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自宅の朝食の感じ・


お母さん、昨年と比較すると6kg増だと言う。
N氏との2ショットに違和感無し。




占冠の道の駅
雨はまだシトシト降っている。



鹿追の近くで停車。
スッキリして戻って来るN氏。



後の青看の交差点。
直進はトムラウシ方面。
右は然別方面。左は鹿追方面。











上士幌の昨年も給油したホクレンGS。
雨は上がったとの判断でバイクを洗車する。
▼穂別ポレポーレ+A氏=雨?
朝起きてトイレに行った時、窓の外を見みてみると水溜りに雨粒が跳ねている。昨日ほどの降りではないが今日も雨具を着て出発しなければいけないようだ。昨年ここに泊まった朝も雨が降っていて、A氏はその雨の中を苫小牧からここまで走って来て我々と合流したのであった。

A氏がポレポーレに到着した時と出発する時、雨が降っていた確率は昨年と今年で100%。これを人は雨男と言う?かどうかは知らないが、A氏以外の私やU氏、N氏、M氏、K氏が泊まった時雨は降っていなかったから、A氏が雨男である可能性は高いと考えられる。

A氏が次回ポレポーレに泊まった時、到着も出発も雨だったとしたら彼は立派な雨男としてFUNKY雨男認定委員会?から認定される事になるだろう。

そのA氏だが朝食の時間になっても起きて来なかった。部屋に行って見ると彼は熟睡中で私がドアを開けても起きる気配は無かった。私に起されたA氏は、昨日の酒が少し過ぎたようで気分が優れない様子で起きて来た。


▼ポレポーレの朝食を楽しむ

7時になって食堂に行く。今日は日曜日、ポレポーレでは日曜日の朝食は出ない筈なのだが、今日は特別にお母さんが用意してくてそれに感謝しながら美味しくいただく。宿の朝食というよりは自宅で食べる朝食という感じで、お母さんとの会話もおかずに楽しく食事をする事が出来た。

こんなアットホームな感じがこの宿の魅力なのだが、ここ穂別には5〜6軒の宿が有るらしいく、この小さな町で宿を経営して行くのは結構大変らしい。殆んどのお客さんは仕事で穂別に来て長期滞在する人達なので居心地を良くする事が大切らしく、そんな中お母さんの気さくで明るい人柄がこの宿の魅力になっているようだ。


▼雨の中 東へ走る

雨の降る中お母さんに見送られて我々は穂別を出発、国道274号に出て昨日とは反対に右折して日高に向かう。これまで何回となく通っているこの道だが、この方向に走るのは初めてで新しい発見が有った

この国道274号は十勝地方から札幌方面に出る幹線道路で、交通量が多くまた追い越し出来る場所も限られ我慢の走行を強いられる道なのだが、穂別から日高方向に向かって走ると登坂車線が結構有って追い越し可能な個所が多く有った。

今回は雨が降っていたので車の流に乗って走ったが、登坂車線を使って走ればあまりストレスを感じずに走れる使える道であった。同じ道でも走る方向によって印象が異なる事を痛感した次第です。

日高から十勝に出るには普通日勝峠を使うのだが、この道は交通量が多く大名行列に付き合う事になりFUNKYではここ暫く使った事がない。我々はいつもの使う占冠からトマム、狩勝峠に抜けるルートに向かう。

占冠で休憩した後トマムに向かうが、雨はシトシト降っており路面はウエット、走っても楽しくはない。しかし車の後ろに着いて走るよりは精神的には楽で、それなりに走ってトマムの到着する。

途中、高速道路の工事なのか道路の改修工事なのか分からないが、幾寅峠入口付近で工事が行われていて、工事車両やら工事の人達が沢山出ていて気を使ってしまった。この道はドライ路面だったら楽しめる道なのだが
、この工事が終わるまでは注意して走行しなければなるまい。

トマムを過ぎ国道38号に出る手前で綺麗にレストアされたスカイラインGTR(初期型、旭川ナンバー)に追い着いてしまった。前の車に着いてゆっくりとしたスピードで走るそのGTRは、それなりの排気音を発して走っており私は暫し見入ってしまったのだが、プラグがかぶってしまわないか心配してしまう程のスピードで走るGTRの姿は何か寂しそうだった。GTRはやはりガンガン回して走らないと可哀相だ。


そんなGTRも国道38号に出た所で富良野方面に左折して行き、我々は狩勝峠方向に右折する。狩勝峠が近くなって来ると日差しが出てきてこれは良い傾向だと喜んでいたら、峠を過ぎ下りに入ると雲の中に入ってしまったのか霧で前が見えなくなってしまった。

いつもならカッ飛んで上る狩勝峠も今日はなす術なく、車の後ろに着いて下って行く。サホロリゾートの入口辺りまで来ると雲の下に出たのか視界が開ける。サーキット場が在る所を左折して岩松から鹿追町瓜幕西に抜けるルートに入る。

このルートを通るのも久しぶりで以前使ったのはもう10年以上も前の事で道順に自信は無かったが、何とか瓜幕西に出る事が出来た。鹿追と然別湖を結ぶ道に出た所で、N氏が寄って来てもう我慢も限界だと訴えて来る。

彼が何を我慢していたのかはここでは省かせてもらうが、左に曲がって士幌に向かうつもりでいた私は、交通量の少ない直進の道に入りバイクを停める。道の左側には広々とした牧草地が広がっており、N氏は思いっきり開放感に浸っていた。

その横を自衛隊の車列が十数台通り過ぎて行く。この近くには自衛隊の鹿追駐屯地があり自衛隊の車列に出くわす事が多いのだが、この長い車列が曲者で追い越すのにいつもも苦労させられる。

身軽になったN氏が戻って来て出発した我々だったが、先ほどの自衛隊の車列に追い着いてしまった。しかし、その場所は瓜幕と士幌を結ぶ長い直線路で追越する場所には不自由しなかったが、直線とはいえ道は上下にうねっており見通しは限られ、我々は見通しが利く所を選んで追い越しを掛ける。

こんな時GSX−Rの加速の良さは本当にありがたく、一気に5〜6台纏めた追い越しも可能で安全に前に出る事が出来た。何回かに分けて自衛隊を処理した我々は士幌に到着、上士幌に向かう。私は国道241号出て上士幌に行くつもりだったが、私は間違って一本手前の道道を左折してしまった。

それに気付いた私はUターンして戻ろうとしたのだが、この道も上士幌に行く事が分かったのでまたまたUターンして上士幌に向かった。するとその道は見覚えがある上士幌の街の中心に出たではないか。私は以前クランクケースのキャップを探してこの辺を走り回った事があり知っていたのだ。

そこから昨年の立ち寄った国道241号沿いのホクレンGSに向かい給油する。雨は上がっており路面も乾いてきたので、私はここで雨具を脱ぐ事を決断する。ふと給油を終えたバイクを見ると、雨中走行で付いた泥や汚れが目立っており可哀想になって洗車する事にしたのだが・・・。

私はこれから先雨には当たらないと読んだのだが、それが間違いだった事をその後知る事になる。


川湯駅前の温泉旅館&レストランに停まり昼食。
後ろに見える山は硫黄山、噴煙を上げている。


少し遅い昼食となった。














暫くぶりの川湯公衆浴場。
以前道路側に有った建物が無くなり、
道路からよく見えるようになった。






駐車場は以前と変わらない。






温泉上がりの一服。
これからの走りに備える。






▼上がった筈の雨だったが・・・
上士幌を出て足寄に向かって走すと出すと次第に路面が濡れてきて雨を心配したのだが、雨が落ちてくる事はなく足寄を通過し阿寒湖に向かう。以前、私は足寄の街を出た所でハミ出し禁止を犯したとして警察に止められた事(濡れ衣だったのだが)があったのでゆっくりとしたペースで走っていたら、中央線が黄腺ではなく普通のセンターラインに変わっていた。

以前黄線だった道が白線(破線)に変わったのを最近多く見かけるようになった。何でこんな所がハミ出し禁止なのか疑問に思う道が昔は沢山有ったが、最近は少なくなった様に感じる(特に北海道内)。公安委員会も何でも禁止する事が、事故の減少に繋がらない事を悟ってきたようである。

次第に路面が乾いてきて車が通った轍の部分だけが乾いた路面になって来て私はペースを上げてみる。しかし追い越しを掛けようと対向車線に出る時、リヤタイヤがセンターラインに乗って一瞬リヤホィールが空転を始め驚いてしまった。

私は濡れた白線がよく滑る事を知ってはいたが、今までのバイク(TZR250R)ではこの程度で空転する事は無かったから、やはりGSX-Rのパワーは尋常ではない事を痛感する。ハイパワー車に乗る時は、それなりの注意が必要なようである。

阿寒湖が近づくに従って霧雨が落ちてくるようになるが、雨具を着るほどの雨でもなく我々はそのまま走って阿寒湖を通過し弟子屈に向かう。阿寒湖と弟子屈の間に在る双湖台や双岳台付近まで来ると標高も上がり気温が下がって寒くなってきたが、それでも雨具を着るほどでもなくそのまま走る。

相変わらずの雨とウエット路面で追い越しもせず車の後ろに着いたまま弟子屈に到着する。私はここで昼食を考えていて街中の食事処を目指していたのだが、あろう事か私の知らない道に入ってしまった。

その道は弟子屈をバイパスして屈斜路湖方面に抜ける道で、私がそれに気付いた時は既に弟子屈から大分離れてしまっていた。食事の後、川湯に向かう予定にしていたのでそのまま川湯を目指したのだが、次第に雨が強くなってくる。

私は以前(10年以上前)休憩した事のあるお土産屋さんやレストランが入った建物を探して走っていたが、見つけられないまま川湯温泉駅近くまで来てしまった。あれだけ大きかった建物を見逃す筈がなく、建物は取り壊されてしまったようである。

川湯温泉駅入り口向かいにレストランを発見し我々はその横にバイクを停める。PM1:10着。上士幌を出て2時間と少々、休憩も取らずトイレにも行かず走ってしまった。駐車場の奥には硫黄山が見えていて白い噴煙が上がっているのが見える。ここで遅い昼食を取る事にし、今後の予定も検討する事にした。


▼知床を諦め根北峠から開陽台へ

食事をしながら携帯で雨雲の動きを確認すると、画面では川湯付近に雨雲は無くなっている筈なのに外では雨粒が落ちている。画面を見ていると我々は雨雲を追いかけて西から東に移動し、そして雨雲に追いついてしまったようである。

しかし、画面を見るとこれから先雨雲がとれて晴れて来る事は確実で、上手くいけば根北峠から開陽台、裏摩周と回って再び川湯に戻ってくるコースが設定出来そうである。この時点で今日の最終目的地であった知床峠は諦める事にした。

しかし、考えた周回コースもウエット路面で走っても楽しくはなく、今出発すれば路面は確実にウエットだから行く価値は無い。今日の宿は網走でここから1時間もあれば行ける筈で、宿に6時に着くとしてここ川湯に5時までに戻ってくればよい事になる

川湯から清里、根北峠、開陽台、裏摩周、緑、川湯と一周するのに2時間チョッと掛かるとすれば、ここ川湯を2時半に出れば5時までに帰ってこられる事になる。今の時間は1時半、路面が乾くのを待つ時間が1時間有る事になる。


▼久しぶりの川湯公衆浴場

そこで川湯温泉に在る公衆浴場に入って路面が乾くのを待つ事になった。この公衆浴場、いかにも温泉場の公衆浴場という感じが私は好きで、以前(7〜8年位前まで)よく立ち寄っていた温泉なのだ。

食事を終え硫黄山の横を通って川湯温泉に向かう。以前公衆浴場の前に立っていた建物が無くなっていて、公衆浴場が道路からよく見えるようになっていて驚いたが、それよりも先に入ったA氏に入浴料が200円だと聞かされて驚いた。

私が最初にここを訪れた時、入浴料は確か100円だった。それが暫くして150円になったのは覚えていたが、200円になってしまったとは・・・。中に入って200円を入れる料金箱を探したが以前有った箱は無く、代わりにおばさんが座っていてまた驚いた。

以前は入浴料を入れる箱だけが置かれ人はいなかったのだが、今日は管理のおばさんがしっかり料金を受け取っている。どうして人がいるようになったのかオバサンにその理由を聞いてみたら、それはあまりにも情けない話であった。

昔からここでは人を置かずに料金を箱に入れてもらうシステムを取っていたが、ある時から料金箱が盗まれるようになってしまい人を置くようになったというのだ。料金を入れずに入浴するのならまだしも、入浴料が入った箱を持ち去るとは情けない世の中になったものだ。

しかし、以前にもそんな話を別の温泉で私は聞いた事があった。それは根北峠の登り口(斜里側)に在る越川温泉の話しで、そこも管理人のいない温泉で料金はコンクリートで固めたドラム缶に入れるようになっていた。そこでも料金箱が持ち去られる事が何回かあって、料金箱を持っていかれないためにコンクリートで固めたドラム缶にしたという。賽銭泥棒みたいな輩は、どこにでもいるようである。

管理のおばさんが言うにはここにいるのは殆どボランテアだそうで、150円を50円値上げしたところでお小遣いにもならないと言っていた。一部の人間の行為により入浴料が50円上がった事を知り、何ともやるせない気持ちになった私であった。

脱衣所で革を脱ぎ何年かぶりに川湯温泉に入る。ここの温泉は少し白濁した硫黄臭のする温泉らしいお湯で大変気持ちが良い。ここのお客さんは地元の人が多くその人達との触合いもまた楽しい。

ここには湯船が二つ有って、少し白濁したお湯の湯船とその右隣に少し温度が低い無色透明のお湯が入った湯船が有るのだが、私はずっと2つの泉質の違う温泉だと思っていた。しかし、それが違っていた事を根室のおじさんから教えられる事になる。

我々が入った直ぐ後からN氏より立派なお腹を持った60歳代と思われるおじさんが入って来た。このおじさん、この公衆浴場に週2〜3回わざわざ根室から来ているらしくこの温泉に詳しかった。

おじさんの話によると、川湯温泉の源泉はこの建物の横にありここが川湯温泉の原点だと言う。ここの温泉は温度が高くそのままでは入れないため、水槽の中を通し泉温を下げてから左の湯船に入れていると言う。その温度を下げるのに使った水槽の水は、温泉の熱をもらってチョッと温めのお湯になりそれを右の湯船に引いているのだと言う。

どうりで右のお湯は無色透明で温泉臭くないと思った。窓の外には大きな熱交換装置の箱が設置されていて、そこからパイプがそれぞれの湯船の繋がっていた。温泉の熱交換装置は芽登温泉でも見たこ事があったが、ここの優れたところは熱を下げた水を再利用しているところで、よりエコロジーな装置になっている。

おじさんとの会話を楽しみ温泉をゆっくりと堪能して温泉から上がる。外の道路を見ると路面は乾いており走るのには問題は無さそうだ。PM2:40、温泉に入ってリフレッシュした我々は根北峠に向かった。

カソリンが少なくなっていたので川湯で入れようと考えたが、後の事を考えると出来るだけ先で入れたいのでこの先の清里で入れることにする。清里には数箇所のGSが有り、休日でも1ヵ所は開いている筈だ。北海道では休日休むGSが多く、読みを間違えると大変な事になるので気を付けたい。















雲の切れ目。西には晴れた空が広がっている。
これから天気は回復し明日も晴れる?


絵になる男&ZX−10R


向うに見えるのが国後で・・・。


裏摩周のパーキング。
バイクは我々の他にブラックバードが一台だけだったが、
観光バスがいて展望台は超満員だった。


摩周湖の霧?は次第に晴れてきて、湖面が見えて来る。
向う岸からは雲が流れてきている。


上の展望台に我々が写真を取れる隙間は無く、
下の看板の前で記念写真を撮る。
▼ハーフウエットの根北峠
清里で無事給油を終えた我々は根北峠に向かう。越川の商店前を通過、ハミ禁の黄線が切れるとアクセル全開で飛び出す。しかし今日の根北峠は、ハーフウエット状態で湿った路面が多くコーナーで思いっきりバイクを倒しアクセルを開ける事が出来ない。

探りながらのコーナーリングにストレスが溜まったまま峠前半の上り区間を終了する。後半のハイスピード区間になっても路面状況は変わらずアクセル全開とはいかなかった。根北峠を走り終え開陽台に向かう道で、私は明日また根北峠を走りたいと考えていた。勿論ドライ路面で・・・。このままストレスの溜まった状態で、秋田に帰るわけにはいかないのだ。


▼開陽台で休憩

根北峠を走り終えた我々は、開陽台まで走り休憩する。今回初めて根北を走ったU氏とN氏は、どこからどこまでが根北峠なのかよく分からなかったようだったので一応説明しておく。明日の本番に向けてよく頭に入れておくように。

U氏とN氏は開陽台も初めてで、ベテランのA氏から景色の説明を受けていた。到着した時は頭上に雲が掛かっていたが、その後雲が東に移動し日が差してくる。これから向かう裏摩周方向も雲が取れて晴れているのが確認出来た。


▼裏摩周まで20分

開陽台を出て直ぐ養老牛方向に右折する交差点に警察の方が立っていた。別に止められる事もしていないので、私は普通に交差点を曲がって養老牛に向かったのだが、条件反射的にブレーキを掛けたライダーがいたかどうかは確認出来なかった。

裏摩周湖手前に在る清里峠は高速の峠で一気に駆け上るのだが、GSX-Rで走った今回の清里峠はあっという間で、今までの最短時間記録を更新したかもしれない。パワーの有る者が偉い清里峠であった。

裏摩周湖に上る短いワインディングを楽しみ、展望台のパーキングにバイクを停める。我々の少し前に観光バスが到着していたようで大勢の観光客がウロウロしている。

摩周湖を見るのが初めてのU氏(霧の摩周湖は経験済み)&N氏は、霧で摩周湖が見えない事を心配しながら展望台に登って行くと、展望台から下りて来た観光バスの運転手さんが幻想的に見えていると教えてくれる。展望台に上がって見ると観光客がいっぱいで湖面を見るのも大変な状態で、看板の前で写真を取る事など到底無理な状況だった。

引率の旅行会社のガイドさんは、我々が写真を取れない事に恐縮して頭を下げ続けていたが、当のバスの客たちは他人の事など気にする様子もなく我先に看板の前で写真を撮っていた。当分看板の前が空きそうもないので、我々は下の看板の前で写真を撮って裏摩周を後にする。


▼GSX-R初ゴケ?

パーキングを出て下りのワインディングを楽しみ、清里峠に出て今度は緑に向かって下って行く。途中に神の子池が有るこの道は、養老牛側の高速ステージと違って中速のワインディングコーナーが続きそれなりのスピードで走ると大変楽しい。

緑の駅の前を通過し国道391号に出る為に左折、踏切を渡って2時間程前に通った道に出て左折国道391号に向かう。我々は1台の車に追い着いた状態で国道391号の一時停止に出た。右方向から車が1台来ていて私はその車を見ながらゆっくりと進んでいた。

その車は我々のいる道に曲がって来て、私はその車を見切って視線を前の車に移す。すると前の車は私の目の前で止まっているではないか。私は反射的にブレーキを掛けてしまった。ステアリングが少し左に切れた状態で急ブレーキを掛けられGSX−Rは、ゆっくりと左に傾いていく。

反射的に左足を出した私は、両手で左右のハンドルを握ってGSX−Rが倒れるの食止めたところまでは良かったが、45度以上傾斜したGSX−Rを引き起こす力は私には無かった。引き起こす事も出来ず、まして倒す事も許されない状態で私はフリーズしてしまったのである。

私がこの状態から抜け出す方法は二つあった。一つはGSX−Rを静かに地面に置いてから体勢を立て直しバイクを起こす。そしてもう一つは、この状態を維持して誰かが助けに来てくれるのを待つ方法であった。

GSX−Rに傷を付けたくなかった私は当然後者の方法を選択したわけで、私はこんしんの力をふりしぼって助けの来るのを待った。私の状況を見たA氏は直ぐに助けに来てくれたのだが、それまでの時間の長く感じた事。私の持ち堪えた時間は十秒も無かったと思うが、その時間が何十秒にも感じてしまった。

こうしてA氏の力を借りてバイクを立て直す事が出来た私は、GSX−R最大の危機を乗り切る事が出来たのである。持つべきものは仲間ですな。本当にありがとうございました。

野上峠を越えた我々は、川湯の手前から藻琴山に駆け上がって行く。すると次第に霧が出てきて視界が悪くなり眼下に見える筈の屈斜路湖が全く見えなくなってしまった。屈斜路湖を見下ろせるパーキングで湖を眺めながらの休憩を考えたいた私だが、何も見えないのでは致し方なく止まらずに網走を目指す。


▼熱々カップルドライバー

藻琴山への登り口を過ぎると道は下りになるのだが、道路中央には黄線がビッタシ引かれていて追い越しは不可の道であった。我々は霧で見通しが効かない事もあってゆっくりとしたペースで走っていたが、一台の車に追い着いてしまった。

リヤウインドー越しに見える車内には、若い男女の後姿が見えていて時々横を向きながら会話は弾んでいる様子だ。ドライバーは我々が後に着いている事など関知しない感じで走っている。暫く走ると標高が下がり霧もはれ見通しが効くようになたっが、相変わらず道路中央には黄線が引かれていて我々は車の後ろに着いて走っていた。

最近、黄線が白線に変わった所が多くなったと前に書いたが、ここは昔と変わらず黄線のままだった。私も前の車に接近したり離れたりしてドライバーに我々の存在をアピールしてみたのだが、ドライバーの興味は隣の女性に有るようで最後まで我々を前に出してくれる事はなかった。だからと言ってそのドライバーにどうこう言うつもりはさらさら無いが、我々は結構長い時間彼らの後ろで時間を過ごしてしまったのである。

道が平らになった所で黄線が白線に変わり、彼らに我々の存在をアピールするかのように一気に加速した我々は、東藻琴を通過藻琴で国道244号に出る。日も落ちて辺りは暗くなっていたが、ここまで来れば今夜の宿(網走)アニマの里は目と鼻の先だ。


▼北海道を走るライダーの友

明日の事を考え少なくなったガソリンを給油するためGSに立ち寄る。GSのスタッフの方に虫取り剤の入ったスプレーがないか聞いてみたら、四角くたたんだ布切れを渡される。この布には虫取り剤が浸み込ませてあって、ヘルメットにこびり付いた虫が面白いように取れた。

北海道のGSには虫取りスプレーが必ず置いて有るのだが、このような虫取りクロスを見たのは初めてである。このクロス、北海道を走るライダー達には重宝するアイテムだと思う。しかし、どこで手に入るのかを聞くのを忘れてしまった。

網走駅隣のコンビニに立ち寄った後、6時少し前アニマの里に到着する。辺りはすっかり暗くなっていたが、微かなランプの明かりを頼りにサイドスタンドの下に敷く石や空き缶を探してバイクを固定をする。

毎年サイドスタンド用の敷物を探すのに苦労するので、旦那にそれ用の板を用意してくれるように毎年言おうと思うのだが、アニマの里の玄関に行き旦那の顔を見た途端、言うのを忘れてしまうのは 何故だ!

荷物を持って玄関に行きブーツを脱いだりしてガタガタしていたら、旦那が出て来て1年ぶりの挨拶を交わす。部屋はいつもの奥のロフト付きの部屋だと思ったら、奥から一つ手前の部屋だった。

奥の部屋と同じ間取りの部屋なのだが、部屋の配置が左右逆で戸惑ってしまった。人間1年も前の事でも結構身に付いているもので、左右が入れ替わっただけで何かい居心地がよろしくない感じだ。最も30分もしたら慣れて違和感は無くなっていたのだが。


アニマの里の夕食はボリューム満点


お約束のホッケの開き。


支笏湖で親子と呼ばれた二人のツーショット。




注目すべきはN氏の高さではなく、
後ろに立っているオバさん達で、後日また
違う場所で会う事になろうとは・・・。



食休み中。



いつもの酒宴中。右手の彼は昨年もいた関東の人。
昨日の夜は八幡平の大沼で飲んでいたらしい?
▼いつもの献立の夕食
二人づつお風呂に入った後、食堂に行って夕食になった。テーブルに並んだ料理はいつものメニューで私にとって特に変わった物は並んではいないが、このいつもの料理を私は食べたいのである。一年ぶりに食べる料理は、おふくろの味ではないが何故か懐かしく美味しい。

初めてここの夕食を食べたU氏&N氏は、テーブルいっぱいに並んだ地物の素材で作られた料理に私とは別の意味で感激していた。しかし、彼らがまたここを訪れた時、私と同じように同じ料理が並んでいるのを見て感激するはずだ。この料理が食べたかったのだと・・・。

大きなホッケの開きが出てきてデザートのメロンが運ばれてくると食事は終わりに近づくのだが、ここでお櫃のお変わりをお願いする事になった。お櫃の中のご飯を綺麗に片付けているN氏の顔に何か寂しそうなものを感じた私は、お櫃のお変わりを旦那にお願いする。N氏は遠慮して言えなかったようだが、アニマの里でFUNKYがお櫃のお変わりをするのは珍しい事ではなく、以前に何回もの実績を持っており遠慮する事はないのだ。

▼幻のアイスの行方

私は何年か前にここのデザートとして食べたソフトクリームが忘れられなくて旦那にそのソフトの事を聞いてみた。旦那によると最初は結構売れていたソフトも次第に採算が合わなくなって今は営業を止めてしまったらしい。使っていたイタリア製の機械は運良く買ってくれるところが有って売れたらしいのだが、その機械が何処に行ったかは知らないと言う。

そのイタリア製の機械は、国産の機械が100万円位なのに対し250万円位するらしく独特な食感が特色であったようだ。あの食感は今年のプチ北海道のクレイルチーズで食べたソフトアイスと同じであったので、クレイルチーズの機械はイタリア製であったかもしれない。

ここでは食べられなくなったソフトクリームだが、ソフトの原料は白滝で作られているらしく、白滝の道の駅に行けば食べられる筈だと教えてくれた。来年は白滝に行ってソフトを食べるコースを設定しなければなるまい。


▼そして毎年のパターンへ

食後、談話室に場所を移して食休み。他の泊り客の人達は車で女満別に在るという温泉施設に行くようだ。そこの温泉はこの辺りでは珍しい色の付いた温泉だそうで人気が有るとの事だが、我々には温泉に行く足が無く諦めざるをえない。最もバイクで行けない事もないのだが、夜道をバイクで温泉に行っても、帰りに風邪を引くのが落ち。こんな時は羽幌・吉里吉里の温泉送迎システムが便利なのだが、ここから女満別は少し遠いから難しいかも。

食事の後片付けも一段落したのか旦那がアルコールを持って談話室やって来る。私が秋田から持って来た由利正宗も加わっていつもの宴会?が始まる。今回はメンバーの話や今年の農作物の出来の話等で会話が弾む。

そうこうしている内に先ほど温泉に行っていた人達が帰って来た。その中に昨晩八幡平の大沼で飲んでいたという御仁がいた。彼は大沼を朝の3時頃?に出てフェリーと高速を使って網走まで車で走って来たと言うのだが、いかに高速を使ったとはいえ、私にはにわかには信じれなかった。

その彼も加わって話は盛り上がっていくのだが、私はこの彼に見覚えが有るような気がしていた。そして彼の職業を聞いてそれは確信に変わった。確かに以前ここで話した事が有る男だ。しかし、いつだったかが思い出せない。

旦那が昨年も同じ頃来ていただろうと彼に行ったが、彼は我々(昨年は私とA氏)の事を覚えていなかった。私は思い出した。彼は昨年この場所で今日と同じ場所に座って礼文島のユースホステルの話で盛り上がっていた御仁に違いなかった。

彼は明日、女満別空港に奥さんとおふくろさんを迎えに行くのだという。彼もアニマの里のリピーターで10年以上前から来ているらしい。アニマの里の宿泊客の半分はリピーターだという。このような宿はホテルや大きな旅館と違って立派な施設や豪華な料理は用意出来ないから、別なところで勝負しなければならずリピーターを増やすのは大変らしいのだが、ここアニマの里は着実にリピーターを増やしているようだ。

最近は東京からの格安旅行パックが沢山有って、大きなホテル等に泊まるパックでも交通費等も含めた旅行代金は民宿に泊まるより安くなるというから、民宿も安さだけではお客は来てくれない状況らしい。

そんな中、アニマの里は何とか宿泊客を増やしているというから大したものである。私が毎年ここに宿泊する理由は、旦那と奥様の人柄や居心地の良さ等が上げられるが、本当のところはよく分からない。

それは都会に就職した人が、お盆や正月に田舎の実家に帰る感覚に似ているかもしれない。日頃の仕事から解放され勝手知ったる家で気兼ね無く寛ぎ、そして家族との会話や懐かしい食事を楽しむ。私がこの宿に着いた時、「ただいま。」と言ってしまいそうになるのはそのためなのかもしれない。

私が毎年北海道の計画を立てる時、アニマの里と幌加温泉に泊まる前提で計画を立てるのは、もうお約束となっているのだ。

明日の事もあり我々は早めに部屋に戻り床に着いたのだが、旦那と彼との会話は続いていた。

我々4人が同じ部屋で寝るのは今回が初めてでどのような展開になるのか危惧していたのだが、それほどの事はなかった。下のフロアーにN氏、上のロフトには奧からU氏、私、A氏の並びで就寝する。

寝付きの良いA氏は横になって直ぐに寝息を立て始め私は彼の枕を動かしたりしていたのだが、今日の疲れも有ったのだろういつしか私も眠りに着いていた。下のフロアーでも遠くミュージックが奏でられていたが、それは耳に装着した器具で子守唄に変わっていた。


▼第4日目の予定

ここで明日の予定を発表しておこう。明日は天気が良さそうだし、当初の道北知駒峠に行く予定をを変更し今日雨で行けなかった知床にいく事にした。羅臼に行く途中今日おもいっきり走れなった根北峠を走れるし、羅臼から知床峠への上りの道も楽しみだ。

ウトロから斜里、川湯と走って屈斜路湖から津別峠に上り、その後津別に出て陸別から置戸、鹿の子、芽登、糠平と走って明日の宿幌加温泉に行く予定である。楽しみなスペシャルステージが目白押しのコースとなっている。
 第4日目