2009 FUNKY IN 北海道 Part.26 TOP 初日 2日目 3日目 4日目 5日目 最終日
4日目




我々の他にバイクが二台停まっていました。


厳しい現実が真近のオスの子羊。


前回来た時はシベリアンハスキーが居たのだが、
彼は天国へ召されたようです。














パン・コーヒーのお代わり自由
この後スクランブルエッグ等が運ばれて来る。


花に囲まれた階段を下ってGSX−Rに向かう。


●スペシャルステージ満載の4日目がスタート
朝起きて(6時前)外に出てみると我々のバイクの他に2台バイクが停まっており、泊り客の中に我々の外にライダーがいるようなのだが、気付かなかった。

空は曇ってはいたが厚い雲ではなく、天気予報通り雨の振り出しはもう少し先になりそうな感じである。周りに広がる牧場には、羊たちが小屋から出て来て朝食を食べ始めている。

私の目の前では、1匹の子羊が一生懸命草を食べている。 通常、羊の赤ちゃんは2〜4月に生まれるそうだが、この子羊は七月生まれで親羊の乳が出ない為最初は小屋で授乳して育てていたが、最近は大きくなったのでこの場所で飼っているのだと言う。

この可愛い子羊を見ている私の心境は複雑だった。昨晩旦那から聞いた話によると、春に生まれた子羊たち(この子羊も含め)は、秋には他の牧場に出荷され最終的には食肉になるのだそうで、その時期が近いのだと言う。

人間とは勝手な生き物で、子羊の姿を見て可愛い・可愛いと写真を撮っておきながら、ジンギスカンを美味しい・美味しいと言って何の抵抗も無く食べている(これは私の事なんですが・・・)わけで、困ったものである。

ここには通常40匹位?の羊がいるそうなのだが、その中にオスは1匹だけだそうだ。何故オスが1匹しかいなかというと、この牧場では子羊を売る事で収入を得ている為子供を生まないオスは1匹を除いて必要としないのである。

この牧場にいる羊のその殆ど(今年生まれた羊は別?)がメスだったとは私は知らなかった。ここでの羊社会はハーレム状態だそうで、今の時期は冬の出産に向けオスは連日多くのメスを相手に励んでいると旦那は言っておりました。

私は出来るだけ早く宿を出発する為、早目に朝食を食べる事を決め旦那に朝食の時間を聞きに行く。7時から食事が可能という事で、私は部屋に戻り皆さんに食事前のにチェーンにオイルを吹くので準備をするように告げる。

昨日ZX−10Rを見ていたらドイライブチェーンがダラダラに伸びていて、あの状態で走行する事は危険な為チェーン調整を行う事にしたのだが、一つ問題が有った。


ドライブチェーン調整作業雨中。
3万キロ走ったチェーンは、
伸びが早くなって来ていて、
そろそろ寿命かな?


チェーン調整にはリヤアクスルシャフトのナットを弛ます必要が有るのだが、10RのテールBOXに車載工具ば積まれておらず、シャフトのナット(二面幅27mm)を弛ます工具が無かった。

GSX−Rの工具(二面幅36mm)はサイズが合わず使えない事から、以前にも使わせてもらったアニマの里の工具小屋に行って工具を探す事にした。

工具を探して分かった事は、アニマの里の工具(特に大きなサイズ)の殆どがインチサイズである事だった。トラクター等の大型機械のネジ規格はインチが多い(それともアメリカ製?)のか、有る工具の殆どがインチサイズで微妙にサイズが合わず使える物が見付からなかった。

それでもモンキーレンチは有る筈と探したのだが、私には見付けられなかった。ところが10R氏が来て小屋の中を探すといとも簡単にモンキーを探し出してしまったのである。私、自慢ではないのですが物を探すのが本当に苦手で、探し物はいつも決まった人にお願いしていたですが、これから探し物は10R氏にお願いしたいと思いますので今後とも宜しくお願い致します。

無事ZX−10Rのドライブチェーン調整を終えた我々は、今度はチェーンにオイル吹く作業に取り掛かる。今日のオイル吹き作業は、バイクの後タイヤを持ち上げる人、リヤタイヤを回す人、オイルを吹く人と分業して行いスムーズに作業は終了する。

二人での作業の場合、一人でタイヤを回しながらオイルを吹くのだが、これが結構大変で一生懸命タイヤを回すとチェーンにオイルが上手く吹けなかったり、吹くのに集中するとタイヤが回らなかったりするわけで、チェーンのオイル吹き作業は三人が理想的なのである。


ハスカップジャム・小豆・ヨグルト等
自家製の物が並ぶ手テーブルの上。



牛乳は瓶でしょう


作業から戻った我々は、食堂に行って朝食を取る。アニマの里の朝食は和食と洋食が有るのだが、今日は洋食だった。私はどちらかと言うと洋食の方が好きで美味しく頂きました。

食事を終えた私は、出発の準備に取り掛かる。出発前に行う事は結構有るのだが、私の場合食事を終えてから暫くしてからトイレに行くルーティーンになっていて、その時間待ちに少々時間が掛かってしまう。

そんなこんなで部屋を最後に出るのはいつも私で、結果忘れ物の確認は私の仕事となる。

8時少し前、NOTEの彼に見送りられた我々は、アニマの里を出発して先ずは斜里を目指す。

網走の街から海岸線の道に出ると知床の山々が見えてきた。羅臼岳の山頂部に雲は掛かっていたが、雨が降っている様子は見られず、私は予定通り知床半島に向かう事を決める。

斜里でガソリンを入れる予定にしていた私は国道334号と国道244号が交わる交差点手前でセルフスタンドを見付けバイクを入れる。

私が給油するGSを決める時、これから走るコースや先に在るGSの位置を考慮して決めるのだが、ここで給油した事が後の我々に微妙に影響する事になる。

我々はいつものように自らのタンクにガソリンをギリギリ満タンにして斜里を出発、国道244号に右折して今日最初のスペシャルステージ根北峠に向かった。

































根北峠を走り終えて平らな長い直線に出る。















羅臼の道の駅





















知床峠を激走?!







●久しぶりの根北峠
昨年は事情により走れず、一昨年は降雨によりただ通過するだけだった根北峠を三年ぶりに走れる期待に私のモチベーションは上がっていたが、私の他にも根北峠の走りに期待していた人物がいた。

それは根北峠初体験の新人さんで、根北峠を走るイメージはレポートを何回も読んで出来上がってはいたのだが、実際の根北峠を早く体験したかったのだ。ハミ禁の黄線が白線に変わるのを待って私はローリングスタートを切ろうとしたのだが、今回それが出来なかった。

それは舗装張り替えの為に路面が削られ縦縞模様が出来ていたからなのだが、皆さんもご存じのようにこの縦縞模様の路面をバイクで走ると、フロントタイヤがフラフラしてバイクが安定せず非常に走り難い状態になる。

その縦縞模様は暫く続く事になり、私のモチベーションは一気に下がってしまった。縦縞模様が終わると今度はワインディングのハミ禁区間になり、私は車の後ろで峠までを過ごす事になる。

峠を越えハミ禁区間が終了したところで私はペースを上げ、ようやく根北峠らしくなってきた。フェリーの中で会ったVFRの彼がどんなペースで根北峠を走ったかは知らないが、根北峠は普通に走れば普通の道で特に印象にも残らない峠だと思う。

峠を下り橋を渡って一旦上った後いよいよ高速ステージに突入、私はミラーを気にせず前だけに集中する。今日の根北峠は雨上がりのようで道路の端が少し濡れている所が有ったが、走るには全く問題無かった。

波乗りのような大きなうねりを3つ越え、大きな高速右コーナーを抜け長い直線に出てスクリーンの中にヘルメットを押し込みスロットルをキッチリ開けると左コーナーが直ぐに近付いて来る。

コーナー手前でフルブレーキで減速、緩い左コーナーの先のパーキングに注意しながらゆっくりと立ち上がって直線に向く。この先から黄線が始まりそれが川北温泉入口の橋まで続き直線に向く。

その直線から右に少し向きを変え長い直線に出たところで、私は普段は見ないスピードメーターの数字を見ていた。今回は区切りの良い数字までスロットルを戻さない事を決めていたのだが、その数字に到達する前に右コーナーが迫って来てしまった。

私は一瞬スロットルを戻す事を考えたがそのままキープ、末尾が0を表示した瞬間スロットルを閉じフルブレーキを掛け右コーナーに備える。減速を終え右にバンクしたGSX−Rは、スロットルを当てながらコーナーを抜け次の左コーナーに向けて加速して行く。

次の左のブラインドコーナーは結構深く感じるコーナーで、手前からコーナーを探りながらしっかり減速し先を確認、スロットルを当て加速しながらコーナーに入って行く。

左コーナーを立ち上がり直線が終わった所で私はスロットルを戻しミラーに視線を送る。するとそこに映っているのは、後ろに流れる景色だけだった。古多糠方面に曲がった所でバイクを止め後続を待つと、少しして直線の先に点のようなヘッドライトの明かりが見えてくる。

それはZX−10Rの明りだったのだが、新人さんが到着したのはそれから暫く後の事だった。全員揃った所で我々は、知床羅臼に向かう。初めて根北峠を走った新人さんに話を聞くと、走りを楽しむ余裕は無く必死に走っていたようだが、根北峠が如何なるものかは理解したようである。

根室海峡沿いの国道335号に出ると雲行きが怪しくなってきて路面には雨が降った跡が見える。この状態では知床峠に雲が掛かっている事も考えられ心配になったのだが、ここまで来てしまったては我々に戻る選択肢は無かった。



●羅臼から知床峠へ

海の向こうには直ぐの所の国後島が見えている。

羅臼の街をバイパスする国道335号沿いに 道の駅 羅臼 海鮮工房 は在って、私は今まで何度となくその前を通っていたが、停まった事は無かった。

私は知床峠に向かう前にここで休憩を取る事にしたのだが、駐車場は満杯状態で、バイクを停めるのにも苦労するほど賑わっていた。

道の駅 羅臼 は、地物の海産物を買い求める観光客で館内はごった返していて、我々はトイレに行ったり缶コーヒーを飲むぐらいしかする事は無かったのだが、何だか落ち着かなくて居心地が悪かったです。

ポチポチと雨が落ちてきていた羅臼を後にして、我々は次なるステージ知床峠に向かって走り出す。熊の湯のパーキングは相変わらず混雑していたが、我々は今回も熊の湯に入る事無く知床峠を目指す。

熊の湯を過ぎ覆道を抜けると道は黄線のハミ禁区間になるのだが、そこで我々は大型バスを先頭とする車の列に追い着いてしまった。こうなってしまっては我々にする事は無く、黄線が白線に変わるまで車の後に着いて知床観光に徹する。

知床の山々は少し色づき始めてはいたが、全山が紅葉に彩られるまでにはもう少し時間が必要のようである。

峠道の半分を過ぎた辺りで黄線が終わり、我々は1台づつ車を追い越してバスの前に出て峠を目指す。バスが車の流れを止めていたお蔭?で峠まで我々の前に車は現れず、我々(私と10R)は知床峠を大いに楽しむ事が出来たのでありました。


知床峠のパーキング。


バックに羅臼岳が見える筈なのだが・・・。
シルバーウィークの連休中にも関わらず知床峠を楽しめた我々は本当に幸運だったわけで、車列の先頭を走っていたバスに我々は感謝しなければならないのかもしれない。

車の追い越しに手間取ってしまった新人さんは、我々から少し送れて知床峠に到着する。山の向こうからGSX−R750の軽やかな音が聞こえてきて、コーナーから新人さんが飛び出して来る。新人さんも知床峠を楽しんだようである。

今日の知床峠に霧は掛かっていなかったが、羅臼岳には雲が掛かっていて雄大な羅臼岳の姿は見る事が出来なかった。

10Rと私は何回もその姿を見ているので落胆する事は無かったのだが、初知床峠の新人さんには是非迫力有る羅臼岳の姿を見てもらいたいと考えていただけに少し残念だった。

標高が高い知床峠(738m)は寒く、我々は早々に退散してウトロに向かって下って行く。知床五湖に向かう道へは多くの車が出入りしていて、流石にシルバーウイーク、いつもとは観光客の数が違っていました。

ウトロの街に入ると以前から工事が行われていたバイパスが完成していて、そこに新しく道の駅が出来ていた。私、今までの数々の経験からウトロの食事処にあまり良い印象を持っていないのですが、新しい道の駅の食事処がいかなるものか興味の有るところではある。

オホーツク海沿いを走る国道344号にはオシンコシンの滝など有名な観光地もあって、交通量が多く我々は車と共に斜里に向かう。

これから我々は小清水町に向かうのだが、通常は国道344号から国道244号に入って斜里、浜清水と走って小清水に左折するコースを取るのだが、我々はいつも根北峠に向かう道に入って道道827号に出た後、再び国道334号に入って小清水に向かう。


1985年に取った国道334号の写真。
正面に見えるのが海別岳は、
同じ位置で山は次第に大きくなっていく。
※ポインターを画像に当てると・・・

この道道827号から国道334号に出る道は、小清水まで地図上で見ると殆ど直線の道が30km以上続くのだが、実際に走ってみるとアップダウンが有る為それを感じる事は少ない。しかし、反対方向から走ると正面に海別岳がズーッと同じ位置に見えていてこの道が直線で有る事を感じる事が出来ます。

この道は知床と美幌を結ぶ国道244号の裏道として使われる事が多く、結構観光バスが走っている。交通量は国道244号と比べると格段に少なく、カーブを曲がる事も少ないので、網走をバイパスする時にはお勧めの道である。

長い直線?を走った我々は小清水のSeicomartにバイクを停めて休憩を取る。知床峠から1時間の一気走りだった。






知床峠から小清水の街に到着。
ここからは彼方此方に行けます。
































美幌の街の近くに出ます。











道の駅 美幌峠 到着。
屈斜路湖は見えていません。



このテーブルクロスは迫力満点!!




●苦行の始まり?!
私はバイクから降りてふとタイヤを見たのだが、GSX−Rのリヤタイヤが大変な事になっていた。朝アニマの里を出発した時に見たリヤタイヤの溝はまだ有ったと思ったのだが、今見るリヤタイヤはスリップマークがしっかり繋がっていたのだ。

これから秋田に帰まで私が走る距離は800km以上有る思われ、タイヤを減らさない走りをしなければ秋田に辿り着く前にタイヤに穴が開く事は明らかだった。

新しいタイヤで来るべきだったと後悔した私だが、今更遅かった。私は今まで北海道に来る時は必ず新しいタイヤで来る事にしていたのだが、今回は新しい銘柄のタイヤ(Racetec Interact 190/50ZR17 タイヤを使い切った実績が無かった)であった為、1500km走った実績(5mmの溝が3.5mmに磨耗)から2200km走っても1mmは残ると判断したのだが、今回の使用条件が1500km走った時(雨天が半分だった)とはあまりにも違い過ぎたようである。

私のこれからの課題は、タイヤを秋田まで持たせながら如何に走りを楽しむかなのだが、この相反する課題の解決法は多分無い!?

そしてもう一つ、私には不安な事が有った。斜里でガソリンを給油してから我々は180km近く走っていて、給油をどうするかという問題だった。まだ180km(通常は200〜230km位で給油)しか走っていなかったが、次に給油予定の川湯までは結構距離が有る筈(私の勘)だから、私はここで給油するかどうか迷っていた。

しかし、少し戻って給油するのが面倒だったのと、「何とかなるだろう。」 という私の悪い癖が出て、我々は給油しないで小清水を出発してしまったのである。

Seicomartを出た我々は、小清水から藻琴山に登って行く道道587号に入る。この道は私が Google earth で見つけた道で、空から見た感じでは結構良さそうな道に見えたのだが、実際に走って見ると一応二車線ではあったが狭い舗装路で安心して楽しめる道ではなかった。

それでも狭いながらもワインディングを楽しみながら登って行くと、道道102号に出る手前で霧(雲の中)が出て来た。以前にも道道102号を走った時霧で何も見えない事が有ったから、この道は霧の常習地帯?のようである。

前回もそうだったが標高が下がれば雲の下に出て視界は開けるわけで、それまで我慢の走行が続く。網走方面に道道102号を下って行くと霧ははれて路面も乾いて来る。我々は東藻琴末広から右折して道道995号に左折したのだが、この道の入り口には美幌峠方面の看板が出ているのでそれを目印にすると良いと思います。

ここから国道243号に出るまでがスペシャルステージなのだが、起伏の有るワインディングロードが続くこの道には多くの道が交わっていて、脇道には十分に注意して走る必要が有る。また道路の周りには農地が広がっている為、路上に土が落ちている事も多く路面状態にも十分注意が必要であろう。

そして私はスロットルを全開にしたい欲求と戦って走っていた。次のコーナーまで ONE GEAR で行きたいところをギヤを一つ上げ、スロットルを出来るだけ開けない走り(タイヤを減らさない走り)で私は走っていた。

この奥歯に物が挟まったような歯痒い走りは楽しくはないが、秋田まで無事辿り着く為には必要な事で私はそれに耐えたのだが、これはまだ序の口であってこれ以降GSX−Rのスロットル開度は更に小さくならざるを得なくなっていくのである。



新人さん到着です。

道道995号が国道243号に出た所でバイクを止めた私は、10Rに燃料タンクの中を確認するよう指示する。ここまで走った距離(230km位)とこれから向かう川湯までの距離を考えると私のGSX-R(18Lタンク)は何とか大丈夫そうだが、ZX−10RとGSX−R750(17Lタンク)の場合はギリギリになりそうな気がしていた。

私はここから美幌の街に行って給油してから美幌峠に向かう事も考えたが、燃料が間に合うかどうかの判断は各自の判断に任せる事にした。

二人は共に間に合うとの結論を出したのだが、R750はともかく走りから言って10Rはガソリンを多く消費している筈だから、私の判断では川湯に辿り着くのは難しいようにも思えたのだが、10Rは大丈夫だと言い切った。

 「まあ、何とかなるでしょう。」

それから先の私と10Rは省燃費運転に徹して走ったのですが、新人さんは以前とは違い燃費に自信がお有りだったようで、普通に走っていたらしいです。



●久しぶりの美幌峠
美幌峠に到着した我々は、ここで昼食を食べる事にした。私は藻琴山と同様美幌峠も霧に包まれていると考えていたのだが、霧は掛かっていなかった。美幌峠は藻琴山より標高が低いようである。

私が美幌峠で食事をするのは二十年以上ぶりで、その時の建物は当然今とは違う建物だったのだが、当時店の前にはオリに入った熊(ヒグマ?)が居て観光客の注目を集めていたのを思い出す。現代では動物愛護の観点から有り得ない事なんでしょうけど、久しぶりの美幌峠で私はそんな事を思い出していました。

美幌峠のパーキングは、今は 道の駅 美幌峠 (何回も前を通っていたが知らなかった)になっているようで、二階建て(二階は展望台)の立派な美幌峠レストハウスが建っていた。


この豚丼は美味かったです。
※綺麗に完食しました


建物中に入るとレストランが左側に在って、我々は入口の券売機で食券を買いカウンターに半券を出してテーブルに着く。

私は数あるメニューの中から豚丼をオーダーしたのだが、

観光地に美味い物無し。

と言う言葉が有る?ように、正直豚丼の味には期待していませんでした。

 ところが運ばれて来た

 豚丼 は 美味かった

私、豚丼を食べた経験は少ないのですが、以前食べた豚丼と比べると格段に美味かったし、帯広の有名な豚丼も食べた事の有る10R氏も美味いと言っておりましたので、ここの豚丼はレベルが高いと思います。

新人さんはラーメンを食べたのだが、それも結構美味かったらしい。壁を見ると何かの料理コンテストの表彰状が張ってあったから、ここの料理は全体的にレベルが高いようです。価格も観光地にしては比較的リーズナブルで、美幌峠レストハウスは食事処としてお勧めです。




川湯のホクレンGSで給油。







































別海のコンビに休憩。
皆さん退屈な走行に疲れがどっと出る。


●ギリギリセーフ!!
そして我々に取って、これからが正念場だった。ここ美幌峠から川湯のGSまでは35km近くあって、タンクの中に最低でも1.5リットル(この場合燃費23km/L)程のガソリンが残っていなくては川湯に辿り着けない事になる。

タンクを振った音(ポッチャンポッチャン)の感じで残量を2リットル以上と判断(今までの音の経験から)した私は川湯まで走り切る自信は有ったが、他の2台が心配だった。

美幌峠を発った我々は、屈斜路湖畔に向かって下って行く。ガソリンを節約するには下り坂を上手に利用する事が重要で、私はスロットルを出来るだけ開けずに時々クラッチを切りながら下って行く。10Rは平地でもスピードが乗ったらクラッチを切って惰性で走る走り方でガソリンの消費を抑えていたようだ。

そんな走り方をしていた10Rは、昨年のちょうど今頃この道を同じ様にクラッチを切りながら走っていた事を思い出していたそうだ。昨年彼が屈斜路湖の和琴半島でキャンプ(OFFバイクでツーリング中)していた時、バイクのミッションが壊れギヤが1速に固定され動かなくなり、弟子屈までローギヤだけで走らなければならなくなってしまった。

その時の走り方は、一速で発進して思いっ切り引っ張ったところでクラッチを切って惰性で走り、スピードが落ちたらクラッチを繋いでまた引っ張ってクラッチを切るの繰り返しで、レッドまで回してもせいぜい40km/hが限界の走りだったらしい。

そんな思い出の残る道を彼は今年もまた同じ様な走り方で走っているわけで、彼はこの道に運命みたいな物?を感じながら走っていたらしい。我々は国道243号から道道52号に左折して川湯を目指す。

以前はこの国道と道道が交わった信号交差点にGSが在って、FUNKYは良く利用させてもらっていたのだが、そのGSがなくなった事がFUNKYの行動パターンに大きく影響を及ぼしている。糠平のGSと並んで無くなって欲しくなかったGSの一つなのだが、今は地物の特産物等を売るお店になってます。

無事にコタン温泉の前を通過するがまだ川湯までは15km近くあり、我々は車の後に着いて我慢の走行が続く。ここからの15kmが長かった。いつもなら快適に走れるこの道も、車の後ろで走るとなかなか景色が進まなかった。

ようやく左手に砂湯が見えてきて、本来なら私はここで日本一美味しいというクレアートソフトクリームを食べなければならなかったのだが、今はそんな状況では無くそのまま通過する。

ついに我々は川湯温泉街に入りGSはもう目と鼻の先まで来たのだが、私はミラーから目を離さず後の二台を注視していた。GSの数百メートル手前でガス欠なんて事は良く有る事で、最後まで油断できないのだ。

そして我々は国道391号に出た所に在るホクレンGSに無事ゴールする。そして各バイクが給油したガソリンの量は

・ZX−10R      17.6L  (17Lタンク)
・GSX−R750    17.3L  (17Lタンク)
・GSX−R1000   16.8L  (18Lタンク)

だった。何と私を除いたお二人さんのタンクには、17リットル以上のガソリンが入り、10RはもとよりR750もやばかった事が判明した。



ここまで入れれば+1リットル位は多く入る?
(車種によって違いはあると思いますが・・・)

メーカーが発表しているガソリンタンクの容量は、給油口の筒の下面(バイクを垂直に立てた状態)まで入れた時の容量(多分)なのだと思うが、我々のサイドスタンドを掛けた状態で筒の下面までキッチリ入れる給油方法では、メーカー容量+1リットル位多く入る事が多い(車種によるが)。

今回の場合もこの+1リットルのガソリンが我々をガス欠から救ってくれたのだが、勢いよく給油するとガソリンが吹いてそこで給油を止めてしまう場合が有るが(特ににスタンドのスタッフが入れる場合)、そんな場合でもガソリンが落ち着くのを待って下面までシッカリ給油しなければいけません。

それを怠ると後で後悔する事になりかねませんので、スタッフの面倒くさそうな顔は無視してシッカリ入れましょう。



予定を変更
給油を終えた我々はこれから裏摩周から開陽台に向かう予定にしていたのだが、携帯で雨の状況を確認すると南から雨雲が迫っているのが分かった。ここ川湯ではまだ雨は降っていなかったが、裏摩周から開陽台に行く頃には路面は濡れていると思われる。

今回そこを初めて訪れる事を楽しみにしていたであろう新人さんには申し訳なかったが、摩周湖や開陽台の景色はよく見えないだろうし濡れた路面を走っても楽しくはないから、私は裏摩周・開陽台をキャンセルする事を決める。

予定を変更し、今宵の宿 根室の 民宿 一福 に直行する事を決めた我々は、国道391号を弟子屈に向かって走り出したのだが、私は数キロ走った所で後悔する事になる。

それは路面が濡れ始め雨がポツポツ落ちてきてしまったからなのだが、こんな事なら雨具を着て走り出せば良かったと後悔した私だった。雨が降っている事は知ってはいたが、こんな近くから雨が降っていたとは予想外だった。

これから雨が強くなっていく事は明らかで、私は屋根の掛かった雨具を着るのに良さそうな場所を探したのだが、道の両側は深い森ばかりで適当な場所を見つけられないまま国道391号が国道243号にぶつかる所まで来てしまった。

これ以上雨具を着るのが遅れるとウエアーの中まで濡れてしまう為私は道端で雨具を着る事を決断、バイクを道の左側に止め急いで雨具を取り出す。道端で雨具を着る作業は脇を通る車にも気を使うので出来るだけ避けたいのだが、致し方あるまい。

雨具を着て再び走り出した我々は、国道243号に入り弟子屈に向かう。弟子屈の街を抜け中標津方面に向かうと雨が本降りになってきて、前が良く見えない状態になって来た。

私の場合リヤタイヤの溝が無い事もあって無理は出来ず、スロットルを慎重に操作しながら車の後を少し離れて走る。国道243号が虹別で中標津に向かう道と分かれると、道は殆ど直線の退屈な道に変わる。

スロットルを握る右手が固まって痛くなる程退屈なこの道は別海町まで50km近く続くのだが、この退屈な道を右にウインカーを揚げながら走る平ボディの大型トラックに我々は追い着く。

水煙を巻き上げながら走るその大型トラックに、どう対処したら良いのか私は悩んでしまった。右にウインカーを上げているのは、右に曲がる為なのか? 単なる戻し忘れなのか? それとも雨の中を走る時のローカルルールなのか? 我々を追い越させない為の嫌がらせなのか?

私はあらゆる可能性を考えてみたのだが、私の頭では結論を出せなかった。相手は大型トラックでバイク如きが勝てる?相手ではなく、我々は右にウインカーを揚げて走る大型トラックに手が出せないまま10km以上もその後を走る事になるのである。

雨が小降りになり、対向車の姿が見えない(地平線まで)くらい見通しが効く、右に脇道が無い場所に出た私は勝負?に出る。ゆっくりと且つ速やかに追い越しを掛けた私は運転席のドライバーを横目で見たのだが、彼は特に我々を見るわけでもなく我々に興味は無さそうだった。

我々が追い越しを終え右車線に戻るとウインカーの点滅は止まる。私が想像するに、我々の追い越しでウインカーが戻っていない事に気付いたトラックドライバーは、慌ててウインカーを戻したものと思われる。

雨が降っていなければ私の決断にこんなに時間が掛かる事は無かったと思うのだが、何とも人騒がせ?なトラックだった。このトラックが我々の退屈しのぎになったのは確かだが、あまりにも退屈な道に睡魔に襲われていたライダーがいた事を私は知らなかった。

ようやく別海の街に入った私は、時間も有る事だし温泉に入ってから根室に向かう事を考え、皆さんの意見を聞く為コンビニにバイクを停める。すると私の後ろにバイクを停めた10Rの様子がおかしかった。バイクに跨ったまま動こうとしない10Rに、私が体の具合が悪いのか尋ねると、10Rは大丈夫だと言うだけで下を向いている。

「温泉に入って休んでいくか?」 と聞くと、このまま宿に行きたいと言う。私は体の具合が悪いのではないかと心配したが、10Rは長い直線を走っていて眠くなってしまったようだ。こんな時は少し寝る(15分程度でも違う)のが良いのだが、10Rはこのまま走っても大丈夫と言うので、我々は根室に向かって出発する。

別海から根室までは80km位で一気に走る事にしたのだが、雨は殆ど上がってきていてそんなに時間は掛からないだろう。







根室花咲港 民宿 一福 に無事到着













































一福の夕食



一福では花咲カニが付いて
一泊二食付で税込み6825円です。




ハサミは意外に可愛い形をしています。






オバちゃん最高!!

●一福 の夜
別海から国道243号で厚床の国道40号に出た我々は、左折して根室に向かう。温根沼に掛かる大きな橋を渡った我々は、次の信号を右折して花咲港に向かう。この道は花咲港に直行する道で、この道を辿って行くと 民宿 一福 が左手に見えて来る。

午後4時半頃、我々は雨が上がった 根室 花咲港 一福 に到着する。以前バイクの停める場所に気を使っていた事もあって、私は玄関に行って女将さんにバイクの置き場所を聞いたのだが、玄関前でも何処でも大丈夫との返事だった。

以前は道路から見えない所にバイクに置くように言われた事も有って、私は

「玄関前でも良いんだ?!」

と以前との変化に驚いたのだが、その訳は後に知る事になる。

二年ぶりに会った女将さんは相変わらず元気で、我々を仕切っていく。

玄関先の風除室に脱いだ雨具を干させてもらった我々は、女将さんの案内で部屋に向かう。私は前回と同じ2階の部屋かと思い2階に行こうとしたら、今回は前々回に泊まった1階の部屋だった。女将さんの頭の中を読むのが本当に難しい・・・。

風呂に入れるという事で10Rが風呂に行き、私はその間に布団を敷いて彼が風呂から上がったら直ぐに横になれようにしておく。ここで少しでも寝て体力を回復しておかないと、この後の宴会が盛り上がりませんからね。

10Rが風呂に入っている間に宴会用の飲み物を新人さんと買いに出る事にした。サンダルを借りに女将さんのところに行くと、

「酒ならこれを飲めば良いべぇ・・・」

と女将さんは、4Lの焼酎ボトルを出して来た。

それはそれとして私は前回も飲み物を買いに行った近くの酒屋?に向かう。誰も歩いていない道を港方向に歩いて行くとお店が見えて来たのだが、遠目からは店が閉まっているように見えて焦った私だったが、店内に電気が点いているのが見えて安心する。

店内に入ると前回はお爺さんが出て来たが、今回はオバサン(40歳代)が出て来て変に馴れ馴れしいよそ者の我々を少し離れた位置から見ている。私は前回も買ったホワイトリカーと、よせばいいのに新人さんが買ったワンカップ(日本酒)も買ってしまった。

買い物を終え部屋に戻った私はお風呂入り、戻った所で交代で新人さんが風呂に行く。私は起きた10R氏と共に買って来たワンカップを開けたのだが、半分位飲んだところで女将さんが夕食の準備が出来たと呼びに来てしまった。

ここの女将さんはテキパキと行動しないお客には厳しい?人(前回学びました)で、私は飲み掛けのワンカップを部屋に残して食堂に向かったのだが、新人さんはまだお風呂場いた。一人足りない事の気付いた女将さんは、新人さんがお風呂に入っている事を知って風呂場に声を掛けに行く。


鮭の白子
酒の肴に最高でした。(新人さん談)



花咲カニの味は格別です。
私は蟹の中では花咲カニが最高だと思います。
※ミソも毛蟹程多くはないですが旨い!!

私と10Rは先に食事を始めたのだが、女将さんに呼び出された新人さんは急いで風呂を出て食堂にやって来た。

全員集合したところで改めて女将さんが差し入れてくれた焼酎で乾杯、お食事兼宴会がリスタートする。

テーブルの上には花咲ガニをはじめ鮭の白子の煮物や焼き魚(カレイ)等海の幸等が並んでいる。最初にご飯を一杯頂いた後、美味しい肴をツマミながら宴会が本格的にスタート、お母さん(女将さん)も缶ビール(雑酒や発泡酒でなくてビール)持参で参戦、色々な話で盛り上がっていく。

前回来た時は老夫婦と同席となり大カラオケ大会になってしまい私も一曲歌うはめになったのだが、その話を聞いていた新人さんはわざわざカラオケを練習して来たらしい。

誠に見上げた心掛けではあったが、私が意識的にカラオケの話題は避けた事もあって、今回はカラオケのの字も出る事はなかった。

だってカラオケの話をしたら、お母さんは即レザーディスクを持ち出して来る事は目に見えていたし、カラオケを聴くのは良いとして私にお鉢が回って来るのが怖かったんだもん!?

話が一段落したところで花咲ガニタイムが始まった。蟹バサミでカニを切って食べるのだが、色々試した結果足を節毎に切った後、縦にハサミを入れて開いて食べるのが一番身を綺麗に取り出せる食べ方であるようだ。

久しぶりに花咲ガニを味わった私は、やはり花咲ガニはカニの王様(ヤドカリの仲間ではあるけれども・・・)である事を再確認した。

花咲ガニの漁は先週で今シーズンの漁は終わっているそうで、今日のカニはお母さんが我々の為に用意しておいてくれた物のようである。最近の花咲ガニは、日本の領海内で捕れた物とロシアから輸入した物が有るらしいが、ロシア政府の統制が厳しくなって以前のようにロシアの船が自由に花咲港に出入する事は無くなったのだという。

その為、ロシアの船員が港周辺を歩き回る事も無くなり、バイク等が悪戯される事も無くなったようだ。一福にはロシア人の若者が泊まっていたのだが、彼はロシア政府の役人だそうで、政府の仕事をしているのだと言う。

無口な時間が過ぎ、皆さん再び冗舌になって焼酎の4Lボトルが空いていく。スタートしたのが六時前と早かった為、タイムリミットの11時までは十二分に時間が有った事から皆さんマイペースで飲んでおりました。

いつも食卓の上に載っているサンマの姿が今回見えなかったでお母さんに聞いてみると、今年のサンマは油が乗り過ぎて食べるのに適さないのだと言う。焼くと油が焼けて真っ黒になってしまうし、刺身で食べると油が強くてお腹を壊すしてしまうのだと言う。

すると厨房からお母さんが酢でしめたサンマ(しめサンマ)を持って来て食べさせてくれた。初めて食べたしめサンマは旨かった。そしてまた酒がすすんでしまったのだが、お母さんは我々の為に甘いゼリー(当然これは私に回ってきた)や干しコンブのなどを次々に出してくれた。

時間的にはまだまだ余裕が有ったのだが、スタートが早かった事から9時には宴会をお開きとした。後片付けは皆でお母さんをお手伝いしたのだが、新人さんは洗い物までシッカリしておりました。

今宵の宴は本当に楽しかったのだが、それはお母さんのキャラクターに因るところが大きかった。 私はこれまで多くの北海道のお母さん達に出会ってきたが、彼女達には共通する気っ風の良さ、懐の広さ、実直な人柄等が有るように思う。

それは北海道という自然環境の厳しい土地柄からきているところも有ると思うが、とにかく北海道には元気の良いお母さんが多いです。

部屋に戻ると10R氏は既にご就寝だった。私も歯を磨いて直ぐに横になったのだが、連日の疲れと心地良い酔いで直ぐに寝たようです。

明日は北海道最終日、天気予報では晴れると言っていて楽しみな一日になりそうである。


5日目