2009 FUNKY IN 北海道 Part.26 TOP 初日 2日目 3日目 4日目 5日目 最終日
初 日




















天気は快晴で寒い位である。






他のメンバーの見送りを受けて乗船準備。


乗船手続きから戻ると、他の
バイクは乗船した後だった。



別の場所で乗船を待つZX−10R。





朝日を浴びながら出港を待つ。


シルバーウイークの北海道へ
プチ北海道から二カ月、今年二回目となる北海道の日がやってきた。今年はプチで道南から道央(大雪・富良野)に行っている事から、今回の2009 FUNKY IN Part.26 では道北と道東を中心の走る事にしている。

今回のPart.26には、GSX−R750 K9に乗る新人さん(プチに引き続きの参加)と毎年参加しているZX−10R(以後10R)、そして私の三名が北海道の大地を走る事になった。

出発の朝起きて見ると、太陽はまだ昇っていなかったが空は快晴で幸先の良い朝を向かえる。昨晩の週間天気予報によると、この先一週間北海道には傘マークは無く、私のモチベーションは弥が上にも高まっていた。

雨の北海道は先日のプチで充分堪能しましたし、今回の北海道では雨の出番が無い事を願うばかりである。我々の場合観光を主目的に北海道に行って訳では無い(勿論観光もしますけど・・・)ので、雨が降ってしまえば北海道の走りを楽しむ事が出来なくなるから、雨はFUNKY北海道の天敵なのである。

しかし、今の季節(9月)これまでの実績から言うと道内四日間で雨具を一度も着なかったのは、26回の内5回も無かったような気がする。

AM5:20、店に向かう為外に出みると愛車のアクティが露で濡れていた。いつも家を出るが九時半過ぎの私は、季節がこんなに進んでいる事を知らなかった。ワイパーを動かしサイドウインドウーを開け閉めして露を払い、私は店に向かう。

店に到着しGSX−Rを工場から出して着替えて他のメンバーの到着を待つ。出発時間10分前に新人さんが到着、10Rが来るのを待ったのだが来なかった。


後の紙袋の中身が重要な働き果たす事になる。

予定では三名揃って店から秋田港のフェリーターミナルに向かう事にしていたのだが、10Rがやって来ないので携帯に電話を掛けてみると、二回目の電話に出た10Rは既にフェリーターミナルに到着していた。

彼の今日の行動予定は、ZX−10Rをフェリーに載せるだけ?なので、10Rが直接フェリーターミナルに行っても何も問題は無かったのだが、彼には店から持って行ってもらいたい物があったのだ。

それはGSX−Rのタンデムシートだったのだが、それは私のバッグ容量を増やして(中間部を伸ばす)対応する事にし、我々もフェリーターミナルに向かう。

フェリーターミナルに到着してみると、今日がシルバーウィーク初日とあって車もバイクもいつもより沢山並んでいて、パーキングは満杯状態だった。その中に10Rや我々を見送りに着てくれたFUNKYメンバーがいて、我々の到着を待っていた。

バイクを停めた後、我々は早速乗船手続きの為にターミナルビルに向かったのだが、受付窓口の前には長蛇の列が出来ていた。ビル内にも人が溢れ、この時期こんなに混雑したフェリーターミナルを見たのは初めてある。

シルバーウィーク恐るべしである。

いよいよ我々の順番が来て、三つ有る窓口に我々三名が並ぶ事になったのだが、それからが大変だった。

我々は窓口に向かって右から私、新人さん、10Rの順で並んだのだが、三名の窓口嬢のレベルも我々同様?違っていた事が次第に明らかになってくる。

私担当のお嬢さんは、三人の窓口嬢の中では最もベテラン(当然年齢も上)と思われ、私の要求した支払い方法に即座に対応してくれたのだが、他の二人の窓口嬢は対応の仕方が分からず、ベテラン嬢に処理の仕方を聞きに来ていた。

その中でも胸に見習いと書かれた札をぶら下げた10R担当のお嬢さんは、結構大変な事になっていたようだ。10Rは今日のフェリーでバイクだけを送る券と、帰りのフェリーの乗船券とバイクの特殊手荷物券を購入する事にしていたのだが、このイレギュラーな要求が見習いさんには荷が重かったようなのである。

先輩窓口嬢のアドバイスを頂きながら何とか事務処理をクリアーした見習いさんだったが、10Rの後に並ぶお客さんからのブレーシャーが凄かったようでパニック寸前だったらしい。一つの予約で別々の支払いにした我々も悪かったが、見習いさんには本当にご苦労を掛けてしまい申し訳なかった。

乗船手続きを終え外に出てみると、我々の前にいたバイクの姿が無かった。最初の乗船に余裕で間に合う時間にフェリーターミナルに到着していた筈の我々だったが、乗船受付窓口で時間を使い過ぎたようである。

慌ただしい時間が過ぎ、我々は暫し乗船までの時間をゆっくりと過ごす。今回の参加メンバーは全員が北海道経験者で他のメンバーには特別な緊張感は無かったようだが、私にはこれが最後の北海道になる(体力、気力、金力等の理由で・・・)かもしれないとの思いがあってちょと複雑な心境だった。

最もこれはこの数年北海道に渡る度に考えている事で、今年もまたこうしてフェリーに乗ろうとしているんですけどね・・・。

係員から我々に乗船の指示が出て、我々(私と新人さん)はスロープを上ってフェリーに乗り込む。新人さんもフェリーに乗り込むのに大分慣れたようで、係員の指示に焦る事なくマイペースでバイクを止めている。

10Rは最後の乗船になる為、我々はそれを待たずに荷物を降ろして客室に向かい場所を確保しようとしたのだが、今日の二等客室は満杯状態で一室で二人分のスペースを確保出来ず、二室に別れてようやく居場所を確保する事が出来た。

今までこのフェリーでこんな事は一度も経験した事が無く、シルバーウィーク恐るべしであった。最もこのフェリーに乗って居るのは日中だけなので、最悪横になるスペースが無くても問題は無いのだが、新日本海フェリーでこの混みようは異常である。

着替えた後、デッキに出て外の空気を吸ってみる。外は思ったより寒くなく朝日が当たってほんのり暖かく気持ちが良かった。10Rから電話が入って無事ZX−10Rをフェリーに載せ終わったとの事だった。バイクは出口に近い所に停め、鍵は封筒に入れてバイクに付けてあると言う。

ZX−10Rをフェリーから降ろすのは私の役目になるのだが、初めての事だが何とかなるでしょう。




秋田港のランドマーク セリオン が遠ざかって行く。



秋田航路が就航された年から乗ってますけど、就航当時朝起きたら土崎の港と言うのは感動ものでしたね。


























































































なまはげサンも乗客をお見送り!



お声を掛けて頂きありがとうございました。カメラを向けられると思わずピースサインをしてしまう年代の彼でした。

フェリー秋田航路就航10周年
船内に戻っていつも時間を潰す窓際の席に行ったのだが、既に満席だった。そこで船尾の方に回って見たのだが、時々我々の宴会場として使われるカフェラウンジのテーブル席が空いていて、我々はそこに腰を下ろす。



秋田港内ですれ違うフェリー。

フェリーは予定より10分遅れたAM7:10秋田港を出港、一路北海道を目指して走り始める。秋田港内で港に入って来た北海道からのフェリーと交差してお互いに汽笛を鳴らし合っている。

この光景はいつもの事なのだが、我々は5日後には向こうのフェリーに乗ってこちらを見ている予定になっているのだが、予定通りにいくののであろうか?

何だかんだと時間を過ごしAM9:00を過ぎた頃、前方のステージの辺りが騒がしくなって、船長?らしき人が出て来て何か始まるようである。

船長さん?の上を見ると  
フェリー秋田航路就航10周年記念 と書かれた横断幕が掛かっているではないか。

「そうか・・・  このフェリーが秋田に寄航するようになって10年経つんだぁ・・・」

私は10年前にこの航路が出来た年からこのフェリーを利用しているが、最初に乗った時の事を思い出していた。私が秋田港〜苫小牧東港間のフェリーを初めて利用したのはちょうど10年前の9月、北海道からの帰りに乗った便だった。

それまでFUNKY北海道の帰りは、夜室蘭からフェリーに乗って朝の六時半に青森港に上陸、それから四時間走って秋田に帰って来るのが定番だった。それが夕方苫小牧東港を発って朝起きたら秋田港に着けると言うのだから、FUNKYにとっては夢のフェリー就航だったのである。

我々としては行きも、夕方秋田を発って朝に苫小牧東港に着く便(冬季期間はそれに近い便が有るのだが・・・)が有れば申し分ないのだが、贅沢は言うまい。本当にこの新日本海フェリーの就航でFUNKY北海道は変わったのである。


なまはげサンとの撮影会は大盛況!!
そうこうしている内に、男鹿のなまはげ太鼓の面々が出て来て勇壮な太鼓の演奏が始まった。これは秋田県環日本海交流推進協議会が主催するイベントのようで、秋田県をアピールする為にわざわざなまはげさん達が出向いて来ての演奏であったようだ。

演奏後にはなまはげさんと一緒に写真を撮れる時間も有って、秋田県外から来た乗客さん達には大好評でした。なまはげさんのサービス精神には、秋田県人として本当に頭が下がりました。

なまはげさん お疲れさんでした。」

我々はこの後場所を移動したのだが、AM11:00からは秋田大学のサークルの演奏もあったようで、秋田を全国?に大いにアピールしていたようである。

私も新人さんも根っからの秋田県人だが、恥ずかしながら秋田県をアピールする事無く、ただただバイクや北海道の話をしてフェリーが竜飛崎に差し掛かるのを待っておりました。

!?
マーボ丼 600円?
ビーフカレー 700円
そして右舷に竜飛崎の風車が見えて来た頃、昼食の用意が整った事を知らせる船内放送があって、我々は再びカフェラウンジに向かった。

このフェリーでの昼食は、レストランのバイキング(1200円)とカフェラウンジで出されるそばやウドンやカレー等が有るが、私はこのフェリー内での食事では冒険はしない事にしていて、定番ビーフカレーを注文する。

新人さんはマーボ丼に挑戦したのだが、上に載ったマーボだけでご飯を全て食べ切る事は難しかったようである。

私がこのフェリーの中で皆さんに自信を持ってお勧め出来るメニューは、ロボットが注ぐ生ビール位かな!?

昼食後、我々は客室に戻って横になる事にした。これもいつものルーティーンで、昼寝から起きたら北海道と言うのが理想なのだが、私は三時半(5時10分到着予定)に起きてしまった。



●プチ有名人!?
下船まではまだ二時間近くあったが、ダラダラと時間を潰してようやく下船の時が来た。バイクは車の後の下船となるので、下船準備をしてロビーでバイクの下船案内を待つ事にした。

すると朝に太鼓を叩いていたなまはげさん達が、下船する乗客の皆さんを見送りに出て来ていた。秋田の宣伝の為、こまごまと動き回るなまはげさんには本当に頭が下がります。ご苦労さんです。

そんなまなはげさんを見ていた私の後から声が掛かった。

「間違っていたらすみません。平田さんじゃないですか?」

と見知らぬ男性から声を掛かられた。

以前にもフェリーで私のHPを見ていると言う男性から声を掛けられ事があった私だが、今回も私のHPを見ているという男性だった。関東在住でVFR800に乗っている言う彼は、以前秋田でフェリーを降りた時わざわざ私の店の前まで来たという方で、FUNKYレポートの愛読者だと言う。

自分のブログに載せたいから写真を撮らせてほしいと彼から言われ、私は少し戸惑ってしまった。私の写真を載せても何の得にもならないだろうとは思ったが、断るのも何なので私は彼のカメラに素直に納まってしまった。

彼は私のレポートの中によく登場する根北峠も走ったと教えてくれたが、彼が走った時は雨が降っていたそうで 「それは残念だったですね。」 と同情してしまった。根北峠は是非ドライ路面で走ってもらいたいと思います。・・・と言うか、普通に走っても根北峠は楽しく無いかもしれません。

彼は昨日仕事を終えた後、関東から新潟港まで走って23:30発のこのフェリーに乗ったそうで、結構なハードスケジュールで北海道に渡るようである。

バイクの下船案内放送が有って彼とはそこで別れたのだが、後で考えたら彼のブログのアドレスを聞くのを忘れていた。私の写真が載っているであろう彼のブログを覗いてみたいと思ったのだが、それは叶わぬ事でした。

私の書くレポートを楽しんでいる人の存在を目の当たりにして、私は複雑な心境だった。それは今回の北海道レポートは書かないつもりでいたからだ。最近レポート書きに掛ける時間やエレルギーが私の体に負担になってきていて、モチベーションが上がらずにいたのだ。

月一回のツーリングのレポートは何とかなりそうなのだが、通常のツーリング五回分の北海道レポートを一気に書き上げる事は、私に取って肉体的にも精神的にも結構なプレッシャーとなっているのである。

私のレポートは1日分を書き上げるのに10日から2週間程掛かっており、5日分ともなると毎日書いても50日から70日(二ヶ月以上)掛かる事になる。

私の今の体のコンディションからして二ヶ月間毎日キーボードに向かう事は出来そうもなく、今回の北海道レポートは書かないつもりでいたのですが、今こうしてレポートを書き始めているのは関東の彼に会った事が大きかったかもしれません。

私の今の気持ちとしては、頂上は見えないが差し当たり頂上への一歩を踏み出したというところで、いつ頂上に辿り着けるかは分かりませんし最終日まで書くと確約も出来ませんが、一応書き始めましたので皆さん長い目で見てやって下さい。



●新日本海フェリーのバイクの送り方
今回ZX−10Rだけを新日本海フェリーに載せて苫小牧東港まで運ぶ事になったのだが、ここでバイクだけを新日本海フェリーで送る方法をを書いてみようと思う。

まず、乗船窓口でバイクだけを送る申し込みをするのだが、その申込書は通常の申込書ではなくそれ専用の申込書を使用する。またバイクの場合、フェリーへの積み込みと下船は申込者が手配する事になっているので、下船作業を行う者の住所・氏名・電話番号(今回の場合は私)も必要となる。

積み込みは作業員の指示に従い通常の乗船と同じ様に行ない、バイクを降ろす作業は降ろす人間が下の入口(一階のトラック専用?甲板)から入って中の階段(作業員の指示に従う事)を上って二階に上がりバイクを降ろす事になる。

バイクの鍵は白い封筒に入れてバイクに付けられているので、封筒から鍵を出してエンジンを掛け、後は作業員の指示に従い下船すればそれで作業は終了である。

バイクをフェリーに載せて運ぶ方法は、港間だけの運賃で考えれば格安(秋田〜苫小牧東港 750cc以上5500円、750cc未満4500円)なのだが、港までの輸送手段が問題になる。運送屋さんに普通に輸送を頼めば最安でも30000円前後は掛かると思われるので、港までの輸送を上手く行えれば使えるバイク輸送手段ではある。




B駐車場の管理棟傍のバイク置き場。5〜6台は置けそうな屋根付スペース。









PM7:00新千歳から戻って来て穂別に出発。


●新千歳空港往復
PM5:30、無事北海道上陸を果たしは我々には、次なるミッションが待ち受けていた。先ず私がZX−10Rをフェリーから降ろした後、GSX−R750の荷物を降ろし(キーでワンタッチ)て紙袋(クロネコヤマトの宅急便の袋)に入れて持って来たGSX−Rのタンデムシートを取り付ける。

我々がこれから行うミッションは新千歳空港にZX−10Rを届けるもので、飛行機で新千歳空港に飛んで来る10Rの為に我々は新千歳空港のパーキングにZX−10Rを届けに行くのだ。

ZX−10Rに乗った私とGSX−R750に乗った新人さんは、暗くなり始めた苫小牧東港を出発、新千歳空港に向かう。新千歳空港へは原野の中の真っ直ぐな道を走って30分位で到着、ZX−10Rを空港のパーキングに入れようとして問題が発生した。

パーキングの入口にはゲートが有って車だったら横のBOXのボタンを押せば駐車券が出て来る筈なのだが、バイクの私がボタンを押しても何も反応しなかった。そこで横のインターフォンのボタンを押して管理者に事情を説明する。

すると今ゲートを開けるから管理棟まで来てくれと言われる。新千歳空港のパーキングは現在工事中でどこが管理棟なのか迷ってしまった私だったが、何とか管理棟に辿り着くと管理の人が外で駐車券を手に待っていた。

二輪用の駐車スペースは管理棟の直ぐ後の建物になっていて、バイクが5台程置ける屋根の掛かった立派な駐車場だった。バイクを端に寄せて停めハンドルをロックして私の役目は終了、新人さんの所に戻ろうとした私だったが、広い駐車場内で迷ってしまった。

それでも戻って来るのが遅い私を探しに来ていた新人さんと無事合流し、私はGSX−R750のタンデムシートに新人さんを乗せてに苫小牧東港に向かう。スーパースポーツ系のバイクでタンデム走行するのは久しぶりで、私は後ろの新人さんに余計な力を掛けないよう急加速、急減速をしないように走る。

それでも後に乗る新人さんは大変だったようだ。SS系のバイクはシートが小さいし前下がりだし、腕で体重を支えるのに疲れてしまったようである。PM7:00、苫小牧東港に戻って来た我々はGSX−R750のタンデムシートを外し新人さんの荷物をセット、穂別に向かってスタートする。




穂別のSeicomartで夕食を調達。





鍋焼きうどんをいただきます。


●穂別ポレポーレ
今宵の宿、穂別の民宿ポレポーレは夕食が無い日となっていて、我々はどこかで夕飯を食べなければならない事になっていた。穂別には外食が出来る場所が数箇所有ると言うのだが、時間は大体八時頃までだと言う。

今から穂別に向かえば八時まで穂別に到着する事は可能だが、食事処に直行しなければならないしゆっくり食事するする時間は無さそうだった。そこで我々の出した結論は、穂別のSeicomartに直行し夕食を調達した後、ポレポーレの食堂を借りて食事する事であった。

八時前に我々は穂別のSeicomartに到着、私は鍋焼きウドンと飲み物を買い新人さんもパンと飲み物と飲み物を購入していた。新人さんはそこで用済みになったGSX−Rのタンデムシートを自宅に送る手配をしていた。

こんな事も想定して私は宅急便の袋にシートを入れて来たのだが、それが役立事になったようだ。帰りまでポレポーレにシートを預かってもらう選択肢もあったのだが、新人さんは秋田に送る事を選択したようである。

ポレポーレに到着すると車庫のシャッターが開いていて、私はは車庫の中にバイクを停玄関に行く。今日はお母さんと娘さん達は外出しているようで、お父さんが出て来た。言ってはなんだが、勝手知ったるポレポーレである。我々はお父さんからシャッターのリモコンボタンを受け取り、バイクから荷物を降ろして玄関に運ぶ。

お母さんが我々に残してくれていたメモを見て、二階の部屋に向かおうとした新人さんが玄関に置いた荷物を持った時、

「カチァン・・・」  と音がして新人さんのメガネが床に落ちた。

幸いレンズも割れず事無きを得たのだが、今考えるとこの事が全ての始まりであったと思われる。

我々はそれぞれに部屋に納まった後、着替えて一階の食堂で夕食の支度に入る。私は勝手知ったる厨房のガスレンジを使わせてもらって鍋焼きウドンを温め、買って来たお惣菜を開けて夕食が始まった。

お父さんから美味しいトウキビの差し入れも頂き、我々は夕食を終える。プチ北海道での教訓もあって、明日から本格的に始まる 2009 FUNKY IN 北海道 Part.26 に備え早めに布団に入った私は、明日のコースを頭に浮かべながら眠りに着いたのであった。

2日目