HOME / FUNKY Library
 September 2013  Hokkaido Part 30 Touring
1 2 3 4 5 6
 最北端を目指して・・・

 北海道2日目の朝が明ける。夜明け前に結構強い雨が降ったらしいのだが、その雨の事は全く知らずにAM6:00前目覚めた私は、外の路面が濡れている事でそれを知る。雨は上がっていたが空はどんよりと曇っており、今にも降り出しそうな空模様であった。

 テレビで天気情報をチェックすると全道に傘マークが並んでおり、辛うじて北の宗谷地方は曇りの予報であった。我々の今日の予定は穂別から宗谷岬を目指して走り、抜海に宿を取る予定にしているのだが、この状況では雨具を脱げない走行になりそうである。

 今日のスペシャルステージは、夕張〜桂沢ダム間、愛別〜歌登間、知駒峠等だが、知駒から先の宗谷丘陵はだけでもドライで走らせて頂きたと願う私でありました。

  今日の走行距離は600km近く有るのだが、宗谷岬で夕陽を見たい(PM5:30頃までに到着したい)と考えていた私は、朝食を早目に取って8時頃には穂別を出たいと相方に出発予定を伝える。


ポレポーレの朝食 これに納豆と味噌汁が付く
早い仕事の方もいるので、朝食は7時前から食べられる。


 ポレポーレの朝食は和食のオーソドッグなものだが、宿泊客の多くは体を使う仕事が多くしっかりカロリー摂取出来るよう、テーブルには沢山の種類のおかずが並んでいる。

 いつもの私の朝食は、食パン1枚とヨーグルト等だが、北海道では昼食の時間が遅くなる場合が多々有るので、朝食はしっかり食べるようにしている。

 今回私は鮭で1杯、玉子ごはんで1杯のご飯を食べてしまったのだが、最近朝食の納豆は遠慮するようにしている。





細っりしたお母さんとの2ショット写真
これが最後になる・・・?


 以前朝食に納豆を食べて走りヘルメットの中が納豆臭くなった事が有って、それ以降朝食の納豆は遠慮する様になったのだが、それは私だけのようで皆さんは普通に納豆を食べて走っていらっしゃいますね。

 以前私は二人で山小屋に泊まり納豆の朝食を食べた事があったのだが、相方が納豆を食べないと言うので私が2パック食べた事にあった。朝食の納豆2パックの影響は急登を登っている時に出て、胃から込み上げて来るゲップの納豆臭さに、私は暫し歩みを止めてしまった事が有りました。

 納豆の臭いに敏感になったのはそれからで、納豆自体は大好きな私だが納豆臭は苦手という変な体になっているのである。

 しっかり朝食を取った私は、出発の準備に取り掛かる。今朝はバイクのチェーンにオイルを吹く必要が無く(まだ100km位しか走っていない)やる事は少ないのだが、何だかんだと時間が過ぎてしまいお母さんと写真に収まって穂別を出発したのはAM8:15を回っていた。

 雨は降っていなかったが雨具を着込んだ我々は、お母さんに見送られて穂別を出発、先ずはシューパロダム工事に伴う付替え道路を走る為夕張を目指す。

 今日我々が行うミッションとしては、先ずシューパロ湖沿いに完成した新しいスペシャルステージを走る事、6月のプチの時に立ち寄った美瑛の景色を再び写真に収める事、音威子府の先国道275号天北峠を越えた所(中頓別町)に在る秋田の地名を写真に収める事、宗谷岬の夕陽を見る事等だったが、天候も天候だし幾つ果たせることやら・・・。

 秋田の地名を写真に収めるミッションだが、北海道には秋田と云う地名が2カ所(私調べ)有って、それは今から百年位前の明治から大正にかけて秋田の人々が移住した地域で、今でも地名に秋田の名が残されている。私が何故北海道の秋田と云う地名に興味を持ったかと云うと、我々がよく立ち寄る置戸のセイコーマートにバイクを止めた時、地元の方々の秋田ナンバーに対する異常?なまでの反応だった。

 置戸のセイコーマートからバイクで5分ほどの所に秋田という地域が有って、そこは明治の末に秋田の県南部雄勝地方から多くの人々が移り住んだ場所で、置戸の方々はナンバーに書かれた秋田の文字を特別な思いで見ておられるようなのである。

 そんな事で秋田生まれの私といたしましては、今回北海道の秋田の地を訪ねるミッションを敢行する事にしたのだが、その1カ所目が今日の訪れる予定の中頓別町秋田なのである。


ダム管理事務所 綺麗なトイレが使えます。
左奥に見えている山にトンネルが掘られ
新しいスペシャルステージへと繋がっている。




2年ぶりに見るシューパロダムは、
大部形が見えてきました。

 道道74号、国道274号、道道452号と走った我々は、夕張市南部東町の以前から蒸気機関車や客車が置かれていた場所の隣に出来たシューパロダム管理事務所?の大きなパーキングにバイクを止める。

 ここまで路面はウエット、雨は小雨が降ったり止んだりだったが、気温が高いせいなのかとにかく暑くて、我々は中に着ていたインナーシャツを脱ぐ事にした。

 朝からこの暑さは北海道としては異例と思われたが、今考えるとその時太平洋上に有って日本に接近中だった台風18号の影響だったかもしれません。

 ダム管理事務所?ではトイレを一般に開放しており、我々はそれを利用させてもらったのだが、桂沢ダムの管理事務所?でもトイレを開放していましたので、ダム管理事務所のトイレは一般に開放する事になっている・・のかな?

 休憩を終えた我々は、シューパロダム付け替え道路へ向かう。付け替え道路が完成するまでは、夕張ダム沿いの狭い道をダム工事のダンプが行きかい、路面は泥だらけ&埃だらけで追い越しも出来ずに最悪の道路状況だった。

 その道と平行に山の中腹に造られていた道が完成したのは2011年の12月末の事で、本当なら昨年の北海道で走る予定にしていたのだが、事情が有って札幌経由で北に向かった為今回が6月プチに続いて2回目の走行になる。

 パーキングを出ると道は旧道と分かれ、左に大きなRでカーブしながら正面の山に掘られたトンネルへと入って行く。そして緩い上り勾配の長いトンネルと抜けると、そこには広くて緩やかにカーブを描く素晴らしい道路が完成していた。

 路面がウエットで我々はその道を充分に楽しむ事は出来なかったが、11kmも続く高速ワインディングロードは走り応えが有りました。しかし、、アベレージスピードが高い事もあって峠のトンネルまではアッという間でした。

 反対にトンネルから先では数カ所工事が行われており、楽しめる状況で無かったのは少し残念でしたが、最終日にもう一度この道を反対側から走る機会がございまして、我々は今回の北海道ツーリングでこの道を充分に楽しむ事が出来ました。


 「どちらまで行かれるんですか?」

 桂沢ダムの先では相変わらず工事の片側交互通行が行われていて渋滞しておりましたが、トンネルを抜けた先は車の流れが良く助かりました。この道は札幌から富良野へ行く近道(三笠経由)で土・日・休日となりますと交通量が多いのですが、今日も連休初日とあってバイクを含め結構な交通量でした。

 三段滝をスルーした我々は、国道452号と分かれ道道135号に入り富良野へ向かう。島ノ下で国道35号に出た後通常は富良野の街まで行って国道237号に入り旭川方面に向かうのですが、今回私は街の手前から国道237号に出る近道を使いたいと考えていた。

 すると前を走っていた大型トラックと小型のバン(営業車)が、左にウインカーを上げ空知川を渡る橋に曲って行くのが見えた。仕事関係の車が2台も曲って行く道は国道237号への近道に違いないと、私は直ぐに左にウインカーをあげてそれに続く。

 道は結構寂しい山道になったのだが、2台の車に着いて行くと私の読み通り国道237号に出る事が出来た。富良野の街まで行くのと比べどれ位の時間が節約出来たかは分からないが、信号のゴー・ストップが無いだけでも気が楽でしたね。


中富良野のローソンで休憩
 

雨は上がっているが雨具は脱げない。
 

止まる度にシールドのお手入れは欠かせません。
(シールドの外側は撥水、内側曇り止め


 国道237号を北に向かって走り始めた我々は、中富良野のローソンで休憩する事にした。ここまで来ると空は幾分明るくなっていて雨は上がっていたが、雨具を脱ぐ決断には至らなかった。

 雨具を着る決断は比較的簡単に出来るが、雨具を脱ぐ決断は結構難しいものが有る。雨具を着ていて雨に降られてもどうと云う事は無いが、雨具を脱いだところにまた降られた時の事を考えると、雨具はなかなか脱げないのである。

 また、雨具を仕舞う時の事を考えると、雨が上がってしっかり乾いてから仕舞わないと、また着る時に濡れた物を着る事になるので、雨が上がったからと言って直ぐには脱げないのである。

 休憩していると我々のバイクの隣に車が止まり4人?の男性が降りて来たのだが、その中の一人が私に質問をして来る。

 男性 「今日はどちらまで行かれるんですか?」

  私  「稚内

 男性 「気楽な旅なんですね!」

  私  「????

 稚内まで行くのが何故お気楽な旅なのか・・・?

 暫し頭の中に???マークが出た私だったが、

  私、男性の勘違いに気付いてしまいました。

  私 「分からない では無くて、稚内 です。」

 私の言葉に男性は一瞬考え込んだが、周りにいた仲間と共にその場は大爆笑に包まれる事になったのであります。

 私の滑舌の悪さがこのギャグ?が成功した要因とは思いますが、雨の中の走行が続き気持ちが落ちていた私にとっては、楽しい旅の思い出となりました。

 私は気分も新たに中富良野を出発、6月に訪れた美しい美瑛の景色に会いに国道237号を北へ向かう。


大きな駐車場の一角に在るポプラファーム



チョコレートソースがトッピングされたゴジラのヒゲ
680円 (税込)


メロンの価格は箱単位だそうで、
ここでは1箱15,000円でした。





 少し走ると6月に訪れたサンタのヒゲで有名なポプラファームが右手に見えて来る。

サンタのヒゲ
は、富良野メロンソフトクリームを合体させて作り上げたソフトクリームブランドで、富良野メロンが高級?な事もあって結構お高いソフトクリームである。

●サンタのヒゲ(大) ¥1,050− (メロン1/2カット)
●サンタのヒゲ(小))  ¥630− (メロン1/4カット)

 がスタンダードで、それに色々なものをトッピングしたスペシャルメニューが用意されている。

 右の写真は私が6月に食べたゴジラのひげ(小) 680円
 (チョレートソースをトッピング) である。

 さすがにソフトクリームに1000円を出す勇気は無い私は、1/4カットの(小)を食べたのだが、富良野メロンは甘くて美味しいメロンでした。

 メロンの上に乗ったソフトクリームの味がどうだったかと云うと、普通のソフトクリームの感じで特筆する物では無かったような気がします。

 しかし、メロンの甘さと対比してしまうと、どんな美味しいソフトクリームでも普通に思えてしまうのかもしれませんので、私はソフトクリームはメロンとは別に味わうのが良いかと思いますね。

 店内には富良野メロンが売られていて、1箱15,000円の価格が付けられていた。1箱に5個入っていても4個入っていても15,000円で、大きさによって1箱に入っている個数が違う(大きければ数が少なくなる)ので、数が少なくなると1個当りの価格は高くなります。

 4個入りの場合1個3,750円、5個入りで1個3,000円の高級メロン?だったが、その時に泊った宿のオーナーに聞いたら、それは「観光地価格でしょ」と言っていた。

 地元のスーパー等で買えばもっと安いし、生産農家に行って買えば1個1,000円位(大きさは分からないが)で買えると言っておりました。

 夕張メロンと富良野メロンどちらが美味しいのか私は知らないが、その時同宿だった広島から来たライダーさんが夕張メロンを買った話を聞いたら、1個5,000円以上?だったようですから、上には上が有るものだと感心?してしまいました。

 私は6月に行った美瑛の丘を再び訪れ、6月とは違った(麦畑の色が違う?)写真を取りたいと考えていたのだが、美瑛に着いてみると曇り空で十勝の山々は雲の中でした。前回は十勝連峰がはっきりと見えておらず、今回は綺麗な十勝連峰をバックにした写真をイメージしていた私は、今回は写真撮影をパスして先を急ぐ事にしました。
 

十勝連峰をバックに麦畑の中をワインディングロードが走る美瑛の丘(6月撮影)


 ウエットからドライへ



東神楽で初給油
空は曇っていたが路面はドライになっていた。





GS隣の東神楽町役場


 国道237号から旭川空港経由で東神楽町役場隣のホクレンで、北海道最初の給油を行う。10年前にも今回と同じようなコースで北に向かっていたのだが、その時の私のバイクがTZR250R(3XV)と足が短く道にも迷ったりした事もあり、愛別のGSまでガソリンが持たない事が有った。

 そんな事で今回は早目に東神楽のGSで給油する事にしたのだが、バイクはGSX−R(タンク容量17L、TZRよりガソリンが2L多く入る)だしTZRより燃費が良いから、ガソリンは11.13Lしか入らず愛別までは余裕で行けましたね。

 この次の給油を音威子府と考えていた私は、愛別から始まるスぺシャルステージの燃費を考えると愛別で給油したかったのだが、考えてみたら今日は土曜日で歌登のGSも営業しており、東神楽で給油しても問題は有りませんでしたね。

 因みに次回の給油は音威子府で行ったのですが、入ったガソリンは13.43Lでした。スペシャルステージの穏やかな走り(路面がウエット)が影響したのか高燃費で、燃料警告灯も点灯せず余裕で音威子府まで持ちました。

 給油を終えた我々は雨具を脱いで東神楽を出発、まず当麻に出た後一山越えて愛別に出る。ここから道道101号に入り歌登りまで続く一気のスペシャルステージが始まるのだが、愛別ダム近くまで来ると乾いていた路面が次第に濡れてくる。

 雨は降っていないが路面は生乾き状態で、スロットルを操作を慎重にせざるを得ず何とも中途半端な走行が続くのだった。そんな走行が岩尾内ダムから下川まで続いたのだが、下川から道道60号に入りサンルダムの付け替え道路に入ると雨がポツポツと落ちてくる。

 雨具を着るかどうかで迷った私だが、強い雨では無くそのまま走り続ける事にする。雨に気を取られ以前有った旧道に下りる道を通り過ぎている事に、私は気付かなかった。

 周りの景色や走っている道は見た事が無く、道は大きなRを描きながら山の向こうまで続いているではないか・・・。舗装路面の状況、道幅共に申し分なく、シューパロダム付替え道路と似た造り(山の中腹を橋を交えて造られている)の道が延々と続いていたが、シューパロダムと違って道の振れ幅が大きく雄大な道路になっており本当に素晴らしい道だった。

 その素晴らしい道はいつの間にか以前の道に変わっていたのだが、私はそれにも気付かずに暫く走っておりました。サンルダム付替え道路工事が行われていた事は、橋の橋梁が旧道の上に造られておりましたので知ってはおりましたが、ダム本体の工事は中断していると聞いておりましたので、道路の完成も暫く先だと私は考えておりました。

 その道路が完成していたとは・・・・。 「晴天の霹靂」 と言うか 「寝耳に水」 と言うか この 「棚からぼた餅」 状態に私は興奮しまくりで走ってしまったのだが、 惜しむらくは路面がウエットだった事で、フルスロットルは許されずそれなりの走りしか出来きずに 「ドライで走りたいィ・・・」 と心で叫びながら私は走っておりましたね。

 新しい道の後は走り慣れた旧道(これが結構好き)になったのだが、路面は殆ど乾いており私はそれなりに楽しんだ後、最近止まっていなかったパーキングにバイクを止める。パーキングには二台の車(仕事関係)が止まっていて数名の方が休憩を取っておりましたが、時間は午後1時を既に回っており1時半になろうとしておりました。

 東神楽のGSを出た後、我々は殆ど休憩を取らず一気にここまで走ってしまいました。この駐車場でバイクを降りたライダーは、それまでの走りの過酷さから膝がガクガクしてまともに立てない事が多いのだが、今回もまた私は顔だけではなく膝も笑っておりましたね。

 一方相方は、要所要所で小休止出来た私と違いバイクから降りる事も無く走りっぱなし状態だったのだが、そんな疲れも見せず淡々とシールドのクリーニングをしておりまして、そのスタミナと根性には感服してしまいました。

 ここまで来ると見上げる北の空には明るいところが有って、私はこれから先雨具を着る事は無いだろうと考えたのですが、世の中そんなに甘くは無い事を思い知らされる事になるのでした。



東神楽のGSを出て一時間半の一気走りでした。

空も少し明るくなってきて雨の心配はもう無くなった?


 暫しの休憩の後、我々は歌登りを目指し再びワインディングロードに走り出す。これから向かう歌登との間には2つの峠が有ってそのそれぞれが持ち味を持っているのだが、一つ目の道道49号の美深峠は森に囲まれた峠で緑の中をマイナスイオンを感じながら静かに走るのが楽しく、道道120号天の川トンネルの在る二つ目の峠は、比較的高速を楽しめる明るい感じの峠である。

 天の川トンネルを抜けると道は下ってそれは広い牧場地の中を走るようになるのだが、そこはもう歌登で我々は歌登温泉入口を通過し歌登の街に入って行く。時間は既に午後2時を回っており昼食の時間はとっくに過ぎていたが、我々は歌登で昼食を取る事はせず音威子府を目指したのであった。

 歌登を通過して我々は道道12号を咲来に向かったのだが、咲来峠近くまで来ると雨が落ちてきてそれは次第に強くなって来る。音威子府まではもう少し、ここで止まって雨具を着るよりそのまま走った方が得策と考えた私はそのまま走行を続ける。咲来で国道40号に出て北上した我々は、先ずは音威子府のいつもの ENEOS GS にバイクを入れる。

 いつものオジサンはいなかったが、給油を終えた我々は直ぐに遅い昼食を取る為、JR音威子府駅に向かうのでした。


 一年越しの音威子府そば

 FUNKYでは道北に来た時、JR音威子府駅舎内に在る音威子府そばの売店で黒いお蕎麦を食べるのがお約束となっていて、特別に美味しいお蕎麦(手打ちと云う訳でもなく蕎麦の実の黒い外皮も一緒挽いた黒い蕎麦)と云う訳ではないのだが、道北を訪れると何故か食べたくなるお約束のお蕎麦なのである。

 昨年もこの売店の前に立った我々だったが、お休み(定休日は水曜日だがバッカスの旦那の情報だと9月上旬は毎年休みのようです 昨年は9/7〜9/14までお休みでした)で食べられず、今年こそはとの思いでJR音威子府駅の扉を開いたのでした。

 そして蕎麦を茹でる白髪頭の親父さんの姿を見た時、私のお腹は一気に空腹感を覚えたのでありました。FUNKYはこの親父さんとは色々と有りまして、絶対に余計な言動をしてはいけないお約束になっておりまして、今回も 天ぷらそば と一言告げただけでそれ以外は一切喋りませんでした。

 幸いにも鍋の中に蕎麦汁は豊富に有り 天ぷらそば 450円 はその道何十年と云う技で直ぐに作られ我々の手に渡ったのですが、今年も元気な親父さんのお姿を見られ本当に良かったです。

 相方の奥様の姿が見られなかったのは少し残念でしたが、これからも末長く音威子府そばを出し続けて欲しいと願う私でした。



音威子府そばは大人気で、この時間でもお客さんは途切れる事はありませんでした。

 遅い昼食だったが美味しいお蕎麦でお腹を満たし外に出てみると雨はシトシトと降っており、我々は雨具を着込んで次の目的地 秋田 へ向かって走り出す。

 北海道の 秋田 その1



GPSの位置情報には、我々が中頓別町
秋田の地に立った事が記録されていた。



 地図上では音威子府から国道275号を北上し天北峠を下った小頓別の集落手前を右に入った道の奥に秋田の文字が書かれているだが、我々は小頓別の集落に到着したが秋田と書かれた看板は無く、ただ細い道が1本在るだけだった。

 その道が秋田に通じる道なのか自信は無かったが、ここまで来て行かないのも心残りなので、私はその道を辿ってみる事にした。

 道は舗装がされてはいたものの中央線も無い狭い道で、人家も無く結構奥まで続いていた。暫く走ると酪農を営むと思われる人家が現れ我々はそこで秋田の文字を探したのだが、秋田の文字どころか何かに書かれた文字一つも発見出来なかった。

 道はまだ先に続いてはいたが、これから先に秋田の文字が有るとは到底思えず、私はここで引き返す判断をする。バイクの向きを変えた後、相方が持っていたスマートフォンの位置情報アプリで我々の居る位置を確認してみる。

 するとスマートフォンのディスプレイには、秋田の文字が表示されたその横に我々の位置を示すマークが表示されており、我々が間違いなく秋田の地に立っている事が証明されたのだが、その証明画面を私はカメラに収めるを忘れてしまいました。

 しかし、R750が秋田に帰ってからログから画面を再表示させたのが左の画像で、本当に便利な世の中になったものである。

 この秋田の地は今は緑の牧草地が広がる長閑な風景が広がっていたのだが、100年前は原生林が広がっていたと思われ、道北の自然環境を考えると先人達のご苦労は想像を絶するものだったに違いありません。

 そんな北の大地をバイクで訪ね歩いている私は、確かにお気楽な旅人なのかもしれませんね・・・。
 

あの白い家に住む人が秋田所縁の人なのかは分か
らないが、そうあってほしいと願いシャッターを押す。
向こうが小頓別方面


GPSで位置の確認をしています。





秋田の地に立った証明写真を撮りました。


 知駒から宗谷丘陵へ


雨具を脱いでこれからの走りに備える。


 秋田から国道275号に戻った我々は、今度は楽しみにしていたスペシャルステージへ向かう。このレポートを書いていて気付いたのだが、小頓別の先(中頓別寄り)に岩手という地名が有り、これも秋田と同じく岩手の人々が移り住んだ場所と思われる。

 本州と同じく秋田の隣に岩手が在るのは偶然ではないような気がするが、北海道には山形(美唄市)、広島(北広島市)、金沢(当別町)等本州の地名が沢山有る。北の大地に移り住んだ人々の郷土への強い思いが、郷土の地名に込められているのかもしれませんね。

 中頓別の街に近づくと路面は乾き始め知駒峠に左折する頃には路面はドライに変わっていたのだが、峠を上り始めると雨上がりのまだ湿った路面に変わる。

 しかし路面のグリップはそんなに悪くなく、私は天空に続くワインディングロードを知駒峠を目指して一気に駆け上る。いつもは峠のパーキングで休憩を取るのだが今回はそのまま峠を下って行くと、傾き始めた陽の光が雲間から鮮やかに景色を照らし出す光景が視界に飛び込んでくる。

 その景色を写真に収めたかった私だが、走るに忙しいのとバイクを止める適当な場所が無くそのまま走り続けていると、道の左側に小さな駐車スペースを見付けバイクを止める事にした。

 生憎その場所の展望は良くなく景色の写真は撮れなかったが、北の空には青空が広がり始めており我々はここで雨具を脱ぐ事にした。雨具を着た走りはシートとお尻のグリップ感が希薄だったり、上着がパタパタして走りに集中出来なかったりするので、出来るだけ雨具を着ないで走りたいのである。

 今日の宿は抜海に在るばっかすなのだが、夕食の時間が気になって宿に夕食時間の確認の電話を入れる事にした。こんな知駒の山の中でもdocomoの携帯が通じる事は昨年確認済みなのだが、こんな所にまでアンテナを建てるdocomoさんには感心させられますね。ばっかすの夕食はPM7:00からという事でまだ時間は充分(3時間)に有り、予定通り宗谷岬を回って宿に向かう事にする。

 雨具を脱ぎ身軽になった我々は、峠を下り豊富を目指す。豊富温泉手前の本流で道道121号に入り、雄大な牧草地を縫うように走る道を宗谷岬へと急ぐ。

 昨年事情が有って走れなかった道道1077号を通り(短いがそれなりに楽しめる道だった)、道道889号に入って宗谷丘陵のワィンディングロードを走っている時、それは突然起きた。


 エンジンが壊れた!?

 3速・4速と加速した時エンジンが一瞬息つきを起こしたように回転の上がりが鈍り、メーター内の赤いランプが点滅を始めFIの文字が表示された。しかし、FI表示は出たが普通に走れていたので、私はメインスイッチを一旦切って再び入れてみる。

 それでまたFI表示が出ればFI故障が継続しているし、消えればFI故障は一応解消されている事になるのだが、結果はFI表示は消え普通の状態に戻っていた。

 そこで私は今まで通りの走りを続けたのだが、また同じような状況でFI表示が出る。この状況は喜ばしい事ではないが致命的な故障では無さそうで、私はメインスイッチをしてしながら走行を続ける事にした。

 しかしその後、新たなる危機が突然私を襲ったのである。3速で立ちあがり次のコーナーでブレーキングして2速にギヤダウンした時

  「エンジンが行き成り死んだ・・・」 エンジンが突然止まったのである。

 ギヤは2速に入っていたが、メーター内のギヤポジションインジケーターには横棒() が表示され、下にCHECKの文字が表示されていた。

 私はこの初めての状況に驚き、クラッチを切ってバイクを路肩に寄せて止めたのだが、エンジンを掛けようとクラッチを握ってセルボタンを押したが反応は無かった。

 「エンジンが壊れた!?」 と思った私は、頭の中が一瞬真っ白に・・・。

 「よりによってこの北の外れでかよ・・・

 私はこの場所からどの様にして秋田までバイクを持ち帰るかを考えてしまったのだが・・・待てよ!?

 エンジンは突然止まったが、壊れた様な音はしなかったから機械的な故障ではなさそうだ・・・。だとすれば電気的な故障と考えられるが、ランプ類は点灯するしメーターの表示も有る(バッテリーは生きている)のにセルが回らないのはおかしいし、何よりギヤインジケーターの表示が無いのと下のCHECKの文字が解せない・・・?

 CHECK表示は、キルスイッチが作動している時やギヤが入っている状況でサイドスタンドが出ている時などに表示されるのだが、この状況のCHECK表示の意味が私には分からなかった。

 私は先ずギヤをニュートラルにしてみる事にしたのだが、エンジンが止まっている状況ではシフトレバーはなかなか動かず、バイクを前後に動かしながら何とかギヤをはニュートラルにする事が出来た。するとギヤインジケーターはを表示、CHECKの文字が消えたではないか・・・。 私がクラッチを握り恐る恐るセルボタンを押してみると・・・

 すると どうでしょう セルモーターは回りエンジンが掛かったではありませんか!?

 エンジンは何事も無かったように普通に作動、全く問題無いようにみえる。

 「 よかったぁー 」 つい先ほどのお先真っ暗状態から脱した私は、本当に安堵いたしました。

 エンジンが停止した原因(後日エンジン停止の原因はギヤポジションセンサーGPsの不良で有る事が判明)は分かっていなかったが、何はどもあれここから発進出来る事に私は本当に幸せでした。私はスロットルを開け、ギヤを上げて加速、エンジンの様子を確認しながら走ってみたのだが、問題無く走れる事が確認出来ました。

 その後、先ほどと同様の走りはしなかったが、私は次第にペースを上げて走行して行くのでありました。


 バンビちゃんとのコラボレーション

 それは左のブラインドコーナーを抜けた時だった。目の前には5〜6頭のエゾ鹿の群れが路上に屯していて、私は咄嗟にパニックブレーキを掛ける・・・。ブレーキとタイヤは充分に温まっており、GSX−Rはリヤタイヤを持ち上げる程の制動力で減速したのだが、群れの手前で止まれるだけのスペースは無くGSX−Rと私は群れの中に突入して行く。

 しかし、私も驚いたが鹿も驚いたのだろう。鹿は私が進む方向に逃げようと(草食動物は襲ってくる動物の反対側に逃げる習性を持っている?)一斉に向きを替え私の進行方向に向かって逃げ始めたのだが、この一斉に向きを変えた事が私に活路を見出せさせたのである。

 私が鹿と対峙した時、多くの鹿は道路を塞ぐように横方向を向いていて(横断中?)、そこにはバイクを通す隙間が全く無かったのだが、驚いた鹿が逃げようと一斉に私と同じ縦方向に向いた為、閉まっていたドアが開いたように一瞬でバイクを通す道が開け、私はそこにバイクを押し込み鹿との衝突を寸でのところで回避出来たのである。

 私と一番近くでニアミスをしたのは小鹿で間隔は50cm程しかなかったのだが、結果的に私は小鹿の横に並らんで並走する形になってしまった。小鹿は私から逃げようと必死で走っておりましたが、私は小鹿を追い越して先に出るか、それとも止まって先に行かせるか迷いました。

 先に出る時驚いて接触する可能性も有り、止まって小鹿(バンビ)を先に行かせるのが良かったとは思いますが、必死になって走るバンビちゃんの横顔を真近で見ておりましたら(鹿の走っている顔を真近に見られる機会は滅多に無い)バンビちゃんが可愛いくて、このまま並走するのも良いかなと思ってしまったのある。

 そしてバンビちゃんとの楽しいコラボレーションは1km?近く(結構長かった)続き、やがてバンビちゃんは道路脇の笹ヤブに消えて行ったのだが、バンビちゃんは何故私と路上を走り続け(道路脇に逃げる事は簡単なのに・・・)たのだろうか・・・。地元の人から、鹿は道路の上をひたすら逃げると聞いた事があったのだが本当でした。

 私は以前秋田の林道を走っていてカモシカの子供に着いてこられた(私の前を親シカが横切りその後にいた子供が何故か私の後を追って来た 因みにその時私が乗っていたバイクはセローでしたけど・・・!?)事があったが、私バンビちゃんと相性が良いのかもしれません!?

 そんな親父の行動を後方で見ていたR750は、必死に逃げているバンビちゃんが可哀そうだと、私の取った行動には批判的な御意見をお持ちのようでしたが、一歩間違えばバンビちゃんと衝突していた間柄ですから許してやって下さい?

 しかし考えてみますと、先ほどのエンジンストール事件が無かったら、バンビちゃんの運命私の運命も違ったものになっていた可能性が高いですね。

 エンジン不調からは復活したものの、エンジンストール事件後の私のスロットルワークは控え目になっておりましたから、バンビちゃんとの衝突回避がギリギリのタイミングだった事を考えますと、コーナーからの脱出スピードが少しでも速かった場合、バンビちゃんとの衝突は避けられなかったかもしれません。

 人間何が幸いするか分かりませんが、フェリーのBINGO大会と云い今回のバンビちゃんとのコラボレーション事件と云い、今回の北海道ツーリングの私には幸運の女神様が付いていたように感じています。

 バンビちゃんとのコラボレーションを楽しんだ後、ブラインドコーナーの先を慎重に探りながら走った私は、航空自衛隊のレーダーサイトが見えるいつもの場所にバイクを止める。その時、正に太陽が山陰に隠れようとしていて、夕陽と青空と赤く染まった雲、逆光に浮かぶレーダーサイトとのコントラストが誠に綺麗でして、良い思い出となりました。

 相方も今日初めて?景色を眺めたと感動していたが、穂別を出てここまでの9時間の間相方は景色を見ずに走りに集中していたようである。見方を変えれば景色を見る余裕が無い走りだった?のかもしれないが、その集中力には感服した私であります。



航空自衛隊のレーダーサイト 北の守りの要の施設である。
同様の施設は男鹿半島本山の頂きにも在るが、真冬の環境は比べ物にならない程厳しそうである。



夕陽と空と雲、逆光のコントラストが綺麗でしたね。       地面の色が白いのがここの特徴らしいです。


意識してこの場所にバイクを止めた訳ではないが、以前もこの場所で写真を撮った気がする。


 宗谷岬の夕陽

 宗谷丘陵を走り切った我々は、キツイ下りのヘアーピンカーブを下って日本最北端の地にバイクを止める。時間は午後5時半になろうとしていたが、日没にはギリギリ間に合いました。

 我々はこれまで何度となくこの地を訪れており特別な思いはございませんでしたが、日本最北端の地で夕陽を見ると云うミッションは達成する事が出来、それなりの達成感を持って写真に収まったのでありました。







日本最北端の地の夕陽に何とか間に合いました。


 北海道2日目無事終了

 この後は我々は稚内に向かって走り出したのだが、稚内の街に近づくと正面にはシルエットとなった利尻富士が見え、流れて行く街の明かりの中を我々はミニパトカー(駐在所によく置いてあるやつ)の後に着いて静かに走っていた。

 その時後方から大きな音が近づいて来たと思ったら、1台のバイク(車種は分からなかったが古そうなバイク)我々とミニパトを一瞬でお追い抜いて行く。追い抜かれたミニパトは警告するように屋根の赤色灯を回転させたのだが、追い掛ける事はせず(追い掛けても追い着く訳が無いが・・・)そのまま走行を続けていた。

 追い抜いて行ったバイクのライダーは、古そうな革ツナギを着て荷物も積んでいなかったから地元のライダーと思われるのだが、ミニパトとは云えパトカーを追い抜く度胸には私感服してしまいました。もっともライダーと駐在さんにとってそれは日常の出来事であり、挨拶代りの赤色灯だった可能性もありますけどね・・・!?

 稚内市街のいつものセイコーマートで飲物を調達した我々だったが、私は明日のガソリンの事を考えていた。明日は日曜日で開いているGSは限られる日なのだが、我々の燃料タンクの中にはあまりガソリンは残されていなかった。3時間位前に音威子府でガソリンを入れてはいたが、既に200km近く走行しており60km先の天塩までGSは無いから私は明日のガソリンが心配だったのである。

 天塩までガソリンが持つとは思うが、走りによって燃費は大きく変わるので安全を見て稚内で給油してから抜海に向かう事にした。我々はセイコーマートから少し戻ってJR駅裏のGSで給油を行ったのだが、私が稚内の駅だと思ったその駅はよく見ると南稚内と書かれいて、日本最北の駅 稚内 ではありませんでした。稚内の街が縦長だとはいえ、こんなに近い間隔で駅が有るとは知りませんでした。稚内市街の駅の間隔は大都会並みですね?

 稚内を出た我々は海沿いの道を抜海まで走ったのだが、その道の頭上には除雪時に目安となる矢印が下向きに設置されていた。その矢印のには発光ダイオードの緑色のイルミネーションが取り付けられていた。私は赤色のイルミネーションは見た事が有ったが緑色は初めてで驚いたのだが、緑色の訳は吹雪の時に赤色より見易いと云う理由らしいです。

 バッカスの旦那によれば、確かに赤よりは緑の方が見易いらしいのだが、猛吹雪になれば何色でも見えないと言っておりました。イルミネーションの色を変えさせるほどに、この地方の吹雪は半端無いと云う事でしょうか・・・?



 このお犬様は7歳になったようだ。


 PM6:30 我々は陽が落ちすっかり暗くなったいたばっかすに到着する。車庫のシャッターは開いており、我々はいつものようにその中にバイクを入れ暗い中荷物を降ろしていたのだが、旦那がライトを持って来てくれた。

 何とも気使い良い旦那なのだが、この宿の良い所は痒い所にも手がいきとどくオーナー夫婦の気使いかもしれませんね。

 荷物を持って玄関に行くと横にはお犬様がいて相方と挨拶を交わしていた。このお犬様、今年で7歳になるらしいのだが、我々が初めてバッカスに泊った2006年からこの宿にいるらしく、私との付き合いは7年(4回目)にもなるのだが、私には何ともよそよそしい。

 それにひきかえ、生けるもの全てをこよなく愛するR750とは5年(3回目)の付き合いにも関わらず親密なる対応をしており、私との対応とは大違いであった。犬(動物)も人を見ると云う事でしょうか?



めずらしくビールのお代わりをしてしまいました。


  この宿では宿帳の記入から全てが始まるのだが、私は宿帳の記入後お風呂に入り汗を流しスッキリしてから夕食のテーブルに着く。ばっかすでは今年から生ビールサーバーを導入したそうで、1杯300円で提供していると言う。生ビールが300円(以前泊まった宿は同じような生ビールが1杯500円だった)とはお安く、我々は生ビールで乾杯をして今日の走りを締め括る事にした。

 ばっかすの夕食のテーブルには高級ではないが地物の新鮮な食材を使った料理が並び、旦那の料理の説明から食事は始まる。我々は美味しい夕食を頂きながら、同宿のお客さんとの会話を楽しみながら、楽しい時間を過ごすのでした。


バッカスの夕食は料理のバランスが絶妙















 お客さんの中に明日東京に帰る女性がいて接近中の台風18号の影響で飛行機が飛ぶのか、キャンセル料を出来るだけ払わずに飛行機を変更する方法は有るのか等、元旅行会社の添乗員?だった旦那や同宿の男性(やけに飛行機事情に詳しい方だった)にR750を交えて飛行機チケットの話で大いに盛り上がっていたのだが、そんな知識を全く持ち合わせない私は、蚊帳の外でその様子を眺めていましたね。

 我々の問題は 明日の雨。明日我々はいつものように網走のアニマの里に泊まるのだが、天気情報では台風の影響も有ってか全道の殆どに傘のマークが出ている状況にどう対応すべきか、私は頭を悩ましていた。また、明日はZX−10Rと落ち合う日で、どこを落ち合い場所にするかも課題だった。

 ZX−10Rは今日の夕方新千歳空港に降り立ち、我々がデポしたZX−10Rに乗って旭川に宿を取ったとの連絡は入っており、私は天気が良ければ霧立峠あたりで落ち合う算段をしていたのだが、雨ではわざわざ霧立まで来る事は無く愛別あたりを考えていた。

 この時、台風18号はまだ本州の南の太平洋上に有って、本州に狙いを定めている状態だった。しかし、後に本州に上陸する事になるこの台風18号が、京都嵐山の渡月橋と同様に我々のツーリングに多大なる影響を及ぼす事になろうとは、その時の私は考えておりませんでしたね・・・。


           

前へ
1
2
3
4
5
6
次へ
6ページ中2ページ目を表示


by Ryuta
           HOMEFUNKY LibraryRyuta’s Museum東北情報北海道情報秋田の林道秋田ヤブ山紀行Mail         TOP

Copyright(C) HIRATA  MOTOR CO., LTD.All rights reserved.