● コース

秋田⇒井川⇒八朗潟外周道路⇒能代⇒八森

⇒鯵ヶ沢⇒車力⇒小泊⇒竜泊ライン⇒今別

⇒大平⇒やまなみライン往復

⇒蟹田 蟹田川 昼食⇒青森⇒田代平

深沢温泉 入浴⇒谷地温泉入口⇒焼山

⇒奥入瀬バイパス⇒子の口⇒休屋⇒発荷峠

⇒十和田樹海ライン⇒小坂⇒毛馬内⇒比内

⇒米内沢⇒上小阿仁⇒五城目⇒広域農道⇒


モト ワークス ヒラタ
 走行距離 590km




二人旅の始まりです。2nd.ツーリングでは雨具を着て出発する事が多いのだが、今年は雨が降る気配は無い。






































ミラーシールド繁殖中!


GSX−R K5
四年ぶりの二人旅
FUNKYでは5月に行われる2nd.ツーリングの行き先は、青森県津軽半島と決まっている?のだが、その理由はその時期に行われる蟹田のお祭りにある。

蟹田ではこの時期 蟹としろうお祭り(今年は4/26〜5/11まで) が行われており、そこでやらしろうおを食するのがお約束となっている。

昨年は当初予定日していた日の天候が悪く、一週間繰り延したら祭りが終ってしまっていてやらしろうおを食べる事が出来なかった。二年前までは五月の第三日曜日頃までお祭りが行われていたように記憶しているが、最近は地球温暖化の影響からか?しろうおの捕れる時期が早まり祭りの期間も一週間位前倒しになっているようである。

しかし、まだ春になりきれないこの時期に(五月の第二or三日曜日)に行われる2nd.ツーリングでは、これまで我々の想像を超え出来事が結構起きている。2005年5月15日に行われたツーリングでは、八甲田山中で雹に見まわれ一面真っ白になった路面に死ぬ思いで山を降りた事もあった。

今年の春は足早にやってきて四月は暖かい日が続いていたが、ゴールデンウィークが過ぎると気温が平年並に戻り、ここ数日は最高気温が15度前後の少し肌寒い日が続いていたが、2005年のような事にはならないだろうと私は考えていた。

私は今日のツーリングにあたりレザージャケットの中に着るインナーウエアーをどうするかで迷っていた。今年の春は暖かく三年前のような事は無いと決め付けた私の出した結論は、上は1st.ツーリングの時と同じ三枚のインナーとしたが一枚を薄手の物に換え、下はさんざん迷ったあげくタイツを履くのを止める事にしたのだが、それが後に後悔する事になる。

五時半に家を出た私は、店に着いて直ぐにバイクを出しパソコンのスイッチを入れる。昨晩、私が寝る前にまでに参加表明をしていたのは私を含め二名であったが、夜半過ぎに参加表明するメンバーもいるので確認の為サイトを開く。

すると参加者欄に書き込みは増えておらず、今日のツーリングはFZR400RR−SPの彼と私の二名で行く事になった。この時期秋田では田植えも始まっており、そんな事もあっったりして皆さんの都合が付かなかったようである。

2nd.ツーリングが二人旅になったのは四年前にもあって、その時は隼との二人旅だった。二人旅はそれはそれでマンツーマンで面倒をみれるから、相方には短期集中講座的な効果が有り走りの勉強にはなる筈である。

出発時間の六時少し前相方が到着、黄色とピンクの二台のバイクは予定通りに秋田市を発ち、先ずは八森を目指して走り出す。空には薄雲が広がっていたが、これから向かう北の空には青いところが見えおり今日は雨の心配は無さそうである。

気温は私の想定した10℃前後と思われ走ると下半身が少しスウスウしてはいたが、これからは暖かくなる一方だから私のインナー選択は間違いではなかったとその時は思ったのだが、世の中そんなに甘くはなかった。


新ルートの探索
我々が能代に向かう時いつも大潟村の外周道路を使うのだが、今回は今までとは違うアプローチを試みる事にした。いつもは秋田市下新城から国道7号の飯田川バイパスに出て八郎潟町から外周道路に入るのだが、今回は下新城から五城目に抜ける広域農道に入り途中から左折して井川の日本国花苑に向かいJR いかわさくら駅に出るルートを使う事にした。

このルートを私は日本国花苑側からは走った事はあったが、反対方向には走った事がなかった為、左折する所を思わず行き過ぎてしまった。小さな看板が出ていたのだが、それを見つけた時には通り過ぎてしまっていた。

しかしUターンするのも面倒なので、別ルートを探して何とか国道285号に出る事に成功、我々は日本国花苑前の信号まで戻っていかわさくら駅に出る。国道7号を横切って八郎潟湖畔の道に出た我々は、右折して北上し大潟村に渡る大潟橋に出て外周道路に入る。

今回のルートは幹線道路を殆ど通らずに済むから、車の列に着く事も少なくマイペースで走る事が出来た。このルートを今後外周道路に出る時の定番ルートしたいと思う。

今日の外周道路には軽トラが多く走っていて、大潟村では田植えの準備が盛んに行われているようである。ここまで来ると空には青空が広がり始め、道路脇に停まっている車も殆ど無い事から我々は快調に走りを進める。

アッという間に外周道路を走り抜けた我々は国道7号のバイパスに入り国道101号に左折、能代市街を通過して八森を目指す。能代市街の国道101号は、以前から行われいた拡幅工事が殆ど完成し道幅が広くなっていた。

こう言っては能代市さんに失礼だが、この街にこんな広い道(交差点では片側四車線)が必要なのか私は疑問に思ってしまった。こんなに広くてはお年寄りが道を横断する時、途中で信号が変わってしまいそうである。これも道路特定財源を使って造られているのだろうが、今回のガソリン税暫定税率問題で私の道路を見る目が変わった事だけは確かである。


八森のパーキング。青森方面を含め快晴の空が広がっている。
いつも休憩する八森のパーキングに到着してみると、能代の火力発電所の煙突は勿論、寒風山から男鹿半島の突端までハッキリ見えていた。今日は天気も良いし絶好のツーリング日和に思えたのだが、天はそんなに我々を甘やかしてはくれなかったのである。

相方は到着して即バイクから飛び降りトイレに直行、スッキリとした顔で戻って来た。暫く前から尿意をもようしていたようで、早く休憩場所に到着しないかヤキモキしていたらしい。

一言云ってもらえば、ペースを上げるかコンビニにでも止まったのに・・・と思った私だったが、結局間に合ったわけだから結果オーライか!?

しかし、その後もっと切羽詰った状況を体験する事になろうとは、その時の相方は知る由も無かったのである。


今 ライダーに人気?のR101を走る
休憩後、我々は約80km先の鯵ヶ沢の由利商店に向かって走り出す。日本海沿いに走る国道101号は景色が良いので有名?らしいく、WEB情報でもよく取り上げられているのを目にする。

そんな国道101号を走っていると昨年は無かった新しい道(バイパス)が二箇所も出来ていた。確かに新しい広い道は走り易い事は確かだが、道は山側の畑の中に造られていたり、人工的に造られた海ッぺりに造られていて、見える景色に趣が無いというか以前の陸奥の田舎道を走っているという雰囲気が希薄になっていて、ツーリングライダーの私としては少し残念だった。

それを求めるなら旧道を走れと云われればそれまでだが、便利さを手に入れればまた失う物も有るという事なのだだろう。





鯵ヶ沢 由利商店


イカ焼きの秘技を披露するオネエサン





由利商店裏の海辺にはかもめがイッパイ!



由利商店の風景
八時半前、我々は鯵ヶ沢の由利商店前に到着する。この八時半という時間は結構早い時間で、今日は走っている車が少なかったのが影響しているのかもしれないし、新しいバイパスが出来たのもその要因の一つかもしれない?

私はいつものイカ干し棚の前にバイクを停めると、ちょうどオネエサンがイカを干していてバイクを降りた私は挨拶を交わす。私の後ろにバイクを止めたFZRの相方は、バイクから飛び降りると真っ直ぐに奥に駆け出した。

彼は今回もまた我慢の子であったようで奥のトイレに直行したのだが、そこで彼は神から見放されてしまう。急いで回したトイレ入口の取手が動かなかったのだ。ここのトイレは夜間施錠されているのだが、まだ開錠されていなかったのだ。

彼は腰を引きながらスゴスゴと戻って来て、トイレの鍵を開けてくれるようオネエサンに頼んだのだが、彼女は桶に残った数枚のイカをしっかり干した後、ゆっくりと母屋に鍵を取りに行った。

その間必死に股間に手を当てて佇む彼の姿は、変われるものなら換わってやりたいと思わせるほど差し迫った状況だった。オネエサンが鍵を持って来てトイレの扉を開けると同時に、彼はその中に掛け込んだ。その中での事は知る由も無いが、暫く彼はトイレから出て来なかったのであります。

彼がトイレに入るのを見届けた私は店内に入る。店は開けたばかりの様子だったが、イカを焼く炭には火が入っておりイカは直ぐに焼いてもらえそうである。ここで私は二人で何枚のイカを注文するかで悩んでしまった。


相変わらず旨いイカ焼き
四年前二人で訪れた時は一人一枚注文して何とか食べ切ったのだが、食べ過ぎるとイカは結構胃にもたれる。今までの経験則から三人に二枚が適量となっているのだが、FZRの彼は昨年ここのイカを食べている事もあり、今日は一枚を二人仲良く半分ズッコにする事にした。

私はオネエサンに生干しイカ大き目を一枚オーダーする。焼く準備をしていると電話が鳴ってオネエサンはそれに出て戻って来くると急に忙しく動き始めた。

いつもの様にオネエサンがイカを焼く姿を見ていると、いつの間にか顔に笑顔が戻った相方が横にいた。今回は小だけでは無かったようで、悶絶寸前の苦痛!?から開放された彼は表情は幸せそうだった。

私はそこまで我慢しなくても勝手に止まって放出しても良いのだと彼に言ったが、大の方となると話はチョット違ってくる・・・? 何れにしてもそんな状態にならないようにするのが一番なのだが、生理現象だけは思うようにコントロール出来ないから困ったものである。

焼き上がったイカを持ってオネえサンがやって来て、九時頃になったら団体さんがやって来て混雑するから裏のテラスで食べたはとうかと勧めてくれたのだが、外は寒いしまだ団体さんが来るまで時間は有るので店内で食べる事にする。

先ほどの電話は団体さんが乗るバスの中からの電話であったようで、団体さんを迎える準備(イカを大量に焼き始めていた)でオネエサンは忙しそうに動き回っている。そんな中、二人で一枚だった事もあり我々はそんなに時間が掛からずに美味しいイカを食べ終えてしまう。


由利商店お勧めのお土産

忙しそうにしているオネエサンを捕まえて、私はいつもお土産に買って帰るホッケの開きが有るかどうか聞いてみた。すると冬場に捕れるホッケの数が以前より少なくなっている(地球温暖化の影響!?)そうで、ゴールデンウイーク中には無くなってしまったと言うではないか。美味しいホッケの開きを食べるのを楽しみにしていた私はガックリと肩を落とす。

私がホッケの代わりのお土産を探していると、ガラスケースの中に太い蛸の足が目に留まった。一本一本ビニールでパックされた蛸の足には色々な太さの物が有って(当然太いのが高い)、価格は一本1200〜2000円位であった。

「刺身でも蛸シャブでも美味しいですよ!」とのオネエサンのお言葉に、私はこの蛸の足を買う事にした。確かに以前北海道宗谷岬の宿で食べた蛸シャブの蛸足と同じ位の太さだったから蛸シャブは出来そうだが、蛸シャブに興味は無い(宗谷で懲りました。詳しくは こちら))私は刺身に期待して購入した。

そして家に帰って食べたこの蛸足の刺身が旨かった。甘みの有るその味は、私が今まで食べたどの蛸の刺身よりも美味かったのであります。

水を入れ凍らせたペットボトルと一緒に包んでくれた蛸足は、秋田に帰るまでしっかり保冷されていておりましたから、冷凍物ではありますがお土産としてお勧めです。

九時少し前、我々は由利商店を発って車力のガソリンスタンドを目指して走り出す。発進する時右手に見えていた観光バスが、スピードを落とし由利商店前に止まったのを私はミラーの中に確認する。我々は絶妙なタイミングで由利商店を出たようである。我々はスピードを上げ、鯵ヶ沢の街に向かった。

鯵ヶ沢の街を抜け農免道路に入った我々は車力を目指す。今日の農免道路はそんなに車が多くなく走り易かった。この道には直線が多くあってスピードを出してしまいがちだが、横道が沢山有って車が飛び出して来たり行き成り右折したりしますから、この道を通る時には充分注意して走行して下さい。

我々は給油の為途中で農免道路を離れ(そのまま行くと十三湖に出るらしいが、私は行った事が無い)車力の街?にあるJOMOのスタンドに向かう。




ここのスタッフはいつも駆け足で気持ち良い。



































竜泊ラインの核心部


走って来た竜泊ラインを振り返る。


松前半島が二台の目の前に見えていた。










これがトラブルメーカーのチェンジペダル
(画像をクリックすると拡大します。)


























GSX−R1000 K8 のステップ周り
(画像をクリックすると拡大します。)
車力のGS

いつもは我々が洗車する洗車機で、田植えの代掻で汚れたトラクターを洗車していた。青森も田植えの時期を迎えていた。
JOMO GSに入るといつものオニイサンがいて、給油してくれる。

「今日は二台ですか?」 と聞かれた私は、

「お客さんが少なくてすみませんね。」 と言うと、彼はニヤッと笑った。

先ほどの由利商店でも 「今日は二台ですか?」 と聞かれた。

最近FUNKYは5〜6台で訪れる事が多かったから、今回二台で訪れたのが皆さん珍しかったようである。

我々はこのGSで汚れたバイクを洗車した事が何回かあったが、今日は洗車機で泥まみれになったトラクターを洗車をしていた。ここ車力でも田植え作業が始まっているようである。

いつものように外の自販機で缶コーヒーを買った我々は、事務所内で休憩させてもらう。GS内をいつも走り回っている元気の良い彼とも少し話したが、このスタンドはJAとかでなく個人?で経営しているようであった。田舎のGSが次々に消えていくこの御時世、FUNKYの為にもこのGSの存続を願わずにはいられない私だった。


いざ  リベンジの地へ

休憩を終えた我々は、水の張られた田んぼが広がる津軽平野の中を十三湖目指して走る。十三湖で国道339号に出た我々は、小泊に向かう。

小泊から竜泊ラインに至る道に、人並みならぬ思い入れを持った人物がいた。それは今日の相方FZRに乗る彼で、その為にも小泊には今回絶対に向かわなければいけなかったのである。 (本当は国道339号に出た所で、右折してやまなみラインに向かう事も考えていた私だったのだが・・・。)

小泊から 道の駅 こどまり に向かう峠越えの道に差し掛かる
この峠の下りはトリッキーなコーナーが多く、幾つかのトラップを仕掛けてライダーを待ち受けている。昨年相方はそのトラップにマンマと嵌って怖い思いをしていた。

彼が昨年のリベンジを誓って望んだのが、今回の2nd.ツーリングだったのである。

昨年の事もあり私が先導しようかとも考えたが、自分の判断で走らなければリベンジにはならないから、私は後を少し気にしながらも私のペースで先を行く。道の駅に出た所で私がペースを落とすと彼は直ぐにやって来たから、昨年の敵はしっかり取って来たようである。

左手に日本海の磯を見ながら二台一緒になって竜泊ラインに向かう。

リベンジの証のフロントタイヤ

竜泊ラインでも昨年大変苦労した相方は、ここでもリベンジを誓っていたのだが、眺瞰台で休憩した時に聞いた話では、彼は彼なりにリベンジを果たす事が出来たようで満足そうにFZRのタイヤを見つめていた。

眺瞰台からは今年も北海道が見えていて、今年のプチ北海道で走る予定にしている松前半島も良く見えていたが、

「今年も行けるのか? 北海道」

我々がここ眺瞰台に立った時、いつも日本海には秋田から苫小牧東港に向かうフェリーが見えるのだが、今日はいつもの場所にフェリーの姿は見えなかった。良く探してみるといつもより遠くにフェリーを発見、我々はいつもより早くここ眺瞰台に到着していたようである。



今年も行きたい北海道


この BT−016 グリップに不足は無いが
減りは早そう!?
眺瞰台からは今年も北海道の松前半島が見えていた。昨年北海道の山々には残雪がハッキリ見えていたが、今年は殆ど見えなかった。今年の春の訪れは北海道でも早いようである。

眺瞰台を発った我々は、慎重に竜飛崎方面に下って行く。眼下には竜飛崎の見えているが、今回我々は風力発電の風車が立っている所から右折して三厩の駅を目指す。

風車の所を右折した頃から相方のFZRに異変が起こっていたようなのだが、私はそんな事になっているとは知らず、次々に現れるコーナーを夢中で楽しんでいたのでありました。




お約束?のアクシデント
三厩で国道339号に出て今別のバイパスに入った時、FZRに何かあったようで相方がアピールしてくる。私はバイクを道路左側に止め彼の話を聞くと、FZRのチェンジの具合がおかしと言う。

ギアを下げる時は良いのだが、上げた時ペダルが戻ってこないで上がったままになるらしい。ペダルが戻ってこない原因がミッション自体に有るとなると対処が面倒でチョット厄介な事になる。

私はまずチェンジロッドからチェンジのリンクを外して戻らない原因がミッション側にあるのか、チェンジリンク側にあるのかを確認する。リンクを外したチェンジシャフトは正常に作動して、私はホット胸を撫で下ろす。

次にチェンジリンクを確認をすると、シャフトからリンクが外されたチェンジペダルは下げるのはスムーズだが、上げるとロックが掛かったように動きが渋くなっていた。私はこんな状態を見るのは初めてで、原因が掴めなかった。

まずチェンジペタルをステップから外してパーツを確認する事にしたのだが、ステップを留めている13mm幅のナットを緩ます工具が無い事に気付いた。現在メイドイン ジャパンのバイクには、13mm幅のナットは一切使用されておらず(古いカワサキ車の一部に使われていた事はあった)、私が持っている車載工具を基本にした工具には13mm幅の物が無かったのである。

FZRにはマックレーン製の社外バックステップが取り付けられており、社外の製品ではM8のボルトに13mm幅のナットが使用されている事が多い。

12mmでは入らず14mmでは空回りするナットに私は往生していたが、ペタルを動かしていてある事に気付いた。私はチェンジペタルを組み付けているナットが緩んでいる事に気付いたのである。

このマックレーン製のチェンジペタルは、ペダルとリンクアームをセレーション(ギザギザの溝)で組み付ける組み立て式(ペタルとリンクアームの角度を変えられる優れ物)なのだが、その二つのパーツをネジとナットで留めていた。

チェンジペタルはフートレストバーと車体に取り付けられたプレートの間に収まって上下方向に動くのだが、チャンジペタルを下げるとナットは締まる方向に動くから問題無いが、ペダルを上げるとナットが出てきてフートレストとの隙間を無くしペダルの動きを渋くしていたのだ。

原因が分かりナットを締めれば修理が完了と思った私だったが、事はそう簡単ではなかった。ナットが特殊な八角形で直径も大きくそれに会う工具が無かったのである。大きなモンキーレンチでも持っていれば良かったのだが、有る筈も無く私は困ってしまった。

持っている工具の中から使える物を探した結果、私はナットに傷は付くがプライヤーを開いて力技でナットを締め付ける事にした。その結果FZRは再び走れるようになって一件落着となったのだが、FUNKYでは社外のバックステップはトラブルメーカーとなっていて、取り付けた車両で尽くトラブルが起きている。

原因は取り付け方法に問題が有ったり、構造に問題が有ったりなのだが、FUNKYの使用方法(長い距離を走って遠くに行く使い方)では社外のステップでは耐久性に問題が有る場合が多く(転倒時のダメージを含め)私はあまり信用していない。

FUNKY的使用方法には、メーカーさんの作ったステップ周りが一番合っていると私は考えている。

人によってはノーマルのフートレスト位置が合わない場合が有ると思うが、その点のSUZUKI GSX−R1000 K7/8 の 前後・上下に3つのポジションが選べるのフートレストは親切だと思う。

車はシートやハンドルの位置を運転者の体格合わせて調整出来るのが当たり前になっているが、バイクもポジション調整出来るのが当たり前な時代になって欲しいものである。


グローブの安心感

修理を終えた我々は再び走り出したのだが、私は素手でバイクを走らせていた。

修理を終えた私の手は真っ黒に汚れており、私にその手をグローブの中に差し入れる勇気は無かった。こんな時の為に私は洗剤を持参しているのだが、周りに水が無く洗剤を洗い流す水が無かったのだ。

以前隼のチェンジを修理した時は、メンバーが持っていたペットボトルのお茶で洗い流した事もあったが、今回は気温が低くお茶を買っていなった為それも出来なかった。その為ここから数キロ先の 道の駅 いまべつ まで、私は素手で走る事になったのである。

素手でバイクを走らせてみて分かったのですが、グローブのありがたみと言うか安心感に私は気付いたのであります。手に当たる風が気になったり、転倒したら手はどうなってしまうのかなどと考えてしまい、走っていても無防備の手が気になってしょうがなかった。

牛革一枚ではあるが、グローブが有ると無いのでは雲泥の差である事が身に染みて分かった出来事だった。

津軽今別駅(津軽海峡線)津軽二股駅(津軽線)が隣り合わせになっている 道の駅 いまべつ のトイレで、私は手の汚れを洗い流し後グローブをはめて やまなみライン に向かったのであった。



しろうお の踊り 600円
動き回っています。



御臨終です。


しろうお天ぷらそば 600円
天ぷらに味は有りません。



初体験 しろうおの踊り
オッカナビックリでしろうおを口へ!?



店を出る相方。満足出来たかな?

しろうお漁は終わっていた!?


ここは春の感じでしたが・・・・。








●今年のやまなみラインは山菜取りのメッカに・・・
小国峠を越え大平(おおだい)に出た我々は、右折してやまなみラインに向かう。今日のやまなみラインは、走っている車や山菜取りで止まっている車が多く楽しめる状況ではなかった。

路盤の悪さも相変わらずだったが、我々はホールドに苦労しながら今回もやまなみラインを往復してしまいました。復路で走り屋さんと思しき1台のCBR1000RRとすれ違ったのだが、同方向で走れれば共に走りを楽しめたのにとチョッと残念だった私でした。

やまなみラインを往復した我々は、蟹田のかにた川に向かった。


FUNKY かにた川 でも存在感を発揮!?

季節営業の かにた川

蟹田川の橋を渡って堤防沿いに建つかにた川に着いてみると、営業はしていたが車や人の数はいつもより少ない感じだった。

バイクを停め店内に入ってみると、いつも行列が出来ている店内に行列は無くテーブルも空いていた。

私はここを10回以上訪れていると思うが、こんなに空いているかにた川は初めてあった。私は壁際の席の方が落ち着くので壁際のテーブル(六人席)に着こうとすると、

「お客さん、こちらにどうぞ」

と店員さんに真ん中の四人席のテーブルを指定されてしまった。

店員さんの 「二人で六人席は贅沢」 との考えも分からなくもないが、私は壁際の席に座りたかったのに・・・。

しかし、小心者の私は  「席は沢山空いているのだから六人席を使わせろ。」

等と言える筈もなく、彼女の指示に素直に従い四人席のテーブルに着く。

その後、注文を取りに違う彼女がやって来たのだが、私の姿を見て

「お客さん、前にも来た事有りますよね?」 と言う。

「昨年は来れなかったけど、毎年来ているよ。」 と私が答えると、

「毎度ありがとうございます。」

と彼女は感謝の言葉を発したのだが、私はその彼女に見覚えがあった。

その彼女は数年前、しろうおの踊り は人の食べる物ではないと一人しろうおの踊りを頑なに注文しなかったメンバーに対し、席に料理を運んで来る度に

「しろうおの踊りは食べないんですか?」 と

しつこく何回も聞いていた商売熱心な彼女だった。

彼女がそんな事も有って私を覚えていたのか、ただ単に白髪混じりの髭顔を覚えていたのかは聞かなかったが、FUNKYもようやくかにた川で認知されるようになったようである。

ここかにた川は、地元漁協の人達がしろうおが捕れるこの時期だけ開いているお店なのだが、雨の日我々が雨具の置き場所に困っているのを見て雨具を預かってくれたりする親切な人達なのである。

地元の人達との会話をツーリングの楽しみの一つと考える私は、今回彼女に声を掛けられて大変嬉しかった。来年もまた会話を楽しめたらとの思いを胸に私は店を出る。


初めての しろうおの踊り
おーっと!!
忘れていました相方の初体験の事を・・・。

今回初めてしろうおの踊りを食べた相方は、恐る恐る動き回るしろうおを口に運ぶ。

最初動き回っていたしろうおも次第に動きが鈍くなりやがて胃袋に移動していくのだが、この感じを味わうのがしろうおの踊りで、それを相方はゆっくりと感じ取っていたようだった。

特段しろうおに味が有るわけではなので食べて美味しいというものではないが、私は何故かこの季節になると食べたくなってしまうしろうおの踊りなのである。


     
店内にはこんなポスターもありました  ⇒
      CMはお茶漬けだけでないかったんだ。
          地元ですもんね・・・。



蟹としろうお祭り


今日がお祭りの最終日であったようだ。
それで空いていたのかも?


今日はお祭最終日。
おじさん建ちはパッピを着て頑張ってました。

蟹田の蟹としろうお祭りは今日が最終日であったようで、外ではホタテ焼き(1個100円)やしろうおすくいが行われていた。

私は以前ホタテ焼きを食べた時があったのだが、走っている時にホタテの生臭い匂いが込み上げてきてヘルメットの中が大変な事になった事があった。

車なら問題ないでしょうが、バイクで行った時ホタテ焼きは遠慮した方がいいかもしれません。

蟹田川にはしろうお捕りのヤナが設置されているのだが、しろうおを捕る大きな網が見えなかったから、今年のしろうお漁は終了していたようだ。

我々が食べたしろうおが、今年最後のしろうおであったのかもしれない。


青空の下 青森市へ

蟹田を発った我々は、陸奥湾沿いの道を走って青森を目指す。昨年昼食を取った玉松海水浴場前を過ぎた所から国道280号のバイパスに入ると、正面にこれから向かう八甲田山の山並みが見えて来る。

山の上部は雲に薄っすらと覆われいたが、黒い雲では無かったので雨の心配は無さそうである。

国道7号に出て右折、青森環状バイパスに入り青森IC前を通過して青森空港方面に右折する。

本当はそのまま環状バイパスを走って八甲田田代平に向かう事も出来たのだが、昨年一瞬の判断ミスから歩道を走る事になってしまったのがトラウマになっていた私は、少し遠回りにはなるが別ルートで田代平に向かったのである。

無事田代平に向かう道に入った我々は、時々現れる車をパスしながら走っていたが、残雪が道路両側に現れる頃になると車の行列が出来ていて車の後に着いて走る事になった。

























八甲田 田代平の深沢温泉


ここは通年営業で冬には二階の窓が
埋まるほど雪が積もるらしい。



早速温泉に向かう。


少しは温まった?


湯上りの清涼飲料
この時の私はその後に起きる事を知る由も無い。

寒さに負けて温泉へ
雪中行軍遭難者銅像近くまで来ると寒さが増してくる。標高が上がるにつれ気温は下がり気温は5℃前後になっているものと思われる。予定では雪中行軍遭難者銅像のパーキングで休憩を取った後大湯の温泉に入る事にしていたのだが、そんな悠長な事は言っていられない状況になっていた。

こんな時は温泉で温ダマルのが一番で、私は頭の中で近くの温泉をリストアップしていた。酸ヶ湯温泉は遠くはないが予定コースから外れているし、この道沿いには以前行った事がある八甲田温泉もあるのだが、私にはこの近くに気になる温泉があった事を思い出した。

それはこの先に在る木々の間から垣間見える温泉で、私は以前から一度立ち寄ってみたいと思っていたのだが、名前も知らない温泉だった。名前は知らなくても場所は分かっているから、私はその温泉に直行する事にした。

私が突然ウインカーを左に揚げた時、相方はどう思ったのだろうか。彼はFUNKYで走ってまだ日が浅く、私がこんな状況の時どんな行動を取るのか読む事が出来なかったたかもしれないが、ベテランのメンバーだったら入口に立っていた看板を見てきっと頷いた事だろう。

左折した道は直ぐに砂利道の緩い下りになり、それが300m位続いた先にその温泉は在った。敷地の入口に立つ看板にはみちのく深沢温泉と書かれていたようだが、私はよく見ないまま建物の前にバイクを停める。


みちのく深沢温泉


薪ストーブが燃えるロビー!?
店番のおじいさんがイイ味出してました。
我々はヘルメットを脱ぐと直ぐにタオルを取り出し温泉に向かう。玄関に入ると中では薪ストーブが焚かれていて暖かかった。ストーブの奥にはおじいさんが座っていて店番をしているようだった。

少し耳の遠いおじいさんにお風呂に入れるか聞くと、大きな風呂と小さなお風呂が有って小さい方は熱いと教えてくれた。答えになっていなかったが、入浴料が400円である事を聞き出し、おじいさんに支払って奥の温泉に向かう。

脱衣所は八畳以上は有りそうな広さで奥に脱衣カゴが並んだ棚が有った。私は脱いだジャケットやパンツを三段有る棚の一番上のプラスチック製のカゴに入れる

タオルを持って浴場に行くと結構大きな浴槽が二つに仕切られていて、手前が小さく奥の浴槽が大きくなっていた。手を入れてみるとおじいさんが言っていたように小さな浴槽の方が少し熱かった。

各浴槽にそれぞれ湯口が有ってそこから温泉が勢いよく噴出していて、私はこの温泉を見て古遠部温泉を思い出していた。湯量が多く泉質も古遠部温泉と同じく鉄分が多いようで床は薄茶色になっているし、なめてみると古遠部温泉(金属イオンが沢山含まれている)程ではなかったが同じような不味い味だった。

最初大きな温い(40℃位?)浴槽に入った私は冷え切った体をゆっくりと温める。その後、外の露天に行ってみると露天風呂は岩風呂になっており、女風呂との境は簾で仕切ってあるだけだった。

覗けば見える状態だったが、女湯に人の気配は無く覗いても無駄のようだった。覗かれる心配が無いので気兼ね無く我々は温泉を楽しんだのだが、さすがに外の空気は冷たく少し長く温泉か出ていると、体が冷えてしまいまた温泉に入る事を繰り返す。


不思議の国のおじいさん

最後に小さな浴槽の少し熱目の温泉(42℃位?)で体をじっくり温めた私は、温泉から出て下の革パンツと上のインナーを着て、ジャケットだけを手に持って玄関ロビーに行く。ここには珍しく自動販売機という物が無く、飲料はガラスケースの中で冷やされていた。

私は缶飲料を選びジャケットの内ポケットから小銭を出して(このジャケットに小銭が入っていなければ事件は起きなかったのだが・・・)おじいさんの所に代金を払いに行く。

すると彼は缶飲料の価格を把握しておらずケースに書いてないか聞いてくる。よく見るとケースの下に紙が貼ってあってそこに値段が書いてあった。

この おじいさん 分かっていないようでチャンと仕事をしている不思議なおじいさんで、私はその後彼と少し話し込んでしまった。

湯上りにアイスクリームは私のお約束になっていて、アイスクリームケースの前まで行ったのだが、折角温まった体をわざわざ冷やす事もないと今回は断腸の思いでケースの扉を開けずに戻って来た。

おじいさんの話によると、この温泉は通年営業だそうで(前を走る道は冬でも青森と十和田湖を結んでいるという)冬でも営業しているのだと言う。冬は平屋の建物が隠れるほど雪が積もる事もあるらしいのだが、それでも営業しているというから大したものである。

私が浴槽に注ぐ温泉の勢いに驚いたと言ったら、おじいさん曰く

「ここの温泉は自噴では無くポンプで汲み上げているから幾らでも出るんだぁ 」

納得!! 

確かに噴出している温泉にポンプの圧力が掛かっていると考えると、納得出来る勢いではあった。

我々は体が冷えない前に焼山に出る為休憩もそこそこに深沢温泉を発ち、焼山のGSに向かう事にする。私は昨年11月の最終ツーリングに使用したインナーグローブを持っていたのを思い出し、それを装着して走り出す事にした。


雹は降らなかったが・・・

田代平に在る休憩所?の前まで来るとバイクが10台以上止まっているのが見えた。この寒さの中バイクで走っている仲間がいる事を知り、私は少し勇気付けられた!? 彼らはこの寒さに負けて、建物の中に避難していたものと思われる。

田代平から谷地温泉に上がるSSに右折、私は一気にペースを上げたのだが路面温度が低くタイヤのグリップ感が希薄で、思い切ってコーナーに入って行けない状態のまま谷地温泉入口に到着する。

今日のこのSSは、以前雹に降られ道路一面真っ白になった時より気温が低い感じで、私は一刻も早く焼山に下る事を考えていた。以前の経験から谷地温泉と焼山の気温は5℃は違う筈で、焼山まで行けばこの寒さから逃れられると私は考えたのだ。

蔦温泉方面に下って行くとそこには新緑のブナの森が広がっており、我々は新緑のトンネルの中をゆっくりと下って行く。緑のトンネルのあまりの美しさに、あちこちで車を止め写真を撮っている人達がいる。

私もこの新緑の中にバイクを止め写真を撮りたいという衝動に駆られたが、その時の私はこの寒さから逃れるのが先決で止まらずに焼山向かって下って行った。無事に焼山に到着した我々は、シェルGSにバイクを入れ給油を行う。

昨年もいたおばさんが出て来て、私は現金満タンを告げバイクから降りる。給油を終えたおばさんがレシートを持って私の所にやって来て、2032円ですと告げる。私は財布が入ったウエストバックのファスナーを開けようと腰に手をやったのだが・・・!?

ガァーン!?  無い ウエストバックが無い・・・!?

腰にある筈のウエストバックが無かったのある。

私は一瞬フリーズしてしまったのだが、冷静に状況を分析すると深沢温泉に忘れて来た事は明らかだった。




焼山のおいらせ渓流観光センター前で
相方は40分待ちました。



















< 証拠写真 >
温泉から出る私。
何かが足りない!?

●50kmの一人旅
私が財布を忘れてきた事を知ったおばさんは、手にレシートを持ったまま困った顔でフリーズしていた。

彼女は 「後でも良いですよ」 と言ってくれたが、

財布を取りに行って(温泉に有るとは限らないし)来るまで支払いを待ってもらうわけにもいかず、私は相方にガソリン代を立て替えてもらって深沢温泉に向かう事にした。

相方にはこの先のおいらせ渓流観光センターの前で待ってもらう事にして、私は急いで深沢温泉に取って返す。 

「戻ってもウエストバックは有るのか?」
「無かったらどうしよう?」


等と考えながらハイペースで深沢温泉を目指したのだが、先程よりも気温が下がってきたようで、インナーグローブをしていても親指の先がしびれてきた。

焼山から深沢温泉までは片道25km位の道程で、私は20分位掛けて深沢温泉に到着する。途中蔦温泉を経由するルートではなく、以前雹に降られた時に使ったゴルフ場がある仙人平を通るルートを使う事にした。このルート蔦温泉付近の狭く曲がりくねった道を回避出来るから時間を短縮出来るのだ。

私はヘルメットも脱がず、深沢温泉の玄関を入ってまず先程休憩したソファー?の上を確認するも、そこにウエストバックの姿は無かった。

ブーツを抜いだ私はヘルメットを被ったまま脱衣所に入って行く。中には着替え中の男性がいて、ヘルメットが被った私の姿をみて彼は一瞬驚いた表情を見せる。いきなりフルフェースヘルメットを被った人間が脱衣所に入って来たのだから驚くのは当然で、私は

「忘れ物をしたもので探しに来ました。」

と事情を説明すると、男性は少し安心した表情をみせた。

私は真っ直ぐに奥の脱衣カゴの並ぶ棚に向かう。一番上の先程使ったカゴの中を覗くと・・・、

有りました!有りました!有ったぁ−! ウエストバック・・・!!

一番上の棚のカゴの中は上から覗かないと中が見えない為か無事に残っていました。もっとも、ここを訪れる人達は、バックを見つけたら届けてくれるでしょうけどね。

私がバッグを忘れた原因の一つは、覗かないとカゴの中が見えなかった事もあると思うが、最大の原因は加齢が原因?の忘れ物癖と思われ本当に困ったものである。

ウエストバックを見つけて喜ぶ私の姿を見て、先程の着替え中の男性が

「有って良かったですね!」 と声を掛けてくれる。

私は 「ありがとうございます。」 と彼にお礼を言って?脱衣所を出る。

玄関ロビーに戻ると先程温泉で一緒だった男性が、戻って来た私の姿を見てどうしたのか聞いてくる。財布を忘れて焼山から戻って来た事を告げると彼は驚いていた。

考えてみると焼山で給油しなかったら発荷峠まで走っていた筈から、片道55km以上往復で110km以上走らなければいけなかったから、焼山で気付いたのは本当に幸運だった。

本当はまた温泉でに温ダマッてからスタートしたかったのだが、相方が焼山に待っている事だし私は再び焼山に向かって走り出す。田代平に出ると霧雨ではないが、細かい雨がほんの少し落ちてきた。

寒い! また一段と気温が下がり手の指は既に痺れ始めている。この状態で走った谷地温泉入口までのSSは楽しくなかった。溝の無くなったフロントタイヤ、暖まらないリヤタイヤ、フロントブレーキだけは当たりが付いて強力に効いてはいたが、コーナーをクリアーする楽しさは皆無で、ここでの走行は忘れ物をした私に対するお仕置き以外の何物でもなかったのである。


谷地温泉から焼山方面に少し下った所のブナの新緑
谷地温泉から焼山方面に下って行くと、先程皆さんが新緑を撮影していた場所に出る。先程は写真撮影を諦めたが、不本意ながら再びこの地を通る機会を得た私は、待たせている相方には申し訳なかったが写真を数枚撮る事にした。

新緑の中に佇む GSX−R の姿をカメラに納めた私は、焼山に急いだ。再び仙人平を通り相方の待つ焼山おいらせ渓流観光センターに到着した時、シェルGSを出てから40分の時間が経過していた。

私は休憩を取らず直ぐ奥入瀬バイパスに向かって走り出す。



奥入瀬バイパスを堪能

今日の奥入瀬バイパスに車の姿は殆ど無く、二車線有る登坂車線を存分に使って走る事が出来た。相方はここを走るのが二回目で二車線のどこをどう走ったら良いのか分からなかったようだが、基本的にはイン側の車線を使って走るのが良いとは思う。

しかし、車線中央には矢印が有るし車線を分ける白線も有るから二車線を使った(白線を跨ぐ)走りは結構難しい。回数を重ねて自分の走りに合った走り方を見出していく事が肝要であろう。

我々は右に左と深いバンク角を楽しみ、二車線をフルに使ったコーナリングで奥入瀬バイパスを楽しんだ。

十和田湖の外輪山に出た我々は、今度は湖面に向かって下って行く。今日の十和田湖の色は鉛色で、寒々しい表情をみせている。子の口を過ぎ宇樽部に設置されていた温度計の下を通ると、温度表示は5℃台を示していた。寒い事は分かっていたが、改めて数字で示されると寒さがいっそう身に沁みる。

ここで5℃なら谷地温泉付近では2〜3℃以下であったと思われ、寒かったわけである。

宇樽部トンネルを抜け休屋に出ると何か街に活気が無い感じだった。十和田湖で発見された鳥インフルエンザに感染した白鳥の影響で、十和田湖を訪れる観光客の数が減っていると聞く。

感染した白鳥が発見されたからと言って他に影響が出ているわけではなく、観光客も過剰反応し過ぎだと私は思うが、人の気持というものは些細な事に影響されるから難しい問題ではある。

殆ど車のいない和井内から発荷峠に上るワインディングロードを走り、発荷峠のパーキングにバイクを停める。


バイク達も寒そうです!


路面温度が低くタイヤに触ってもほのかに
暖かいだけのリヤタイヤ。信用できません。

●発荷峠から十和田樹海ラインへ

発荷峠て休憩  寒いです!!
フロントタイヤ終わってますから?
バイクから降りてみると発荷峠も寒かった。以前も発荷峠で寒かった事があって、自販機に直行した事があったが、今回も暖を求めて自販機に向かう。

こんな時に買う缶コーヒーは、デミタスサイズではなく熱容量の多い大きな缶を選ぶべきで、そうすれば温もりが長続きする。

そして待ちわびた缶コーヒーが自販機から落ちてきた。期待を持って手に取ったその缶は、何と温かった。

「ガックリ」 である。

それでも冷え切った私の手を生き返らすには十分で、私は暫く缶を握って離さなかった。

ここで相方から借りたガソリン代を返そうとしたのだが、私の財布には一万円札しか入っておらず一万円札を崩す必要が有った。そこでお店で何かを買ってお釣りをもらう作戦を立て、店先で売っている物の中で一番安かったコンニャク(串に刺した物)を買う事にした。

「一万円でも大丈夫ですか?」 と聞くと 「良いですよ
。」 との返事。 

良かった。私はコンニャクを買ったお釣で相方にガソリン代を支払い、これでウエストバック置き去り事件は一件落着したのでありました。

大事にならなくて本当に良かったです。

これからの我々の予定は、十和田樹海ラインを下って小坂に出た後、毛馬内、比内、米内沢と走って秋田に帰るのだが、予定外のウエストバック置き去り事件が発生した為米内沢から阿仁前田に出て上小阿仁に抜ける予定を変更、真っ直ぐ米内沢から上小阿仁に出る事にした。

休憩を終えた我々は、十和田樹海ラインに走り出す。樹海ラインの下りは嫌いではない私だが、今日は路面温度も低くタイヤのグリップに信頼がおけない為、緊張したコーナーリングになってしまいあまり楽しくなかった。

唯一の救いは、ようやく当たりの付いたフロントブレーキで、ペータルデスクが本来の性能を発揮するようになり、レバーを握り込んだ瞬間から強力に効くようになっていた事だった。

効かないフロントブレーキに慣れてしまい、前後のブレーキを上手く使えなくなっていた私は、バランスよく前後ブレーキを使って減速する感覚を樹海ラインを下りながら思い出していた。幾つかのコーナーでそれを試し、次第に自分のものになっていくその感覚を私は楽しんだ。

そんな事をしてると七滝までアッという間に到着してしまう。相方も直ぐに到着して我々は一緒になって小坂の街に入る。唐楽館に曲がる手前に小坂鉄道の踏み切りがあるのだが、踏み切り横の線路上に鉄製の柵が置かれているのが見えた。

気になって調べてみたら、100年の歴史を持つ小坂鉄道は今年の3月で事業休止になったようである。鉱山の町小坂のシンボルがまた一つ消えてしまったようである。

昔は大館から小坂まで乗客も乗せて走っていた小坂鉄道も、最近は濃硫酸のタンク車が機関車に引っ張られて(脱線して全国的に報道されたりして有名に!?)走っているだけになっていたが、それも工場から濃硫酸の出荷が無くなって終了してしまったようである。


上小阿仁のローソンで最後の休憩
私は温かい焼おにぎりでエネルギーを補充。















バイクの楽しみ方
小坂の街の外れで我々は二台のクラッシックバイクに追い着いた。一台はカワサキのZU(ZTでなく多分ZU)で新車のように綺麗なバイクだった。ライダーは多分四十歳台(見たのは後ろ姿だけだか・・・)で革の黒いジェケットとパンツを身に着けたお約束の格好だった。

申し訳ないがもう一台の記憶は薄れてしまって思い出せないが、古いバイクであった事だけは確かである。

私が彼らの楽しそうに走る後姿に注目していると、彼らは地元ライダーであったのか毛馬内の街で小路に消えて行った。それにしても ZU 人気は根強いものが有る。30年以上前のこのバイクの魅力がどこにあるのだろうか。

発売当時リアルタイムで乗っていた私には、今まで乗ったバイクの中の一台に過ぎないのだが、今の人達がZUをこよなく愛する気持がよく分からない。確かに当時としては画期的なバイクではあった事は確かだが、それより新しいバイクの方が乗り易いに決まっているし、今のバイクの方が乗って楽しいと思うのですがどうなんでしょうか?

バイクの楽しみ方は人それぞれだから、ZU人気はまだまだ続く事になるのでしょうね。

バイクの楽しみ方は多様で、オブジェのように置いて眺めて楽しむ方法や乗っている姿を人から見られる事を楽しむ方法、我々のように遠くにツーリングに出掛けて楽しむ方法など人によって楽しみ方は色々だ。

現在日本ではバイクの殆どが趣味の中(新聞屋さんや郵便屋さん等一部業務で使用されてはいるが)で使用されている。

先日テレビのニュースで高度に効率化された現代社会では、働く人の中でストレスによるうつ病が多くなっていると述べていた。うつ病を治療するには、ストレスを忘れさせる何か熱中出来るものを持つ事がが有効であると、その時はスキューバダイビングを取り上げていた。

バイクも乗っている時はそれに集中(余計な事を考えていると危険)するから、ストレスを忘れさせるには良い道具だと私は思う。現代社会の中でバイクがこれからどのように人々と係わっていくのか興味の有るところだが、私がこの先バイク係われる時間はそんなに多くは無い事だけは確かで、その時が来るまでは精一杯バイクと係わっていきたいと考えている。


二人旅を無事・完走
毛馬内で国道103号に出て比内まで走り、国道285号に入って上小阿仁を目指す。見通しの良い道で対向車の来ない事を確認した私は、前を走る車に追い越しを掛ける。

私は追い越しを終え後にいるであろう相方の姿を探したのだが、相方の姿はミラーの中に無かった。道が見通しの悪いワインディングに変わった事もあって、相方は暫くやって来なかった。

後から相方から聞いた話では、私が追い越しを掛けた時彼は私から目を離していたようで、気付いた時私は既に暫く先に行ってしまっていて、彼は追い越しを掛けるタイミングを逸してしまったらしい。

今日初めて私とコンビを組んだ相方は、私がどんなタイミングで追い越しを掛けるか読めていなかったようだ。彼が私の頭の中を読めるようになるにはもう少し時間が必要のようである。


リベンジを果たし無事に帰還


帰ります。  お疲れさんでした
もっとも私の行動パターンは単純だから、私の頭の中は2〜3年で皆さんお見通しになりますけどね。

我々は上小阿仁のローソンで休憩を取った後、6時50分過ぎ秋田市に帰って来た。二人旅であったにも係わらず、沢山の思い出を作ってしまった今回のツーリングも何とか無事終了した。

相方は昨年津軽半島に置いてきたものを回収出来たようだし、私もウエストバッグを回収出来て無事に帰って来られた。終わってみれば思い出多き楽しい二人旅であった。

しかし、もしウエストバッグが出てこなかったと考えるとゾッとする。お金は諦める(それでも一万円は大金)として、クレジットカードや運転免許証、鍵、各種ポイントカード等、事後処理が面倒な物が沢山入っていたから本当に有って良かった。

無ければ秋田に帰って来ても店にも入れなかったのですから・・・・。


           おわり

                                
 Report by Ryuta


       ※次回のツーリングは岩手県を予定しています。
TOP↑