2011 FUNKY プチ北海道 初日 2日目 3日目 4日目 5日目 最終日

















朝から快晴



4日目コース → →

 北海道3日目の朝は快晴だった。朝から晴れているのは気持ちが良いもので、私は液晶テレビで天気情報を見ながら余裕を持って出発の準備に取り掛かる。

 さつふつマリンの朝食は和食のバイキング形式になっていて、サンマや納豆やタラコやタマゴやetc バラエティーに富んだメニューが用意されていて迷ってしまいました。


朝食はバイキングで自由に選べます。












 大好きなホタテ(最北端GSの記念品の大きさ)の味噌汁が出ていて私は何杯もお代わりしちゃいました。贅沢な悩みですが、ここの朝食は種類が多過ぎて選ぶか大変かもしれませんね。


さるふつマリンの駐車場は建物から少し離れています。

久しぶりのオホーツク海沿いの走り

 AM8時半前、我々は浜猿払を発って先ずは浜頓別に向かって走り始める。最近この区間を走る機会が少ないFUNKYだが、20世紀には多くのドラマが作られたこの区間を私は思い出と共に走り抜ける。

 「この直線でNSRが焼き付いたんだよな・・・。」    (私では無いですよ)

 昔は250や400ccで走っていましたから、こんな直線を見るとフルスロットルで走りたくなったものですが、リッターSSで走る今は昔よりゆっくりなスピードで走っております。

 浜頓別の町を過ぎると国道238号は海辺を走るようになり、その遥か彼方前方に岬(神威岬)が見えて来るのだが、今日は天気が良いのに海から霧が流れ込んでいて岬が霞んで見えていた。真っ直に伸びる道は霧の中に吸い込まれるように消えていて、我々はいつの間にかその霧の中に入り込んでいた。

 陽に照らされたその霧の中は、灰色の暗いイメージの霧ではなく真っ白な明るい世界で、今まで経験した事のない幻想的な雰囲気の中を我々はゆっくりと走って行く。

 岬を貫くトンネルを抜けると霧は晴れ、我々は雲一つ無い青空の下快適に走りを進め枝幸に到着する。


歌登のセイコーマート到着。
 枝幸のバイパスを過ぎた先にGSが有って、我々はそこの信号を右折して歌登に向かう。GSでは多くのバイクが給油中で、その横を通過する我々に彼らの視線が集中する。

 私は彼らが国道238号を興部・紋別方向に向かうと読んだのだが、私の予想は見事に外れた事を後に知る事になる。

 歌登に向かう道道12号は、結構交通量が有って車の後ろで多くの時間を過ごしたのだが、途中川沿いの見通しの良いコーナーで深いバンク角を楽しんだりして、歌登のいつも立ち寄るセイコーマートにバイクを止め休憩とする。

 空は雲一つ無い快晴で、気温もグングン上がってきて暑くなってきた。我々は水分を充分に取り、これから始まるスペシャルステージに備え体調を整えモチベーションを上げていく。

 休憩している我々の前を、先ほどGSで給油していたバイク達が走り抜けて行く。10台位のバイクグループは、ツアーラーやV−MAXやZRX等のリッターバイクで構成されており、これまたあまり絡みたくないグループでしたが、彼らは歌登から西に向かった(我々は南下)ようで、これ以降出会う事が無かったのは幸いでした。

 次の目的地は下川で我々はそこでガソリンを給油する事にしているのだが、下川までの間には大小三つの峠が有りその殆どが人の数より熊や鹿の数が多いと思われる山道である。交通量は少なく車に影響される事は少ないのだが、道道である為道幅(路側帯)が狭く路面がうねっている事が多く、道路状況に充分配慮した走りを要求される難しい道でもある。

 歌登から道道120号に入った我々は、うたのぼり健康回復村やゴルフ場に向かう入口前を通過、雄武に向かう道と別れて天の川トンネルに向かう。天の川トンネル前後の道は、トンネルに合わせて新しく造られた道のようで道幅も広くコーナーのアールも大きく走り易かったが、そこを過ぎると道は元の狭い道幅に戻ってしまう。

 この天の川トンネル、国鉄時代に掘られた美幸線(美深〜枝幸間を結ぶ予定だったが廃線になった)の鉄道用トンネルを自動車用に再利用したものだそうで、トンネル前後のアプローチが緩くなっているのはそのせいかもしれません。

 私はこれまで天の川トンネルを何回か通っているが、通る度に何か違和感を感じていた。それが何なのか分からなかったが、今回このレポートを書く為天の川トンネルを調べていたら、このトンネルが最初鉄道用に掘られたトンネルだった事を知った。

 その辺に違和感の原因が有るのではないかと私は考えたのだが、トンネルの断面形状が他のトンネルと違う気がするのですが・・・・どうなんでしょう?



仁宇部の木陰で休憩。
木陰が恋しくなるほどに気温が上がってきました。

 仁宇布まで走った私は、道路端が日陰になっている場所を見付けそこで休憩を取る事にした。いつもはこの先の美深峠を越えた所に在るパーキングで休憩するのだが、今日は日差しが強く木陰の涼しい場所で休憩する事にしたのである。

 道路脇にバイクを止めエンジンを切ると、そこには風に戦ぐ木々の音しか無かった。木々の向こうには人家も見えているんだが人気は全く無く、北海道の何処でも見られる静かな田舎の風景の中に我々は居た。

 我々が休憩を取った仁宇布は美幸線が走っていて頃の終点駅で、今は美幸線の線路を使って観光トロッコを走らせたりしているのだが、この地域を何回も走ってきた私だが、いまだに地元の人の姿を見た事が無いですね。

 休憩を終えた我々は仁宇布を発って道道49号に入り、二つ目の峠美深峠を越え道道60号に出て右折、いつも休憩するパーキングを左に見ながら三つ目の峠幌内越峠を目指して上り始める。

 幌内越峠を越えて下川に至る道は、道幅も狭く路面もうねっていて走るのに大変神経を使うワインディングロードなのだが、何故か私はこの道が好きだ。ライダーはシートに腰を下ろしている暇が無いほどステップの上を動き回らなければならないのだが、それがライダーの集中度を増しアドレナリン出まくり状態になるようである。

 下川に近づくとダム建設の為の付け替え道路に上がるのだが、その少し手前で燃料警告灯が点滅(残4リットル)し始める。ここから下川のGSまでは10キロも無く、私が考た給油タイミングはバッチリでした。このサンル川に建設予定のサンルダムは、民主党のダム建設凍結の影響からかダム工事が行われている様子は全く見られなかった。付け替え道路も伸びておらず、サンルダムはこのまま中止になる可能性が高そうである?


下川から愛別そして上川へ


下川役場前の出光GS
年中無休(年始を除く?)

 下川の街で国道239号に出た我々は、いつも給油する国道から少し入った下川町役場前の出光GS(国道に出光の案内看板が出ている)に向かう。このGSにはZ2等のバイクを数台所有するバイク好きの店長さん(私と同年代?)がいて、私は会うのを楽しみにしていたのだが、今日はちょうどお休みで若い男女のスタッフ二名で営業しておりました。

 私のGSX−Rには15リットル弱のガソリンが入ったのだが、歌登〜下川間のスぺシャルステージを走った為、燃費は15km/以下になっていました。このGSの偉いところは年始を除き休み無しで営業しているところで、いつ行っても給油できる安心感があり、給油計画を立てる時に大変助かっています。

 下川の街は暑くて気温は30℃を超えていると思われ、事務所で休んでいても額の汗が止まず、走っている方が涼しい感じになっていました。男性スタッフさんに、我々がこれから向かう道道101号には覆面パトカー(黒やシルバーのクラウンが多いそうです)が出没すると脅かされた我々は、愛別に向かって走り出す。

 脅かされたからと云うわけではないが、岩尾内ダムへ向かうステージで私はスロットルを開け切れないまま岩尾内ダムに到着、そのまま愛別ダムに向かって走り出す。下川〜岩尾内間(白黒パトカーを結構見る)と違い岩尾内〜愛別間は平和な事が多く、私は男性スタッフの言葉を頭の端に追いやって次第にスロットルをワイドにしていく。

 愛別ダムで小休止した我々は愛別に出て自動車道に上がり、上川のラーメン屋さんを目指したのだが、私は上川・層雲峡ICで下りるつもりでいたのに、愛山・上川ICの上川の文字に反応してしまい、そこで自動車道を下りてしまった。

 直ぐに間違いに気付いたのたが、大した距離でも無いので私はそのまま下道(国道39号)で上川に向かう事にする。それにしても、今まで何回も通っている道にも関わらず間違えた自分が情けなかった。

 歳のせいにはしたくはないが、歳を取ると思い込みによる凡ミスが偶に起きるんですよ・・・。

 国道39号上川の手前に <おいしい店> と大きな看板を上げたレストランが有って、12年ほど前に昼食を食べた事が有った。今回久しぶりに国道39号を走っていたら <おいしい店> の看板は健在で、私は久しぶりに <おいしい店> で昼食を食べる事を考えたのだが、上川のラーメン屋さんで昼食にするとメンバーに言ってあったので、どうするか迷っている間に通り過ぎてしまった。

 勘違いだけではなく、一瞬の判断に以前より時間が掛るようになっているのは確かである。




上川に到着


上川ラーメン あさひ食堂


左の建物が沢野オートさん


 上川の福祉会館の裏(上川町役場近く)に在る あさひ食堂 さんは、上川らぁめん(ラーメンをらぁうめんと表現するようです)を代表するお店で、観光客も結構訪れるラーメン屋さんである。お向かいには沢野オート Tel. 01658-2-1371)さんが在って、上川から層雲峡・三国峠辺りまでテリトリーにしているようですから、困った時は相談してみてはどうでしょうか。

 この上川も気温が高く私は冷やし中華を注文したのだが、まだやっていない(今やらないで何時やるの?)と云う。熱くないラーメンはざるらぁめんだけだと言うので私はざるを注文、他の二人は果敢に熱いらぁうめんを注文していた。





味噌

ざるらぁめん 650円


 ざるらぁめんとは如何なるらぁうめんなのか? 私はある種の期待(つけ麺?)をもって待っていたのだが、運ばれて来たざるらぁうめんはざる蕎麦の蕎麦をらぁうめんに換えたもので、何のヒネリも無かった。そば汁も特に変わった事は無く、私には市販のそば汁と大差ないように思えたが、多分ざるらぁうめんのオリジナルだと思います。

 味噌塩らぁうめんは美味しかったようですが、私が食べたざるらぁうめんはお勧めしませんね。


三国峠へ


三国峠下の松見大橋のビューポイント到着。
 らぁうめんを食べ終えて我々は外に出たのだが、熱いらぁうめんを食べたお二人は体をクールダウンする時間が必要で木陰で暫く食休みをする事にした。北海道の夏は涼しいと言われるが、暑い時も結構有るようで秋田の夏と大して変わらない暑さでした。

 しかし、木陰は秋田より涼しいのかな?

 休憩を終えた我々は、国道39号を層雲峡、大雪ダムと走って国道237号に入り三国峠に向かう。今日の国道273号は交通量が多くそれなりにしか走れなかったが、久しぶりの三国峠への道を楽しんで走り、松見大橋を見下ろすビューポイント(橋の上)にバイクを止める。

 我々の眼下には緑の原生林が広がっていたのだが、我々がこれ向かう糠平の方向には黒い雲が有って、その下に雨を降らせているのが見て取れた。

 私は雨仁降られる事を覚悟をしたのだが、ここで雨具を着るかどうかが問題だった。雨が降っているのは黒い雲の下だけと思われ、その範囲は大きくはなく一過性の雨のように見える。雨雲を一気に突っ切れば雨に当たる時間は少ないと思われ、私は雨具を着ないで走り出し事を選択する。
 

この方向には黒い雲は見えないのだが・・・。
 三国峠を下った我々は白樺の森の中を走り始めたのだが、三股山荘付近から路面が濡れてきたと思ったら予想した通り空から大きな雨粒が落ちてきた。雨は結構強い雨で、バイクを止めて雨具を着てる間にびしょ濡れになるのは明らかで、私はカウルの中に体を押し込み、雨雲から抜け出す為ひたすら走る。

 5分?程走り続けると雨は突然上がり路面は乾いていた。私の読み通り雨の範囲は限定的だったのだが、路面の濡れ方から雨が移動する方向と我々が進む方向が同方向と思われ、止まれば雨に追い着かれる状況のようである。

 しかし、我々にはこの先でバイクを止め確認しなければならない事が有って、この状況は困った状況ではあった。


幌加温泉入口


幌加温泉
 それは今回の北海道ツーリングの1ヶ月前の事だった。私は予約を取ろうと幌加温泉に電話を掛けたのだが、電話の呼び出し音はしているのだが幾ら鳴らしても出なかった。その数日後、私は昼と夜にまた電話を掛けたのだが、やはり出なかった。

 困った私は幌加温泉の奥に在る 鹿の谷 さんに電話を掛けたのだが、鹿の谷 おかみさんは、

 「春から営業していません・・・。」 の一言。

 この手の問い合わせが多いのでしょう? おかみさんは私が詳しい事情を聞く前に電話を切ってしまわれたのですが、私はどうしても休業している理由を知りたかった。

 私が昨年の9月幌加温泉に泊った時親父さんは以前より大分痩せられていましたので、体調を崩して入院しているのではないかと勝手に推測していたのですが、メンバーがインターネット上に今年の冬に亡くなった事が載っていたと教えてくれた。

 この冬に亡くなっていた事実は、私にとって大変ショックでした。

 私が幌加温泉に最初に泊ったのは1993年の事でしたからもう18年前になりますが、それから毎年1回(2回泊った時も有った)は泊ったり立ち寄ったりしていた幌加温泉は、FUNKY北海道の定番の宿と云うか気兼ねなく泊れる実家のような存在でした。

 幌加温泉がFUNKYにとって大きな存在になったのは温泉の素晴らしさも勿論有りましたが、宿を切り盛りしていた親父さんの存在が大きかった。私は親父さんから客商売の仕方(お客様には媚びずポリシーを持って接し、誠心誠意お客様をお持て成しする)を教わりましたし、以前はお手伝いのおばさんお犬様もいて本当に気の休まる宿でした。


セントバーナードのラブ
(1993年撮影)






ばさんに抱かれる3代目お犬様
(1998年撮影)


 左の写真は2代目お犬様(1993年撮影)セントバーナードラブの写真ですが、ラブの前に初代のセントバーナード犬がいたらしいです。このラブは1997年に亡くなり、その翌年に来たのが3代目お犬様のバセットハウンドでした。

 この3代目のお犬様を最初に見たのは生後3カ月位の時で、自分の耳を踏んづけて転んでしまうようなキャラクターに大爆笑したものでしたが、そのお犬様も2008年に亡くなりました。

 その翌年私が親父さんに

  「もう飼わないのですか・・・?」  

 と尋ねると

  「もういいよ・・・。」

 とのご返事だった。

 それは今回の事を予見した深いお言葉だったのかもしれません。



1998年の親父さん


親父さんとのツーショットだが、この写真を後何回撮れるのだろうか・・?

※上の写真は昨年(2010)の9月に撮った親父さんとの写真だが、以前と比べて大分痩せられている。

 下のコメントは、私も歳でもう何回北海道を訪れる事が出来るか分からないので書いたコメントだったが、この写真が親父さんと撮った最後の写真になろうとは・・・。


 親父さんは、私と同じひと回り上の丑年で、以前は恰幅の良い大きな体の方でしたが、晩年は布団を整理するのも大変になったと体力の衰えを訴えておりました。

 今回の訃報に接し、私は18年間に及ぶ親父さんとおばさんとお犬様とそして幌加温泉の思い出を辿ったのですが、FUNKY北海道の歴史の中でこれほど多く泊った宿は無く、沢山の思い出が作られた幌加温泉は、FUNKY北海道の歴史の中心に位置した宿でした。



 幌加温泉を愛した者の一人として、

 親父さんのご冥福をお祈りすると共に幌加温泉の1日も早い復活を願うものであります。

                                平田隆太郎



幌加温泉は以前と変わらない姿で建っていたが・・・。




 そして我々は幌加温泉の現状を確認する為、幌加温泉にやって来た。建物の外観は、遠目には変わっていなかったが、外壁のペンキが剥がれてる所が目立ち多少やつれた感じでした。

 玄関に行ってみると玄関の硝子戸に休館の貼り紙がしてあったが、ガラス越しに覗いた内部は以前とまったく変わっておらず、親父さんが

 「 いらっしゃい。 」

 と ニコニコ笑いながら出て来ても何の不思議もない状態でした。


玄関の様子は休館の貼り紙以外
以前と全く変わっていなかった。

 温泉の状況が気になったメンバーは、外から奥の温泉を見に行ったのですが、温泉は止められ湯船からお湯が抜かれた状態になっていたそうです。

 我々はその状況を見て立ち去るしか出来なかったのですが、誰かこの貴重な温泉を復活させて頂けないものでしょうか。

 幌加温泉のお湯は他では見られない貴重な温泉で、この温泉をこのまま利用しないのはあまりにも勿体無いと思います。個人でも公営でもこの温泉が何とか復活される事を願いながら、我々は幌加温泉を後にしたのでした。

 我々が幌加温泉を見ている間に雨雲が追い着いてきたようで、また雨が降り出して来た。我々は雨雲を振り切ろうと糠平に急ぐ。

 糠平の手前まで来ると路面は乾き、上空には晴れ間も見えていて、我々はそのまま糠平の温泉街を走り抜け上士幌に向かう。

ナイタイ高原牧場


上空は黒い雲に覆われていて、
山の上からは雷鳴が聞こえていた。


 我々は上士幌からナイタイ高原牧場に向かったのだが、ナイタイ高原牧場の在る山の上部分に雲が掛かっているのが見えた。私は展望レストランが在る場所に雲が掛かっているのを心配したのだが、行って見ると幸いにも展望台は雲の下で下界は何とか見えていた。

 しかし、山の上からは時々雷鳴が聞こえてきていて、雨雲が迫っているようであった。私はナイタイ高原牧場定番のソフトクリームを食べながら、これからの予定を考える事にした。

 予定ではこれから国道241号で芽登に出て、道道88号に入って置戸に出た後、国道242号で陸別かから足寄方面に走り途中から道道466号で芽登に抜け芽登温泉に宿泊する事にしていた。



ナイタイのソフトは美味しいですよ。

 携帯の雨雲レーダー画像で雨の状況を確認すると、これから向かう予定コースの彼方此方で雨が降っていて、特に陸別地域は黄色や赤に塗られていた。

 我々としては出来るだけ雨に当りたくない訳で、雨を避けたコースを考えるのだが、実際のところこればっかりは行って見ないと分からないとことがあり、最悪芽登温泉に直行する事も考えに入れ、先ずは上士幌に戻ってバイクに給油する事にした。

 ナイタイ高原牧場からの下りで、我々の前をタンデムのバイク(箱付BMWのカップル?)が走っていた。最近この手のタンデムバイクを見掛ける機会が増えたが、このタンデムスタイルはヨーロッパで多く見られる形で、日本もバイクの楽しみ方がヨーロッパ的になってきているのかもしれませんね。


置戸に移り住んだ秋田県人



上士幌街中のGSで今日2回目給油



 上士幌の街に戻った我々は、今日2回目の給油を行う。ここまで来ると薄日も差して来て天気は回復傾向にありそうなのだが、今日の天気は油断出来ないから予定通りに行くかもう少し様子を見る事にした。

 給油を終えた我々は、国道241号に出て芽登に向かったのだが、遠くに見える山々には黒い雲が掛っており、雲の流れも速く時折風に乗った雨粒がポツポツとシールドに当たっていた。

 芽登から道道88号に入ると路面は生乾き状態で雨が上がったばかりの様子だったが、雨は落ちてはこなかった。道道88号は大型トラックの交通量が多く、以前は路面にダブルタイヤの溝が出来ていたのだが、今回走ってみると最近路面を新たしく舗装し直したようで、黒味の残るフラットな路面になっていた。


置戸のいつものセイコーマートで休憩。

 道道88号は深い原生林の中を縫うように走る比較的フラット(峠は二つほど有るが)なワインディングロードで、コーナーのRが揃っていて奥でキツクなるようなコーナーも無く、楽しく走れる道だ。

 我々は鹿の子温泉までのワインディングロードを充分に楽しんだ後、置戸のいつものセイコーマートにバイクを止め休憩としたのだが、我々がバイクの傍で休憩していると、二人の男性が話し掛けて来た。

 彼らは我々の秋田ナンバーを見て声を掛けてくれたようなのだが、彼らの話によると置戸には昔多くの秋田県人が移り住んで付いた秋田とい地名が有ると言う。

 私はこのセイコーマートから留辺蘂寄りで秋田の道路表示を見た事が有って置戸秋田の地名が有る事は知っていましたが、秋田の地名の由来は知りませんでした。何故置戸に秋田の地名が有るか不思議に思っていましたが、やはりそういう事でしたね。

 K9の話によると、今年秋田魁新報に北海道置戸に在る秋田の記事が載っていたそうで、明治43年に秋田の県南地域を襲った大水害で土地を無くした人々平鹿・雄勝地区の人々)が翌44年に置戸に移住した事をK9は知っていたようですが、魁新聞を取っていない私は知りませんでした。

 彼らは我々に 「気を付けて行って下さい。」 と声を掛けて去って行ったが、これまで何度となく置戸のセイコーマートを利用してきた秋田県人としては、より置戸に親近感を持ってしまいました。


走り込み

 ここで私はこれからの予定コースを考える。置戸の空は青く白い雲も浮かんでいるが、陸別の状況が分からない。少なくても1時間前までは雨が降ってた筈で、これから陸別に向かって路面が乾いているかどうかは賭けだった。賭けに出るか、それとも路面が乾いている道道88号を戻って芽登温泉に直行するかを考える。

 濡れた路面を走っても楽しくはなく、私はリスクを回避し確実に路面が乾いている後者を選ぶ事にしたのだが、今回の道道88号は路面状態が良くストレス無く走れる事も後者を選択した要因の一つだった。だってあのコースを一度しか走らないのは、勿体ない気がしたんです。

 休憩を終えた我々は、道道88号を芽登に向かって引き返す。鹿の子温泉からパーキングの在る峠までの道は、路肩が狭くコーナーのRも比較的小さく先の見通しが良くないので走られる方は充分ご注意下さい。温泉の名前にも有りますように鹿の親子も時々見掛けますので、鹿の飛び出しにもご注意下さい。




芽登温泉入口
道道88号から砂利道を3km走った先に在ります。


 私は芽登温泉入口に向かいながら考えていた。時間はまだ5時を回ったところで夕食までは少し時間が有り、ガソリンにも余裕が有るので芽登温泉と峠のパーキングの間(片道19km)を往復出来るのではないのかと・・・。

 時間的にも走っている車が少ないのも好都合だし、私はこの際ここで走りの練習をする事にしたのだが、最終的にここ道道88号を我々は200km近く走る事になってしまうのである。

 走り込みを終えた我々は、砂利道を走って芽登温泉に向かう。この砂利道は約3km続きSS系バイクで走るには少し長く感じる距離だが、所々に砂利が深い所が有るものの路面は比較的フラットで、私はそう苦にはならなかった。

 しかし、これだけ長い砂利道をGSX−Rで走るのが初めてだったK9は、緊張しまくりで、最高速度30km/hで頑張って走っておりましたね。

9年ぶりの芽登温泉



山奥の1軒宿 芽登温泉

 私が芽登温泉に泊るのは9年ぶり2回目で、前回泊った時も幌加温泉が満室で泊れなかった時だった。今回は定番宿の幌加温泉が休館になった為芽登温泉に宿を取ったのだが、芽登温泉は場所もスチエーションも幌加温泉と似ている温泉で(山奥の静かな温泉)、前回泊った時の印象は、食事が美味しかった事と旦那さんが面白い方だった事でした。

 宿に到着しバイクから荷物を下ろして玄関に行くと40歳代?の男性が出迎えてくれた。前回出迎えてくれた旦那さんの息子さんのようで、代替わりしたようでしたが、以前の旦那ンさんの姿も見えましたから今は息子さんメインで切り盛りしているようです。




今回の夕食


9年前の夕食
 旦那さんは洒落の効いた楽しい方でしたが、若旦那さんと少しお話した感じでは旦那さんの域に達するまではもう少し時間が必要のようでした。案内された部屋は9年前の部屋の隣で、隣より少し広い感じの部屋でした。

 小さなタオルとバスタオルと浴衣が付いて
      1泊2食付き6,250円(平日旧館1室3名利用)
            ですから芽登温泉は大変リーズナブルです。

 1室4名利用で6,000円ですが、この部屋に4名はキツイですね。

 夕食前に温泉に入って汗を流し、露天風呂(混浴)で少しリラックスした我々は、夕食を食べに食堂に向かう。前回泊まった時好印象だった夕食は、今回は普通レベルでした。料理の内容は大差無かったのですが、私は料理の味付けが変わったような気がしました。料理人が変わったのでしょうか?

 もっとも我々が食事をしたのは遅い時間で、料理がすっかり冷めていましたので断定は出来ませんけどね。1泊2食付6千円チョットで、これだけの食事が出る温泉宿はなかなか無いと思いますよ・・・。



  
日本秘湯を守る会 会員の宿です。
温泉分析表

混浴露天風呂



 食事を終えた我々が、氷を購入(500円)して部屋に戻ると布団が敷かれていたのだが、この布団がこれからの私の運命を左右する事になろうとは思ってもいなかった。我々は早速本日の反省会を開始したのだが、やはり話題は道道88号で行った走り込みも事で、FUNKYでこれだけ同じ所を走る事は稀で、皆さんに好評?でした。

 話は明日の朝、峠のパーキングまでもう一往復走る話になったのだが、それがまたドラマを生む事になるのである。私は飲みながら布団の上に寝そべって喋っていたのだが、不覚にもいつの間にか意識を失いそのまま朝を迎える事になるのでした。

 北海道3日目ともなりますと疲れも溜まっていたのでしょう、私はアルコールと布団の心地良さに9時半には夢の中にいたようです。

 しかし、意識を失ったのは私だけでは無かったようで、翌朝聞いた話では皆さん私の後を追うように就寝したようでした。

by Ryuta

5日目
TOP