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 September 2014  Hokkaido Part 31 Touring
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 今日の予定

 北海道最終日の朝、私はいつものように六時前に目覚め温泉に行く。私は誰もいない露天風呂で川の音を聞きながらゆっくりと温泉治療?を行っていたのだが、そこに他のメンバーも合流一緒に朝の温泉を楽しむ。

 今日も朝食を七時、出発を八時に設定,準備を進める。今日の予定としては、午後に札幌で大事な用事が有り、それに間に合うよう札幌に到着する必要があった。

 札幌へは占冠ICから道東道に上がって道央道に入り、北広島ICで下りて国道36号で札幌に出る予定にしていて、私としては11時までに占冠ICから道東道に上がりたいと考えている。

 今日の天候は西から雨雲が近付いて来ている状況で、札幌に行くまでに何処かで雨を覚悟しなければならなかった。出来れば占冠まではドライ路面でお願いしたいのだが、それはお天気の神様次第ですかね・・・?



芽登温泉混浴露店風呂



芽登温泉の朝食
 食後にレギュラーコーヒーが出ます。




チェーンに注油は毎朝行います。
芽登温泉 来年も来る事が出来るかな・・・?


 芽登温泉から北広島ICまで一番シンプルな行き方としては、足寄ICから道東道と道央道を使い北広島ICまで行く方法(距離は250km位、所要時間4時間程度)が有るのだが、高速料金が5000円位掛かりそうだし何より高速道路は走って楽しく無いのがネックだった。

 お金は掛かるは楽しく無いではお金の無駄使いで、私は時間とお金と走りのバランスを考慮、占冠ICから高速道を使う方法で札幌に向かう事にしました。

 占冠IC〜北広島間の高速料金は2,170円と足寄ICからと比較すると半分以下でお安く、占冠までは北海道最終日にいつも走る然別湖、狩勝峠、トマム〜占冠間のスペシャルステージを楽しめ、時間的にも皆さんの頑張りで何とかなると考えたのだ。

 今朝は昨日の件も有り、例の峠のパーキングまで往復してから然別湖に向かう事にしたのだが、3時間で占冠に到着出来るかどうかは、やってみなくては分かりません? しかし、多分大丈夫でしょう!?

 我々が今日札幌に赴くのは、以前FUNKYメンバーとして我々と一緒に走った人物の実家を訪ねる為なのだが、こんな日が来るなんて私は考えてもいませんでした。

 八時過ぎ芽登温泉を発った我々は、ガタガタと3キロの砂利道を走って道道に戻り、左折して峠のパーキングに向かう。私は昨晩のレクチャー結果を検証すべくGSX−R750の後に着いて走ったのだが、やる事は頭で分かっているが操作が伴わず、走りがとっちらかって大変そうでした。

 GSX−R750の走りを見届けた私は前に出て前の2台を追ったのだが、追い着く事は無かった。峠からの帰りは2台の後で走ったのだが、皆さん楽しいそうにワインディングを楽しんでおりましたね。


 芽登〜清水谷〜糠平〜然別湖〜新得

 芽登温泉入り口を通り過ぎた我々は芽登へ向かい、芽登の街手前に在るパーキングを通り過ぎる。私はそのパーキングに多くの思い出が有りまして久しぶりに休憩も考えたのだが、今日はスケジュールがタイトでそのまま通過する。そのパーキングの直ぐ先右側に道道468号入口が見えて来るが通行止の為に通過、我々は国道241号に出て上士幌方面に右折する。

 通常、芽登から糠平に向かう場合、国道241号で上士幌に出て国道273号に入って糠平に向かう(我々は道道468号を使う)のだが、今回私は芽登と上士幌の中間から清水谷(道道468号)に出る近道(町道?居辺東10線)を使う事にした。

 この道は道道468号が使えるようになる前、足寄から糠平に出る近道として使っていた道で、入口に清水谷の青看板(多分?)が出ていたと思います。近くに携帯電話のアンテナが立っていますので、アンテナの塔が見えて来たら気を付けて探してみて下さい。

 この近道(居辺東10線)は近くの農家の皆さんしか使わない道で、トラクター等が自由奔放に走っていますので、充分に注意(特に農場の出入口)して走行して下さい。私は以前この道を走っていて、横道から勢い良く飛び出して来たトラクター(前に鋭いフォーク<牧草ロール突き刺し用?>が装着されていた)に串刺しにされそうになった事が有りました。

 その道を道なりに走って行くと、道道468号の大きなヘアーピンカーブ手前に出たのだが、私の予想通り右折の芽登側には通行止の柵が設けられていた。我々は左折して国道273号に出て右折、糠平に向かう。

然別湖に到着です。


休憩を終え新得経由で狩勝峠へ向かいます。


 糠平から道道85号に入った我々は、幌鹿峠を越えて然別湖を目指す。パールラインと呼ばれるこの狭い二車線の道は、相変わらずのクネクネさで大変ではあるが面白さも有る道で、ここが大好物の緑のバイクが俄然元気になって走り出す。

 反対に高速レンジで元気の良かったブラックバードは、このシチュエーションでは重いは曲がらないはで、大変だったようです。原生林の中を縫うように走るワインディングロードを楽しんだ我々は、然別湖に沿って走る一車線路に出る。

 この湖畔に沿った狭い道は、曲がりくねっているは、路面は悪いは、ブラインドコーナーで見通しがは悪く、路面の左側は直ぐ湖になっていて大変疲れる道なのだが、これが嫌になっちゃう位結構続くんです。

 私はやっとの思いで然別湖畔温泉に到着、暫しの休憩を取る事にした。ここも紅葉には少し早かったが、観光バスも結構停まっていて湖を巡る観光船に乗る人達も結構おりましたね。

 我々に観光船に乗る時間は無く、有名観光地 然別湖 の看板前で写真を撮って早々に退散、新得へ向かう。我々は昨日の夕方上士幌で給油していたのだが、距離はそれほど走っていなかったにも関わらずガソリンが心細くなってきた。

 芽登温泉入口から峠パーキングまでの往復は約50km弱、それを二往復で100km近い距離を燃費が悪い低いギヤで走っており、糠平〜然別湖間もまた燃費が悪かった筈で、燃料警告灯はまだ点いていないが、タンク内のガソリンは少なくなっていると考えられる。

 予定では鹿追いから直接狩勝峠に出る事にしていたが、そうなると次の給油地点は狩勝峠の先の落合かトマムになる。狩勝峠ではガソリンを使いそうだし、落合までガソリンが持つかどうか私は心配(多分大丈夫だと思うが・・・)になってしまった。

 狩勝峠をガソリンを心配しながら走るのも嫌なので、その前にガソリンを給油する事にした私は、鹿追→新得経由で狩勝峠に向かう事にしました。

 然別湖を出て直ぐ、私のGSX−Rは燃料警告灯が点滅し始める。タンク内のガソリン残量は4.5リットル、ここで4リットルのガソリンが残っていれば鹿追の先の新得まで充分ガソリンが持つと判断、私は昨年も給油した国道38号に出た所に在るコスモGSで給油を行う事を決める。

 白樺峠を越えると左手に広大な十勝平野が眼下に見えて来て、我々は北海道らしい景色を横目で見ながら峠を下って行く。峠道を下った所で菅野温泉へ向かう道が右手に見えて来る。数年前に閉館となった菅野温泉は、今年の夏からから経営者が変わって新装オープン(日帰り入浴だけ)したとの情報は入っていたが、今回は札幌に赴く事情からそのまま通過する。

 幌加温泉が閉館になって、私はポスト幌加温泉として菅野温泉に大いに注目していたのだが、インターネットで再開した新しい温泉施設を見ると、以前とは違った近代的?な造りになっていた。私がイメージしていた新装菅野温泉とはちょっと違っていたのだが、何種類もの源泉が有るという菅野温泉を一度は味わってみたいと考えている。

 私はこれまでに何回(今回も含め)も菅野温泉(日帰り入浴だが・・・)を予定に入れていたのだが、雨が降って予定が変更になったりしてまだ行く事が出来ていない。菅野温泉は私にとって縁遠い温泉になっていますね・・・?

 我々は、昨年洗車も行ったコスモ石油のGSにバイクを入れ給油を行う。我々のバイクやジャケットには虫の死骸が沢山貼り付いていて洗車もしたいところだったがそんな時間は無く、GSのスタッフから虫取り液とタオルを借りてジャケットやバイクに付いた虫を落として身嗜みを整える。札幌の訪問先に、虫だらけの姿は見せられませんからね・・・。

 このコスモGSのスタッフの皆さんは大変親切で、私は以前よく立ち寄っていた上川の出光GS(現在は閉店)を思い出していた。上川の出光GSは設備が古くなって閉店したようなのだが、このコスモGSも設備が古そうなので閉店が心配される。FUNKYは訪れるGSを出来るだけ同じにしているので、年に一度ではあるが毎年訪れているとGSスタッフと顔見知りになる事が結構有る。

 そんな人間関係が旅を豊かにしてくれたりするのだが、残念な事に親しくさせてもらっていたGSがどんどん閉店する傾向に有り、その機会が少なくなってきている。このコスモGSには、スタッフと共に長く存続していってもらいたいと願うものである。

 給油を終えた我々は、今回の北海道最後のスペシャルステージ 狩勝峠〜トマム〜占冠 へ向かう為、国道38号を富良野方面へ走り出す。昨年も立ち寄った そばレストラン 玄穣 前を通過、先ずは狩勝峠へと向かうと・・・今回も狩勝峠上り口手前のお取り調べは開いておりませんでした。

 パーキングを過ぎ登坂車線が始まった所で、我々は峠目指してスタートを切る。


 狩勝峠〜トマム〜占冠

 今年の狩勝峠は昨年同様交通量が少なく走り易かった。昨年はエンジン不調(高回転が使えない)でGSX−R750の後ろで走ったりした私だったが、今年は高回転域を存分に使って先頭で狩勝峠を楽しむと二番手にはブックバードが来ていた。直線は強いブラックバードだが、高速コーナーはGSX−Rに分が有るようで、次第に黒い点は小さくなって行きましたね。

 後続の皆さんも狩勝峠を大いに楽しんだようだが、GSX−R750は走りに納得がいかなかった(狩勝峠をワンギヤで走っちゃ駄目でしょ)ようで、昨年快走?したトマム〜占冠間に気合を入れ直していたようです。

 狩勝峠を越えた我々は落合で国道38号と分かれ道道1117号に左折、中速ワインディングを楽しみトマムの街?に出る。信号を右折しトマムリーゾート入口、JRトマム駅と通過すると道は直線が続く区間に突入。そして幾寅峠への分岐を過ぎ道東道とJR石勝線の下を潜った道は、鵡川沿いの中速ワインディング区間に突入する・・・!?

 さあこれからと思った矢先・・・空からポツポツと雨粒が落ちて来てしまった。路面は次第に黒く変わり前方の空は黒い雲で覆われており、私はバイクを止めて雨具を着る事にする。北海道最後のスペシャルステージ10kmを残しての雨は誠に残念でしたが、これまでをドライ路面で走れましたから良しとしましょうか・・・。

 しかしこの最後のステージで、皆さんに快走する姿を披露しようとしていたGSX−R750に取っては無情の雨となってしまった。しかし、新たに発覚した課題もまだ未解決でしたし、雨が降って来なかったとしても今回快走を見せつけるのは難しかったと思いますよ・・・?

 雨具を着込んだ我々は、濡れた路面を慎重に走り道道136号から国道237号へ左折、占冠の道の駅を目指す。JR占冠駅の前まで来ると車同士の事故が有ったようで、前部が大きく破損した黒いランドクルーザーが路上に止まっていた。

 私はその車に見覚えが有り、それは我々がバイクを止めて雨具を着ている時、その横を勢い良く通り過ぎて行ったランドクルザーに違いなかった。

 「車は良いよなぁー 雨が降って来てもワイパーのスイッチを入れるだけで・・・。」

 私は走り去って行くそのランドクルーザーの後ろ姿を、羨ましく見送っていたのですが・・・。

 ランドクルザーの前部右角?は結構激しく破損しておりまして、堅牢なランドクルザーがあれだけ破損したとなると、相手の乗用車(損傷具合はよく見えなかった)の事が私は心配になってしまいました。

 右折して駅に入ろうとしたランドクルーザーと衝突したのが、対向車線を直進して来た車なのか? 駅から出て来た車なのか? は分りませんでしたが、周りの状況から見て重傷者は出ていないような感じで良かったです。

 我々は今回のツーリングで3回目の事故現場(1回は自分の現場ですか・・・)に遭遇してしまったのだが、この後札幌市内で4回目の事故現場に遭遇する事になり、今回のツーリングは今までに無く事故に出会ったツーリングでしたね。

 我々が占冠の道の駅に到着する頃には雨は小降りになっておりましたが、我々は札幌までの一気走りに備え休憩を取る事にする。


 占冠〜札幌

 我々はここで休憩した後、占冠ICから道東道に上がって札幌を目指すのだが、スマートフォンで見た雨雲レーダー画面には、この先で真っ赤な点が南北に帯状に連なり踊っているのが確認出来た。我々は東から西に向かってその帯を突っ切らなければならないのだが、帯の幅は広くは無く時間的は15〜20分程度で通過出来そうに思える。

 我々はシールドの内側に曇り止め、外側には撥水剤を塗り直し豪雨対策を行う。バイクの場合雨中走行で前が見え無いのは最悪で、先が見えない雨中走行は生命にも関わる。危険を感じた場合スピードを落として走行すれば良いのだが、高速道の場合は雨が降っても車はバイクほどスピードを落さないから、極端にスピードを落とすとかえって危険な場合が有る。

 私は占冠を11時に出る予定にしていたが、時間は既に11時を大きく回っていた。我々は道の駅を発って占冠ICから道東道に上がり札幌を目指すが、時間の遅れはまだ許容範囲内で車の流れに乗って走る。

 私はこれまでトマムICから西の道東道(千歳恵庭JCTまで)を走った事が無かった。道の状況が分からずに豪雨に遭遇するとあって私はに少し緊張気味に走っていたのだが、高速に上がった時は雨はそんなに降っていない状況だった。道は直ぐにトンネルに入り幾つかのトンネルを通過、そして長い長いトンネルを抜けると・・・強烈な雨が降ってきた。

 それは飛沫で路面が白く見える程の降りだったのだが、先ほどシールドに塗った撥水剤が効果を遺憾なく発揮、雨粒を弾いて視界が効いて我々は車の後ろに着いて走る事が出来ました。

 そんな状態が続いたのですが、我々は再びトンネルに入って豪雨から開放される。そのトンネルが結構長くてこのまま札幌までトンネルが続く事を願ったがそんな筈も無く、トンネルの出口が見えて来て私は豪雨に備えたのだが・・・!?  トンネルの外は雨が小降りになっておりました。

 山間部を抜けて夕張ICを過ぎ追分ICまで来ると、路面は乾いていて空もスッキリとした快晴になっていた。今回の北海道で一番の青空の下、我々は千歳恵庭JCTから道央道に入り札幌へ向かう。道央道はさすがに幹線高速、片側二車線の路上に車は溢れておりましたが、我々は時々追い越車線を使いながら北広島ICへ向かう。

 JCTから北広島まではアッという間に到着、我々は国道36号に下りて札幌を目指す。私は今回初めて道東道の占冠IC〜千歳恵庭JCT間を走ったわけだが、私はもっと近いと云うか時間が掛からないと考えていたら、実際に走しってみると結構遠い印象だった。

 それは片側一車線の高速道路で追い越しがままならない事も有ると思うが、占冠〜夕張間の半分以上がトンネルで景色が変わらない事も長く感じた要因だったかもしれません。北海道の山奥を走る道路は、冬季の除雪が大変だと思いますし凍結による事故も心配されますから、建設費がかさんでもメンテンンスの(除雪等)楽なトンネルにした方が得策だと思いますね。


 大都会 札幌

 北広島ICを出たのは12時46分だったのだが、我々はまだ昼食を食べておらず私は先ず食事処を探した。陸別と違い食事処(ラーメン屋さん、カレー屋さん、お寿司屋さん等々・・・)は道の両側に次々に現れ、選ぶのに迷ってしまう状態だったのだが、店が道の右側だったり駐車場が満杯だったりと適当な処が見付からなかった。


全国展開している ごはん処 大戸屋



四元豚のロースかつ定食 895円(税込)
写真 大戸屋HPより)



炭火焼バジルチキン定食 税込 865円

 そうこうしている内に左側にフェミレス風の建物が見えて来て、駐車場も空いていたので私はその駐車場にバイクを入れる。お店の看板には大戸屋と書かれていて、私は札幌ローカルのお店だと思っていたら、メンバーが全国展開する定食等で有名な食事処だと教えてくれる。

 そういえば、以前テレビで取り上げられていたのを見たような気がします。我々は先ず雨具を脱ぎそしてそれをバッグに収納してからお店に行ったのだが、時間は1時を回っていたのも関わらず順番待ちの状態でした。

 私は順番待ちのシートに名前を書き外で待つ事にしたのだが、着いたら直ぐに名前を書けば良かったと後悔してしまった。田舎者は順番を待って食事する事に慣れておらず、段取りが悪かったです。

 そんなところで都会人との違いを感じてしまった私だが、10分ほどで我々は感じの良い女性スタッフさんに案内されて席に着く。メニューを開いて見ると 四元豚のロースかつ定食 895円(税込) が目に止まった。

 私は今回の北海道で肉らしい肉を食べておらず(海鮮物が中心だった)肉に飢えておりまして、メニューに美味しそうに写っていたロースかつ定食の写真を見て、トンカツ好きの私は思わず注文してしまいました。

 値段も普通?でしたし、メニューの写真が実物より美味しそうに写っている事はよく有る事で、私は四元豚のロースかつ定食にあまり期待していなかった。

 しかし運ばれて来た四元豚のロースかつ定食は、肉の厚さはメニュー写真と同じだし、衣もカリッと揚がっていて肉はジューシィーで旨みが有り、大変美味しいトンカツでした。

 < 侮り難し 大戸屋 >

 店舗の作り、スタッフの対応、価格、器、盛り付け、そして味、都会ではこんなお店が流行っているのかと感心してしまった私だが、調べてみたらごはん処 大戸屋は青森県と岩手県に各3店舗、山形に1店舗、宮城県には8店舗も出店していて、東北でお店が無いのは秋田県と福島県だけでした。

 秋田県にもようやくセブンイレブンが増えて来た事だし(関係無いか・・)、大戸屋さんも秋田県(秋田市)に出店して頂けないでしょうかね。 私は秋田でも流行ると思うのですけど・・・?

 我々は遅い昼食を取った後、また国道36号を走り始める。その先では札幌ドームの銀色の建物が見て来たりしてプチ観光気分だったのですが、札幌の中心部に近づくに連れ車が更に多くなって来る。

 途中、コンビニで訪問先に赴く準備を整えた我々は、国道36号から菊水旭山公園通に左折、菊水旭山公園通は国道36号と比べて車の流れが良く、二時過ぎ我々は無事訪問先に到着する事が出来た。

 予定していた時間より少し遅くはなってしまったが、この時間であれば用事を済ませてから苫小牧東港に向かっても、夕方7時20分発のフェりーに間に合う目処が立ち、私は少し安堵する。


 里帰り

 我々が今回わざわざ札幌に赴いた経緯を説明しなければならないのだが、このお話をここに書いても良いものなのか、書かない方が良いのか私は悩みましたが、FUNKYメンバーの彼を記憶に残す為にも書く事に致します。

 彼との出会いは2004年の春でしたから、もう10年前になります。彼は転勤で東京から秋田に赴任し暮らし始めたのですが、無類のバイク好きで当時2台バイクを所有しており、勤務先が私の店に近い事からお客様(2台のバイクのメンテンンス)としてのお付き合いが最初でした。

 秋田に持って来たバイクの1台が今回の北海道ツーリングに参加している黒のスーパーブラックバード(1997年キャブ車)なのですが、当時既に走行距離が6万7千`を越えた(現在の走行距離は12万`を越え)彼の大好きなバイクでした。

 彼とは私がFUNKYツーリングに誘ったのが切っ掛けで一緒に走るようになっていきます。彼は秋田はバイクを楽しむ上では最高の環境だと東京では味わえないバイクライフを楽しんでおりました。休日は朝早くから鳥海山、由利原・仁賀保高原と走り回っておりましたし、一人で下北半島日帰りツーリングにも行っておりました。

 彼は2年間秋田に居て東京に戻ったのですが、その2年の間FUNKYツーリングに参加し、彼の生まれた北海道の地も何度か私と一緒に走りました。彼は私のレーポートの中にも何回も登場しておりますが、私は彼の外観からは想像出来ない軽快で華麗な走りを今でも鮮明に思えています。

 彼が東京に戻った後も、東京に置けないバイクを秋田でお預かりしたり、喜多方で落ち合ってバイクを交換したり、秋田までバイクを持って来たり、持って帰ったり、お付き合いはこれまでの10年間ずーっと続いておりました。



 私がプチ北海道から戻った7月下旬、訃報がもたらされます。

 それは彼が心筋梗塞で亡くなったと云う知らせでした。あまりにも突然に彼は49歳11カ月の短い人生を閉じてしまったのです。

 7月初旬預かっていたバイクを送ったばかりでしたし、つい先日も9月の北海道ツーリングにブラックバードをお借りする承諾を得たばかりで、その知らせを聞いた私は言葉を失い涙が止まりませんでした。

 私は彼とのお付き合いの中で、彼の人間性に触れそしてその優しい人柄を知りました。私はこれまで65年間生きてきましたが、いろいろな意味で彼ほどいい人、気配りの出来る人を知りません。

 彼の怒った姿を見た事も不機嫌な表情も一度も見た事はありませんでした。

 「 いい人は早くして亡くなる・・・ 」と言いますが、何で彼が・・・と言う思いでいっぱいでした。

 彼は今、生まれ故郷の札幌に戻り永遠の眠に着いています。

 私は彼が札幌に戻った事を知り、ツーリングで北海道を訪れる9月に彼の愛車ブラックバードと共に会いに行く事を決めたのでした。

 そして今、私はブラックバードと共に彼の実家の前に立っています。

 バイクの音を聞いた彼のお母様と妹さんが出て来られて我々を出迎えて下さったのですが、私はお母様の顔に彼の面影を見付けていました。

 彼は10日ほど前にお墓に移されておりましたが、我々は彼の位牌に手を合わせる為家の中に入ります。我々は改めて彼のお母様と妹さんに挨拶し、メンバーと共に仏壇の前に進み手を合わせご冥福をお祈りいたしました。

 仏壇の横には見覚えの有る彼の大きなグローブが置かれておりましたが、それはお母様が唯一札幌に持ち帰った遺品との事でした。お母様は遺品を見ていると悲しみに堪えられなくなりそうで、他の物は全部処分してもらったと言っておられました。それはお母様の悲しみの大きさを窺わせるお話でした。

 お母様は四十九日を過ぎた今でも彼の死を受け入れられていないご様子で、我々の彼との思い出話を聞いては涙を流しておられました。その姿も見て私も涙してしまったのですが、お母様がお話して下さった彼の幼少期のお話は、私が知る彼の姿と重なりまた涙が・・・・。

 彼は真面目な仕事人間で唯一の楽しみはバイクだったのですが、残っている彼の写真の殆どが仕事関係の写真だったそうです。私は北海道に来る前、彼がFUNKYで共に走った二年間の写真やその後のお付き合いで撮った写真をDVDにして送っていたのですが、その写真を四十九日の法要の時親戚の皆様と見て下さったそうです。彼のプライベートの姿を知る事が出来て本当に良かったと、お母様からお礼をを言われてしまいました。

 親よりも子が早く亡くなる親の悲しみをお母様は切々とお話し下さり、私も親として身につまされました。話は尽きなかったのですが、我々には時間が限られており1時間程の滞在で外に出ます。

 お母様は以前彼が黒いバイクで帰郷した時の事をお話して下さったのですが、その黒いバイクは今回乗って来た黒いブラックバードだったに違いなく、私は見送りに出て来てくれたお母様に

 「 彼がその時乗って来たバイクはこの黒いバイクです。 」 とお教えすると、

お母さまは我が子を見るような眼でブラックバードを見ておりました・・・。

 本当は彼がブラックバードに乗って里帰りすれば良かったのでしょうが、それは叶いませんでした。我が子の愛車を見るお母様の姿に私はまた胸が熱くなってしまったのですが、その時メンバーに帰れなくなるような大事件?が発生してしまうのでした。

 暫くドタバタした挙句に事件は解決をみたのですが、私は事件が解決した安堵感からかお母様と妹さんとブラックバードそして我々が一緒に納まった写真の撮影を忘れる大失態をしてしまうのでした。

 お母様と妹さんに見送られた我々は、札幌を発って先ずは北広島ICを目指したのですが、別れ際にお母様から

 「また来て下さい。」 と仰って頂きました。

 私は今、また機会が有りましたら彼に会いに行こうと考えているのですが、また北海道に行けるかどうかが問題ですね・・・。


 札幌〜新千歳空港〜鵡川

 国道36号に出ると道は来た時以上に渋滞していて(事故も有りまして・・・)北広島ICに出るまで結構時間が掛かってしまいました。SS系のバイクはローギヤのギヤ比が高く発進時半クラッチを多用するのだが、渋滞時はゴー・ストップの連続で誠にクラッチによろしくない状況が続きました。

 特に私のGSX−Rの場合、スリッパークラッチの調子が悪くて(クラッチ板全体の厚さが変わっている?)上手くクラッチを繋がないとスリッパークラッチが作動してジィージィ−音が出てしまう持病が有る為出来るだけ発進回数を少なくしたいのですが、大都会札幌はそれを許してはくれませんでしたね・・・。

 医者の不養生とは良く言ったのもで、バイク屋なんですからさっさと直してしまえば良いのですが、これが自分のバイクとなると何かと面倒で、もう何万`もそのままで走っちゃっていますね・・・!?

 道央道に上がってからは車の流れも良く、我々は速い車の後ろに着いて順調に走って行く。我々の次の予定は、鵡川のいつものラーメン屋さんで夕食を取る事で、私は道央道の苫小牧東ジャンクション(JCT)から苫東道路に入って鵡川ICに行く予定にしていた。

 私は札幌での重要なミッションを無事終え、渋滞も何とか走り切り、高速に上がった安堵感からか注意力が散漫になっていたようです。ジャンクションを左に入る事だけをイメージして走っていた私は、苫小牧東のジャンクションの前に在る道東道のジャンクションの存在をすっかり忘れておりました。

 ジャンクションの表示を見た私は何の躊躇も無くウインカーを左に揚げジャンクションに入って行ったのですが・・・、道が反対車線から来た道と合流した所で、この道が苫東道路では無く道東道である事に私は気付いてしまいました。

 高速道ですからUターンは出来ず(中央分離帯の無い対向二車線ですからパイロンの間をUターンするのは可能で一瞬私はそれを考えてしまいました・・・)次のインターチェンジ(千歳東IC)で下りてまた引き返す事を考える。しかしそこで千歳東IC近くから新千歳空港まで高速道路のような道の存在を私は思い出したのである。

 私はその道を走った事は無かったのですが、以前その道路近辺で道に迷った事がありまして、その道の存在は知っておりました。私はその道路で新千歳空港に出て、通い慣れた苫小牧東港への道(空港にバイクを置きに来る時に使う道)で鵡川に向かえば、戻るより時間的にも早く何より高速料金を節約出来ると考えました。

 他のメンバーは私が道を間違った事に気が付かないようで、最初から新千歳空港経由で鵡川に向かう予定にしていたと思っていたそうです。   これを 「怪我の功名」 と云います。

 千歳東ICの料金所で料金を支払うと810円で、苫東道路の沼ノ端で下りた場合1000円のようですから、190円お得になったようです。しかし、後で調べましたらもっとお得なICが有りまして、新千歳空港ICで下りると730円と更に80円もお得でした。

 私は今まで新千歳空港ICの存在を知らなかったのですが、昨年の8月に出来た新しいICのようです。それまで新千歳空港に一番近いのは千歳ICだったのですが、千歳ICから空港へ行くには市街地を経由するため渋滞が多く、空港利用者の定時性向上を計る為新設されたのが新千歳空港ICのようです。

 そういえば、昨年の9月新千歳空港にバイクを置きに行った時、空港手前に在った道が綺麗に整備され沢山の車が出入りしていたのを思い出しました。それが新千歳空港ICに行く道だったようです。

 札幌から苫小牧東港に行く場合、新千歳空港ICを使うと高速料金を節約出来て距離も時間も短縮出来る可能性が高く、新千歳空港ICは結構使えるかもしれません。因みに新千歳空港から苫小牧東港までの道路は、国道38号から先は交通量が少なく道路幅は自動車専用道より広いですから走り易いです。

 高速料金を支払った私は国道337号に出る信号に止まったのだが、信号正面の道から車が来て信号に止まるのが見えた。私は信号を右折し国道337号を千歳方面に少し走り、以前見付けていた新千歳空港へ向かう自動車専用道に上がったのだが、先ほど信号の正面に止まった車がどこから来たのか気になっていた。

 我々は自動車専用道(道央圏連絡道路)で新千歳空港へ向かったのだが、新千歳空港と反対側がどこに通じているのか気になった私は、帰ってから地図で確認すると何と千歳東IC出口の信号正面に見えていた道が道央圏連絡道路の出入口でした。道東道(十勝方面)から新千歳空港にアクセスを良くする為に造られたのが道央圏連絡道路で、新千歳空港ICと同様に新千歳空港の利便性を良くする為に造られた道路のようです。

 私は毎年のように訪れている新千歳空港に到着、今年は来る事は無いと思っていた新千歳空港に図らずもまた来てしまいました。私は新千歳空港に何か因縁のようなものを感じてしまいましたね・・・? 新千歳空港から先の道は走り慣れた道で、車の流れに乗って走って行く。いつもと何かが違うと思ったら、今回はタンデムでもなく、乗っているのは自分のバイクで、いつもより時間が早くてまだ明るかったですね。

 国道235号に出た我々は自動車専用道(苫東道路)に上がって鵡川を目指す。フェリーターミナルへは鵡川の一つ手前厚真ICで下りるのだが、我々はラーメンの為に鵡川に向かいます。

 鵡川のラーメン店 秀来 は、FUNKYが北海道ツーリング最終日に締めで訪れるラーメン店で、そこで天塩ラーメンを頂くのが最近のお約束?になっている。

秀来 天塩ラーメン  スープまで完食
後はフェリー乗り場に向かうだけです。


 今回は自動車専用道から店に向かったので、いつもと反対側からのアプロ―チとなったのですが、私は思わず道を通り過ぎそうになってしまった。

 いつもはそこから出て来る道なので記憶に有っても良さそうなのですが、行き過ぎる寸前に小さな秀来と書かれた看板に救われました。

 人間一方向だけでなく反対方向からも物事を見ないと身に着かないと云う事ですかね・・・?

 無事 秀来 に到着した我々は、全員で 天塩ラーメン を頂き夕食を済ませた後、鵡川のGSで北海道最後の給油を行ない苫小牧東港フェリーターミナルへ向かう。


 
 鵡川〜苫小牧東港


秋田港行きに並ぶグループ


緑のバイクは1台だけ新潟行きのラインに並ぶ


 鵡川から浜厚真に向かって走って行くと左に見える海の沖合いに雲の塊が有り、その下で雨が降っているのが見えていた。その雲は移動しているように見え、フェリーターミナルに近付かないか私は心配になる。

 雨に打たれながらの乗船待ちは最悪ですからね、陸地に近づかない事を願う私でした。

 国道337号からフェリーターミナルに向かう道に左折すると、遠くに我々が乗船するフェリーの灯りを確認、まずは一安心。フェリーも機関故障や天候等で結構欠航する事が有りますので、乗るフェリーが見えますと安心しますね。

午後6時10分過ぎ、我々は苫小牧東港新日本海フェリーターミナルに到着する。我々が乗船するフェリーは、秋田港経由新潟港行きなのだが、今回秋田港まで乗船するのが3台、新潟港まで行くのが1台となっていて、それぞれ違う列にバイクを止める。

 このフェリーは、秋田港AM7:45、新潟港PM3;30到着となっていて、関東圏に住む人でも高速道を利用すれば充分翌日中に自宅に帰れる時間となっている。

 小樽から新潟に行くフェリーも有るのだが、小樽乗船時間がAM10:30、新潟到着が翌朝AM6:00(火〜土曜)となっていて、何とも中途半端な時間で関東圏に帰るのなら秋田港経由の便が使い易いように思いますね。


 北海道の反省会?


無事?乗船出来て乾杯。



だんだん周りに人が居なくなって・・・



撤収したのは日付けが変わっていましたね・・・。


 下船時の関係から新潟行きのバイクが先に乗船、その後に秋田行きが乗船、荷物を降ろした我々は客室に向かう。乗船時毎回のように私に話題を提供してくれたGSX−R750も、今は私より先に荷物を降ろし客室に向かう段取りの良さで、私が一番最後に客室に向かう事に・・・。

 客室にスペースを確保した我々は、お風呂に入ってから売店に行き飲物とツマミ購入のいつものルーティーンでロビーに集合、全員揃ったところで今回の北海道ツーリング最後の乾杯をする。

 毎回の事だが、ツーリングの緊張感から解き放たれるこの最後の乾杯で飲むビール?の味は格別で、ホッとした所で皆さんは北海道の思い出話に花を咲かせる。

 私の場合、今回の北海道で一番の思い出は、札幌の彼の実家を訪れお母様と妹さんにお会いし、彼のご冥福をお祈り出来た事でした。

 彼の実家が札幌で、私が北海道ツーリングに行っていなければ、今回の実家訪問は実現していなかった思います。

 彼とは以前

 「 いつかまた北海道を一緒に走りたいね・・・。」 と、

話した事が有ったのですが、こんな形で彼と北海道で会う事になろうとは考えてもおりませんでした。

 改めて彼のご冥福をお祈りしたいと思います。


 また、黒い悪魔に足元をすくわれた事件も有りました。体もGSX−Rもダメージが少なく、予定通り帰りのフェリーに乗船出来たのは本当に良かったです。

 ツーリングにアクシデントは付き物?ですが、アクシデントが深刻な事態にならなかったのは、私の着ていたウエアー(プロテクター装備)のお陰だと思います。

 今回私は膝にプラスチックカップの入ったレザーパンツを履いていたのですが、これがGパンを履いていてのアクシデントだったと考えるとゾッとします。

 多くのライダーがGパンを履いてツーリングしている姿を見かけるのですが、私にはそんな勇気は有りませんね。自分はスピードを出さないからGパンで大丈夫みたいな事を言う人がいますが、スピードを出さないからこそプロテクターが機能するのです。

 今回の私の場合スピードは30〜40km/h程度の転倒でしたが、それがGパンを履いていての転倒だった場合、最低でも救急車に乗る事になっていたでしょうし、下手をすれば入院して手術を受ける事態も充分考えられます。

 スピードが出ていればプロテクターが有ろうが救急車は必須でしょうけど、スピードが出ていない場合は今回の私のようにそのままツーリングを続ける事が出来るのです。Gパンが駄目と云う事ではなくて、Gパンの中に(外でもよい)プロテクターを装着して走ってもらいたいと私は思います。

 ブーツやグローブ、ジャケット等も、プロテクターが入った物を装着してツーリングに出掛けたいものです。痛い思いをするのは誰あろうライダー本人なんですから・・・。幾度となく痛い思いをした経験を持つライダーからのアドバイスです。レザーウェアーを着て走っていなかったら、多分この歳になるまでバイクに乗れてはいなかったと思いますよ・・・。

 日付が変わるまで続いた反省会もお開きになり、私は客室に戻り眠りに就いたのですが、さすがに今回は寝付が早かったです。


 日程6日目 最終日



一人だけ別な格好です。





荷物も積み終え下船準備完了です。


 秋田港到着1時間前には目を覚ました私は下船の支度に取り掛かったのだが、その横でまだゆっくりしているメンバーが一人いた。

 新潟港まで行く彼は下船までまだ8時間も有って、まったりとしておりました。我々はもう20分も走れば今回のツーリングは終了となるですが、彼はまだ新潟から東京まで走らなければならず、彼のツーリングはまだまだ続くのでした。

 私は秋田で雨が降っている事を心配していたのですが、秋田の空は曇で覆われているものの雨は降っておらず安心しました。

 新潟まで行く彼と写真を撮った後、我々はバイクの置かれた二階甲板に下りて下船の準備を行う。二階甲板には、我々の後に乗船した車がギッシリ詰まっていて、その車の後に下船する我々は結構待たされる事になります。

 九月のフェリーはこれまで予約無しの当日の乗船手続きで乗れていたのですが、今年は結構前からバイクの残数が少なくなっていて予約してしまいました。

 秋田便が出来てから15年間、私は毎年9月(2008年だけ10月)にこのフェリーに乗っているのですが、今回のような事は初めてで、この車の混みようといい何か特別な事情が有ったのかもしれません?

 そして我々は、無事土崎の地に降り立ち、広面へと向かう。

 店到着 8時30分   総走行距離 1,930km の

 2014 FUNKY IN HOKKAIDO Part31

 は終了しました。 

 予定の変更も有って、走行距離が2000kmを超えない短目のツーリングとなりましたが、私にとって多くの思い出を持ち帰る事が出来た楽しい北海道ツーリングでした。

 
 33年目の北海道は有るのか?


今回も何とか帰って来る事が出来ました。

 北海道から帰って来てから二ヶ月が経とうとしています。このレポートを書いている外では今霙が降っています。

 今週の日曜日、いつもより一週間ほど遅くFUNKY最終ツーリンを終え、私の2014年シーズンは終了致しました。GSX−Rの冬支度はまだ終わっていませんが、2015年シーズンが始まる来年の4月まで冬眠に入ります。

 2014年シーズンを顧みますと、FUNKYツーリングも予定通り7回走る事が出来ましたし、北海道へも二回行く事が出来ましたから、終わってみれば充実したシーズンだったように思います。

 来年の事を言えば鬼が笑うと言いますが、来年も私は北海道にいけるのでしょうか・・・?

 行きたい気持ちは山々ですが、私の諸般の状況を考えますとまだ分からないというのが本当の所かもしれません。

 今年この北海道レポートを含めレポートは三つしか書く事が出来ませんでした。昨年は四つ、一昨年は五つ書いていますので、毎年一つづつ減っているのは私の状況をよく表しているように思います。体力的にもビジネス的にも私を取り巻く環境は日々変化しております。


 また来年、ツーリングレポートでお会い出来る事を願いつつ、このレポートを閉じたいと思います。

 長い間お付き合い頂きありがとうございました。



                                                  END


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15 November 2014
by
Ryuta
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