2012 FUNKY 北海道 Part 29 初日 2日目 3日目 4日目 5日目 最終日














激動の二日目

二日目コース 



2日目も天気は晴天


原因?と思われるボルテージ・レギュレター


ポレポーレの朝食メニュー

 年寄りの朝は早く、私は5時半前には目が覚めて緑のバイクの下へ向う。外に出てみると昨日に引き続き良い天気で、今の時期の北海道としては暖かい朝だった。

 早速緑のバイクのエンジンを掛けてみると、<カッチッ・・・> と音はするが、やはりセルモーターは回らなかった。しかし <カッチッ・・・> と音はしたしウインカーも普通に作動し、バッテリーは生きている事が確認出来た。

 これで押し掛けでエンジンは掛ると思われ札幌行きは確定したのだが、私は少しでもバッテリーを持たせる為、常時点灯の下向きヘッドライトの配線を殺して消費電力の節約を図る。

 私はこれで札幌まで行ける事を願ったのだが、この下向きライトを殺した事が新たな展開を生む事になろうとは、その時の私は思ってもいなかった。

 札幌に向かう為出発を何時もより少し早めて7時40分に設定、朝食を7時から取る事にする。

 ポレポーレの朝食は特別な物は無いが、テーブルには塩鮭、タラコ、生卵、納豆、玉子焼き、ガッコ、味噌汁等が並び、私にとっては充分過ぎるものであった。

 食事を終え私は出発準備に取り掛かる。毎回の事なのだが、何だかんだとやっている内にいつも準備が一番遅いのが私で、外に出ると皆さんはバイクに荷物を載せ終えていました。

 出発準備が出来たところで、緑のバイクのエンジン始動に取り掛かる。先ずライダーさんにバイクに乗ってもらって、ギヤをローに入れる。カワサキのバイクは、後輪が動いていないとニュートラルから上のギヤ(セカンド)に入らない機構が付いていて、セカンドやサードギヤで押し掛けしたくても出来ない構造になっている。

 その機構はニュートラルギヤを出し易くする為の機構(ローギヤから掻き上げれば確実にニュートラルが出る機構)なのだが、ローギヤで押し掛けはリヤタイヤがロックする事が多く、特に独りで押し掛けする時には苦労するんです。

 ライダーが乗っての押し掛けは、体重がリヤタイヤに掛るのでスリップし難くくはなるが、路面のグリップが良くない場合はスリップしてエンジンが回らない時もある。そんな場合は腰を浮かしておいて、一気にシートに体重を掛け同時にクラッチを繋ぐ方法を取るのだが、今回はスリップする事なくエンジンは回った。

 しかし、エンジンが暖まっていない状況での始動だった為かなかなかエンジンが掛らず、道路を一往復半したところでようやくエンジンが掛った。エンジンは掛ったが、緑のバイクを押し続けた私は息は絶え絶え、心臓はバクバクで暫く動く事が出来ませんでしたね。

 本当に歳は取りたくないものです。年寄りの決まり文句ですが、若い時は押し掛けぐらいで動けなくなる事など無かったのに・・・と思う訳ですね。しかし、そんな現実に対峙しながら、それ以降も押し掛け作業は続くのでした。

 三台の出発体制が整った我々は、お母さんの見送りを受け札幌を目指して走り出す。道道74号で国道274号に出て左折、夕張の紅葉山に向うと対向車線からはバイクのグループが結構走って来ていた。札幌から?週末を利用してツーリングに出掛けるライダーの多さに私は驚いたが、それでもこの国道274号を走る車の数がいつもの土曜日と比べ少ない様に感じた。

 その理由として考えられるのは、道東道の夕張〜占冠間が昨年の暮れに開通した事で、これで一般道に降りる事無く道東方面に行く事が出来るようになり、下道の交通量が減ったものと思われる。我々が道東道を走る事は滅多にないから、車がそちらに回って下道の交通量が減り走る易くなる事は我々に取って有り難い事ではある。

 我々は国道274号をそのまま川端のT字路まで走り、右折して三川国道(国道274号)で札幌に向う。私がこの三川国道を走るのは初めてだったが、川端のT字路は苫小牧東港〜秋田間の新日本海フェリーが就航するまではよく通っていた。

 紅葉山方面から走って来た車の殆どがT字路を右折して行くのを横目で見ながら、我々は直進して追分、千歳、支笏湖、オロフレ峠経由で登別温泉に行き、温泉に入ってから室蘭港pm10:20?発のフェリーで北海道を離れ青森に渡り、秋田に帰るのがパターンでした。

 室蘭〜青森間のフェリーも無くなり最近は新日本海フェリーばっかりですから、私が川端のT字路を通るのは本当に久しぶりだったのだが、今回は大多数の車と共に右折して初めて札幌に向かいました。

札幌は大都会
  三川国道を走る我々は、幾つかの丘を越え真っすぐな道を見通せる場所に出る。道路の左側に 道の駅 マオイの丘公園 を発見したが気付くのが遅れそのまま通過、そろそろ向かうバイク店を決めなければならず休憩場所を探していた私は、坂を下った先の信号交差点にコンビニを発見しそこにバイクを入れる。

 緑の人は、早速スマートフォンを使って近くのバイク店を探し始めたのだが、今の時間はam9:00少し前で殆どの店がまだ開いていなかった。ようやくここから近い江別のカワサキのお店に電話が繋がり、ZX−10Rのボルテージ・レギュレーターが無いか聞いたのだが、持ってないし10Rの車両(新車・中古車共)も置いていないという。

 確かに緑の人が昨晩北海道内のZX−10Rの中古車在庫を調べたら、ZX−10R 2010年モデルの在庫は皆無だったらしい。私は10Rのレギュレターが他の車種にも使われている筈だと考え、カワサキの部品検索で10Rのパーツリストを出し調べてもらうと、10RのレギュレターはZX−6Rの物だった。

 しかし、ZX−6Rもまたマイナーな車種?で、パーツの調達が難しい状況に変わりなかった。それにしても便利な世の中になったものである。携帯が通じる場所であれば多くの情報が得られてそれは画期的な事なのだが、情報だけでは何の解決にもならないのも現実なのである。

 結局我々は札幌市内の国道12号沿いに在る大きな販売店に向う事にしたのだが、その国道12号に出るのが問題だった。国道12号への行き方はポレポーレのお父さんから貰ったホクレンの黄色い地図で確認したのだが、私今回のツーリングに老眼鏡を持って来ておらず、地図を見せられても殆ど読み取る事が出来ず国道274号から国道12号入るという事しか頭に入りませんでした。

 そして再び緑のバイクのエンジンを押し掛けで掛けた我々は、国道12号を目指して走り始める。国道274号も北広島を過ぎると道は片側2車線となり、鉄道のガードを潜る頃には交通量も増え大都会の様相を呈して来た。気温も上がり信号に止まるとGSX−Rの水温計は100℃を越えるようになっておりました。

 私は国道12号の文字だけを頼りに混雑した大都会札幌に入り込んで行ったのだが、青看板の⇒の先に国道12号の文字を見付けた私はその12号の文字に反応してしまった。その矢印はこの先の交差点を右折した先に国道12号がある事を示していたのだが、それを見た私はとっさに右折車線に入って右折してしまったのである。

 しかし、右折しても確かに国道12号には出るのだが、そのまま直進して国道12号に出るのが正解でした。前にお話しましたように私の頭の中に札幌の地図はインプットされておらず、国道12号と言う文字しか入っていませんでしたから当然の帰結ではありました。

 後ろを走っていたメンバーは、私の間違いに気付いていたようなのですが、私を止める事をせずそのまま私の後ろを走っていたようです。私は遠回りながらも折角出た国道12号を何故か横断して直進、厚別中央から厚別西方面に向かって走るのでした。

 左側にSEIYUが見えその先がT字路になっている状態に至り、さすがの私も道を間違った事に気付き、現在位置を確認する為SEIYUの広い駐車場にバイクを入れる。パーキングは少し傾斜が有って、私はわざわざ傾斜の上側にバイクを止めるのでした。

 メガネ無しでは見え難い地図に目を凝らして現在位置を確認すると、目標としていた国道12号に在るバイク店とは全く反対側に来ており、ここからバイク店に行くのは少々時間が掛りそうだった。

 緑の人の話によると、緑のバイクは少しではあるが充電している模様で、信号で止まった時セルボタンを押してみたらセルでエンジンが掛ったと言う。常時点灯のヘッドライトを殺した事で発電量が消費電力を上回る様になったものと思われ、上手くすればこのまま走り続けられる可能性が出て来た。

ギャラリーの前で大パフォーマンスを披露
 本当に充電しているのかを確認する為セルでエンジンを掛けようとしたのだが、水温が高く冷却ファンが回っていた為かセルモーターは回らず、また押し掛けをする事になった。我々は緩やかなスロープを利用してエンジンを掛けようと試みたしたのだが、パーキングを一周したが掛らず二周目に入る。

 我々がバイクを押しながらパーキング内を走り回る姿は、周りにいた多くのギャラリーの注目を集める事となったのだが、私はそのギャラリーの目の前で派手なパフォーマンスを披露する事になるのである。

 二周目の下り坂で私は渾身の力を込めて緑のバイクを押しに押した・・・ その甲斐有ってエンジンは始動したのだが、掛った緑のバイクは私の前から突然無くなって、私は渾身の力で空間を押す状態になってしまった。支えが無くなった私の体は勢いよく坂を駆け下って行く・・・。

 足の回転に余裕が有れば問題は無かったが、年寄りの悲しさでスピードに足の回転が追い付かず、私はもんどり打って転んでしまったのでした。悪い事にその時の私はレザージャケットを脱いでいて、ヘルメットもグローブも身に着けていませんでした。

 一回転? 二回転? したかは定かではないが、私は、掌、膝、肘、肩、頭をアスファルト路面に打ち付けてしまいました。膝はレザーパンツのプラスティックカップのお陰でダメージは無かったのですが、掌と肘、肩を擦り剥いてしまいました。私は頭のダメージを一番心配したのだが、幸いにも傷は無く額の右上にコブが出来ただけでしたね。

 一周して戻って来た緑の人は、大パフォーマンスを見逃したようで私の姿を見て怪訝な顔をしておりましたが、お笑いでも時々見られる足の回転が追い付かなくなって転倒する姿は、ギャラリーから多くの笑い?を獲得したのは確かだと思います。

 エンジンが掛ったので充電しているかどうかの確認を行う。ヘッドライトの上向きを点灯させライトの明るさの変化を見たのだが、エンジン回転を上げて行くと少しではあるがライトが明るくなっているのが分かった。明かりくなるという事は電圧が上がっている証拠で、発電はしているようである。

 テスターが有れば正確な電圧が分かるのだが、明るさの変化度合から電圧は14V以下と思われ(バッテリーの無負荷電圧は12.8V、電圧が14.5V程度まで上がるのが正常)、レギュレターが正常でない事は分かった。それでも充電しているのは確認出来たから、今の下向きヘッドライトを殺した状態(保安基準では常時点灯が義務付けられているにで違法状態ではある)であれば走り続けられる可能性は高いと思われる。

 今後の予定で夜間に走る予定は無いから、このままでも走り続ける事が可能(トンネル内では上向きを点灯)なのではないかと思えてきた私は、これから国道12号の販売店に行っても部品が手に入る確証は無く(当然電話確認してからだが・・・)、様子を見ながら北上する事を考え始めていた。

 我々はこれから日本の最北端の地を目指して北上しなければならない訳で、少しでも北に移動したい訳で、北にもカワサキの販売店(大きい所では旭川)は有る訳で、このまま様子をみながら北上しても良いのではないかと・・・。

 そうと決めたら早い方が良い。一番近い高速のインターチェンジを探すと、我々は江別西ICに10分も掛からないで行ける場所に居る事が分かった。私は即、江別西ICに向かう事を決める。

 
高速で一気に幌加内へ
 分かりづらい道路表示等も有って少し迷ったが、無事高速に乗った我々は北に向かって走り始める。料金所で止まった時、白いバイクの人が走行距離が230km?を越えたとガソリンの心配をしていた。考えてみると白いバイク(緑のバイクも同様)は苫小牧東港と新千歳空港間を往復しており、私のバイクより60km以上多く走っているのを忘れていた。

 この高速に乗って北に向かうとGSが有るのは砂川SAだけでここからは100km弱先になるが、今日はこれまで大きくスロットルを開ける事は無かったし、これから高速に乗っても100km巡行で燃費は良い筈だから、何とか砂川SAまでは行ける筈である。

 am11:30前、我々は砂川SAに到着、給油を行い休憩を取る。緑のバイクは私のバイクより燃費が悪く、原因が充電不足に有るのではないかと私は心配したのだが、本人に確認するといつもこんな燃費だそうで安心する。給油を終えた緑のバイクはパーキングに移動する為セルボタンを押したのだが、苦しそうにしながらもエンジンは始動、これで何とか先行きに光明が見えてきた。

 本日の当初の予定は、愛別から下川、歌登、中頓別と走って知駒に行く予定にしていたのだが、このルートは町から離れた山の中を走る為、もし万が一の場合レスキューに時間が掛かる事が予想される。そこで私は明日走る予定にしていた比較的国道40号にアクセルし易い幌加内から添牛内、朱鞠内、母子里と走るルートにコースを変更、我々は高速を和寒ICで降りて幌加内に向かう事にする。



 結果的に緑のバイクは秋田に帰還する事が出来たのだが、私の修理が不十分であった為に引き起こされたバッテりー上がり事件は、予定を大きく変更する事無く何とか終息させる事が出来たのでした。

 後日談として書いておくが、秋田に帰って来てからZX−10Rのレギュレターに関する情報を検索していたら、今年の3月ZX−10Rのレギュレターに関するリコールが発表されているのを知る。フレーム番号を調べてみたら対象フレーム番号に緑のバイクはズボッと嵌っておりました。

 私がカワサキの海外リコール情報を知らなかった事が今回の出来事を引き起こした原因の一つで有る事は確かで、私の勉強不足でした。

●リコールの抜粋
リコール
不具合内容
整流器の製造工程において、冷却フィン付きケースと電力用複合素子(以下パワーモジュール)の接着が不十分なため、内部の整流素子が冷却されず温度が上昇し、発電電流の制御ができなくなるものがある。そのため、バッテリが充電不足となりエンジン不調に至り、そのまま走行を続けるとエンジンが停止して再始動できなくなるおそれがある。

 今回の緑のバイクの場合、バッテリーが空になってエンジンが始動不能に至らなかったのは本当に幸運だったが、リーコールの不具合内容に有るように整流素子のオーバーヒートが充電不足の原因だったすれば、札幌から北上し気温が下がった事、次の日から雨が降って気温が上がらなかった事が幸いして走り続けられたのかもしれません。

 また前回の故障の時、バッテリーと同時にレギュレター(2万円弱)も交換していたら今回の様な苦労はしなくて済んだと思いますが、そのままリーコール(ユーザーは部品交換の費用負担は無し)に気付かず、本来しなくても良い費用負担をしてしまったかもしれませんね。



砂川SAに無事到着 給油と休憩を取る。

天気は最高なのだが、北海道とは
思えない暑さで閉口する。

砂川SAで食べたソフトクリーム、
特製ソフトの様な謳い文句だったが、
味は普通のソフトクリームでしたね。
スペシャルステージを楽しむ

道の駅 森と湖の里 ほろかない

 和寒ICで道央道を降りた我々は料金所で3000円を支払ったのだが、この程度の距離で3000円は高過ぎると思ってしまった。先日、国内4メーカーが国土交通省に対し二輪の高速料金を普通車の半額程度にするよう要望を出したと聞く。

 道路の補修コスト対して二輪の負担は車の比ではないだろうし、駐車スペースにしても乗れる人数にからしても、私は今の半分(軽自動車の半分)でも高いような気がしてます。

 我々は、国道40号に出て一瞬北に走り直ぐに左折、幌加内へと向かう。幌加内で国道275号に出た我々は、北海道の道を堪能し 道の駅 ほろかない にバイクを停める。

 道の駅に来る途中、荷物の間に挟んでおいたポレポーレで貰ったタオルを飛ばしてしまったようだ。高速道でも落ちなかったタオルだったのだが、何故か落ちてしまいました?

 この道の駅では、我々はいつも上の温泉施設で休憩するのだが、今回は下の道の駅で休憩取る事にした。我々の他にもバイクライダーが休憩を取っていたが、この道の駅は昨年通った時も多くのライダーが休憩していたから、幌加内付近の国道275号は人気のツーリングルートなのかもしれません。


我々の他にもライダーグループがおりました
※幌加内は蕎麦の生産量が日本一


霧立峠の定位置にバイクを停める。


お互いに気を使いそうなオン・オフ混成グループ

 交通量が少なく広大な蕎麦畑の中を走る広い道は、適度な曲線を描いて緩やかに伸びていて、ライダーはストレス無くスロットルを開ける事が出来るから、この道が人気が有るのも分かりますね。

 道の駅には、バイクグル―プが入れ替わり立ち替わり出入りしていましたし、道の駅の前を通過して行くバイクも結構おりまして、観光地としては目立たない存在(蕎麦に生産量日本一ではありますが・・・)の幌加内ですが、ライダーには人気のスポットのようです。




緑のバイクも北海道の道を堪能していましたね。



 時間は既にpm1:00を回っていて昼食には遅い時間になっていたが、幌加内の日本一?の蕎麦を食べるより音威子府の黒いソバを食べたいと思った我々は、食事を取らず先ずは次の目的地霧立峠に向う。

 添牛内で国道239号に左折した我々は、霧立峠のパーキングを目指してスロットルを開ける。何度走っても霧立峠への上りはアドレナリン出まくりの楽しい道で、我々は深いバンク角を楽しみながら一気に走ってしまいました。

 霧立峠のパーキングには先客がいらっしゃいまして、我々は彼らの視線を浴びながらパーキングにゆっくりと入って休憩を取る。

 彼らは我々より先に添牛内方面に下って行き、我々もその後に続こうとしたのだが、緑のバイクのセルが回らずまた押し掛けでエンジンを掛ける事になった。しかし、今回私が緑のバイクを押す事は無く、バイクのポテンシャルエネルギーを利用して峠からの下り坂でエンジンは始動する。

 霧立峠の下りはブレーキに結構痺れるのだが、そんなブレーキングを楽しみながら添牛内に引き返した我々は国道275号を再び北上、朱鞠内、母子里、美深と続くスペシャルステージを一気に駆け抜ける。

 美深で国道40号に出た我々は黒い蕎麦を楽しみに音威子府へ向ったのだが、その音威子府で思わぬ事態に遭遇するのである。

 
天は我々を見放した!?

午後3時前、音威子府駅に到着し遅い昼食(黒いそば)
を食べに駅舎に向ったのだが・・・・!?






JR音威子府駅の隣に在る 道の駅 音威子府

 我々は3時少し前に音威子府に到着、先ずはいつものENEOSでバイクのお腹を満たした後、今度は我々のお腹を満たすべくJR音威子府駅へと向う。

 JR音威子府駅構内に在る音威子府蕎麦の売店は、老夫婦(黒いソバの元祖)が切り盛りしていて、我々はその親父さんと何かとエピソードが有り、私は今年も会う事を楽しみにしておりました。

 しかし、我々が駅舎内に入ると雰囲気がいつもと少し違っていた。いつもは丼を手に蕎麦を食べている人の姿が見られるのだが、今日は駅舎内に人影は無く閑散としていた。


※定休日は水曜日で問題無かったが、
ご夫婦は9月の連休前に夏休み取られた・・・?

道の駅のレストラン前には
pm2:30〜pm4:00まで
準備中の札が下げられていた。


 そして売店の前に立った我々が見たものは・・・正しく

 <閉店ガラガラ ガッシャン> 

            状態だった。

 「えェーッ お休みーッ って・・・」

 それは正しく想定外でした。

 ここの黒いソバを楽しみにここまで頑張って走って来た我々の落胆は大きかった。

 ここで昼食を食べられないとすると  「何処で食べるの・・・?」

 私は以前他人から隣に在る道の駅でも黒いソバを出していると聞いたのを思い出した。

 我々は気を取り直して隣の道の駅へ向う事にしたのだが、ここでも緑のバイクはセルでエンジンは回らずバイクを押す事になった。

 エンジンを掛け隣の道の駅に向かった我々は、道の駅前にバイクを停めて勇んで道の駅に入って行ったのだが、そこには我々に取って誠に残酷な札が下がっていたのでした。

 それは < 準備中 > と書かれた札で、pm2:30〜pm4:00の間レストランはお休み時間でした。

 諦め切れなかった私は、通りがかったスタッフの方に

 「食事は出来ないのですよねぇ・・・?」と 聞いてみたのだが、

 「出来ません。」 と、きっぱりと言われてしまいました。

 「ですよねぇ・・・。」 と、私は引き下がるしかなかったのですが、それで昼食はどうするの・・・?

 我々は音威子府での昼食を諦めて、この先に在る 道の駅 ピンネシリ に行けば何か食べられるだろうと、またまたバイクを押して国道275号を天北峠へ向うのでした。天北峠に差し掛かると昨年行われていた拡幅工事が終わったようで綺麗な道に変わっておりましたが、残念な事にこの峠は短過ぎて楽しめるような峠ではないです。

 そして我々は道の駅 ピンネシリ に到着したのだが、私は先ほどの経験から緑のバイクのエンジンを掛けたままパーキングに残し、建物の中に食事が出来るかどうか確認に行く。この 道の駅 ピンネシリ は、旧国鉄天北線の敏音尻(ぴんねしり)駅跡に造られた道の駅のようなのだが、道の駅の裏がここに来る途中前方に見えていた敏音尻岳(704m)の登山口となっていて、建物の中は多くの登山客で賑わっておりました。

 登山者名簿等も置かれ殆ど山小屋状態の道の駅だったが、食事が出来る所は無く我々はここでも昼食の神様から見放されたようである。外に出て食事が出来ない事を二人に伝え出発しようとした時、道路向いの建物にラーメンの幟を見つる。しかし、その時の私の気持ちとしてはこれだけ昼食に嫌われたら食べなくても良いような気持ちになっていて、我々は道の駅を発って知駒(しりこま)に向うのでした。

 結果論ではありますが、そこでラーメンを食べていたらその後の我々の運命は変わったと思われるのですが、その時の私に空腹感はそれ程なくて早く宿に着く事を考え始めておりましたね。

空腹を忘れて走りに没頭
 そして中頓別手前から道道785号に入った我々は、知駒への上りで深いバンク角を楽しみながら走りに集中、適度な疲労を感じながら知駒岳に建つアンテナ群下のパーキングにバイクを停める。パーキングからは周りの山々が見えていて、その中には敏音尻岳の思われる山も見ていた。

 こんな山の中で携帯が通じるとは思ってもいなかったが、今宵の宿 あしたの城 の夕食時間を確認したくて携帯の電波状況を確認するとバリ3でした。目の前に建つアンテナ群の中に携帯用のアンテナ(docomo)も有ったようで、あしたの城に電話が通じお母さんに夕食の開始時間を確認する事が出来た。

 あしたの城ではお客さんを車に乗せて利尻島に沈む夕日を見るサンセットツアーを行っていて、そのツアーから戻ってから夕食となるそうで夕食は6時半頃になると云う。今の時間は3時50分、夕食までは2時間半程時間が有る事になる。

 これから我々は豊富、沼川、宗谷丘陵経由で宗谷岬に立ち寄り、稚内、抜海、稚咲内と走ってあしたの城に向う予定にしていて、このルートの距離数は分からないが私の時間計算では充分夕食に間に合うと判断した。

写真右側に在るモッコリ高い山が敏音尻岳のようです。
※ このパーキングはアンテナ群の直下に在るのだが、その中に携帯のアンテナも有るようで、携帯の電波はバリ3でした。

 始動に坂を利用しようとパーキングの端にバイクを停めた緑の人だったがここではセルでエンジンが始動、北に上がって気温が下がると共にレギュレーターの温度も下がり、バッテリーの充電量が少し増えたのかもしれませんね。

 知駒から上間寒側への下りも結構楽しめる道なのだが、この道を以前から苦手にしていた私は今回は少し頑張ってみる事にした。私はミラーには目も触れず走りに集中、ブレーキポイントを少しづつ前にずらしながらしっかりブレーキを掛け、フロントフォークを沈めてコーナーに進入する事を心掛ける。

 下り坂でもしっかりスロットルを開けて加速しブレーキポイントまでそれをキープ、戻してフルブレーキングを繰り返す。これがなかなか決まらないのだが、下りも終盤になって決まるコーナーが出て来て私のボルテージは一気に高まる。しかしアッという間に知駒の下りは終了、私は左側に見えて来たパーキングにバイクを入れて後続を待つ。

 そして後続の甲高いエキゾーストノートが遠くに聞こえてきて、それが次第に近付いてきてコーナーからキラッと光るヘッドライトが見えた。人は勿論車も皆無のこの素晴らしい空間は、我々だけのものなのでした。

 上間寒から豊富と浜頓別を結ぶ道道64号に出た我々は、本流で道道121号に入って北上、沼川へと向う。この辺は宗谷丘陵を切り開いた牧場が延々と続くのだが、うねりや段差の多い路面は相変わらずで、シートに座る暇が無いアクティブでワイルド?な走行が続く。

 沼川を出ると道は二手に別れるが、我々は直進して右手の道を進み宗谷岬方面と書かれた道に入る。昨年この道を見落とした私は、稚内空港近くのゴルフ場(稚内CC)に迷い込んでしまったのだが、今年は間違えずにノースバレーCCの看板を見付け右折する。

 この道は今年の春に全開通した道道1077号で道道669号経由で宗谷岬へと繋がっており、私は今回この新しい道を走る事を楽しみに来ていたのだが、ノースバレーCCの入口を通過しいよいよ新しく開通した区間に入ろうとする所で、バックミラーを覗くとミラーに後続の姿が無かった・・・?


向こうが稚内方面、手前が宗谷岬方面
※宗谷岬に行くのを取り止め宿に直行する事に・・・。


 私がバイクを止め後続を待っていると白いバイクだけがやって来る。

 < 緑のバイクが止まった・・・!? >

 私は来る時が来てしまったと覚悟を決めたのだが、白いバイクの人が語り出した話は私の想定外なものでした。

 緑のバイクが止まったのは確かだが、止まった原因が緑のバイクでは無く、緑の人に有ったと言うではないか・・・?

 緑の人に何が起きたのか? 私は急いでバイクを転回し緑の人の下へと向う。

 緑の人はバイクを道端に停め傍に佇んでおり、時折顔をしかめる表情を見せていた。状況を訊ねると、胃が異常に痛い状況のようで、緑の人は時々しゃがみ込んで痛みに耐えている。

 私は医者では無いのでこの症状が何なのかは分からなかったが、ともかくこの状況をどう切り抜けるかが問題だった。救急車を呼ばなければないない状況なのか? このまま様子を見るべきなのか? 私は悩んだが、持参している胃の薬を見てみる事にした。

 こんな事もあろうかと私はツーリングにはいつも胃腸薬や痛み止めの薬を持参していて、薬袋の中を見ると食べ過ぎの時に飲む消化系の薬と胃酸過多を抑えるガスター10系の薬を持っていた。

 緑の人に話を聞くと、朝食後彼は何も食物(他の二人も同様だが・・・)も飲物も口にしていなかったようで、いつも手にペットボトルの水を持っている彼としては考えられない状況だったが、朝から何も胃に入れていない事が今回の胃痛と関係ありそうである。

 緑のバイクの事でストレスを抱えた状況の中、胃に何も入っていない状態では胃酸過多で胃粘膜が侵され胃痛が起きたとしても不思議ではなく?、私は彼に胃酸の分泌を抑えるガスター10系の薬を持っていたお茶のペットボトルと共に渡す。

 午前中の暑さの中でも何も飲物を取らなかったのは、緑のバイクの事が気になってそれどころではなかったものと推察され、胃痛の原因の一端が私にも有ったのではないかと考えると何とも複雑な心境でありました。また途中で昼食を取っていたら今回の様な状況には至らなかったとも考えられ、何ともやりきれない思いではありました。

 薬を飲ませて様子をみていたのだが、暫くして痛みが大分治まりバイクに乗れる状態まで回復したのは本当に幸いでした。ここで救急車でも呼ぶ事態になったら、FUNKY北海道史上初の救急車事件として後世に語り継がれるところでした。

 私は緑の人の体調と夕食の時間の関係から、宗谷岬に向うのを止め宿に直行する事を決める。私はこの先の宗谷丘陵で風車やレーダーサイトをバックに写真撮影を考えていたのだが、夕食の時間に遅れないよう宿のお母さんに釘を差されていた関係上、写真撮影は次の機会といたしました。

13年ぶりの あしたの城

稚内市内のいつものSeicomartで買い出し。
時間は無くても買い出しだけはします。

 稚内市内のいつものSeicomartで夜の飲物を調達したのだが、緑の人も普通に買い物をしておりました。胃痛が治まってまだ1時間も経っていないのだが、ウコンの力と共に飲物を買ったという事は今晩も普通に飲む気のようである。

   << 大丈夫なのか・・・!? >>

 買い物を終えた我々は、利尻島が目の前に見え日本海を見下ろす峠を下り、日本海沿いに抜海へと向う。抜海には何回か泊った宿 ばっかす が有るのだが、今回は久しぶりに(前回泊ったのは1999年)稚咲内に近い あしたの城 に泊る事にしました。

 抜海を過ぎると道(道道106号 オロロンライン)は草原が延々と続くサロベツ原野の中を走るようになり、右手には日本海に浮かぶ利尻島や礼文島が見え、これが 北海道だぁー 的なな景色の中を走る。

 私はここで利尻島に沈む夕日を見たいと考えていたのですが、残念な事に今日の日本海は曇っていて利尻島は何とか見えていおりましたが、水平線の雲は厚く夕陽は見えませんでしたね。

 いつも停まって利尻島を見るパーキングもスルーした我々は、稚咲内の信号を目指して走る。時間は6時を回りオロロラインに夕闇が迫っていたがこの時間でも交通量が結構有って、遥か彼方に点となって現れたダンプトラックや乗用車やバイクのヘッドライトが次第に大きくなり一瞬で通り過ぎて行く様は、映画のエンディングに流れる映像の様に今日の出来事を締め括るに相応しい幻想的なものでした・・・。

 そんな中、大きな荷物を括りつけた自転車が一生懸命ペダルを漕ぐ姿が見られた。今年は自転車で旅するチャリダーさんの姿が例年より多いような気がするが、自転車が健康志向だの省エネとかでブームと言われるようになって久しい。都会の自転車乗りとは一線を画す北海道の大地を自分の足だけで旅するチャリダーさん達、本当に感服しちゃいますね。

沈む夕日は見られなかったが、一応利尻の写真は撮ってきました。
 


13年前と同じ建物は、その年月を感じさせ
ない程に綺麗にメンテナンスされていた。


 サロベツに来た証拠写真を稚咲内のパーキングで撮影した後、我々は信号を左折して豊富方面に向う。海岸砂丘林抜ける少し手前に あしたの城 は在るのだが、私は前回泊まった時に目印にしていた馬車の車輪の看板を探していた。

 あしたの城 は道の左側に有る小道を上がった先に在って、それらしき小道を見付けた私は減速したのだが、車輪は無く違う道だった。そしてもう少し進むとまた小道が現れ車輪を探したが無かった。しかし、ふと上を見ると あしたの城 と書かれた立派な立看板が立っておりました。

 13年も経てば木製の車輪は朽ちても当然で、以前の記憶を辿っていた私が馬鹿でした。だけど私の中の あしたの城 は、あの車輪から始まって砂利の坂道を上がった先に見えて来るイメージなんですよねェー。

 しかし、その看板から先に有る あしたの城 は、13年前と全く?変わっていませんでした。厳密に言うと坂の砂利道はしっかり整備され以前より走り易かったし、バイクを置くスペースも平に良く整備されおりましたが・・・。

 私は坂を登りながらこの砂利の坂道で緑のバイクのエンジンを掛けられるのかどうか、真剣に考えていましたね。

 あしたの城 の特徴でも有る建物は13前より新しいと思わせる程の綺麗さで、建物の前の芝生や花壇も以前より格段に綺麗になっており、それもこれもオーナーさんのポリシーと云うか性格なのでしょうか?

 13年の年月を感じさせない あしたの城 は、私を13年前にタイムスリップさせていましたね。

 我々がバイクから荷物を下ろしていると、宿泊客をワンボックスカーに乗せてサンセットツアーに行っていたお母さん達が帰って来た。ツアー参加者は4〜5人?のようだったが、今日は夕陽が見られなかったと母さんは残念そうに話しておりました。

 我々が荷物を持って玄関に行くと玄関前の風除室に棚が有りヘルメットを置くようになっていて、雨具等を掛けるハンガーも沢山用意されていました。ライダーの事を考えた作りになってる あしたの城 は好印象でしたね。このシステム、13年前も有ったかどうかの記憶は定かではないが、一つだけ気になったのは前回の様に風除室にタバコ吸いが集まった時、ヘルメットがタバコ臭くなってしまわないかと云う心配でしたね。

 お母さんに案内してもらった我々の部屋は、2階の前回泊まった部屋の通路斜め向いの一番奥の部屋で、左右に二段ベットが有るポレポーレと同じような作りの8人部屋だった。片側下2人・上2人の4人分×両側の8人部屋だったが、ポレポーレと違うところはベットが1人分づつ区切られていない所だった。

 今回は部屋に泊客が4名だけだった事もあり、1人で2名分のスペースを使って荷物を広げる事が出来たのは助かりました。この手の2段ベット部屋は、人数の割りに空スペースが少なく(普通通路だけ)荷物の置き場所に困るのですが、今回は隣のベットスペースを使って荷物を置けたのは良かったです。

 我々が部屋に入って行くと1人の若者(身長190cm以上)が下のベットの2人分を使い、大きなスーツケースの荷物を広げ横になって音楽を聴いておりました。現代の若者は、暇が有ると携帯をいじっているか、耳にイヤフォンを当てているか、携帯ゲームをしているか、マンガを読んでいるか ですが・・・?、暇な時は何もしないでボケェーとしているかテレビを見ている事が多い年寄りは、こんな時世代間の差を感じる訳です。

 着替えた後、私としては風呂に入ってさっぱりしたいところだったが、風呂は到着順に案内されるらしく我々は直ぐに入れる順番ではなかった。しかし、夕食が直ぐなので、結局お風呂は食後と云う事になりました。

 そしてお母さんが夕食の支度が整ったと知らせに来て、私は今晩の夕食のメニューが何であるのかに注目しながら1階の食堂に下りて行く。あしたの城の夕食は牛乳鍋が定番で有名なのだが、13年前にいただいた牛乳鍋は秋田県人の舌には合わなかった経験から、私は宿の予約時に出来れば牛乳鍋以外のメニューをお願いしていた。

 牛乳鍋以外のメニューにはジンギスカンや餃子等が有るとお母さんは話していて、私は昨日の今日なので出来れば餃子か牛乳鍋(ジンギスカンよりはまし?)を切望していたのだったが、1階に下りてテーブルの上を見るとアルミホイルに包まれたジンギスカン鍋がコンロの上に・・・・。

 それは連日のジンギスカンが決定した瞬間でした。昨日ポレポーレがジンギスカンだった時、私がこの事態を予見していなかったと言えば嘘になるが、出来れば避けたかったですね・・・。

 とはいっても あしたの城 のジンギスカンの肉は、ポレポーレと違って冷凍マトン肉を丸くスライスもので、ジンギスカンで有名な 民宿 トシカの宿 (浜頓別) と同じ王道?をいくものであり、我々にとってジンギスカンの肉が違っていたのは幸運でした。

 また、我々が朝食からこれまで固形物を何も食べていなかった事も幸いしました。我々は食べる物全てが美味しく感じられる状態にあり、連日のジンギスカンであろうと牛乳鍋であろうと胃袋は 「何でも来い!!」 状態でしたね。

 そして我々は、ジンギスカンの肉をお代わりしながら食べに食べました。胃痛で走りをストップした緑の人も、数時間前の事がまるで無かったかのように普通に食事しており私は少し心配してしまったのだが、その後用意していた飲物を飲み切って眠りに着くのでした。


我々のテーブルの平均年齢は高い。
メニューは連日のジンギスカン!?

 我々のテーブルには二人の男性が同席していたのだが、そのお二人さんの年齢は私と同年代で我々のテーブルの平均年齢は物凄く高かった。

 写真の左の方は、HONDA ファイヤーストーム(VFR1000F)に乗る私と同学年のライダーで、8月末に北海道に上陸して9月いっぱい北海道を旅すると云う、何とも羨ましい御仁でした。

 明日は宗谷岬を周って浜頓別の トシカの宿 に泊まる予定だと言っていたので、私は 「それでは我々同様連日のジンギスカンになりますよ。」 とアドバイスしておきました。

 右の方は私より年齢が上?と思われる人だったが、自転車で北海道を旅する若々しい御仁だった。自転車で旅するのは若者の専売特許(表現が古いか!?)だと思っていた私だが、同年代で北海道を旅するチャリダーがいる事を知り、驚くと共に尊敬してしまいました。

 一方、我々の隣のテーブルでもジンギスカンは売れていた。我々のテーブルより平均年齢が30歳近く低いと思われる彼らは、ビールを片手に楽しそうに食事をしてお肉を追加して盛り上がっておりました。

 用意されていた肉が全部胃袋に入り、ジンギスカンパーティーは終焉を迎える。夕食の後3人づつ(定員3名)順番にお風呂の入る事になったのだが、到着順を度外視して私と緑の人と同室の若者(イヤフォンとは違う人)の3人で入る事になった。

 この一緒に入った若者(年齢25歳前後?)とはお風呂の中と部屋に戻ってから少し話す機会が有ったのだが、彼は結構変わった経歴の持ち主だった。彼はバイトをしてお金を稼ぎながら自転車で北海道を周っているらしいのだが、部屋に戻ると彼から突然名刺を差し出される。

 旅先で同室になった人から名刺を貰ったのは初めての経験だったが、彼の名刺には プロボクサー ○○○○ と書かれていて、

 「見る事が有ったら応援して下さい。」 と言われてしまった。

 ボクシングの事は殆ど知らないから私だから、応援する機会が有るとは思えなかったが、

 「プロボクサーが何故自転車に乗って北海道を周っているのか・・・?」 

 と云う疑問を感じながらも、この好青年の活躍を願わずにはいられませんでした。

 風呂から上がって スッキリ した我々は、食堂に戻って買って来た飲物で宴の続きをしようとしたその時、お父さんから宿代の清算をお願いされる。宿代の清算時期は宿によって色々だが、13年前は違っていたような気がするのだが・・・どうなんでしょう?

 財布を持っていなかった私は部屋に取りに戻って精算を済ましたが、宿代の精算時期が特殊な場合(通常は出発前に清算)は、宿に着いた時点で言ってもらえると助かるんだけどなぁ・・・といつも思う訳ですよ・・・。

貴方は中国の方・・・!?

私の向いに座る方が関西人のBMW乗り。

 宿代の精算も済んだ我々は、場所を大きなテーブルに移し昼食も食べずに走ってしまった本日の綱渡り的ツーリングの反省会?を行った。

 穂別を出発する時は宿まで辿り着けるか不安だった私だが、結果的には多くのスぺシャルステージを楽しみながら今こうして宿で飲んでいる訳で、これも我々の日頃の行いが良かった証か・・・?

 明朝、緑のバイクがセル一発で掛れば明日以降のツーリングに見通しが立つから、私は昨晩の危機的状況から脱する事が出来た事を大変喜んだのだが、問題は明日の天気だった。

 テレビのリモコンのGボタンを押して北海道の地域毎の天気情報を確認すると、道北地方は昼頃まで天気は持ちそうなのだが、道央地方は朝から雨、網走地方も昼には雨が降り出す予報になっていた。

 我々の明日の予定は、稚咲内から天塩に出て音威子府、歌登と走り、下川、上川、愛別と道北のスペシャルステージを走った後、層雲峡経由で三国峠を越え、糠平、芽登と道央?を走り、置戸、陸別、津別、美幌と道東?に出て網走のアニマの里に宿泊する事になっていた。

 明日はスペシャルステージが連続する私が大変楽しみにしていたコース設定だったのだが、路面が濡れていては楽しくは無いから道央のコースは外しざるをえない状況だった。午前中は道央地域に近づかなければドライ路面を走れそうなので、私は下川から南の愛別、三国峠に行くのは止め、下川から東に移動して西興部から滝ノ上に抜けて遠軽に出るコースに変更する事にした。

 このルートで行けば遠軽に出るのが12時頃になる筈だから、それまではドライ路面を大いに楽しめると私は踏んだのだが、この変更が吉と出るか凶と出るか?結果は明日のお楽しみである。


我々が買って来たツマミ達
※このサラミソーセージが・・・。

 今日大変な一日を過ごした緑の人はお疲れだったのだろう、一足先に部屋に戻って行って残ったメンバーで飲んでいたのだが、そこへ手に缶ビールを持った一人の男性がやって来た。

 彼は隣のテーブルでジンギスカンを食べていたメンバーの一人で、話を聞くと関西(兵庫?)の方でBMWを何台も乗り継ぐ根っからのBMW乗りでした。

 関西人とBMW乗りとの組み合わせは、私に 「何か起きそうな・・・」 危惧の念を抱かせたのだが、やはりそれは起きてしまった。

 彼は私の横に置いていた未開封のサラミソーセージの袋(食べるのを楽しみに私が購入して来た物)に手を伸ばし

 「これ貰ってもいいですか?」 と言って袋を手に取る。

 この手の宿では、宿泊客の皆さんを一同に集め一杯やるコミニュケーションの場をセッティングする事が多いのだが、このあしたの城ではそのような動きは無く、我々は我々だけで我々が買って来た飲物とツマミで勝手に飲んでいたのだが、そこにやって来た関西人のBMW乗りのが言ってのけたのが・・・

 「これ貰ってもいいですか?」 の一言だった。

 呆気に取られた秋田県人に 「駄目・・・ツ!」 と言える度胸は無く 

 「どっどうぞ・・・ッ」 と言ってしまいました。

 しかし、楽しく会話していた相手だし、ツマミを勧めなかった私も悪かったと反省したのだが、その後の彼の行動には我慢がならなかった。

 袋を開けサラミを食べ始めた彼は、サラミの袋を自分の物の様に前に置きビールを飲んでいるではないか・・・!?

 普通サラミを取ったら私の方に袋を戻すか、最低でも皆が取り易い様にテーブルの中央に置くべきではないのかい・・・?

 私は彼の行動に対し一言云ってやりたい気持ちは山々だったのだが、秋田県人が勇気を持って出来た唯一の行動は、手を延ばして1枚のサラミを取る事だけでしたね。

 何でここでこんな事を書いたかと言うと、楽しみにしていたサラミを取られた事が悔しかったからでなくて、他人の物に対する気遣いが彼に欲しかったかな・・・と思ったからなのです。

プロボクサー(左)と将棋で勝負するお父さん
どっちが勝ったかが聞きそびれたが、多分プロボクサー?

 私は一瞬彼を中国の方ではないかと思ってしまいましたが、彼は関西人のBMW乗りでしたね・・・。

 我々の隣ではプロボクサーとあしたの城のお父さんとの将棋によるタイトルマッチが行われていて、お父さんの煩い位の大きな声が部屋中に響き渡っておりました。

 私も声が大きい(酔うと特に)と他人によく云われるのですが、お父さんの声は私の上をいく声の大きさで、我々の会話を時々掻き消していました。

 それやこれやで時間は過ぎてゆき、お開きの時間となる。テーブルの上を片付け私は部屋に戻ったのだが、部屋は真っ暗でイヤフォンの彼とその上で寝ている緑の人を起こさぬよう寝る仕度をするのに難儀をいたしました。

 お先真っ暗だった今日を何とか切り抜けた私は、明日からの北海道を楽しめる事を願って眠りにつくのでした。

3日目
by Ryuta

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