FUNKY Librery TOP 第1日目 第2日目 第3日目 第4日目 第5日目 最終日 Home
■2006年9月16日(土) 第2日目


ポレポーレの朝



おかあさんの見送りを受けて出発準備。



U氏に対するおかあさんの態度は特別?

▼おかあさんに見送られ今年の北海道が始まった
いつもの北海道の朝の様に私は五時半前に目が覚め起き上がる。特に意識はしていないのに私は何故か北海道では五時半に起きてしまう。そして5時50分から始まるNHKの天気情報を見るのがルーティーンとなっているのだ。

台風13号はまだ沖縄付近に在って北海道に影響を与える位置ではないのだが、進路予想ではしっかり北海道を捉えている事に変わりはなかった。下ではもう朝食の支度をする音が聞こえている。

ポレポーレでは食事の支度など民宿の仕事を二人の娘さんが手伝っている。下の娘さんは高校二年生になった今も、朝早くから厨房に入って朝食の支度をしている。いくら家業とは言え毎日朝早くから家の仕事を手伝うその姿は、現代の若者の姿からすると特異な感じさえしてしまうが、私は泊まる度に彼女らに感心させられてしまう。

                                必要充分な朝食メニュー

さすがの彼女も今回の連休も手伝いをする事には反旗を翻したようだが、何だかんだと手伝ってしまいそうな雰囲気である。勤めに出ているお姉さんも仕事から帰ってから手伝っているから、この姉妹を現代の絶滅危惧種に指定し保護していくべきだと私は思うのである。

今日の天気予報によればこれから向かう道北方面は晴れで、雨の心配は無いと言っている。今晩泊まる抜海では晴れれば利尻島をバックに綺麗な夕日が見られると言う。そこで私は綺麗な夕日を見られるように抜海に五時までに着きたいと考え、穂別を少し早く出る事にした。

朝食を六時半、出発を7時半に決めてメンバーに告げる。皆さんそれぞれのペースで出発の準備をし、予定通り7時半前には準備を終える。出発を前におかあさんが我々を見送りに出て来てくれた。

昨日の夜のおかあさんとの会話の中で上の娘さんにお婿さんを募集しているとの事で、花婿候補にU氏の名前が上がり身元調査が行われていた。結構U氏はおかあさんに気に入られたようで、それからおかあさんのU氏を見つめる目が特別な物に変わった様に感じられ、今朝もU氏の傍から離れようとはしなかった。

予定通り、我々はおかあさんに見送られ穂別を出発する。まずは夕張のセイコーマートまで走るのだが、今回初めて二番手をA氏にお願いする事にした。A氏はこれまで二番手を走った事が無く結構緊張していたようだが、彼もFUNKYを走る様になって三年になりそろそろ色々なポジションを経験しても良い頃で、U氏も含め今回の北海道ではFUNKY戦隊4レンジャーは様々なフォーメーションを試す事になる。

しかし、初めてのフォーメイションに不安なA氏は、どこまでこのフォーメーションで行くのか気になり私に聞いてくる。私は夕張までと答えると、彼はホッとした表情を見せる。走りにはある程度の自信を持てる様になったA氏も二番手を走る事にプレーシャーを感じている様だったが、二番手の練習は徐々に行って行きますからご安心下さい。








夕張のセイコーマート
















今年も滝は見なかった。
▼穂別⇒夕張⇒桂沢ダム⇒芦別⇒深川に向かう途中でミステイク・・・
穂別の街を出た所でペースを上げたのだが、走り出して直ぐのペースアップに着いていけないメンバーがいた。それは今回北海道が三年ぶりのM氏であった。リッターバイクでの北海道が今回初めてであった事もあって、彼は私の朝一からのペースアップに直ぐには対応出来なかったようだ。

他の二人は昨年私の乗るGSX−Rと共に北海道を経験しており、私の走るペースは折込済みで驚きはしなかったようだが、GSX−Rが先頭を引っ張る北海道初体験のM氏がこれまで幾度となく経験してきた北海道と今回の北海道がチョッと違っている事を感じ取った出来事であった。

国道274号に出て左折、夕張紅葉山まで走り国道452号に右折する。夕張高校隣のいつものセイコーマートで休憩とする。ここで休憩して大夕張ダム〜桂沢ダム間のスペシャルステージ(SS)に備えるのがいつものパターンで、ここからはM氏に二番手をお願いする事とした。

セイコーマートを出て桂沢ダムに向かう。大夕張ダムを過ぎると道路左の山側で新しい道路を造る工事が行われている。この工事は数年前から行われているもので、この区間は工事車両が多く走っていてペースを上げる事は出来ず車の後で時間を過ごす事になってしまった。この新しい道は国道452号の改修道路なのだろうと思うが、これが完成すればスペシャルステージが伸びる事になりそうだから、たいへん楽しみである。

工事区間が終りペースを上げると共にM氏に先頭を代わってもらい、私は最後尾に下がる。M氏の後にA氏が着きそれをU氏が追う展開でトンネルまで走るが、トンネルの手前で結構なペースで走るYZF−R6 06モデル(イエローカラー)とすれ違う。

私は速いR6だったと感じていたのだが、後でその話をU氏やM氏としていたらメンバーのK氏とすれ違った時と比べたら問題にならない位遅かったと一蹴されてしまった。K氏とすれ違った事のない私は、「そーなんだぁ・・・。」 と感心してしまう。

トンネルを過ぎ道は下りの中速ワインディングに変わりM氏の得意とするスチエーションとなったが、M氏は慎重な走りで後続を引っ張る。北海道は始まったばかり、焦らず徐々にペースを上げて北海道の道に慣れていくのが肝要であろう。

このSSが終了する桂沢トンネルを出た所に在るパーキングに、スーパースポーツ系のバイクが5〜6台?停まっていて我々の方に視線を送ってくる。彼らは先ほどのR6の仲間と思われ、中にはDUCATIもいたようだ。これが反対方向だったらスクランブルを掛けられ我々に絡んくる事も考えられたが、幸いにもSSは終了しており何事も無く我々は彼らの前を通過する。

国道452号がT字路で右折すると交通量が増え車と一緒に走る事になる。いつも停まる三段滝公園駐車場で休憩する。今日は停まっているバイクの数が結構多く見受けられ、三連休初日とあって皆さんツーリングに出掛けている様である。

そこに一台のスーパーシェルパ(カワサキのセロー?)に乗る女性ライダーが我々の前に登場する。シートからすらっと伸びた足は踵がしっかり地面に着いており、ヘルメットのミラーシールドがキラキラと眩しかった。彼女はトイレを使った後、再びシェルパに跨り走り去って行った。

男性ライダーの後に着いて走る女性ライダーはよく見かけるが、単独で走る女性ライダーは珍しい。着ていたウエアーも派手な物ではなくシックな感じで、 カコイィー!? 女性ライダーだった。

休憩を終えた我々は、芦別に向かって走り出す。国道452号を走る殆んどの車は富良野方面に右折して行き、車が少なくなった国道452号を我々は快適に走って芦別(国道38号)に出る。芦別の街を通り過ぎ旭川方面に向かう道に入る。

予定ではこの道の途中から深川に出る事にしていたが、私はそこで痛恨のミスを犯してしまう事になる。更進で深川インターチェンジに向かう為左折すると、私の目の前にT字路があらわれる。そこには行き先を示す案内板は無く、私は右に行くか左に行くか迷ってしまった。

私の頭の中には左折して深川に向かうという記憶が有って迷ったあげく、そのT字路を左折する事にする。そのまま走れば深川に出るものと思い込んで私は、見た事がある様な工事現場に出ても何の疑いも無く進み再びT字路に出た。

私の頭の中にはもうT字路は無い筈だったのだが、私はそのT字路を何故か右折する。そして私は間違いに気付く事になる。

少し走った所で私は新城峠と言う看板を見つける。その時の私の気持ちは、映画 猿の惑星でチャールトンヘストンが砂に埋もれた自由の女神を見た時と同じ気持ちであった。

「何故だ!? どうしてここにいるんだ?」

一瞬頭の中が真っ白になった私だが、全ての間違いは更進のT字路にあった事を悟る。私は峠を過ぎた所に在るパーキングに入りUターンして今来た道を引き返す事にしたのだが、その時後ろのメンバーはどう思っていたのか聞いてみたいところだ。

そう言えば7月の北海道でも同じような事があった事を思い出す。怪しい時は停まって地図で確認すればこんな事は無いのだが、今回私は北海道に地図を持って来ていなかった。今までは地図を持って北海道に来ていたのだが、持って来ても結局取り出すのが面倒で見なかったりする事が多く、荷物になるので今回は持って来ていなかったのだ。

しかし、その分予定コースの予習は地図を見て入念に行ってきたのだが、初めての道となると地図上の道と実際の道をつき合わせる材料に乏しく、時々判断ミスをしてしまう。

更進のT字路まで戻ってみると、T字路手前左側に小さな立て札が立っていてそれに右⇒深川と書かれていた。先ほどはT字路に注意がいってしまい小さな立て札を見落としてしまったようで、もっと目立つ看板の設置を要望したいと思います。

その後、我々はもう一回Uターンしながらも無事深川に出る事が出来て、給油の為GSに入る。給油の後GSの方に沼川に行く自動車専用道入口の場所を聞いて沼川に向かったのだが、私は高速道と自動車専用道の入口が別々に有ると勘違いしてしまい、またまたUターンする事になってしまった。初めての道にUターンは付き物で、メンバーの皆様には何卒ご容赦願いたいと思います。

深川から留萌に向かう国道233号の自動車専用道は、秋田の2車線高速道路より立派な位の造りで驚いてしまった。GSの方の情報によれば、覆面パトが走っているとの事でゆっくり走ったのだが、沼川にはアッという間に到着してしまった。

沼川ICを下りた我々は、幌新温泉から沼田ダムに出てワインディングを楽しみながら達布峠を越え達布に出た後、小平ダムの滝見大橋を渡った所に在るパーキングにバイクを停める。

沼田から達布までのコースを走るのは8〜9年ぶりだったが、沼田から幌新温泉までの道は広くなっていたし、以前は砂利道が残っていた達布峠も全舗装になっていてアベレージは高くはないが結構楽しめる道になっていた。



橋の向こうからバイクの音が聞こえてきた。



後ろは冬場閉鎖のトイレ。



































































































































朱鞠内のパーキング。
霧立峠のお話で盛り上がる。


▼バイク集団との遭遇
ここのダムサイトのパーキングには新旧二つのトイレが有って、そのメンテナンスのおばさんがちょうど来ていてトイレの掃除と点検をしていた。北海道ではトイレが結構山の中に在る所が多いのだが、綺麗に掃除されている所が多い。それはこの様なおばさん達がいるおかげなのだと知り、頭が下がる思いだった。

これから向かう国道239号霧立峠を経て添牛内までの道は、国道239号に出るまでは中速ワインディングが続き、そこから霧立峠を越え添牛内までは高速ワインディングが楽しめるコースで、今回私は久しぶりに走るこの道を楽しみにしてやって来ていた。

我々が休んでいると橋の向こうからバイクの音が聞こえてきて、その音が次第に近づいて来る。そして橋の上を走って来るバイク集団が見え、我々の前を通り過ぎて行った。幾つかのグループに分かれているそのバイク集団は、先頭グループは隼やZX−12R等のスピード系のバイクで構成されており、後ろのグループになるに従いアメリカンやOFF車のグループ、そして最後尾は女性ライダーのグループとなっていた。

それは総数二十数台の大集団で、私はこの集団を追い越すのは至難の技だと頭を抱えてしまった。走行中のこの大集団に追い越しを掛けたらただでは済まない事は明らかで、何らかのトラブルが予想された。

さりとて集団の後ろで過ごすのもここを楽しみにして来た私としては許される事ではなく、私は大いに悩んでしまった。7月の北海道の時の様に、綺麗に道を譲ってくれそうなグループではなさそうだし、ここは休憩時間を長く取って先に行ってもらうのが最善の方策だと私は考えた。

しかし、何分彼らを先行させれば良いのかが読めず、私は適当に間を取って添牛内に向かって走り出した。私が途中で後ろに下がったら、T字路で待つ様にM氏に指示して走り出したのだが、バイク集団に追い着いた時の対処法は特に決めてはいなかった。

峠道に差し掛かり私はM氏に先頭を任せ最後尾に下がる。以前は曲がりくねった峠には立派なトンネルが完成していて、あっ気なく道は下りに変わった。峠を過ぎると国道239号にぶつかるT字路は近いのだが、先ほどのバイク集団はまだ見えて来ない。

そしてT字路がもう直ぐという所で、女性ライダーを含む最後尾グループに追い着いてしまった。先頭の赤レンジャーは何の躊躇もなくその札幌ナンバーのグループ(そう札幌から来た皆さんでした。)アウトから一気に追い越し、緑&銀レンジャーもそれに続いた。私がそのグループを追越した時、目の前にT字路が見えていて赤・緑・銀レンジャーは停止線に止まって私を待っていた。

一方停止線の向こう側には、ズラリとバイク集団が並んで最後尾グループを待っている状況だった。T字路で
レンジャーがトップレンジャーの順でホーメーションを取ったFUNKY戦隊は、大集団から視線の集中砲火を浴びながら彼らの前を通過し霧立峠に向かった。彼らの前に出る時のトラブルを心配していた私だったが、これで難なく彼らの前に出る事に成功し胸を撫で下ろしたのだった。


▼スクランブル発進

しかし、私のGSX−Rのミラーは、札幌バイク集団の中から5〜6台のヘッドライトが緊急発進したのをしっかりと捕らえていた。それらのバイク達は、あのバイク集団の中では選りすぐりの迎撃メンバーと思われ、これは面倒な事になったと心配になった私だったが、その一方ではこれから後の展開に大いに興味が湧いていた。

※ここからのお話は、後で各レンジャーから聞いた話を再構成してお届け致します。

それなりに走る我々の前にダンプカーが現れ、私がスピードを落とし追い越しのタイミングを計っている間に迎撃編隊が我々に追い着いてしまった。ダンプを追い越した私は相手の出方を見る為、少しだけペースを上げてみる。

黄・赤・緑・銀と並んで走るFUNKY戦隊に対し、迎撃戦隊最強と思われる緑のZX−12Rが赤レンジャーと緑レンジャーの間に飛び込んできた。そしてNO.2と思われる隼が銀レンジャーの後をピタリとマークする。

その時最後尾の銀レンジャーは何でこんな所で割り込んで来るのか理解出来なかった様だが、12Rは虎視眈々とトップの黄レンジャーを狙っていたと思われる。後方で何らかの動きが有った事を察知した先頭黄レンジャーは、一気にペースを上げた。


▼FUNKY戦隊かく戦えり

霧立峠までの登りの区間は、中速コーナーと短い直線で構成されるコースレイアウトでそんなに大きく差が出る所ではないのだが、黄レンジャーのペースアップに隼以後の迎撃隊は着いて行く事が出来ずに脱落していく。

そして赤レンジャーと12Rとの間隔も徐々に開いていく事になる。必死に赤レンジャーに喰らい着こうとする12Rではあったが、銀レンジャーの観察によるとコーナーでインに着くのが早過ぎ、立ち上がりが苦しくアクセルを開けられない状態で走っていたという。

12Rは後の緑&銀レンジャーのアタックを受けコーナー途中で緑&銀レンジャーに内と外から挟まれてコーナーリングする状態にあったらしい。一方最後尾の隼は、ブレーキングが甘く、時折対向車線にはみ出して走行していたようだ。

予定では霧立峠のパーキングで休憩を取る事にしていたのだが、取込中の為休憩は取り止めそのまま通過する事にする。パーキングを過ぎると道は下りの長い直線と高速コーナーが続く高速ステージへと変わっていく。

ここからは先頭の黄レンジャーが得意とするステージで、先頭は更にペースを上げ後続の引き離しに掛かったのだが、二番手赤レンジャーのペースが上がらず彼までも引き離してしまったのである。赤レンジャーは前にも書いたがR1での北海道が初めてで、超高速走行にまだ慣れておらず黄レンジャーから徐々に遅れていったのであった。

赤レンジャーが後に語っていたが、あの状況が北海道最終日だったら黄レンジャーに遅れる事無くピッタリと着いて行けた筈だと、大変残念がっていた事を付け加えておこう。

とは言え、赤レンジャーと12Rと間隔は徐々に開いていき、緑&銀レンジャーの入るスペースは用意されていたのだが、後の2レンジャーはあえてポジションを上げる事はしなかったと言う。

それはそれで正しい判断だったと私は思うが、ブレーキが甘い前車をコーナー手前のブレーキングでリスク無して前に出られとするならば、スパッと抜いて前に出る事が相手に対するエチケットだと私は思う。

リスクを押して前に出る事は決してするべきではないが、後からチョロチョロと顔を出し前車を蛇の生殺し状態に
する走り方は、私は趣味がよろしくないと考える。

私がもし速いライダーに後ろに着かれたとしたら、スパッと切って捨てて行って欲しいと思うし、その方が変に絡む事も無くアクシデントの危険性も減少すると考えるからだ。何れにしても、前を走るバイクを良く観察してから行動を起こすべきで、軽率な判断はすべきではないだろう。

峠の下りも終盤を迎えた時、ミラーの中のヘッドランプはゴマ粒位に小さくなっていた。こんな所で無理をしてアクシデントでも起こしては台無しと、私はコーナー手前のブレーキングを二段階に分けて掛けていたのだが、それでも後との間隔は開いていった。

添牛内のT字路が見えて私がスロットルを戻すとミラーの中のヘッドランプが急激に接近して来て、T字路で隊形を整えたFUNKY戦隊はZX−12Rと隼に別れを告げ朱鞠内に向かったのであった。


▼朱鞠内⇒母子里⇒美深で給油

朱鞠内に在るスポーツ施設のパーキングに我々はバイクを停める。バイクから降りたレンジャーの口からは、霧立峠でのバトル?話が次々と飛び出してくる。私は先頭で逃げていてだけで迎撃隊と絡む事は無かったのだが、後二人のレンジャー達は12Rや隼とのバトルを楽しんでいた模様で、楽しそうに話をしている。

FUNKYが他のバイクと絡む事は少なく、今回のような事は非常に珍しい事なのだが、もう16〜7年も前にもFJ1200とバトル?した事があった。その時は結局250/400cc中心のFUNKY戦隊がFJ1200を全員で追い越してしまったのだが、その時はFJのライダーが我々に道を譲ってくれる形で決着したのだった。

今回の場合、それとは違って当方が挑まれた形でバトルは始まっており、走ったスチエーションも霧立峠という最高の舞台でのバトルであった事もあり、皆さん大いにバトルを楽しんだようだった。

霧立峠の余韻が冷めやらぬまま走り出した我々は、母子里から美深に向かった。朱鞠内〜美深間は原生林の中を走る快適な道で、そこでも我々は大いに北海道を楽しんだのだった。美深に近くなり山の中から人里に出る所にある下りの長い直線で、私が後方を確認してみると銀レンジャー隼の姿が見えなかった。

そんなに離れる様な場所でもなく、何か有ったのかと私はバイクを停めて待つ事にしたのだが、なかなか隼はやって来なかった。不吉な事を考え始め引き返す事を決断しようとしたその時、隼がやって来た。遅れた理由を聞いてみると、シフトダウンした際スピードメーターが急に動かなくなった為、スピードを抑えて走って来たのだと言う。

走行に支障が無いか確認すると走る上では問題は無いとの事なので、給油を音威子府で考えていた私だったが給油場所を美深に変更し、美深のGSでメーター関係を点検する事にした。





隼のスピードセンサーが破損するトラブル発生。










音威子府駅。新しくなっていて驚いてしまった。



ホーム側の入口。



素朴な味で美味しく頂いた音威子府そば。
▼摩訶不思議な故障!?
美深のホクレンで給油した後、隼のスピードを検知するセンサーを外して見る。隼のスピードメーターは、ドライブスプロケットの上に取り付けられたローターの凸凹を、センサーでパルスに変換しその数をカウントしてメーターの針を動かしているのだが、センサーを外して中を覗いて見るとローターに着いている筈の突起が見えなかった。

センサーには何かが当たった痕が有り、何らかの原因で突起が破損しセンサーがパルスを拾えない状態になってしまった様である。この状態では新しいローターに交換しない限り修理は不可能と判断、走行に支障が無いことから秋田に帰ってから修理する事にした。

これで隼の340km/hまで目盛られたスピードメーターは、北海道に来てこれから活躍しようとした時に、ただのお飾りとなってしまったのである。通常壊れる部分ではなく、何とも摩訶不思議なスピードメーター故障であった。

時間は午後1時を回っており、朝しっかり朝食を取った我々もそろそろ腹が減ってきていた。この辺で食事の出来る所といえば美深の道の駅なのだが、私はテレビで見た音威子府駅の黒いそばを思い出し、皆さんに昼食はそばで良いかを聞いてみる。皆さんの同意を得て、我々はJR音威子府駅に向かった。


▼十数年ぶりの音威子府駅

我々は国道40号を北上し、PM1:30JR音威子府駅に到着する。私が音威子府駅に来るのは何年ぶりだろうか。少なくても十数年以上来た事は無かったと思う。最近は直ぐ隣に在る 道の駅 音威子府 に立ち寄る事が多く、JRの駅に来るのは久しぶりだったのだ。

私の知っている音威子府駅は古くて小さな駅の印象だったが、目の前の音威子府駅は綺麗で近代的な建物に変わっていた。中に入って行くと右奥に音威子府そばのカウンターが有って、中では老夫婦がそばを作っていた。



音威子府そばは、ここのご主人が始めた蕎麦殻も一緒に挽いた黒いそば粉で打った黒い麺が特徴で、以前はホームで売っていたらしいのだが駅舎が新しくなってこの場所に移ったらしい。

私とU氏は 月見そば 380円 を
M氏とA氏は 天ぷらそば 430円
を注文する。




他のメニューとして

 かけそば 330円  天玉そば 480円  みやげそば 360円  おにぎり100円


等が有る。

この蕎麦は製麺所で作られている麺で手打ちの蕎麦とは違うのだが、独自の食感を持った麺で美味しかった。


この老夫婦がいつまでもこのお蕎麦屋さんを切り盛りされる事を願いつつ、我々は音威子府を後にして、次のスペシャルステージ知駒に向かった。






知駒峠のパーキングで休憩。




知駒のワインディングは特別な味わい。















日曹手間で雨が降り始め慌てて合羽を着る。


沼川まで来ると雨が上がった。


稚内方面の空は明るく、晴れていそうな感じ。
▼深いバンク角が味わえる知駒を楽しむ
昨年の北海道では道北に来なかった為私がGSX−Rで知駒を走るのは初めてで、私はここを走る事を大変楽しみにやって来ていた。知駒岳を越えて幌延町に抜けるこのルートは、交通量が殆んど無く車を気にせずに走れるところが良いところだ。

山頂を目指し道が登り始めたところで私は後ろに下がり、M氏を先頭に一気にペースを上げる。私はこれまでこの勾配がキツイ道をTZR250Rで登る事が多かったのだが、どうしても大きな排気量のバイクに遅れを取ってしまっていた。しかし、GSX−Rの場合登りの直線で離される事はなくなり、皆さんに着いて行く事が出来る様になって楽しかった。

深いコーナーを深くバンクした状態で回る知駒の登りは本当に至福のひと時で、本州ではまず味わえないスチエーションである。テレビアンテナが建つ知駒岳山頂下のパーキングにバイクを停め休憩となったが、皆さんタイヤを確認して今の走りを振り返っていた。

休憩している我々の横を時々車が走り去って行く。先ほど国道275号で我々の前を走っていた横浜ナンバーの車が通り過ぎて行った。我々の様にこの道を走りに来ている人間は別としてここを走る車は殆んど地元の車なのだが、観光でこの道を走るとも思えず何とも解せない。しかし、問題はその後に通り過ぎた一台の車であったのだが、その話は後ほど致します。

休憩を終え知駒を下り始める。ここの下りもまた楽しいワインディングなのだが、こちらはコーナーのアールが小さくアベレージは低いのだが、適当に直線もある為ブレーキングが難しい道である。

これからコーナーが連続する楽しいワインディングという所で、先ほど前を通って行った車に追い着いてしまった。この車、我々が後ろに着いている事を知ってか知らずか、結構頑張って走っている。彼は我々に道を譲る気持は全く無い様でマイペースで走っている。

そして我々はこの車の処理に苦労する事になってしまう。コーナーが連続する場所では追い越しもままならず、我々は車の後で無駄な時間を過ごす事になってしまったのである。

我々がようやく追い越せる場所に出て運転手の顔を睨みながら車の前に出た時、スペシャルステージは終焉を迎えてしまっており何とも勿体無い事をしてしまったのだが、さりとてもう一度戻る訳にも行かず我々は先を急いだ。


▼突然の雨に・・・荷物が落ちた?

知駒を下ると路面が所々濡れていた。雨でも降ったのだろうか。予報では今日は雨は降らない事になっていたし、知駒の山の上でも天気は良く雨が降る気配は無かったのだが・・・。

上間寒まで来ると雨粒がポツポツと落ちて来る。先程まで青空も見えていた空は灰色に変わり路面も完全なウエットになってしまった。幌延町と豊富町の境に在るトンネルを抜けると雨は本格的に降っていた。このまま走るか、止って雨具を着るか私は決断を迫られていた。

この雨具を着るタイミングの判断は結構難しく、優柔不断な私は雨具を着る適当な場所を探しながらまだ迷っていた。そんな私に止る事を決断させたのは、後ろに積んだ荷物だった。今年のプチ北海道のレポートをご覧の方はご存知かと思うが、支笏湖の伊藤温泉に行く時坂道で転げ落ちた缶がこのタイミングでまた落ちた。

今回北海道に来るに当たり転落防止策をこうじてやって来た私だったが、留めているバンドの弛み止めが不十分でまた落ちてしまったのだ。缶の中には私の雨具が入っており、否応無く雨具を着る事になったのだが、これは神様が私の優柔不断さに業を煮やし缶を落とさせたものと思われる?

半分濡れた状態で雨具を着た我々は、日曹に出て左折、本流で右折して沼川に向かった。晴れていれば青空と牧場の緑が調和して如何にも北海道という景色を見せる宗谷丘陵も、どんより曇った雨空の下ではテンションも上がらず我慢の走行が続く。

この道は路面がうねっている所が多くスピードが高い場合はホールドの練習には最適なのだが、雨ではそれも叶わず我々は淡々と距離を稼ぐ。予定では沼川からオホーツク海側の猿払に出て北上し宗谷岬に行く事にしていたのだが、この雨では行っても疲れるだけで楽しくはないと予定の変更を検討する事にして、沼川郵便局前にバイクを止めた。

ここまで来ると雨は小降りになっており、北の稚内方面の空は明るく雨は降っていない様に見える。雨でモチベーションの下がってしまった我々は、もう十二分に北海道を楽しんでいた事もあって、宗谷岬はパスしここから宿に直行する事を決める。

沼川から今夜の宿の在る抜海に行くには、ここから国道40号に出て勇知を経由して抜海に出るのが最短なのだが、メンバーの一人がPHSは通じる場所に行きたいとの事で稚内経由で抜海に向かう事にする。

稚内経由でも時間的に大差なく、明日の事を考えればガソリンを入れておかなければならず、また最初の予定で稚内で夜のアルコールを仕入る予定にしていたからこの選択がベストあると私は考えたのだ。上手くして抜海で利尻島に沈む夕日が見られれば最高とも考えたのだが、この天候ではどうなんだろうか?




稚内のGSで洗車機を借りてバイクを洗車。
▼稚内で給油
沼川を発った我々は稚内空港の横を通って稚内市街に入る。稚内は青空が出ていて雨が降った形跡も無く良い天気だった。いつも立ち寄るコスモ石油で給油し、洗車機を借用(無料)してバイクを洗車する。この時私のGSX-Rには9リットルのガソリンが入ったのだが、A氏の10Rには7リットルしか入らなかった。この事が後に我々の行動に大きな影響を与える事となるのである。

給油と洗車を終え綺麗になったFUNKY戦隊は、夜のアルコールを購入すべくセイコーマートに立ち寄る。私は今後の事を考えてウヰスキーの小瓶を一本購入、A氏とU氏は共同で焼酎の瓶(普通の大きさ?)を購入する。私の小瓶は結局帰りのフェリーの中で空になるのだが、焼酎の瓶は・・・。






































民宿ばっかす 二階から望む利尻島方向。雲が出ていて日本海に沈む夕日を見る事は出来なかった。






ばっかす の夕食。
ホッキ貝の刺身が動いていた。













21時からのミーティングで、焼酎1本の殆んどを一人で開けてしまったのは誰でしょう?
▼FUNKY 初めての宿   旅人宿 ばっかす
5時を少し回った頃、我々は抜海に到着する。抜海は今まで何回も通った事がありそれなりに土地感があったつもりだが、考えていた場所に看板を見付けられず道が直角に曲がる交差点まで行ってしまった。

交差点手前にバイクを止め歩いて戻って行くと、少し戻った所にそれらしい建物が在ってご主人らしい人が声を掛けてくる。そこが今夜の宿 旅人宿 ばっかす に間違いなく、私はバイクの所に戻りUターンしてその玄関横にバイクを止めた。

するとご主人が車庫にバイクが三台入るから中に入れるようにと言ってくれる。この三十歳代前半?と思われる気の良さそうなご主人は、如何にも本州から来た北海道好きの若者?という感じで、この手の宿のオーナーによくいるタイプの男性だった。

チョッと気になったのは、この手の宿のオーナーは関西人と相場は決っているのだが、言葉使いが関西弁では無いような・・・。

三台入ると言っていた車庫には四台入りそうで、私の黄レンジャーも中に入れられる事になり、FUNKY戦隊は仲良く車庫の中に納まったのであった。私は車庫の中に脱いだ合羽や必要のない荷物を置き、ヘルメットとバックだけを持って玄関に行く。

建物は建ってまだ年数が経っていない様で、木をふんだんに使った内装は綺麗で感じの良いものだった。食堂というか談話室というか一階の玄関を入った所の部屋でご主人はこの宿の説明や注意事項を話始める。それは宿帳の記帳から始まり流れる様なルーティーンで進んでいく。

その説明の中に私がHPで見たのとチョッと違うところが有った。それはタバコの喫煙場所の件で、HPでは喫煙は一階の機械の前で吸えると書かれていたのだが、説明によると全館禁煙だそうで喫煙は外か風除室でする様にとの説明だった。

確かにHPのTOPページには全館禁煙とも書かれていたのだが、私は機械の前で喫煙可の方を見て談話室では喫煙出来るとものと考えていたから、これは話が違うと少し戸惑ってしまった。全館禁煙であればこの宿を選択しなかったのだが、今更どうしようもなく喫煙するメンバーには本当に申し訳ない事をしてしまったと反省している。

説明が一段落したところで私が楽しみにしていた夕日のビューポイントをご主人に聞いてみる。その場所はここから少し歩いた所にあるそうで、ご主人は地図を示して事細かに説明してくれた。

説明が一通り終了したところで、我々は二階の部屋に案内される。我々の部屋は二つの部屋の間を扉で仕切った部屋で、扉を開ければ一部屋として使える広い部屋を四人で使う事になった。

部屋の窓からは太陽が沈もうとしているのが見えたが、今日は雲が多く夕日も利尻島も見えそうもなく私は夕日を見る事を諦める事にした。しかし、時間はまだ五時半で夕食まではまだ1時間以上もあり、それまでの時間をどう過ごすか困ってしまった。

ここの夕食は夕日見物のためか時間が遅く設定されており、七時からとなっているのだ。また、ここでは部屋での飲食も禁止されている為酒でも飲んで時間を潰す事も出来ず、テレビも無いから部屋でする事は限られるのだ。

先ずは交代で風呂に入り、その後一階に下りた私はテレビで台風情報をチェックしたり地元新聞を見たりして7時になるのを待った。ここのご主人は時間には正確で、夕食は7時きっかりに始まった。


▼美味しく夕食を頂く

先ずはビールで乾杯した後、腹が減っていた我々は直ぐに茶碗にご飯をよそおって食事を食べ始める。テーブルの上には直ぐそこの抜海港で上がったホッキ貝の刺身やシャケの刺身等美味しそうなおかずが並んでおり、私の食欲を満たすには充分な品数だった。

ホッキ貝はまだヒクヒク動いているほど新鮮で、こんなご当地食材が一つ有るだけで旅人は嬉しくなってしまうものなのである。私には全く問題の無い食材達だったのだが、特定のメンバーにとっては口に入れられない物が有ったりして、テーブルの上を料理が行ったり来たりしている。とにかく今回の参加メンバー食わず嫌い?が多く困ったものである。


▼宴会?

旅人宿 ばっかす では夕食後のスケジュールとして9時から宴会となっていて、部屋に戻ってもする事が無い我々も参加する事にした。我々は9時前から飲み始めていたのだが、時間に正確なご主人はキッカリ9時に自家製の珈琲焼酎を持って登場する。

ご主人と我々四人、常連さんと思われるスティードに乗る若者ともう一人の若者の計七人で宴会は始まった。

まず私の疑問を聞いてみた。何故ご主人は関西弁を使っていないのか?

「ご主人はどちらの出身ですか?」 と聞いたら
 ご主人の出身は長野県長野市とのことで、どうりで関西弁でなかった訳だ。この手の宿で長野県出身は大変珍しいのでは?

ご主人からも我々に矢継ぎ早に質問が浴びせられる。
「今日はどこから来たのか?」
 「穂別から来た。」 と答えたが、皆さん穂別を知らず壁に貼ってあった大きな北海道地図を使って走って来た道を説明すると皆さんから驚きの声が・・・。

ご主人は我々全員がカウル付きのスポーツ系バイクに乗っていたのを見て、我々に思い切った質問をぶつけてくる。
「皆さんスピードは180キロも出して走るんでしょうね?」

私はこの質問に対しどう答えたら良いのか困ってしまった。普通の人からみれば180キロは途方もないスピードであって、ご主人も我々に気を使って思ったスピードより少し大げさに180キロと言ったのは分かっていた。

そして私は只只苦笑いをするしかなかったのである。

どれ位のスピードを出した事があるのかとの質問には、
「スピードメーターの表示分だけ」 と答えておいたが、この手の話は一般の方々とお話しても 「危ない人達」 のレッテルを貼られるだけなのであまりしたくはなかったのだが、ご主人も他の二人も我々の話に次第に引いていった事だけはよく分かった。

「皆さん免許は何色なんですか?」 ご主人から当然の質問が・・・
ゴールド免許が一名 殆どコールド免許が二名 不明が一名(就寝の為不明) と答えると不思議な顔をされてしまった。私の場合バイクではこの20年近く御用になっていなかった様な気がするが、あまりにも昔の事でハッキリとした記憶が無い。

途中から奥様も加わって話は進み、禁煙の話になった。この宿を全館禁煙にしたのは最近の事らしく、以前は空気清浄機の前ではタバコを吸えたらしい。HPに載っているのはその時の書き込みがまだ消されずに残っていた為のようだった。

しかし、空気清浄機では煙が周りに漏れるとのクレームが付き、全館禁煙となったらしい。ここのご主人は喫煙者で、定期的に席を立ち外に出て行ってはタバコを吸って帰ってきていた。その状況はFUNKYの喫煙者も同様で席を立ったり座ったり忙しい。

夏場は良いが冬はどうするのだろうか。冬この最北の地で外でタバコを吸えという事は、死ねと言う事と同じ?ではないだろうか。最近喫煙者は建物の中や公共の場から排除される傾向が強まっている。喫煙者は犯罪者ではなく人間なわけで、排除するのではなく分離
する方法で対処できないものだろうか。

たばこを吸わない人間をタバコの煙害から守る為喫煙者を分離するのは分かるが、喫煙者にはしっかりとした喫煙環境を確保すべきだと私は思う。喫煙者は自分の寿命を削ってまで国に貴重な税金を納税している方々で、納税者にも関わらず最近の処遇はあまりにも酷すぎると私は思う。私はとっくの昔にタバコは止めたから全館禁煙でも関係ないのだが、最近の喫煙者の冷遇ぶりは目に余るものが有ると思う。

今夜のA氏のアルコールピッチは速く10時前には二階に上がって行ってしまった。11時を過ぎてもまだご主人達の会話は続いていたが、我々三人は途中で席を立ち就寝する事とした。我々が立ち去ったテーブルの上には、今日買った焼酎の瓶が綺麗に空になって置かれていたのであった。
第3日目
FUNKY Librery FUNKY Library Home