行く
七曲峠から景色を楽しんだ後、我々は九十九折れの狭い七曲峠を下って西馬音内の街の中に入って行く。盆踊りで有名な西馬音内の街は、昔の佇まいを残す落ち着いた街で私はこの雰囲気が好きだ。街を抜け十文字に向かう。

横手盆地の中を走っていて、何故田んぼが緑色に見えたのか分かった。刈り終わった田んぼのあちこちから青い芽が出ていて、それが田んぼ全体を薄っすらと緑に見せていたのだ。今年は秋なのに若葉や新芽が見られたりする変な年だったな。

十文字から増田に入ると、道路脇の林檎の木には枝が折れそうなくらい大きなリンゴが沢山ぶら下がっている。台風の風害でリンゴが落ちている映像をテレビで見たが、ここは台風の影響を受けずに実りの秋を迎えたようである。

東成瀬岩井川のバイパスが完成して、狭い街中を通らずに旅の駅の前に出られると先日ここを通ったM氏から聞いていたが、我々は知らぬ間にバイパスに入っていた。岩井川で給油を予定していた私はGSを探していたら、バイパスに新しいガソリンスタンドを発見する。

しかし岩井川にはFUNKYが昔から立ち寄っているJAスタンドが有って、そのGSがバイパスに移転して営業しているとM氏から聞いていた私は、新しいGSの前を通り過ぎる。すると旅の駅の手前で旗を大きく振って車を呼び込んでいるJAスタンドが見えて来て、我々は導かれるままGSの中にバイクを停める。。

東成瀬のJAスタンド。
移転一周年記念セールを行っていた。



GS店内に有った熊避けブザーのパンフレット。
●新装開店一周年記念?
このJAスタンドは1年前この場所に移転して営業しているらしいく、その一周年記念セールで旗を振っていたらしいのだが、私の記憶の中にこの新しいGSの記憶は無かった。

私は今年の4th.5th.ツーリングでもこのGSの前を通った筈なのだが、私に新しくなっていたGSの記憶は全く無かった。考えてみたらこのJAGSに立ち寄ったのは2002年10月の2年も前の事で、私の記憶はそれ以降更新されていなかったようである。

給油後一周年記念セールということで箱ティッシュ(しかも昔の大型)を頂いたのだが、それをどこに収納すかで苦労する。私の場合リヤバックを取り付けてはいたが、中は満杯状態で無理やり押し込んでファスナーを閉める。皆さん収納場所に苦労していたようで、丁重にお断りしたメンバーもいたようだ。

事務所の中で休んでいて田舎ならではのリーフレットを発見する。そのセーフティーブザーと書かれたリーフレットは、今全国的に話題になっている熊を避ける為のものだった。A氏の解説によると、その性能は継続的に鳴らしたり緊急時に大きく鳴らしたり出来る優れもので、単三電池を使って12〜3時間は使用できると言う。ヤブ山に行く時一つ欲しい逸品ではある。

2年前に立ち寄った時いた、最もセクシーな唇を持つとM氏が言う女性スタッフの姿が無く残念だったが、給油を終えた我々は須川のスペシャルステージに向かった。


今年も消防団の皆様ご苦労さまです。
南外の佐藤商店の前でもそうだったが、今日我々が行く先々で消防団の人達が集まって消防器具の点検や消防車を動かしたりしているのが見受けられる。11月の第一日曜日は冬に向かって消防団の人達が消防車や消防器具・消火栓等を点検日する日に当っているようで、毎年FUNKY最終ツーリングが11月の第一日曜日に行われるのが多い事もあって我々の行く先々で毎年遭遇する風景である。

須川のスペシャルステージに近づくと成瀬ダム建設工事の車両から落ちた泥が路面を汚していていた。タイヤに泥が着いた状態でコーナーに入るのは気持悪く、ローリングしてタイヤに付いた泥を落とす。


●須川から真湯へ
そしてスペシャルステージは始まった。昨年の最終ツーリングでここを走った時、コーナーの先が濡れていてヒヤッとし経験が有り、最初はコーナーを探りながら進入していた私だが、今年はそんな事は無く全面ドライ路面であるようだ。

工事区間を終了して先頭をM氏に任せ後ろに下がる。A氏、U氏、N氏と続きA氏を追う。紅葉も終わって色彩を失った景色の中、今日は車も少なく快調なペースで登って行くと、相変わらず登坂車線の始まる所にある清水に人達がウロチョロしている。人の事は言えないが、この寒いのによくもまぁこんな所まで水を汲みに来るものだと感心してしまった。

予定では須川から小安に下りて河原毛に行く事にしていたが、時間も有る事だし久しぶりに岩手県側の一関方面に下りてみる事にする。この国道342号を私が初めて下ったのはFUNKYが結成された1979年の9月の事であった。今でも狭いこの山道は当時まだ長い長い砂利道で、真湯に出るのに大変苦労した思い出がある。

今回も舗装されたこの道を走ってその長さにウンザリしてしまったのだから、25年前に走った砂利道はきっと果てしなく続くように思われたに違いない。

それでも車の様にハンドルを忙しく回さなくても済むバイクは、こんな道を走るのに適していてそれなりのスピードで下って行く。前を走っている車に直ぐに追い付いてしまってペースが落ちるが、大抵のドライバーは道を譲ってくれる。

前にワンボックスカーその後ろに三菱の軽トラが着いて走っているのに我々が追い着いた時、ワンボックスカーのドライバーが脇に寄って我々に道を譲ってくれた・・・と思ったら
、軽トラがワンボックスカーを追い越して前に出た。

当然軽トラも我々に道を譲ってくれると思った私だが、軽トラは一向に道を譲る気配が無い。軽トラのドライバーはワンボックスカーが道を譲ってくれたのは自分の為であり、バイクが追い着いたから譲ったとは思っていなかったようだ。

それでも私は軽トラがそれなりのスピードで走ってくれれば文句は無かったが、ワンボックスカーと同程度のスピードで走る軽トラに私は蹴りを入れたい気分であった。

花山村 こもれびの森 森林科学館前にて。
この2台が並んだ写真は今年が最後になるかも?


紅葉の美しさに魅せられる。














































道の駅 雄勝で昼食。
大盛小町の郷ラーメン&普通盛りカツカレー




●青いBMWとバトルを楽しむ?
後半は軽トラの後でジッと我慢の子であった我々は、真湯に出て道が広くなると軽トラとその前の車を纏めて追い越してしまった。矢びつ温泉辺りで青いBMWに追い着いた私は、この先の本寺で栗駒ダム方面に右折する予定にしていたので敢えてBMWを追い越す事をしなかった。

ところがである。青いBMWが我々が曲がる本寺橋を渡ったではないか。これから先の道はそこそこ走れる道で、私はこの道を楽しみに須川からここまで来ていた。彼女を横に乗せた20歳代後半と思われるBMWの運ちゃんは、我々が後ろにピタリと着くとスピードを上げて我々を振り切ろうとする。

相手はBMW、これは面白い事になったんと喜んだのも束の間、このBMWの頑張りが何とも中途半端な頑張り方で頭に来てしまった。この道は緩やかなカーブが続くワインディングで追い越しを掛ける長い直線が少ない為、私は片手運転でも着いて行けるBMWであっても追い越すわけにはいかなかった。

BMWだったら普通に乗ってももっと早く走れただろうに、本当に迷惑な運ちゃんだった。馬鹿BMWのおかげで美味しい所を半分以上消化してしまって少し熱くなっていた私は、見通しの利く場所で一気に追い越しを掛け前に出る。後の連中も私に続いたものと思うが、その時の私はミラーで後を確認する冷静さを持ち合わせていなかった。

BMWの前に出たものの美味しい道は直ぐに終焉を迎えてしまい、私は狭い一車線路に入って行く。そのうち後のメンバーが追い着いてきて栗駒ダムの後ろに出た我々は左折して栗駒ダム方向に走る。トンネルを抜けた所で右の脇道に入り山の尾根を走る道に出て直ぐに山の反対側に下りて行く。


ハーレー現る
細倉マインパークを目指して走っていると、耕運機の様な幅広のハンドルを握り大股を開いて走るライダーに追い着いた。ハレーと思われるバイクに乗る彼は、我々が後ろに着くと少しスピードを上げた様に見えた。私はこの先を右に曲がろうと考えていたので、そのまま彼の後ろに着いて走っていた。

ところがである。真っ直ぐ行くと思っていた彼が私が曲がろうとしていた道を曲がってしまったのである。このスチエーションはつい先ほどあったBMWの時と同じ? とは思ったが、私は直ぐにハーレーに追い越しを掛けた。

彼が道を譲ってくれた様に見えた私は、彼に軽く頭を下げて前に出たのだが、ふとミラーを覗いて見るとハレーの彼は2番手M氏の後ろを走っているではないか。「道を譲ってくれたんじゃないんだ。頭下げて損した。」私はそんな気分になっていた。結局ハーレーの彼は細倉マインランドまでFUNKYの一員として行動を共にしていたのである。

さっきのBMWもそうだが、自分の実力、自分のおかれている立場等を自分で判断できている人間が少なくなってきている様に思う。はみ出し禁止の道を法定速度から10キロも遅いスピードで、後ろに何十台も車を引き連れて平気で走るドライバーがいたりする。遅く走るのは勝手だが、後ろに何故何十台もの車がいるのかを理解していないのだ。

細倉マインランドの前を過ぎ信号で止まった。花山に行くにはこの信号を右折するものと私は考えていたが、ここを通るのはお久しぶりで本当は自信が無かった。信号が変わり右折して進んで行くと右側に今まで見た事のない鉱山の建物が見えてきた。

これは間違いなく道を間違ったと確信した私は、道幅の広い所でUターンをして引き返す。さっきの信号を右折すると直ぐに花山の道路標示が右に現れそこを右折花山に向かった。右折するのが道一本早かったようである。


鮮やかな紅葉と出会う
小さな峠を越え花山村に入り鬼首に抜ける国見峠方向に進路をとる。長閑なワインディングロードを楽しんだ後、こもれびの森 森林科学館の駐車場にバイクを入れる。東成瀬のガソリンスタンドからここまで一回の休憩も取らず1時間半の一気走りであった。さすがにバイクから降りたら膝が笑っていた。


駐車場の向かいに、これがまた鮮やかに紅葉した楓の木が一本立っていて、赤や黄色の葉が日の光に照らされて輝いていた。周りの木々は紅葉が終わりかけている事もあって、その楓の木の美しさは際立っていた。

この鮮やかな紅葉を見て、私は30年前に見た京都大原三千院の紅葉を思い出した。あそこの紅葉は寺全体を美しい紅葉が包み込んでいて、私の中では最も美しい秋の景色の一つであった。ここの楓の色の美しさは、三千院の紅葉を思い出させるのに充分な美しさを持っていたのである。

宮城県に入ると風が弱くなり気温も上がって来て11月とは思われない暖かさだ。奥羽山脈の東側と西側では季節が半月ほど違う様である。U氏がM氏にライテクの質問をしてアドバイスを受けている。走りながら自分のテクニックを確認する事は大切な事で、走りを修正しながら走り込む事は上達には必須の事だろう。

休憩後、国見峠に向かう。ここから国見峠までの道は、舗装されてはいるが殆んど林道状態の道で狭く曲りくねっている。しかし昨年通った時は紅葉のトンネルを楽しむ事が出来たので、今年も私はこの峠を楽しみにしていた。

国見峠から鬼首へ
狭い道を走っていたら、いきなりコーナーからキャンピングカーが飛び出して来た。こんな狭い道を大きなキャンピングカーが走ってはいけないでしょう。一車線も無いこの道で幅の広いキャンピンカーとすれ違うのはギリギリで、我々はバイクだったから何とかなったが車だったら絶対無理だ。

キャンピンカーのドライバーはきっとカーナビの案内に従ってこの狭い道に入ってしまったと思うが、彼はカーナビでは道路幅までは分からない事を痛感した事だろう。今年の国見峠は、時期が少し遅かった為か木々の葉は殆んど落ちていて紅葉は楽しめなかった。しかし葉が落ちた事により視界を邪魔する物が無くなって周りの景色がよく見えていた。私はこの峠の標高が結構高い事を知った。

国見峠を越えると道幅は2車線になりペースを上げる。最初路面が泥で汚れていて苦労したが、山を下って川沿いの道になると路面も綺麗になり快適に飛ばす。ギンギンに飛ばすのではなく、快適に飛ばすのである。これが何とも心地良い。

国道108号に出た我々は、右折して鬼首道路に向かった。宮城県と秋田県の県境に在る鬼首道路には幾つかのトンネルが有って、宮城県側から走ると最後に一番長い鬼首トンネルを抜けて秋田県に出る。このトンネルの先が結構な高速ステージなのだが今日は車が多くて走りづらかった。


●40歳という年齢
M氏、A氏、U氏、私、N氏の順でトンネルを出て、スピードが上がる。前の車に追い着いて私の前の3人は車を追い越して行ったが、私とN氏は残ってしまった。対向車等が有り追い越しが出来ぬまま鬼首道路の終りに近づいていた。

対向車が切れて私は追い越しを掛ける。しかし追い越しが終わった時、目の前にハミ出し禁止の黄線が見えていて、私は後から来ていると思われるN氏が気になった。しかし前方には右コーナーが迫っており、私にミラーを見る余裕は無かった。

ここからの話はN氏から聞いた話である。私の後で追い越しを掛けたN氏が、何とか黄線手前で追い越しを終え走行車線に戻った時、そこには例の右コーナーが待っていた。彼にはその右コーナーが見えている事は見えていた。しかしその時の彼は「右コーナーだァ・・・。」と思っただけでコーナーを曲がる為の動作を起そうとはしなかった。

この彼に起こった出来事に私は思い当たる事があった。私が丁度40歳になった頃の事である。私は車に乗って国道を走っていた。すると前を走る車のブレーキランプが点き、ウインカーが左に上がり車は減速を始めた。その時の私は「あァ・・・左に曲がるんだ。」とは思ったが、私はただそれをジーッと見ているだけだった。

その時の私の状況は今日のN氏と全く同じで、目から入った情報が処理されずにほったらかしにされてしまう状態であった。この情報ほったらかし状態は、M氏も40歳前後に同様の経験を持っているようである。

それでも目の前に迫る赤く輝くテールランプに我に返った私は、急ブレーキを掛けて事無きを得たのであった。N氏も目前に迫る白いガードレールで我に返り、何とか右コーナーをクリアーできたようだ。

私もM氏もその状態は時と共に解消され今ではそんな事は無いのだが、40歳という年齢は脳のターニングポイントであるようだ。情報ほったらかし現象は40歳前後に行われる脳のプログラム更新時に起きる過渡的現象と思われる。30歳台後半の方々は充分お気を付け下さい。気を付けたからといってどうなるものではないと思いますが、その様な状況に遭遇したら貴方も40歳になったと自覚してください。

茂吉は何処へ
鬼首道路から秋ノ宮と走り、今日昼食を取る事にしていた手打 眞そば屋 茂吉に向かった。夏頃だったかK氏が私に秋ノ宮のそは屋茂吉が移転したと教えてくれていて、その時の私は茂吉が以前の場所より横堀側に移転したと理解していた。移転場所も多分あそこだろうと思う所があった。

河原毛からの道が国道108号に出る近くに在る茂吉(正確には在った。)の場所に来ると、茂吉が有った建物からは看板が下ろされ閑散としていた。その建物を横目で見ながら私は移転先が在ると思われる場所に向かった。

しかしである。考えていた場所に茂吉は無く、私は焦ってしまった。今日の昼食は抜きになってしまうのか? しかたがないので私は茂吉を探しながら国道108号を走ったのだが、結局国道13号との交差点まで茂吉を発見する事はなかった。

ここまで来てしまっては茂吉の蕎麦を諦めるしかなく、私は道の駅おかちで昼食を取る事にして交差点を右折する。道の駅おかちはいつもの様に混雑していて、我々は奧のパーキングに空きを見つけ3台のリーターバイクの横にバイクを止めた。

停まっていたブラックバード1台と隼2台のバイクは、綺麗に磨き込まれていて結構お金が掛かっていそうなバイクであった。しかしそのバイクのタイヤを見た私は、走りは其れなりなんだと理解する。


小町の郷ラーメンって?
我々が道の駅2階に有るレストランに行くと、女性のスタッフに座敷の席でも良いですかと聞かれる。大分お疲れのメンバーのいる様だし、横にもなれるので我々はブーツを脱いで座敷に上がる。

午後1時を回って腹が減っていた私は小町の郷ラーメン大盛を注文、A氏を除いて3名も私と同じく小町の郷ラーメン大盛を注文、A氏は山の幸入りみそラーメン大盛を注文する。そしてもう一品、カツカレーも・・・。皆さん私同様腹が減っていたようである。

運ばれてきた小町の郷ラーメンは、「スープは、丸どり、豚骨、鶏足、野菜、香味野菜を8時間煮込んで仕上げ、化学調味料を使用していません。」と言う講釈がメニューに載っていたが、私にはどこがどう小町の郷なのかが最後まで理解出来なかった。何処にでも有る、チョッと豪華な中華そばって感じでかな。

味はともかく大盛りの効果で腹が膨れた我々は、座敷で休憩を取る。水の御代わりを女性スタッフに頼んだのだが、M氏この女性スタッフの受け答えに大いに感動していた。確かにその丁寧な言葉使いや立ち振る舞いは、最近のお店では滅多にお目に掛からないものであったが、こんな当り前の事に感動してしまう事に寂しい感じがした私であった。

少しお疲れ気味の様に見受けられるA氏は、目を少し赤くして横になっている。私はA氏のツーリングに参加する姿勢に感心するところが多い。今日の走りを見ていても、最初の頃とは比べようの無い程の上達ぶりだし、ここぞという時の集中力には目を見張るものが有る。今シーズンは今日をもって終了だが、また来年一緒にバイクを楽しめたら良いなと私は考えている。

食後外に出て一服の時間を取った後、今日の温泉、湯ノ沢温泉に向かう。

湯ノ沢温泉前の木の橋に並べられたバイク達。







お湯から上がって飲み物を飲む。
150円の高級品。
●橋の上が・・・
道の駅から山形方面に戻って国道13号線を南下、国道108号が矢島方面に分かれる少し手前に湯ノ沢温泉入口は有る。入口には大きな看板有って見落とす事はないと思うが、その看板に有る小さな札に注意してもらいたい。私はその営業中と書かれた札を確認して3キロ先に在る湯ノ沢温泉日勝館に向かった。

一応舗装されていはいるが穴凹だらけの細い道は、濡れて枯れ葉が落ちている所も有りビックパワーのリッターバイクは滑って怖い思いをしたようだ。非力で軽量なTZRは何の問題も無く日勝館に到着する。

細い道のどん詰まりにある日勝館には駐車スペースが少ない。今日は大分手前から道路脇のスペースに車が停まっているのが見え、駐車場が混んでいるのが予想される。到着してみると案の定バイクを停めるスペースは無かったが、ここにはバイク専用の駐車スペースが有って私はそこにバイクを滑り込ませる。

道路と日勝館の間にある沢には赤い丈夫な木製の橋が架けられていて、その橋がバイクを停めるのに丁度よいスペースで、これがまたバイク5台がスッポリ納まる長さなのである。帰る時の方向転換が面倒そうだったが、それはそれとしてタオルを持って我々は日勝館に向かった。


●湯ノ沢温泉は温い?
玄関脇の帳場で入浴料三百円を払って温泉に行く。ここの湯ノ沢温泉は、アルカリ性単純泉で、アトピー性皮膚炎に効くと評判のようである。飲んでも体に良いとかで皆さんポリタンに何個も温泉を入れて持ち帰っている。

またこの温泉のもう一つの特徴は、泉温が39℃と低い事である。泉温が低く長く入っていないと体が良く温まらない温泉は、結局皆さん長湯になってしまうのだが長く入る事により体の芯まで温まって湯冷めはし難いと言う。特に夏の暑い時にはお勧めの温泉である。

湯ノ沢温泉は寒くなると泉温が下がって入っていられなくなるためかいつもは10月で休業となるのだが、今年はまだ営業していた。それだけ今年は暖かいと言う証明なのかもしれない。ゆっくり時間を掛けて体を温め温泉を出る。

出た直後は温まったとは感じなかった私だが、暫くして体がポカポカしてくる。確かに湯ノ沢温泉は効果が有りそうである。N氏にここの温泉は飲むと健康に良いと教えたら、一口飲んで来た。その感想を聞くと「ただの水だった。」との事だった。確か前に私が飲んだ時の感想も同じものだったと思う。

150円の高級清涼飲料を飲んだ後、我々はバイクの所に向かう。我々にはここを出るまでに一つやらなければならない事があった。それはバイクを橋の上から出して方向転換する事であった。

橋から下りるとそこは砂利の坂道で周りには車が詰まっていて一人での方向転換は難しい状況にあった。最初にM氏の750SPを皆で手伝いながら方向転換して送り出し順番に出して行く。

私のTZRは軽く短いため例のサイドスタンドターンで一瞬で転回を終了する。続いて私はA氏のバイクをサイドスタンドターンで転回しようとしたのだが、全長さが橋の幅と殆ど同じで重さも200kg以上あって苦労してしまった。何とか全員の方向転換を終えM氏の後を追う。


国道13号に出る所で私が先頭に出て国道108号松ノ木トンネルに向かう。

本荘105号線沿いのローソンで休憩。


ケブラーコードが出ているA氏のリヤタイヤ。


N氏のリヤタイヤ。スチールコードトが光っている。A氏のケブラーコードとの色の違いがお分かりだろうか。


















●松ノ木トンネルを楽しむ
13号から108号に入る手前で2台のバイクに追い着いた。彼らは真っ直ぐ13号を行くと思ったら、これがまたまた108号に曲がってしまった。今日三度目の事で私に特別の感情はなかったが、この2台は早めに処理しようと心に誓う。少し長い直線に出て直ぐに追い越しを掛け前に出る。これで松ノ木トンネル・スペシャルステージの障害を一つを消した。

我々の前にいた1台の車を追い越してスペシャルステージは始まった。M氏を前に出しその後を追う。逃げるM氏であったがその後を全開で追うとそんなに離されないで松ノ木トンネルに入った。このトンネルを抜けると第二ステージが始まる。このステージは先ほどより最高速が高くなくTZRでもそこそこ勝負が出来るので、出来るだけM氏の後ろに着く。

高速コーナーが有るこのステージは、短いが中身が濃いステージでM氏によってその幕は切って落とされた。私は先行するM氏をピタリとマークする。しかし、ジリジリとM氏間が空いていく。しかし大きく離れる事は無くこのステージ最速の右コーナーに入っていく。

この右コーナーの右側には清水が有って、そこにはいつも人がいる為それに注意を払いながら進入する。このコーナーは190近く出る秋田では珍しい高速コーナーなのだが、笹子方向から来た場合先ほど述べた清水が近いので特に注意してもらいたい。

深いバンク角を暫し楽しんだ後、田んぼが広がる中速区間に入っていく。前を走るM氏は、ブレーキランプが一瞬点灯した後次々にコーナーをクリアーして行く。私も遅れずに彼に続くがスペシャルステージは間も無く終焉を向かえてしまい、我々は笹子のJAスタンドに滑る込む。

我々の後ろは少し離れていて、私は後続にGSにいる事を知らせる為道路に出る。少し遅れて後続がやって来て全員給油し休憩を取らずに法体の滝に向かう。JAGSから丁岳方面に入り天神の集落から笹子峠を越えて下直根方向に走る。途中から左に入り百宅に向かう。


法体の滝スペシャルステージ
晩秋の太陽は傾くのが早く、3時を過ぎて影が大分長くなってきた。走れるのはいいとこもう1時間位だろうか。今年最後の走りを少しでも長く楽しむ為、私はこれから先のコースをどうするかを考えていた。

百宅の集落を過ぎて法体の滝園地の前を通過する。時間が有れば法体の滝を見学するのだが、今日の我々にそんな時間は無く私は滝を横目で見ながら先を急いだ。そして法体の滝スペシャルステージが始まった。

私が先頭から後ろに下がるとM氏を先頭にA氏、U氏と続いたのだが、N氏が前に出ようとしない。N氏は調子が上がらないようで私の後ろに着く。実は私はこの道を1ヶ月前に走っていてその時は雨で濡れた路面状況だったが、この道を走った感想は「結構トリッキーなコーナーが続く道だな。」というものだった。

標高が上がると共に気温も下がってタイヤのグリップが落ちてきたのと、フロントタイヤの磨耗が進んだのかハンドリングに自由度が無くなってきて、私はペースが上がらずU氏から徐々に遅れていく。後を見るとN氏も苦労している様で私から大きく遅れていた。

私はU氏を追うのを止めN氏がミラーに写る範囲のスピードで走る事にする。基本的に登り坂が続くこの道には、登り坂のヘアーピンカーブに進入するとカーブの途中から下ってコーナーを出て行くみたいな変則的なカーブが有って気が抜けない。

赤いフェアレディ Z
先行していた3台が猿倉に出るT字路で我々を待っていてくれて私がまた先頭になって猿倉に下って行くと、白い車と赤いフェアレディZに追い着いた。道は見通しが効く奧山放牧場に出て私はこの2台の車を追い越し前に出る。

私が赤いフェアレディZを見たのはその時が初めてであったが、M氏をはじめ先ほど私の前で走っていた3名は赤いフェアレディZを追い越し前に見ていたそうだ。M氏によると、私が先行する3台を追いかけている時、M氏とその赤いフェアレディZは2台でバトルを楽しんでいたと言うのだ。

法体の滝を過ぎ私に代わって先頭に立ったM氏は、赤い山形ナンバーのフェアレディZに追い着く。彼がフェアレディの後ろに着いて追い越しの機会を伺っていると、ミラーをチラッと見たフェアレディのドライバーが、アクセルをフォンとあおってギヤダウンしたのが見えた。

それがYZF750SPと赤いフェアレディZとのバトル開始の合図であった。一段高くなったエキゾーストノートを吐き出してフェアレディZはスピードを上げる。中低速コーナーが続くこのステージで、フェアレディは四輪の優位性を生かしコーナーでYZF750SPの引き離しを図る。しかしそこはM氏、逃げるフェアレディの後ろにピタリと張り付き捕らえて逃さなかった。

M氏によるとこのフェアレディの走りは相当のものであったらしいく、前に出るのは無理な状況であったようだ。それでもM氏はフェアレディにプレッシャーを掛け続け、フェアレディとYZF750SPのランデブー走行は暫く続いたようである。

すると突然フェアレディのドライバーはスピードを落とし車を左に寄せてM氏に道を譲る姿勢を見せた。慎重にその状況を見極めたM氏は、ゆっくりとフェアレディの前に出る。その時フェアレディのウインドーが開き、ドライバーはニッコリと微笑んでM氏にエールを送ってきたと言う。それはまるで映画のワンシーンの様であったと言う。

その時M氏が見たドライバーの顔はけっして若くはなく、M氏と同世代のドライバーであったようだ。フェアレディの彼は走りには相当自身を持っていたと思われ、その彼を追い回したM氏に感心したと言うか何と言うか、彼は窓を開けてお互いの走りを称えたかったのだろうと思う。

エールを送られたM氏が手を上げてそれに応えたかどうかは聞かなかったが、私だったらきっと左手を軽く揚げていた事であろう。ドライバーとライダーのお互いを認め合ったファイトは、互いの心の中にスポーツで戦った後の様な充実感を残したのであった。

その後赤いフェアレディZは、T字路に止まって後続を待っていたM氏の横をゆっくりと通り過ぎて行ったと言う。そんな出来事があった事など全く知らなかった私は、前に現れた車2台を普通に追い抜いて先を急いでいた。私には赤いフェアレディZを追い越した記憶だけは残っていたが。


M氏&YZF750SP
フォレスタ鳥海の前を通過して我々は矢島スキー場方向に左折する。ここからまたM氏の走りが爆発する。FUNKYでは今日が最後の走りになるかもしれないM氏とYZF750SPのパッケージは、他を圧する走りで私の視界から消えて行った。

彼はYZF750SPでビックバイクの乗り方、セッティングの仕方、そしてビックバイクの何たるかを学んだ筈だ。そして今日がその集大成のツーリングであったかもしれないのだ。私は彼が走り去る後姿にそれを感じ、その次第に小さくなって行く後姿を目に焼き付けていた。


日没は近い
花立に出た我々は南由利原に向かう。時間があれば南由利原に在るサイクリングターミナルで休憩して東由利原から西目のコローニーへ周るコースを取るのだが、日没の時間が迫っておりそっちに周る時間は無さそうである。

日暮れまでの時間と今シーズンを締め括る道として何処が相応しい道なのかを考える。私の頭に浮かんだのは仁賀保から仁賀保高原に登る道と四角井戸溜池からコローニー入口に向かう道だった。

ここから仁賀保高原に上って仁賀保に下る道を往復し、戻って来て四角井戸溜池に向かいコローニー入口に出れば明るい内に走れ終えそうである。私は仁賀保高原に進路を取った。


人間何事も努力が大事
M氏を先頭に仁賀保高原に登って行く。私の前を走るU氏の走りは、4月にここを走った時と比べるとまるで別人のようにスムーズで速いものだった。彼は今年5月の2nd.ツーリングからFUNKYに参加し、それ以降のツーリングに全て参加して腕を磨いてきた。

彼のバイクに対する真面目な取り組み方は傍から見ていても感心するところが多い。人間何事も努力すれば次第に身に着いていく事を感じさせる今日の彼の走りであった。仁賀保高原に上がって土田牧場に曲がらずに仁賀保に下って行く。

車が数台いて思うように走れなかった下りだったが、この道は上りの方が楽しい道なのでジッと我慢の子で下って行く。下のパーキングでUターンして今度は上って行く。上りは車に邪魔される事無く、深いバンク角を充分に楽しむ事が出来た。この道が早く全線完成するのが待ちどうしい。

仁賀保高原を下って四角井戸溜池に向かう。後はコロニー入口までのステージを残すのみとなった。この区間は今年バイクの死亡事故が有ったりして最近足が向かなかった道なのだが、今年最後という事で由利原の王道の道を走る事にする。

ここはM氏の後ろに着いて走ってみる。長い直線で離されはするが何とかM氏が見える範囲でコローニー入口に着く。やはりハンドリングがおかしい。倒し込みの自由度が無くブレーキも決らない為ビクビクしながら走っていた。

実はツーリングの次の日、TZRのフロントタイヤが濡れているいるのを発見し調べてみると、フロントフォークの右側からフォークオイルが漏れていた。漏れたオイルが飛び散ってブレーキローターとアンダーカウルに付着しているではないか。

TZRのフロントフォークのオイル洩れは持病のようなもので定期的に漏れるのだが、そう言えばこの2年位漏れていなかった。これは使い切ったフロントタイヤと共に交換しなければなるまい。定期的にオイルシールを交換すればよいのだが、倒立フォークのオイルシール交換は手間が掛かる為どうしても漏れてからの交換となってしまう。バイク屋としてはそんな事ではいけないとは思うのだが、面倒なものは面倒なのである。


今年のスペシャルステージを全て終了
これで今日のスペシャルステージの全てを終了、後は秋田に帰るだけである。西目から山の中を通って本荘市内に入り国道105号線沿いに在るいつものローソンを目指す。信号に止まった時、N氏が後からやって来てトイレ休憩を要望される。

我々は笹子のGSを出てから休憩する事無く一気に本荘まで走っていて、トイレに行きたくなるのは私にもよく分かる。しかし、予定しているのローソンまではまだ少し時間が掛かるので、私は彼がローソンまで持つかが心配になった。私はN氏に了解した事を告げローソンに急いだ。

結局N氏はそれには間に合う事になったのだが、彼は私がわざわざローソンに止まったものと勘違いしていたみたいで盛んに恐縮していた。N氏、そんな事は有りませんので気にしないで下さい。


●グリップ力比較 ケブラー>スチール
ローソンにバイクを停めるとバイクから降りたU氏がA氏のリヤタイヤを覗き込んで言った。「やっぱり、おかしいと思ったんだ。最初はゴミがタイヤに付いていると思ったんだけど、なかなか白いのが取れないから何だろうと思ってたんです。」


A氏のリヤタイヤを見た私はそのタイヤの状況を見て目が点に・・・・。朝にはちゃんと溝のあったブリジストン バトラックス BT−020のリヤタイヤは、今日一日の走りで綺麗に磨り減って白いケブラーコードが一部出ていた。美しい!

私も朝タイヤを見た時ヤバイかなとは思ったが、ここまでになるとは考えていなかった。FUNKYのツーリングでここまでタイヤを使った人間は未だかつていなかったし、今後現れないと思われた。

私がローソンで缶コーヒーを買って戻ってくると、外では大変な事が発覚していた。N氏のリヤタイヤを見たU氏がキラキラと光る物を発見していたのである。それはA氏のケブラーコードより大きな光を放っていた。

N氏は最後尾を走っていた為誰にも気付かれなかったが、A氏と同様タイヤが磨耗してコードが出ていたのだ。N氏のタイヤはメッツラーのスポルテックM1で、コードはスチールコードが使われいてそれは金属光沢を放っていた。

N氏のタイヤはA氏の上を行く減り方でタイヤ全周の殆どの部分でスチールコードが出ていた。「道理でよくリヤタイヤが滑ると思った。」とはN氏のお言葉。鉄のタイヤで走っていたわけだから、滑って当然でしょう。

A氏はリヤタイヤの滑りをあまり感じなかったようだから、タイヤの最終グリップ力はスチールよりケブラーの方が上と言う事だろう。いずれにしてもここから秋田まで40km近く有るわけで、私はその間にパンクしない事を祈らずにはいられなかった。


●暗くなって秋田へ
日も落ちて気温が下がってきて私は雨具の上着を着て出発する。ここから大内、大正寺、雄和を通って秋田に帰る事にする。TZRのヘッドライトは昔のライトでレンズのカットが悪くH4バルブが一個のためもあって暗い。

暗いヘッドライトで先頭を走るのは辛い。まして年寄りの目は鳥目で暗くなると視力がガクッと落ちてしまって暗くなってからの私のペースは遅い。特に対向車が無い時が辛く上向きにしても大して変わらない明かるさではスピードは上らないのだ。

今どきのHIDでも付ければ走り易くなると思うが、HIDを装着するよりTZRを交換した方が早いような気がしている今日この頃である。

マッタリとしたペースで秋田に着いたのが6時を少し回ったPM6:10頃であった。何とかパンクもせずに全車無事に秋田に帰還する事出来た。今日は天候にも恵まれ今シーズン最後のツーリングとあって頑張って501kmも走ってしまった。この距離はいつもの最終ツーリングより1割から2割も多い距離で、それは今日のツーリングが如何に充実したものであったかの証明であろう。

これで2004年のFUNKYツーリングの予定は全部終了した事になる。長かったようで短かく感じた2004年シーズンであっが、新メンバーも加わって楽しいシーズンで有った事だけは確かである。

来シーズンがどんなシーズンになるのか今から楽しみな私だが、来シーズンはきっとFUNKY変革の年になりそうな気がしてる私である。




それではまた来年までサヨウナラ・・・。

Report By Ryuta


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