2005年 5月15日(日) 2nd.ツーリング


26年間のFUNKYの歴史に新たなページが
     書き加えられる事になった全走行距離490km
               の過酷なツーリングのレポート。

                      
Report by Ryuta   


< コース >


秋田⇒大潟村⇒能代⇒八森⇒深浦⇒鯵ヶ沢 生干しイカ

車力村
やまなみライン⇒大平⇒蟹田 カニ・しろうお・(昼食)

⇒青森⇒
八甲田雪中行軍遭難車像前⇒谷地温泉⇒焼山(入浴

⇒奥入瀬⇒
子の口休屋⇒発荷峠⇒十和田樹海ライン⇒小坂

⇒比内⇒米内沢⇒上小阿仁⇒五城目⇒農免道路⇒下新城⇒

モト ワークス ヒラタ 走行距離 490km

鯵ヶ沢 由利商店前


今日はストーブの温もりが何よりのご馳走


イカ一杯250円 これは三杯分


左のS氏は一年ぶり、M氏は
二年ぶりのイカの味を味わう


足が濡れてしまったA氏は、ストーブで足を
乾かし由利商店さんから頂いたレジ袋で
足の雨対策を行う。


おねいさんのイカを焼く後ろ姿が・・・
◆FUNKYの歴史に残る一日の始まり
AM4:20起床。今日は寝る前に4時半起床を強く念じたのが功を奏して、予定の時間前に目覚める。昨日の天気予報では寒気を伴った低気圧が接近中で昼頃から雨が降ると言う予報であった。そのため私は空模様が気になり、まずカーテンを上げ外の様子をうかがう。

空は曇ってはいたが雨は落ちていない。最近この時間に起きる事は無く知らなかったが、外はもう明るくなっている。軽く朝食を取って軽トラに乗って家を出たのがAM5:15過ぎであった。走り出しと軽トラのフロントウインドーに水滴らしき物が付いているのに気づく。

雨か? それは確かに雨ではあったが、ワイパーを動かす程のものではなかった。店に到着してパソコンの電源を入れネットで今日の参加者を確認する。昨日店を出る時点での参加申込者はS氏とN氏であったが、開いて見るとK氏とA氏がそれに加わっていた。これで今日の参加者は私を含めて5名となったようである。

最初にS氏、少し遅れてN氏がやって来る。その後K氏、A氏が少し大き目のエキゾーストノートを響かせて到着する。ふと外のアスファルト上を見ると、先まで白かった路面が黒くなっているではないか。全員、雨具を出して着ているともう1台バイクがやって来た。それはM氏であった。

彼は今朝何とか出発に間に合う時間に起きる事が出来た為、急遽参加する事にしたらしい。これで今日は1st.ツーリングと同じメンバーが揃って6名で竜飛を目指す事となった。

出発時間のAM6:00頃になると、雨はすっかり路面を光らせる程の降りになっていた。毎年この時期に行われるFUNKY2nd.ツーリングは、津軽半島の竜飛埼まで行くのか恒例になっているのだが、5月の天候はまだ寒気が入り込む事が多く雨具を着る事は珍しくはない。

しかし、200km以上北上するこのコースでは、雨具を着て出発しても何処かで雨具を脱ぐ事が多く、私は一日中雨具を着て走った記憶は無かった・・・と思う。そんな事で私は雨で予定は変更される事は有っても、例年の様に青森県を周って帰ってこれるものと考えていた。

私は秋田を出発する時、鯵ヶ沢の生干しいかや蟹田のしろうおそして八甲田の谷地温泉の事を思い浮かべ青森を目指したのだが、この 2005 FUNKY 2nd.ツーリングがFUNKY26年の歴史の中でも初めての体験をするツーリングになろうとは、その時の私は夢にも思っていなかった・・・。

秋田市を抜け潟上市(何処?)の昭和で国道7号に出る。八郎潟町から大潟村に入り干拓堤防沿いの道を北上する。以前はブラックバス釣りの車が道路脇に沢山止まっていて気を使ったものだが、バスの再放流が禁止されてからは年々停まっている車の数は減りで大変走り易くなった。

私にはブラックバスを釣る人達の気持がよく分からないのだが、ブラックバスを釣るのは釣る行為が楽しくて釣っているのだと私は考えていたが、キャッチ&りリースが禁止された事で釣り人口が減ったと言う事はどういう事なのだろうか。

釣る事を禁止していないのに釣り人が減る。私には理解出来ない現象である。釣りをしない私としては、停まっている車が少なくなって気を使う事が少なくなり大変助かってはいるのだが。


◆雨が本格的に降って来た

路面が濡れていた為いつもよりスピードを抑えて大潟村を抜け能代市街に入ると、雨が強くなって来た。道路に設置された温度表示は9℃を示しており寒い。手足の雨対策が不十分メンバーは特に寒さが身に凍みていたようだ。いつもは八森の展望台で休憩を取るのだが、雨が降っている為屋根の有る青森県との県境に近い 道の駅 はちもり で休憩を取る事にする。

道の駅に到着する頃には雨が一段と強くなり、私はバックからカメラも出せずに屋根の下に駆け込んでしまった。正面に見える西の空は、真っ黒でこの雨は暫く続きそうである。私にこの雨の中に走り出す根性は無く、暗い空を見上げながら長めの休憩となった。

20分位は休憩しただろうか、雨が少し小降りになって来たところを見計らって道の駅を出る。ここから一気に鯵ヶ沢の由利商店まで走ったのだが、雨の国道101号は走っていても楽しくない。荒々しい磯が続く海岸線は、晴れていれば青い空が海に写り美しい景色を我々に見せてくれるのだが、光の無い墨絵のような今日の景色では、私に何一つ印象に残る物は無かった。


◆20数年通っている由利商店さん

国道101号鯵ヶ沢バイパスが旧道と分かれる信号を右折、旧道に入りイカ屋さんが建ち並ぶ中に在る由利商店前にバイクを止める。以前は国道を通る車が往来し車の量が多かったこの場所も、バイパスが出来てからは鯵ヶ沢の町に用事が有る人以外通らなくなりイカの売上も減ったらしい。

屋根の掛かったイカ干し場で雨具を脱いで店内に入って行くと、今日はおねえさんと旦那さんが我々を迎えてくれた。旦那さんは我々が寒そうにしているのを見て、ストーブを出して来て火を着けてくれた。濡れて冷たくなった手に、ストーブの暖かさが滲み込み指先の血流がよくなるを感じる。

生干しイカを注文しイカが焼き上がるのを待っていると、炭火で焼かれたイカのイイ臭いが漂って来る。焼き上がる少し前に塩が振られ、包丁で切られ皿に盛られたイカが運ばれて来る。一斉に皆さんの手が皿に伸びて、唐辛子が掛けられたマヨネーズを付けてイカは口に運ばれていく。

N氏とA氏はここの生干しイカを食べるのは初めてで、盛んに美味しいを連発している。冷えた体には温かいイカが特に美味しく感じるのであろう。二杯のイカが載った皿は直ぐに平らげられ、二枚目の皿が運ばれて来る。この皿に載った三杯のイカも、間も無くメンバーの胃袋に納められてしまったのである。

毎年美味しく頂いている生干しイカであるが、20数年間由利商店さんの生干しイカの味は変わっていない。この味はおねえさんがお母さんから受け継いだ味で、最近お母さんの姿は見えないがおねいさんのイカを焼く後姿を見ると、同じ様にイカを焼いていたお母さんの後姿を思い出す。

皆さん生干しイカを美味しく焼くのを簡単にお考えかもしれないが、火加減、焼く時間、塩の振り方等どれ一つ違ってもイカの味や食感は変わってくるのだ。私はいつもお土産に生干しイカを買って家で焼いて食べているのたが、由利商店さんで食べる味と同じにならないで苦労している。由利商店さんがお休みの時、近くのお店で食べた生干しイカの味は由利商店さんとは違う味であった。

前回の1st.ツーリングの蕎麦ではないが、食べ物の味は素材+人によって造られるものであって、人無くして美味しい物には出会えない事を強く感じる今日此の頃である。

イカでお腹が少し膨らんだ我々は、これから先のコースをどうするかの結論をガソリンを入れる車力のGSまで先送りし、少し雨が小降りになった鯵ヶ沢を発ち広域農道を使って車力を目指す。

今年の車力スタンド
若者が元気に走り回っていた



R6のテールバックは完全防水仕様


コマネチ・・・?



もしかしたらこれがR1最後の
傷のない写真になったかも・・・
◆燃費の差は・・・
大きな水溜りがあちこちに出来ている広域農道を走って、いつもの車力JAスタンドに我々は飛び込んだ。今日はいつものオバさんやオジさんではなく、若者が一人で営業していた。彼は6台のバイクのガソリンタンクを次々に満タンにしていき、仕事をそつなくこなしていく。

ここまで200km近く走って11リットル弱のガソリンを飲み込んだ私のGSX-Rは、雨中走行で高回転を使う事がなかった為か、燃費が19km/L以上の高燃費であった。一方N氏が乗るもう1台のGSX−Rは、私のGSX−Rより3リットルも多くガソリンを飲に込んでいた。

給油したガソリンの量が多いのは私より走行距離が少々多い為もあったが、燃費は16km/Lを下回っており同じバイクでこの燃費の差は何故・・・? その燃費の差がどこからくるものなのかは明白で車両総重量の差がこの差になったと思われるのだが、しかしこんな大差になろうとは私の予想を大きく越える結果であった。


◆竜飛を諦め蟹田に直行

給油を終えいつもの様に事務所で休ませてもらう。雨は殆ど止んだが、竜飛までの路面はウェットな事には変わりないだろう。竜飛までの曲がりくねった道をウェット路面で走っても楽しくはないだろうし、何よりも危険が危ない。

今回は竜飛に行くのを止め、ここから昼食を取る予定にしている蟹田に直行する事にする。雨が上がった車力を発った我々は、田植えを終えた津軽平野を横断し国道393号に出て北上、今泉で国道と別れやまなみラインに入る。


◆トンネルのトラップに3匹が引っ掛かる

津軽半島中央には南北に背骨の様な山並みが有って、そこを横断するようにやまなみラインが走っている。昔は狭い峠道であったこの道は、二つのトンネルを高速コーナーで繋ぐ東北きっての高速ステージに生まれ変わったのだが、今日のやまなみラインはウェット路面の為超高速コーナーリングは楽しめそうにない。

それでも雨は上がっているし、私は先頭でそれなりに頑張ってみる事にした。道幅が広くなった所で一気にペースを上げる。ウェット路面とはいえ直線ではそれなりのスピードは出せるし、コーナーの手前でドライ路面より長い制動距離を用意すれば、ウェットもそれなりに楽しく走れるのだ。

一つ目のトンネルを抜け二つ目のトンネルに進入する時、私と二番手M氏との間隔は少し空いていた。私はいつもの様にスピードを落としトンネルに進入、アクセルを一定にして出口を待っていた。この一つ目より短い二つ目のトンネルは緩やかに右にカーブしているが、その曲率はライダーにバイクの傾きを感じさせるほどのものではなかった。

出口の先が見通せる所まで来た私は、加速の為普通にアクセルを開けた。その開け方は普通であったと私は記憶しているが、アクセルを開けた瞬間GSX−Rのリヤタイヤは外に振り出されそして次の瞬間反対側に振り出されていた。

そしてまた反対側にテールは振り出され、私は 「イッターッ」 と一瞬思ったのだが、本当本当に幸いな事に振れはそれで収まりGSX−Rは何事も無かった様に直進しはじめる。

心臓がバクバクして咽から出そう? とでも言うのでしょうか。私はまだ千キロチョッとしか走っていないGSX−Rを傷物にしなくて本当に良かったと、胸を撫で下ろしていた。落ち着きを取り戻した私は後続を確認する為ミラーを覗いて見たのだが、ミラーに写っている筈のM氏の姿はそこには無かった。

私が大きく振られた二つ目トンネルの出口で、M氏もまた私と同じ状況に陥っていた事をその時の私は知らなかった。後でM氏から聞いた話では、彼も私同様トンネルの先を確認出来た所でアクセルを開けたようである。

そして彼のR1はテール大きく振り出し、横を向いていったと言う。彼の場合私と違ってアクセルを微妙にコントロールする事が出来て振れは一回で収まったようだが、その振れの度合いは私より大きくかつ長い時間であったようだ。

そしてそれから少し遅れて三匹目(N氏のGSX−R)が例のトンネル出口に差し掛かった。彼の前には車が一台いて、彼はトンネルの先が見通せた所で追い越しを掛けGSX−Rを右に振りアクセルを開けた。

その瞬間GSX−Rは彼の体の下で大きく左右に振られたと言う。その状況は私やM氏と違って後続のライダーによって目撃されていて、彼らの話によるとバイクは大きく振られはしていたが、N氏はドッシリと安定しており危険性なあまり感じなかったと言う。

しかし、外からは安定していたように見えていたかもしれないが、当のN氏の心臓は私同様バクバクしていたに違いない。三匹のバイクは同じ場所でリヤタイヤを滑らせてしまったのだが、その原因はトンネルの形と路面に有ったと思われる。


◆侮るべからず トンネルの濡れたコンクリート舗装

ここのトンネル内の路面はコンクリート舗装であったのが、今回のドラマを生んだ原因はそれにあったと思われる。濡れたコンクリート路面はミューが低く滑り易い事から、リッターバイクの場合普通にアクセルを開けてもリヤタイヤが滑ってしまったのであろう。

しかしそれだけではこんなドラマティックな展開にはならなかった筈で、ライダーにバンクしている事を意識させないほど緩やかにカーブしたトンネル形状が、よりドラマティックな展開を生んだものと考えられる。

いくら私でもバイクが傾いた状態で濡れたコンクリ-ト上でアクセルを大きく開けるような事はしないのだが、今回の場合バイクが直立している意識でアクセルを開けたのが敗因だったと思う。このトンネルがカーブでなくて直線だったら、リヤタイヤがチョコッと空転した程度の事だったと思う。

皆さんも濡れたコンクリート路面のトンネルを通行する時は、スピードを落とし加減速を少なくして走行し、トンネルを完全に出てから加速するようお気を付け下さい。

二つ目のトンネルを抜け陸奥湾側の大平に出ると空はまた暗くなり雨が降っていた。後続との間隔が大きく開いていて少し待つ事になった私であったが、その後全員が揃って蟹田に向かう事が出来たのは幸いであった。私を含め数名のライダーは、次第に強くなる雨の中コケなくて良かったと安堵感に浸っていた事であろう。

このノレンも大分貫禄が付いて来た



とげくりガニ 750円
これがメスの卵が入った物になると1,200円
このカニの美味しいところはカニ味噌である



N氏初めて食べるしろうおの踊りに
思わず顔が綻ぶ



次はトゲクりガニのカミ汁を頂く



雨は上がったのだが、雨具を着て出発する
微妙な天候である。
◆かにた川のしろうおとげくりガ
一年ぶりのかにた川には、竜飛を回らなかった為AM11:10過ぎには着いてしまった。昼時には少し早く何時もは玄関に長蛇の列が出来るほど込んでいるかにた川も、今日は直ぐにテーブルに案内された。

ここで働いているオバさんやおねいさん達は地元の人達で、季節限定営業のかにた川でこの季節だけ働いている。雨具を持ってウロウロしている私を見たオバさんは、雨具を預かり乾かしてくれた優しいオバさんだった。

若いおねいさんが、我々用に6人の席を作ってくれて、我々はそこに案内される。この季節ここに来るお客はしろうおを食べに来る客が殆んどなのだが、我々の中に頑固にしろうおを拒否する人間が一人いた。

注文取りのおねいさんは、6名でしろうおの踊りが五つで良いのかと確認を取る。私は踊りの他とげくりガニそばを注文。他のメンバーはカニ汁等を注文する。K氏はしろうお定食しろうおの天婦羅&ご飯で悩んだ結果、しろうおの天婦羅&ご飯を注文したつもりだった。

最初にK氏の前に運ばれて来たのはしろうお定食であったのだが、彼はそれをしろうおの天婦羅&ご飯だと思って箸を着けてしまった。暫くしてしろうおの天婦羅&ご飯が運ばれて来て、K氏が食べているのはしろうお定食である事が判明、K氏は固まってしまった。

注文取りのおねいさんは、K氏がどちらにするか決めかねている間に両方ともオーダーを入れてしまった様である。 さぁー困った! K氏の胃袋を持ってすれば、この二つを平らげることなど造作無い事なのだが、昼食代が倍になるのは困る。

運んで来たおねいさんは、てんぷら&ご飯を持ち帰って注文を確認に戻って行ったが、間違いなくオーダーされていると戻って来た。しかし、必要なければ他に回すのキャンセルで結構ですと言ってくれた。K氏、お礼を述べておねいさんに丁重にお引取り願ったのである。

カニ汁が最後に運ばれ来る。カニが半分入っているカニ汁は、カニの出汁が出て大変旨いと皆さんに好評だった。これを運んで来たおねいさんは、M氏にしろうおの踊りをまた進めている。これで3回目か?それでもM氏は頑なに踊りを断っている。

M氏の場合、魚屋の息子にして生物は苦手と言う変わった嗜好の持ち主なのだが、もう一人FUNKYの中にしろうおの踊りを絶対食べないであろうメンバーを私は知っている。しろうおを口の中で泳がし動きを楽しんだ後、しろうおの歯応えを楽しんでいたA氏の様な人もいるのだが・・・。











しろうおの中に醤油とウズラの卵を落とすと
しろうおは一層激しく動き回る
今年はしろうおが豊漁なのか、
しろうおの量がいつもより多かった













         テイクアウトも出来ます

誠に申し訳ないのですが、白い世界を写した写真が一枚もございません。

写真どころではなかった状況を、ご理解下さいますようお願い申し上げます。
































大屋根の下で雨宿りのバイク達


外はまだ雨が降っている


ホテル入り口にレーシングスーツ
これ程のミスマッチもあるまい


風呂上りの休憩をフロントカウンター前で取る
◆蟹田⇒青森
食事を終え外に出てみると雨は上がっていた。しかし、まだ路面は濡れており雨具は着て走り出す。蟹田から国道280号を南下、途中から田んぼの中を走るバイパスに入る。青森市に近づくにつれ路面が乾き日も差してきた。

正面に山頂部は雲に隠れているが中腹は日に照らされた八甲田山が見えている。これで今日の後半はドライ路面で走れると喜んだ。私は心の中で 「これがいつものパターンなんだ。」 と万歳三唱して走っていた。

青森市で国道7号に出て弘前方面に少し走り、我々は青森環状バイパスに入る。三内丸山遺跡の横を過ぎバイパスが高速道路と並んで走るようになると空模様が次第に怪しくなってきた。黒い雲が後ろから追いかけてきて雨粒を落とし始め、それが八甲田 田代平へ曲がる信号に止まっていた時雨交じりの霰に変わった。アスファルトの上を白い粒が弾けているのを見て、私はここを左折して良いものか一瞬迷ってしまった。

しかし信号に右の矢印が出て、我々は押し出される様に八甲田に向かって走り始めてしまったのである。しかし私の予想に反し正面に見える八甲田山には明るい所が見え、路面も次第に乾き始めいつしか完全なドライ路面となっていた。


◆今日最初で最後のドライワインディング

今日初めてのドライワインディングに先頭を走る私のペースは次第に上がっていく。標高が上がるにつれ道の両側には残雪が現れはじめ空気の冷たさを感じる様になったが、路上に車は少なく小峠、大峠のワイディング楽しみ、昨年10月に訪れた雪中行軍遭難者銅像下のパーキングを目指す。

楽しい時間は短く、アッという間にパーキングに到着してしまう。ミラーを見て後続を確認すると後ろ2台が来ていないのが分かった。スピードを落として後続を待ったが現れず、道路脇にバイクを停めミラーを覗き込んで待つ事にする。


◆隼に不幸が襲う

暫しのj時間が流れ私の心の中に嫌な予感が芽生え始めた時、R6のヘッドライトが見えた。「隼はどうした。」私の不安が一段と膨らんだ時、隼がコーナーから飛び出して来る。それまでの緊張から開放され私は、列の後に着いたK氏の合図を確認してギヤを踏み込みウインカーを揚げ走り出す。

後に聞いた話によると、後ろから二番目を走っていたS氏は右カーブの立ち上がりでリヤタイヤを滑らせて路外に飛び出そうになったと言う。それを後ろで見ていたK氏は、これは 「逝った・・・。」 と思ったそうだ。

しかし、そこはしなり強いS氏のこと、たまたま隼が向かって行った方向に砂利の横道を発見し隼を遮二無二そこに捻じ込む事に成功したと言う。昨年、隼で林道の峠を越えた経験がここで役立ったのかもしれない?

パーキングから先の道路状況は、両側に残雪の壁が続いておりコーナーには雪解け水が流れていた。八甲田温泉入り口を過ぎ田代平に近づくと路面は濡れ始め雨がポチポチ落ちてきた。田代平を過ぎ国道394号に入り右折、谷地温泉に向かう。

ここから谷地温泉までの道は、いつもの年であれば両側に残雪を見ながら楽しく走れるブナの森の中を走るワインディングロードなのだが、この道でFUNKYの歴史に新しい1ページを書き加える事になろうとは、私は思ってもいなかった。


◆そして歴史は創られた

それは雷鳴から始まった。そぼ降る雨を気にしながら走っていた我々の近くで、いきなり雷が鳴り雨が強く降り始めそしてその雨が霰に変わっていく。黒い路面は見る見るうちに白く変わっていき、これはヤバイと思った私であったが、もう直ぐ谷地温泉だし谷地温泉から先は焼山に下るだけだからまずは谷地温泉まで行くと決断する。

雨混じりの霰でシールドが曇り視界が悪くなった為シールドを少し開けて走行したのだが、大きく開けると霰が顔に当たって痛いし閉めると前が見えない状態に陥る。我々の前を車が2台走っていて彼らもスロー走行を強いられていたのだが、幸いにも我々はその車の轍を伝って何とか国道103号に出る事が出来たのである。

この地点から谷地温泉までは数百メートルの距離なのだが、そこには轍は無く白く狭い道をゆっくりと谷地温泉に上って行く。雷が鳴り霰と言うか霙と言うか、とにかく白い物が激しく降る中我々は谷地温泉前の駐車場に辿り着く事ができた。

谷地温泉前には観光客が大勢いて、こんな状況下やって来た愚かなバイクの群れに冷たい視線を送ってくる。もし私がその観光客だったら 「馬鹿じゃないの。こんな雪の中バイクなんかに乗っちゃって・・・。」 と言ったと思うが、我々はこの状況を知ってて此処に来たのではないのだ。

この激しく降る雪?の中、私はこれからどうするかの判断を迫られていた。周りのアスファルトは完全に白くなり、バイクを押して少しでもフロントブレーキを掛けようもにならフロントタイヤが滑る状況になっていた。

この状況では、予定通り谷地温泉に入ってしまうとバイクが走行不能になるまで雪が積もる可能性が高く、私は直ぐに焼山に下る事を決断したのだが傾斜の付いた駐車場でUターンするのがまた一仕事であった。

強くブレーキも掛けられず、足元も滑る中行ったり戻ったりを繰り返し私は何とか180度の方向転換を果たしたのだが、あの重い隼を坂の途中で方向転換させたS氏のテクニックには恐れ入った。彼がFUNKYに初めて参加したのは、丁度一年前の 2nd.ツーリング だったが、この一年彼はFUNKYを経験する事で隼を大分自分の物にした様である。


◆谷地温泉にFUNKY雪中ツーリング遭難者像が建つ

全車無事、温泉下の道路脇に方向転換したバイクを並べる事が出来た。雪は相変わらずの降りで直ぐに出ようと思っていたら下から上がって来たマイクロバス(谷地温泉の?)の運転手がN氏に何か話し掛けている。N氏が私を手招きしているので行ってみると、運転手は上には行けないと教えてくれる。

ここ谷地温泉の標高は790m位だが、ここから青森方向に向かうと途中に傘松峠(標高1040m)が在る。マイクロバスの運転手は我々が傘松峠に向かうと考えていたようだが、ここから200mの上の世界など想像もしたくないし、もし傘松峠に向かう予定だったとしても私は向かう事は無かったろう。

私は一刻も早く此処のこの状況から抜け出す事だけを考えていた。本当にこのまま此処に留まれば、動けなくなるのは明白で谷地温泉に泊まる事になりかねない。それはそれで私としては有りかなとも思ったが、明日の朝雪が解けている保証も無い。

運転手の話を聞いた後、我々はバイクに跨り谷地温泉を後にする。先ほどまでは上りであったが、これから奥入瀬の焼山までは下りが続く。この滑る路面で上りと下りとどちらが走り易いかと言うと、私が雪の林道をセローで走った経験から言うと、下りの方が何とかなると言うのが結論である。

上りはアクセルを不用意に開けると(急坂ではどんな事をしても前に進まない)直ぐにバイクは横を向いてしまうが、下りはスピードを抑えエンブレを軽く掛けフロントタイヤにストレスを掛けずに下りて行けば何とかなるものなのだ。

谷地温泉から焼山までの国道103号は最初は緩い下りなのだが、次第に狭い急なヘアーピンカーブが続く道となる。私は雪道のヘアーピンカーブをGSX−Rで下って行く自信は無かったが、我々はウインカーを左に揚げ一列になって道路左端を歩く様なスピードで坂道を下って行った。


◆殺す気か!

濡れた雪?は容赦なく我々に降りそそぎ、シールドにへばり着いて視界を奪っていく。車もスロー走行なのだが、それでも我々よりは早いわけで、我々の右側をゆっくりと追い越していく。一台のパジェロミニ(多分、自信なし)が我々を追い越していった。・・・と言うよりは前に出たといってた方が正確であろう。

私は車との間隔を取りたいと考えていたが、そのパジェロミニは我々と同じ程度のスピードで走っており車間が取れない状況が続いた。何しろ我々はスピードを上げる事も下げる事も出来ない状態で走っているのだから。

「そんなスピードで走るなら追い越しなんてするんじゃんねぇ・・・。」 と私に怒りが芽生え始めた時、パジェロミニがヘアーピンカーブ手前でいきなり止まった。車は止まれても我々は急には止まれません。私は少しスピードを落としたが止まれる自信が無く、車左側の隙間にバイクをねじ込んでなんとかヘアーピンカーブを通過する事が出来た。

車の前に出る時チラッとドライバーの顔を見たが、年配の男性が運転していたようだった。何でパジェロミニが急停止したのか。その時の私は分からなかったが、後に後続のライダーに聞いたところによると、カーブ手前でブレーキを掛けたパジェロミニは、屋根に積もっていた雪がフロントガラスにずり落ちて前が見えなくなり止ったようだった。

何とも人騒がせなパジェロミニであったが、全車無事パジェロミニをクリアーする事が出来たのは幸いだった。あの状況下で転倒しバイクが壊れても、修理代をパジェロミニのドライバーに請求するのは難しいと損害保険代理店の端くれとして考えるからである。


◆エスケープ

私は以前からこの道を走る度に気になっている事が有って、それは蔦トンネルの手前から多くの車が左の舗装された道に曲がって行く事であった。私は今回のツーリングの前にその道が何処に繋がっているのかを地図で調べていた。

その道は八甲田ビューカントリークラブ、仙人平、湯ノ台を通ってまた国道103号に合流する道であった。道は地図で見る限りきついカーブが少なく走り易そうな道で、蔦温泉付近の狭くカーブがきつい道と比較すると走り易い様に思われた。

そこで私は少しでも傾斜が緩くカーブの少ない道を走りたいと考え、通った事は無かったが湯ノ台を回る道を行く事にして、国道からその道に左折した所で止まり後続を待った。

前ばかり見ていてミラーを見る余裕が無かった私は、後続がどうなっているか全く知らなかった。後続の3台は直ぐ後ろにいたが、後2台とは結構離れて走っていたようで最後尾の隼が来るまでは少々間か有った。やはりこの路面状況では、重い隼はどうしても遅れ気味になるようである。

全車が揃って湯ノ台に下って行くと、道は立派な2車線路で傾斜も緩く走り易かった。次第に視界が開け高原の様な広々とした所(仙人平?)に出ると、遠く前方の空には青空が見えてくる。路面はまだ白かったが次第に路面は黒さを増し、湯ノ台に着く頃には雪?は無くなっていた。

湯ノ台から焼山に下る道は狭く曲りくねった下り坂だが、白い物が無い下り坂など楽勝で下って行き、蔦川に合流した所で国道103号に戻り焼山に向かう。今回、湯ノ台を回る道を使用して無事下界に下りて来る事が出来た我々だが、この道を予習してこなかったら蔦温泉経由の狭い道を通っていたわけで、無事ここまで来れたか分からない。 予習はしておくもんですな。


◆温泉で夢から覚める

焼山に着いた我々は、奥入瀬渓流グランドホテルのパーキングにバイクを停める。このホテルには以前YSPの会議で泊まった事があり、少しは知っていた事もあって此処に来たのだが、あまりの立派さに我々の格好で中に入るのに少し度胸が必要であった。

私は一人で中に入りフロントに居たミニスカートのお嬢さんに日帰り入浴が出来るか聞いてみる。するとお嬢さんは 「お一人様400円です。」 と元気よく答えてれた。

バイクを玄関前の大屋根の掛かった所に停めさせてくれないか交渉してみると、場所を指定されてOKの返事をもらい、濡れないで雨具が脱げると大いに喜んだ私であった。私は皆の所に戻ってバイクを屋根の下に移動、雨具を脱ぎバイクに掛けようとした時カウルの隙間に白い物残っているのを発見する。

考えてみれば、我々は先ほどまで白い世界にいたわけで、冬から一気に春にタイムスリップしたようなもので、何とも不思議な感じである。フロントで400円を払って大浴場に行くと、中には数人の人しか居なくて空いていた。

早速、服を脱ぎ温泉に入る。足を温泉に入れると冷え切った足先はジーンと痺れた感じから、次第に感覚が戻ってくる。 「極楽、極楽」 と思わず口走りそうになる。肩まで温泉に浸かり外に視線を送ると、正面に見える山肌はピンクや白そして新緑の緑で彩られていた。

ここ焼山の標高は約200m。谷地温泉との標高差は600m弱である。この600m弱の差がこの景色の差を生んでいるのだが、さっきまでの白い世界はまるで夢を見ていたかのように思えしまう。無事此処でこうしている事が何と幸せな事か。私は温泉でじっくりと体を暖めていた。

温泉から上って入り口横の椅子で休憩する。話は勿論、谷地温泉での話である。このFUNKY史上に残る貴重な体験をした6名は、事有る事に今回の話を持ち出す事であろうが、今回の経験でチョッとやソッとの事では動じない肝っ玉を手に入れた事だけは確かだろう。


◆タイミングが良かった?

外を見ると日差しが出てきて雨が上がったようだ、がしかし路面が乾くまでにはなっていない。たった今到着したおじさんが2人、我々の所にタバコを吸いに来た。この札幌から来たと言うおじさん達は青森から八甲田を越えて来たらしいのだが、彼らの話によると八甲田を通った時雪は降っていなかったらしいが、道路は真白だったと言う。

と言う事は、我々が居た時間が最も強く雪?が降った時だったかもしれない。タイミングが良かったのか悪かったのか判断しずらいが、無事にここいるのだからタイミングが良かったと考えるべきであろう。何れにしても事故と無事は紙一重なわけで、本当に無事で良かったとおじさん達の話を聞きながら私は考えていた。

休憩を終えた我々は、また濡れた雨具を着て走り出す。予定ではここから奥入瀬バイパスを通って十和田湖に出る事にしていたが、路面が濡れていたらバイパスを使わず奥入瀬沿いに子ノ口に出るつもりで焼山を出発する。

発荷峠、十和田樹海ライン入り口
に在るパーキングで休憩


写真では分かりづらいが
屋根の上には白い物が載っている

◆十和田湖はまだ冬
奥入瀬バイパスの入り口に近づくと、子ノ口〜滝ノ沢間が通行止めになっていると言う掲示が出ている。ドライ路面なら奥入瀬バイパスを往復するのも車が少なくて楽しそうだったが、路面が濡れていてはそれも叶わず、素通りしてそのまま奥入瀬渓流の観光に切り替える。

石ヶ戸や銚子大滝を見ながら子ノ口に到着すると、焼山では時々見られた日差しは十和田湖には無く、黒い雲が湖面に垂れ込めていた。 寒い! 十和田湖はまだ冬景色の中にあった。瞰湖台から休屋に下って行くと残雪ではなく新雪が道路脇や屋根の上に載っている。

一日中嵌めていたレイングローブはすっかり雨が浸み込み指先から熱を奪っていき、指先の感覚が段々無くなってきた。今日の休屋は人も車も疎らで寒々しい。我々は鉛色の湖面を横目に見ながら先を急ぎ、和井内から発荷峠を上り樹海ライン入り口のパーキングにバイクを停めた。 寒い! トイレの建物の屋根には白い物が載っている。ここも八甲田と同じ状況にあったようだ。


◆十和田樹海ラインの下りは楽勝!

寒さの為かトイレが近い。トイレ休憩を取った後、スペシャルステージの十和田樹海ラインを下って行く。私は濡れたレイングローブを捨て、革のグローブを嵌めてスペシャルステージに備えたのだが、走り始めて直ぐ路面に白い物が現れてはじめ、次第に路面を覆っていく。

しかし、八甲田の時と違って幅50cm位の轍が有って我々は走る場所には不自由しなかった。人間慣れとは恐ろしいもので、我々は八甲田の時と比べたら比較にならないほどのスピードで樹海ラインを下って行ったのである。 八甲田の時と比べたら、楽勝であった。 しかし、決して走って楽しいというレベルでは無かったが。

小坂まで来ると空は暗いが雨は降っておらず、路面も乾いていた。ドライ路面に飢えていた私は、小坂の町外れに在る見通しの効く左コーナーで、思いっきりスピードを上げてコーナーリングを楽しんでしまった。後ろの連中も思いは同じであったようで、同様にスピードを上げていた模様である。私はそのままいつも立ち寄る出光のGSにバイクを入れた。


◆雨雲から逃げ切りを図る

GSのスタッフは、いつものおじさんとお嬢さん?のコンビで、おじさんは昨年の秋、一日に二度も給油した我々の顔を覚えて気さくに話しかけてくる。雨の事を聞いてみるとここでは今日雨は降っていないと言う。しかし、頭上の黒い雲は今にも泣き出しそうな雲行きである。

おじさんは寒そうにしている我々を見て、ストーブを点けてくれた。私はありがたくストーブに当たらしてもらい、グローブを乾かす。そうこうしている間に、雨がポツポツ落ちてきた。どうも雨雲が北から接近しており、それが南に向かっているようで南の空は明るい。雨から逃れるには南に逃げるしかないとM氏と話がまとまって、休憩を切り上げ直ぐに走り出す事にする。

七滝郵便局近くまで来ると路面は乾いてきて、我々は雨を振切る事が出来たようである。毛馬内の信号で止まった時、してやったりと隣のM氏に視線を送ったら、彼もまた私の顔を見てニコッと微笑を返して来る。そんなたわいのない事が嬉しいほど、その時の我々はドライ路面に飢えていた。

毛馬内から比内までの国道103号で、私は乾いた路面を見ると反射的にGSX−Rに鞭を入れ、フルスロットルの加速を楽しんでしまっていた。しかし、そんな事は長続きしなくて国道285号に入るとまた少しづつ路面は濡れてきて、車の後ろで走る事が多くなってゆく。それでも少しでも乾いた路面を見付けては、アクセルをワイドにする私であった。

6時過ぎ上小阿仁の道の駅に到着、最後の休憩となった。
◆お疲れモードに・・・
道の駅の休憩所に入って行くと、女子高生と思われる2人が盛んに戯れている。何をしているのか良く理解できなかったが、キャピキャピして終わる気配はなかった。ここには畳の小上がりがあって彼女らはそこで話し込んでいたのだが、その直ぐ横で大の字になって畳に倒れこんでいる人物がいた。

彼は横の騒音にもかかわらず半分意識失いかけているようで微動だにしないで横たわっている。雨の中400km以上走ってきたのだから疲れいても当然で、私も並んで横になりたいところだが私の場合そのまま帰らぬ人になりそうだったので辞めた。

今ここで雨は強く降っていないが、この先の上小阿仁村と五城目町との境付近で天候が変わる事が多く、今日の感じでは向こう側は雨が降っていそうな気がしながら私は 道の駅 上小阿仁 を出発する。後は一気に秋田まで走るだけである。
◆秋田まで雨・・・
トンネルを抜け滑多羅温泉付近まで来ると予想通り雨が少し強くなってくる。車も多くただ車の後ろに着いて走るだけの状態が続く。 道の駅 五城目 まで来ると日が落ちて暗くなってきた。広域農道に入って車の前に出るとGSX−Rのヘッドライトが結構明るいのが分かった。

以前のTZRはライトが暗く先頭を走る時前が見えずに苦労したのだが、これで少しは安心して走れるようになった。バイクのヘッドライトも近年進化した物の一つで、レンズにカットが入ったライトから反射板をカットしたリフレクタータイプに変わって、夜間走行はより安全になったようである。

結局、雨は秋田に着くまでシトシトと降っていて止む事はなく、秋田の店に帰って来た時PM7:00を少し回っていた。今日の走行距離は490.2km、この内の450km以上はウエット路面であったと思われる。

Moto GPでもドライのレースもあればレインのレースもある。FUNKYツーリングでは、雨でコースを変更する事はあっても中止する事は無いから、時によっては一日雨具を着ている事もある。私は雨はそれほど嫌いではないが、氷雨と雷はは勘弁してもらいたい。


◆無事で何よりでした

今日の歴史的な雪中ツーリングの体験は、時間が経てばよい思い出として思い出される事になるだろうが、これも無事に帰って来たからこそ言える事であってこれほどに達成感?が持てたツーリングも最近無かったかもしれない。これで歴史の残るツーリングは終了となった。

次は是非走りで達成感が持てるツーリングをしたいものである。6月は太平洋を見に岩手に行く予定で、 絶対、絶対に晴れて欲しいィ・・・!





Report By Ryuta