コース
秋田⇒広域農道⇒協和⇒角館⇒仙岩トンネル⇒雫石⇒網張⇒小岩井⇒滝沢⇒外山ダム⇒

岩洞湖⇒岩泉⇒安家⇒山根⇒山形町小国⇒山形町霜畑⇒山形町川井沼袋⇒平庭高原 ⇒

袖山高原 昼食⇒葛巻⇒九戸IC⇒八戸道⇒浄法寺⇒田代平高原⇒松尾八幡平 GS⇒

松川温泉 松楓荘 入浴⇒八幡平樹海ライン⇒八幡平アスピーデライン⇒国道341号⇒

玉川ダム⇒田沢⇒角館⇒協和⇒広域農道⇒モト ワークス ヒラタ 走行距離 581km



思わぬ参加者

 ツーリングの前日、以前FUNKYで走っていたメンバーが関東から修理していたバイクを取りに来ていて、其の日は秋田市に泊まり翌日帰ると言うので、私はFUNKYツーリングに途中まで参加するよう誘ってみた。誘われると断れない性格の彼は、結局我々と共に秋田を発って東北道の滝沢ICまで一緒に走り、そこから関東方面に向かう事になったのである。

 前回のツーリングで寝坊してしまった私は、いつもはPM12:00頃寝るのを今回はPM11:00には床に着いて翌日のツーリングに備えたのだが、なかなか寝付かれなかったにも関わらずAM4:00には目が覚めてしまった。慣れない事はするものではないと後悔したのだが、ここでもう一寝しまうと寝過ごす可能性が高く、起きる事にした。

 今の時期AM4:00でも外は薄明るくなっていて私は少し驚いてしまったが、空の様子を伺うと曇ってはいたが雲は高く雨具の出番は無さそうである。予報でも今日走る予定の秋田・岩手地域の降水確率は低く、気温も20度を越えそうだから、久しぶりに雨具を着ないツーリングになりそうである。

 私は5時半に店に到着してしまったのだが、当然誰も居なかった。私がいつものようにバイクを出して出発の準備をしていると、最初に現れたのは関東の彼だった。今回彼がライディングするバイクは SUZUKI GSF1200 のネイキッドバイクで、本人は風当たりが強い?ので最後尾を走ると言う。

 彼が充分前を走れる実力を持っているのは分かっているが、6年ぶりに参加という事もあり今回は最後尾で自由に走ってもらう事にした。出発時間までにGSX−R750とGSX−R1000(ブルー)が到着して、今回のツーリングは4台のSUZUKI車で秋田市を出発する事になったのである。



METZELER SPORTEC M5 INTERACT

METZELER SPORTEC M5INTERACT


 今回私はリヤタイヤに METZELER SPORTEC M5 INTERACT 190/55ZR17 のNEWタイヤを履いて来たのだが、FUNKYでこのタイヤを履くのは私が最初で、この M5 がどんなパフォーマンスを見せるか今回のツーリングでその実力の程が明らかにされる筈である。

 現在、FUNKYで主に使用されているタイヤは、昨年日本で発売された MICHELIN POWER PURE で、ハンドリング、耐磨耗性の良さからが現在FUNKYの主流になっている。しかし今年の春、昨年ヨーロッパで発売された SPORTEC M5 が日本で発売となり、新し物好きの私は今回 M5 を試してみる事にしたのである。

 長い距離を走りながらもコーナーのグリップ力も要求するFUNKYの使用状況から、タイヤは中央部の耐摩耗性とサイドのグリップ力を求められるのだが、その相容れない要求を初めて具現化したのが、中央部が硬くサイド柔らかいコンバウンドを採用した ミシュラン Pilot Power 2ct だった。

 今ではどのメーカーからも出ている2コンパウドタイヤだが、2ctが発売された当時これはFUNKYの為のタイヤだと私は感動したものだった。その後継モデルの POWER PURE は、センター部のコンパウンドをより硬くして耐久性を上げ、サイドのコンパウンドも見直しグリップ力を上げるとともにソフト部の面積を広げている。FUNKYの使用実績で、使用距離が2ctより10%以上伸びているのが確認されている。

 FUNKYでの使用タイヤの歴史を顧みると、リッターバイク中心になってからはミシュランとメッツラーが主に使われていて(国産タイヤは耐磨耗性が低くFUNKYでの使用に合わない)、POWER PURE が発売されてからはミシュランが主流になっている。

 POWER PURE の発売から一年遅れて発売されたメッツラーの SPORTEC M5 INTERACT は、当然 POWER PURE を研究して発売されている筈で、M5の実力がとれ程の物なのか私は以前から興味が有ったのだが、FUNKYの中でNEWタイヤの性能を確認するは私の役目で、今回私が初めてM5を履いてみる事にしたのである。

 今回のツーリングをスタートする時点で私のGSX−Rに履いたM5は真っ新な状態で、私はバンク角を変えながら皮剥きを行い、慎重に走り始める。 秋田中央IC横の定常アールでタイヤサイドを当て、其の先のワインディングで意識的にバイクを倒してタイヤを温めた私は、協和荒川に向かう広域農道に入ってスロットル開度を大きくしてみる。

 私のM5の初印象は、PWORE PURE に比較すると立ちが強い感じで、バイクに常に起きようとする力が働いていて安定感が無く、常にバランスを取らなければならない結構疲れるタイヤと云うものだった。私がタイヤのインプレッションに気を取られて走っていたら角館のいつものドライブインに到着、休憩を取る事にする。



思い出のドライブイン


角館の手前に在るドライブイン到着。

 FUNKYにはこの角館のドライブンに多くの思い出が有るのだが、GSFの彼にも過去に印象に残る出来事が有った。実はGSFの彼は今回走っているGSX−R1000(ブルー)の前オーナーで、そのGSX−Rブルーに乗って初のFUNKYツーリングでの帰り、このドライブインでドラマが起きたのである。

 彼はその日途中(八幡平ICのGSから)からツーリングに参加、このドライブインにGSX−Rを止めたのだが、再びエンジンを掛けようとした時エンジンは目覚めなかった。購入して間もない新車で使用状況から機械的に壊れた事は考えられず、電気的なトラブルと思われた。

 差し当たり出来る事を全て行ったがエンジンは反応せず、結局バイクとライダーを置いて秋田市から軽トラで引き上げに来る事になったのだが、GSFの彼はその間人気の無いこのドライブインで一人で待つ事になったである。


今回も全車SUZUKI車でした。

 闇に包まれたこの無人ドライブインで彼は2時間近く一人で過ごしたのだが、彼は今回その時の事を思い出しているようでした。軽トラで引き上げに行った私の思い出としては、彼を軽トラの助手席に乗せるのに苦労した事が印象に残っていて、あちこちに体がぶつかってなかなか助手席に体が納まらなかったのだ。最終的に彼をシートに座らせる事は出来たのだが、ヘルメットが納まらず荷台に放置プレイになったのを覚えている。

 GSX−R1000(ブルー)の前オーナーと現オーナーの会話は弾んでいたが、我々は角館を発って岩手県に向かう。ドライブインを出て直ぐに我々は角館バイパスに入ったのだが、GSFの彼が以前(6年ぶり)走った時はこのバイパスは無かった筈で、彼は時の流れを感じて走っていたのではなかろうか・・・。

 仙岩トンネル抜け岩手県に入った我々は、雫石の道の駅にバイクを停める。道の駅のパーキングンには沢山(20台位?)の岩手県ナンバーのバイクが停まっていて、ライダーが我々の方に視線を送って来る。



岩手県のバイカー


道の駅 雫石

 ここは岩手県だから岩手ナンバーが多いのは当然だが、東北・北三県を走っている我々の印象では、岩手ナンバーをよく見掛ける印象がある。それは秋田県内を走っていても感じるのだが、岩手県では高校の通学にバイクを使用する事が結構認められていると聞くから、高校の三ナイ運動が徹底している秋田県と違って岩手県民の二輪に対する接し方に違いが有るのかもしれません。

 最近出先で見掛けるバイクの大半がハーレーみたいな事も珍しくは無いのだが、今日停まっているバイクの殆どが国産車で私は何か好感?を持ってしまいました。カウル付きやネイキッドやアメリカン等の国産バイクが沢山並んでいて、カラフルなライディングウエアーを身に纏ったライダーさん達が楽しそうに会話を交わしておりました。

 昔はカラフルなウエアーや我々みたいにレザーウエアー着たライダーの姿が彼方此方で見られたものだが、最近は黒系のウエアーやシックな色合いのウエアーが多い傾向に有り、私はカラフルだった昔?を思い出して何か懐かしかった。それは偶々昔のウエアーを着たリターンライダーが多いグールプだったのかもしれないのだが、ハーレーや旧車ばかりがやたらに目に付く秋田県とは一味違う岩手県のグループでした。

 我々はこれからここ雫石から網張高原に上がって小岩井に下り、東北道の滝沢ICまで走ってそこでGSFとお別れする予定にしていて、そこからGSFの彼は東北道を南下、我々は早坂高原を抜けて岩泉を目指す。



網張・小岩井・滝沢

 道の駅 雫石 を出た我々は、国道45号から左に入って雫石スキー場方面に向かう。いつもは正面にドォーンと岩手山が見えているのだが、今日は山頂部に雲が掛かっていて山全体は見えていない。我々は、玄武温泉前を通過して網張高原に上って行く高速ワインディングロードに入る。

 ここは最初大きなRを描く長い左コーナーから始まるのだが、左側がズゥーッとブラインドで先が読めず探りながらのスロットルワークが要求される。先が見えた所でスロットルを開けるが、リアの SPORTEC M5 が高速コーナーでどんな動を見せるのかを探りながら慎重にスロットルを操作する。

 その昔250や400ccで走っていた頃は長く感じた岩手高原スノーパークまでの道も、GSX−Rでは直ぐに終点のT字路に到着してしまった。ここで気を付けなければいけないのはT字路手前の左のブラインドコーナーで、調子に乗ってブラインドコーナーに入って行くとコーナーの先にT字路の一時停止が待ち受けていますのでお気を付け下さい。とにかく左のブラインドコーナーはスピードを抑えて探りながら進入するようにしましょう。

 T字路を右折すると道は上下にうねりながら一気に小岩井に向かって下って行く。その先には大きな右コーナーが待ち受けているのだが、この私の大好きな右コーナーが最近路面が荒れていて楽しめなくなったのは大変残念な事ではある。

 小岩井農場への道を外れ滝沢へ向かう道に入った我々は、赤松の林の中のワインディングロードを抜けて国道262号に出て右折、いつもはその先の信号を左折して滝沢駅に向かうのだが、今日はその一つ先の国道4号に出て左折し東北道滝沢ICに向かう。ICの料金所手前のパーキングにバイクを止めた我々はGSFと別れを惜しんだ後、彼は500km?先を目指して東北道を南下、我々は450km先の秋田市を目指して走り出す。


早坂高原への道

 滝沢ICからいつもの県道16号に戻るには、岩手県立大学に出てから向かうのが良さそうだったので、私は国道4号に戻って青森方向に向かう。以前私は国道4号から県立大学に行った事が有って道順には自信が有ったのだが、間違えて右折すべき信号の一つ手前に在る信号の右折車線に入ってしまった。

 信号の停止線に止まった時その間違いに気付いた私だったが、左側の車線は車がビュンビュン走っており今更戻る事は難しい状況だった。私が曲がろうとしている道は一応中央車線の有る二車線路で、何とかなるだろうと考えた私はそのまま右折する事にした。

 ところがである。最初は二車線有った道は下りながら次第に狭くなり仕舞いには中央線の無い畑の中を走る田舎道になってしまったのである。辛うじて舗装はされていたが、「下手をすると行き止まり?」 と考え始めた時、前方に県道16号と思しき道が見えて来て、正直 ホッ としましたね。

 私の場合、成り行きで思わぬ道に這い込む事は多々有るのだが、今回はUターンする事無く予定の道に出る事が出来て良かったです。無事県道16号に出た我々は、滝沢駅前を通過して岩洞湖のレストハウスを目指す。国道455号に入って外山ダムへ上って行くと、道は細かいワインディングになるのだが、ここは交通量も多く我々は車の後に着いて上って行く。

 例年だとこの道で走り屋さんとよくすれ違うのだが、今日はそれらしきバイクと会う事無く外山ダムに到着する。ここから先はは道幅も広くなり見通しも良くなるので、私は車の前に出てペースを上げて走ってみたのだが、やはり SPORTEC M5 のハンドリングに慣れず探りながらの走りになってしまった。

 岩洞湖レストハウス前のパーキングで休憩を取る為パーキングにバイクを入れると、いつもの定位置に走り屋さん達のバイクが停まっており、私はそこから少し離れた入口付近にバイクを止める事にした。





岩洞湖付近は新緑の季節でした。
※ タンポポも咲いていました。



 走り屋さんのバイクは4〜5台?停まっていたのだが、その中の赤いバイクに私は見覚えが有った。それは昨年外山ダムへの上りですれ違ったバイクで、その以前にも何度か見た事が有る 高級?DUCATI であった。


PIRELLI DRAGON SUPERCORSA PRO 
コンパウンS2 の表面

 
 PIRElLI DIABLO SUPERCORSA を装着した赤いDUCATIのリヤタイヤは、端まで綺麗に使われていてその走りを窺い知る事が出来たのだが、毎年お見かけするこのバイクのオーナーさんは、岩洞湖の主と呼ばれている人なのかもしれません。

 タイヤを見て一つ気になったのがDUCATIのリヤタイヤの表面がスベスベしていた事で、以前GSX−R1000(ブルー)がレーシングラジアル (PIRELLI DRAGON SUPERCORSA PRO コンパウンS2)を履いてこの道を走った時とタイヤ表面の趣が異なっていた。

 しかし、DUCATIの履いていたタイヤが PIRELLI DIABLO SUPERCORSA ではなく PIRELLI DIABLO SUPERCORSA SP だったとしたらスベスベも有りなのかな・・・!?


生乳?ソフト 250円 

 外の売店に貼られていた生乳ソフトの文字に釣られて私はソフトを買おうと売店に行ったのだが、中には誰もいなかった。レストハウスに行って人を呼んで来て作ってもらったソフトクリーム(250円)だったが、食べてみたら普通?のソフトクリームだった。生乳ソフトの定義がどんなものなのかは知らないが、食べたソフトクリームは私の想像していた生乳ソフトのイメージではありませんでしたね。

 休憩を終えた我々は早坂高原に向かって走り始めるが、車が結構走っていてそれなりの走りになってしまった。しかし、私は1年ぶりの道を楽しみ早坂トンネルを抜け川沿いのワインディングロードも楽しんだ後、国道455号と国道340号の共用区間に入り、小川に在るいつものミナカワ石油にバイクを入れる。



7か月ぶり

 バイクを止めるといつも御兄さんが出て来て私の顔を見てニッコリと笑う。私は 「お久しぶりです。」 と挨拶を交わすが、今回は昨年の10月以来だから7カ月ぶり(いつもは1年ぶり)でしたので、まだ記憶が新しく直ぐ分かったようです。

 私のGSX−Rのタンクには、200km位走って12L強のガソリンが入り、燃費は16km/Lとまぁまぁでした。ローギアを使った走りを殆どしなかったので高燃費になったようです。

 給油後、我々はいつものようにドリップコーヒーをご馳走になりながら休憩を取り、これから向かう岩泉・安家・平庭高原・袖山高原に備える。



1時間半の一気走り


安家の陸橋手前で小休止

 休憩を終え小川を出た我々は、国道455号で岩泉に向かい、岩泉で県道7号に入って安家を目指す。岩泉と安家の間にはそこそこ楽しめる峠が在って、我々は少しスロットルを開いて楽しんだ後、安家の集落を見下ろせる陸橋の手前にバイクを止める。

 すると安家洞の方からバイクの集団(10台位?のツアーラーやアメリカン、オフ車等雑多なグループ)がやって来て岩泉方向に走り去って行った。彼らが何処から来たのかは分からないが、車種構成からして袖山高原(途中砂利道が有る)や鈴峠では無さそうである。

 実はこの安家という場所は県道7号と県道202号が交わる交通の要所で、此処から安家川沿いに三陸海岸にも出られるし袖山高原にも出られる。また、鈴峠(未舗装林道状態)を越えて葛巻方面にも行けるし奥岩泉隧道を抜けて小川(道は狭いが全舗装)にも出る事が出来るのだ。



後続待ちです。
後から来る人に休憩時間は有りません。

 我々の次の目的地は昼食を取る予定の袖山高原になるのだが、実は袖山高原へは安家から安家川沿いに遡ると最短の道が存在する。しかし、舗装されていない箇所が有る為、我々は山形町を経て平庭高原経由で袖山高原に向かうのである。

 実は県道7号久慈市山根町から県道29号で山形町霜畑に出て遠別川沿いに北上し国道261号久慈市山形町川井に出るルートは、FUNKYが初めて走るルートで、私は途中に在る卯坂峠(ウサカ)と角掛峠(ツノカケ)の二つの峠を楽しみにしていた。

 山根までの道は昨年も走っており順調に走りを進めた我々は、初めて走る県道29号に右折する。県道29号は小さな集落が点在する川沿いの田舎道で、所々に渓流釣りの車が停まっていたりしていて、私はそれらに注意しながらゆっくと走を進めると、道は川から離れ卯坂峠に向かう上りの道へ変わっていく。

 峠への道は道幅も広く路面もそこそこ良く、GSX−Rのスロットルは次第に開いていったのだが、我々はアッという間に峠を越えて小国の集落に到着してしまった。もう少し楽しみたかったところだが、標高差の少ない小さな峠なので致し方あるまい。私は次の角掛峠に期待して先に進んだのだが、角掛峠は峠と云える程の高低差も距離も無く、よく分からない内に霜畑に到着してしまった。

 結局、この県道29号で楽しめたのは卯坂峠だけだったが、あまりにもその時間が少な過ぎ走り目的でこの道を訪れるのは暫く無いかもしれません。
霜畑から国道261号に出た我々は、道の駅 やまがた の前を通過、平庭高原に上る高速上りに向かう。

 平庭高原への上りには登坂車線が有って、車に影響され難い状況下で走れる楽しい道だが、今日は全くと言って良いほど車の姿が無く、我々は深いバンクを味わいながら走りを楽しみ、シェルターを抜けて白樺の森へと入り込んで行く。

 平庭高原は白樺の森で有名なのだが、国道261号のシェルターからキャンプ場入口(お店やパーキングが在る)までの区間は深い白樺の森の中を走るワインディングロードで、走りながらマイナスイオンを満喫出来る貴重な道でもある。

 今日の我々は、新緑の若葉から差し込む木漏れ日を浴びながら右に左にバイクをバンクさせて、至福の時間を過ごさせていただきました。白樺の森と云えば私は北海道大雪山系三国峠下の白樺の森を思い浮かべるのだが、平庭高原の白樺の森もそれに負けず劣らず、良い雰囲気を持った白樺の森だと思います。

 平庭高原を下った我々は袖山高原に向かい、国道261号と別れ森のそば屋前を通過する。今日の森のそば屋さんのパーキングにはそこそこ車が停まっていて、昨年訪れた時よりお客さんの姿が沢山見られ私は安心?しました。


今日の袖山高原は見通しが悪く、
岩手山も八幡平も見えていませんでした。

 そして袖山高原への上りが始まった。この道は道幅は広くはないのだが、クルッと回って直線、クルッと回ってチョッと長い直線、クルッと回って長ぁーい直線、が絶妙に混ざり合った楽しい道で、私の好きな道の一つである。

 この道の特徴としては、コーナーを抜けた先が直線の場合が多く先が見えた段階でスロットルを大きく開けられる為、コーナーの出口に黒い線を描き易い特徴がある。最後尾を走っていたGSX−R750の証言によると、コーナーの出口毎に黒い線が二本残されていたとの事でした。

 袖山高原の上りも終盤を向かえた頃、我々の前に一台のバイク(ゴールドウイング?)と一台のトライクが現れた。トライクは結構大きな排気量のようで元気良く坂道を登っていたが、我々のペースとは合わず一気に追い越して前の出る。


今日はこのレストハウスで焼肉です。

 我々は今日 レストハウス袖山高原 で昼食を予定していて、レストハウスのパーキングに行ったのだが、そこには沢山(4〜5台)のトライクが停まっていた。先ほど追い越したトライクのお仲間のようで、トライク愛好家さんのグループ(年代は50歳代?)のようでした。

 我々がバイクを停めると先ほど追い越した方(ゴールドウインの人?)が話掛けて来て

 「速かったですね!?」

 何がどう速かったのかは聞かなかったが、バイクが違うのだがら速さが違うのは当たり前で、私は恐縮してしまいました。彼らもここで昼食を取るようで、我々より一足先にレストハウスに入って行ったが、以後彼らと会話を交わす事は無かったのであります。しかし、その後我々は一台のトライクと関わりを持つ事にはなるのだが・・・。

 我々は小川のGSを出てから約1時間半の一気走りでここ袖山高原に到着したのだが、私はバイクから下りると久しぶりに膝が痛かった。他のメンバーも同様に膝を痛がっていたのだが、特にこの1時間半の間一度も休憩を取らずに走ったGSX−R750(1000ccの二人は四度ほど小休止した)は大変だったと思う。しかし、750は弱音も吐かずケロッとしてしていて、750のスタミナには感服するものが有る。



レストハウス袖山高原 の焼肉


三種盛り(三〜四人分) 3,300円

 我々もトライク軍団に遅れてレストハウスに行き、前回(2006年)訪れた時に座った小上がりの一番奥のテーブルに席を取る。焼肉メニューに目を通すが、前回食べた 牛焼肉食べ放題 1200円 はメニュー落ちしているようで、我々はジンギスカンからステーキまである沢山のメニューの中から三種盛り(牛カルビ 200g、フランス鴨モモ 200g、ラム骨付ロース 4本)と、ご飯、味噌汁をオーダーする。

 運ばれて来たお肉は、冷凍庫から出されたばかりの物のようでまだ凍っている状態であった。その為か?今話題の O−〇〇〇 とかと云う大腸菌対策の焼き箸は付いていらず、我々は自分自身の箸で肉を焼く。

 今回の食中毒事件が起きるまで焼き箸と食べる箸を分ける事に無頓着だった私だが、一度そんな話を聞いていしまうと気になってしまう小心者の私でした。

 スタッフさんから ラム骨付ロース は良く焼いてから食べるように指示された我々は、 ラム骨付ロース を最初に鉄板の上にのせて置いたのだが、ラム骨付ロース はなかなか食べられる状態にならなかった。他の肉を全部食べ終えた時点でもまだ内部は焼けておらず、我々はラム骨付ロースの焼きに集中する。

 そして何とか内部まで火を通して食べた ラム骨付ロース は結構美味かった。出来れば解凍してから出してもらいたいとは思うが・・・。



ストーカー?

 食事を終えた我々が外に出ると、先に出ていたトライク軍団が出発の準備をしていた。彼らの後から出てしまうとまた追い越しをしなければならなくなる為、私は急いで仕度をして彼らが出る前にレストハウスを出発したのだが、彼らも我々に続いて出発したようだった。

 私は袖山高原からの下りも結構好きで前方に集中して下ってしまったのだが、私の後方では一つのドラマが繰り広げられていた事を後に聞く事になる。

 聞いたドラマの内容はこうだ。前の二台から離れて走行していたGSX−R750の後ろに、例のトライク軍団の中から抜け出した1台のトライクがピタリと着いたのだという。下りのコーナーが苦手な750は、直線ではトライクを引き離すもののコーナーでつめられ、結局国道261号に出るまでその攻防は続いたのだという。

 例年FUNKYは袖山高原から葛巻に出てそのまま国道261号を使って八幡平に向うのだが、今回は高速無料化実験が6月19日で終わるというので八戸道が無料の内に一度走っておこうという事になり、九戸ICから八戸道にのり浄法寺ICまで行って八幡平に向かう事にしていた。

 その為我々は国道261号から九戸ICに向かう国道340号へ右折したのだが、後ろにいたトライク軍団の中から先ほど後ろに着いて来ていたトライク1台だけが我々の後を追うように右折したのがミラーに写った。 何故1台だけ? その理由は分からないが、我々はスロットルを開けて先を急ぐ。

 袖山高原の下りではトライクの追撃に手を焼いた750だったが、このスチエーションではトライクの姿は直ぐにミラーの中から消えて行くのでありました。

 それにしてもあのトライクの彼は何故750を追尾して来たのだろうか? 追い掛けるのに丁度良いスピードだったのは確かだが、750の後姿にトライクを引き付ける何かが有ったのかもしれません?

 九戸ICから八戸道に乗った我々は浄法寺ICに向かって高速道を走ったのだが、だらだらと車と一緒に走る高速道は全然楽しくなかった。FUNKYは下道を走らないと楽しく感じない体質になっているようです。

 

田代平高原


七時雨山登山口のパーキング

 浄法寺ICで八戸道を下り(ここまでが無料化実験区間)た我々は県道6号を安代方向に向かい、安代の手前から田代平高原に向かう道に左折する。田代平に向かうこの道は狭くトリッキーなコーナーが多く路面も良くないので、私は慎重に走りを進めて田代平に在る七時雨山登山口のパーキングにバイクを停める。

 田代平は青空に白い雲がぷかぷか浮いている良い天気で、七時雨山が綺麗に見えており、パラグライダーが飛び立つ田代山も間近にクッキリと見えていた。


七時雨山に登って来たというおじさん二人とバイク談義

 我々がバイクの傍で休憩を取っていると、登山者のおじさん二人が寄って来て、我々のバイクの排気量を聞く所から会話が始まった。私は七時雨山の頂上まで2時間位かと聞いてみたら、やはり1時間半〜2時間位で登れると言っていた。

 何でもここから見えるピーク(北峰1060m)には権現様が祭られていて七時雨山の山頂という事になっているらしいのだが、奥に在る南峰は1063mの高で奥の方が3m高いらしい。

 登山者のおじさん達(私より年は少し上?)は、我々のバイクを見てバイクには乗りたいが 「年だからなぁ・・・」 等とバイクに対する思いを熱く語っておりました。私の立場からするとバイク業界繁栄の為乗って頂いた方が良いとは思いますが、自分の事は棚に上げて 「出来れば乗らない方が平和かな?」 と思ってしまいました。

 私は基本的に60歳を越えてからバイクに乗り始める(長期間の中断も含めて)事には反対の立場で、40歳代頃から連続して乗っている人は別にして、60歳を越えてから大きな(重い)バイクに乗る事は、感覚的にも体力的にも負担が大きくお勧めしませんね。


奥に見える赤い屋根の建物はいつも立ち寄る七時雨山荘ですが、今回はパス。

松川温泉 松楓荘

 田代平を出発した我々は、県道227号から昨年通った国道4号沼宮内から国道262号へ抜ける広域農道?に入って松尾八幡平IC近くのいつものGSに向かったのだが、時々道の正面に見える岩手山はクッキリと見えていて、今日の八幡平は見通しが良さそう(ガスが掛かって視界が悪い事が多い)で走るのが楽しみである。


此処まで220km近く走って給油する。

 国道262号を一瞬走った我々は、踏切を渡って県道45号に入り、いつものENEOSスタンドにバイクを止める。今日のGSスタッフは、いつものオバサンと男性スタッフの二人だけで、バイトのキャピキャピギャルはいませんでした。

 もっとも観光関係のお客さんは我々ぐらいで、パラパラと入ってくる客さんの殆どは地元の車でしたから、ギャル達の出番は観光客の多い夏場から秋に掛けてなのかもしれません。

 ここからの予定は、八幡平樹海ラインを上って秋田県に入り後生掛温泉に入る事にしていたのだが、私少々疲れが出てきておりまして樹海ラインを走るモチベーションが上がらない状態になっておりました。


陽が大分傾いてきました。

 こんな状態で走っても楽しくないばかりか危ないので、私は予定を変更し温泉に入りリフレッシュしてから八幡平樹海ラインを走る事にいたしました。樹海ラインの手前には松川温泉が在って、私以外の二人は松川温泉に入った事が無いようなので、松川温泉 松楓荘 (三つ有る宿の中で一番手前)に向かう事にしました。

 給油を終え樹海ラインの走りに備えヘルメットのシールドに貼り付いた虫を落とした我々は、松川温泉に向かう。松川温泉に向かう県道212号は狭い曲りくねった道なのだが、一部で拡幅工事が行われていて舗装が剥がされ深い砂利が敷き詰められていた。

 この深い砂利というのはSS系バイクの天敵で、ハンドルは取られるはリヤタイヤはスピンするはで、転倒しないよう私は必死で走ってしまいました。工事が終われば道幅の広い走り易い道になりそうだが、それはもう少し先の事になりそうです。



広い駐車場が有るが、下が砂利なのでサイドスタンドの食い込みには注意が必要。我々は大き目の石を探してきてスタンドの下に敷く。

この温泉の歴史は古く、看板には 開湯 寛保三年(西暦1743年)とあり、270年近い歴史が有るようです。

この猫はこの温泉の看板猫のようなのだが、マイペースで愛想が無く、鳴きながら建物の中を見回りしておりました。


 ここの入浴料は500円で以前来た時(5年前)はアイスクリーム券がサービスで付いてきたが、今回はヤクルトor温泉タマゴになっていた。私は以前は 「アイスクリームだったですよね?」 と女将さん?に言ったら、女将さんは延々とヤクルトと温泉タマゴになった経緯を我々に説明してくれた。

 要するに諸経費高騰の折、60円のアイスを止めてヤクルトor温泉タマゴに変えたのらしいです。最近メジャーな観光地(東北地方)で入浴料が500円の所は少なくなってきていて 入浴料500円+ヤクルトor温泉タマゴ は決して高くはないと思うが、女将さんは私の言葉を聞いて恐縮しておりました。



混浴露天風呂
露天風呂はこの他に女性専用と混浴の岩風呂が有る。


 入浴料を支払いサービス券を貰った我々は、温泉に向かう。ここには内湯と露天風呂と岩風呂が有るのだが、私は川沿いに在る露天風呂に入る事にした。この温泉はとにかく泉温が高いのと硫黄の臭いが濃いのが特徴で、温泉に浸けたタオルは1年経っても硫黄臭がするし、湯上がりに着たTシャツは1カ月経っても匂う程匂いの持ちが良い。

 この松川には地熱発電所が有る位だが温泉の温度が高く、お湯は蒸気と共に噴出する感じで我々が入った露天風呂は熱かった(45度位?)。私は何とか入れる温度だったが、若い他のメンバーは足を入れて直ぐに引っ込めてしまいました。

 温度を感知するセンサーは年齢と共に感度が落ちるそうで、若者には到底入れない温泉に私が普通に入れたのは、私が単に年寄りで感覚が鈍かっただけのようです。

 若者を温泉に入らせる為湯船に真水を大量に投入(どこかで聞いたフレーズ)し温泉の温度を下げる。蛇口の横には撹拌棒(以前の湯ノ又温泉を思い出した)が置いてあって、水を入れながら撹拌すると何とか若者が入れる温度になって、若者はようやく松川温泉を味わう事が出来たのでした。

 硫黄の香りがする露天風呂から見上げる新緑の山々は、赤みを帯び始めた陽に照らされ輝いていた。私はそんな景色を見ながら、これから走る八幡平樹海ラインに思いを馳せておりました。


岩風呂は吊り橋を渡った対岸に在ります。

 温泉から上がった我々は、岩風呂に向かう吊り橋の袂で体をクールダウンする事にした。川風が吹く吊り橋の上は体を冷やすには最適で、我々はここで暫しの時を過ごす。他のメンバー二人は、岩風呂を見た事が無く吊り橋を渡って岩風呂見学に行ったのだが、私も五年ぶりに岩風呂を見に行く事にした。


階段が新しくしっかりした物に代わっていた岩風呂。
安全対策が徹底されていた。

 見に行くと云うよりは、写真を撮りに行ってのだが、五年前とは少し様子が変わっておりました。岩風呂に下りて行く階段が新しく(最近?)しっかりした物になっていたし、奥には脱衣所的なもの(と言ってもがカゴが置かれているだけ)作られていた。以前来た時はカゴが無く我々は階段でレザーウエアーを脱いだ記憶が有るから、かごは後に置かれたものと思われる。

 また以前来た時の岩風呂の壁は岩が剥き出しでワイルドな感じだったのだが、安全対策の為か金網や柱が設置されてワイルド感が薄れておりました。これも時代の流れなのでしょうが、私は以前の雰囲気の方が好きでしたね。




吊り橋は以前と変わっていない感じだったが、
結構やつれて来ていました。


 温泉の色も前回より薄かったように思うが、泉温が温かったらしいから、水で薄められていたのかもしれません。

 この岩風呂は洞窟風呂でも露天風呂でもなく、中途半端な雰囲気は免れないが、吊橋を渡った先に在ったりするスチエーションを含めて、独自の雰囲気を持った良い温泉だと思います。

 体の熱りも取れた我々は玄関ロビーに行ってヤクルト(オリジナルブランド品)を飲んだのだが、湯上りのヤクルトは美味かった。湯上りのヤクルトは湯上りの瓶牛乳同様、有りかもしれません。また、八幡平樹海ラインに備えてアイスクリームを食べ糖分を補給してエネルギーを充填、フレッシュした私はモチベーションも上がって松楓荘を出発する。

 外に出てみると陽も大分傾き、バイクの置かれている日陰と日の当たっている場所とのコントラストがハッキリとしていて、日陰から見る陽の当たる木々の新緑と青空がとても素敵でした。



 

八幡平樹海ラインから宝仙湖へ

 松川温泉 松楓荘 を発った我々は、八幡平樹海ラインに右折して岩手と秋田の県境を目指して走り始める。本来私、八幡平樹海ラインを苦手としておりまして、台数が多い時は後から着いて行く事が多いのですが、今回は私が先頭を走る事にしました。

 苦手な道はなかなか覚えないものなのだが、今回走ってみると意外と道のレイアウトの記憶が蘇ってくる。今まで何回この道を走ったのか分からない(20回以上は走っていると思う?)が、結構コーナーの先のレイアウトが読めるようになっていて、コーナーの先に合わせた走りが出来るようになっていました。

 とは言っても探りながらの走りには変わりなく、スローイン・ファーストアウトを基本に樹海ラインを上って行く。標高が上がるに従い残雪が多くなり、コーナーに水が流れている事が多くなってくるが、これはいつもの事なので無理をしないでコーナーに入る事を心掛ける。

 二台のGSX−R1000 K5は、寄り添うように八幡平樹海ラインを駆け上がり、標高1400mに在る藤七温泉直下にバイクを止める。周りの山々はまだ残雪に覆われ空気はひんやりとしていたが、凍える程ではなく爽やかだった。遠方には岩手山がハッキリと見えていて、残雪と道路脇の草の緑がこの時期だけのコントラストを見せておりました。

 暫くして静まり返っていた八幡平の山の向こうからGSX−R750のエキゾーストノートが微かに聞こえ始める。それは次第に大きくなって、山陰からライトの光が飛び出してくると音は一段と大きくなって山々に響き渡っておりました。

 三台揃ったGSX−Rは、PM5:00ジャストに県境を越え秋田県に入り、八幡平アスピーデラインを下って行く。



八幡平樹海ライン頂上付近(藤七温泉直下)


 蒸の湯温泉、後生掛温泉、大沼、と下った我々は、国道341号に出て玉川温泉に向かう。この時間帯になると国道341号を走る車の数は少なく、車にご迷惑をお掛けしない(全くという事では無いが)走りが出来るようになる。その為私はこの道を走る時は出来るだけ遅い時間(当然暗くなる前)に走るように心掛けているのだが、予定が押して結果的に遅くなる事が多いのもこの区間である。

 細かなワインディングが続く玉川温泉〜新鳩の湯区間を走り、道は私の大好きな宝仙湖沿いの高速区間に入る。そこを走っていて、私はGSX−Rのハンドリングが午前中と大分変わっている事に気が付いた。午前中はバイクが起きようとするのを押さえ着けながら走っていた私だが、今はそれ程でもなく自然にバンク角が安定するようになっていた。

 フロントホィールもバイクがバンクすると丁度よく内側に向くようになっていて、意識してフロントタイヤを内側に向けてやる必要が無くなり大変走り易くなっていた。このハンドリングの変化がどこからきているのか分からなかったが、私は宝仙湖沿いの道を大いに楽しんで茶立ての清水にバイクを停めた。

 バイクから下りてリヤタイヤを見てみると、M5は明らかに磨耗していてタイヤのプロファイルも新品と時とは変わっているように見える。ハンドリングの変化がプロファイルの変化に因るものなのかは分からないが、磨耗がハンドリングに何らかの影響を与えているのは確かだと思う。

 休憩後、茶立ての清水を発った我々は一気に秋田市を目指す。



ストーカー?U

 国道46号に入った我々が角館パイパスに差し掛かった時、GSX−R750の後ろに1台の車が張り付いたようなのだが、先頭を走る私はその事を全く知らなかった。GSX−R750は、袖山高原のトライクに続いてまた1台の車両を捕えてしまったようで、それは秋田市近くまで続いたようである。

 トライクの時と同様後ろに着かれただけで何かをされたわけではなかったようだから良かったが、多くの車達を引き付けるR750の魅力がどこに有るのか分からない・・・?



METZELER SPORTEC M5 INTERACT & POWER PURE


581km走行


 車と戯れながら走った我々は、陽が落ちて暗くなった秋田市に無事帰還する。今日は久しぶりに走るメンバーもいて楽しいツーリングだった。今回の3rd.ツーリングは天候にも恵まれ今年初めて寒さを感じないツーリングだった。季節も進みもう夏になろうとしているのだから当たり前なのだが、今年は春先に色々な事が有ったからか、時間の流れが早く感じる今日この頃であります。

 バイクから降りた我々は、早速タイヤをチェック。

 今日のツーリングで私は581km走ったのだが、METZELER SPORTEC M5 INTERACTの中央部の溝は1.5mm消耗していた。M5の溝は新品で約6mmだから、この減り具合だと2,400kmで溝が無くなる計算になるのだが、今回の581kmにはスペシャルステージが多く含まれておりペースもそれなりだったから、通常より多目に消耗した可能性は有る。


581km走って1.5mm消耗した M5
※新 品

 POWER PURE の場合は、600km走って平均1mmの消耗(新品溝の深さ5.5mm)だったから、M5の耐磨耗性はPOWER PUREより大分劣るようである。もっともグリップ感は ミシュランの POWER ONE 程ではないものの POWER PURE よりは上の感じで、走っていて安心感は有りましたね。

 メッツラーの説明では、ソフトコンパウンドとハードコンパウンドを継ぎ目なく配置した、ノンステップ・ミクチュア・コンパウンド(NMC)を採用してハイパフォーマンスでありながら高い耐久性を実現したと言っているが、前モデルのM3(3,000kmは持った)より確かにグリップ力は上がっているが、耐久力は落ちている(最後まで使ってみないと確かな事は言えないが)ように思う。

 この消耗具合では、北海道に新品で行っても帰る頃には丸坊主になっている可能性が高く、FUNKYでの使用には問題が有りそうである。

 ハンドリングに関しては走りが進むに従い印象が変わってきて、最初は立ちが強い印象だったが、帰りの宝仙湖沿いの道を走る頃には気にならないレベルになっていた。その理由がタイヤの磨耗でプロファイルが変わった為なのか、私がM5に慣れただけなのかは分からないが、新品から1.5mm減った程度でハンドリングが変わるものなのだろうか・・・?

 M5はFUNKYの使い方には合わないようだが、峠道の走り屋さんには体を思い切って入れられそうだから合っているのかもしれません。


使い切った POWER PURE

 現在FUNKYの中でメジャーとなっている POWER PURE は、サイドとセンター部のコンパウンドが違う2コンパウンドのタイヤだが、サイドのゴムは柔らかくグリップがそこそこ有って、中央部が今までの Pilot Power 2ct と比較すると異常と云える程に硬く耐磨耗性が高いのが特徴で、長い距離を一気に走るFUNKYの使い方には合っているようだ。

 私がお金持ちだったら、ハイグリップタイヤを次々と交換して走っても問題は無いのだろうが、貧乏人の私の場合そんな経済力は無いから、現在のところ耐磨耗性とグリップ力の妥協点が POWER PURE となっているのである。

 先日関東のタイヤ屋さんが店に来て、POWER PURE はサイドが減ってセンター部が残って困ると何処の販売店に行っても言われると話していた。そんな事は無いと、私は私のGSX−Rに履いた POWER PURE を見せたのだが、万遍なく減ったこんな POWER PURE は初めて見たと驚いておりました。

 多くのライダーはコーナー命でサイドばかりを減らし、直線はそれなりにしか加速しないから、センターが硬くて減り難い POWER PURE の場合、センター部が残ったタイヤになってしまうようである。そんなライダーは、センター部が比較的減り易い M5 を履けば、全体的に形の整ったタイヤ?になるかもしれません。


GSX−R1000 ブルーのタイヤ
前後共に今回で使い切りました。







 今回の大震災の復興資金に回す為、高速無料化実験が中止される事になった。大震災前の計画では無料化実験区間は拡大される予定になっていて、私はそれを利用してツーリング予定を考えていたのだが、それが無くなってしまった為予定の見直しをせまられる事になった。

 北海道も無料化中止の影響を受けそうだし、大震災はFUNKYにも暗い影を落としています。FUNKYツーリングも中盤を向かえ、私自身の走りも例年のレベルに戻りつつあるが、これからがツーリング本番になります。


 次回の予定は栗駒方面と山形県を予定しております。





        
 
18 JUNE 2011

by Ryuta

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