旭又〜太平山奥岳登山
2002年 8月4日(日) 

Report by Ryuta


  
  ×印の付いてコースは2002年8月現在使用不能と思われますのでお気を付け下さい。
 今回の登山は、お盆に行く一泊登山の足慣らしとして昨年同様中岳に登る予定であったが、夜中から明け方にかけて豪雨が降ったため沢沿いの道がある寺庭〜中岳コースを諦め、太平山奥岳に旭又からをトライしてみる事にした。

 奥岳に登る登山者の9割が利用するという旭又コースは、登山者がを多くマイナーなコースを得意?とする我々は今まで足を踏み入れることはなかったコースであったが、今日の天候からして登山者が少ないことが予想され決定された。

 私が最初に太平山に登ったのはもう35〜6年も前の事で、今まで何十回と奥岳に登ったと思うのだが旭又からは一度も登った事がなかった。

 旭又〜奥岳コースは、35年前旭又までのアプローチが長くほとんど登る人がいなかったコースであったが、仁別国民の森ができ道路が整備されると、最短で奥岳頂上に立てるコースがうけてほとんどの登山者がこのコースを利用するようになったようである。

 私が太平山に登り初めた頃は皿見内からのコースが一般的で、野田口や金山滝からのコースも多く使用されていた。

 昔から信仰の山であった太平山には信者の弟子達が返されたという弟子還(デシガエリ)という鎖場があって、信者はここを通って奥岳の奧宮にお参りしていた。言うなれば弟子還から奥岳に登るのが表玄関であり、それ以外は裏口と言うことになる。

 今回旭又から登ってみて思ったのだが、旭又から登ると登山者は頂上が見えない状態で3時間近くアルバイトしていきなり奥岳直下の尾根に出るため、山頂に立った時の達成感や感動が少ない様に感じられた。私は弟子還を登り奥岳を見て山頂を目指す表玄関からの登りがあらためて好きになった。

 頂上に立つことを目的とするのではなく、頂上に立つまでのプロセスを大事にしたい我々としては良い勉強になった山登りであった。
 旭又の駐車場。 左に在る沢を渡った左側にキャンプ場がある。
 寝坊してしまいAM6:00の集合時間に遅れて到着。すでにM氏はセローと共に待っていた。今日は寺庭から中岳に登って前岳から金山滝に下る予定であったが、昨晩から豪雨が降っていて今も時々激しい雨が落ちてくる。

 空の様子を見ながら予定コースを検討する。今日予定のコースは、登り始めが沢づたいのコースを取るため昨晩からの豪雨で沢が増水していることが予想され危険と判断、予定を変更することにする。この際一番メジャーで安全と思われる旭又のコースに予定を変更、2人で軽トラに乗って仁別に向かう。

 添川付近でまた雨が強くなってきた。インターネットの衛星写真によると雨を降らしている雲の塊は次第に東に移動しており、昼近くには太平山付近の雨は上がると予想したのだが?

 仁別国民の森に行く道を走るのも久しぶりで、14年前に木材を運ぶトラックと正面衝突したバイクを引き揚げに行った以来である。相変わらず道幅は狭いが以前より良く整備されいて走りやすい。国民の森を過ぎて旭又に向かうが以前の記憶では国民の森から直ぐと思っていたが意外に距離があるのに驚く。


 旭又の駐車場は夏休み中の日曜日となればキャンプする人で賑わっていると思われたが、案の定このお天気では駐車場に車は少なく閑散としていて、予想通り登山者も少なそうである。駐車場にあるトイレで身軽になって身支度を整えAM8:10駐車場を出発する。


 駐車場の脇に太平山県立自然公園鳥瞰図なる物が建っていたが、何とも古臭く見ずらい代物で情報も古く今や太平山の表玄関となり県外の登山者も多く訪れる旭又口の案内板としては役不足である。

 この図には旭又から宝蔵岳に通ずる登山道が書かれていないため、弟子還から奥岳に登り御手洗に下って旭又に戻るコース又はその逆コースがあることを知ることは出来ない。

 このままでは秋田県人として少々情けない。一日も早く新しい案内板を作って素晴らしい太平山の自然を詳しく案内してもらいたいものだ。






 駐車場横の沢は濁流となっていて降った雨の凄さがうかがえる。この状況を見ると予定を変更して中岳に行かないで正解だったことを確信した。

 この橋を渡って左に行くとキャンプ場が有り、道は馬場目岳の登山道につながっている。

             
キャンプ場から馬場目岳に続く道。軌道跡か。







             奥岳への登山道は正面の坂を登る。








  案内に従ってしばらく坂を登ると軌道跡の道に出る。この道は先ほど見た馬場目岳に向かう道が途中でUターンして標高を上げた軌道跡の道と思われ、これを右方向に曲がる。これからしばらくは軌道跡の道を進むことになる。左に赤倉岳に向かう分岐が現われるが軌道跡の道は続き沢を渡る。


 沢に架かったコンクリートの橋は昔は有ったであろう線路の巾を想像させる狭い物で、この狭い軌道を使ってこの辺一帯にあった天然秋田杉の巨木が運び出されたことを思うと結構デンジャラスな光景であったことが想像される。















 沢を渡って左に大きく回り込むと枕木が残る長い直線の坂下に出る。坂は一定の傾斜で続いていて、道は雨で輝きがました緑の中に消えていっている様に見える。

 この坂を気動車がトコッコを轢いて登っていく姿を思わず想像してしまった。しかし本当にこの急坂を登れたのか心配したのだが、よく考えてみたらこの軌道が運ぶ木材はONE WAYで、登る時は必ず空荷であることに後になって気付いた。









旦、軌道跡の道から離れ立派な橋を渡りまた軌道跡の道に戻る。軌道はもっと上流まで行って沢を渡り戻って来ていたようだ。


 また少し軌道跡の道を歩いた後、道は軌道跡の道を離れ本格的な登りになる。




 旭又を出発して35分で御滝神社に到着する。一服するには丁度よい場所である。祠にお参りして小休止をとる。休憩していると雷が鳴り出し雨もポツポツと降ってきた。雷が鳴ると激しい雷雨になるいうのがお約束だが、不思議なことに天からはパラパラとしか雨が落ちてこない。しかし雷は鳴り続けている。




























     御滝神社の横にあった登山道の行程表。これもまた見づらくよく分からない。
    
赤字でプラスされた時間が一般人には合っている時間のようだ。



 御滝神社を出て登り始めると雷が激しくなり雨も強くなってきたため雨具の上着だけを羽織る。ブナの森では雨粒は直接地面に到達することはなく、ブナの葉に当たってから分散して落ちてくるため雷雨であっても小雨程度にしか感じない。ブナの森の有り難さである。

 今日初めての登山者と出会う。それは昨晩、奥岳山頂小屋に泊まったという若い女性から年配の男女まで年齢が色々な登山者達であった。彼らとは挨拶を交わして行き違うが、中には修行者が着る白い装束を着た女性もいてもよく分からないグループであった。

















 AM10:00御手洗に到着。御滝神社からここまでは一本調子の尾根道を登り、1時間10分ほど掛かった。

 名前の通り手を洗う池があり、昔はここで手を清めて奥岳を目指したのであろう。水も飲んでみたが癖が無く大変美味しい水であった。

 ここから山頂まで1時間近く九十九折の坂が続くので、ここではゆっくりと体調を整えることをお勧めする。


 この頃になると青空も見え始め日も差してきた。ブナの森も日の光に照らされて木々の葉も輝きを増していく。


 御手洗を発って直ぐ九十九折の道が始まる。奥岳へのメインストリートとあって道幅は広くて勾配も急ではないが、登山道は石がゴロゴロしていて歩きづらい。

 登山者の多い登山道にはよく見られることだが、多くの登山者に踏まれ土壌が剥き出しになった所に雨が降って土壌が削られ石が露出する構図は、人気のあるほとんどの山で見られる現象である。









 足元を見つめながら歩を進めていると、登山道の脇に鮮やかなブルーとホワイトで構成された花を見つける。私は花の名に詳しくないので名も知らない花であったが、 白い小さな花の周りを鮮やかなブルーの花が取り囲んだその花は、雨露に濡れた葉の中で浮かび上がるように咲いていた。登りの苦しさを忘れさせてくれた瞬間であった。






 御手洗から50分(途中で一回小休止)続いた九十九折の道を抜け出し、奥岳直下の尾根に飛び出る。

 山頂部にはガスがかかっていて先ほどまで見えていた青空も無くなっている。













      左には、笹森から土地見平を通って萩形に下るコース、
              笹森から赤倉岳、馬場目岳への縦走コースに続く道がみえる。



 奥岳の手前には鳥居が在って我々を迎えてくれたのだが、この鳥居の上部が変形していてチョット残念であった。冬季間の雪の重さで変形したものと思われる。

 この手の金属製構造物にはチョット煩い相棒は、鳥居をコンコンと手で叩いて一言。
 「折角ステンレスで造ってあるのに残念だな。設計がチョット。」

 この鳥居は下界で組み立てられヘリコプターで運ばれたと思われ、鳥居上部にフックらしき物が見える。





 ヘリで運ぶとなれば当然鳥居の軽量化を考え、また後のメイテナンスのことも考えてステンレス鋼板を材料に選んだのは正解であったと思う。

 しかしこの張りぼての鳥居を設計した設計者は、この鳥居が太平山山頂に設置され、そしてそのことがどの様な意味を持つのかが理解していなかったようである。

 私は、鳥居上部の円筒部分の中にリブを入れて設計するのが普通であると思う。あのままでは、人が腰掛けても潰れそうな感じである。普通の人は、人が鳥居の上に腰掛けることなど想定しないだろうが、積雪時鳥居に腰掛けて休憩することは普通のことである。

 それにしてもこのままの状態にして置くのは忍びない。何とか修復出来ないものだろうか。


                                        こちらは弟子還りからの表玄関の鳥居。木製である。

 AM11:20、奥岳山頂に到着すると三吉神社の宮司さんが我々を迎えてくれた。宮司さんは、雷が鳴っていた天候もあって昨晩泊まったグループのことが気になっていたようで、どの辺ですれ違ったか聞かれる。どの辺ですれ違ったか定かではなかったが御滝神社の少し上と答える。

 奥岳山頂には、三吉神社の奧宮と宿泊棟を兼ねた参篭所が建っている。夏の間(7月中旬から9月中旬)ここには神社の宮司さんが交代で常駐しており飲料などの販売もしている。夏期間は公衆電話も開設されている。(電話番号018−831−1171)

 宿泊可能人数は最大50名位とのことであったが、予約も出来るはずで団体で泊まりたいと考えている人は秋田市広面赤沼の里宮(TEL 018−834−3443)にお電話を。

 我々が山頂に立ってから少し経って男性が一人登って来た。そして少し遅れて連れと思われる女性が一人。今日我々が会った登山者は、途中で会ったグループとこの2人だけであった。

            三吉神社参篭所&宿泊所

 宮司さんの話によると野田口からの登山道は、昨年の大水で沢沿いの道が流され通行不能になっているという。毎年7月に行われる太平山の開山式のために神社関係者は野田口から登るのが通例となっていたが、今年は仁別から宝蔵岳に登り弟子還を通って登ったという。
 奥岳に登るだけなら旭又から御手洗を通って登るのが近いはずであるが、神社関係者としは裏口からの山頂入りは避けたかったものと思われる。

 昨年不審火で焼失した前岳の女人堂は、今年再建されたのという。宮司さんはその設置に立ち会ったそうで、その苦労話を聞かせてもらった。

 再建された神社は天王町の秋田電子にあった神社を移設したもので、ヘリコプターで前岳まで運びヘリで吊り下げた状態で土台のアンカーボルトに固定したのだが、位置がなかなか合わず苦労したと話してくれた。



 前岳に在った女人堂は30年以上も前の学生時代によく泊まらせてもたった記憶がある思い出深い建物であった。不注意によると思われる火事で焼失したことは大変残念である。また避難小屋としての役目も担っていたが、今回移設された建物はそのような機能は無さそうである。

         太平山奥岳山頂に建つ三吉神社奧宮                       奧宮の御神体は鏡であるようだ。
















 上の写真に写っている男性、以前一度この山頂でお会いしていたかも知れない。会ったのは4〜5年前の10月下旬頃で 晴れ 後 曇り 後  後  後  後 晴れ というありとあらゆる天候を体験してしまったた日で、その時真冬の完全装備をしていた人ではなかったかと。我々はいつもの格好に雨具を着ただけで寒い思いをしていた時、彼の熱そうな装備が印象的であった。しかし座っている彼が、その時の彼であるという確信は無い。




<岩見三内方向を望む>


 山頂からの展望は悪く、時々下界が見える程度であった。



 昼食を取ってから下るコースを検討する。登って来た道をまた下るというのも芸の無い話で、ここは弟子還を通って下るルートを探ってみる。2万5千分の1の地図には宝蔵岳から仁別国民の森に下るルートが載っていた。国民の森から旭又まで車道を少し歩かなければならないが、同じ道を下るより良いという結論に達し宝蔵岳から下るルートに決定する。

 そのルートの情報を得るため参篭所にいる宮司さんに会いに行く。そこには太平山に詳しそうな人がいて宝蔵岳から下るルートに付いて聞くと、しきりに軽井沢に下るのかと聞かれる。軽井沢が何処なのか分らなかったが旭又に戻りたいと伝えると赤いテープを縛ってある所を目印に右に折れると良いと言われる。言っていることが良く理解できなかったが、どのルートを通っても充分時間はあるので問題は無いであろう。ルートを教えてくれた人の話だと2時間位で下ると言うが、我々の足ではもっと時間が掛かることが予想される。

 出発前に奧宮の中でお賽銭をあげて参拝し、PM0:05山頂を出発する。






 弟子還の上部にある弟子還嶽神社。
苔むした石が歴史の長さを感じさせる。
 















                                                              弟子還の上で見つけた白く小さな花の集合体。
                                                                                                                         一つの花の大きさは直径5mm位。繊細さを感じる美しさである




















 弟子還の鎖場に差し掛かる。雨に濡れた岩は滑りやすく慎重に降りる。この様な岩場は信仰の山には絶対必要な条件と思う。険しい岩場を通ることにより信者は下界とは違う神に近い世界に入って行くという気持になることだろう。

                                               弟子還の岩壁には色とりどりの花が咲いていた。
























                                                                                  奥に見える尾根に御滝神社から御手洗へ行く登山道がある。



 弟子還付近の岩場は太平山の中でも最も険しいものの一つだと思うが、何故かこの付近には多くの高山植物が咲く。


 私は太平山でイワカガミやニッコウキスゲの名を知った。以前この弟子還付近にはニッコウキスゲの群落が沢山あってオレンジ色の花が咲き乱れていた記憶がある。私の太平山登山経歴には1968年から20年位のブランクが有るが、最近ニッコウクスゲにはお目にかかっていない。この数十年の間に太平山に何が起こったのであろうか。もうニッコウクスゲは咲かなくなったのであろうか?それとも咲く時期に登っていないだけなのか? 分らない。



           奧の尾根をこれから下って行く。


 PM0:50宝蔵岳を越えて国民の森への分岐に到着する。写真を撮ったりして道草をして来たため少し時間が掛かってしまった。

 ここで前岳方面への縦走路から外れ国民の森に向かって下り始める。標識には国民の森5.0kmとある。下りとはいえ2時間は掛かると思われる。

 宝蔵岳から下って行く道は、御手洗付近の道と比べると幅は半分以下と狭いが地面が足に優しく歩きやすい。

 下り始めて少しして相棒が太腿の違和感を訴える。疲労から足がツッタようだ。少しペースを落として様子をみる。ペースを変える事で痛みが治まることはよくあることで、相棒の場合もしばらくして痛みは無くなったようだ。



      正面が国民の森への道。しかしこの道がつながっているのはそこだけではなかった。








 左に在る白い杭がキーポイントのようである。










 宝蔵岳分岐から20分位下って小さなピークで小休止をとる。腰掛けてふと周りを見わたすと杉の枯れ木が多く立っていた。先ほどまでのブナもの森から杉の混じった森まで下って来たようだ。振り返ると遠くに弟子還が見えている。

 休憩したピークから少し下った所に赤い紐が巻かれた白い杭が立っていて右に道が付いている。どうも話していたのはこの赤い紐の巻かれた杭のことであったようだ。

 ここから右の尾根に付いた道に入り下り始める。道はどんどん標高を下げながら次第に天然杉の森の中に入り込んで行く。















 登山道には杉の葉が敷く詰められていて下りでも滑ることも無く歩きやすく、急な場所には角材で階段が造られている。最近整備された道であるようだ。










 仁別の天然杉は全部切り出されて残っていないと思っていたが、この登山道の両側に残っていた。樹齢は分らないが幹の直径が1m近くの杉も有る。

 天然杉は人工林の杉と違って個々の木に個性が有り見ていても飽きない。真っ直ぐに伸びた木、所々こぶのように太くなっている木、途中から二本に分かれている木など色々な形の木があって面白い。

 しかしこれよりもっと樹齢の多い木があったはずだが、それらはきっと伐採されてしまったのであろう。ここの木はあまりににも個性的な形をしていたため売り物のならず伐採されずに残ったのかもしれない。











 杉の幹の表面を見ると、老人の顔のしわの様に溝がありそしてそこには複雑な模様が刻み込まれていた。それはその木が生きてきたであろう長い歳月を偲ばせるものであった。

 これを見ていて、私が子供の頃小屋の屋根を葺くのに杉の皮が使われていたことを思い出す。杉の木が多く切り出されていた秋田だからこそ使われていた屋根材料だったのかもしれない。

            この道を下って来た。坂側から撮影。             坂に出た所から下を見る           

 下り坂に飽きはじめた頃、また赤い紐が巻きつけられた白い杭が現われる。そこにも右に下る道が付いている。地図によればここを下れば国民の森に出るはずである。

 周りはすっかり人工林の杉林になっていて薄暗い中を下って行くと、しばらくして道は直線の坂の途中に飛び出す。
 これを下っていけば国民の森は直ぐと思われ写真を撮って直ぐに歩き始める。

 周りの人工林は、先ほど見た天然杉と違ってどの木も同じ形、同じ大きさで大量生産の工業製品の様で味気ない。

 地図では直ぐ国民の森に着くはずであったが軌道跡と思われる広い道は延々と続くき、途中朝に渡ったと同じ様な橋を渡るが国民の森は見えて来ない。


 しばらく歩くと右側に赤倉岳に行く登山道が現われる。 赤倉岳?・・・・  周りを良く観察してみる。 アァァァ−−!!
 この道は朝通った道ではないか。それも旭又から直ぐの・・・・。

 ここで初めて我々が大いなる勘違いをしていた事に気付いてしまう。我々は地図に従って国民の森に下ったと思っていたが、山頂で私に道を教えてくれた人は、我々が旭又に行きたいこと知って地図に載っていない旭又に下る道を教えてくれていたのだ。その道の目印が赤いテープであり、白い杭だったのだ。

 人にとって思い込みというか先入観というものが、如何に正確な判断を惑わすかを身をもって知ってしまった。進む方向が逆で見る景色は違ってはいたが朝に通った道ですら違う道と思っていたし、確かに橋などは朝渡った橋と似ているとは思ったが頭の中で違う橋だと否定していた。

 我々は旭又から奥岳に登って違う道から旭又に戻るコースが存在することを知ったのだが、この道の存在は駐車場の案内板にも載っていないばかりが、登山道の分岐にも案内板が無い。早急に案内板の整備を望みたい。このままでは宝の持ち腐れ状態になってしまう。



 この道を使うと旭又から宝蔵岳に登り弟子還を通って表玄関から奥岳に登り、帰りは御手洗から旭又に下る理想的な周回登山道となると思うのだがどうでしょうか。今までほとんど登山者は、太平山に弟子還の様な鎖場が在ることを知らずに帰っていたと思う。これからは宝蔵岳から登るコースをメインコースにすることにより、太平山の魅力をより多くの人に知ってもらうことが出来ると思う。重ねて案内板の早急な整備を望むものである。

 PM3:00、旭又駐車場に帰ってきた。山頂から約3時間であった。国民の森に降りるつもりが直接旭又に降りて来たので、思っていたより早く帰ってきてしまった。

 早速、軽トラに乗って温泉に向かう。今日の温泉は仁別ザブーンの隣にある森林学習館である。





















 温泉の大きなプールが有るサブーンの駐車場は満車状態で、森林学習館への道沿いにも車が止まっている。

 秋田市の不良債権となっているサブ-ンではあるが、夏休み中の日曜日とあって家族連れやカップルで賑わっている。ザブーンにも温泉風呂は有るのだが、料金が500円と高いのと今日は人が多そうなので遠慮させてもらった。

 森林学習館の駐車場も満車状態であったが上手くスペースを見つける事が出来て中へ。 入口のカウンターで300円の入浴料を払って浴場に行くと中は年配のお客さんで混雑している。体を洗って5人も入れば満杯状態の湯船に浸かるとオジサンたちの話し声が煩くて早々に退散する。

 ここの温泉は無色透明ではあるがチャンとした温泉で、普段は空いているのとシャンプーやボディーソープも備え付けられていて300円と安く、山の帰りによく利用させてもらっている。太平山に登った帰り汗を流すのにお勧めである。

 今回の太平山奥岳登山は、10日後の山行きの足慣らしではあったが色々な体験が出来て有意義な山行きであった。また私の山行きの原点である太平山を見つめ直すよい機会にもなった。いつになるか約束出来ないが、私の知っている太平山の情報をまとめたサイトをヤブ山紀行の中に設けようと思っているのでその時は宜しく。

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奧の尖ったピークが奥岳 中岳より2001年8月撮影 

秋田ヤブ山紀行